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Re: みなさんにQ 12977へのコメント
No.12993  Tue, 25 Jun 2002 17:34:07 +0900  シペラス [この発言にコメントする]

みく wrote:
>シペラス wrote:
>>ちょっとまた聞いてみたいと思うことがあったので、質問します。
>>
>>みなさんは次の言葉の意味をどのように捉えていますか?
>苦しい回答。。(^^; シベラスさん、あとでご意見お願いしますm( _ _ )m

僕の答えはこうです。

親切:相手の気持ちを汲んだり、公衆道徳に基づいて、世の中に役立つように自らの行動を発現していくこと。

平等:物品や『行動を起こそう』というチャンスが、みんなに公平に与えられていること。

対等:おなじ目線で物事を考えること。


迷っています
No.12992  Tue, 25 Jun 2002 16:47:03 +0900  くりあ [この発言にコメントする]

この時点で何をどう書けば良いのか悩んでしまいます。

31歳女性です。私はどの分類に入るのか分かりませんが,自分で傾向があると疑っています。特に目立って会話力,文章力,読解力等が劣っているようです。ですので,以下不明瞭な文章になっているようでしたら,許し願います。
唯一信頼している人に相談しました。考え過ぎと言われました。話すことがないので今まで聞き役に徹していました。かと言って相手の話はまったく理解していないことがほとんどでした。聞いた話はすぐ忘れる。そういったことを伝えても気にし過ぎと言われました。そうなのかと思い努力して会話しようとしたら「馬鹿にしているのか」と相手は怒りました(子供の頃,親・先生に何度となく言われた言葉です)。だから私は「苦しいんだ」と言いました。それは「注意力が足りないからだ」と言われました。ちゃんと聞いていれば出来ることなんだと言われました。部分的に理解できたり,覚えていたり,あんまり人が知らないようなことをまれに知っていたりするので,嘘っぽい,病気と思われたくてわざとフリをしているんじゃないのか?と言われました。

病院へ行って診断を受けたいと言ったところ,何故?と聞かれました。当然私には納得させるような説明が出来ず「本当のところ,自分はどうなのか知りたいからだ」としか答えることができませんでした。

こういう書き方をしてしまうと,相手の方の印象が悪く思われてしまうかも知れませんが,他人から私がどういう風に見えるか,初めて教えてくれた人であり,今まで出会った中で一番正直な人間であり,信頼するに至っています。

もしも何がしかの診断が下ったら,私はほっとするのではないかと思います。自分の注意力が足りないせい,自分の努力が足りないせいではないという診断を欲しがっているのではないかと思います。そう考えてしまうと「逃げようとしているのではないか,そう考えてしまうのは悪いことなのではないか」と病院へ行くのを躊躇してしまいます。以前うつ病に近い状態の時期があり,精神科へ行った経験があり,しかし自分の何がどういう状態でどういうことなのかという説明ができず,癇癪寸前で帰ることがよくありました。それも躊躇の理由の一部分です。まだどうしたらいいのか自分で自分に答えが出せません。

診断が下るには,病院へはどのくらいの期間(何回くらい?)通うことになるのでしょうか?


Re: 健常者の居ない明るい社会を作ろう!! 12971へのコメント
No.12991  Tue, 25 Jun 2002 16:03:33 +0900  Mr.Moto [この発言にコメントする]

蝙蝠(悪魔型)氏 wrote:
>  マズ、悪魔的ナ行為トシテ見ルナラバ、健常きらー氏ノ発言ハ徹底シテイナイ。健常きらー氏ハ「我々の自由のために」「明るい社会を」トイウ言葉ヲ発シテイタガ、自ラノ幸福実現ノタメニ為サレル悪ナド悪魔ノ名前ニ値シナイモノデアル。コノ問題ハアクマデ根源悪(自己保存ノタメニ為サレル悪)ノ次元ノ問題トシテ扱ウコトニスル。

 そうそう.「健常キラー」というネーミングおよび,「我々の自由のために」「明るい社会を」という一般化をしている点において,おれは健常キラー氏に一応の敬意を払っているのだな.

> しんたろうナル者ガカツテ類似スル発言ヲ健常者ニ向ケテ発シタ時、汝カラハ逆ノ反応ガ為サレタイタガ、ソノ整合性ヤイカニ?

