アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
こまりモノさん wrote:
>ただちょっとだけ残念なのは、うちの職場は子供のみを対象にしているの
>で、大人用のテスト(たとえばWAISとか)はあまりないことかな。さすが
>に大人にWISCってのもちょっと…。
たぶん、科学出版社で売っていたような気がします。
>ひとつお聞きしたいのは、みなさんのなかできちんと診断を受けている方
>は、どのような経緯で診断を受けるに至ったのでしょう?もしできる範囲
>でお答えいただけるなら、幸いです。
大学(学部)を卒業する時点で教育学的LDだったということは母親か
ら教えられていました。その後、長い不適応を経て、再びLD,AS,A
DHDと関わることになったのですが、支援関係者の一部から「大学院ま
で進学しているし、塾の講師なんかやっているのにどこがLDなんだ?」
と指摘されてパニック寸前になりました。その後、その支援関係者が言っ
てたのは教育学的LD(知的障害を伴なわない発達障害の全てを含む)で
はなく医学的LD(読み書き計算の障害)だということが分かったのです
が、「じゃあ自分の障害は何なんだ?」ということに引っかかり、発達障
害関連の書籍をむさぼり読むこと半年、なんとか「ASかDCD(発達協
調性運動障害)か日本LD学会でいうところの非言語性LDのどれかだろ
う」というところまでは特定したのですが、どれなのか分からず混乱して
おりました。けっきょく、診断を受けたところ「ASだが、DCDと非言
語性LDにも該当しているのであまり悩む必要はない」と言われて現在に
至っております。
自分の障害が何であるのかという好奇心が病的(?)に強かったことが
自発的な診断につながった訳です。その好奇心を利用して、今は発達障害
の勉強もしております。
彼の今後の進路については何も言えませんが、障害を自覚しておいた方
が予後はよくなるし、主体的に人生を選び取ることができるというのは確
かです。では
(#13135の続きです)
私が北大へ通っていたときのことです。
同じ講義に出席していた人から、「今日は午後から休みだから、スキーに行こうか」と誘われました。
私はスキーはドクターストップなので、「だめ。オレは障害者でスキーはできないんだ。」と答えました。
以後、そいつのグループからは完璧に仲間外れにされました。人間って、こんなに非情だったのか…
また、北大へ通っていた間にはこういったこともありました。
同じ講義に出ている人たちが、合コンで札幌市内のとあるディスコへ行こうとしていましたが、そのグループの中には、室蘭栄高校時代のクラスメートがいました。「どこへ行くのかい?」と私は尋ねてみましたが、元クラスメートは「Lulu、おまえがディスコへ行っても全く踊れないことは判っている。だから行先を教えるだけ無駄だ。」と木で鼻をくくったような答えしか返してきませんでした。ショックで私は引きこもり状態になり、北大を3年で中退するという事態にまで追い込まれました。
そんなわけで、心の支えになる人間が欲しかったのですが、私の親は「Lulu、おまえがしっかり生きなきゃダメじゃないのか?」と言って、取り合ってくれませんでした。(確かに筋は通っていますが、病気が理由だけで誰にも相手にしてもらえなかった孤独感を、ただ心の弱さが原因だとしか捉えていませんでした。それもこれも、今まで私を過保護でがんじがらめにしてきたことに気付いていないのがその理由です。)
私の親は、今まで散々述べてきたように、勉強ばかり叩き込んで人付き合いのABCを全く教えてくれませんでした。それが私が日常会話でさえも苦しむ結果を生んでいることに、最近になってようやく気付いたものの、私一人の自助努力ではもはや助からないほどの末期症状(だからこそ、ここや「SOAA」のBBSでアドバイスを戴くのに躍起になっているのです)に至ったことをそれほど深刻に捉えていない、それが非常につらいです。親では全く相談相手にならない、と嘆いているのはそのためです。
Luluさん wrote:
>(SOAAの掲示板から引用)
ふと最近思いあたる事があったのです。彼女は不安だったんじゃないかと。脳の遺伝的器質的な問題じゃなかったのかと。私は猫を飼ってるんですが、その一匹が外で遊ぶのが好きで毎日外に出してるんですが、友人が夜近くになって窓を開けた時うっかり外に出して夜になっても戻ってこなくて不安で友人を罵倒してしまい「そんなに心配なら連れて歩け!」と怒鳴り返され、はっとなりました。(後略)
>
