アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
ぱーこ wrote:
>以前、親戚の人が夫の勤務先に入院したことも、相手からお礼の電話があるまで、私は知りませんでした。
入院したと言う事実は患者のプライバシーですから、それを病院外の人に勝手に伝えてしまうのは問題があります。
ぱーこさんと患者さんが知り合いなら、なおさらです。
>
>(2)「障害と付き合いながら生きていくことによって、その障害
> 者特有の個性が発生する可能性はある」という立場
>
障害の受容の最終段階は、究極的に考えると、この言葉を信じられるようになることだと僕は思う。
発言A「障害ではなく個性として捉えてほしい。」
発言B「こんなに辛い目に遭っているのに、どこが個性なんだ!」
発言C「君の障害は既に個性の範疇に入っている。」
この世界(どの世界だ?)と関わっていると、上記の一連の発言
をよく耳にします。しかし、多くの論者が障害と個性という言葉を
違う意味で捉えていたり、障害と個性の関係の捉え方が違っている
ために、わたしなどはけっこう混乱しております。そんな訳で、こ
の問題がなぜわたしには分かりにくいのか、自分なりに整理してみ
たいと思います。わたしが気がついていないポイントがあったら、
どんどん指摘してくださいまし。
加えて、現時点での私見なども述べていくここにします。
(自然的個性と習得的個性)
この問題の分かりにくさの1つに「個性」という言葉の二義性が
あります。例えば、障害とは関係ありませんが、17才問題が発生
していた頃、日本人のしつけの減退を問題視する論者からは、「甘
やかすことを個性と履き違えている親が多い」という意見が出され
ていました。この論者の言っていることが正しいかどうかは別とし
て、「個性」には「その人のあるがままの状態」という意味と、「
教育,社会化された上で、身についていくもの」という意味の2つ
が含まれているようです、ここでは便宜的に前者を「自然的個性」
,後者を「習得的個性」と呼んでおきましょう。考えてみると、発
達障害の支援関係者がわたしに対して「君のは個性だ」という場合
、人によってどちらの意味で個性だと言っているのかは違っており
ました。例えば、ある支援関係者は「あなたの障害は身長などと同
じ個性として捉えてほしい」と発言しましたが、この障害者の方は
「個性」という言葉を「自然的個性」という意味で使用しているこ
とは間違いないでしょう。また、別の支援関係者は発言Cにあるよ
うに「君の障害は個性の範疇に入ってきている」と言う言い方をし
ました。この場合、個性という言葉は「習得的個性」という意味で
使用されています。つまり、努力や成長によって障害は個性に高め
られているという見方です。
個人的なことを言えば、わたしは自分の障害のことを個性と評価
されると腹を立ててしまう傾向が強いのですが、少し冷静に問題を
考えていく必要があります。「自然的個性」という意味で「君のは
個性だ」と言われた場合、自分の障害者としての経験だとか困難を
否定された訳ですから、それなりに腹を立てる理由にはなりそうで
す。ただし、「習得的個性」についてはどうか?「元々、障害があ
るんだけど、それが困難ではなくなりつつある」という意味ですか
ら、それほど腹を立てる必要はないのかもしれません。
しかし、実際の会話では相手は個性という言葉を「自然的個性」
という意味で使用しているのか、「習得的個性」という意味で使用
しているのか詳細に説明してくれる訳ではありません。また、どち
らの意味で使用しているのか、自分では意識していない場合さえあ
ります。そんな訳で、個性という言葉の理解はわたしには骨の折れ
る作業です。
(「AではなくB」か,「AでもありBでもある」か)
「障害ではなく個性として捉えてほしい」と「こんなに苦しんで
いるのにどこが個性なんだ」という意見は一見すると正反対の意見
に見えますが、実は同じ前提に立った意見です。それは、いずれの
意見も「障害か,個性か?」という二者選択を行なっているからで
す。障害によって辛酸をなめてきた障害者は「個性」と評価される
