アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
ぱーこさん wrote:
>夫に別れ話を出したら「なぜお前は親切なんだ?」と言われたことです。
>親切というのは、他人に対してすることで、家族に対しては使わないと思っていますが、どうでしょう?
>気持ちは湧いてくるもの、それが夫にはわからない、と言いました。
ばーこさんのお話を伺っていると、あらゆるところで我が父をほうふつとさせるものがありますね。まさかばーこさん、実は私の母だったっていうんじゃないでしょうね(笑)!でも母は貴女とは異なり、おそらく自覚のない As か ADD なんだよな。
私の父はといえば、特に集団の中にいると、なかば呆けたような表情で、まったくの貝になっちゃいます。母に言わせれば、「あの人、いつもなんか冷めちゃってるのよ」だそうですが、それ以外にも、まず健常である人々に話を合わせることができない、話の流れについてゆけない、たとえついてゆけなくとも、適当に表面上話を合わせるふりでもして、気にせず流しちまえばよい、人は人、自分は自分なのだから、という、“暗黙の社会的ルール”に、まるで欠けてしまっているか、うすうす気付いてはいても、「俺はそのような低次元の感覚に付き合うつもりなどない!」と、あくまで意地はっちゃうとか、そうした態度が、まわりの「冷めている」という評価に、つながってしまっているのでしょうね。
ただし、「俺の周りのやつら、み〜んなバカばっかり!」とは、アスペルガー・タイプの人間同士の、まるで合言葉みたいなものではありますが、ただ、その裏には、「自分がまるっきり浮き上がってしまっている」という不安を、他者に向けて、怒ったり、必死に見下すことで、誤魔化しているということが、多分にあると思うんですよ。
それが“他者に対する攻撃性”に変じてしまい、ほんらい穏やかに切り出すべき場所で、やおらケンカ腰になってしまう、という事例が、我が父には数え上げたらまあ、きりがありませぬ。まったく、はたで見ていて冷や冷やするわ、ハラハラするわ、腹が立つわ、情けないわで、昔っから、一緒に行動していると、100%必ず、疲れさせられますね(T_T)。もちろん忠告しても、場面場面の応用が利かないらしく、まったく学習してはもらえません。
グリム童話の、『気のきくハンス』を、ぜひ一度ご参照ください。アスペルガー・タイプの人間の、融通の利かなさを、端的に現した、寓話でもあります。
> 夫=無口=神秘的=考えている=賢い人。何も言わずに、すべてを許してくれるのかと、錯覚しました。
> どんな人なんだろう?という興味。
> それから、私の場合、「人は付き合って見ないとわからない」タイプなのです。
>話せば理解できるか、あわないかが、わかる、ということですが。
>それから、私が話したい、聞いてもらいたい、相手のことも聞きたいと思う。
> 最近、私は無口です。無口になってみると、相手が私にしゃべらせようと、話題を振ってくる時の微妙な感じをつかむことができますね。
>自分もそうしていたのだなぁ、と反省しております。
>沈黙は金。な〜んてね。
父の場合は、父自身が興味をもっていること、趣味嗜好に関して、なにか質問を振ったりすると、かなり口を開いてくれるようになります。そういったなかで、「えっ、そんなことが好きだったんだ!私の父が!」と、まったく意外な側面を、かいま見せてくれることがあります。
まさか父が、ギリシャ・ローマ神話について、深い興味を持っていたなんて、夢にも思わなかったしな。あとは歌舞伎も大好きで、たまに母と観劇にゆくのですが、驚いたことに、父は演目のセリフを丸暗記しており、それはいいけれど演技が行われている真っ最中に、次のセリフを母の耳元でしゃべり出してしまうので、かんじんの芝居の楽しさが半減だ、と、母は嘆いておりました。もっと困ってしまうのが、客席から「○○屋っ!」などと、馴染み客が屋号を飛ばすのを聞きつけると、「(そういう一般の客と、お得意様を差をつけようとするなんて)イヤラシイよな〜」などと、周囲に聞こえよがしに耳打ちしてくるものだから、いたたまれなくなる、とも母は申しておりました。
かんじんな時にはだまりこくっていて、まったくいらぬ時にいらぬ口を出す。これはAsタイプの、ほんとうに困った傾向で、おそらく本人が完璧にコントロールするというのは、ほとんど絶望的かもしれません。
ただ、そういうところにばかり気をとられ、叱りつけ、恥じ入るといったことにエネルギーを使い切ってしまうよりは、本人の愛しているもの、大切だと思っているものに興味を持ってあげて(あるいは興味を持ったふりをしてあげて)、その話をじっくり聞いてあげるというのが、緘黙のあるご本人の場合、抵抗なくすんなりと口を開かせてあげるのには、最上だという気がします。
> でも、私が無口なのは、ショックからですね。
> 夫のことをASだろうと思うと、今まで「きっと考えてくれてる」「理解している」「喜んでいるはず」などと思ってきたことが、ガラガラと崩れていきました。
> ひとり相撲だった・・・・・・。
> 親切の押し売りをしていたのかなぁ・・・・・
「お前は親切」という、旦那様の皮肉(?)には、失礼ながらあんまり真面目に耳を貸す必要は、ないですよ。ご本人は、妻の手助けなしには、世の中と接点を持つことができないのを、重々承知のはずです。ただ、「通訳」をしてもらうというのは、本来ありがたいことのはずであるにもかかわらず、屈辱を感じてしまう、という場合もあることでしょうね。「ばーこは俺のこと、自分じゃ何もできない赤ん坊だと思っているのか!」と、日ごろ悔しく思っていることが、「お前は親切」という、せいいっぱいの“反抗”に、つながってしまったのでしょう。実際、おこちゃまなんですけどね(^_^;)。
旦那様はばーこさんの、自分に対する行いに対して、感謝すべきなのです。それでも、もし旦那様にAs傾向のない、健常だったとしたら、そもそもそういうことで介助してもらうことは、なかったはずなので、分かっていても納得いかないのでしょう。
> あのぅ、夫以外のひととは、目で話をする、ということがよくありますが、
>夫の目は「はとが豆鉄砲」か、よそをみているか、です。
>見詰め合う、ことはなくて、目を見て話す、でもなく、
>瞳孔が全部開いているような、後ずさりしてしまうような、目で見ます。
>直立不動でこっちに倒れてくるような、そんな目です。
>そんなとき、目をそらしたくなるのですが。どうしたらよいでしょう?
