アスペルガーの館の掲示板(旧)
あなたは 番目のお客様です。
《アスペルガーの館》に戻る /
新しいアスペルガーの館の掲示板
うしかいさん wrote:
>>自閉症の人にも、その他の人にもいますけど
>>こういうのって「自己同一性障害」じゃないんですか?
>>つまり、一般論とか社会モラルとか常識とか
シペラスさん wrote:
> 『自閉症』・『統合失調症』というと相反するもののように見えてし
>まうが、『周りとうまくコミュニケーションが取りにくい人』『注意力
>の維持が困難な人』『疲労しやすく仕事を長時間続けるのが困難な人』
>と見れば、そんなに大きな差があるわけでもないのである。
わたしはこの問題は異なる障害を抱えている者の間での問題というよ
りは、障害観の異なる障害者同士の問題という風に捉えています。おそ
らく、わたしはどんな診断がついている障害者であっても、他の障害者
を「恵まれている」とか「お調子者」という言葉で片づけて、それ以上
深く考えようとしない者とは激しく格闘することになると思います。(
その相手に統合失調症,自己同一性障害,自閉の区別ははっきり言って
ない)
障害者につけられている診断は障害者の所属を表しますが、全ての障
害者はそれ以前に個人です。この問題を所属ぐるみの問題にはしたくな
いという気持ちがわたしにはあります。
まるるさん,シペラスさん,Mariaさん 前回「質問」のお返事ありがとうございました。
医学的に認められているものもあるというのが分かりました...
しかし外科や内科で見るような怪我や病気と違って,目に見える外傷は無い訳ですよね。もしも,ASでない人が自分はASに違いない,もしくはそうなのかも知れないと思って診断を受けた場合,本人にASとはどういうものであるかの情報があって病院に行く訳ですから,ASと診断(誤診)されてしまう確立は高くなってしまうのでしょうか。
「あなたはASです」
「あなたはASの可能性が高いです」
どちらの言葉で下されるのでしょう。
診断を受けに行くことはネガティブであると,無意味だと言われました。昔はどうであったか,今までどうであったかということではなく,これからどう生きていくのかが大事であって,障害があろうとなかろうと意味が無いということです。会話に不備があるのは,今までその必要性がなかったから,伸びなかっただけの場合もあるだろうということです。私のように「かも知れない」と思っている人間が診断を受けた場合「あなたは○○の可能性が高いです」と言われるのは当たり前だろうということです。「どうせ自分は○○だから」と逃げ場を探していることになるということです。
そう言われると,「そうなのか」と思ってしまいます。
しかしながら,とてもとても混乱しています。根はもっと深いような気がします。
どうなのでしょう?
診断を受けた方,「診断」に意味はあったのでしょうか。何かが変わったでしょうか。
はじめまして。いろいろ検索してはいろんなホームページを見るのが趣味で、今日もいろいろ見ていたら、たまたまASという言葉と出会い、なんとなくココへ来て、今日もまた、1つ勉強しました。
なんとなくココへ、とは書きましたが、気持ちのどこかで、もしや自分もカナと、確かめたかったのかも知れません。そして、ASの症状を読み、過去(=子供の頃)の自分を思い出すと、「アレ、そうなんじゃないのかな、私も・・?!」って感じました。
今でも、その部分で、世間との交流に苦労してるのかも知れません。でもそんな時、母親はいつも、「自分の得意な部分は、放っといても勝手に伸びてくる。苦手な部分を埋めるように生きていきながら、得意なことをしなさい。」と、私に言います。つまり、私が苦手とするのは人間関係だから、そこで闘っていくことが、努力の方向だと。
という訳で、私には、学生時代からの親友も、ご近所で仲良くなった人もいるし、通りすがりのおばあちゃんに道を聞かれたついでに、おばあちゃんのお嫁さんの愚痴も聞くような人間になりました。
「じゃあ、どこも悪くないよ。」と言われそうですが、ほんとは、その親友や仲良しの人たちとも会いたくなくなるほど、もともとの自分が出てきて苦労することもあるんです。でも、努力してきた私を見て、友達になれて良かったと感じてくれている人たちのために、毎日闘うんだと思えます。
