アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
ちょっと補足です。
こうもり wrote:
> また、全世界の大半の人が自分の敵だという受け取り方をされておりま
>すが、全世界のほとんどの人はLuluさんの存在を知らずに生きており
>、知っているのは身の回りの一握りの人だけです。そして、敵対すべきは
>身の回りにいて悪意ある行動をしかけてくる少数の人間なんだ、というこ
>とは指摘しておきましょう。あまり敵を広く捉えすぎない方がいいと思い
>ます。
つまり、現時点で明らかにLuluさんと面識があり危害を加えている
人がいるのであれば、その相手を特定して対抗処置(つまり法的手段)を
取っておく必要があります。しかし、特に面識や接触もないような人につ
いては、あまり視野に入れる必要はないと思われます。
シペラス wrote:
これは20年ぐらい前のアメリカで、実際にあったお話です。(トリイ・ヘイデン著 「ヴィーナスという子」より)
トリイさんとジュリーさんは、西海岸のある町の小学校の特殊教室で先生をしていました。そこに通ってくる子は、ラテン系・アフリカ系の貧困層の子で、LDやトゥレット障害などの問題を抱えていました。
クリスマス、トリイさんたちはクラスでクリスマス・パーティを開きました。
でも十分に説明をしなかったせいか、子どもたちは舞い上がって落ち着かなくなって、そのうちのシェーン君がマジックインクで自分の手を塗りだして、ジュリーさんが彼の手を洗いました。彼の手を拭くためのペーパータオルためのとりにジュリーさんが流しを離れたすきに、シェーン君は指を蛇口に入れて水をそこいらじゅうにばら撒きました、その上ジュリーさんが持ってきたペーパータオルも床にばら撒いてしまいました、更には「床を拭くの手伝って!」といったジュリーさんを残りのタオルではたきました。それでもジュリーさんは怒らずに、シェーン君の手を取って「自分の席に戻って、そこにあなたの好きなサンタさんの絵があるかどうか見てみましょう。おもしろそうでしょ」と、彼を席に着かせました。
パーティが終わる頃もう一つのアクシュデントが起こりました。H君今度は、トリイさんがビリー君からもらった陶器の猫の置物を、前に注意されたことを忘れて手にもった瞬間に、ずっこけてそれを床に落として割ってしまったのでした。ジュリーさんは、このときも彼を非難することなしに、「怖かったの?ただの事故よ。泣かなくてもいいのよ…なんでもないんだから。事故って起こるものなのよ。」となだめました。トリイさんは切れて、「なんでもなくないわよ!ビリ君が買ってくれたプレゼントだったのよ!」といいました。
放課後、トリイさんとジュリーさんは、シェーン君のことで議論しました。
トリイ:「あなたのやっていることは、気持ちの上で嘘をついていることだと思うのよ、ジュリー。あなたはああいう状況に対して、正直に反応してないわ。」
ジュリー:「どういうこと?」
トリイ:「私が言いたいのは、あなたはあの子が水を撒き散らしたときや、ペパータオルを投げ散らかしたときにも、あの子がちゃんと座っているときやお勉強しているときと同じように振舞っているってことよ。同じように愛情ぶかい・落ち着いた声を出しているわ。でもああいうときは同じ愛情ぶかい・落ち着いた気持ちにはなれないでしょ。水を拭き取るのを手伝わなきゃいけないのに、あの子がペーパータオルであなたを叩いたりしているときに。」
ジュリー:「いいえ、同じ気持ちよ。だって、私は愛情深く落ち着いた気持ちでいなければならないから。トリイ。私たちそういうふうにしなきゃいけないのよ。」
*****中略*****
トリイ:「これは善悪の問題に関係があるのよ!受容と寛容を示し、相手が自分自身に対していい気分でいられるようにすることが大切っていうことはわかっているわ。でも、こういう単純な真実は残るのよ。つまり、私達が積極的にことの善悪を教えなければ、子どもたちはそれを学ばないってってこと。どう振舞うか子どもたちに教えるのは、私たちの責任なのよ!あの子たちにはいい振る舞いと間違った振る舞いの違いを積極的に教えて、より良い振舞い方を見せてあげなければならないのよ。それが結局あの子たちがもっと幸せで、もっと充実した人間に育っていくことなのだから。」
ジュリー:「それって、あなたの意見でしょ。」
トリイ:「ええ、あたしの意見よ。それから、これがいい自尊心を育てるやり方立っていうのもあたしの意見なの。他の人が自分に対して肯定的に反応してくれるようなやり方で振舞えば、自分自身もっといい気分でいられるわ。自分の気持ちをコントロールできる感覚があれば、自分自身もっといい気分でいられる。自尊心というのは、いつもいいことばかりいわれるところから生まれるものじゃないわ。必要なときに同じ人が自分に対して厳しいことを言うんだという事を知らないでいて、どうしてそういういいことづくめの言葉に重みが持てるっていうの?自尊心っていうものは受身のものじゃないわ。積極的なものよ。自分の世界を自分のものにしたり、立派にやっていって、自分をうまくコントロールしたりしていく中から出てくるものなのよ。それなのに、どういう振る舞いをすればいいのか学ぶのに人が協力してくれなかったら、どうやってそういうものを獲得していくっていうの?」
ジュリー:「だけど、何が良くって何が悪いといえるわたしたちって、いったい何様だっていうの?あたしそういう価値判断をするのって、すごく居心地が悪いの。ことの善悪っていったい何なの、トリイ?あたしは神様じゃないわ、それなのにどうやってそれがわかるの?自分のこと神様のように思い上がりたくないわ。この国にはそうじゃなくてもすでに心の狭い人が大勢いるわ。あたし、そういう人の一人になりたくないの。わたしたちそんなことをする立場にないと思うの。価値観のことは教会が教えるべきなのよ、学校じゃなくてね。」
トリイ:「価値観のことはどこでも教えなければならないわ。」
ジュリー:「ええ、でも誰の価値観なの?私たちにそれを判断する権利はないわ。ここは雑多な子どもがいる学校なのよ。様々な文化を背負っているわ。民族的な背景も違う・宗教も違う・社会的経済レベルも違う。ここが問題なのよ、トリイ。私たちと違う生活をしている人たちのことを、私達が価値判断することなんてできないのよ。あたしはアフリカ系のアメリカ人じゃないし、ラテン系でもない。でも、この学校の子どもたちの大半はそういう文化圏の子どもたちよ。あたしは貧困層ではないし、発達が遅れているわけでもない。でもうちのクラスのほとんどはそういうグループに属しているのよ。」
トリイ:「それでも基本的価値というものはあるわ!肌の色や話す言語とは何も関係ない基本的な価値と言うものが。それからIQの高低やどれだけお金を持っているかなどとは何も関係ない価値が。人間としての価値観よ。その一つに、誰にでも人権があるっていうことがあるわ。どんなときでも、自分のやっていることが誰かの人権を奪っているとしたら、それは間違っている!」
ジュリー:「わかるわ。そのことには同意する。」
トリイ:「シェーンはビリーがあたしにくれたプレゼントを壊した。あなたは゛ただの事故だ”゛そんなつもりじゃなかったのよね”といった。悪気がなかったとしても、ああいうことをしてやるのはやっぱり間違ったことなのよ。あれはあの子のものじゃないんだから。そういってしまえば、あの子は気持ちいいかもしれないわ。でもあの子の道徳上の問題としては良くないわ。像を落としたことは、像の所有者であるあたしの権利を侵害したわ。だってあたしはもはや、あれを持つことができなくなってしまったのだから。それにビリーの権利も侵害していた。彼は、自分のお金を使ったのよ。あの子のプレゼントだったのよ。シェーンが゛そんなつもりがなかったというだけで、ビリーを傷つけるのは正しくないわ。」
ジュリー:「だけどあの子は本当にあんなことをやるつもりはなかったのよ。たまたまああなってしまっただけなのよ。それなのにどうしてあの子の自尊心まで壊してしまわなきゃならないの?あの子はすでにいっぱい問題を抱えているわ。あの子にはどうすることもできないような問題を。それなのにどうしてさらにあの子の気持ちを落ち込ませることができるの!?」
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
さてみなさんは、どちらの意見に「同情」しますか???