よそ見だったらまだしもね。私も時たま、相手をビビらせてしまうことがあり、それがどうも、その「直立不動でこっちに倒れてくるような目」を、してしまっているかららしいです。ばーこさんの旦那様も、ばーこさんに対してだけでなく、あちこちでやらかしている可能性大ですね。
そういう人たちは、若い頃から、ことあるごとに「人と話をするときは、ちゃんとこっちの目を見て!」と、さんざっぱら注意を受けていて、視線を合わせようと努力はするのですが、どうしても不自然になるのは、ずばり「(人間の)目が怖い」からです。脳神経学の病理的な原因から来るものらしいですが、どうしてそうなるのか、くわしい答えは出ていないようです。
でも考え方を変えれば、不自然なことではないんですよ。自然界では、捕食動物が獲物を睨むのは、「おまえを取って食う」というサインですからね。健常者は、Asのひとの強すぎる視線を見て、「私を取って食おうとでもいうのか」と、本能的な恐怖を感じてしまうのですが、As本人にしてみれば、向こうがちらっとでもこちらを見ようものなら、健常者よりさらに過敏に、視線に反応してしまうのです。
健常の赤ん坊や小さな子どもが、大人や周囲のものを、じ〜っと食い入るように見るのは、「この世がいったいどういう世界なのか、研究して、すこしでも自分に生きやすいように学習してやろう」という努力の現われです。しかしAsタイプの人間の動機は、それとは異質のような気がします。
旦那様の視線を受け止めるのが、あまりに苦痛であれば、他の理由にかこつけて、自分からさりげなく目を逸らしてしまうのが、いちばんだと思います。理由についてなにも知らない本人は、もしかすると傷付いてしまうことがあるかも知れませんが。
「悪意」から来るものではないということを心得ておけば、それほど怖くはないと思う…というのは、同じ失敗を繰り返す私が言っても、説得力ないか?!
本人がAsを自覚して、診断を受け入れておれば、目線の配り方その他を、指導してあげることも可能なんですけれどね。
自分の欠点について、あれこれ指摘されると、すぐにヘソを曲げてしまうタイプには、目のことについては、あまり口で言わないほうが良いでしょうね。
こんにちは、Luluです。週末出張のため、レス遅れてすみません。
みどり wrote:
>ひとつ質問ですが、Luluさんの目的は、互いに独立した大人として自分の人生を生きることですか?
>それとも、お母さまに反省してもらうことの方が主目的ですか?まるで復讐するみたいに。
>Lulu さんの投稿を読んでいると、どちらが目的なのかよくわからなくなってきます。
私はもう過保護でがんじがらめにされるのはもうたくさんだ、と言おうとしてここを訪れたのですが、いろいろ書きなぐっているうちに、恋をさせてもらえないことを恨んでいるような口調になっていました。ただ、いくら私が肥満体だから、無精髭を残しているような不潔人間だから、AS×ADHDだからといっても、これらの該当者でも恋愛に成功している人がいる以上、説得力はないと思います。
もちろん、自分を磨くことが必要なのは火を見るよりも明らかですが、恋愛以外でもなんでもかんでも反対するというのは、子どもをがんじがらめに縛り付けようとしていることの証拠に他ならない、そう考えるとただの悩み相談のはずが自分の親の過保護に対する不平不満のオンパレードになってしまうのであります。
私はもちろん親の過保護から解き放たれて独立したいですが、どう考えても私の親の過保護が尋常なレベルでないので、それだけは、反省までに至らなくても認識くらいはして欲しい、それが本音です。
みどり wrote:
>「捨てられた」についてですが、「普通の親子」であれば、39歳になれば子供はもう結婚して孫を育てていて、親元からは独立しています。きっとお母さまが39のときにはもうLuluさんを育てていたことでしょう。
そのとおりです。私の母が39歳のときは、私はもう既に高校生でした。
みどり wrote:
>人は役割を与えられると、無意識にその役を演じるようになるそうです。
>Luluさんはお母さまから「保護すべき弱い子供」としての役割を与えられていて、長年毎日そう扱われているうちに、知らずにそういう振る舞いしかできなくなっているのだと思います。
>離れて、「立派に成人した息子が遠くから年老いた母を気遣っている」という役割になってみたらいいんじゃないでしょうか。
>自分が変わってからじゃないと相手を変えるのは難しいと思います。
ビンゴです。だから友達づきあいでもずいぶん横槍を入れられました。例えば、ある人は「Luluのことを自分の都合がいいときだけしか利用しない人間だから、付き合わないほうがいい。」とか、「陰では人の悪口を平気で言う人間だから、Luluだって何されるかわからない。」とか、etc.