我々にとって、外との関わりは、いわば苦手な部分です。逆に、外交的だけれども内的な話が苦手、という人もいますよね。個々が、そうした、自分の苦手な部分を埋めていこうという努力をすれば、逆パターンの人間同士でも、苦手な部分で苦労してる者同志というところで、歩み寄りになると思うんですが。つまり、それがホントの、思いやりってもんじゃないかと、今まで生きてきた中で実感してます。
kamekiti wrote:
>小3になる息子は、ASと診断されています。幼稚園の年長の時から登園拒否をおこし、今に至っています。不安や恐怖心がとても強く、また与えられた課題をこなすことに大変抵抗があります。つまり、学校は何が起こるか、何を要求されるかわからないので、彼にとってとても怖い場所であり、自分の興味のないことばかりやらなくてはならないので苦痛でたまらないのです。しかし、親としては少しでも社会生活に適応してほしく、1年生の時から一緒に学校に付き添ってきました。毎日、全部の授業をうけることはなかなかできませんでしたが、それでも1学期よりは2学期、2学期よりは3学期、と徐々に通えるようになったのです。けれど、学年が変わるたびに、また振り出しに戻ってしまうのです。現在は、まったく教室に入れなくなり、休みがち、保健室に机を置いてもらい、登校した日は、そこで1,2時間好きなことをして帰ります。もちろん私も付き添っています。いつまでこんな日々が続くのかと思うと不安でなりません。どこかこんな息子を受け入れてもらえる学校、毎日楽しく通える学校はないものでしょうか?知的な遅れはなく、友達と遊ぶことは大好きで、どちらかというと友達にも好かれています。成人してから、社会に出ていかれるような子供に育てていくには今、社会との接点をもった居場所が不可欠だと思えてなりません。何か情報がありましたら教えてください。お願いします。
これはとても難しい問題です。
僕たちの時代(80年代)の小学校では、かなりの子供が荷担して普通学級に通っていた情緒障害の子をいじめる(中には執拗な電話による嫌がらせまであった)風潮がありました。僕自身も特に小学4年生のときは、プロレス技の実験台にされたり・人間ドミノの最下層に押し込められたりとかなりひどい目に遭いました。
今はそれに比べるとマシになったものの、未だに20人以上の子供対1人の先生
というクラスの体系は変わらず、本当にバタバタした感じで、ASの子には普通学級というところは、どうしてもいづらい場所と言わざるをえない面があります。それでもうまく適応できれば、知的欲求が十分に満たされうるというメリットはあります。
かといって、養護学校・特殊学級となると、より知的な障害の重い子供たちを対象にしたもので、ASの子供の夢や保護者の教育熱を満たすようなものであるとは、言い切れないというところがあります。でも対人面での問題には、『比較的効果があった』という見解もあります。
とかく日本の教育現場では、『平等』というのは『同じ時間・同じ量のことを・同じようにすること』というふうに捉えられがちで、その点も問題です。いえ社会全体がそうであるといっても、過言ではありません。だからクラスにAS児がいると、先生が『変だ!』ということばかりに着目して、『…がなっていません、家庭での指導をお願いします。』と書きまくって、お母さんが毎日『ブルー』なんていうことも起きますし、就学時検診で『あなたのお子さんには、養護学校がお薦めです』と教育委員会で言われたことを苦にして、親子心中を図ったお母さんもいます。
最近、多くの詩を作ったことで注目を集めている日木流奈君という脳障害の少年は、『平等』の意味を次のように捉えています。
「私は平等というのは、それぞれの人が必要な時間・必要なだけ・その人にあったやり方で接してもらえることだと思っています。」
これをキーワードにして、もう一度どんな教育が彼に向いているのか、学校の先生・彼の主治医といった人たちと、彼を見つめながら、考え直してみてはどうでしょうか?
とおりかかり wrote:
>自己同一性障害というものについての文中での使われ方は如何に?