ことに抵抗を示すかもしれませんし、自分の障害を障害として認め
たがらない障害者は非障害者から「個性」として評価されることを
望むかもしれません。
ところで、これとは別の前提に立った問題のとらえ方というのが
あります。「1人の人間が障害と個性の両方を矛盾なく兼ね備えて
いる」というのがこれにあたります。わたし自身はどちらかという
とこちらの立場で障害と個性の関係を捉えております。その理由と
しては以下の通りです。まず「障害ではなく個性である」という立
場に立つと、現在医学的に障害者という認定を受けている人たちが
、「なぜ支援を必要しているのか?」という問いに対して十分な反
論を行なうことはできなくなります。。また、「個性ではなく障害
だ」という捉え方をした場合も、「障害者にとって障害はその人の
全てか?」という疑問はどうしても残ります。以上のことから、障
害と個性は二者択一できるものではないと考えておいた方がいいで
しょう。「障害か,個性か?」ではなく「障害も,個性も」という
捉え方はありだと思います。特に「生まれつきの障害」と前述した
「習得的個性」は全く矛盾なく障害者が兼ね備えることができる特
徴です。
(両者の関係の捉え方)
障害と個性を対立的に捉える必要はないということが分かったと
して、両者の関係をどう捉えるのかはまだ問題として残されていま
す。わたしが知る限り、「障害も、個性も」という立場から捉えら
れる関係としては以下の3つが挙げられます。
(1)「障害は個性に昇華される可能性がありうる」という立場
→「君の障害は個性の範疇に入りつつある」というのはこの立場に
含まれる
(2)「障害と付き合いながら生きていくことによって、その障害
者特有の個性が発生する可能性はある」という立場
(3)「生物学的な意味での障害をある角度から見れば障害と評価
でき、ある角度から見れば個性と評価することができる」と
いう立場。
個人的には(3)の立場は、俗流相対主義的で絶対に議論で負け
ないための詭弁に陥ってしまう危険性があるので、この立場は取ら
ないことにしております(つまり、どんな反論が出されても「それ
は君の解釈だよ」で片づけてしまうことが可能で、議論が深まらな
くなる)そして、(1)か(2)の立場がわたしにとって魅力的な
考え方ということになります。ただ、(1)と(2)のどちらかを
選べということになれば、わたしは(2)の立場を選びます。発達
障害のように治療方法が確立されていない障害の場合、「障害者は
障害を抱えながら人間的に成長していく」という発想の方が受け入
れやすいからです。また、わたし自身が障害を障害者本人のアイデ
ンティティーの一部と考えているため、「困難がなくなれば、障害
者ではなくなる」という考え方がしっくりいかないためでもありま
す。
そんな訳で、障害,個性の関係の捉え方に対するわたしの現時点
でも結論は「障害者は障害を我がものにする課程を経て、習得的個
性をも獲得していく」ということになります。
まだまだ、うまくまとめきれない部分が多かった点は明言してお
かなければならないでしょう。
ご意見お待ちしております。
はじめまして、こんにちわ。
突然のカキコお許しください。私は先日こちらのHPでASのことを知り、そして自分もそうではないのかと思い、通院していた精神科の先生に聞いたところ見事「私だったら貴方にアスペルガー症候群という診断名をつける」と言わせてしまった桜花さつき(無論HN)と申すものです。
現在20歳の大学3回生、昨年の10月から休学しています。
今回はこちらのHPでASの存在を知り、そして私もそうであったことを教えてくださったことに感謝したくてカキコさせていただきました。
私自身ASでありながら実際にASと付き合っていくにはどうしたらいいのか、とかまだ自分自身ASに関する知識が希薄であることなど不安や疑問が多いです。
こちらのHPや掲示板でいろいろとお勉強させていただきます。
よろしければ皆さんともお話がしたいです、ASのことだけじゃなくて。
今後ちょくちょく寄らせていただきます。よろしくお願いいたします。
桜花さつきでした。
こんにちは、Luluです。
こりっこ wrote:
>人を憎んだ事はありますか?
