アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
職業訓練がそろそろ終わり、何をしていいのかわかりません。
作業所に通所すべきなのか(通うとなれば永続的に行かなければいけない)
また新たに仕事を探すべきなのかわからない。
昨日、ボランティア先の作業所で作業中に通所生にヤツあたりしたり、大声で悪口を言ったり、
ギャアギャア暴れて、所長さんから「しばらく休んで欲しい。メンバーの迷惑」と
言われました。仕事がうまく行かない上に、これからどうしていいのかわからない。好きな服の仕上げの仕事が
出来なくなる。落ちつき場所を奪われたと言う感じです。
もし万が一の時のために通所授産施設か作業所に登録したい。しかし精神科の先生には
診断書を書いてもらえません。他のボランティア先でも簡単な作業しかさせてもらえない。
私がこんなに真剣なのに、誰も私の事をわかってくれない。
腰を下ろす場所が欲しい.....
すんませんね、論理的でない話をします。
蝙蝠(狂人型)さん wrote:
> こうもりくんがこの言葉を聞いたのはASの診断を受ける5ヶ月前
>だった。この言葉をこうもりくんに教えた支援関係者は自称ASを「
>いかがわしい」存在として見なしていた。
ふむふむ、「いかがわしい」という評価もあるのですか。
「自称AS」は自分がどこの位置にいるのかを表明するために使っているのであって、必ずしも他者に認めてもらうことを必要とはしていないです、わたしの場合。「自称ASね。最近そういうの多いよね、自称○○って」と、あざ笑うごとく言った人もいますがね、障害支援者で。今さら驚きはしないって感じです。何十年もの間に、たくさんの方々からさんざんな“お言葉”をいただいてきているので、そこに「いかがわしい」が加わったとしても、それがどうした?って感じもします。
「自称AS」を使うことが、診断済み当事者の方々に著しい不利益を与える、あるいは迷惑だと思われるということでしたら、使うのは控えた方がいいかもしれないと思うことはできますけどね、わたしでも。「自称AS」って『汚名』なわけ?
自称ASの問題について話すことにしよう。と言っても、問題のポ
イントは「自称AS」とされる人たちにあるのではなく、自称ASと
いう概念にある。
「自称AS」というのは、自分のことをASなのではないかと自己
診断をした未診断人の成人たちのことを指す。専門家によっては、診
断を求めて発達障害を扱う病院を自発的に受診する人たちのことを含
む場合もある。
こうもりくんがこの言葉を聞いたのはASの診断を受ける5ヶ月前
だった。この言葉をこうもりくんに教えた支援関係者は自称ASを「
いかがわしい」存在として見なしていた。当然、未診断だったこうも
りくんも同類だと思われていただろう。元々はたくさん持っていた発
達障害の特徴をなくしてしまった発達障害者だったからね。
しかし、「自称AS」が支援関係者から非難されている点「自己診
断」は本当に患者がやってはならないことなのだろうか?特に「自称
AS」の中に「自分を自閉スペクトルと疑って病院を受診した未診断
の成人」を含めてしまうと、話が混乱することになる。
発達障害に限らずほとんどの病気や障害において未診断の患者が病
院を自発的に受診する場合、患者にはある程度の予想や推測や自覚症
状が必要だ。例えば、ある患者が心療内科や精神科を受診する場合、
その患者は少なくとも自分自身が心の不調を抱えていることを自覚し
ていなければ、受診することはできない。つまり、「自分の不調の原
因は心の苦しみにある」という予想か推測か自覚症状を持っていなけ
れば、その患者は病院を臨床的関与そ求めることはありえない。強制
入院か緊急入院の場合を除いて、患者の訴えがなければ、病院側も臨
床的関与を行なうことはできない。つまり、どんな病気や障害であれ
、臨床的な関係が築かれるためには、患者サイドがある程度の自己診
断をする必要があるということは押さえておく必要がある。
しかし、発達障害や人格障害のように専門家が少なく知る人ぞ知る
