アスペルガーの館の掲示板(旧)

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Re: ハッカーへの道 13526へのコメント
No.13533  Wed, 31 Jul 2002 14:58:59 +0900  Maria [この発言にコメントする]

Luluさん wrote:
> 私が言いたかったのは、ASであることの現実をそのまま受け入れても、「はい、そうですか?」であきらめてしまうのは本人のためには良くない、ということです。

 Luluさんの物言いでは、「ASであることの現実をありのままに受け入れること」が「あきらめ」であるように読み取れるのですが。

> しかし、現実をただ受け入れているだけで何ら対策も取らずに、成り行きに任せているのなら、コンピュータに限らず日常生活全般で「眠れないママりん」様の息子さんが自信喪失状態に陥ってしまう、へたをすると再起不能になるくらいまで落ち込んでしまう、それが心配なのです。

 「対策」と呼べるものを取るには、まず「ASであることの現実をありのままに受け入れること」が必要であるということです。自分の子供が「自閉症」だと診断され、それを受け入れることができずに「否認」「怒り」というプロセスから抜けだせなくなってしまっている親は大勢います。あたしたちにとって、「自閉症であること」は単に「自閉症であること」であり、多くのことの出発点ではあるものの、それ以上でもそれ以下でもありません。
 Luluさんが「『私は自閉症である』という現実をありのままに受け入れること」に対して過剰に感情的になるのは、自閉症に対する嫌悪あるいは差別の感情があり、自分自身が自閉症スペクトラム障害を持っていることを認めたくないからではないか、とあたしなどは考えてしまうのですがね。

> だから、最小限カウンセリングだけでも受ける必要があることは認めざるを得ないでしょう。私は、カウンセリングを受けるだけでも効果はあるものと考えているため、(もっとも、その効果がプラスになるとは限りませんが)結果がプラスになればそれが私の言う「克服」だと説いているのであります。

 Luluさんが「克服」という言葉を自分の考えている意味で使うのはご自由ですが、「自閉症を“克服”する」という物言いは多くの自閉症者(および自閉症にかかわる人々)にとって不愉快かつ迷惑なものなんです。
 カウンセリングを受けることは有意義かも知れませんが、必ずしも「必要」という訳でもなく、多くのカウンセラーは「『(私が/子供が)自閉症である』という現実をありのままに受け入れること」がすべての出発点と考えています。

> では、逆にお尋ねしますが、貴方はAS持ちの人は何もしないでただ手を拱いているだけでいるのがベストだとおっしゃるのですか?

 では、さらに逆にお尋ねしますが、貴方はあたしがなぜ「AS持ちの人は何もしないでただ手を拱いているだけでいるのがベストだ」と主張していると判断するのですか?
 あたしは、まず「ASであることの現実をありのままに受け入れること」が、最初のステップだと言っているだけです。それとも、自閉症スペクトル障害を持った人間は、自分が自閉症スペクトル障害者であることを否定し、「自閉症スペクトル障害者では“ない”人間」として生きるよう常に“前向きに”努力しなければならないんですか?

> 私はただ現実を受け入れるだけで、それ以上のことをしないでいるほうが嫌です。ただ自分が腐ってしまうように思えてならないからです。前向きになってボロボロになるほうが、むしろ後悔しません。

 特攻精神というのは勇ましくて素敵ではあるのですが、しばしば現実認識の欠落による妄想の結果、あるいは精神主義にもとづく現実逃避だったりします。戸塚ヨットスクールの戸塚宏校長も「自閉症児をヨットに載せて荒海に送り出せば、いやがうえにも自然の偉大さ・力強さに直接向き合うことになり、心を開く」とか言ってました。こういう物言いってカッコいいよなぁ(-_-;)。

> 私がこれほどまでにムキになっているのは、最低でもカウンセリングを受けて今後の対策を練らないと、ありとあらゆる人間関係が壊れていく一方で、へたをすれば孤独死という事態にもなりかねないからです。39年間結婚はおろか、恋愛さえ満足にできない状態を打開するためには、先にも書いた「過保護」「トラウマ」を払拭しなければならないので、そのまま手を拱いているだけの状態でいるわけにはいかないのです。

 Luluさんが「自分にはカウンセリングが必要である」と考えているのは了解しましたが、「すべての自閉症スペクトラム障害者にはカウンセリングが必要不可欠である」かどうかはまた別問題のように思うのですがね。

 もっとも、「多くの専門家によるカウンセリングを受けることで『多くの場合、専門家による助言は大して役に立たない』ことを学んだのは非常に有意義な体験だった」という話はしばしば聞くので、カウンセリングを受けること自体は悪くないと思いますが。

 (Maria)


Re: ハッカーへの道 13531へのコメント
No.13532  Wed, 31 Jul 2002 14:36:49 +0900  aya [この発言にコメントする]