Luluさん wrote:
>実は、この事件の被害に遭ったのは、私が小学校1年生のとき(今から31
>年前)で、加害者(4名)も小学校1年生〜4年生でした。
>当事者が全員小学生ということで、単なるイタズラやいじめのように解釈
>される方も多数いらっしゃるでしょう。しかし、被害者にしてみれば、た
>だのイタズラでは済まされない事態です。小学生が犯人であるために、民
>事でないと訴訟は起こせませんし、その民事法廷でも加害者が「Luluが勝
>手に池に落ちた」と証言すれば、我々は完璧に泣き寝入りです。
ということは、その当時の小学生がASやADHDのことを知っていたと
は思えないので、障害のことを何も知らぬまま、悪意ある行動を取っていた
可能性が高いと思います。
ただ、わたしの言いたいこととしては警察に訴えたり,判に訴えたりす
るのは、相手を有罪にするというよりは、「こいつをなめてかかると何を
しでかすか分からない」という姿勢をはっきり打ち出しておくことにあり
ます。
1つ例を挙げますと、わたしの知り合いの親御さんの子供がいじめが原
因で不登校になりかけたことがありました。その時、その親御さんはいじ
めっ子の親といじめを止めなかった学校を裁判と人権擁護委員会に訴え、
地元の地方議員からも教育委員会に圧力をかけさせ、いじめっ子の親や学
校側から示談を求められても弁護士を通じてしか話し合いをせず、話し合
いの内容は全て録音テープに取るという徹底交戦を続け、いじっめ子の親
から謝罪を勝ち取り、学校側には査察と処分を与えることに成功しました。
かなり過激なやり方だとは思いますが、その子の様子を見ていると泣き
寝入りをさせられて不登校になった子供よりははるかに順調に回復してお
ります。人間はキレるべき時はキレておいた方がいいんだな、ということ
をつくづく痛感するエピソードです。
発達障害者の支援には、大きく分けて
(1)障害者本人を社会に適応しやすいように改造すること
(2)障害者が生きやすいように本人をとりまく環境を調整すること
の2つがあるのですが、上記のようなやり方は(2)の環境調整の一種と
考えることができます。
Luluさんが過去の辛い経験を変えることはもはやできません。しか
し、今後の参考として、他人から辛い目に遭わせられている場合は、自分
の障害のせいだとは思わず、ありとあらゆる手段を講じて自分の身を守り
ましょう。自分にひどい仕打ちをする人間がいれば、徹底的に証拠をかき
集めて、法的措置を取りましょう。
Luluさんのコメントを見ていると、むしろいじめやからかいを受け
続けているうちに無力感を植え付けられてしまい、どんな目に遭っても抵
抗できなくなってしまっていることに、問題の根があるように思えます。
また、全世界の大半の人が自分の敵だという受け取り方をされておりま
すが、全世界のほとんどの人はLuluさんの存在を知らずに生きており
、知っているのは身の回りの一握りの人だけです。そして、敵対すべきは
身の回りにいて悪意ある行動をしかけてくる少数の人間なんだ、というこ
とは指摘しておきましょう。あまり敵を広く捉えすぎない方がいいと思い
ます。
このレスを書くのが4度目。ピコっていいところで消えちゃう・・・
誰か、たすけて〜!(マウスが壊れているのでずっとスクロールのせい?)
でも、感謝を込めて、根性でかくからね〜(これが消えたらやめます)
あんく wrote:
> ばーこさんのお話を伺っていると、あらゆるところで我が父をほうふつとさせるものがありますね。まさかばーこさん、実は私の母だったっていうんじゃないでしょうね(笑)!
ぎゃははは・・・・・・同感です。そ〜っくり!