 シンタロウ君の発言は生身の個人からのものだが,健常キラー氏は「健常キラー」というキャラクターを演じているという意味で演技的である.同じ芸人として,同情的な部分というのがあるのだ.もうちょい才能(まあ,才能だけではないのだが)があれば,ああいうみっともない真似はせなんだろうに,と思う.

I wrote:
 障害者の立場というのは,絶滅寸前の少数民族みたいなもんである.社会の大多数である健常者は,障害者の存在を「必要不可欠な存在として」は「必要としていない」.

蝙蝠(悪魔型)氏 wrote:
> ソモソモ、人間ソノモノガコノ世界ニ必要ナモノデハナカロウ。ソモソモ世界に必要トサレテイナイ人間タチガ生キル社会デ必要トサレナカッタトシテ何ノ苦シミガアロウカ?

 つまりは実存がゆらいじゃうのだ.人間は「何者か」であることを欲しているのである.

> 悪魔トシテハ、悪ヲ己ノ苦シミヲ軽クシタリ、すとれすヲ解消スルタメノ手段トシテ利用シテホシクハナイノダガ。悪魔的行為ハ純粋ニ悪ノ為ニ行ナワレルベキデアッテ、アマリ不純ナ動機ヲ混ゼテホシクハナイ。逆ノ立場ダガ、かんとモ「道徳ニ不純ナ動機ヲ混ゼテシマウ 」コトヲ強ク戒メテイル。

 おれもそう思う.おれとしては,黒人や韓国人のような「アイデンティティを剥奪された人々」や障害者のような「(本来の自分自身に基づくという意味での,真の)アイデンティティを持ちえず,他者に依存する以外なかった人々」に対し,「真のアイデンティティを回復するための戦い」として,「白人の奴隷化」「韓国による日本支配と統治」「健常者の絶滅」みたいな明確なビジョンを提示していただきたかった.SFなんかだと「新人類(ミュータント)対旧人類の戦い」だとか「ロボット対人間の戦い」だとかいうのが定番ネタなのだから,「自閉人こそが人類の未来を継ぐものである」くらいの構想はぶち上げてほしいと思う.

 とはいえ,人間三十歳の坂を越えると「面倒臭い」が先に立ったりするのである.「枯れ木も山の賑わい」というし,社会のお荷物とはいえそれなりの役割は果たしておるのだ.たとえばの話,猫が絶滅したところで誰も(実質的な部分で)困らんが,それでも猫がいる社会と猫がいない社会ではどっちがいいかといえば猫のいる社会である.人間は猫を飼っていると思っているが,宇宙から来た知的生命体かなんかが見れば,おそらくは「猫が人間を奴隷化している」ようにしか見えん.
 無力であるからといって支配的であるとは言えないのである.赤ん坊は無力だが,親は赤ん坊に支配されているといっていいし,じっさい赤ん坊を虐待する親は犯罪者かキチガイとみなされるという意味において社会的にも赤ん坊は支配的な位置にある.こうした「実効的支配力」のことを「バーゲニング・パワー」というのだが,弱者はしばしば弱者であるという理由でバーゲニング・パワーを持ちうるのである.

 そんなわけで,おれとしては「地球の居候」(by 辻まこと)あたりのポジションに安住するのが得策という気がしていたりするのである.

 (Mr.Moto)


Re: 経験と相互理解 12967へのコメント
No.12990  Tue, 25 Jun 2002 15:21:11 +0900  こうもり [この発言にコメントする]

Naveさん wrote:

>「自閉・非自閉を問わず、類似した経験を持たない人を理解したり、同じ感
>情を持つことは難しい」、これには同意します。
>しかし、「自閉・非自閉を問わず、同じ経験をしたからといって、同じこと
>を感じるとは限らない」と思っています。