>理解できませんでした。
申し訳ない。私もかなりおかしくなっておりますもんで。
言い訳させてもらえば、
自称「軽度発達障害者」の方と知り合ったのですが、
訳判んない自己中心的な理論を展開し、
他人やら、家族やら、医者やら、作業所の批判を聞かされ続け、
(というか殆ど逆恨み、当然の注意やアドバイスも恨んでしまう
自分が何したかは分かっているが、
それが悪い事で注意を受けるのは当然な事が判らないようだ)
作業所の精神障害者を気狂い呼ばわりするし、
「精神障害者は働くところがあってうらやましい」
「働く能力はとても高いのに誰も認めてくれない」
(でも、何かあると「私は不器用で・・・」)
「能力に見合った仕事ができない」
って言うから
「働く能力ていうのは、協調性も含まれるんだよ
作業所はそういう社会性のスキルを学ぶ場でもあるんだよ」
「健常者だって能力にあった仕事はしていない」
と私がいえば
「私は障害が重いから出来ない」
「そんな事は無いみんな働いている」
でこれっぽっちも耳傾けないし・・・・
「協調性の必要無い作業所が必要、何故誰も作らないのか!」
なんて無茶苦茶言います。
しまいには「健常者や気狂いに味方するのか!」なんてくるし、
メールの返事が遅けりゃもう大変。
そんなこんなで、私がビョーキになってしまってます。
で、思わず「精神障害者がうらやましい」に反応してしまいました。
(彼女の口癖なんです)
これ以上なんか書いてもボロ出し続けそう・・・・・
しかも言い訳というより完全にグチじゃんこれ・・・・・・
小3になる息子は、ASと診断されています。幼稚園の年長の時から登園拒否をおこし、今に至っています。不安や恐怖心がとても強く、また与えられた課題をこなすことに大変抵抗があります。つまり、学校は何が起こるか、何を要求されるかわからないので、彼にとってとても怖い場所であり、自分の興味のないことばかりやらなくてはならないので苦痛でたまらないのです。しかし、親としては少しでも社会生活に適応してほしく、1年生の時から一緒に学校に付き添ってきました。毎日、全部の授業をうけることはなかなかできませんでしたが、それでも1学期よりは2学期、2学期よりは3学期、と徐々に通えるようになったのです。けれど、学年が変わるたびに、また振り出しに戻ってしまうのです。現在は、まったく教室に入れなくなり、休みがち、保健室に机を置いてもらい、登校した日は、そこで1,2時間好きなことをして帰ります。もちろん私も付き添っています。いつまでこんな日々が続くのかと思うと不安でなりません。どこかこんな息子を受け入れてもらえる学校、毎日楽しく通える学校はないものでしょうか?知的な遅れはなく、友達と遊ぶことは大好きで、どちらかというと友達にも好かれています。成人してから、社会に出ていかれるような子供に育てていくには今、社会との接点をもった居場所が不可欠だと思えてなりません。何か情報がありましたら教えてください。お願いします。
まだ辛い段階におられる方と思われますので、どのようなことを伝えたらいいのか判断がつきませんが、気になったことだけ書きます。
cocoさん wrote:
>娘のことでは、学校から毎日いろいろな連絡があり、連絡帳を開けば、今日1日の「悪かった言動」が書いてあります。
>それを読むたびに、どんなに落ち込むか・・・・。もう、連絡帳を開きたくありません。
ASの娘さんは診断済なのでしょうか? それを学校の先生に伝えて、どんなことに配慮していただけるのか話し合いをもたれたのでしょうか? 連絡帳に「悪かった言動」を書いてあるというのは、穏やかではありません。教師の側からすれば当たり前と思われることでも、発達障害児本人と親を追いつめる結果になる可能性があることを知らない担任としか思えません。わたしの場合は本や資料をコピーしたものを先生に読んでいただくようお願いしたり、せっせと学校へ通って担任と話し合いました。「アスペルガー症候群などという言葉は初めて聞きました」という先生でしたから、自分もまだ学び途中であるのもかまわず必死で伝えました。何も知らない方にはまず知っていただくしかないと考えたからです。けんかをしに行ったのではないです、あくまでも「お願い」姿勢で通いつづけました。分かっていただけるまで何度でも行っていいと思います。