私の遠縁の親戚に、「美人局(つつもたせ、と読みます)」みたいな女に引っ掛けられて、暴力団から\700万も慰謝料をふんだくられたという人がいまして、そういった話は私はよく聞かされましたが、弟はこういった事件があったことは全く知りません。(女のほうから勝手に接近して交際しているうちに、暴力団から「オレの女に手を出すな」といって慰謝料をふんだくられたそうで、この恐喝男は結局は警察に捕まったそうですが、\700万の大損でした)
そうこうしているうちに、私自身も安心して人付き合いができなくなり、こちらから接近することなど、完璧に不可能な状態です。
役割といえば、私の母が私から離れようとしないのは、父(夫)を失った悲しみを今でも引きずっているため、夫の役目の一部を私に求めているのかもしれません。
確かに、毎日22:00に息子に電話をかけるというのは異常でしょうが、夫を失った寂しさを紛らわそうとしていたことは事実でしょう。(そのためにこちらはえらい迷惑を被っていますが)
あまり夫婦水入らずで旅行したことがなく、夫婦では心休まることがなかったほどDVにも悩まされていたので、DVを働かない私には、夫に求められなかったものがこちらに回ってくるのもごく自然なような気がします。
ところで私は、医師の指示で(高血圧の他に、脂肪肝を指摘された)今週日曜日(7/7)からダイエットを始めましたが、ダイエットの効果が現れたときに、親も含めて周囲がどのように反応するのか、興味があります。
こんにちは、Luluです。
私は料理に関しては素人ですが、…
シペラス wrote:
> そこで、豆腐コーナーの『標準的な・一般的なサイズ』の豆腐の一丁の目方(内容量)を、幾つか調べてみると、一見するところ形が異なっているのに同じ300gだったり、反対にほぼ同じサイズなのに一方は300g、もう一方は340gというのもありました。
> 『一丁』という単位が古くから使われていることから考えると、もともとは大体これくらいの目方ということが、決まっていたはずです。豆腐というのは、切り売りしていましたから…それとも体積なのでしょうか?
豆腐には「木綿豆腐」「絹ごし豆腐」という2種類があることは皆様もご存知だと思います。木綿豆腐のほうが水分が少ない分、同体積では絹ごし豆腐より重くなります。
また、同じ種類の豆腐でも、メーカーによって体積や比重にばらつきがあるので、40gの差は当たり前でしょう。最近は機械で切り分けているので、同一メーカーで重量のばらつきは少ないですが、メーカーが違えば重量差は当然発生します。
間違っていたらごめんなさい。
こんにちは、Luluです。週末出張のため、レス遅れました。
あんく wrote:
> 「ひとりになって、自分の自由時間を持ちたい」などという、動機も目的もはっきりしない状態で、「生き馬の目を抜く」都会のひとり暮らしを始めようものなら、その生活は、まず、破綻します。でなければ逆に、親御さんとふたり暮らしだったときと、まるっきりなにひとつ、変わり映えしない生活がべったらこべったらこ、延々と続くばっかりか、どちらかですわな。
ビンゴです。実際、私が北大へ通っていたときは、いくら交通が便利になったとはいっても、電車(エル特急)で片道1時間10分、自動車でも高速道路経由で1時間30分という環境ですので、札幌市内で下宿生活を余儀なくされました。ところが現役で合格した3ヵ月後に持病の先天性股関節脱臼が悪化して突然歩けなくなり、人間関係も悪く疎外感に悩まされたこともあって、引きこもり状態になりました。(この結果、北大は3年で中退した)
あんく wrote:
> アスペルガー症候群のひとというのは、物事のことはじめに対する「動機付け」というものが、非常にあやふやで、下手くそな人のことでもあります。そのくせ衝動的で、なにものもとりあえず都会へ飛び出したはいいものの、故郷にいた時代でさえうまくいかなかった人間関係が、解決するはずもなし、まして年齢のことで、就職のさい、どうしようもない壁の存在を思い知らされることになるのは、火を見るより明らかなんです。
確かに、北大を無事卒業できたとしても、私のように過保護で育てられたケースは人間づきあいがうまくできないので、社会に出ても成功していたかどうか疑問です。
あんく wrote:
> まかり間違って、ひとり住まいのアパートに、ひっきりなしに訪れる、胡散臭い宗教やナンたら商法のウソを見破れず、身ぐるみ持ってかれた挙句、故郷にも帰るに帰れなくなって、男ならいいとこピンク産業の看板持ちか、暴力団のテッポー玉で一生を終えるといった、まことにしまらない運命を辿る人は、現実問題、後を絶ちませんよ。ばーこさんのおっしゃるとおり、「自分の人生は自分のもの」を考えるならば、それもまたよしと言えるのかも知れないけれども。
私が北大に通っていたときは、統一教会(ご存知でしょうか?)の回し者が学内を徘徊しており、うその住所を教えたにもかかわらず私の下宿に押しかけてきたこともありました。(これは、住所がうそであることを確かめるために押しかけたのではなく、偶然下宿の近所を回っていたときに不意に顔を合わせた)
統一教会が今のオウム真理教(アレフ)みたいに人格をめちゃくちゃにするというので、絶対誘いに乗らないように、とアドバイスしてくれる人も多数いましたが、知らず知らず統一教会に入信させられた人もいたそうです。私は統一教会はパスしましたが、外出も安心できないほど付きまとわれました。
あんく wrote:
> それに、「一生離れて暮らす」ということばっかり考える必要もないんですよ。
私は、結婚しても親と同居するつもりです。新しい家庭を持った後に、先輩としていろいろアドバイスをもらうほうが心強いでしょう。
あんく wrote:
> 親の了解を得るんじゃないんです。
> 親を納得させることが「大人」なのであります。
さて、どういうふうに納得させましょうか? それが目下最大の問題です。
あんく wrote:
> これらの話がまだよく飲み込めず、ただの一歩も踏み出せないようなら、やはり都会はあなたを呼んではいないのでしょう。このまま故郷で、年老いたご母堂とふたり、片寄せあって暮らしてゆくのが、やはりLuluさんらしいのかも知れません。嫁さんだって、故郷室蘭でお探しになればよいのだしね。
もしかすると、母の取り越し苦労は、私に夫の(母から見て)役目も期待しているのかもしれません。現に、親子で一緒に歩いていても、私の母(現在61歳)が外見では50歳ぐらいにしか見えないので、夫婦と間違われることがあります。それに、私の父は母とけんかばかりしていましたし、母を奴隷扱いすることもしばしばで、夫婦水入らずの環境でも心が休まらなかったそうなので、父が果たしてくれなかった「夫役」の一部を私に求めるのは自然かもしれません。
こんにちは、Luluです。週末出張のためレス遅れました。
ぱーこ wrote:
>LuLuさんは、お母様思いなのですね。それでも、過保護に気づかれた・・・・
>そこから次の段階が始まるような気がします。
>お母さんに「親を捨てた」と思われるのは、怖いですか?