ありました。
過去に先天性股関節脱臼の診察で、病院を替わったところいきなり誤診されて、受ける必要のない手術を受けたために、10年後、北大へ現役合格した3ヵ月後にいきなり前途歩行困難になって入院しなければならなくなりました。
そのときのドクターのことは今でも恨みに思っています。
こりっこ wrote:
>母親を憎んだ事はありますか?
ありません。
過保護のことを恨めしく思ったことはありますが、心底恨んだことはまだないです。
以前に、「なぜこんな病弱な体に生んでくれたんだ?」と不平を打ち明けたことはありましたが、何とかしてくれるという期待感からか、本物の恨みには至っていません。
こりっこ wrote:
>一億三千万人の人々に憎まれたとしても母親だけは自分の味方であると思っていたのではないでしょうか。
これはビンゴです。全世界を敵に回しても家族だけは、という思いだけは常にありました。
こりっこ wrote:
>Luluさんの母親はLuluさんに限りない愛情を持って育ててこられたのだと思います。そして、あなたはそれを受け入れてきたのです。それはあなたのその肥えた体が何よりの証拠です。
>母親の手料理を残さず食べる限りあなたは母の物です。母親は太って醜くなっていくあなたがかわいいのです。誰にも相手にされない何処にも行けないかわいそうなあなたがかわいいのです。かわいそうなあなたに母親は一生懸命に尽くしたいのです。そうすれば、あなたには母親しか見えなくなるでしょう?母親しか頼れなくなるでしょう?
おそらく。ただ、私が肥満体なのは、運動不足が原因です。(何と失礼な!(>_<))身体障害者でスポーツが満足にできないにもかかわらず、食欲だけは旺盛です。
こりっこ wrote:
>だから車の免許なんていらなかったのです。
これは違います。
親は、私が身障者だから運動神経がまるっきりないものだと思い込んで、運動神経のない人間に車を運転できるわけがない、運良く免許を取れても、事故を起こしたときにウチは貧乏だから賠償能力がない、と言って猛反対したのです。ところが、実際に自動車学校へ通って、自分の運動能力が自分でも思っていた以上に車の運転に向いていた(AT限定だったということもあるが)ことに気付いたし、自動車学校の指導員からも、「Luluは運転免許を取らないほうがよい」どころか、「Luluは筋がいいんだから、注意力と感覚さえ身につけば大丈夫だ」とまで言われたので、これは結局両親の取り越し苦労でした。
こりっこ wrote:
>心配なんて嘘です。母親だけの子供でなくなる事が不安になる事から心配という言葉を使うのです。
これはビンゴでしょう。特に、9年前に父をガンで亡くしたときはノイローゼ状態でした。父の生前、母は父からDVの徹底攻撃を受けていたため、DVを働かない私に、夫の役目の一部も期待しているのかもしれません。
こりっこ wrote:
>今のLuluお母さんには嫁も孫もいらないのです。Luluさんさえいれば幸せなのです。
それは本人に聞いて見なければわからないでしょう。
こりっこ wrote:
>ダイエットの効果はいかがですか?
まだ1週間経ってもいないのに、効果があるはずがないでしょう。急速なダイエットで体を壊しては元も子もないので、1ヶ月で7kgを目標にしています。それでも目標値(75kg)までは3ヶ月で到達可能でしょう。
こんばんは&はじめまして&Luluさん
通りすがりの者ですが悪趣味の一つに人間観察というものがありまして、こちらのサイトはよく覗かせてもらっていますし、Luluさんの記事も大変興味深く拝見させてもらっています。
さて、Luluさんの悩み事(母親との関係)についてたくさんの方々からの意見提案があったことと思います。
それに便乗して私も手を差し伸べたく思いましたが的を得た事がいえるかどうか分かりません。軽く聞き流すつもりで良かったら読んでみて下さい。
人を憎んだ事はありますか?
母親を憎んだ事はありますか?