>私が教えて欲しいのは、私の母親に、「自分は捨てられた」という誤解を与えることなく親の取り越し苦労の常識外れ加減を悟らせるか、ということなのですが、こればかりは正直なところ、もっと他の方々の意見が聞きたいです。
Luluさんのお母さんが、近所付き合いの活発な人(奥さん連中の立ち話や、懲戒の活動等への参加状況は、どうですか?)なら、そこまで見識の狭い状態(失礼ながら…)には陥らないって気もするんですけどね。きっと引きこもりとまでいかなくとも、家の中にカンヅメ状態になってしまいがちな方なんでしょうね。ともあれ、Luluさんが、じゅうぶん自活していける状態にあるということを知っているにも関わらず、息子を手放そうとしないのであれば、上の遺伝的器質的要因の他に、もっと別な問題が隠されているのかも知れない。というわけで以下。
微妙な問題なので、むりに答えていただく必要はないのですが、Luluさんの家庭は、生活保護には入っておられるのでしょうか。
古い考えをもつ人々の間では、生活保護については、様々の否定的なイメージがつきまとい、「あの家は、母子家庭で、しかも…」ということが、「ひとさま」に知れたというだけで、肩身の狭い思いをしなければならない、という図式を、いまだに根強く持っている人がいる、といいます。
その結果、その事実をひた隠しにしようとするあまり、自分の子供には、「ソト」の世界へ出て行かれることによって、一人でも多くの人に、自分達の「恥部」を見られてしまうことを、極端に恐れてしまうのです。
新しい知り合いができるということは、世間話をしているうちに、「ところで、君のところは、どんな家族構成で、どうやって暮らしているんだね?」という話に及んでしまうことは、大人同士の付き合いで、なかなか避けられないですからね。
そういうわけで、子供達には、「ぜったい目立つようなことをするんじゃないぞ」と、言い含めるわけです。「人様に顔向けできないことはするんじゃない」という意味合いならともかく、「学級委員になってはいけない」「賞を取るようなことはするな」というようなことまで言うそうです。
私個人の意見をいえば、生活保護を受けている家庭の人間についてとやかくいう人間というのは、逆に信用できないと思っています。確かに生活保護のお金というのは、現在元気で(なかには障害を抱えながらも)働いている人々の税金から、まかなっている部分もあるわけで、「自分で稼げない奴がいるせいで、自分達の収入が減るのだ」という発想を持ってしまう人も、中にはいるのかも知れませんが、それはまったくの無知から来るものであり、気にする必要はないのです。
もっともっと微妙なことを言ってしまいますが、じじつ、生活保護下にあるのでなかったとしても、Luluさんには身体障害があるということで、お母様は、似たような心理状態に陥っているのかも知れません。「身体障害なんて、ADHDなんて恥ずかしい」っていう。お母様は、Luluさんの姿を、世間様に見られたくないのかも知れません。「家庭環境」、「出自」の問題が、Luluさんの今の親子関係の障害に、関わっているような気が、私にはします。これは自分ひとりの力で、打ち破れるものではないのではないでしょうか。
もちろん親子関係の改善は、当事者同士でできることもたくさんあります。
みどりさんの勧める、物理的に身を離してしまう、「荒療治」も、いいのですが、Luluさんが、お母さんに対して、もっと興味を持ってあげることも、そのひとつだと思います。もしも、お母さんがLuluさんの障害を恥ずかしい、知られたくないと思っていたとしたら、それに対して怒るのではなく、理解を示してあげるとか。Luluさんが、どこかへ外出するときは、スケジュール等を逐一報告して、安心させてあげるとか。逆にうるさいぐらい「自己開示」をしてあげて、まずはお互いの心理状態を安定させることですよね。
いっそ、まわりくどくやるよりも、単刀直入「母さんは、俺のこと恥ずかしいと思ってる?」と訊いてしまうとか。そういう「訊きにくいこと」を、最近しょっちゅう聞いて来られるようになって、「この息子は、なんだかやりにくい。あんまりいっしょに居たくない」と思うように仕向けて、敬遠させてしまう、という手もあります。最近ウザく感じるようになった女を、「君には飽きたよ」などと自分から言って、へたにトラブるより、女のほうから「別れたい」と言わせるほうが、後腐れないだろうという、男の裏テクニックじみているのだけれども(笑)。
参考になるかどうかは分からないのですが、私個人の考え方としては、ザッツ・オールです。
こんにちは、Luluです。
あんく wrote:
> 受け入れてくれているかどうかという見極めも、また難しいんですけどね。
私が人付き合いに困難をきたしているのは、こんな理由なのでしょうか?