>いつかは、親は子離れしなければならないでしょう。
>でなければ子どもは生き埋めになりますよね。
>お母さんが息子のためと思っていることも、手や口を出しすぎるのは間違いです。
>息子の人生は息子のもの。
>でも・・・・
>お母さんは、話のわかる人ではなさそうですね・・・
>それでもLuLuさん、運転免許もとられたじゃないですか、大したものですよ。
まあ、車の免許は必要に迫られたものでしたので、やむをえないところがありましたが、当初はかなり渋い顔をしていました。
結局は10万4千km人身事故ゼロなので取り越し苦労ですが、父が存命なら、いつになったら免許が取れるのかわからない状態です。たとえ、バスの便が非常に悪い(1時間に1本ならまだ許せるが、他路線やJRとの接続が非常に悪く、以前の職場では、勤務先が同じ室蘭市内にあったにもかかわらず、冬季路面凍結による渋滞が原因で、自宅最寄の停留所6:48A.M.発のバスで、8:30A.M.の始業時刻に遅刻したことさえあった)とか、自宅から最も近いスーパーマーケットまで3kmもあるとか、そういったことでは説得できません。
ぱーこ wrote:
>もし、ひとり暮らしが嫌なら、
>「過保護にされていて、苦しい」ということを伝えてあげた方が
>お母さんに正直なんじゃないかな。
>いわれなきゃ、受け入れてもらっているとお母さんは思っているかもね。
>世間体を気になさるのなら、会社に電話をかけて文句を言うことが
>社会人にとって恥ずかしいということをはっきりとおっしゃることが
>必要だと思うのですが、難しいのでしょうね〜。
一度は「電話するな」とはっきり断りましたし、遅くなったときの定時連絡も故意に無視しました。
その結果、母は深刻な不眠症になりました。
母は、「定時連絡は約束だから」といって、私ばかり責めましたが、自分の過保護に拠る取り越し苦労が不眠症の主たる原因であることに、本人は気付いていないのでしょうか? 会社の公用で「遅くなる」という定時連絡ならともかく、どうして親のがんじがらめを振りほどこうとするのがいけないのか、今はそれで大いに悩んでいます。
ぱーこ wrote:
>お母さんの支えになる人が他におられるといいのですが・・・・
>(中略)
>お互いにやさしく真綿で締めあってしまうことになるような気がします。
>お母さんにはお母さんの人生を生きてもらうことを願います。
>
>母と息子は特別の感情があるようですよ。
>お母さんがあなたを思うくらい、あなたもお母さんを思っておられるでしょうね。
>なんとか、うまく、子離れしてもらいたいですね。
私一人では親離れ子離れに失敗することは目に見えているので、もっと皆様に知恵を貸して欲しいです。
こんにちは、Luluです。週末出張のためレス遅れました。
Mr.Moto wrote:
> 決して倒産しない会社の,統廃合その他によってリストラの対象になる心配のない職場で,能力よりも人間関係が重視される環境において,経営者なり上司なりに取り入って出世を望むならともかく,人間関係に汲々としていて未来が明るいかといえば,そんなこたぁないと思うぞ.
お言葉ですが、私は、出世を望むためにプライベートでも仲良くしているのではありません。現に、私は上司におべっかを使うのは大嫌いだし、自分が上司になったとしても、おべっかを使われるのはいやです。
以前の勤務先に、非常にわがままな上司がおりまして(どこでもいると思うが)、おとなしく尻尾を振るような部下は地元の室蘭で仕事をさせてもらっていましたが、自分と馬が合わない部下は札幌や東京、果ては和歌山まで「島流し」という有様でした。加えて、その上司が忘年会で酒乱暴力事件を起こしたとき、噛み付いた部下は服務規程違反の事実がないのに解雇されました。
プライベートで仲良くしたいのは、いざというときに親身になってくれる人間が欲しいからです。私にはそういった人間が少なかったので、これまで39年間疎外感に悩まされてきたのです。
貴方にとってはそれほど重要なことではないでしょうが、一般人にとってはなんでもない人付き合いが、私にとっては仕事よりも骨の折れることなのです。
それゆえ、たとえ私が会社を辞めても、なお良好な関係が続くような、そういった関係が今の私には必要なのです。たとえ会社とは「ケンカ別れ」であっても、です。
こんにちは、Luluです。週末出張だったのでレス遅れました。
こうもり wrote:
> ほとんどの人はASやADHDがどんな障害なのかを知らないので、これ
>らの障害に悪い印象を持っていない可能性が高いと思います。ただし、無理
>解な人はかなり多いと思いますが。(ASやADHDに悪意を持っているの
>と無理解なのは微妙に違う)
確かにそのとおりなのでしょう。過去に私がいじめられた原因も、どちらかと言うと面白半分のケースがほとんどでした。
しかし、そのために、私は真冬の室蘭で最高気温が-7℃の日に(室蘭では最高気温の-7℃は、強風のため体感温度-15℃)、氷の張った池に突き落とされるという「殺人未遂事件」の被害にまで遭っているのです。
こういったことがトラウマとなって、面白半分のいじめも全て悪意だと解釈するようになってしまったものです。
> むしろ、わたしの場合は「君は普通に見える」と言われる方がよっぽど
>腹立たしかったです。「バカ」だと思われている方が「普通じゃない」と
>認識されている分、まだましかも???そして、「異常だ」とか「お前か
>らは狂気を感じる」と言われるのは大歓迎です。狂気に強烈なあこがれを
>抱いていたので。
私には、この感覚は理解できません。
日本国民1億2600万人のうち、1億2599万9千人までが私のことをいじめるのではないのか、という疑心暗鬼を抱いたことのある人間には、どうしても「バカ」呼ばわりされることイコール「いじめ」に近いものがあるので、面白半分での付き合いが、ただ遊ばれること以外に解釈できません。