>昨夜も娘とお風呂に入りながら、「自分はこの子をかわいがれないのだろうか・・・」と冷ややかな目で娘を見ている自分に気付き、またさらに自己嫌悪に陥りながらも、疲れ果ててしまいました。何もやる気が起こりませんでした。
>時々、もう生きていくのがいやになります。娘のこと、夫のこと、日々の生活のこと・・・。
県が違うと内容が違うのかどうか分かりませんが、児童相談所へ相談なさってみたのでしょうか? 障害のことだけではなく、子どもをめぐる辛い状況をありったけぶちまけても聞いてくれると思います。ひとりで抱え込んで悩んでいても状況は変わらないと思うと、ますます落ち込んでいきます。わたしは児童相談所の方に話を聞いてもらえたことで、励まされました。
大切なのは子どもの笑顔だと思っています。わたしは娘が明るいかどうかを、すべての基準にしています、今は。でも、その前に! 子どもをかわいがれないと思うことも“大あり”なので、ご自分を責めないでいただけたらと思います。吐き出すことで少しでも楽になれるのなら、いいのですが……。
ご友人のSOSを受け止められたcocoさん、耐えられる範囲でいいと思いますが、その方の愚痴をきいてあげてほしいと思います。他の方が書いているように、問題をひとつひとつ解決できるところからしていくしかないと、個人的には思います。さっぱり役に立たない内容ですみませんでした。
うしかい wrote:
>自閉症の人にも、その他の人にもいますけど
>こういうのって「自己同一性障害」じゃないんですか?
>つまり、一般論とか社会モラルとか常識とか
>まぁ「自己同一性障害」は治るそうですケド。
>問題は・・・この障害を抱えている人との関わりです
>ひょんな事から関わるハメになって(押し掛けて来た)
>逆恨みが激しい人なのでちょっと困ってます。
>
>ブツンと切ってもいいのですが・・・・・
自己同一性障害というものについての文中での使われ方は如何に?
理解できませんでした。
書き込んでから、感情に任せて言い過ぎたと
ちょっと反省して、やや、修正版
シペラスさんのレスと位置が逆になってしまいますが
さような訳なのでご了承を。
↓↓↓↓↓↓↓で、ここからが修正版↓↓↓↓↓↓↓↓↓
ひさびさにロムりに来て気になった事・・・・
>しかし、自分の苦悩だけを主張し、異質な障害とつ
>きあいながら生きている障害者の苦悩を理解しようとしない態度は、
>> 逆に、『ちゃんとした支援を受けられて、仲間もいて、精神障害者の人
>>はうらやましい!』と感じて、敵対観を持っているASの人もいない(0
>>人)とは言い切れない。
自閉症の人にも、その他の人にもいますけど
こういうのって「自己同一性障害」じゃないんですか?
つまり、一般論とか社会モラルとか常識とか
>そのような思考を持った障害者に対し
>てわたしが言えることは「他人の障害の問題を語る前に、ご自身の問題に専
>念されているがよい」ということだけです。
↑つまりこういう事がスッポリ抜けちゃってるっ人
杉山登志郎先生も自閉症の人に少なくは無いっていうし。
(自我が希薄だからかかりやすいんだろうな
自分も時々人格障害じゃないかと疑う・・・から違うのかな?)
まぁ「自己同一性障害」は治るそうですケド。
問題は・・・この障害を抱えている人との関わりです
ひょんな事から関わるハメになって(押し掛けて来た)
逆恨みが激しい人なのでちょっと困ってます。
ブツンと切ってもいいのですが・・・・・
うしかい wrote:
>ひさびさにロムりに来て気になった事・・・・
>
>>しかし、自分の苦悩だけを主張し、異質な障害とつ
>>きあいながら生きている障害者の苦悩を理解しようとしない態度は、
>>> 逆に、『ちゃんとした支援を受けられて、仲間もいて、精神障害者の人
>>>はうらやましい!』と感じて、敵対観を持っているASの人もいない(0
>>>人)とは言い切れない。
>自閉症の人にも、その他の人にもいますけど
>こういうのって「自己同一性障害」じゃないんですか?