障害の場合、この自己診断にはやっかいな問題がつきまとう。一般の
精神科にかかる場合には患者サイドがそれほど予備知識を持つ必要は
なく、「不調の原因が心の状態にある」というところまで特定してい
れば、問題はない。ところが、発達障害や人格障害などの場合、患者
サイドが持たなければならない予備知識があまりにも多いのだ。そし
て、多くの予備知識を持っていなければ、これらの障害を扱っている
相談機関を見つけることさえ難しい。この結果として、障害者サイド
は受診前から多くの予備知識を身につけ、極めて限局された「自己診
断」(自分の障害の予想や推定)をせざるを得ない。こうもりくんが
受診する場合もそうだった。受診する前に一部の発達障害支援関係者
から「学力があるのになんで発達障害なんだ?」と言われて話が混乱
したことがあったので、「自分にはASか非言語性LDか発達性協調
運動障害の可能性はなかっただろうか?」との自己診断を病院側に語
らざるを得なかったのだ。
こうして見ていくと、自分がASではないかと疑って自発的に病院
を受診する成人患者のほとんどは、1度は自己診断をしなければ病院
を受診することはできなくなる。つまり、「自称AS」は大人になっ
てから自発的に診断を受けようとする人が1度はならなければならな
い通過儀礼のようなものだ。このうち、運よく病院でASと診断され
た人だけが「自称AS」の汚名を晴らすことができ、診断されなかっ
た人は「自称AS」の汚名を着せられたまま、生きることになる。
例外的に「自称AS」に汚名を着せられずにならずに済むケースも
ある。1つは家族や友人など周囲の勧めによって受診した場合だ。た
だし、この場合も周囲の人たちは「素人診断」を下している訳で、そ
の「正確性」は自己診断と対して変わらない。同じ「素人診断」でも
「自己診断」の場合だけ、ことさらに非難されるのは奇異であるとし
か言いようがない。もう1つのケースはADHDなど近接する障害の
可能性を疑って病院を受診したところ、ASと診断されたケースだ。
しかし、この場合もASと診断された本人は1度は「自称ADHD」
にならざるを得なかったのだ。
こうもりくんも最近、少し悩んでいる部分があるらしい。はっきり
と自分自身が発達障害者の一員であることを医学的に証明されたいと
願って受診し、望み通り診断を取得することができた。しかし、「自
称AS」という概念を批判的に検討することなく、安易に「自称AS
」という概念に寄りかかって行動してしまった部分はなかっただろう
か、と。「自称AS」の問題については再度検討をしてみる必要があ
るが、今思いつくことは書き尽くしてしまったので、今日は筆を置き
たいと思う。
ぼたんさん wrote:
>実感が無い。自覚が無い。自分だけが、自分の事をわかっていないらし
>い。(周りは私が見えているらしい。なぜかはわからない。)
それほど、周囲の人を過大評価しない方がいいでしょう。自閉につい
ては、身近な人でも本人の手記をみなければわからないことが多いので
す。多くの人はぼたんさんを理解するための材料(類似する経験や障害
など)を持っておらず、必ずしもぼたんさんのことが見えている訳では
ないのです。
>自分の事をわかる自分になれたら、こんなにすぐには疲れないものか
>な?
分かっても分からなくても、それなりの苦難はつきまといますが、分
かっていた方が
(1)自分の障害のことで混乱しなくてすむ。
(2)困難を抱えていることについて自己対策が立てやすくなる
(3)大人になってから診断された自閉人の多くが積み残してきた問題
「障害者と しての自己意識の確立」を達成しやすくなる
と言ったメリットはあると思います。
Helix wrote:
>「充実感」ってなんなんでしょうね。鬱になると忙しく動き回ってる時が「あの時って充実してたのかも」って思いだします。
こんばんは。
「充実感」ってなんなんでしょうね。苦手な事ができた時に「達成感」を感じるのですが、こうゆうのって「充実感」というのでしょうか?