実はこの問題、わたしも念頭には置いていて、スレッド12928でも

>(2)同じ経験をしたからと言って、同じ気持ちになるとは限らないの
>  ではないか?この前提はそもそも正しいのか

というコメントをちらっとはしていたのでした。

>そもそも、「異なる人が、同じ経験をする」ということが可能かどうかがア
>ヤシイと思っていますが、この点については保留しておきます。

 これはとても重要なことなので、現在naveさんの意見を参考にしなが
らを修正案を考えています。今のところ考案している仮説は

(1)類似する材料(経験,生活背景,文化背景)を持っている方が相手の
   気持ちを把握するのに有利である。

(2)ただし、類似する材料を持っていることは必ずしも感覚や感情の一致
   を意味しない。同じ経験から生起する感情や感覚は多様である。

というものです。重要なのは(1)であいまいに使用されている「同じ経験
」という言葉を、「類似する材料」と改めている点です。これならば、一見
よく似た経験の微妙な差異や立場の違いもカバーできると思います。

>実際に、「a」と「b」は良く似ていることが多いのかもしれません。
>が、そうでなくとも、「同じである」という幻想(?)を抱くことで、互
>いに親近感が生まれ、そうすると相手の言うことにも耳を傾けやすくなる
>し、語りを入れたい気分にもなるでしょうし、その結果、相互理解をしや
>すくなるのではないでしょうか。

さらにメンタル系の障害の世界ではこの手の親近感を持っている人同士で
なければ、タブーになってしまう話題が多いという事情もあります。

>「同じ知識を持つ」ということがわかっていれば、話の前提条件がわかっ
>ているわけで、共通部分についての説明が省けるので、「話が早い」→「
>理解しやすい」となるのかもしれません。

これもやはり同感で、例えば発達障害とか人格障害のように知る人ぞ知
る障害の世界では、すごく重要な意味があります。で、自分の障害を自覚
した発達障害者が抱えるディレンマの1つに障害について知識を共有して
いない人が身の回りに多いため、自分のことを語れなくなってしまうとい
うのがあったりします。わたしがアスペの館に来たのもきっかけはそれで
した。1番、知識を共有している人が多い世界でしたから。

>「分からないこともない…いや、やはり分かりません。
>実は、私も孫をひき逃げ事故で失っているのです。(ジャカジャン!!)
>しかし、だからといって私は、孫を殺めた者の命を奪おうとは思いませんでした。
>そんなことをしても、孫は喜ばないでしょう。」
>とか相手に言われたら、どうなるんでしょうね。←いぢわる(^^;)

 本当はそう言って悲しんでいる人には言わない方がいいのかも知れない
…。でも、言ってしまいそう…。


Re: はじめまして 12979へのコメント
No.12989  Tue, 25 Jun 2002 11:22:09 +0900  キリコ [この発言にコメントする]

みく wrote:
>
>でも離れて暮してみて、自分が辛い状況になったとき、とても苦しくてやりきれなくて実家に電話をしました。そのときに父が出たんですが、「辛かったら無理をするな」とか(初めて)いろいろ励ましてくれました。そして、(わたしの悩みの原因を)「お父さんが無口だからか?」とか「他のお父さんとは違うからか?」と、まるで自分のせいであるかのように言われました。(状況がわかりにくいと思いますが、決して自分を追いつめるような言い方ではないです。)今までまともに会話をしたことが無かった父ですが、そういう風に話をしてくれてとても嬉しかったです。

うるうる。なんか泣けるな〜お父さんの気持ちもみくさんの気持ちも良く解る気がするよ。
やっぱ親子だからさ〜憎むより許し合う事が出来るようになる方が幸せだよね。愛憎、紙一重ってね。

>
>ぱーこさんと違ってわたしは子供の立場ですが、父は父なりに私たち(「私」とは書けない。兄弟も含めた「私たち」)に愛情を持っているのはわかります。昔は憎くてしょうがなかった父ですが、今は憎いという気持ちはとても持てません。父もやはり、純粋で不器用な人間です。外の世界でも色々と生きにくいことがあったようです。今だから言えることですが、せめて家の中にいるときだけはそんな父を理解してあげればよかったなぁ、と思っています。

みくちゃん、優しいね。それだけ大人に成ったんだね、偉いよ。
うちの子供達もいつかそんな風に理解してくれるかな・・ま〜今でも許してはくれてるけど・・諦めか?
身近に居れば被害も大きいけど、離れてから、無くしてから、初めて見えてくる事も多いと思う。
まずは、お父さんと少しづつでも話してけるようにしたら、みくちゃんにとっても良いのでは?