一億三千万人の人々に憎まれたとしても母親だけは自分の味方であると思っていたのではないでしょうか。
Luluさんの母親はLuluさんに限りない愛情を持って育ててこられたのだと思います。そして、あなたはそれを受け入れてきたのです。それはあなたのその肥えた体が何よりの証拠です。
母親の手料理を残さず食べる限りあなたは母の物です。母親は太って醜くなっていくあなたがかわいいのです。誰にも相手にされない何処にも行けないかわいそうなあなたがかわいいのです。かわいそうなあなたに母親は一生懸命に尽くしたいのです。そうすれば、あなたには母親しか見えなくなるでしょう?母親しか頼れなくなるでしょう?
だから車の免許なんていらなかったのです。
心配なんて嘘です。母親だけの子供でなくなる事が不安になる事から心配という言葉を使うのです。
母親との距離を置く為には、まずは拒絶する事から始まって出来る事なら徹底的に母親の嫌がる事をし続けてほしいものです。
母親は悲しむでしょう。ノイローゼになる位に悲しませて下さい。
ノイローゼから立ち直る時は、新しい道を見つけた時か考え方の変わった時です。母親に新しい道を見つけてあげて下さい。
今のLuluお母さんには嫁も孫もいらないのです。Luluさんさえいれば幸せなのです。
ダイエットの効果はいかがですか?
食欲失せたといわれれば光栄です。
まずは印象が変わればいいですね(笑)
あんくさん、すごーくわかりやすかったです。
本当にありがとうございました。プリントアウトして、持ち歩きたいくらいです。
10円5円1円玉を磨きだしてから、私もこわくなり、これ以上触らない方がお互いのためだ、と感じていました。これが常同行動だとはわかりませんでしたが。私がそう、こじつけたいだけかも知れない・・・・なんて、思いながらも、ASではないかしら、というキッカケにはなりました。自分を守っているのだ、というのは、わかりました。
でも・・・・夫をASだとして見ると、なんだかすごく健気に思えてきました。外で仕事するのできっと、精一杯なんでしょうね。私、頭のいい人に弱いんですよー。見てるだけなら、ちっとも嫌じゃないのになぁ〜。
以前に、『喜びは2倍に、苦しみは半分になるから、そばにいて』と泣いていたら、「ワシはぐずぐず言われるのが一番嫌いなんだ。苦しみが倍になるから出て行け」と追い出されてしまいました。一人になりたい、離婚したら楽になるだろうなーとも言います。
まぁ、私はビクともしなくなりましたけど。
でも、追い詰めるな、と夫自身がいうので、かなり、くるしいのでしょうね・・・
知ってしまったら、見てるのも辛いです。
あんくさん、みなさん、ほんとうにありがとう!支えてもらっている、と実感します。いつも、愚痴につき合わせてごめんね。
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真中にある*をジーっと見つづけてください。
私は、しばらくすると*がかなり離れた状態で2個見えるのですが、みなさんはどうですか?
直子さん情報ありがとうございました!!