私は、掲示板に書く時に達成感を感じます。書いたぞ!と思います。
それは普段思った事を口にしないからかもしれません。
昔は話しすぎると欝になっていました。後悔ばかりするのです。
今は考えながら話すのと開き直りが良くなってきたので後悔しなくなりました。
どんな時でも自己正当化してしまいます。もちろん心の中で。
ぼたん wrote:
>私は、ASだと思ってもみなかったので、「えっ?」という感じです。
>
>実感が無い。自覚が無い。自分だけが、自分の事をわかっていないらしい。(周りは私が見えているらしい。なぜかはわからない。)
>
>自分の事をわかる自分になれたら、こんなにすぐには疲れないものかな?
>自分が今、どういう感情を持っているのか、とか。
>これ以上はもう、力は出せない、とか。最低限度くらいは。せめて。知りたい。
>
>自分の事は全然見えない。いつか見えるようになるのか?
私にもうまく言えませんが、今「君が教えてくれたこと」を読んでいて
ASであることがわかれば、できることがあるかも知れないと思うのです。
まわりの誤解で苦しんでいることのいくらかに対してかも知れない。
私も夫がACかも知れないけれど、そう思ってくれたら
歩み寄れる可能性が広がるのではないかと思うのです。
何故、怒るのか、なぜ、そんなことを言うのか、
私にはわからなくて、困ります。
人をわかるなんて難しいことですが、せめて、穏やかな会話をしてみたい。
一緒に何かを楽しみたい。
少しずつ、一歩ずつ、自分を楽にしていきたいと思います。
自分のことが本当は一番見えにくいです。
うまくいえませんが、ぼたんさんを応援したい・・・
くりあさん wrote:
> AS,ADHD,ADD,LD,etc.
> 器質的,先天的なものであるとなっていますが,現時点では医学的に実証されているのでしょうか。それとも,まだ推定の域を越えていないのでしょうか。
ASはアスペルガー“症候群”と呼ばれていますが、自閉症スペクトラムに含まれる「疾患」であると医学的に認められています。
ADHDとADDは症候群。LDは障害。
ASというのは、「そういう病気(の原因になる何か)が(身体の中に)ある」ことが、ほぼ間違いないとされています。だから、「先天性の病気」と言っていいでしょう。
ADHDとADDに関していえば、脳のどこかの機能が阻害されるなり昂進するなりしたことによって起きる「全体でひとつの病像をなす、まとまって出る一群の症状」(=「症候群」)という解釈になります。たとえばの話、化学物質過敏症や慢性的な薬物中毒やある種の感染症などでADDと同じ症状が出たりもするので、いくら調べても具体的な原因が見つからない場合をADHDあるいはADDと呼んでいると考えていいでしょう。
LDはいろんな原因によって起こりうる、ひとつの結果です。
そんなわけで、
AS:器質的・先天的であることが確からしい。
ADHDとADD:体質などが色濃く影響するという意味で、先天的な要因も大きい。器質的であるとはいえない。
LD:かならずしも器質的・先天的とはいえない。
といったところでしょうか。
(Maria)
くりあ wrote:
>AS,ADHD,ADD,LD,etc.