Naveさん wrote:
>>SSTなども、やったことがなく、不安です。
>
>ごめんなさい、「SST」が何か知りません。
>#英語のテストのことじゃないですよね…(^^;
コンピューター関係については、発達障害の専門家から「PCの
習得でどんなことに苦労されましたか?」と聞き取り調査をされち
ゃうぐらい苦手なこうもりです。でも、SSTの説明ならば何とか
…。
SST(ソーシャル スキル トレーニング)
要するに社会性に困難を抱える発達障害者を対象にした対人交流
訓練です。ただ、注意しなければならないのはこの訓練を受けたか
らと言って、周囲の雰囲気を読んだり、他人の気持ちをとっさに把
握できるようになる訳ではありません。あくまで、周囲によい印象
を与える立ち振る舞いができるようになるだけです。
また、対人交流においてペルソナ(仮面)を被れるようになれる
という実用的な意義は大きいのですが、それが他人と友好的な関係
を築けるようになれることを保証している訳ではないという点にも
留意しておく必要があります。
もう1つ。オフ会でお会いするような自閉人たちの場合、既にS
STでやるような課題は突破されている場合が多いです。
Qさん、こんにちは。
Naveと申します。はじめまして。
私は未診断ですが、たぶんアスペルガーの仲間だと思っています。
現在、ソフトウェア業界の端っこの、そのまた端っこで働いています。
>私は、はじめ、強迫神経症やうつ病など、その手の病気だと思っていました。
>ですから、クリニック関係にいって、7年かけて病気をなおしながら、
>通信制高校、専門学校、初めての職場、初めての退職、基本情報試験に合格、
>ときました。
Qさん、すごい。頑張りやさんですね。(^^)
>パソコンやプログラムでは、「教えて君」では、上達しません。ですが、
>率直な指導なら、素直に聞くことができます。
素直に指導に従えることは、良い資質だと思います。
通信制の学校をまっとうされたのですから、ご自分で調べることも
得意そうですね。
#私も通信制で学んだことがありますが、いろいろ事情があって挫折しました。
#通信制の学校を卒業するには、どれほどの努力と忍耐が必要なことか…
#Qさんを尊敬します。
ですから、Qさんは、いわゆる「教えて君」ではないと思います。
ですが、実際の職場では、
「わからないのに聞かない(そして、後になってから、実は
わかっていなかったことがバレる)」よりは、
「どこそこがわからないから教えて欲しい」と率直に(しかも早いうちに)
聞いたほうが良いことが多いです。
そのほうが、教える手間を差し引いても、全体の効率が上がるからです。
※もちろん、教わったことはメモをとるなどして、同じことを何度も聞かない
ように努力することは必要ですが。
>PGの中ほどにある、「リスク交渉、営業」は、この病気ではむりでしょうか?
えーと、「PG」とは、「プログラミングをする人」の意味でしょうか?
もしそうだとすると、アスペルガーで、プログラミングのできる人には、
かなり向いた職種のひとつだと思います。
■お勧め職種その1「実作業プログラマー」
一般的かどうかわかりませんが、私が見聞きした範囲では、
中規模以上(従業員200人程度以上)の会社では、
開発者(プログラマー)が直接営業をすることは、ほとんどありません。
(逆に、開発者が勝手に営業すると、営業部隊から怒られたりします(^^;)
それから、ある程度以上の規模のシステムやソフトウェアを開発する場合、
工程管理や発注元との調整などは、取りまとめ役の人がやってくれますから、
実作業者は、「指示された作業を」「指定された期日内に」「過不足なく」
行う能力があれば、OKだと思います。(特に「過不足なく」がポイントで、
私の観察によると、アスペな人たちは、どちらかというと、ハマって凝った
ことをやりすぎて、それがトラブルの原因になることが多いように思います。
チームで仕事をする場合、「自分のこだわりを押さえて、素直に指示に
従える」という能力は、大切な資質だと思います )
上記のような、実作業者としてのプログラマーには、対人能力はそれほど
必要ではないと思います。
※たとえば、雑談はできなくても、出/退社時などの挨拶だけは欠かさない
ようにするだけで、好印象を持ってもらえます。
※ポイントを押さえた進捗報告は欠かせませんが、口頭で報告しなくても、
メールで報告できればOKです。
■お勧め職種その2「動作確認・製品検査」
ソフトウェア開発の工程の中に、「ソフトウェアの動作確認・検査」という
仕事があります。
これは、多くの場合、「実験室」という隔離された場所で、一日中
パソコンに向かって、比較的単調な操作を一人で黙々と行う、
という、まさにアスペルガーな人にぴったりな仕事だと思います…
細かいことにこだわり、整合性の無さをすぐ発見してしまう、という能力を
遺憾なく発揮でき、その上、その仕事ぶりには感謝されるでしょう。
※ただし、アスペルガーであっても、単調な仕事だと飽きちゃうタイプの人に
は向いていません。←私だ(^^;
◆注意◆
同じソフトウェア業界の仕事でも、「SE(システムエンジニア)」は、
かなり高度かつ「濃い」対人スキルが必要なので、
対人スキルに自信のない方にはお勧めできません。
ちなみに、私の勤務先および取引先(いずれもソフトウェア業界)には、
未診断だけれど、たぶん自閉症スペクトルの範疇に入りそうだと思える
人たちが結構多いです。
いつだったか、打ち合わせ(というか、製品の仕様説明会)に行って、
始まるまでずっと下向いて資料を読んでいて、