ぱーこさん wrote:
>夫は「ほっといてくれ」といつも言います。でも、雨の日など、玄関に出て「送ろうか?」と言うと喜びます。「いらん」というときもあります。
>(私は『大丈夫、バスに乗るからいいよ』と言って欲しい。)
こんにちは、再びあんくです。旦那様のこうしたリアクションについては、言ってみればヨーロッパ人同士の会話だったら、ごく当たり前のことなんですね。
彼らは、例えば「お惣菜、食べる?」という質問への答えの場合、質問者は文字通り「食べるか食べないか、イエスかノーか」を、相手の判断に委ねているわけです。
これへの適切な回答は、文字通り、「イエス」か、「ノー」。とくに「言い訳を見つけたり、“イロをつけて”返答する」という、やりかたはしません。質問者も、「あらそう」と、それで気分を害するということは、特にありません。旦那様も、そのつもりなのでしょう。
それに対して、日本人は、「いらないからいらない」という態度をとられたりすると、なかには「何よ!私がせっかく作ってすすめてあげてるのに!」といった、思考パターンの持ち主もいることはいるので、それに対する配慮に心を砕かなくてはならない場面も、出てくることでしょう。アスペルガー・タイプの人で、そういった機転のきく人は、ごく少数です。いったい何を言わんとしているのかと、すっかり戸惑わせてしまうことになるでしょう。
そうはいっても、「最低限の気づかいだけでもしてほしい」というぱーこさんの、お気持ちは、もっともなことだと私も思います。そういうときは、「イエス」だけでなく「イエス、プリーズ」、「ノー」だけでなく「ノー、サンキュー」と、しかもなるべくやさしい声で、言ってほしい、と、旦那様にお願いしてみるとよいかと思います。もちろん、日本語で、ですよ。でないと、次の日から、旦那様は、文字通り受け取ってしまい、英語をつかって答えるようになっちゃいます(^_^;)。
「ありがとう」と言ってほしいときには「ありがとうと言ってほしいの」、あいさつしてほしいときには「あいさつしてあげて」と、場面場面で、しかもことばで教えてやらなければ、アスペルガーの人は、いっこうにそうすべきだとは気付いてくれないことが、多々あります。しかもそうしたことが、あまり何回も続くと、「赤ん坊扱いしやがって!」と、キレることがあるかも知れません。そういうときは、けして相手の感情に巻き込まれてしまうことなく、「だってほんとうにそうじゃない?」とでも、涼しい顔で、受け流してしまってください。
もし、あまりに傷つくような言葉を吐かれたら、またこの掲示板にでもいらして、おもいきりぶつけちゃっていただいて、かまわないですから。ただし忘れてしまってはいけないのですが、そのような出来事があって、いちばん苦しいのは、他でもない、本人なのだということですな。
それで、ですね。
私がここへ顔を出した理由として、私がちょっと引っかかった、ぱーこさんの以前のレスで、「この一ヶ月間、磨いている10円玉を見て…」という、部分なのですが。
これは専門用語で、「常同行動(こだわり行動)」と、呼ばれるものです。本人が非常に強いストレスに晒されているときに、発作的(しばしば長期間)に起こるものなのであります。その極端な形が、壁に頭を打ちつけるといった、「自傷行為」です。
その現れ方というか症状は、人によって様々ですが、それが例えば、「一日中農作業に打ち込んでいる」とか、「絵ばかり描いている」とか、はた目にも内容がわかりやすく生産的なものなら、まだいいんですよ。
問題なのは、旦那様の例のように、他人からはどう見ても無意味で強迫的であり、しかも非生産的なものでしかないということで、それは言ってみれば、大脳、とくに前頭葉の活動レベルが、ひどく低下している、つまり本人にとってあまりにストレス過多な状態が、しかも一ヶ月という長い期間、続いてしまっているということですね。
アスペルガーの人というのは、障害の性質上、それを自分内部の感覚として、きちんと感じ取ることができず、もちろん他者に助けを求めることもできず、頭のなかが真っ白のまま、無意味な行動を繰り返してしまっている状態なのです。