>PS:ぱーこさんが、旦那さんのことをちゃんと理解しているようで、他人事ながら嬉しいです。

その気持ちをお父さんに向けてあげれたらいいんじゃ無いかな〜大きなお世話だったらごめんね。


Re: みなさんにQ 12976へのコメント
No.12988  Tue, 25 Jun 2002 09:24:48 +0900  ららら [この発言にコメントする]

シペラス wrote:

>1.親切
>2.対等
>3.平等

ウーン、どの言葉も日常ではほとんど使いません。何か、偽善的な雰囲気がして、どのことばも嫌いなのです。態度にそのことばが表れるなら、いいのですが、ことばで、親切にしている、あなたとは対等だ、人間は平等だよねとは言われたくないです。そういうことを言う人を私は憎むかもしれないです。


Re: 昨日チラッと見たドラマ 12968へのコメント
No.12987  Tue, 25 Jun 2002 05:57:19 +0900  こうもり [この発言にコメントする]

シュッツさん wrote:

>ハッペ氏の文章全体の内容は分かりませんが、グランディンさんの言う「同
>じ経験」は、物理的な経験であって、感情や感覚などの心理的経験ではない
>のかも知れません。

ハッペ氏の文章を読み返してみたのですが、イマイチはっきりしませんで
した。(『自閉症とアスペルガー症候群』東京書籍に掲載された論文)グラ
ンディン氏が自閉児の触覚体験について触れた部分で、自らの発明品である
締めつけ機や家畜用の消毒用水槽を自分で試してみたエピソードの記述に対
する解釈として説明されています。

 実験だけでは不十分で自分で体験してみないと分からないと考えている点
なのだろうか?

 余談ですが、「足を踏んだ者には足を踏まれた者の痛みは分からない」と
いう言葉は、通常「加害者が被害者の精神的な苦痛を理解することの困難さ
」を説明するために使用されます。

 シュッツさんの説明を見て思ったのですが、この言葉は物理的な経験と感
情的な経験を混同しているような気がしてきました。あるいは両者には区別
しにくい側面があるということなのだろうか?


Re: 来月から働ける! 12983へのコメント
No.12986  Tue, 25 Jun 2002 04:56:40 +0900  りげる [この発言にコメントする]

りげるです。

ぱーしもん☆ wrote:
>最近、障害者枠でハローワークに通っていましたが、漸く面接に受かり
>来月から仕事をすることが出来ます。
>3年半ぶりの仕事です。

わーい。おめでとう\(^o^)/。障害者枠での求人ということは、
きっと、心の病気に理解がある会社なのかと思います。
無理しない程度に、調子のいい時は頑張って下さいね。

>くるくる回って喜びます。

嬉しさが伝わってきます。本当におめでとう!


Re: はじめまして 12981へのコメント
No.12985  Tue, 25 Jun 2002 00:35:01 +0900  ぱーこ [この発言にコメントする]

あさかぜ さん、はじめまして。

> 偶然ですが、うちの夫も52才です。自覚のないASではないかと思っています。
そうなんですか〜!しみじみ・・・・・
なんというか、肩の荷が下りたような、あ〜、出会えてよかったです。

> 似たような感じを覚えました。夫の世界も壊してはいけないものだと感じています。それがないと生きるのが辛いだろうと……。

それに気づいたのは「自閉症だったわたしへ」を読んでからです。
夫が私たちを無視している、拒否している、とずっと思っていたけど、夫は必死で自分を守っていたようです。

> ちょっとだけうらやましいと思ってしまいました。わたしは夫から距離をおく方法を模索しています。

家の場合、距離をとるのは簡単。全くしゃべらず、出会わず過ごすほうが多いです。それを、玄関に鈴をつけ、お弁当を作り、駅まで送り、ちょっとでも一緒の時間を過ごすようにしてきたけれど、空しかったですね。
夫には結果は伝わるけど、経過や気持ちや心配ということは伝わりません。
私は自分がモノになっていくような気がしました。


私も自分を大切にしようと思います。夫を怨んできたけど、今は「こういう人がいてもいいのだ」という気持ちです。この人にはこの人の生きる意味がある。
私は私。夫は夫。
働いてくれているだけでもありがたいと思います。

私もワルですよ。殺してやりたいと思ったこともあります。馬鹿にしていたし、
うんざりもしています。でも、ちょこっと、希望をもっていけそうです。

あさかぜさん、ありがとう!