>器質的,先天的なものであるとなっていますが,現時点では医学的に実証されているのでしょうか。それとも,まだ推定の域を越えていないのでしょうか。
ADHD・ADDといった、注意系のトラブルの原因については、D.G.エイメンというアメリカの学者がすでに、スペクト画像によって、脳の特定の部分の活動の低下(または過剰)によって生ずることをつきとめています。ADDは頭のケガで脳にダメージが及んだ場合にも出てきます。
また統合失調症の場合、全体的に脳の活動が低下してしまい、ことに前頭葉の活動が著しくダウンしてしまいます。
リバーさん wrote:
>こまりものさんwrote:
>
>ところで、職場の後輩ですが、彼としても、仕事をしなくてはいけなかったのでしょうから、あなたの職場に、応募したことは仕方がないことだと思います。責められるべきは彼の資質を見抜けなかった、採用責任者ではないでしょうか。そして、あなたが現状を訴えるべき相手は、職場の上司ではないでしょうか。同僚がどれほど困っているのか、どれほど、クライエントに迷惑をかけているのかよく訴えてはどうでしょうか。
たぶん、こまりものさんは、その彼に、何度となく訴えてきたにもかかわらず、一向に通じた様子がないからこそ、職場のみんなは困り果てているんじゃないかと思うけどな。
私がお勧めするのは、彼のご両親に、一度会ってみて、本人の生い立ちなり何なりを、それこそグループカウンセリングみたいにして、聞き出してみることだと思う。へたに直接「彼は困ります」と上司に訴えるより、それを上司にやってもらうよう、辛抱強く働きかけてみることじゃないかな。
その彼と、仕事を続けていかれるかどうか?
その彼は、続けていきたいと思っているのかどうか?
問題はその2点に尽きるのだと思うけれど、後者についてはも指摘されているとおり、他のみんなと同じように、彼は生活していかざるを得ない(長男であったとすればなおさら)から、その仕事をしているのは明らかなわけだし、
>他にも仕事がたくさんあるとおっしゃるのは、体のいいやっかい払いの決まり文句です。
ということになる。
飲み会等で、彼の悪口を言い合ってストレス解消というのも悪くはないけれど、みなさんの好む好まざるにかかわらず、長い付き合いになるかも知れないのですから。メランコリックに考えているだけでは、職場の雰囲気は、おかしくなってゆく一方だと思いますよ。
こまりもの wrote:
> 実は、職場の後輩が、明らかにアスペ+不注意型ADHDなのです。あの無表情さ、抑揚のない話し方、調節できない声の大きさ、不自然な体の動き、場の雰囲気の読めなさ、話の通じにくさ、ニュアンスの伝わらなさ・・・。どれをとっても、アスペと不注意型のADHDが合併している状態にみえます。そのうえ、最近、彼は自分で「僕はうつ病です」とカミングアウト!1日3回服薬をしているようです。私からすると「うつ」は対人関係がうまくいかないことでの2次障害と思えてしかたないのですが、彼自身には「うつ」という自覚しかありません。そのベースには、アスペとADHDが潜んでいるのは、ほぼ確実というのに・・・。
「燃え尽き」でしょうかね。案外「100%じゃなきゃ、僕は嫌だ!」というタイプではないでしょうか?
> 問題は、彼の今の職種です。なんと、なんと、彼は“心理”の仕事をしているのです。わかりやすく言えば、カウンセラー。
>よりにもよって・・・。彼がこの仕事を選んだ理由は「病院に関係する仕事をしたかったけど、医者になれるほど頭がよくなかったから」というもの。はっきり言って、彼には対人援助の仕事はかなり厳しいと思っています。
心理とか福祉系って、誰にでもできそうで案外難しいですよね。特に、「どこまで人にかかわって、どこまでで引くか」。これは本当に複雑…ともすると、無意識のうちに、「この人は絶対に僕が守らなきゃ」って過干渉になってしまって、クライエントの心を傷つけて、その浅はかさを悟ってケアする側も「こんなはずじゃ…」と傷つく、ということが起こりがち。私も福祉作業所でボランティアをしていたときに、これでまいった1人です。