旦那様がそうなってしまっている理由は、ぱーこさん自身が旦那様を観察して、答えを見つけてゆくしかないのですが、まずは「ねえ、最近あなた(もちろんぱーこさんが、普段使っておられる呼び名でけっこうです)、10円玉、磨いてばかりいるわよね。なにか苦しいことでもありそうに見えるんだけど。私に教えてみて?」と、様子を伺いつつお尋ねになってみてください。もし旦那様が、例のごとくうるさがって逃げ出したら、深追いせず、本人の機嫌のよさそうな、他の時にでも、タイミングを見計らって、同じことを訊いてあげてください。
あるいはじっとうつむいたまま、いつまでも答えてくれなかったら、そのときはやはり、「いいのよ、いつでも気が向いたら教えてくれればいいから。じゃあね、後でね」と、あっさり自分から離れてあげましょう。
「ねえウンとかスンとか言ってよ!しゃべってくれなきゃ分からないじゃないの!」といったような、問いただし方は、厳禁です。
大事なのは、
1.旦那様が10円玉磨きを繰り返してしまっていることを強調して、自覚させること
2.本人が理由らしい理由を言ってくれるまで、何度でもあきらめないこと
3.上のふたつのことをしている時は、つねにさりげなく、穏やかで冷静な態度と口調でいること。できれば体の距離をとって、声の聞こえる範囲で話し掛けてあげること。ぱーこさん自身の調子のよいときで、かまわないですから。もし途中でキレそうになったら、自分から無言で離れてしまいましょう。キレてしまったら、「ふりだしにもどる」です。
ですね。ほんとうに難しいことと、お察しいたします。
すでにその強迫行動が、すっかりおさまってしまっていれば、心配ないんですけれどね。長期戦を覚悟して、もし決意なさったら、どうか実行に移されてみてください。
それでもし、なんとか聞き出せたら、この掲示板にでも、余程プライヴァシーに関わることでない限り、ご相談されるとよいと思います(もちろんご家庭内で解決できるような内容でしたら、けっこうですよ)。
今回ここまで立ち入ったことを、書いてしまい、果たして出過ぎたことをしてしまっていやしないかということを、危惧していないと言ったら、もちろん嘘になります。
なぜここまでして書いたかと言えば、私も昔、ひどいストレスと絶望感に晒されたとき(いわゆる悩みで煮詰まった状態)、似たような状態に陥ったことが、あるからです(しかも衆人環視の中で)。
“問題を共有すれば、問題は半減”、この言葉を信じて(旦那様にも、言ってみる価値アリかもしれない)、どうか旦那様の味方になってあげてください。
すももさん wrote:
>→『実家に行ったよ。つかれた。
>(ただし、相手が実家に言ってきたことを知っているときは
>「言ってきた」とは言わない)』
そうそう、夫も私が聞かなかったら言いません。以前、親戚の人が夫の勤務先に入院したことも、相手からお礼の電話があるまで、私は知りませんでした。
>むしろ、夕食の時間が予告どおりでないことが
>不満・不審であったと思われますが・・。
そうえいば、思い立って「外食しよう」というのはだめですね。
かなり前から、これこれの理由で外食をしたいのでこれこれの理由であなたにも来て欲しい、と言うと行く時もあります。
>わたしは、いろいろ干渉されるのがいやなのと
>まあ、あとはもっと大きな別の理由があって
>今行っているバイトをやめようとしているのですが
>ぱーこさんの反応を読んでいると
>もしかしたら、あれは干渉でなかったのかも・・・という気がしてきました。
>でもわたしには負担だったのです。
夫は「ほっといてくれ」といつも言います。でも、雨の日など、玄関に出て「送ろうか?」と言うと喜びます。「いらん」というときもあります。
(私は『大丈夫、バスに乗るからいいよ』と言って欲しい。)
「干渉されたくないね!」といつも部屋にこもっています。その分、私が何をしようと、聞くことはまずありません。「メシ、作っておくんだろう」と確認はしますが、『子どもと一緒に食べてやって』というと嫌がります。
ずっと、待つことができない(違う場面でも)と思っていましたが、
一緒が苦手かも知れません。
>わたしは応援してます。
ありがとうございます、力が湧いてきます!
>
>それにしてもいろいろ「驚!」でした。
私も!でも、ためになります。今後ともよろしく!