Luluさん wrote:
>でも、現状で私が抱えている問題に対して前向きの姿勢で臨まない限り、目下最大の弱点である「協調性の乏しさ」は今後も拡大の一途をたどる、それが心配だったので、どうしても皆様の意見にはなじめませんでした。前向きになるのがどうしていけないんだ、みたいに。
>

自分の問題点を解決すべくがんばりたい、という人がいる一方で、問題点のわからないまま、前向きになり続けてすっかり疲れきったひとがいると思います。

あえて前向きにならない、というのが勇気ある選択だという状況もあるでしょう。

「克服」「立ち直る」「がんばる」系の言葉は、自分が自分で使うのはありだと思いますが、よく社会で乱発される言葉でもあり、抵抗のある人は多いかもしれません。


Re: ハッカーへの道 13528へのコメント
No.13531  Wed, 31 Jul 2002 14:02:23 +0900  Lulu [この発言にコメントする]

こんにちは、Luluです。

どうやら、貴方の御回答が一番的を射ているようです。

シュッツ wrote:
>辞書の定義だけからすると、「困っている状態」から「困っていない状態」に持って行くことの全てを含みそうですが、「乗り越える」という部分に「本質を改造する」ようなニュアンスを感じて反発されるのかも知れません。
>私なら「工夫する」という言葉を好みます。
>変えてしまうのではなく、現状を受け入れた上で、その現状と目的の間を埋めるような何かの工夫を導入することで、困っている状態を和らげるのです。
>例として、手の届かないところにある物を取ろうとする場合を考えます。
>手を長くするような人体改造を行うのではなく、取ることをあきらめてしまうのでもない。
>長い棒などを使ってその物を取るのが「工夫」に当たります。

私が他の皆様に訴えたかったのは、今までのレスが私にとっては前向きに考えること自体がおかしいみたいに言っているようだけど、これでは私自身や、他の多くのAS持ちの方々にとって良くないのではないのか、ということでした。
私が「克服」という言葉を持ち出したこと自体に問題があったのかもしれませんが、私は「克服」という言葉を、目の前にある障害に対して前向きに対処する、という意味で使っていたので、それで皆様と対立していたのでしょう。
その意味では、私の言う「克服」と「シュッツ」様のおっしゃる「工夫」とはほとんど同じかもしれません。

でも、現状で私が抱えている問題に対して前向きの姿勢で臨まない限り、目下最大の弱点である「協調性の乏しさ」は今後も拡大の一途をたどる、それが心配だったので、どうしても皆様の意見にはなじめませんでした。前向きになるのがどうしていけないんだ、みたいに。

これで、皆様との対立が解ける方向に進めばよろしいのですが、…


Re: ハッカーへの道 13526へのコメント
No.13530  Wed, 31 Jul 2002 13:33:53 +0900  くりあ [この発言にコメントする]

Luluさん wrote:
>私が言いたかったのは、ASであることの現実をそのまま受け入れても、「はい、そうですか?」であきらめてしまうのは本人のためには良くない、ということです。

あきらめるのではなく,自分自身と「折り合い」をつけ,どうやって,うまくつきあっていくか。ということだと思います。


Re: ハッカーへの道 13526へのコメント
No.13528  Wed, 31 Jul 2002 13:28:05 +0900  シュッツ [この発言にコメントする]

こくふく 【克服】
(名)スル
努力して困難な状態を乗り越えること。「悪条件を―する」
(web版大辞林第二版より)

Lulu wrote:
>こんにちは、Luluです。
>
>私が言いたかったのは、ASであることの現実をそのまま受け入れても、「はい、そうですか?」であきらめてしまうのは本人のためには良くない、ということです。

辞書の定義だけからすると、「困っている状態」から「困っていない状態」に持って行くことの全てを含みそうですが、「乗り越える」という部分に「本質を改造する」ようなニュアンスを感じて反発されるのかも知れません。

私なら「工夫する」という言葉を好みます。
変えてしまうのではなく、現状を受け入れた上で、その現状と目的の間を埋めるような何かの工夫を導入することで、困っている状態を和らげるのです。

例として、手の届かないところにある物を取ろうとする場合を考えます。
手を長くするような人体改造を行うのではなく、取ることをあきらめてしまうのでもない。
長い棒などを使ってその物を取るのが「工夫」に当たります。


Re: No.13518への反論:親に望むこと 13523へのコメント
No.13527  Wed, 31 Jul 2002 13:07:47 +0900  Helix [この発言にコメントする]

Luluさんへ

AS・ADHDを「克服」する。という表現が適切でない感想がありますが私もそのひとりです。
私は長文が書けないし、うまく説明する自信が無いので意見は書きません。

LuluさんはココのTOPページにリンクがある
「自閉連邦在地球領事館附属図書館」はもうご覧になりましたか?
このHPを読んでみると、自閉症スペクトラムが「克服」するというよりは、「折り合い」をつける。という表現の方がより合っているというのがわかると思います。

まずは御一読される事をおすすめします。


Re: ハッカーへの道 13524へのコメント
No.13526  Wed, 31 Jul 2002 12:37:30 +0900  Lulu [この発言にコメントする]