「では始めます」の声で顔を上げてみたら、なんと集まった12人中
10人までが「仲間」で、びっくりしたことが…(^^;
↑さすがに、これが今までの最高記録。
#あ、私、「仲間」は会えば一目で分かるんです。
#なんとなく、眼とか、雰囲気で。
#もちろん、私のいう「仲間」が、医学的な「自閉症スペクトル」と
#一致するかどうかは、わかりません。念のため。
おそらく、ソフトウェア業界は、「無口」とか「ひとりごと」とか
「無愛想」とか「服装に無頓着」とかに、かなり寛大(というか、
みんな慣れてるというか(^^;)だと思います。
ただ、今の不況で、ソフトウェア業界でも新人を採用する所は少ないかも
しれません。
逆に、経験や能力がある人の中途採用は進んでいるので、資格を取るなど、
技を磨いてチャレンジするのも良いかもしれません。
また、現在、多くの派遣社員の方々が力を発揮してくださっています。
今や、派遣社員の方々なしでは、ソフトウェアは作れません。
ですから、派遣会社に登録して、派遣社員として働くのも一つの方法だと
思います。
(派遣社員なら、もし派遣先になじめなくても、
別の派遣先に変えてもらうこともできますし…。)
>SSTなども、やったことがなく、不安です。
ごめんなさい、「SST」が何か知りません。
#英語のテストのことじゃないですよね…(^^;
こんなところですが、お役にたちますかどうか…
あんく wrote:
> なるほど。ひとまず飛躍するけれど、私の場合、高校を卒業するぐらいまで、自分以外の他者についての認識というのが、せいぜい「やさしいひと(自分をいじめない人。いろいろ助けてくれる人)」か「こわいひと(自分にとって無理な要求ばかりしてきて、できないと怒る人。身体的に痛い目にあわせる人。声の大きい人)」のどちらか、という、ひどく粗末なものでしかなかったことを思い出しました。
> 「やさしい人」を装った「いじわる」を、見抜くことができなかったり、「やさしいひと」でも、機嫌の悪いときというのはあって、しかも必ずしもあんくのことについて腹を立てているわけではないということが理解できず、急に自分にとって「こわいひと」になったと思って、逃げていったり。書いてるときりがないのですが。
> さまざまな「すれちがい」の、真の意味合いについて、なかなか学習できず、いつまでたっても「人を見る目」というのを、獲得することができないまま、いきおい心理的障壁の度合いも、いつしか不安定になっていってしまう…と、いったところでどうだろう。
いまだにそのレベルからあまり脱却できてないかもしれない。
自分を受け入れてくれる人と受け入れてくれない人。間をうまく扱えない。
受け入れてくれない人にたいしてはつい卑屈になっちゃうし。
> 「やさしい人」を装った「いじわる」を、見抜くことができなかったり、「やさしいひと」でも、機嫌の悪いときというのはあって、しかも必ずしもあんくのことについて腹を立てているわけではないということが理解できず、急に自分にとって「こわいひと」になったと思って、逃げていったり。書いてるときりがないのですが。
これを読んで、ふと思い出しました。夫に別れ話を出したら「なぜお前は親切なんだ?」と言われたことです。
親切というのは、他人に対してすることで、家族に対しては使わないと思っていますが、どうでしょう?
気持ちは湧いてくるもの、それが夫にはわからない、と言いました。
> 「無口な人」「口数の少ない人」というのは、それだけで、良くも悪くも、その人に、ある種の神秘性が付与されてしまうことがあるということが、こういったエピソードには、如実に現れているという気がします。
そうです。私はそれで結婚したようなものです。夫=無口=神秘的=考えている=賢い人。何も言わずに、すべてを許してくれるのかと、錯覚しました。
> 私にとっての不思議といえば、「無口」となると、どうしたことか人はその人間に、無理やりにでも口を開かせようと、あの手この手をするようになる。時にはゆきすぎて、イジメにつながったりということは、この掲示板でも、以前からさんざっぱら書込んでいることなんですが。
はい、それは私です。どんな人なんだろう?という興味。
それから、私の場合、「人は付き合って見ないとわからない」タイプなのです。
話せば理解できるか、あわないかが、わかる、ということですが。
それから、私が話したい、聞いてもらいたい、相手のことも聞きたいと思う。
> 思うに、「現代社会は“死”を恐れ(あくまでも“おそれ敬う”の“畏れ”ではない)、排除しようとする社会である」ということに照らし合わせて考えれば、「無口」とは「死」を連想させるものなので、なんとかやめさせねば、と、人はやっきになるのかも知れない。
最近、私は無口です。無口になってみると、相手が私にしゃべらせようと、話題を振ってくる時の微妙な感じをつかむことができますね。
自分もそうしていたのだなぁ、と反省しております。
沈黙は金。な〜んてね。
でも、私が無口なのは、ショックからですね。
夫のことをASだろうと思うと、今まで「きっと考えてくれてる」「理解している」「喜んでいるはず」などと思ってきたことが、ガラガラと崩れていきました。
ひとり相撲だった・・・・・・。
親切の押し売りをしていたのかなぁ・・・・・
あのぅ、夫以外のひととは、目で話をする、ということがよくありますが、
夫の目は「はとが豆鉄砲」か、よそをみているか、です。
見詰め合う、ことはなくて、目を見て話す、でもなく、
瞳孔が全部開いているような、後ずさりしてしまうような、目で見ます。
直立不動でこっちに倒れてくるような、そんな目です。
そんなとき、目をそらしたくなるのですが。どうしたらよいでしょう?
>あんく wrote:
> 「壁の高さの変わり方」って、何だろー?