こんばんは。すももです。(ADHD傾向診断有、自閉症スペクトル疑未診断)
ぱーこさん wrote:
>私が逆だとすると
>『今日ね、実家へ行ったらね、母が腰が痛いと言うのよ。買い物を一人でしてるから、無理になってきたのかなぁ?時々、車で買い物に付き合ったほうがいいと思わない?そうそう、父なんてね、姉と私を間違えるのよ〜、そんなに似てる?』
>『この前ね、介護保険の人が来たんだって。今度もまた介護度3になるのかなぁ?ディサービスが気に入ってるから、増やしたらどうだろうね、そしたら母もゆっくりできると思うんだけど・・・』
>これは、おしゃべりな私バージョンですけど、
これは・・・。
もしわたしがこれを言われたら
「そう思うなら、そうしたらいいのに、なんでわざわざ聞くの?」
って、思ってしまうかも知れません。
わたし(お喋りバージョン)だったら
「母が、腰が痛いらしいから、付き添うことにしたよ。」
「間違えられて笑ったよ。ぜんぜん似てないのに。」
「こう言う理由でデイサービス増やすことにするね」
というと思います。
ちなみにわたしの実家の家族・親戚も夫もみな
ちょっと変わっているので、その中での
コミュニケーションの取り方というのはあると思いますが。
わたしの場合の添削例(笑)
夫にはせめて
>『実家へいってきたぞ。思ったより元気だったから安心した。』
→『実家に行ったよ。つかれた。
(ただし、相手が実家に言ってきたことを知っているときは
「言ってきた」とは言わない)』
>「なにか変わったことなかった?」と私が聞く。
>『弱ってはいるけど、顔見たら喜んでたぞ。母もなんとか頑張ってるみたいだ』
→『(変わったこととは、なにを聞いているのか良く考える)
あたらしい電気の治療椅子があったよ。』
『(もし思い出せば)そういえば、弟と間違えられて笑ったけど』
>「そ〜う。でも、買い物や庭仕事はたいへんでしょうねぇ」
>『気が付かなかったけど、そうかもしれんなぁ。今度、手伝いに行こうか』
→『べつに二人とも何も言ってなかったけど。
まあ、今度覚えてたら聞いてみるね』
>>、など私は話しをしたかったけど・・・・・
>>これをダイレクトに聞かない理由も気になるところ。
>
>聞く前に、私の前から姿をけしてしまいました。
>後姿に聞いて見たけど、返事なし。
>かわりに「ちょっと昼ねする」と。
そうですか。わたしも不思議だったのですが。
たぶん、だんなさまはお疲れだったと思われ。
>
>>言ったほうがいいと思います。その二つの事項がご主人の中で結びついているかどうかわかりませんから。
>
>そうなんですか・・・・。ひとつながりのことではないんですね。何でも、私はつながりのように考えているのでしょうね。
>気持ちがあれば、わかるだろう、とか、家族に関心があれば聞くだろうと思ってきましたが、気持ちとわかることとは別の事項なのかも・・・・
>これは「冷たい」とは違うのかも知れませんね。
むしろ、夕食の時間が予告どおりでないことが
不満・不審であったと思われますが・・。
>
>発見!!という心境です。
>夕方も、息子が荒れていたのですが、「知らん顔しないで」と私がいうと
>『お前の世界の考えだ』と言われました。う〜ん、彼も私達が違う世界にいると感じているのか・・・・・
>
>ファイト!おー!
わたしは、いろいろ干渉されるのがいやなのと
まあ、あとはもっと大きな別の理由があって
今行っているバイトをやめようとしているのですが
ぱーこさんの反応を読んでいると
もしかしたら、あれは干渉でなかったのかも・・・という気がしてきました。
でもわたしには負担だったのです。
でも、ぱーこサンみたいに
一生懸命かんがえてくださっている方は貴重だと思います。
わたしは応援してます。
それにしてもいろいろ「驚!」でした。
>>>みどりさん wrote:
>>>「最近はいかがですか?」なんて聞かれたら頭まっ白です。
>
>えー、これは私の発言じゃないです。
申し訳ありませーん!すももさんも訂正してくださっていましたが、Helixさんにも、おわびします。ごめんなさい。
>普通の人はこういう会話のどういうところが疲れるの?どういう返事を期待してるんでしょう?