>つまり、一般論とか社会モラルとか常識とか
まあ1番いいのは、お互いによく話し合って、『苦しいところ』を受け止めあうということだろうな。あんまり『こうだ!』という先入観を持つと、かえって仲たがいの原因になる。
『自閉症』・『統合失調症』というと相反するもののように見えてしまうが、『周りとうまくコミュニケーションが取りにくい人』『注意力の維持が困難な人』『疲労しやすく仕事を長時間続けるのが困難な人』と見れば、そんなに大きな差があるわけでもないのである。
coco wrote:
>教えて下さい。友人を救いたいのです。
>昨夜もずいぶん落ち込みました。
>娘のことでは、学校から毎日いろいろな連絡があり、連絡帳を開けば、今日1日の「悪かった言動」が書いてあります。
>それを読むたびに、どんなに落ち込むか・・・・。もう、連絡帳を開きたくありません。
そのお気持ち私にもわかります。保育士さんだからより、お辛いのではと思います。私も似たような時代を過ごしました。先生の立場もわかってしまうから、より苦しく、我が子を受け入れてくれない先生が情けなく、自分の立場上いい親らしく振舞わねばならないと思い、夫は全く無視でしたから、
ストレスはいっそうわが子に向かいました。
子どもの悪いことを書かれるのは、自分への非難としか受け取れず、迷惑がられていることが、「なんで私がこんな思いを・・」と悔しく、子どもを守らねばならなかったのに、子どもを叩いてしまうのでした。辛いですね。
でも、知らないところでの子どもを知っておくことは、大切ではと思います。
私は、クラス中の家を訪問し様子を聞いたことがあります。
そのとき、一緒に泣いてくださる方が二人いました。
そのひとりのあばあちゃんは、みんなに 迷惑がられるなんて「かわいそうに」と言ってくださり、とても救われました。
>昨夜も娘とお風呂に入りながら、「自分はこの子をかわいがれないのだろうか・・・」と冷ややかな目で娘を見ている自分に気付き、またさらに自己嫌悪に陥りながらも、疲れ果ててしまいました。何もやる気が起こりませんでした。
夫はAS?ですが、姑は「うちの子はいい子」で通したひとです。
時代も今よりおおらかだったからでしょうが、その分、夫は自分は何があっても悪くない、と言うくらいの無神経さながら、無邪気に老化しています。
自己評価がそれほど低くないと思えます。幸せな子どもでしょうね。その点は姑を尊敬しています。
子どもに罪はないですよね・・・・寝顔を見ては泣いていました。
>時々、もう生きていくのがいやになります。娘のこと、夫のこと、日々の生活のこと・・・。
cocoさんや話を聞いてくれる人がいることが大切だと思います。
ひとりですべて抱えておられるのは、お子さんにもよくないですから。
>県の総合教育センターにも相談に行きましたので、担当の先生がいます。つい先日
>も、相談に行ったのですが、まだまだ解決しきれない部分が山積みなので、今また、連絡を取っているところです。
お忙しいのに本当によく、お子さんのために頑張っておられますね。
専門家以上におかあさんが娘さんの専門家になられますよ、きっと。
ひとりひとり違うから、おかあさんの努力が道を開いて行く事になると思います。
>
>学童の先生には、こちらの気持ちも通じているのか、少し前まではお迎えに行くたびにいろいろなことを言われていたのですが、今はプッツリと、それこそ一切何も触れません!といった感じです。まあ、こちらとしてはそのほうが有難い面もあるのですが・・・。
プッツリと・・・・おかしいな、と思いますよね。
一番は娘さんが機嫌がよいことのように思います。
娘さんの目が死んでしまっては、何にもなりません。
まだ小学1年生。集団の中で、いっぱい始めてのことがあって大変でしょう。
小さい身体で、ASを持ちながら精一杯頑張っておられることを思うと、私は
世界を敵に回してでも、お母さんが味方になってあげて欲しい・・・・・
ASは恥ずかしいことではない。お母さんのせいでも娘さんのせいでもない。
毅然として、顔をあげて・・・
お母さんのしんどさを娘さんは感じておられると思うのです。
お母さんを辛くしているのは、娘さんではなく、協力しない父親であり、無理解な教育者であり、周囲の目なのだという気がします。
それと、お母さん自身もちょっぴり。
えらそうに書いてしまいました、ごめんなさいね。
私は、いろんなことを受容するのには、キューブラ・ロスのいう段階が当てはまるように感じています。
泣いて叫んでじたばたするだけして、そんな自分を許してから
次の段階に進むしかないかな〜と、今、私自身がじたばたしています。
cocoさんのようなお友達がおられること、それが大切でしょうね。
お答えにはなりませんが、私も胸が痛みます。
母は強い!負けないぞ!ばかなおやじ、許さないからね!