>みどりさん wrote:
>壁の高さとは、人と話すときの心理的障壁の度合。
>変わり方とは、相手との距離の変化に対してその度合が変化する様子。
>グラフが単純増加でも単純現象にもならなそうなので、不思議だったのです。
なるほど。ひとまず飛躍するけれど、私の場合、高校を卒業するぐらいまで、自分以外の他者についての認識というのが、せいぜい「やさしいひと(自分をいじめない人。いろいろ助けてくれる人)」か「こわいひと(自分にとって無理な要求ばかりしてきて、できないと怒る人。身体的に痛い目にあわせる人。声の大きい人)」のどちらか、という、ひどく粗末なものでしかなかったことを思い出しました。
「やさしい人」を装った「いじわる」を、見抜くことができなかったり、「やさしいひと」でも、機嫌の悪いときというのはあって、しかも必ずしもあんくのことについて腹を立てているわけではないということが理解できず、急に自分にとって「こわいひと」になったと思って、逃げていったり。書いてるときりがないのですが。
さまざまな「すれちがい」の、真の意味合いについて、なかなか学習できず、いつまでたっても「人を見る目」というのを、獲得することができないまま、いきおい心理的障壁の度合いも、いつしか不安定になっていってしまう…と、いったところでどうだろう。
バイザウェイところで。
このスレッドのタイトルになっている、『ノッポさんがしゃべった!!』についての説明を、させていただくと、ノッポさんこと高見 映氏というのは、いまさら説明不要の伝説の子供向け番組、『できるかな』の、メインキャラクターとなった人であります。
『できるかな』が終了してしばらく経ってから、高見氏が雑誌のインタヴューで、“『できるかな』のおかげで、すっかり「無口な人」のイメージができあがっちゃっていたけれど、ボクってほんとはおしゃべりなんですよ”といったことを、答えておられていたのです。さらに、氏は90年代、数学者の秋山 仁氏と、NHK教育『算数大好き』に出演していたときのエピソードで、“その最終回、ボクがはじめて口を開いて、「なんだか算数のことが、よくわかっちゃったなあ(それとも「好きになっちゃったなあ」だったかも知れない。記憶に自信なし)」と言ったら、秋山さんが、「あああ〜っ、しゃべったあ〜」と言って、からかうようにジロジロ見る、というシーンがあった”と言っていたのを、かなり強烈に覚えているんですね。
「無口な人」「口数の少ない人」というのは、それだけで、良くも悪くも、その人に、ある種の神秘性が付与されてしまうことがあるということが、こういったエピソードには、如実に現れているという気がします。
『できるかな』は時々観ていたけれど(でも白状すると、私にはあまりおもしろくなかった…)、私だって「ノッポさんはしゃべらないんだ」と、信じ込んでいたしなあ。別にノッポさんのことを「唖」だと思っているわけじゃないんだけど、不思議なんだよね。
私にとっての不思議といえば、「無口」となると、どうしたことか人はその人間に、無理やりにでも口を開かせようと、あの手この手をするようになる。時にはゆきすぎて、イジメにつながったりということは、この掲示板でも、以前からさんざっぱら書込んでいることなんですが。
思うに、「現代社会は“死”を恐れ(あくまでも“おそれ敬う”の“畏れ”ではない)、排除しようとする社会である」ということに照らし合わせて考えれば、「無口」とは「死」を連想させるものなので、なんとかやめさせねば、と、人はやっきになるのかも知れない。本日はここまで。
まろんすさん、シペラスさん、メールありがとうございます。
統合失調症と誤診された方がある意味で幸せかもしれない。
高機能自閉症と診断されたとして、返って道を閉ざされた、社会との接触を断たれた、
望みを断たれたとしか思えません。
あんく wrote:
>みどりさん wrote:
>>「場面緘黙症」の話を聞いて、自分の心理状態が多少わかった。緘黙にまではならないけど、壁の高さの変わり方について納得。
> 「壁の高さの変わり方」って、何だろー?
壁の高さとは、人と話すときの心理的障壁の度合。
変わり方とは、相手との距離の変化に対してその度合が変化する様子。
グラフが単純増加でも単純現象にもならなそうなので、不思議だったのです。
シペラス wrote:
>精神障害者の社会復帰施設(作業所)に、入院経験のない者が通うのは、『ずるいこと』なのでしょうか???
わたしの感じてきたことだけを書きます。わたしは、精神病院というのは非常に独特な世界(社会)だと思うので、「あそこで(患者として)暮らしたことのあるひと」という意味で、入院体験のあるひとを<仲間>と感じます。
・・・いま書きながらフト思ったのですが、もしまだ行かれたことがないとしたらですが、いちど精神病院に行かれてみたらどうでしょう。わたしは自分が入院した病院以外の病院に、ずいぶん行きました。スタスタと中に入り、自動販売機を探して飲み物を買い、通路に、あるいは中庭のベンチに、あるいは外階段の踊り場にしゃがんで、じっと建物を見ながら、ゆっくりと紙コップや紙パックの飲み物を飲むのです。冬ならば陽だまりの中で。近くを医者や看護者たちが通るたびに、何も見ない目をして。わたしは「外」(人間社会)で暮らしながらも「外」に属せない時間に、時々、そんなことをしていました。誰でも「外来患者」であるかもしれないのだから、別にそれをしてもいいのではないかと思うのです。
と、そんなことを書いたのも、わたしが、入院体験のあるひと/ないひと、という違いに敏感だからかもしれません。精神病院の空気を知っていて、しかも、その「中」に自分が属していると感じているひとを限りなく懐かしい存在としてわたしは感じる。少なくとも(入院体験はなくても)精神病院というものをじかに知っていて、「あの空気」について、ある愛情を込めて話せるひとを。
でも、発達障害のことと同じで、マイノリティーとしての体験というのは、そういうものなのかもしれません。同族を嗅ぎ分けることに敏感になるということ。
真っ直ぐなレスになっていないし、ありふれた古い型の発想のようで恥ずかしい気もするのですが、HIV感染のことを理解したい(相互)支援したいと思う人のレッドリボン、あるいは、同性愛者のシンボルのレインボーカラーやピンクトライアングルのように、発達障害なり自閉症スペクトラムなりASなりも、そのことに関心あり!という人が使用するシンボルのようなものがあると便利なのかもしれない、などと思います。入院体験がある/ない、なんていう「とりあえずの生の過程における違い」をそれによって(一目で)超えることができるから。(でも、共通の視覚的シンボルを使うというのは、発達障害という存在のあり方と、なんだか似合わないような気もします)。