それよりも、私はどの話題を持ち出したら、仲間に受け入れてくれるかどうかわかりません。身体障害者5級なので、スポーツはほとんど全くダメ、野球やサッカーの観戦は好きだが、自称「室蘭一のアンチ巨人ファン」で応援するのはもっぱら広島カープ、TVはよく観るものの、ニュースが大半で、民放トレンディドラマはほとんど観ない、だから世の中の動きはよくわかるが、唐沢寿明の顔は「利家とまつ」に出演するまでほとんどわからずじまい、といった有様です。音楽にしても、へヴィメタルとヒップポップは大嫌い(ただし、ヴァン・ヘイレンやボン・ジョヴィなど、1980年代に活躍したハードロックバンドは例外)で、最近の邦盤メタルは騒音公害だとしか感じられない、こんな具合にへそ曲がりなので、共通の話題がなかなか見つからないのが、お互いに会話していて障害になります。(もちろん、ギャンブルもやらないので、競馬やパチンコの話題でもついていけません。)
会社の先輩などのアドバイスでは、「今日はよい天気ですね。」で切り出せばよいのではないのか、ということなのですが、その後が続きません。たとえば、「今日はよい天気ですね。」の後に、相手が「テニスでもしましょうか。」なんて言ってきたら、テニスでさえもドクターストップの私にとっては、その時点で会話がめちゃくちゃになってしまいます。「今日はよい天気ですね。」の後に、「ドライブでもしましょうか。」なら、私は自信を持って会話を続けられるのですが、やはり趣味が限定される身障者はこの点でもつらいです。車の運転免許がある(現在10万km人身事故ゼロ継続中)だけで幸せだとさえ思えます。
みどりさん wrote:
>「場面緘黙症」の話を聞いて、自分の心理状態が多少わかった。緘黙にまではならないけど、壁の高さの変わり方について納得。
「壁の高さの変わり方」って、何だろー?
私の場合、学校時代は授業中の発言なんかは、けっこうしていたと思う。ムカつくのは、教師たちが、作文の発表だとか教科書の読み上げなんかの機会さえあれば、私を指名して、なんとか「無口なあんくちゃん」の口を割らせようとしてきたこと。…って、何でも悪意に取っちゃいけないか。向こうとしては、真っ当な「訓練」のつもりだったんでしょうねえ。
モノの本によれば、今の子ども達は、さらに、「いくら水を向けても黙りこくって答えない」という状態の子が増えてきている、ということだったけれども。私の場合、「しゃべりなさい」と言われれば、なんとかしゃべろうという努力は、していました。
クラスメートA:「ねえ、あんくさん、何かしゃべってよ」
あんく:「なんで?」
クラスメートAとその周囲「ねえねえねえ!!聞いて聞いて!!あんくさんがね、“しゃべって”って言ったら、“なんで?”だってえええ!!」(大騒ぎ)
こんなゲームが、繰り返される日々でしたよ。それだけ口数のすくない子というイメージが、定着していたようなんだけど。今「あんくさん」と書いたけれど、ニックネームをつけてもらうなんてことも、まずなくて、苗字に「さん」づけのままだった。
>いやあ、これ昨日もやったような気がするなあ……
>
>でも以前、さっぱり自覚がなく、かつ明るいヤツだった頃は、相手の「ぎょっ」に気づかず強引に会話を続け、ただのお祭りヤローでそのまま受け入れられていたような気がする。(もちろん迷惑な奴と思ってた人も多いとは思うが)
>(私は、相手に気を使おうなど余計なことを考えなければかなり普通っぽく会話ができる)
>
>しかし最近は「あ、場違いだったかな」とか考えて黙り込んでしまい、本当に気まずくなってしまう。
>無神経は無神経のままでいたほうがいいこともあるのかもしれない。
>
>ああ、なんか頭が混乱してきた。
「何が分からないのか分からない」が、「何が分からないのか分かった」に、変わってきたんですよね。確かに自覚できてる分、後者の状態のほうが、ギクシャクしがちで、辛いものではあります。
幼かった頃、私がしゃべり始めるたびに、相手の子達がお互い顔を見合わせて、ニヤーっと笑ったり、まるで幽霊でも見たような表情のまんま固まって、私が言葉を切っても、合いの手や返事ひとつせず、私の顔を見返すばかりだったり。「自分は世界中の人間に嫌われているんだ」という発想しかなかった当時の私は、「私のことがキライだから、そういう応対しかしないのだ」と、思い込んでいたのだけれど。
昔、『オレたちひょうきん族』のコントであったけど、二人の人間が会話をしていて、ある瞬間、お互いが同時にしゃべり出して、言葉がぶつかってしまい、一瞬「ムッ」とした表情でお互い顔を見合わせ、それからおもむろにジャンケンをし、勝ったほうがしゃべり続けるっていうの。そういう目に見える「規則」が、万国共通にあれば、自閉の人たちも、すこしは楽に会話に参加できるのかも(^_^;)。
まあ、人間、はじめのショックの段階を越してしまえば、たいていのことは受け入れることができる能力を有しているっていうし、その能力の高低は、個人差が多分にあるのではないかという気がします。卑怯かもしれないけれど、まずは自分のことを抵抗なく受け入れてくれている人とだけしゃべって、そうでない人たちに、さりげなく「しゃべれている自分」をアピールするっていうのも戦略の内だと、私は考えています。それでも受け入れてくれない、無視してくるっていう人間は、はじめから性格が合わないってことで、どうしようもないですけどね。
受け入れてくれているかどうかという見極めも、また難しいんですけどね。