> ただし、「俺の周りのやつら、み〜んなバカばっかり!」とは、アスペルガー・タイプの人間同士の、まるで合言葉みたいなものではありますが、ただ、その裏には、「自分がまるっきり浮き上がってしまっている」という不安を、他者に向けて、怒ったり、必死に見下すことで、誤魔化しているということが、多分にあると思うんですよ。
素直にそういってくれたら、かわいいのに・・・
> それが“他者に対する攻撃性”に変じてしまい、ほんらい穏やかに切り出すべき場所で、やおらケンカ腰になってしまう、という事例が、我が父には数え上げたらまあ、きりがありませぬ。
気が弱くてデリケートですから、そとではおとなしいですが、家族特に私と息子にいきなり、ぶちぎれています。
> グリム童話の、『気のきくハンス』を、ぜひ一度ご参照ください。アスペルガー・タイプの人間の、融通の利かなさを、端的に現した、寓話でもあります。
はい。読むのがたのしみです。
> かんじんな時にはだまりこくっていて、まったくいらぬ時にいらぬ口を出す。これはAsタイプの、ほんとうに困った傾向で、おそらく本人が完璧にコントロールするというのは、ほとんど絶望的かもしれません。
> ただ、そういうところにばかり気をとられ、叱りつけ、恥じ入るといったことにエネルギーを使い切ってしまうよりは、本人の愛しているもの、大切だと思っているものに興味を持ってあげて(あるいは興味を持ったふりをしてあげて)、その話をじっくり聞いてあげるというのが、緘黙のあるご本人の場合、抵抗なくすんなりと口を開かせてあげるのには、最上だという気がします。
そうですね。夫がこの1ヶ月磨いている10円玉を見て
「綺麗なのは気持ちがいいわね」と言うのがやっと、でしたが・・・
>
> 「お前は親切」という、旦那様の皮肉(?)には、失礼ながらあんまり真面目に耳を貸す必要は、ないですよ。ご本人は、妻の手助けなしには、世の中と接点を持つことができないのを、重々承知のはずです。ただ、「通訳」をしてもらうというのは、本来ありがたいことのはずであるにもかかわらず、屈辱を感じてしまう、という場合もあることでしょうね。「ばーこは俺のこと、自分じゃ何もできない赤ん坊だと思っているのか!」と、日ごろ悔しく思っていることが、「お前は親切」という、せいいっぱいの“反抗”に、つながってしまったのでしょう。実際、おこちゃまなんですけどね(^_^;)。
> 旦那様はばーこさんの、自分に対する行いに対して、感謝すべきなのです。それでも、もし旦那様にAs傾向のない、健常だったとしたら、そもそもそういうことで介助してもらうことは、なかったはずなので、分かっていても納得いかないのでしょう。
なんか、私と夫のこと、すごくよくご存知ですね。
私はよしよししてもらってるようで、うれしくて泣けてきます。
笑ったり泣いたり、忙しい(^^; ありがとう。
あんくさんはお父さんの一番の理解者ですね。
> よそ見だったらまだしもね。私も時たま、相手をビビらせてしまうことがあり、それがどうも、その「直立不動でこっちに倒れてくるような目」を、してしまっているかららしいです。ばーこさんの旦那様も、ばーこさんに対してだけでなく、あちこちでやらかしている可能性大ですね。
プッ!ふきだすじゃ、ありませんか!そうなんですかぁ、あんくさんなら、ゆるしちゃうなぁ。
>しかしAsタイプの人間の動機は、それとは異質のような気がします。
性格の問題ではないようですね。真剣にうけとめたいです。
>
> 旦那様の視線を受け止めるのが、あまりに苦痛であれば、他の理由にかこつけて、自分からさりげなく目を逸らしてしまうのが、いちばんだと思います。理由についてなにも知らない本人は、もしかすると傷付いてしまうことがあるかも知れませんが。
> 「悪意」から来るものではないということを心得ておけば、それほど怖くはないと思う…というのは、同じ失敗を繰り返す私が言っても、説得力ないか?!
> 本人がAsを自覚して、診断を受け入れておれば、目線の配り方その他を、指導してあげることも可能なんですけれどね。
> 自分の欠点について、あれこれ指摘されると、すぐにヘソを曲げてしまうタイプには、目のことについては、あまり口で言わないほうが良いでしょうね。
あまりにも、私の想いにぴったりのレス・・・・、夫は私の視線に多分傷ついているような態度でした。
本当にありがとうございました。
ぱーこです、あ〜疲れた!!!!これで3度目のレス(途中でピコっといって掲示板に戻るんです・・・)
みなさん、ご意見ありがとうございましたぁ。もう、おかしくって、顔がニタってしまいました。な〜んだ、そうなんだぁ〜。夫だけじゃないんだぁ。
多数派、強者の理論で、今まで押し切っていたんですよ、私って。
そりゃ、視線恐怖の人もいる、目を合わせるのが苦手な人もいる。
でも、視線を合わせようと努力している人がいることに気がつきませんでした。
ごめんなさい、と思います。
同じものを並んで見ている、そんなときに、心の通じることがあります。
言いますよ,聞いてくださいよ、という時は目を見て話すし、
相手にも目を見てもらうことを当然としていました。
目を見なきゃ、話がわからないだろう、という思い過ごし・・・・
仕事柄、自閉症の子どもや若者と過ごすことがあって、
彼らは聞いてないようで、ちゃんとわかってるな、聞いてるな、感覚としてわかるようになりました。ドナのお蔭です。
あのぅ、もう一つ、夫のことで教えて欲しいんですが
せっかく作ったお惣菜を「いらん!」と吐き捨てるように言う(ように感じる)
私は『あぁ、今はほしくないからいいよ』という程度の反応を求める。
『娘からプレゼント贈ってきたわ、カード読んでみて』というと「読んだ」
『今日は私の誕生日なんだけど』「そう」
勿論、自分の部屋にいて、下をむいたまま、というか、雑誌を読んだまま。
ブツリブツリと途切れてしまう(会話をする気がない?)のです。
世間話、団欒、ということが大嫌いだそうですが・・・・
また、よろしくお願いします。
こんにちは、最近ワンマンショーの主役になってしまったLuluです。
あんく wrote:
> よそ見だったらまだしもね。私も時たま、相手をビビらせてしまうことがあり、それがどうも、その「直立不動でこっちに倒れてくるような目」を、してしまっているかららしいです。ばーこさんの旦那様も、ばーこさんに対してだけでなく、あちこちでやらかしている可能性大ですね。
> そういう人たちは、若い頃から、ことあるごとに「人と話をするときは、ちゃんとこっちの目を見て!」と、さんざっぱら注意を受けていて、視線を合わせようと努力はするのですが、どうしても不自然になるのは、ずばり「(人間の)目が怖い」からです。脳神経学の病理的な原因から来るものらしいですが、どうしてそうなるのか、くわしい答えは出ていないようです。
> でも考え方を変えれば、不自然なことではないんですよ。自然界では、捕食動物が獲物を睨むのは、「おまえを取って食う」というサインですからね。健常者は、Asのひとの強すぎる視線を見て、「私を取って食おうとでもいうのか」と、本能的な恐怖を感じてしまうのですが、As本人にしてみれば、向こうがちらっとでもこちらを見ようものなら、健常者よりさらに過敏に、視線に反応してしまうのです。
> 健常の赤ん坊や小さな子どもが、大人や周囲のものを、じ〜っと食い入るように見るのは、「この世がいったいどういう世界なのか、研究して、すこしでも自分に生きやすいように学習してやろう」という努力の現われです。しかしAsタイプの人間の動機は、それとは異質のような気がします。
もしかすると、私が第一印象で嫌われる原因というのは、私の視線なのでしょうか? この意見は、私が第一印象で敬遠される理由としては、一番的を射ているような気がします。
例えば、私が街角で女の人を見かけると、他の皆様と同様に顔よりも先にファッションのほうに目線が移ります。ただ、私の場合は顔を直接見ない分、視線が鋭くなっている場合もあります。
夏場なんかは、女性のファッションも露出面積が格段に広くなります。(キャミソールやタンクトップは大いに歓迎したいところですが)しかし、私は同時に痴漢の心配をします。
逆に、3〜4年前ほど、ロングスカートが流行っていたときは、札幌では平地でもスカートを引きずって歩いている人もいましたが、雨の日とか屋内とか大丈夫なのかという心配をしてしまいます。(余談ですが、ある日の札幌市営地下鉄では、南北線の電車が大通駅で女物のロングコートを引っ掛けて電車が発車できなくなったこともあったそうです。)
そういった「心配事」は、視線を観察していればすぐにばれてしまうでしょうね。
やはり人間の視線というのは、嘘をつかないのでしょう。
あんく wrote:
> 本人がAsを自覚して、診断を受け入れておれば、目線の配り方その他を、指導してあげることも可能なんですけれどね。
> 自分の欠点について、あれこれ指摘されると、すぐにヘソを曲げてしまうタイプには、目のことについては、あまり口で言わないほうが良いでしょうね。
そのためには、素直に評価してもらう必要があります。あんまり悪態を突いたような指摘では、誰だってへそを曲げてしまいます。
ペパーミント wrote:
>ぱーこさんの発言などを読んで、以前から知りたいと思っていたことを思い出しました。
>一般の人は、人と話すとき、ずーっと視線を合わせているのでしょうか? それだと疲れるというか接近し過ぎる感じがすると思うので、私は、ときどき目を逸らしてまた戻して目を合わせたりします。
>これで普通の人を演じているつもりですけど、どうなんでしょうか?