こんにちは、Luluです。

私が言いたかったのは、ASであることの現実をそのまま受け入れても、「はい、そうですか?」であきらめてしまうのは本人のためには良くない、ということです。

Maria wrote:
> つまり、あたしはADHDには言及せず、『ASを含む自閉症スペクトラム障害というのは「克服」するような性質のものではない』と主張しているわけです。

しかし、現実をただ受け入れているだけで何ら対策も取らずに、成り行きに任せているのなら、コンピュータに限らず日常生活全般で「眠れないママりん」様の息子さんが自信喪失状態に陥ってしまう、へたをすると再起不能になるくらいまで落ち込んでしまう、それが心配なのです。だから、最小限カウンセリングだけでも受ける必要があることは認めざるを得ないでしょう。私は、カウンセリングを受けるだけでも効果はあるものと考えているため、(もっとも、その効果がプラスになるとは限りませんが)結果がプラスになればそれが私の言う「克服」だと説いているのであります。

では、逆にお尋ねしますが、貴方はAS持ちの人は何もしないでただ手を拱いているだけでいるのがベストだとおっしゃるのですか?

Maria wrote:
> で、自閉症スペクトラム障害の場合、自我の基盤たる「自分そのもの」というものが、一般の人とは隔絶したところにあるわけです。で、「自閉症を克服する」というのは、ともすれば……というより、ほとんどの場合、「自分そのもの」の否定につながっちゃうんですよ。「一般社会」と「自分そのもの」の隔絶というのは、あたしのような社会的な立場を持ち人並み以上の能力を持った人間にとっても埋めがたいものであって、まして知識も経験も少ない子供にとっては「自分そのもの」を捨てて「一般社会」の規範を盲目的に受け入れるほうがよっぽど楽……というか、速効性のある方法なんです。
> で、現在この『アスペルガーの館の掲示板』の主要カキコメンバーとされる人々の多くは、その「速効性のある方法」の後遺症に苦しみ、「自閉症」者としての自我というものをあらためて構築し、「自閉症者としての自分」を受け入れることで社会に向きあっているのだな。
> 『「自分そのもの」を捨てて「一般社会」の規範を盲目的に受け入れる』というアプローチは、速効性はあるけれど本人の人格をボロボロにします。だから、あたしは「前向き」だとか「克服」だとかいう言葉はスローガンにしても嫌いなのね。「一億総火の玉」とか「撃ちてし止まむ」とかいったスローガンと似たような響きを感じるし。

私はただ現実を受け入れるだけで、それ以上のことをしないでいるほうが嫌です。ただ自分が腐ってしまうように思えてならないからです。前向きになってボロボロになるほうが、むしろ後悔しません。

私がこれほどまでにムキになっているのは、最低でもカウンセリングを受けて今後の対策を練らないと、ありとあらゆる人間関係が壊れていく一方で、へたをすれば孤独死という事態にもなりかねないからです。39年間結婚はおろか、恋愛さえ満足にできない状態を打開するためには、先にも書いた「過保護」「トラウマ」を払拭しなければならないので、そのまま手を拱いているだけの状態でいるわけにはいかないのです。


ロールシャッハテストについて(Re:大いなる謎) 13500へのコメント
No.13525  Wed, 31 Jul 2002 12:14:21 +0900  りげる [この発言にコメントする]

りげるです。横レス失礼します。

シペラスさんへ

>当てにならないロールシャッハテスト・知能検査で、落ちつつきさきが篩い分けられることでしょうか?

私はロールシャッハテストで、協調性のなさ、自己を客観的に見ることが
できないという、自分の性格にずばり当てはまる部分を指摘されました。
ロールシャッハテスト(インクのシミがどんな形に見えるか)のどこが
当てにならないか、具体的に教えて下さいますか?


ハッカーへの道 13520へのコメント
No.13524  Wed, 31 Jul 2002 11:08:46 +0900  Maria [この発言にコメントする]

Luluさん wrote:
> 私の表現力が稚拙なために「無神経な励まし」と捉えられたのなら、お詫びいたしますが、AS&ADHDに対して常に前向きな姿勢でいることを求めるのが「無神経な励まし」だというのなら、(もちろんこういうことはないと思いますが)心外極まりありません。

 ASであると同時に筋金入りのハッカーであると目されているあたしとしては、Luluさんの上記の発言に対してイライラせざるを得ないのだな。

 あたしの発言は以下の通り。

>  ADHDはどうか知らないけど、ASを含む自閉症スペクトラム障害というのは「克服」するような性質のものではないのですけどね。むしろ「(自分のものとして)引受ける」「折合う」といった性質のものです。無神経な励ましは人を傷つけることを学んだほうがいいぞ。