こんにちは、「SOAA」と二又やっているLuluです。
シュッツ wrote:
>冷めた意見かも知れませんが
>「そう見る(同一視する)人もいるし、見ない人もいる、誰もがそれぞれの見方を持っている」
>としか言えないのではないでしょうか。
>“一般の人”というくくりをしないで、各個人がどうであるかを考えるべきでしょう。
そのとおりですね。私は一般的に「ADD/ADHD×AS」がどのように見られているのかを知りたかったのですが、十把一絡げにするのは正当とはいえませんね。
でも、そういう意見があるということは、私が想像していたほど「ADD/ADHD×AS」が「ただのバカ」だと思われていないことの証明なのでしょう。ちょうど、私が小学校や中学校で毎日いじめられていたときに、日本国民1億2600万人のうち、1億2599万9千人までは私をいじめるのではないか、という不愉快な想像をしたことがとんでもない間違いだったように。
こんにちは、最近SOAAと二又状態のLuluです。
みどり wrote:
>家を出る。ぜひ出ましょう。
>
>お母さまが介護が必要とかそういう事情でないのなら、なんとしても出られた方がいいと思います。
>きっと反対されるでしょうが、もう39なら聞く必要はありません。
>物理的に離れるのは効きます。
>
>既に出られているようなら、極力連絡を取らないようにしてもいいと思います。
ごもっともです。でも、地理的に別居しても如何なものでしょうかね? 私の親なら、私の携帯にしつこく電話してくるかもしれません。大体、残業が22:00を過ぎてもなお続いている状態ですら、怒って会社に電話してくる人間ですから、親の取り越し苦労を子どもが止めさせるのは、皆様の想像以上に骨が折れます。
みどり wrote:
>どんなに自分で自分を説得しても、親のなにげない言葉は、自分で思うより、親本人が思うより、重く強く受け止めてしまうようです。極力会話を減らす。それでいいと思います。
>
>親の方はもう年寄りですから、変えるのは難しいです。まずは自分を守りましょう。
ですが、こんな意見もありました。
(SOAAの掲示板から引用)
>Luluさん苦難の人生歩んでますね。頑張りましょう、そして息抜きしようね。前、お母さんが過保護とおっしゃってなかっですか?うろ覚えですみません。私の母も過保護でした。朝から私のする事を決めていて、まるで私の人生じゃないみたいに18まで過ごしましたが、ふと最近思いあたる事があったのです。彼女は不安だったんじゃないかと。脳の遺伝的器質的な問題じゃなかったのかと。私は猫を飼ってるんですが、その一匹が外で遊ぶのが好きで毎日外に出してるんですが、友人が夜近くになって窓を開けた時うっかり外に出して夜になっても戻ってこなくて不安で友人を罵倒してしまい「そんなに心配なら連れて歩け!」と怒鳴り返され、はっとなりました。(後略)
私が教えて欲しいのは、私の母親に、「自分は捨てられた」という誤解を与えることなく親の取り越し苦労の常識外れ加減を悟らせるか、ということなのですが、こればかりは正直なところ、もっと他の方々の意見が聞きたいです。
Lulu wrote:
>ただ、私が本当に知りたいのは、「一般の人が、ADD/ADHD×ASを、第一印象だけで精神異常と同一視してはいないのだろうか」、ということです。これがもし、私が第一印象だけで嫌われる理由なのであれば、私はほとんど社会から疎外された存在になりやしないか、これが気がかりです。
冷めた意見かも知れませんが
「そう見る(同一視する)人もいるし、見ない人もいる、誰もがそれぞれの見方を持っている」
としか言えないのではないでしょうか。
“一般の人”というくくりをしないで、各個人がどうであるかを考えるべきでしょう。
こんにちは。グルンサです。
こまりモノさん wrote:
> 皆さんのレスを読んで思ったこと…。やっぱり、彼には障害について知っておいてもらったほうがいいのかな、ということがひとつ。障害特性は、彼自身の個性のひとつだし、今の仕事をするなら知っておくことは特に重要なんだろうな、ということ。
> ひとつお聞きしたいのは、みなさんのなかできちんと診断を受けている方は、どのような経緯で診断を受けるに至ったのでしょう?もしできる範囲でお答えいただけるなら、幸いです。
障害特性については、知っておいてもらった方が良いです。
私自身、自分が他の人と違うことすら気づかずに10年間が過ぎましたが、この間、トラブル・すれ違いに見まわれたのも事実です(←自分のことなのに、まるで他人事みたいな書き方ですね)。
上司や周囲の人たちにしてみれば、「あいつは何で言ってもわからないんだ?」と思っていたでしょうし、私にしてみれば「何でそういうことで注意されるんだろう?」ともうすれ違いだらけでした(昨年の上司[上記の人とは別人]との大喧嘩は、これの延長上でしょうね。今思うと…)。 結果的に、昨年の配属先で当時の上司に指摘されたことで、自分が皆と違う、と思い、はっきりさせようと思ったのが、私のケースです。(この他にも、『片づけられない女たち』を読んだ後輩にまで、「グルンサさんもそうかも」と言われたほどです。結果はASでしたが。)
どうやったら、その彼に自分の障害特性を知ってもらうか…については、また今回もいい策が思い浮かばないため、書けませんが…ごめんなさいね。それでは。
こんにちは、「ただのバカ」ではないLuluです。
みどり wrote:
>人と相手によるんじゃない?