お尋ねされたことに真っ直ぐに応えていないことを気にしつつ・・・
今日、わたしのメール・アドレスに「お尋ねします」という件名の
DMをくださったAS青年の親御様へ。(病院関係の情報提供)
さっそく、情報を集めてレスをしようと思ったのですが、どうして
もうまく送信することができません。届いたメールに直接返信したの
ですが、どうも携帯電話のメール・アドレスに転送されてしまい、そ
のメールアドレスが現在使用されていないために宛先不明の状態にな
っている模様です。
もし、このコメントをご覧になられたら、再度メールをいただける
ようお願いします。
いちおう、この掲示板でも紹介できる病院探しの方法を示しておき
ます。
(1)地元の精神福祉センターで「ASを扱っている病院や相談機関
がないか」相談してみる。病院を探す場合は教育・心理の支援
関係者・外部の支援団体などと連携している場所を探すのがベ
スト
(2)AS児や教育学的LD児の親の会などに情報提供を呼びかけて
みる。なお、教育学的LDは知的障害を伴なわない発達障害の
総称のようなものなので、AS児にも対応している。なお、親
の会や相談機関は下記のサイトで調べることも可能である。
アスペの会http://www.as-japan.jp/j/index.html
日本自閉症協会http://www1.biz.biglobe.ne.jp/~asj/
全国LD親の会http://www.normanet.ne.jp/~zenkokld/
※LDの会についてはけやきのホームページも便利です
http://www.ne.jp/asahi/hp/keyaki/
(3)できる限り、地元の病院を探してみた方がよい。現時点では
ASを治療する方法は確立されていないため、継続的に関わ
れる医療・相談機関が必要で、通院(通所)可能な範囲に位
置していることが望ましい。
なお、現在お子様が通院されている病院は薬物治療しか行なうこ
とができていない点が不十分だと思われます。ASを根治療する方
法はありませんが、適切な発達支援を行なうことにより、障害を抱
えながら成長・発達していく道は残されています。薬物治療のみで
はAS児本人の成長にはつながらない点は留意しておく必要がある
でしょう。
昨日の事、僕はまたディケア施設のお昼に使う食材の買出しに行きました。
昨日は、『麻婆豆腐』を作ることになっていてので、『豆腐を5丁買ってきてね。』と指導員のZさんに頼まれました。
でも僕はスーパーの豆腐のコーナーのところにきて、ふと考え込んでしまいました。前から気づいていたことなのですが、最近のスーパーでは、いろいろな大きさ・形の豆腐が売られていて、『一丁=個数』と考えると、買った豆腐の体積によって、最終的な目方(g)がマチマチになってしまいます。
そこで、豆腐コーナーの『標準的な・一般的なサイズ』の豆腐の一丁の目方(内容量)を、幾つか調べてみると、一見するところ形が異なっているのに同じ300gだったり、反対にほぼ同じサイズなのに一方は300g、もう一方は340gというのもありました。
『一丁』という単位が古くから使われていることから考えると、もともとは大体これくらいの目方ということが、決まっていたはずです。豆腐というのは、切り売りしていましたから…それとも体積なのでしょうか?
どなたかご存知の人がおりましたら、そこらへんの真相をご教示ください。宜しくお願いします。
実は、3日前にアスペルガーだといわれました。10日の日に、専門の先生が話をする場所をききつけてくれるそうです。
私は、はじめ、強迫神経症やうつ病など、その手の病気だと思っていました。
ですから、クリニック関係にいって、7年かけて病気をなおしながら、通信制高校、専門学校、初めての職場、初めての退職、基本情報試験に合格、ときました。
それでも、全然、社会が怖いという認識が消えませんでした。
そして、障害者就職センターにいくと、アスペルガーだとおしえてくれました。
それでだれかに聞きたいのです。
パソコンやプログラムでは、「教えて君」では、上達しません。ですが、率直な指導なら、素直に聞くことができます。
PGの中ほどにある、「リスク交渉、営業」は、この病気ではむりでしょうか?
今は、どうすればいいのかわかりません。できない、とは思ってはいませんが、SSTなども、やったことがなく、不安です。
どなたか、アドバイスをお願いします。
みなさんありがとうございました。
診断を受けるに至る経緯にも、いろいろあるのですね…。
みなさんのご意見を参考に、これからできる範囲のことをしていきたいと思います。お互いが窮地に陥らないために。
今は、少なくとも、上司には彼の状態を伝え続けていきたいと思っているところです。だんだんわかってきたのですが、彼の通院している病院はあまり評判がよくないんですよね。彼は、クライエントとの面接場面で必ず居眠りをしてしまうんですが(自分は気づいているのかいないのか、指摘しても「寝てません」と必ず否定する)、これって尋常じゃないですよね。自分のクライエントとの面接で居眠りするなんて。もしかしたら薬が強いのかもしれないと思うんだけれど、私から病院選びや薬の調節を提案するのは気が引けるので、うまく上司に伝えて、上司から指摘してもらえるよう進めていくつもりでいます。
ありがとうございました。
シロ wrote:
>はじめて書き込みをします。
>今年になってから、ある他者と出会ったことがきっかけではあるのですが、
>浴びるように自閉症スペクトラム/アスペルガー/高機能自閉症/ADD/LD
>に関するものを読んでいます。(ある他者とは、ある子どもです)。
はじめまして、シロさん。
私もこのBBSとであってから、むさぼり読んでいます。
>
>『ずっと「普通」になりたかった』(グニラ・ガーランド著、ニキ・リンコ訳)
>を読んだのですが、「人間たち」に配慮しないで言葉をつかっている幾つもの
>箇所を読み進めるうちに、安堵感やら、ある悔しさのようなものやらが心の底で
>じわじわと刺激されて、このBBSに書き込みをする気になったのだと思います。
>
私は姉のケルスティンの立場をグニラがどう見ていたのか、がわかって、すこしホッとしました。
『アスペルガー的人生』も、私にきっぱりと教えてくれるものがありました。
もっといろんな人の書いたものが読みたい、と思っています。
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