森口奈緒美さんからのメッセージ
No.12984  Mon, 24 Jun 2002 23:19:50 +0900  鷲羽丸 [この発言にコメントする]

 森口奈緒美さんが、ご自身のHPに新しいメッセージをUPしていました。
 ↓こちらです。

 http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Cassiopeia/8331/pooyel00.html

 読んでいて、共感できる部分がいくつもありました。

 ぜひ一読してみてください   鷲羽丸


来月から働ける!
No.12983  Mon, 24 Jun 2002 22:38:03 +0900  ぱーしもん☆ [この発言にコメントする]

みなさん こんにちは
ぱーしもん☆です。
最近、障害者枠でハローワークに通っていましたが、漸く面接に受かり
来月から仕事をすることが出来ます。
3年半ぶりの仕事です。
首にならないようにしなくては・・・。
いつもはロムなのですが嬉しいので書き込みしてみました。
くるくる回って喜びます。
でわでわ


Re: 健常者の居ない明るい社会を作ろう!! 12969へのコメント
No.12982  Mon, 24 Jun 2002 21:48:13 +0900  みどり [この発言にコメントする]

こうもり wrote:
> 後者の方が正しいと思うのであれば、後者のように健常キラー氏にレス
>すればよかったのではないでしょうか?何でまた、あえて健常者との関係
>がこじれている人に対して前者のような説明をしたのですか?

いつも冷静なコメントありがとう。
私にはそういう説明能力が欠けていて、助かってます。


Re: はじめまして 12965へのコメント
No.12981  Mon, 24 Jun 2002 21:08:53 +0900  あさかぜ [この発言にコメントする]

 ぱーこさん、はじめまして。

 偶然ですが、うちの夫も52才です。自覚のないASではないかと思っています。
 コメント読ませていただいて、ぱーこさんのような方がもう一人いたら是非うちの夫の奥さんになってほしいなと思いました。不謹慎な発言ですけど。
 純粋で生真面目な人には優しい人が似合うんだろうなと思います。わたしはワルだから、夫には気の毒なことをしたなと思っています。もっと生活能力があれば夫を守ってやれたかもしれないけど、残念ながらわたしにはないので。

ぱーこさん wrote:
>悪い人ではない、ということはずっと感じていました。純粋だと思います。
>夫が壊れそうに見えたときに、私は「壊してはいけない」と感じました。

 似たような感じを覚えました。夫の世界も壊してはいけないものだと感じています。それがないと生きるのが辛いだろうと……。

>それでも、いつか、共有できる時間を作れたらうれしいなぁ、と思います。

 ちょっとだけうらやましいと思ってしまいました。わたしは夫から距離をおく方法を模索しています。


Re: 昨日チラッと見たドラマ 12968へのコメント
No.12980  Mon, 24 Jun 2002 20:43:43 +0900  Helix [この発言にコメントする]

今日思い出した事があったんで、書き込みます。

シュッツさん wrote:

>先日のテンプル・グランディンさんのセミナーでの話です。
>
>特殊教室か療養施設か何かの教師(正確には忘れました)から、「ある子が、他の子供に対して首を絞めたり殴ったり、暴力的な行動をとる、乱暴な性格ではないらしい」といった主旨の質問がありました。
>それに対してグランディンさんは「私が他の子の首を絞めたときに、母親が私の首を絞めて、どのような感覚かを教えてくれたので、それから絞めなくなった」と答えていました。
>それに補足して、佐々木正美さんが、「グランディンさんは知能が高いので、そのやりかたで覚えることが出来たが、子供によっては逆効果で行動がエスカレートすることもある」と言っていました。
>
>ハッペ氏の文章全体の内容は分かりませんが、グランディンさんの言う「同じ経験」は、物理的な経験であって、感情や感覚などの心理的経験ではないのかも知れません。

シュッツさんのおっしゃるように物理的な経験においての感じ方は自閉者も普通人も大きな差は無いように感じます。(もちろん感覚過敏についてはこの限りではありませんが)