ちょっと補足です。
こうもり wrote:
> これについては荒業ですが、法律関係者を間に立てて子供の養育に
>ついて別居中の夫と話し合われた方がいいと思います。おそらく地元
>の地方公共団体の中に地域住民の法律相談をやっている部門もあると
>思うので、まずはここで養育費の件について相談をされることをお薦
>めします。ここで注意すべき点は話し合いの間は別居中の夫とは一切
>個人的に連絡を取らないことです。個人的に連絡を取ってしまうと上
>述のように「仕方がない」で済まされてしまう可能性が高いからです。
その親御さんのご家庭は役所の手続き上は母子家庭になっているの
でしょうか?それともまだ、別居しているだけで、手続きはされていな
いのでしょうか?もし、夫から育児への協力が得られる見こみがないの
であれば、いっそのこと正式な手続きをした方がいいかもしれません。
その方が母子家庭ということで公的な優遇措置を受けられる見こみが高
いからです。
やり方についてはよく分からないので、やはり法律相談を受けて聞い
ておいた方がいいでしょう。
coco wrote:
>
>昨夜もずいぶん落ち込みました。
>娘のことでは、学校から毎日いろいろな連絡があり、連絡帳を開けば、今日1日の「悪かった言動」が書いてあります。
>それを読むたびに、どんなに落ち込むか・・・・。もう、連絡帳を開きたくありません。
>昨夜も娘とお風呂に入りながら、「自分はこの子をかわいがれないのだろうか・・・」と冷ややかな目で娘を見ている自分に気付き、またさらに自己嫌悪に陥りながらも、疲れ果ててしまいました。何もやる気が起こりませんでした。
>時々、もう生きていくのがいやになります。娘のこと、夫のこと、日々の生活のこと・・・。
>娘のことでは、今までにいろいろな機関へ相談に行きました。やはり大学の専門の先生にはなかなか相談する時間の予約が取れませんので、「今必要な時」にすぐに対処していただくことは無理なようです。
>県の総合教育センターにも相談に行きましたので、担当の先生がいます。つい先日
>も、相談に行ったのですが、まだまだ解決しきれない部分が山積みなので、今また、連絡を取っているところです。
>学童の先生には、こちらの気持ちも通じているのか、少し前まではお迎えに行くたびにいろいろなことを言われていたのですが、今はプッツリと、それこそ一切何も触れません!といった感じです。まあ、こちらとしてはそのほうが有難い面もあるのですが・・・。
ある本で読んだのですが、「自閉症の子のお母さんというのは、他の知的障害の子のお母さんよりも、自殺率が高い」そうです。未だに「自閉症は母原病だ!」といって、責任を追及する悪いやからが多いのが現状です。また「子供が自立するまで、私がしっかり責任を持って、面倒を見なければ…」と、何でも抱え込もうという傾向も、このことに拍車をかけているように思えます。
『自閉症の子供』は、その子の障害の特性にあった、有効的なアプローチをしなければ、うまく世の中のことを吸収して・自分の行動を作り出すことが困難な子なのです。これは単に一つの家族の問題なのではなく、『社会全体』の問題なのです。
アメリカのN.カロライナ州では、TEACCHといって、自閉症の子供を社会ぐるみでケアしていこうという取り組みが行われています。ぶどう社から「自閉症のトータルケア TEACCHプログラムの最前線」というTEACCHの紹介本が出ているので、お2人でヨミッコしてみては、いかがでしょうか?