>だいたい精神異常だったら必ず嫌われなければならないのだろうか。
まあ、それよりも、どの程度までなら健常者で、どの程度以上なら精神異常と捉えるかにも拠ると思います。また、その人の取る行動にも拠るでしょう。
たとえば、車に轢き殺されそうになったネコを助けた人間が、身代わりに轢かれて死んだとしましょう。大多数の人は、その人をバカだと言うでしょう。でも、これがネコじゃなく、車椅子に乗った身体障害者なら、身代わりに轢かれて死んだ人は英雄だと称えられるでしょう。
しかし、私にとっては、助けたものがネコであろうが車椅子の方であろうが、本質的にはあまり変わらないような気がします。
みどり wrote:
>仕事の能力もお互いに認め、プライベートでもずいぶんと仲良くしていたはずの相手の「いざ」のときに、あっさりと冷たい態度を取る同僚たちを目の当たりにして、「こんなもんか」と思いました。
ごもっともです。大多数の人間は結果しか求めていませんので、いざというときは非情なものです。もっと「過程」を大事にしていれば、人間は寛容になれるはずなのですが、それを世の人々に求めるのは無理な注文なのでしょう。
こんにちは、最近白井さんのサイトだけでなく、こちらでも有名人(?)のLuluです。
シペラス wrote:
> 周りの人たちが、上下関係・富・名誉・利益・大人っぽさののことばかり考えている環境では、私たちは途方もない『馬鹿』に、どうしても見られてしまいがちです。
> 逆に博愛・多様性の受容・真心を持って子供を育んでいこう・人間個々の幸せを
>重んじようということを考えてくれるところでは、私たちは貴重な『世の中を動かす戦力』になりえます。
ごもっともです。
私は一昨年(2000年9月〜12月)、室蘭から東京に出張して、船橋から東京まで片道1時間も満員電車に揺られて通勤していました。12月のある日、宿舎へ帰る途中、京成船橋駅付近で、酔っ払いが道路のど真ん中で寝込んでいるのを発見しました。周囲の人間が全員無視して通り抜ける中、人命に関わることだからと、私は船橋警察署に連絡してその酔っ払いを保護しました。待っている間に、車に轢かれそうにもなったのに、周囲の人間は非情なもので、一様に我関せず、といった表情でした。
後日、この人命救助(?)は出張先でもかなり話題になったようです。
Lulu wrote:
>こんにちは、Luluです。
>皆様は、「ADHD×AS」はただのバカだと思われてやしないかと不安になったりしたことはございますか? また、私のこの考えがただの取り越し苦労であると言って下さいますか?