思い出したことというのは、私は弟が生れてわずか5ヵ月後に父親を病気で亡くしました。
で、弟が中学生のときクラスメートと不幸自慢みたいな遊びをしたそうです。
偶然同じクラスにも父親がいない子がいました。最初は遊びではじめた不幸自慢が
だんだんエスカレートして、しまいには弟とその子の言い争いになったそうです。
その内容というのが
「おれは交通事故でオヤジを亡くしたんだ。運が悪くなかったらまだ生きてたんだぞ。病気ならまだあきらめもつくさ。」
「おれは生れてすぐに、親父を無くしたから、楽しい思い出すらないんだぞ。」
というもの。
似たような経験をしていても、共感するかどうかは努力によるものだとおもいました。
そうですね、この場合は「共感できるか」であって「同じように感じるには同じ経験が必要か」と言った、テーマから外れるかもしれませんが。
また今はサッカーW杯で大騒ぎしてますが、あれは共感する事によって同じように感じたと錯覚しているのかもしれません。トランスなんかもそうかな?と思うのですが。
で、自閉方面の私としては、共感は非常に難しい技だと思っています。
弟も私と同じ「悲しさ」を感じているのかと思っていましたから。

何だかまとまりが悪い上、趣旨から外れていてすいません。


Re: はじめまして 12965へのコメント
No.12979  Mon, 24 Jun 2002 20:20:44 +0900  みく [この発言にコメントする]

ぱーこ wrote:

>対応を変えて、相手に変わることを期待するのを止める、それが私も楽であると気づきました。子どものことも眼中にない、と言う感じですが、愛情は彼なりに持っているのかも知れない、と言う気がしてきました。
>悪い人ではない、ということはずっと感じていました。純粋だと思います。
>夫が壊れそうに見えたときに、私は「壊してはいけない」と感じました。
>ふと、普通に見える瞬間があるのです。2面性なのかどうか、わかりませんが。
>それでも、いつか、共有できる時間を作れたらうれしいなぁ、と思います。
>

ぱーこさん、初めまして(^−^)わたしも、最近アスペルガーのことを知り、自分もそうではないか?と考えるようになりました。自己表現が下手なので、誤解を生むような書き方をしてしまうかもしれません。でも決して悪気はありませんので、「それは失礼だ」と思ったら遠慮しないでどんどん言ってくださいね。よろしくお願いします。

実はぱーこさんの書き込みを見て、「わたしの父に似ているなぁ」って思いました。(自分独自の世界を持っていて、その領域に踏み込まれると人が変わったように怒り出すとこなど。)わたしも中学・高校の頃は、そんな父が嫌で嫌でたまりませんでした。ことある毎に反発して、最後は同じ人間だと思うのも嫌でいっさい口をきかなくなりました。でも離れて暮してみて、自分が辛い状況になったとき、とても苦しくてやりきれなくて実家に電話をしました。そのときに父が出たんですが、「辛かったら無理をするな」とか(初めて)いろいろ励ましてくれました。そして、(わたしの悩みの原因を)「お父さんが無口だからか?」とか「他のお父さんとは違うからか?」と、まるで自分のせいであるかのように言われました。(状況がわかりにくいと思いますが、決して自分を追いつめるような言い方ではないです。)今までまともに会話をしたことが無かった父ですが、そういう風に話をしてくれてとても嬉しかったです。

ぱーこさんと違ってわたしは子供の立場ですが、父は父なりに私たち(「私」とは書けない。兄弟も含めた「私たち」)に愛情を持っているのはわかります。昔は憎くてしょうがなかった父ですが、今は憎いという気持ちはとても持てません。父もやはり、純粋で不器用な人間です。外の世界でも色々と生きにくいことがあったようです。今だから言えることですが、せめて家の中にいるときだけはそんな父を理解してあげればよかったなぁ、と思っています。

PS:ぱーこさんが、旦那さんのことをちゃんと理解しているようで、他人事ながら嬉しいです。


Re: 映画を見てきました(アイ・アム・サム) 12975へのコメント
No.12978  Mon, 24 Jun 2002 20:17:22 +0900  Helix [この発言にコメントする]

らららさん、Naveさん、こんにちは。

> ↑「ギルバート・グレイプ」ですね。

そうでした。あれ見るまでは、ディカプリオの良さがわからなかったんですが(大体がディカプリオ主演の映画はまず見ないカテゴリなんで。)
映画もきれいだったし、自閉者が自然になじんでいて彼の演技は心に残りました。