>何分くらいならじっと見つめるものなのでしょう?
私の場合は日本語で話す時は人の目を見て話が出来にくいんです。
アイコンタクトの問題は世間様の世界に『滞在している』時に挨拶代わりによく言われました。
が、キャバクラ嬢時代、むかつく客には手話で会話したり、外国語で会話したりしました。その時は相手の目を見て話をしましたよ。外国語や簡単な手話となると“普通”の日本語で話している時よりは長時間相手の顔や目を見て話が出来るんですよ。英語を勉強していた時、コラムに会話する時は相手の目を見て話すと言う事が書かれていたのです。そのコラムをデータ登録したので、外人との会話は相手の目を見て話が出来ましたよ。手話も相手の顔を見て手話で会話する事とデータ登録しているので何故か相手の目や顔を見て会話出来るんです。“普通”の日本語になるといまだに相手の目や顔を見て会話出来ないんですよ。時代劇の影響でしょうかね、相手の顔を見て会話しないと言うデータが出来上がったのは。
Lulu wrote:
>こんにちは、Luluです。
>
>ペパーミント wrote:
>>一般の人は、人と話すとき、ずーっと視線を合わせているのでしょうか? それだと疲れるというか接近し過ぎる感じがすると思うので、私は、ときどき目を逸らしてまた戻して目を合わせたりします。
>>これで普通の人を演じているつもりですけど、どうなんでしょうか?
>>何分くらいならじっと見つめるものなのでしょう?
>
>私も、人の顔を見て話をすることができません。対人恐怖症状態です。(かなり深刻です)いじめのトラウマが原因なので、おそらく「ペパーミント」様よりはるかに深刻でしょう。
>メールやチャットなら、かなり大胆な発言も次々飛び出すほどですが、人の顔があると、テレビ電話やテレビ会議でも「青菜に塩」です。これじゃ、親の過保護を振り払ってアクションを起こそうとしても、八方塞でしょうか? やっぱり、こればかりはカウンセリングでないと解決できないでしょう。
僕もディケアの仲間から、よく「視線を合わせてね」と言われます。また僕は『聞こえない人』の言語である手話を習っているのですが、講師役の聞こえない人から、よく「話しているときは、相手の顔を見て!」といわれてしまいます。
なぜこうなるのかと言えば、自分の声や手話の表現を表出しようとしたときに、脳の注意の配分が、口や手を動かすことに著しく傾いてしまって、『見よう』という意識がそがれるからです。特に大人数を前に話さなくてはならないときは、注意して見ていられる範囲がグーっと狭くなってしまいます。またどちらかと言えば、僕の場合、『相手の気持ち=声で耳か入ってくるもの』という感じなので、相手の話を良く聞こうとすると、やはり聞くというほうに集中したいということになって、自然と下を向いてしまいます。
こんにちは、Luluです。
ペパーミント wrote:
>一般の人は、人と話すとき、ずーっと視線を合わせているのでしょうか? それだと疲れるというか接近し過ぎる感じがすると思うので、私は、ときどき目を逸らしてまた戻して目を合わせたりします。
>これで普通の人を演じているつもりですけど、どうなんでしょうか?
>何分くらいならじっと見つめるものなのでしょう?
私も、人の顔を見て話をすることができません。対人恐怖症状態です。(かなり深刻です)いじめのトラウマが原因なので、おそらく「ペパーミント」様よりはるかに深刻でしょう。
メールやチャットなら、かなり大胆な発言も次々飛び出すほどですが、人の顔があると、テレビ電話やテレビ会議でも「青菜に塩」です。これじゃ、親の過保護を振り払ってアクションを起こそうとしても、八方塞でしょうか? やっぱり、こればかりはカウンセリングでないと解決できないでしょう。
こんにちは、Luluです。週末出張のためレス遅れてすみません。
ayu wrote:
>便乗して、私が読んだ本で役に立ちそうな本を、、、
>
>「ママ・ファクター」 ヘンリー・クラウド著 講談社
>母親のタイプを6種類に分けて、子供が受ける影響と
>それにどう対処していけばいいか、
>自助グループによる回復などがあげられています。
>
>「愛情という名の支配」 信田さよ子 新潮OH!文庫
>安心して成長できない環境(機能不全家族)で
>育った子供達が共通して抱えている問題と傾向、
>解決策が述べられています。ACとアディクションの治療で
>有名な信田さよ子先生の著作で、分かりやすく
>さくっと読めます。
>
>「内 観--こころは劇的に変えられる--」長島美稚子・横山茂生著 法研
>全国60ヶ所以上の刑務所で実施され、効果をあげている内観療法に関する
>書籍です。
>北陸内観研修所の長島美稚子さんと川崎病院精神科部長の
>横山茂生先生による著作で、内観療法関係では一番分かりやすく
>さくっと読めます。
>内容は、「「内観」は誰でも簡単にできる」「無気力で弱い自分を乗り越えた青年」「会社での人間関係を改善する」「内観法でどんな心理変化が起きるのか」「内観法が有効な病気」「自宅で実践・内観テクニック」など。
>内観は一番早く効果が現れる心理療法だと私は思います。
情報提供ありがとうございました。
ayu wrote:
>何か行動や決断をするときに、
>何々したいんですけど って人に同意を求める傾向ありませんか?