>彼自身、ものすごく大変そうで、仕事上、みんなが心配して指摘してくれる事柄もほとんど理解できないようで、3分に1回はおおきなため息をついています。一緒に仕事をしている私も、自分の仕事に加えて、彼へのごく基本的な指導(初めて会った人には「こんにちは」と言ってから自己紹介をして・・・という、人間としてごくごく基本的なところ)まで仕事に加わり、ヘトヘトになっています。
> このまま彼が自分の障害を知らないのは、彼自身の人生にとっても、彼のクライエントにとっても、そして彼と一緒に仕事をする仲間にとってもつらすぎるように思います。私としては、近い将来、彼は自分の障害を認知するべきであり、その上で再度職業について考え直すべき、と思っています。おそらく、彼の持っている能力を生かせる職業は他にたくさんあると思うのですが、今の“心理”という職業だけは、彼には無理なのではないかと思うのです。
発達障害児のケアなら、案外『金の卵』かもしれません。
こまりもの wrote:
> 問題は、彼の今の職種です。なんと、なんと、彼は“心理”の仕事をしているのです。わかりやすく言えば、カウンセラー。よりにもよって・・・。おそらく、彼の持っている能力を生かせる職業は他にたくさんあると思うのですが、今の“心理”という職業だけは、彼には無理なのではないかと思うのです。
大変お困りの様子がよくわかります。私も自分だけが大変なのではなく周囲の人に多大な迷惑を、かけているのだということを、自覚しなくてはと思いました。
ところで、職場の後輩ですが、彼としても、仕事をしなくてはいけなかったのでしょうから、あなたの職場に、応募したことは仕方がないことだと思います。責められるべきは彼の資質を見抜けなかった、採用責任者ではないでしょうか。そして、あなたが現状を訴えるべき相手は、職場の上司ではないでしょうか。同僚がどれほど困っているのか、どれほど、クライエントに迷惑をかけているのかよく訴えてはどうでしょうか。
彼の能力を生かせる仕事は、他にたくさんあるはずとおっしゃいますが、そのような彼の現状では、他の仕事も、おそらく困難でしょう。他にも仕事がたくさんあるとおっしゃるのは、体のいいやっかい払いの決まり文句です。
彼に、自覚してもらうことを考えるのはあなたの仕事では、ありません。上司の仕事です。なんとか、彼に、他の仕事についてもらいたい、カウンセラーの仕事がむいていないと自覚してもらいたいという、職場のみなさんの、一致した見解はいじめの状況に近いと思います。彼もおそらく、表面はどうか知りませんが、かなりつらさを意識していると思います。ADDやASだからといって、人に厄介者扱いされて、なにも感じないわけではないのです。
あなたも、心理のお仕事をなさっているのでしたら、みんなで、ため息をつくようなことはなさらず、あまり、彼を追いつめず、早めに上司に現状を訴えるべきと思います。
こりっこさん wrote:
>「計画」を立てたり「約束」をするのはその事が達成できるであろうという見込みがあるからだと思います。
>私の話になりますが、箇条書き計画をよくしていた時期がありました。
>一日にする事であったり、年間計画であったり、しておきたいと思う事を紙に書いていました。大抵、できない事がほとんどで、後で嫌な気分になりました。
>無駄に時間が過ぎた気がしました。自己満足が得られないのです。
>そんな私を「満たされない人」と言う人がいて悩みましたが、(自分の思う
>「満たされない人像」とのギャップから一緒にしないでほしいと思ったのです。)
>今、思えば「満たされていない」「しんどい」は充実していたのです。
>Herixさんは、何としても約束を守るそうですね。おそらく、自分の計画に対しても
>そうなのではないでしょうか?
>自分の計画も守る事ができるのなら、充実していけるのでしょう。
こりっこさん、こんにちは。
いいえ、わたしが守れるのは待ち合わせ時間とか、締め切りだけなんです。
それ以外は約束する事って無いから。
計画に関してはそもそも「計画を立てる」という概念が乏しいためいつもまぎわ人間です。「充実している」状態とはほど遠いかも。
箇条書き、私も勤めている時はやりましたね。人から言われてですけど。
でも書いてる途中で嫌になる事が多かったです。それはたぶんこりっこさんが冒頭で書いていた「その事が達成できるであろうという見込み」で今書いてる物が明らかに自分のキャパ越えてるのを感じていたからかも。
>若者は無理をして頑張るべきなのでしょうか?