 つまり、あたしはADHDには言及せず、『ASを含む自閉症スペクトラム障害というのは「克服」するような性質のものではない』と主張しているわけです。そんなわけで、あたし「AS&ADHD」、すなわち「ASであり、かつADHDである人」に対して直接言及はしていないのですよ。そんなわけで、「ASはそうかも知れないけれど、ADHDに関してはそうなんだ!」とか「純粋なASはそうかも知れないけれど、ASとADHDが併合している場合はそうじゃないんだ!」とかいった反論についてはコメントしないことを明らかにした上で先に進むことにしましょう。

 ASを含む自閉症スペクトラム障害というのは、認知の奥深いところに根ざすものであるがゆえに、その人の人格形成に深くかかわっているのですよ。なにしろ生まれて二か月の仔猫だって行なっている「他者認識」がうまくいかないんだから。すなわち、野生動物としての基本的な能力がぶっ壊れているという点で、一般の人との間にかなり深刻な精神的な断絶があったりするわけなんです。ちなみに「自閉症」という言葉は、この「精神的な断絶」を表わしています。

 で、自閉症スペクトラム障害の場合、自我の基盤たる「自分そのもの」というものが、一般の人とは隔絶したところにあるわけです。で、「自閉症を克服する」というのは、ともすれば……というより、ほとんどの場合、「自分そのもの」の否定につながっちゃうんですよ。「一般社会」と「自分そのもの」の隔絶というのは、あたしのような社会的な立場を持ち人並み以上の能力を持った人間にとっても埋めがたいものであって、まして知識も経験も少ない子供にとっては「自分そのもの」を捨てて「一般社会」の規範を盲目的に受け入れるほうがよっぽど楽……というか、速効性のある方法なんです。

 で、現在この『アスペルガーの館の掲示板』の主要カキコメンバーとされる人々の多くは、その「速効性のある方法」の後遺症に苦しみ、「自閉症」者としての自我というものをあらためて構築し、「自閉症者としての自分」を受け入れることで社会に向きあっているのだな。

 『「自分そのもの」を捨てて「一般社会」の規範を盲目的に受け入れる』というアプローチは、速効性はあるけれど本人の人格をボロボロにします。だから、あたしは「前向き」だとか「克服」だとかいう言葉はスローガンにしても嫌いなのね。「一億総火の玉」とか「撃ちてし止まむ」とかいったスローガンと似たような響きを感じるし。

> 私は、ただせっかくコンピュータに興味があるのなら、情報処理技術者試験でも受けさせてみてはどうなのか、と提案したのであって、それでうまくいったらそちら(コンピュータ屋の仕事)にも興味を示してくれるのではないのか、ということを言いたかったのであります。

 ↑無神経な発言だな(-_-X)。「コンピュータ屋」というのはIBMに代表される大型汎用計算機の販売・設置・運用・保守をする人のことなんだぞ。「プログラムを書くことに興味があるのなら、ソフトウェア開発の勉強をして、職業としてのソフトウェア開発の道を目指すのはどうだろうか」というのならまた話は違うのですがね。

> もちろん、興味だけで仕事はできないのは百も承知です。

 あたしなんかほとんど興味だけで仕事してんだけど(-_-;)。

> ただ、「全階級制覇」を実現できれば、へたなハッカーよりもよほどコンピュータの知識が豊富なので、仕事にはプラスにはなってもマイナスになることはありえない、それを伝えたかったのです。

 あたしは二次記憶のタイプ(索引つき順編成ファイルだとか乱編成ファイルだとか)だとか入出力装置のタイプ(セレクタチャネルだとかマルチプレックスチャネルだとか)だとかいった情報処理技術者試験によく出るような知識も豊富なのですが、「その手の知識は時代遅れであり、本当に試験以外にはまったく役に立たない」と言われた(あたしもそう思う(-_-;))ぞ。そんな勉強をするよりトイ・プログラムの一本でも書いたほうがなんぼかマシ、と思います。

> もちろん、本人が嫌がっているのに無理に試験を受けさせようとしたりすることまではお願いしたつもりはありません。もし文面がそのような誤解を招いてるとしたら、私の表現力不足が原因ですので、お詫びいたします。

 文面の問題ではありません。「オーソライズされる」というのは、子育てに迷っている親御さんにとっては麻薬みたいなもので、軽々しく与えるとすぐ飛びついて依存しちゃうのですよ。とりあえず学歴とか偏差値とかを問題にしたほうが、「本当の意味での勉強」みたいなものを考えるより評価が直接的だから、「努力している」感じがするんです。子供と一緒になって考えるより、塾に通わせたり家庭教師をつけたりするほうが気分は楽です。

> また、せっかく本人が望んで試験を受けたところで、趣味でやっていることとプロがやっていることとのギャップなどを感じ、それらが原因で挫折したりする可能性はあるでしょう。