そうですか・・・。私が疲れるのはアンケートの項目を作っているような気がするからです。いちいち聞かなくても、言葉ででるのではないか、と期待してしまうのです。私が逆だとすると
『今日ね、実家へ行ったらね、母が腰が痛いと言うのよ。買い物を一人でしてるから、無理になってきたのかなぁ?時々、車で買い物に付き合ったほうがいいと思わない?そうそう、父なんてね、姉と私を間違えるのよ〜、そんなに似てる?』
『この前ね、介護保険の人が来たんだって。今度もまた介護度3になるのかなぁ?ディサービスが気に入ってるから、増やしたらどうだろうね、そしたら母もゆっくりできると思うんだけど・・・』
これは、おしゃべりな私バージョンですけど、夫にはせめて
『実家へいってきたぞ。思ったより元気だったから安心した。』
「なにか変わったことなかった?」と私が聞く。
『弱ってはいるけど、顔見たら喜んでたぞ。母もなんとか頑張ってるみたいだ』
「そ〜う。でも、買い物や庭仕事はたいへんでしょうねぇ」
『気が付かなかったけど、そうかもしれんなぁ。今度、手伝いに行こうか』
チャンチャン!というシナリオになります。期待のし過ぎですが
会話が途切れるのが、取り付く島がない、と感じます。
>、など私は話しをしたかったけど・・・・・
>これをダイレクトに聞かない理由も気になるところ。
聞く前に、私の前から姿をけしてしまいました。
後姿に聞いて見たけど、返事なし。
かわりに「ちょっと昼ねする」と。
>言ったほうがいいと思います。その二つの事項がご主人の中で結びついているかどうかわかりませんから。
そうなんですか・・・・。ひとつながりのことではないんですね。何でも、私はつながりのように考えているのでしょうね。
気持ちがあれば、わかるだろう、とか、家族に関心があれば聞くだろうと思ってきましたが、気持ちとわかることとは別の事項なのかも・・・・
これは「冷たい」とは違うのかも知れませんね。
発見!!という心境です。
夕方も、息子が荒れていたのですが、「知らん顔しないで」と私がいうと
『お前の世界の考えだ』と言われました。う〜ん、彼も私達が違う世界にいると感じているのか・・・・・
ファイト!おー!
シペラスさん wrote:
>台風の 渦巻き眺める ネットかな
7号(HALONG)育ってきましたね。
↓ここの可視画像はめちゃくちゃきれいですよ。
http://weather.is.kochi-u.ac.jp/
既知だったらごめんなさい。
静袈さん
下記のHPを覗かれて見てください。
詳しい情報が得られますよ。
http://www.cmh.ne.jp/mdisease/schizo.html#anchor1418976
台風の 渦巻き眺める ネットかな
みどり さんwrote:
>>>みどりさん wrote:
>>>「最近はいかがですか?」なんて聞かれたら頭まっ白です。
>
>えー、これは私の発言じゃないです。
みどりさん、ごめんなさい。
Helix さんの発言でした。 Helix さんにもごめんなさい。
正しくは
>>> Helixさん wrote:
>>>「最近はいかがですか?」なんて聞かれたら頭まっ白です。
>
です。
皆さん、いろいろ親切にありがとうございました。
でもただでさえ私、自傷(アムカ)に鬱を抱えてるのに……
シペラスさん、そういうのが出てきたら躊躇わず親にもちゃんと言って
医者にも診て貰います。
静架 wrote:
>昨日親が寝に行くのを豆電球しか点けてない部屋で一人待ってたんですよ。
>親がいるとこに居たくなく、一人で居たかったので。
>そしたら、虫の声しかしないのに何か幻聴?、人の声が聞こえて来るみたいな感じがして
>(もちろん親の声ではないし、外に人がいるわけでもない。頭の中に直接聞こえてくる感じ)
>一辺から見られてる感じもして……
>すごく怖い感じがしたけど親のいるとこには行くきしなかったし。
>幻聴?はすぐになくなったけど、見られてるって感じはその部屋を出るまでずっと続いてました。
>記憶も昨日何をしたか思い出そうとしてもすぐには全然で、今日の朝のことも危うい状態です。
>
>ホントこれって何でしょう??
1回だけならまず平気だと思いますが、一日に何回となくそういった感じの声があり困るようになった場合、また自分の悪口を言っているような感じがする場合は、病的なものかもしれません。
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