>何々します って言い切って、人に同意を求めずに行動したほうが得することが多いですよ。
>(中略)
>今大事なのは、考えてるだけじゃなくて、ちょっとずつ行動に移していくことじゃないかと思います。
確かにそのとおりでしょう。
私も、8年前に運転免許を取得したばかりのときは、通勤経路以外なるべくドライブするな、と母から言われていました。そんなある日、室蘭市内のとある病院で、同僚の結婚披露宴で私一人だけが招待されないという事件がありまして、ストレス解消のはけ口がなかった私は、思い切って室蘭から長万部まで往復252kmを助手席に誰も乗せないでドライブしました。途中、礼文華峠(長万部に向かって進行方向左手が高さ200mの崖になっており、崖下は内浦湾という個所がある)といった難所もありましたが、無事帰還しました。私が車の運転に自信が持てるようになったのは、このときの「はじめてのおつかい」ならぬ「はじめてのドライブ」がきっかけでした。おとなしく通勤経路ばかり走っていたのでは、今のように腕に自信は持てなかったでしょう。
これが車の運転ばかりでなく、人間関係にもそのまま適用できれば、私もそれほど苦労はしないのでしょうが…。
LINUX(注)を初めにつくったリーナスは、少なくとも書き言葉を通したとき、「やわらかなAS」という感じがしませんか。彼の書いているものを読んでいると、30歳ぐらいから、生きやすくなっているような感じがするけれど。
(注)
LINUXとは、コンピュータの基本ソフト(OS)。日本語での呼び方は、リナックス/ライナックス/リヌクス。リーナス・トーバルズ(1969年、フィンランド生まれ)。『それがぼくには楽しかったから−全世界を巻き込んだリナックス革命の真実』(リーナス・トーバルズ+デイビッド・ダイヤモンド著、風見潤訳、中島洋監訳、小学館プロダクション、2001.5)
こんにちは、Luluです。
こうもり wrote:
>Luluさん wrote:
>
>>確かにそのとおりなのでしょう。過去に私がいじめられた原因も、どちらか
>>と言うと面白半分のケースがほとんどでした。
>>しかし、そのために、私は真冬の室蘭で最高気温が-7℃の日に(室蘭では最
>>高気温の-7℃は、強風のため体感温度-15℃)、氷の張った池に突き落とさ
>>れるという「殺人未遂事件」の被害にまで遭っているのです。
>>こういったことがトラウマとなって、面白半分のいじめも全て悪意だと解釈
>>するようになってしまったものです。
>
> ええと、Luluさんに危害を加えた連中が悪意を持っていたことは間違
>いないだろうと思います。仮にわたしが似たような目に遭ったとしたら、人
>権擁護委員会か警察のどちらかに訴えて、事態を打開したと思います。(自
>分も仕事を失うかもしれないが刺し違えるぐらいの覚悟で。念のために断っ
>ておくが、本当に刃物で刺し違えるつもりはない)
>
> ただし、その連中がLuluさんがASやADHDであることを知ってい
>て、そのうえでそういうことをしたとも思えないのです。そもそも、そうい
>う障害を理解するだけの理解力も洞察力を持ってもいなかったのではないで
>しょうか?
>
> Luluさんがその連中にASやADHDであることを公表していたので
>あれば話は別ですが。そういう意味でASやADHDの人に悪意を持ってい
>ることと、Luluさんに個人的に悪意を持っていることでは問題の意味も
>解決の方法も変わってきます。
実は、この事件の被害に遭ったのは、私が小学校1年生のとき(今から31年前)で、加害者(4名)も小学校1年生〜4年生でした。
当事者が全員小学生ということで、単なるイタズラやいじめのように解釈される方も多数いらっしゃるでしょう。しかし、被害者にしてみれば、ただのイタズラでは済まされない事態です。小学生が犯人であるために、民事でないと訴訟は起こせませんし、その民事法廷でも加害者が「Luluが勝手に池に落ちた」と証言すれば、我々は完璧に泣き寝入りです。
こういった事件があり、当時通っていた小学校(当時児童数約700名)のほぼ全員を敵に回していたような状況だったので、この様子では、室蘭市の人口10.2万人のうち10.1万人までが、北海道の人口570万人のうち569万9千人までが、日本の人口1億2600万人のうち1億2599万9千人までが、世界人口61億のうち60億9999万9千人までが、という不愉快な想像は、展開としては不自然ではないでしょう。だから、どうしても自分のほうからはたとえ職場の同僚であってもアプローチをかけられないのであります。
Luluさん wrote:
>確かにそのとおりなのでしょう。過去に私がいじめられた原因も、どちらか
>と言うと面白半分のケースがほとんどでした。
>しかし、そのために、私は真冬の室蘭で最高気温が-7℃の日に(室蘭では最
>高気温の-7℃は、強風のため体感温度-15℃)、氷の張った池に突き落とさ
>れるという「殺人未遂事件」の被害にまで遭っているのです。
>こういったことがトラウマとなって、面白半分のいじめも全て悪意だと解釈
>するようになってしまったものです。
ええと、Luluさんに危害を加えた連中が悪意を持っていたことは間違
いないだろうと思います。仮にわたしが似たような目に遭ったとしたら、人
権擁護委員会か警察のどちらかに訴えて、事態を打開したと思います。(自
分も仕事を失うかもしれないが刺し違えるぐらいの覚悟で。念のために断っ
ておくが、本当に刃物で刺し違えるつもりはない)
ただし、その連中がLuluさんがASやADHDであることを知ってい
て、そのうえでそういうことをしたとも思えないのです。そもそも、そうい
う障害を理解するだけの理解力も洞察力を持ってもいなかったのではないで
しょうか?