 趣味でやってるソフトウェア開発のプロのことをハッカーと云うのだけどね(^_^;)。

Luluさん wrote:
> Maria wrote:
>> あたしが思うに、自閉症スペクトラムの人間はハッカーにはなってもプログラマーにはなりません。あえていうなら「ならない」じゃなくて「なれない」んですよ。「それ自身の秩序」「それ自身の価値」を尊重するからこそ、あたしたちにはシステムが“見える”んです。
>
> では、逆にお尋ねしますけど、ASの人間はコンピュータ以外でもプロになりきれない、そういうことなのですか? コンピュータ屋のつもりでもハッカーの域を出ない、それが事実だというのであれば、貴方はどういった仕事がASの人間に向いているとお考えですか? これは、「眠れないママりん」様へのアドバイスにも関わってくる問題です。
> コンピュータ屋になってもASじゃハッカーになるのが関の山だなんて、私はともかく、「眠れないママりん」様の息子さんにはどうやって理解してもらうのでしょうか? 私はそちらのほうが、アドバイス次第では「人を傷つけること」にもなりかねないと心配しているのですが、如何でしょうか? コンピュータで飯を食える人間でない、ということが本人に知れたら、へたをすればショックで再起不能になるかもしれません。

ヨンカさん wrote:
> というのも、私、たった今Mariaさんの
>
>> あたしが思うに、自閉症スペクトラムの人間はハッカーにはなってもプログラマーにはなりません。あえていうなら「ならない」じゃなくて「なれない」んですよ。「それ自身の秩序」「それ自身の価値」を尊重するからこそ、あたしたちにはシステムが“見える”んです。
> ↑
> この言葉にじ〜んと感動した矢先だったもので。

ハッカー[hacker]
 もともとは斧で家具を作る人の意。
1)あるプログラミング・システムの細部を学び、どうすれば機能を拡張できるか一生懸命考えることに喜びを感ずる人。自分の仕事をやるのに必要な最小限のことだけを学んで事足れりとする一般のユーザとは区別される。
2)情熱的にプログラミングをする人。プログラミングに関する理論を云々するのではなく、プログラミングそのものを楽しみとする人。
3)いわゆるhack value(それといって何の役にも立たないようなプログラムがもっている価値)を認めることのできる人。
4)プログラミングが早い人。ハッカーの作るものがすべてハック(=やっつけ仕事。筆者註)であるとは限らない。
5)あるプログラムに関するエキスパート。または常にあるプログラムを塚手仕事をするか、そのプログラムに関する仕事をしている人。(プログラムではなく、特定の分野に関するエキスパートをいう場合もある。筆者註)
6)悪意をもって、あるいは純粋な興味からある情報を手に入れようとして、そこらへんをうろつく人。例)password hacker.

 いわゆる勤め人(月給取り/サラリーマン)にはなれそうにないことが本人に知れたら、ひょっとしたらショックで再起不能になるかもしれないな(^_^;)。

 電算業界では、

プログラマー(programmer)
1)コンピュータのプログラムを書くことができる人。
2)プログラムを書くことを職業にしている人。プログラムを書くことに職業的な誇りを持っている場合、しばしば「プログラマ」と呼んで区別される。
3)プログラムを書くことを商売にしている人。システム全体を把握しているシステムエンジニアとは区別される。
4)プログラムを書く仕事をしている勤め人。ユーザよりも会社を尊重し、その証しとしてネクタイを締めている点でハッカーとは区別される。

といった大雑把な区分があります。

 ハッカーと 我が名呼ばれん 初時雨  (和田秀男)

 (Maria)


Re: No.13518への反論:親に望むこと 13521へのコメント
No.13523  Wed, 31 Jul 2002 11:08:17 +0900  Lulu [この発言にコメントする]

こんにちは、Luluです。#13519・#13520まとめてレスさせていただきます。

くりあ wrote:
>「克服」という言葉を使われると,やる気・努力が足りないだけで,やれば出来ると言われているように感じてしまいます。
>
>「(自分のものとして)引き受ける」「折り合う」が私には一番しっくりきます。

ヨンカ wrote:
>これって、AS&ADHDに対して後ろ向きな姿勢ではないですか???

私は、ただ現実を受け入れるだけで何もアクション(この中には、カウンセリングを受けることも含みます)を起こさないのは、消極的だとしか受け取れなかったので、「眠れないママりん」様にもう少し現状を前向きに捉えて欲しい、ということを期待していました。(あるいはもう既に前向きに捉えているのでしょうが)それ故、それを「後ろ向き」だと解釈されるのは心外極まりありません。

かく言う私も、1ヶ月前までは「親の過保護のせいで」だとか「いじめのトラウマがひどくて」とか、現状こそ前向きに考えていましたが「過保護」「トラウマ」にかこつけて積極的に動こうとしない人間でした。私自身も今変わろうとしているのであります。
もちろん、「過保護」「トラウマ」の払拭は生易しいものでないことくらい百も承知です。
だから、私は「眠れないママりん」様とその息子さんに期待しているのと同時に、自分自身にも発破をかけているのであります。