>無計画でボケボケしていると幸せを感じます。
>こんな事を書いていると自分が年寄りのような気がしてきました。なんだか嫌。
「充実感」ってなんなんでしょうね。鬱になると忙しく動き回ってる時が「あの時って充実してたのかも」って思いだします。
くりあ wrote:
>AS,ADHD,ADD,LD,etc.
>器質的,先天的なものであるとなっていますが,現時点では医学的に実証されているのでしょうか。それとも,まだ推定の域を越えていないのでしょうか。
答えになってなかったらごめんなさい。
自閉症スペクトラム(AS含)研究で著名な先生に診ていただいても、幼少期にそういった兆候がみられなければ、上記のような発達障害の診断名を頂けることはまず無いと思いますよ。
はじめまして、Lulu(39歳♂)です。
白井さんのサイトではすっかり有名人(?)になってしまいました。
「ADHDやアスペルガーじゃ、恋もできないのか?」という内容で、恋愛さえまともにできない現在の孤独感をぶちまけたところ、非常に反響が大きく、自信喪失状態だった私の心に活を入れることができました。
中には、「Luluには恋はできないっていうことを認めて欲しいのですか?」とか、「自分の親の過保護をわかっていながら、それにしがみついているのも不思議だ」なんていう、「喝」もありました。
障害者(5級認定済み)であり、病弱だったということで過保護に育てられたことが原因で、ASだけでなくLDとも診断されたことがあり(今から34年前)、いじめのトラウマもあって、人間不信に陥っていました。
今までも、現状打破のために努力はしましたが、ありとあらゆる会合では仲間外れにされ、実際北大(病気のため3年で中退した)に通っていたときは、スキーができなかったり、ディスコでまるっきり踊れないことから、合コンに一度も誘われたことがありませんでした。
何れにしても、友達なんていうものがほとんどできにくい状態が39年も続いてきました。
それに加えて、両親(現在は父親が9年前にガンで死んだので母親だけ)の過保護が、新たな友達づきあいに横槍を入れたり、サークルへの加入を阻んだりして、がんじがらめの状態でした。それもそのはず、私自身もそうでしたが、親が、私が大学さえ出ていれば将来は保証されると思い込んでいたため、人付き合いのABCを全く教えてくれませんでした。両親は外敵から私自身を守ろうとしたつもりだったのでしょうが、このために私は長いこと外界から隔離された孤独の世界で過ごしてきました。
シマウマは、動物園で育てればライオンやチーターには絶対襲われません。しかし動物園で育てられたシマウマはたとえライオンが近くにいなくても、野生では自活できません。そのことを訴えたかったのですが、自分の親ではまるっきり埒が開かないので、白井さんのサイトに思いの丈をぶつけました。
結局は、自分で心の周囲にバリケードを張り巡らせて、バリケード越しに理想を追い求めていたことを思い知らされましたが、今まで39年間抱いてきた孤独の悩みに対して、一番的を射ている回答を得ることもできました。
たった一つ明かりが見えなかった長いトンネルでも、ようやく明かりが見えてきました。
恋について、また人間関係についてお悩みの貴方、レスお待ちしております。
Helixさん、キリコさん、Mariaさん、シペラスさん、みくさん、こうもりさん、随分遅くなってしまいましたが、お返事ありがとうございました。
読んでみて、考えてみて思いました。まだまだ私には、沢山のもの、気持ちを支える力みたいなものが必要なんじゃないかと。(うまく言えないんですが。)エネルギーとも言う?それとも、時間か。
私は、ASだと思ってもみなかったので、「えっ?」という感じです。
実感が無い。自覚が無い。自分だけが、自分の事をわかっていないらしい。(周りは私が見えているらしい。なぜかはわからない。)
自分の事をわかる自分になれたら、こんなにすぐには疲れないものかな?
自分が今、どういう感情を持っているのか、とか。
これ以上はもう、力は出せない、とか。最低限度くらいは。せめて。知りたい。
自分の事は全然見えない。いつか見えるようになるのか?