Luluさんがその連中にASやADHDであることを公表していたので
あれば話は別ですが。そういう意味でASやADHDの人に悪意を持ってい
ることと、Luluさんに個人的に悪意を持っていることでは問題の意味も
解決の方法も変わってきます。
>私には、この感覚は理解できません。
>日本国民1億2600万人のうち、1億2599万9千人までが私のことをいじめる
>のではないのか、という疑心暗鬼を抱いたことのある人間には、どうして
>も「バカ」呼ばわりされることイコール「いじめ」に近いものがあるので
>、面白半分での付き合いが、ただ遊ばれること以外に解釈できません。
ここはわたしの分身である蝙蝠(悪魔型)氏の意見を書きこんでおきま
す。
「賢イカ、愚カカ?正常カ、異常カ?マトモカ、狂ッテイルカ?アラユ
ル価値判断ハ論理的ニ成リ立タナイ。マズハ、コレガ我ニトッテノ真理ナ
リ。次ニこうもりニトッテノ真理。例エバ、非きりすと教徒ガきりすと教
徒カラ「異教徒め」トカ「背教者め」ト罵倒サレテモ無意味デアル。ソノ
人ハソモソモきりすと教ヲ信ジテイナイノダカラ。コレラノ侮辱ガ成リ立
ツノハ、同ジきりすと教徒同士ノ間ノミデアル。同ジコトデ、「馬鹿」ト
カ「気違イ」トイウ言葉ガ侮辱表現トシテ成リ立ツノハ「賢い」トカ「正
常である」という価値観ヲヨシトスル価値観を持ツ人々ノ間デダケデアロ
ウ。こうもりノヨウニ「賢い」トイウ価値判断を疑イ、「正常デアル」ト
イウ他者ノ評価ニ嫌悪感ヲ覚エルヨウナ種類ノ人間ニ「馬鹿」ヤ「気違い
」トイウ表現ハ、侮辱トシテ成リ立タヌ。」
ひとまず、わたしの立場は以上の通りです。要するに、子供の頃に馬鹿
だおかしいと侮辱されているうちに「賢い」とか「まとも」だとか評価そ
のものに疑いの目を向ける癖が身についてしまったのです。そんな訳で、
わたしは他人から「馬鹿」とか「おかしい」と言われても、「そうだけど
、それが何か?」という感情しか湧いてこないのです。
ともあれ、LuLuさんが何らかの被害に遭われたのは事実。その場合
は、ASやADHDが馬鹿だと思われているかどうかを悩むよりは、法律
に触れない範囲で対抗措置を取っておかれた方が適切だと思います。現在
、具体的な被害に遭われているのであれば、人権擁護委員会に救済申し立
てをするもよし,裁判所に告訴するもよし。もし、その連中がLuluさ
んの障害を知った上で加害行為を行なっているのであれば、「障害者に対
する人権侵害だ」という訴え方をするのもある程度効果があります。
(結論)
加害行為を受けている時は、ひどい目に遭う理由を探すよりも自分の身
を守ることを優先させよう、というのが原則です。時々、見かけるのは、
職場でいじめを受けるのは障害のせいなのではないかと思って診断を望む
ケース。むろん、その本人がASやADHDである可能性はあるのですが
、その場合は診断よりもまず法的措置を優先させた方がよさそうです。
ぱーこさんの発言などを読んで、以前から知りたいと思っていたことを思い出しました。
一般の人は、人と話すとき、ずーっと視線を合わせているのでしょうか? それだと疲れるというか接近し過ぎる感じがすると思うので、私は、ときどき目を逸らしてまた戻して目を合わせたりします。
これで普通の人を演じているつもりですけど、どうなんでしょうか?
何分くらいならじっと見つめるものなのでしょう?
こんにちは、Luluです。#13194の訂正とお詫びです。
Lulu wrote:
>私はもう過保護でがんじがらめにされるのはもうたくさんだ、と言おうとしてここを訪れたのですが、いろいろ書きなぐっているうちに、恋をさせてもらえないことを恨んでいるような口調になっていました。ただ、いくら私が肥満体だから、無精髭を残しているような不潔人間だから、AS×ADHDだからといっても、これらの該当者でも恋愛に成功している人がいる以上、説得力はないと思います。
(正)私はもう過保護でがんじがらめにされるのはもうたくさんだ、と言おうとしてここを訪れたのですが、いろいろ書きなぐっているうちに、恋をさせてもらえないことを恨んでいるような口調になっていました。ただ、?いくら私が肥満体だから、?無精髭を残しているような不潔人間だから、?AS×ADHDだから、といっても、これらの該当者でも恋愛に成功している人がいる以上、親の意見に説得力はないと思います。
ぱーこさん wrote:
>夫に別れ話を出したら「なぜお前は親切なんだ?」と言われたことです。
>親切というのは、他人に対してすることで、家族に対しては使わないと思っていますが、どうでしょう?
>気持ちは湧いてくるもの、それが夫にはわからない、と言いました。
ばーこさんのお話を伺っていると、あらゆるところで我が父をほうふつとさせるものがありますね。まさかばーこさん、実は私の母だったっていうんじゃないでしょうね(笑)!でも母は貴女とは異なり、おそらく自覚のない As か ADD なんだよな。
私の父はといえば、特に集団の中にいると、なかば呆けたような表情で、まったくの貝になっちゃいます。母に言わせれば、「あの人、いつもなんか冷めちゃってるのよ」だそうですが、それ以外にも、まず健常である人々に話を合わせることができない、話の流れについてゆけない、たとえついてゆけなくとも、適当に表面上話を合わせるふりでもして、気にせず流しちまえばよい、人は人、自分は自分なのだから、という、“暗黙の社会的ルール”に、まるで欠けてしまっているか、うすうす気付いてはいても、「俺はそのような低次元の感覚に付き合うつもりなどない!」と、あくまで意地はっちゃうとか、そうした態度が、まわりの「冷めている」という評価に、つながってしまっているのでしょうね。
ただし、「俺の周りのやつら、み〜んなバカばっかり!」とは、アスペルガー・タイプの人間同士の、まるで合言葉みたいなものではありますが、ただ、その裏には、「自分がまるっきり浮き上がってしまっている」という不安を、他者に向けて、怒ったり、必死に見下すことで、誤魔化しているということが、多分にあると思うんですよ。
それが“他者に対する攻撃性”に変じてしまい、ほんらい穏やかに切り出すべき場所で、やおらケンカ腰になってしまう、という事例が、我が父には数え上げたらまあ、きりがありませぬ。まったく、はたで見ていて冷や冷やするわ、ハラハラするわ、腹が立つわ、情けないわで、昔っから、一緒に行動していると、100%必ず、疲れさせられますね(T_T)。もちろん忠告しても、場面場面の応用が利かないらしく、まったく学習してはもらえません。
グリム童話の、『気のきくハンス』を、ぜひ一度ご参照ください。アスペルガー・タイプの人間の、融通の利かなさを、端的に現した、寓話でもあります。
> 夫=無口=神秘的=考えている=賢い人。何も言わずに、すべてを許してくれるのかと、錯覚しました。
> どんな人なんだろう?という興味。
> それから、私の場合、「人は付き合って見ないとわからない」タイプなのです。
>話せば理解できるか、あわないかが、わかる、ということですが。
>それから、私が話したい、聞いてもらいたい、相手のことも聞きたいと思う。
> 最近、私は無口です。無口になってみると、相手が私にしゃべらせようと、話題を振ってくる時の微妙な感じをつかむことができますね。
>自分もそうしていたのだなぁ、と反省しております。
>沈黙は金。な〜んてね。
父の場合は、父自身が興味をもっていること、趣味嗜好に関して、なにか質問を振ったりすると、かなり口を開いてくれるようになります。そういったなかで、「えっ、そんなことが好きだったんだ!私の父が!」と、まったく意外な側面を、かいま見せてくれることがあります。