ただ、私は以前にも
(#13401)
>私はヒマワリじゃないのだから、努力してもすぐに結果は出ないでしょう。
>でもそれにいちいち苛付いているようでは、結果しか求めない一般社会の一般の人間関係と同じです。こういった相談窓口は、もっと過程を大事にするのが、本来の姿ではないのでしょうか?
と書いているので、「眠れないママりん」様に対するレスと矛盾するのではないのか、というふうに皆様思われるでしょう。矛盾だという御指摘があればこの場でお詫び申し上げます。
しかし、私の意見はあくまでも期待感の表明であって、それ以上のものを望んでいないことを御理解いただきたく存じます。


Re: No.13518への反論:親に望むこと 13519へのコメント
No.13522  Wed, 31 Jul 2002 11:01:34 +0900  aya [この発言にコメントする]

ayaです。

ひょっとしたら、多くの人が誤解をしているのかもしれないですが、
ハッカーというのは、コンピュータ屋さんの中では最大級の尊称です。

ニュースなどでは、ウイルスをしかけたり、コンピュータに侵入したりするクラッカーのことをハッカーというので、一緒くたにされてしまってますが。

ASだからといってハッカーになれるわけではありませんが、確かにハッカーの多くは自閉的な傾向を持つ人が多いようですね。

子供のうちからハッカーに憧れて、それを目指すというのは素敵なことだなと思います。

また情報処理技術者試験は、他の資格と同様、社会に対する尺度以上のものではないと思います。持っていればよし、というような。

例えが適切かどうかわかりませんが、英検1級をこつこつ勉強して取れたら(情報処理試験)、それはそれですごいことだけど、じゃあ英語を駆使して生活したりコミュニケーションしたりできるか(ハッカー)というのとは違う、ということかなと。


Re: No.13518への反論:親に望むこと 13519へのコメント
No.13521  Wed, 31 Jul 2002 09:59:34 +0900  くりあ [この発言にコメントする]

それぞれ各個人の『言葉』のとらえ方の違いから,問題が起きてしまうのではないでしょうか?

Luluさん wrote:
>そのうち、貴方の御子息様がASやADHDを克服された、という嬉しい知らせが届けばいいですね。

「克服」という言葉を使われると,やる気・努力が足りないだけで,やれば出来ると言われているように感じてしまいます。

「(自分のものとして)引き受ける」「折り合う」が私には一番しっくりきます。


Re: No.13518への反論:親に望むこと 13519へのコメント
No.13520  Wed, 31 Jul 2002 02:16:21 +0900  ヨンカ [この発言にコメントする]

はじめましてに近いヨンカです。

はじめましてに近いのに何ですが、

Luluさんの、

>コンピュータ屋のつもりでもハッカーの域を出ない、
>コンピュータ屋になってもASじゃハッカーになるのが関の山
って、ちょっとずれてやしないかなと思いますが・・・。意味あいが逆ではないかと。
まあ、Luluさんの価値観の問題なんでしょうが(←あ、悪く解釈しないでくださいね;;;)

というのも、私、たった今Mariaさんの

>あたしが思うに、自閉症スペクトラムの人間はハッカーにはなってもプログラマーにはなりません。あえていうなら「ならない」じゃなくて「なれない」んですよ。「それ自身の秩序」「それ自身の価値」を尊重するからこそ、あたしたちにはシステムが“見える”んです。

この言葉にじ〜んと感動した矢先だったもので。

あと、

>そのうち、貴方の御子息様がASやADHDを克服された、という嬉しい知らせが届けばいいですね。

これって、AS&ADHDに対して後ろ向きな姿勢ではないですか???


No.13518への反論:親に望むこと
No.13519  Wed, 31 Jul 2002 01:22:56 +0900  Lulu [この発言にコメントする]

こんにちは、Luluです。
問題が大事になっては困るので、新規スレッドで投稿させていただきます。

Maria wrote:
> 情報処理技術者の資格がプログラムを書くことに役に立つかどうかというのは置いておくとして、小学校の六年生に情報処理技術者試験の勉強をさせることで「プログラムを書くこと」の純粋な楽しみを邪魔する(少なくともあたしは仕事のためにプログラムを書いているわけではありません。それが楽しいから書いているのです!)ことに意味があるとは、少なくともあたしはまったく思えないのね。

私は、ただせっかくコンピュータに興味があるのなら、情報処理技術者試験でも受けさせてみてはどうなのか、と提案したのであって、それでうまくいったらそちら(コンピュータ屋の仕事)にも興味を示してくれるのではないのか、ということを言いたかったのであります。
もちろん、興味だけで仕事はできないのは百も承知です。ただ、「全階級制覇」を実現できれば、へたなハッカーよりもよほどコンピュータの知識が豊富なので、仕事にはプラスにはなってもマイナスになることはありえない、それを伝えたかったのです。

もちろん、本人が嫌がっているのに無理に試験を受けさせようとしたりすることまではお願いしたつもりはありません。もし文面がそのような誤解を招いてるとしたら、私の表現力不足が原因ですので、お詫びいたします。
また、せっかく本人が望んで試験を受けたところで、趣味でやっていることとプロがやっていることとのギャップなどを感じ、それらが原因で挫折したりする可能性はあるでしょう。