激励する方法はわからないのですが、その親御さんの負担を少し
軽くする方法についてコメントします。
cocoさん wrote:
>ご主人とはこの娘さんのこともあって、現在では別居されています。
>ご主人は自営業で、仕事が不調ななため生活費すら入れてくれず「仕
>方が無い。」と言うだけで、何の協力もしてくれないそうです。
これについては荒業ですが、法律関係者を間に立てて子供の養育に
ついて別居中の夫と話し合われた方がいいと思います。おそらく地元
の地方公共団体の中に地域住民の法律相談をやっている部門もあると
思うので、まずはここで養育費の件について相談をされることをお薦
めします。ここで注意すべき点は話し合いの間は別居中の夫とは一切
個人的に連絡を取らないことです。個人的に連絡を取ってしまうと上
述のように「仕方がない」で済まされてしまう可能性が高いからです。
>時々、もう生きていくのがいやになります。娘のこと、夫のこと、日
>々の生活のこと・・・。
AS児本人より保護者の方が参っているように思えます。保護者の
側の治療も必要なのでしょう。医療機関や相談機関によっては保護者
のケアまでやってくれるところもあるのですが、その親御さんの近辺
にはそのような機関はあるのでしょうか?
>娘のことでは、今までにいろいろな機関へ相談に行きました。やはり
>大学の専門の先生にはなかなか相談する時間の予約が取れませんので
>、「今必要な時」にすぐに対処していただくことは無理なようです。
その親御さんはAS児や(教育学的)LD児の親の会などには参加
しておられるのでしょうか?親の会に参加していると、類似する悩み
を抱える親御さんと悩み事を話し合う機会が持てたり、その親の会に
協力している専門家と密に連絡を取り合うことができてそれなりにメ
リットはあると思います。
また、親の会などに参加されている専門家の方は発達障害児教育に
おいて親御さんを支えることの重要性を理解している人が多いので、
助けになってくれることもあるでしょう。
なお、その親御さんと学校の関係がこじれているように見受けられ
るので、発達障害の専門家から学校関係者にそのお嬢さんの障害の説
明をしたり、配慮を求めたりする働きかけが必要だと思うのですが、
その親御さんの地元にそのようなことをやってくれる専門家はおられ
るでしょうか?いるとすれば、学校での環境調整を依頼した方がいい
と思われるのですが。これは親の会などで情報を入手することができ
ると思います。
ひとまず、現時点で言えることは
(1)別居中の夫と法律関係者を間に立てて、養育費の件について話
し合っておいた方がいい(お子様の支援を受ける場合にもお金
がかかる場合があるので)
(2)その親御さん自身が親の会などに所属していないのであれば、
入っておいた方がいいと思われる。それなりの負担もあるが、
その親御さんやお子様に必要な支援も受けることができる可能
性がある。(今、相談中の専門家に聞いてみるとよい)
ということになります。求めているコメントとは恐縮ですが、わたし
から言えるのはこれぐらいです。
教えて下さい。友人を救いたいのです。
友人を激励したいのですが、どうすれば本当の激励になるのでしょうか。
アスペルガーの娘さん(小学一年生)を持ち、保母さんで生計を立てている友人ですが、次のようなメールがきています。ご主人とはこの娘さんのこともあって、現在では別居されています。ご主人は自営業で、仕事が不調ななため生活費すら入れてくれず「仕方が無い。」と言うだけで、何の協力もしてくれないそうです。
メール内容は次の通りです。
昨夜もずいぶん落ち込みました。
娘のことでは、学校から毎日いろいろな連絡があり、連絡帳を開けば、今日1日の「悪かった言動」が書いてあります。
それを読むたびに、どんなに落ち込むか・・・・。もう、連絡帳を開きたくありません。
昨夜も娘とお風呂に入りながら、「自分はこの子をかわいがれないのだろうか・・・」と冷ややかな目で娘を見ている自分に気付き、またさらに自己嫌悪に陥りながらも、疲れ果ててしまいました。何もやる気が起こりませんでした。
時々、もう生きていくのがいやになります。娘のこと、夫のこと、日々の生活のこと・・・。