らららさん wrote:
>「アイ・アム・サム」を見てきました。切ない映画でした。自閉傾向のある主人公にはかなり共感しました。主人公のサムは、自閉症者としては、かなり恵まれています。同じ施設出身の友人がいて、自分でできる程度の仕事で、なんとか生活をしています。はっきり、知能障害、自閉傾向ありと、烙印を押されるというのは、いいなあ、自閉症者として、無理のない生活をできるのは、いいなあと少し、見当違いの感想だったかもしれません。
>
>境界線上で、きわどい生活をするのに疲れたのかもしれません。

らららさんさっそく見てきたんですね。
楽しめてよかったですね。境界線上のつらさは私もわかります。見当違いでは無いと思いますよ。

私も見たら感想を書きます。

Naveさんもはやくレンタルで見られるといいですね。


Re: みなさんにQ 12976へのコメント
No.12977  Mon, 24 Jun 2002 19:12:11 +0900  みく [この発言にコメントする]

シペラス wrote:
>ちょっとまた聞いてみたいと思うことがあったので、質問します。
>
>みなさんは次の言葉の意味をどのように捉えていますか?
>
>1.親切
>2.対等
>3.平等

この間、病院の知能検査で同じようなものをやりました。普段何気なく使っている言葉でも「説明しなさい」と言われると、うまく答えられなくて言葉がつまってしまいました。自分にはそういう能力が不足してるんだなぁ、と実感しました。(←ショック(>o<))「自分の言葉で人に説明する」っていうのがとても難しく思います。皆さんはどうですか?(横レスっぽくてすみません(^^;)

ちなみに、

1.親切→ 善意でやさしくすること。
2.対等→ 同じ立場にいること。
3.平等→ 分け隔てなく接すること。


苦しい回答。。(^^; シベラスさん、あとでご意見お願いしますm( _ _ )m


みなさんにQ
No.12976  Mon, 24 Jun 2002 18:35:22 +0900  シペラス [この発言にコメントする]

ちょっとまた聞いてみたいと思うことがあったので、質問します。

みなさんは次の言葉の意味をどのように捉えていますか?

1.親切
2.対等
3.平等


映画を見てきました(アイ・アム・サム)
No.12975  Mon, 24 Jun 2002 18:26:54 +0900  ららら [この発言にコメントする]

「アイ・アム・サム」を見てきました。切ない映画でした。自閉傾向のある主人公にはかなり共感しました。主人公のサムは、自閉症者としては、かなり恵まれています。同じ施設出身の友人がいて、自分でできる程度の仕事で、なんとか生活をしています。はっきり、知能障害、自閉傾向ありと、烙印を押されるというのは、いいなあ、自閉症者として、無理のない生活をできるのは、いいなあと少し、見当違いの感想だったかもしれません。

境界線上で、きわどい生活をするのに疲れたのかもしれません。


Re: はじめまして 12965へのコメント
No.12974  Mon, 24 Jun 2002 17:20:18 +0900  キリコ [この発言にコメントする]

ぱーこ wrote:
>夫がアスペルガーに近い(スペクトラム)ということが気になり、もっと知りたいと思ってここに着きました。

>対応を変えて、相手に変わることを期待するのを止める、それが私も楽であると気づきました。子どものことも眼中にない、と言う感じですが、愛情は彼なりに持っているのかも知れない、と言う気がしてきました。
>悪い人ではない、ということはずっと感じていました。純粋だと思います。
>夫が壊れそうに見えたときに、私は「壊してはいけない」と感じました。
>ふと、普通に見える瞬間があるのです。2面性なのかどうか、わかりませんが。
>それでも、いつか、共有できる時間を作れたらうれしいなぁ、と思います。
>
>ときどき、またお邪魔させてくださいね。

優しい奥さん持って旦那さんは幸せね。本人は気付いてないかもしれないけど。。
視野が狭いし、有り難さとか余り感じてなかったり、表現できなかったりするかも知れない。
でも本人なりの愛情は持ってるはずです。奥さんにも子供にも・・
私は逆の立場だけど旦那がぱーこさんみたいだったらいいな〜とかフト思っちゃいました。

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