>
まあ、『馬鹿』かどうかというのは、周りの人の状態によって変化するでしょうね。
周りの人たちが、上下関係・富・名誉・利益・大人っぽさののことばかり考えている環境では、私たちは途方もない『馬鹿』に、どうしても見られてしまいがちです。
逆に博愛・多様性の受容・真心を持って子供を育んでいこう・人間個々の幸せを
重んじようということを考えてくれるところでは、私たちは貴重な『世の中を動かす戦力』になりえます。
こまりモノ wrote
> 一度、ほんとうに彼のご両親に会って生育歴を聴取し、主治医とも話し合ってみたいと思うのですが、現実には無理ですし…。
レスをいただけて、ほっとしています。私の方こそ、こまりものさんに不快な思いをさせて、申し訳ありません。彼が、上司に鬱をひた隠しにしていたとしても、すでに、かくしておいていい状態では、ないと思います。まず、上司と、職場の彼のことをよく知っている先輩が、(あなたが適任かもしれませんが)彼の主治医に、相談した方がいいと思います。その主治医が、AS、ADD方面に詳しい方だといいのですが、とりあえず、そこからではないでしょうか。彼の、両親にあって云々というのは、医師の判断だと思います。
ごめんなさい!こまりものです。(パスワードがわからなくなってしまったので今回からカタカナ混じりですが)
まずはお詫びから…。しばらくネットにつなげない環境にいたのですが、今、ようやくつないでみたらこんなに反響が!私としてはぜんぜん嫌がらせとか悪意とか、そんな意図はなく、ほんとうに困っていたので書き込んだのですが、結果として不愉快な思いをさせてしまったみたいで、ほんとうに申し訳なく思っています。ごめんなさい。
それから、感謝の気持ちを…。こんなにたくさんの方が真摯なレスをつけてくださったことに、ありがたく、嬉しく思っています。
皆さんのレスを読んで思ったこと…。やっぱり、彼には障害について知っておいてもらったほうがいいのかな、ということがひとつ。障害特性は、彼自身の個性のひとつだし、今の仕事をするなら知っておくことは特に重要なんだろうな、ということ。彼には、研修の一貫として、心理検査をひととおり受けてもらうことにしているのですが、その結果をできるだけうまくフィードバックしていければと思います。ただちょっとだけ残念なのは、うちの職場は子供のみを対象にしているので、大人用のテスト(たとえばWAISとか)はあまりないことかな。さすがに大人にWISCってのもちょっと…。
現状はもちろん上司には相談しています。職場全体(実は関係機関の方々も)が彼に違和感を抱いているのは事実だし、上司も「何かが違う」ということは理解してくれています。ただ、今になって採用の責任を追及してもしょうがないし、人事面なんかではどうしようもない、というのも事実のようです。上司は心理の人ではないし、彼は鬱であることも上司にはひた隠しにしているようなので、私がそのあたりのことを事細かに説明するのもなんだかヒドイ気もするし…。ここは悩ましいところです。
最後に、今の職場の状態ですが、決して彼をイジメているわけではないので大丈夫です。みんなすごく心配していて(彼自身のことも、そしてクライエントのことも)、面接にも、些末な電話連絡ひとつにしても、必ず誰かが副担当として付き、サポートをしている状態です。こんなに懇切丁寧な新人教育は見たことがありません。けれども、かえってそれが本人にとっては「どうしてこんなに指摘されるんだろう…」と落ち込んでしまう原因になってはいまいかと、こちらが不安になってしまっています。彼なりに頑張っているのはわかるんですが…。どうしてもクライエントの人生がかかっている仕事なので、こちらとしても、冗談ではなく毎日命がけなんですよね。すると、いきおい、仕事上の指摘は数多くなってしまうんです。私も、「言うのは最低限のことだけにしよう」と思っているのですが、寝る前になると「ああ、今日も言い過ぎちゃったかなぁ」「鬱だって言ってたし、落ち込みすぎて自殺でもしたらどうしよう…」と真剣に悩んでしまうのです。
…あー、結局、愚痴ばかりになってしまった気がします。すみません。
一度、ほんとうに彼のご両親に会って生育歴を聴取し、主治医とも話し合ってみたいと思うのですが、現実には無理ですし…。ひとつお聞きしたいのは、みなさんのなかできちんと診断を受けている方は、どのような経緯で診断を受けるに至ったのでしょう?もしできる範囲でお答えいただけるなら、幸いです。
「場面緘黙症」の話を聞いて、自分の心理状態が多少わかった。緘黙にまではならないけど、壁の高さの変わり方について納得。
内弁慶はわかってたけど、ド初対面も結構平気なのが不思議だったのよ。
あんく wrote:
> これは自慢だけれど、自分の近くで数人が会話していると、つい自分も参加している気分になり、タイミングも何も考えず割り込んでしまい、その結果その人々をギョッとさせる、という、私にとってまったく理由が分からず、ただ恥をかいたとしか思えない苦い失敗が、自分自身の気付きによって、劇的に減ってきた。
いやあ、これ昨日もやったような気がするなあ……
でも以前、さっぱり自覚がなく、かつ明るいヤツだった頃は、相手の「ぎょっ」に気づかず強引に会話を続け、ただのお祭りヤローでそのまま受け入れられていたような気がする。(もちろん迷惑な奴と思ってた人も多いとは思うが)
(私は、相手に気を使おうなど余計なことを考えなければかなり普通っぽく会話ができる)
しかし最近は「あ、場違いだったかな」とか考えて黙り込んでしまい、本当に気まずくなってしまう。
無神経は無神経のままでいたほうがいいこともあるのかもしれない。
ああ、なんか頭が混乱してきた。
そうだ、Lulu さんとは初めてだったかな? 自称ASのみどりです。
Lulu wrote:
>ただ、私が本当に知りたいのは、「一般の人が、ADD/ADHD×ASを、第一印象だけで精神異常と同一視してはいないのだろうか」、ということです。これがもし、私が第一印象だけで嫌われる理由なのであれば、私はほとんど社会から疎外された存在になりやしないか、これが気がかりです。
人と相手によるんじゃない?