まさか父が、ギリシャ・ローマ神話について、深い興味を持っていたなんて、夢にも思わなかったしな。あとは歌舞伎も大好きで、たまに母と観劇にゆくのですが、驚いたことに、父は演目のセリフを丸暗記しており、それはいいけれど演技が行われている真っ最中に、次のセリフを母の耳元でしゃべり出してしまうので、かんじんの芝居の楽しさが半減だ、と、母は嘆いておりました。もっと困ってしまうのが、客席から「○○屋っ!」などと、馴染み客が屋号を飛ばすのを聞きつけると、「(そういう一般の客と、お得意様を差をつけようとするなんて)イヤラシイよな〜」などと、周囲に聞こえよがしに耳打ちしてくるものだから、いたたまれなくなる、とも母は申しておりました。
かんじんな時にはだまりこくっていて、まったくいらぬ時にいらぬ口を出す。これはAsタイプの、ほんとうに困った傾向で、おそらく本人が完璧にコントロールするというのは、ほとんど絶望的かもしれません。
ただ、そういうところにばかり気をとられ、叱りつけ、恥じ入るといったことにエネルギーを使い切ってしまうよりは、本人の愛しているもの、大切だと思っているものに興味を持ってあげて(あるいは興味を持ったふりをしてあげて)、その話をじっくり聞いてあげるというのが、緘黙のあるご本人の場合、抵抗なくすんなりと口を開かせてあげるのには、最上だという気がします。
> でも、私が無口なのは、ショックからですね。
> 夫のことをASだろうと思うと、今まで「きっと考えてくれてる」「理解している」「喜んでいるはず」などと思ってきたことが、ガラガラと崩れていきました。
> ひとり相撲だった・・・・・・。
> 親切の押し売りをしていたのかなぁ・・・・・
「お前は親切」という、旦那様の皮肉(?)には、失礼ながらあんまり真面目に耳を貸す必要は、ないですよ。ご本人は、妻の手助けなしには、世の中と接点を持つことができないのを、重々承知のはずです。ただ、「通訳」をしてもらうというのは、本来ありがたいことのはずであるにもかかわらず、屈辱を感じてしまう、という場合もあることでしょうね。「ばーこは俺のこと、自分じゃ何もできない赤ん坊だと思っているのか!」と、日ごろ悔しく思っていることが、「お前は親切」という、せいいっぱいの“反抗”に、つながってしまったのでしょう。実際、おこちゃまなんですけどね(^_^;)。
旦那様はばーこさんの、自分に対する行いに対して、感謝すべきなのです。それでも、もし旦那様にAs傾向のない、健常だったとしたら、そもそもそういうことで介助してもらうことは、なかったはずなので、分かっていても納得いかないのでしょう。
> あのぅ、夫以外のひととは、目で話をする、ということがよくありますが、
>夫の目は「はとが豆鉄砲」か、よそをみているか、です。
>見詰め合う、ことはなくて、目を見て話す、でもなく、
>瞳孔が全部開いているような、後ずさりしてしまうような、目で見ます。
>直立不動でこっちに倒れてくるような、そんな目です。
>そんなとき、目をそらしたくなるのですが。どうしたらよいでしょう?
よそ見だったらまだしもね。私も時たま、相手をビビらせてしまうことがあり、それがどうも、その「直立不動でこっちに倒れてくるような目」を、してしまっているかららしいです。ばーこさんの旦那様も、ばーこさんに対してだけでなく、あちこちでやらかしている可能性大ですね。
そういう人たちは、若い頃から、ことあるごとに「人と話をするときは、ちゃんとこっちの目を見て!」と、さんざっぱら注意を受けていて、視線を合わせようと努力はするのですが、どうしても不自然になるのは、ずばり「(人間の)目が怖い」からです。脳神経学の病理的な原因から来るものらしいですが、どうしてそうなるのか、くわしい答えは出ていないようです。
でも考え方を変えれば、不自然なことではないんですよ。自然界では、捕食動物が獲物を睨むのは、「おまえを取って食う」というサインですからね。健常者は、Asのひとの強すぎる視線を見て、「私を取って食おうとでもいうのか」と、本能的な恐怖を感じてしまうのですが、As本人にしてみれば、向こうがちらっとでもこちらを見ようものなら、健常者よりさらに過敏に、視線に反応してしまうのです。
健常の赤ん坊や小さな子どもが、大人や周囲のものを、じ〜っと食い入るように見るのは、「この世がいったいどういう世界なのか、研究して、すこしでも自分に生きやすいように学習してやろう」という努力の現われです。しかしAsタイプの人間の動機は、それとは異質のような気がします。
旦那様の視線を受け止めるのが、あまりに苦痛であれば、他の理由にかこつけて、自分からさりげなく目を逸らしてしまうのが、いちばんだと思います。理由についてなにも知らない本人は、もしかすると傷付いてしまうことがあるかも知れませんが。
「悪意」から来るものではないということを心得ておけば、それほど怖くはないと思う…というのは、同じ失敗を繰り返す私が言っても、説得力ないか?!
本人がAsを自覚して、診断を受け入れておれば、目線の配り方その他を、指導してあげることも可能なんですけれどね。
自分の欠点について、あれこれ指摘されると、すぐにヘソを曲げてしまうタイプには、目のことについては、あまり口で言わないほうが良いでしょうね。
こんにちは、Luluです。週末出張のため、レス遅れてすみません。
みどり wrote:
>ひとつ質問ですが、Luluさんの目的は、互いに独立した大人として自分の人生を生きることですか?
>それとも、お母さまに反省してもらうことの方が主目的ですか?まるで復讐するみたいに。
>Lulu さんの投稿を読んでいると、どちらが目的なのかよくわからなくなってきます。
私はもう過保護でがんじがらめにされるのはもうたくさんだ、と言おうとしてここを訪れたのですが、いろいろ書きなぐっているうちに、恋をさせてもらえないことを恨んでいるような口調になっていました。ただ、いくら私が肥満体だから、無精髭を残しているような不潔人間だから、AS×ADHDだからといっても、これらの該当者でも恋愛に成功している人がいる以上、説得力はないと思います。
もちろん、自分を磨くことが必要なのは火を見るよりも明らかですが、恋愛以外でもなんでもかんでも反対するというのは、子どもをがんじがらめに縛り付けようとしていることの証拠に他ならない、そう考えるとただの悩み相談のはずが自分の親の過保護に対する不平不満のオンパレードになってしまうのであります。
私はもちろん親の過保護から解き放たれて独立したいですが、どう考えても私の親の過保護が尋常なレベルでないので、それだけは、反省までに至らなくても認識くらいはして欲しい、それが本音です。
みどり wrote:
>「捨てられた」についてですが、「普通の親子」であれば、39歳になれば子供はもう結婚して孫を育てていて、親元からは独立しています。きっとお母さまが39のときにはもうLuluさんを育てていたことでしょう。
そのとおりです。私の母が39歳のときは、私はもう既に高校生でした。
みどり wrote:
>人は役割を与えられると、無意識にその役を演じるようになるそうです。
>Luluさんはお母さまから「保護すべき弱い子供」としての役割を与えられていて、長年毎日そう扱われているうちに、知らずにそういう振る舞いしかできなくなっているのだと思います。
>離れて、「立派に成人した息子が遠くから年老いた母を気遣っている」という役割になってみたらいいんじゃないでしょうか。
>自分が変わってからじゃないと相手を変えるのは難しいと思います。
ビンゴです。だから友達づきあいでもずいぶん横槍を入れられました。例えば、ある人は「Luluのことを自分の都合がいいときだけしか利用しない人間だから、付き合わないほうがいい。」とか、「陰では人の悪口を平気で言う人間だから、Luluだって何されるかわからない。」とか、etc.