娘のことでは、今までにいろいろな機関へ相談に行きました。やはり大学の専門の先生にはなかなか相談する時間の予約が取れませんので、「今必要な時」にすぐに対処していただくことは無理なようです。
県の総合教育センターにも相談に行きましたので、担当の先生がいます。つい先日
も、相談に行ったのですが、まだまだ解決しきれない部分が山積みなので、今また、連絡を取っているところです。
学童の先生には、こちらの気持ちも通じているのか、少し前まではお迎えに行くたびにいろいろなことを言われていたのですが、今はプッツリと、それこそ一切何も触れません!といった感じです。まあ、こちらとしてはそのほうが有難い面もあるのですが・・・。
私のパソコンがウィルスに感染されたみたいです。
現在ウィルス対策をしましたが、それまでに私の名前でウィルスが送られてしまっている可能性があると思います。
私名義のメールがあったら注意してください。
よろしくお願いします。
シペラスさん wrote:
> いやこれは、むしろ『アスペルガー症候群』あるいは『軽度発達障害』と
>いう障害の位置付けの不鮮明さに起因する問題と言えるかもしれない。『障
>害者=特別な支援なしには生きられない人』と見ている人から見れば、私た
>ちは単なる『不器用な人』『お調子者』ぐらいにしか見えない。
「お調子者」というのは通所者の1人の発言と考えていいのでしょうか?
だとすれば、少し考え方が歪んでいるような気がしてなりません。統合失調
症の患者が多くの自閉人とは異なる苦悩を抱えながら生きているという点に
ついては理解できます。しかし、自分の苦悩だけを主張し、異質な障害とつ
きあいながら生きている障害者の苦悩を理解しようとしない態度は、個人の
意見として見るならば狭い思考だと言えるでしょう。(統合失調症患者全体
を非難している訳ではない点に注意)そのような思考を持った障害者に対し
てわたしが言えることは「他人の障害の問題を語る前に、ご自身の問題に専
念されているがよい」ということだけです。
わたし自身は異質な障害者同士の異文化交流の重要性は理解できますが、
それは異文化(自分とは異なる障害)を理解しようという意志を持った障害
者同士の間でしか成り立たないでしょう。異文化の障害者を「お調子者」と
評価するような「障害者」との間で実現できるとは思えません。
> 逆に、『ちゃんとした支援を受けられて、仲間もいて、精神障害者の人
>はうらやましい!』と感じて、敵対観を持っているASの人もいない(0
>人)とは言い切れない。これが摩擦が起きる原因とも言えるかもしれない。
これについても言えることは「支援を受けられている障害者をうらやま
しがる前に、自分の問題に専念しているがよい」ということだけです。理
解をしようとせず、異文化の障害者の境遇をうらやむだけの関係ならば、
無関係に存在していた方がまだましです。
(PS)
シペラスさんも1度、あんくさんが紹介されていた小浜逸郎『弱者とは
何か』(PHP新書)を読んでみるといいかもしれません。全てが肯定で
きる意見ではありませんが、いま通所施設で抱えておられるディレンマを
別の角度から眺めることができるようになると思います。
シペラス wrote:
>1980年にWHOは、『障害』は次の3つのレベルに区分けできるという見解を示しています。
>
>機能障害(Impairment):心理的・生理的、若しくは解剖学的構造ないしは機能の喪失または異常。
>
>能力低下(Disability):人間にとって普通(ノーマル)とみなされている方法ないし範囲内で活動を遂行する能力が、(機能障害の結果として)制約され、または欠けること。
>
>不利(Handicap):機能障害あるいは能力低下の結果としてその個人に生じた不利であって、その個人の年齢・性別・社会的文化的要素に照らして普通とされる役割の充足を、限定または妨げられること。
シベラスさん、わかりやすく説明していただきありがとうございます。
(ところでシベラスさんって以前別のHNで書き込みされていた方でしょうか?違ったらごめんなさい。)
《アスペルガーの館》に戻る /
新しいアスペルガーの館の掲示板
EWBBS.CGI 改 (WZ BBS対応 Web掲示板 T.Ikeda改 +
s.murakami改)
© 1998 y.mikome, T.Ikeda, 1999 s.murakami