だいたい精神異常だったら必ず嫌われなければならないのだろうか。
別の記事にて:
>とおっしゃられたようですが、私はプライベートでも職場の同僚とは仲良くしなければならないと感じております。そうでもしない
>と、仕事においても私の能力をただ利用されるだけになってしまうし、いざというとき助けてもらえないからです。私はこれだけで
もずいぶん泣かされました。
仕事の能力もお互いに認め、プライベートでもずいぶんと仲良くしていたはずの相手の「いざ」のときに、あっさりと冷たい態度を取る同僚たちを目の当たりにして、「こんなもんか」と思いました。
ま、どうせ私は無理に仲良くしようとしても裏目に出ることの方が多いので、どっちにしてもムダなんですが。
Lulu wrote:
>親の過保護をどうやって振り払うべきかで、現在迷っています。私みたいにADD/ADHDをASと同時に発症しているケースでは、どういうふうにブレイクスルーしたほうが良いのでしょうか?それから、私は今までにも第一印象で嫌われたり、宴会などでも仲間外れにされたりしていましたが、ADHD×ASは、一般の人の目には、ただの精神異常と同じように受け取られるのでしょうか? このままでは、せっかく恋愛のできない悩みに光明ができても、一生恋愛ができないまま孤独死してしまいます。
家を出る。ぜひ出ましょう。
お母さまが介護が必要とかそういう事情でないのなら、なんとしても出られた方がいいと思います。
きっと反対されるでしょうが、もう39なら聞く必要はありません。
物理的に離れるのは効きます。
既に出られているようなら、極力連絡を取らないようにしてもいいと思います。
どんなに自分で自分を説得しても、親のなにげない言葉は、自分で思うより、親本人が思うより、重く強く受け止めてしまうようです。極力会話を減らす。それでいいと思います。
親の方はもう年寄りですから、変えるのは難しいです。まずは自分を守りましょう。
バイトは短い時間なのででなんとかこなしています。
ロザモンドさん私のページまでわざわざ探しに来てくれて有難う。産まれてから三十数年被ってきた仮面は一日参三四時間ははずれることなくかぶれております。自分のことで手一杯なのでもたもたしている子と組んでの時は大変ですが、てきぱきしている人と組んでバーガー類を作る仕事は面白いです。
時期的に鬱になりやすい時なのでOFFの時は気の置けない友達と過ごすようにしていますが、幼稚園や学校のお母様方の中にはいるのはとてもむずかしいです子供じゃないけど外でいい子にしていると家の中では悪い子になってます。
家事も育児も最低限だけにして疲れたときは寝てしまいます。時間が空いてるときはパソコンに向かっていることが多いです。とーたん(旦那)が日曜に掃除してました。実は今日幼稚園の親の昼食会があったのですがドタキャンしてしまいました。なんか大勢の人の中に入りたくなかったので。気まぐれですね朝までは行くつもりだったのに気が重くなったしまって。まあ後半年のこと気まずくても知らん顔を決め込むとします。仕事のほうが気楽です。
こんにちは、最近こちらでもお騒がせ者のLuluです。
Mr.Moto wrote:
> おれ自身は職場の同僚と「仲良くする」必要性をまったく感じていないので、Luluさんの不満がよくわからん。もちろん仕事上必要な報告・連絡・相談(「相談」といってもスケジュールや仕様の摺り合わせとかいった意味での「相談」。「知恵を貸してくれ」とかいった「緊急でもなければ不可欠でもない」種類のものは除く)がなされないとかいった話ならそりゃあ困るのだが、そうでなければ特に困ることはあるまい。
とおっしゃられたようですが、私はプライベートでも職場の同僚とは仲良くしなければならないと感じております。そうでもしないと、仕事においても私の能力をただ利用されるだけになってしまうし、いざというとき助けてもらえないからです。私はこれだけでもずいぶん泣かされました。
Mr.Moto wrote:
> 「自省の足りないADHD+AS」はガキでなければただの馬鹿以外の何者でもない。「ADHD+AS」ははっきりいって猫未満の社交能力しかないのである。本能というのは偉大なもので、生まれて半年も経っていない猫が。ちゃーんとこっちの顔色を窺って、媚びたり甘えたりごまかしたりといった、こっちの感情に配慮した行動を取るのだ。おれなんざ齢三十を過ぎても「おまえは人の気持がわからない」とかいって責められるので、この猫の能力がつくづくうらやましい(-_-;)。
おそらく… やはり「あんく」様(#13113)とは同意見ですね。
ただ、私が本当に知りたいのは、「一般の人が、ADD/ADHD×ASを、第一印象だけで精神異常と同一視してはいないのだろうか」、ということです。これがもし、私が第一印象だけで嫌われる理由なのであれば、私はほとんど社会から疎外された存在になりやしないか、これが気がかりです。
Mr.Moto wrote:
> そんなわけで「自分は他人から見ると相当に素っ頓狂な反応(=感情の動きや情的な反応)をしているのだ」という疑いを持って自分の行動をチェックすることは非常に重要なことである。対人関係のトラブルを抱えている場合、ここんところをまず見直してみるというのは、いかがなものか。
ごもっともです。
Luluさん wrote:
> こんにちは、Luluです。
↑なかなかに奇妙なノリである。ひょっとしたら何かの鍵になるやもしれん。
> 私は、今までありとあらゆる会合で仲間外れにされたり、第一印象で嫌われたりしてまいりました。何が原因で39年間疎外されてきたのかわかりません。
なるほどなるほど。
> 室蘭市内のとある病院に勤めていたとき、慰安旅行や忘年会には何度も参加しましたが、黙っている限り誰も寄り付こうとしません。また、事務セクションの男性スタッフが結婚したときには、コンピュータ部門では私一人だけが招待状をもらえませんでした。どこへ行っても仲間外れで、ついに慰安旅行でぶち切れ状態になったこともあります。(私が偶然帰りの電車に遅れそうになったときに、幹事から「Lulu、いったいこんな時間までどこにいたんだ?」とえらい剣幕で怒鳴られたので、自分たちに都合の悪いことばかり心配して、楽しいことはオレをのけ者にするつもりなのか?」って噛み付きました。それだけでなく、翌年の慰安旅行までボイコットしました。)
おれ自身は職場の同僚と「仲良くする」必要性をまったく感じていないので、Luluさんの不満がよくわからん。もちろん仕事上必要な報告・連絡・相談(「相談」といってもスケジュールや仕様の摺り合わせとかいった意味での「相談」。「知恵を貸してくれ」とかいった「緊急でもなければ不可欠でもない」種類のものは除く)がなされないとかいった話ならそりゃあ困るのだが、そうでなければ特に困ることはあるまい。
コミュニケーションが不足していると感じるなら、それは関係が良好ではないのだ。喧嘩した後に一言も口をきかなかったらやはり気まずかろう? 逆に、なにかを伝えたいときにはすぐ伝わるという安心感があれば、挨拶をしなかろうが昼飯を一緒に喰わなかろうが気まずくはならんものである。
重要なことがことがとりあえず二つある。
ひとつは適切な自己開示をしておくこと。すなわち自分がどう考えどのように行動するかを相手にちゃんと伝えておくことだ。そうすると、相手はコミュニケーションの手段と内容を選びやすくなる。
で、もうひとつは「こちらはちゃんと交渉に応じる用意がある」といったことを相手に示すことである。相手に「こいつは聞く耳を持たない」と思われたらそこでコミュニケーションは断絶する。相手の言うことにちゃんと耳を傾け、できないことはできないと言い、約束したことを守る人間だと思わせる努力をすることだ。また、自分を変えず相手を変えることで問題を解決しようとする人間は嫌われる。だから、まず相手の立場を尊重し、自分がどうすれば相手にとって都合がいいかを考えろ。実際にそうするかどうかはまた別の話で、交渉の基本線をまず押さえるという意味でそうするのである。なお、これは特に対立のあるとき、相手に喧嘩を売られた時に重要である。交渉というのはそういうときにこそ重要な意味を持ってくるのだから。
> 私は肥満体で、顔もキムジョンイルそっくりですが、どう考えても外観が嫌われる要因であるとは考えられません。
おれの身近にも肥満体でキムジョンイルそっくりの四十男がいるが、「人間はやはり中身だけで勝負するのはツラいものがある」といって外見も磨こうとしている。髪をさっぱりと短くし、せっせと歩いて筋肉をつけるというだけでも印象は格段によくなる。人間関係だっていくらかマシになりそうな気がするぞ。
> 私が今最も気になるのは、周囲の人間が「ADHD×ASはただのバカじゃないのか?」というふうに見られてやしないかということです。そうでなければ、第一印象で嫌われる理由が他に見当たらないのです。
「自省の足りないADHD+AS」はガキでなければただの馬鹿以外の何者でもない。「ADHD+AS」ははっきりいって猫未満の社交能力しかないのである。本能というのは偉大なもので、生まれて半年も経っていない猫が。ちゃーんとこっちの顔色を窺って、媚びたり甘えたりごまかしたりといった、こっちの感情に配慮した行動を取るのだ。おれなんざ齢三十を過ぎても「おまえは人の気持がわからない」とかいって責められるので、この猫の能力がつくづくうらやましい(-_-;)。
そんなわけで「自分は他人から見ると相当に素っ頓狂な反応(=感情の動きや情的な反応)をしているのだ」という疑いを持って自分の行動をチェックすることは非常に重要なことである。対人関係のトラブルを抱えている場合、ここんところをまず見直してみるというのは、いかがなものか。
(Mr.Moto)
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