またしても自己レス。最近、こればかり…
こうもり wrote:
> じっさいにWAIS(診断に使用される大人向けの知能検査や
>障害者職業センターで使用される職業適性検査などを受けさせて、
>その結果を説明してみるといいと思います。本人が心理職を続け
>る場合でも、転職する場合でも参考になるとは思います。
要するにその彼は心理職についているのですから、心理学的な
話は理解できるかと思います。従って、認知の偏りをデータによ
って説明するという形はありだと思います。ある職業カウンセラ
ーは自分がASであることを認めたがらないAS本人に障害を説
明するのに、WAISの結果を見せたところかなり障害の理解が
進んだと言っておられました。
けっきょく、本人がどんな進路選択をするにも、障害の自覚を
持つ必要があることだけは変わらないでしょう。
AS,ADHD,ADD,LD,etc.
器質的,先天的なものであるとなっていますが,現時点では医学的に実証されているのでしょうか。それとも,まだ推定の域を越えていないのでしょうか。
グルンサです。こまりものさんの書き込みを読んで、身につまされた…と思うと同時に、考えさせられました。
一AS当事者(診断済)として、思ったことを書きます。
こまりものさん wrote:
> 問題は、彼の今の職種です。
はっきり言って、彼には対人援助の仕事はかなり厳しいと思っています。彼自身、ものすごく大変そうで、仕事上、みんなが心配して指摘してくれる事柄もほとんど理解できないようで、3分に1回はおおきなため息をついています。一緒に仕事をしている私も、自分の仕事に加えて、彼へのごく基本的な指導(初めて会った人には「こんにちは」と言ってから自己紹介をして・・・という、人間としてごくごく基本的なところ)まで仕事に加わり、ヘトヘトになっています。
こまりものさんの書き込みを読む限りでは、確かにその彼が対人援助職に向いているとは、考えづらいですね。私自身、かつて対人職としての現場に配属されていましたが(現在はそこを離れています)、やはり場の雰囲気や、相手の本音を掴み取れなかったり、それがもとでトラブルを起こしたり、指摘された事柄にしても「何で、そういうことを注意されるんだろう?」という疑問に見舞われたり…、といったことの繰り返しでした(注意は、未だにされます。また、上記のことで、上司と大喧嘩した経緯もあったので。診断を受ける前のことです)。
> このまま彼が自分の障害を知らないのは、彼自身の人生にとっても、彼のクライエントにとっても、そして彼と一緒に仕事をする仲間にとってもつらすぎるように思います。私としては、近い将来、彼は自分の障害を認知するべきであり、その上で再度職業について考え直すべき、と思っています。おそらく、彼の持っている能力を生かせる職業は他にたくさんあると思うのですが、今の“心理”という職業だけは、彼には無理なのではないかと思うのです。もし、彼が自分の障害を理解したうえで、それをなんとか克服するよう努力を続け、仕事を続けていきたいというのならまた話は別だと思うのですが、このまま何も知らないままに心理の仕事を続けていくのはどうかと思うのです。
自分自身が障害者であることを知らないままでいるのは、双方(=その彼と、こまりものさん・クライアントを含めた周囲の皆さん)にとっての不幸だ、と思います(失礼ながら、共倒れしかねないのでは…?とも)。実際、私は昨年『片づけられない女たち』を読んで、「これって、もしかして私…?」と思い始め、その翌月に人事考課の際、当時の上司から「同じ所でばかりつまづく」等の指摘を受け、「私は皆と違う!」と疑い始めた経緯があります(診断を受けたのは、今年ですが)。
私も自分自身がASであることを知るまで、就職してから10年もの時間がかかったわけですが、自分自身の障害特性を知って、その上でどうするかということを考えることは(仕事だけでなく)、必要なことだと思います。
自己理解については、いい方法が思い浮かばなかったので、ここに書けませんが、お許しいただければ幸いです。
直接の答えにはなっていませんが、自分自身が発達障害者であることを知らないまま、過ごしてきたものの一例として、参考にしていただければ…と思います。
中途半端なレスになってしまい、すみません。
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