Maria wrote:
> あたしが思うに、自閉症スペクトラムの人間はハッカーにはなってもプログラマーにはなりません。あえていうなら「ならない」じゃなくて「なれない」んですよ。「それ自身の秩序」「それ自身の価値」を尊重するからこそ、あたしたちにはシステムが“見える”んです。

では、逆にお尋ねしますけど、ASの人間はコンピュータ以外でもプロになりきれない、そういうことなのですか? コンピュータ屋のつもりでもハッカーの域を出ない、それが事実だというのであれば、貴方はどういった仕事がASの人間に向いているとお考えですか? これは、「眠れないママりん」様へのアドバイスにも関わってくる問題です。
コンピュータ屋になってもASじゃハッカーになるのが関の山だなんて、私はともかく、「眠れないママりん」様の息子さんにはどうやって理解してもらうのでしょうか? 私はそちらのほうが、アドバイス次第では「人を傷つけること」にもなりかねないと心配しているのですが、如何でしょうか? コンピュータで飯を食える人間でない、ということが本人に知れたら、へたをすればショックで再起不能になるかもしれません。

Maria wrote:
>ADHDはどうか知らないけど、ASを含む自閉症スペクトラム障害というのは「克服」するような性質のものではないのですけどね。むしろ「(自分のものとして)引受ける」「折合う」といった性質のものです。無神経な励ましは人を傷つけることを学んだほうがいいぞ。

私は、ASをただ「(自分のものとして)引き受ける」「折り合う」ということは一種の「あきらめ」だとしか捉えていません。それ故、私にとっては単なる妥協だけでなく前向きな姿勢が必要だと思います(その前向きな姿勢になることが私の言う「克服」です)が、如何でしょうか? もちろん、AS持ちの人間が持っている個性まで失うようであっては困りますが、…
私みたいな、もうすぐ四十路を迎える人間ならともかく、彼(「眠れないママりん」様の息子さん)はまだ11or12歳です。(既に意識しているかもしれませんが)彼にこそAS&ADHDに対して前向きな姿勢が必要なのではないでしょうか? もちろん、我々はプロではないので、それ以上のことは言えません。

私の表現力が稚拙なために「無神経な励まし」と捉えられたのなら、お詫びいたしますが、AS&ADHDに対して常に前向きな姿勢でいることを求めるのが「無神経な励まし」だというのなら、(もちろんこういうことはないと思いますが)心外極まりありません。


Re: 親に望むこと 13516へのコメント
No.13518  Tue, 30 Jul 2002 23:06:19 +0900  Maria [この発言にコメントする]

 じゃん。黒Mariaだぞ。

Luluさん wrote:
> そのうち、貴方の御子息様がASやADHDを克服された、という嬉しい知らせが届けばいいですね。

 ADHDはどうか知らないけど、ASを含む自閉症スペクトラム障害というのは「克服」するような性質のものではないのですけどね。むしろ「(自分のものとして)引受ける」「折合う」といった性質のものです。無神経な励ましは人を傷つけることを学んだほうがいいぞ。

> 貴方の御子息様は、文面によるとコンピュータが大好きだとありますが、「好きこそ物の上手なれ」で、この際思い切って情報処理技術者試験でも受けさせてみては如何でしょうか? 基本情報処理技術者試験や初級アドミニストレータ試験で一発合格できれば、「全階級制覇」も時間の問題でしょう。

 Luluさんはよくよく外的な評価によって自分がオーソライズされるのが好きなようですね。どうせだったら東大受験でも勧めたらどうですか? 情報処理技術者よりよっぽど威張れるぞ。でなかったら司法試験とかね。

 情報処理技術者の資格がプログラムを書くことに役に立つかどうかというのは置いておくとして、小学校の六年生に情報処理技術者試験の勉強をさせることで「プログラムを書くこと」の純粋な楽しみを邪魔する(少なくともあたしは仕事のためにプログラムを書いているわけではありません。それが楽しいから書いているのです!)ことに意味があるとは、少なくともあたしはまったく思えないのね。

 プログラミングは芸術です。音楽や美術と同じように。で、音楽や絵の好きな子供に音大受験や美大受験のための勉強をさせることがその子供の才能を伸ばすことになるか、あるいはその子供の人生にプラスになるか、ということなんですよ。

 プログラミングの世界には“HACK VALUE”という言葉があります。その人自身の価値、それ自身の価値、といった意味です。「そんなことになんの意味があるんだ?」という質問に、「だって面白いじゃないか」と平然と答えてしまうのが“Hacker”です。

 あたしが思うに、自閉症スペクトラムの人間はハッカーにはなってもプログラマーにはなりません。あえていうなら「ならない」じゃなくて「なれない」んですよ。「それ自身の秩序」「それ自身の価値」を尊重するからこそ、あたしたちにはシステムが“見える”んです。

 「お勉強」で子供の才能を潰すより、「見えないものを見る」という「システム屋の目」を養うことのほうが重要だとあたしは思います。

 (Maria)