私の遠縁の親戚に、「美人局(つつもたせ、と読みます)」みたいな女に引っ掛けられて、暴力団から\700万も慰謝料をふんだくられたという人がいまして、そういった話は私はよく聞かされましたが、弟はこういった事件があったことは全く知りません。(女のほうから勝手に接近して交際しているうちに、暴力団から「オレの女に手を出すな」といって慰謝料をふんだくられたそうで、この恐喝男は結局は警察に捕まったそうですが、\700万の大損でした)
そうこうしているうちに、私自身も安心して人付き合いができなくなり、こちらから接近することなど、完璧に不可能な状態です。
役割といえば、私の母が私から離れようとしないのは、父(夫)を失った悲しみを今でも引きずっているため、夫の役目の一部を私に求めているのかもしれません。
確かに、毎日22:00に息子に電話をかけるというのは異常でしょうが、夫を失った寂しさを紛らわそうとしていたことは事実でしょう。(そのためにこちらはえらい迷惑を被っていますが)
あまり夫婦水入らずで旅行したことがなく、夫婦では心休まることがなかったほどDVにも悩まされていたので、DVを働かない私には、夫に求められなかったものがこちらに回ってくるのもごく自然なような気がします。
ところで私は、医師の指示で(高血圧の他に、脂肪肝を指摘された)今週日曜日(7/7)からダイエットを始めましたが、ダイエットの効果が現れたときに、親も含めて周囲がどのように反応するのか、興味があります。
こんにちは、Luluです。
私は料理に関しては素人ですが、…
シペラス wrote:
> そこで、豆腐コーナーの『標準的な・一般的なサイズ』の豆腐の一丁の目方(内容量)を、幾つか調べてみると、一見するところ形が異なっているのに同じ300gだったり、反対にほぼ同じサイズなのに一方は300g、もう一方は340gというのもありました。
> 『一丁』という単位が古くから使われていることから考えると、もともとは大体これくらいの目方ということが、決まっていたはずです。豆腐というのは、切り売りしていましたから…それとも体積なのでしょうか?
豆腐には「木綿豆腐」「絹ごし豆腐」という2種類があることは皆様もご存知だと思います。木綿豆腐のほうが水分が少ない分、同体積では絹ごし豆腐より重くなります。
また、同じ種類の豆腐でも、メーカーによって体積や比重にばらつきがあるので、40gの差は当たり前でしょう。最近は機械で切り分けているので、同一メーカーで重量のばらつきは少ないですが、メーカーが違えば重量差は当然発生します。
間違っていたらごめんなさい。
こんにちは、Luluです。週末出張のため、レス遅れました。
あんく wrote:
> 「ひとりになって、自分の自由時間を持ちたい」などという、動機も目的もはっきりしない状態で、「生き馬の目を抜く」都会のひとり暮らしを始めようものなら、その生活は、まず、破綻します。でなければ逆に、親御さんとふたり暮らしだったときと、まるっきりなにひとつ、変わり映えしない生活がべったらこべったらこ、延々と続くばっかりか、どちらかですわな。
ビンゴです。実際、私が北大へ通っていたときは、いくら交通が便利になったとはいっても、電車(エル特急)で片道1時間10分、自動車でも高速道路経由で1時間30分という環境ですので、札幌市内で下宿生活を余儀なくされました。ところが現役で合格した3ヵ月後に持病の先天性股関節脱臼が悪化して突然歩けなくなり、人間関係も悪く疎外感に悩まされたこともあって、引きこもり状態になりました。(この結果、北大は3年で中退した)
あんく wrote:
> アスペルガー症候群のひとというのは、物事のことはじめに対する「動機付け」というものが、非常にあやふやで、下手くそな人のことでもあります。そのくせ衝動的で、なにものもとりあえず都会へ飛び出したはいいものの、故郷にいた時代でさえうまくいかなかった人間関係が、解決するはずもなし、まして年齢のことで、就職のさい、どうしようもない壁の存在を思い知らされることになるのは、火を見るより明らかなんです。
確かに、北大を無事卒業できたとしても、私のように過保護で育てられたケースは人間づきあいがうまくできないので、社会に出ても成功していたかどうか疑問です。
あんく wrote:
> まかり間違って、ひとり住まいのアパートに、ひっきりなしに訪れる、胡散臭い宗教やナンたら商法のウソを見破れず、身ぐるみ持ってかれた挙句、故郷にも帰るに帰れなくなって、男ならいいとこピンク産業の看板持ちか、暴力団のテッポー玉で一生を終えるといった、まことにしまらない運命を辿る人は、現実問題、後を絶ちませんよ。ばーこさんのおっしゃるとおり、「自分の人生は自分のもの」を考えるならば、それもまたよしと言えるのかも知れないけれども。
私が北大に通っていたときは、統一教会(ご存知でしょうか?)の回し者が学内を徘徊しており、うその住所を教えたにもかかわらず私の下宿に押しかけてきたこともありました。(これは、住所がうそであることを確かめるために押しかけたのではなく、偶然下宿の近所を回っていたときに不意に顔を合わせた)
統一教会が今のオウム真理教(アレフ)みたいに人格をめちゃくちゃにするというので、絶対誘いに乗らないように、とアドバイスしてくれる人も多数いましたが、知らず知らず統一教会に入信させられた人もいたそうです。私は統一教会はパスしましたが、外出も安心できないほど付きまとわれました。
あんく wrote:
> それに、「一生離れて暮らす」ということばっかり考える必要もないんですよ。
私は、結婚しても親と同居するつもりです。新しい家庭を持った後に、先輩としていろいろアドバイスをもらうほうが心強いでしょう。
あんく wrote:
> 親の了解を得るんじゃないんです。
> 親を納得させることが「大人」なのであります。
さて、どういうふうに納得させましょうか? それが目下最大の問題です。
あんく wrote:
> これらの話がまだよく飲み込めず、ただの一歩も踏み出せないようなら、やはり都会はあなたを呼んではいないのでしょう。このまま故郷で、年老いたご母堂とふたり、片寄せあって暮らしてゆくのが、やはりLuluさんらしいのかも知れません。嫁さんだって、故郷室蘭でお探しになればよいのだしね。
もしかすると、母の取り越し苦労は、私に夫の(母から見て)役目も期待しているのかもしれません。現に、親子で一緒に歩いていても、私の母(現在61歳)が外見では50歳ぐらいにしか見えないので、夫婦と間違われることがあります。それに、私の父は母とけんかばかりしていましたし、母を奴隷扱いすることもしばしばで、夫婦水入らずの環境でも心が休まらなかったそうなので、父が果たしてくれなかった「夫役」の一部を私に求めるのは自然かもしれません。
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