Re: 8月4日オフ会のお知らせ 13507へのコメント
No.13517  Tue, 30 Jul 2002 19:47:12 +0900  Helix [この発言にコメントする]

こうもりさん wrote:
> 元々は2ヶ月に1回、奇数月に開く予定だったのですが、最近は発
>達障害相互支援ネットワークの別の活動との兼ね合いで、何月に開く
>のかがはっきりしなくなっております。
>
> ひとまず、次回は9月の最終土曜日か11月の最終土曜日に開かれ
>ることになると思います。(鯨夢が幹事を担当)

こうもりさん、回答ありがとうございました。
それでは9月に行われる事を大いに期待して、今回は見送ります。


Re: 親に望むこと 13512へのコメント
No.13516  Tue, 30 Jul 2002 17:52:54 +0900  Lulu [この発言にコメントする]

こんにちは、Luluです。いきなり失礼します。

貴方の御子息様と、私のケースがほとんど同一のようなので、レスを差し上げました。

眠れないママりん wrote:
>過度の集中があり、それが色々と変わるのですが、今はほっておくとパソコンに取り付かれたようになっています。コンピューターと相性がいいと知り、管理下でやらせていますが、毎日止めさせるのに大バトルです。
>家にいると身の回りのことは言われなければ何もできませんが、気が向くとできます。
>知能的にはずいぶんと高く、知識も豊富ですが、気分のムラが激しく学校では指示に従えないため、成績は悪いです。
>このような状態で、優しく言っても指示に従わずひたすら自分の好きなことをしていますが、怒るとしぶしぶ何でもするので、これではいけないと思いつつ、一日中怒って身の回りのことをさせている状態です。
>会話をしていても、会話中に自分の興味あることの質問をしてくるので会話も成り立ちにくいです。

私も似たような経験がありますが、ただ私は嫌いな授業(私の場合は体育)の脱走経験はありませんでした。ただ当時から得意だった理科や数学(中学では英語も)はめちゃくちゃ一人で盛り上がっていました。
私の高校時代の恩師のアドバイスに、こういうのがありました。
「万能人間になるのではなく、どれか一つ自慢できるもの(私の場合は英語と化学)を持って、それを磨いていくことが大切だ。」
貴方の御子息様は、文面によるとコンピュータが大好きだとありますが、「好きこそ物の上手なれ」で、この際思い切って情報処理技術者試験でも受けさせてみては如何でしょうか? 基本情報処理技術者試験や初級アドミニストレータ試験で一発合格できれば、「全階級制覇」も時間の問題でしょう。

眠れないママりん wrote:
>ほめて励まして、悪い振る舞いを止めさせ、いい振る舞いをわかりやすく説明し教えていく。というのがいいようですが簡単ではありません。
>息子には自覚がなく、こんな風にすると良い。と言ってもイヤなことを言われているとしか思えないようで拒否します。
>言わなければわからない。でも、言うと拒否反応で、さらに自分をダメなやつと考えるような二次障害も心配になります。
>自分のことを指摘されたり指示されるのって、誰だってイヤですよね・・。

ごもっともです。おそらくAS持ちでない人でも嫌でしょう。

ところで、貴方に一つだけお尋ねしたいことがございますが、貴方の御子息様は、学校でいじめに遭われていないでしょうか?
私の場合はいじめの被害が凄まじく、中学ではいじめっ子とグルになっていた先生までいました。
AS持ちの人は、境界性人格障害を併発しているケースが多く、私のようにいじめの原因がすべて加害者の悪意によるものだと思い込むケースも間々あります。すなわち、自分自身がいじめの原因を生み出しているにもかかわらず、それを全く認識できないケースです。
また、こういったケースでは被害者になる場合だけではなく、加害者になってクラスメートから「鬼だ」「悪魔だ」と恐れられる存在になる場合もありますので、PTAの方々とも情報交換が必要でしょう。
このために、いじめが今後暴力事件(最悪殺人)や自殺に至ると、問題がこじれる可能性が非常に大きいということが危惧されます。いじめの問題は大事に発展しないうちに当事者相互間で十分に話し合う必要があります。貴方の御子息様がいじめの事実を隠そうとしても、どこかで隠し切れないところがありますので、それを見極めることが肝要です。

私自身も、ADHD・AS・境界性人格障害・AC(まだ他にあるかもしれない)と、ありとあらゆる障害を同時に背負い込んでいる人間です。(確定診断があるのはASのみ)皆様からのアドバイスを受けて、「多重障害」の克服に取り組んでいるところです。

そのうち、貴方の御子息様がASやADHDを克服された、という嬉しい知らせが届けばいいですね。


Re: 親に望むこと 13512へのコメント
No.13515  Tue, 30 Jul 2002 12:41:12 +0900  名加野 [この発言にコメントする]

 眠れないママりんさん、こんにちは。名加野と申します。
 僕は22才の社会人になったばかりで、まだまだ親の庇護を受けないと生活できていないので、子供の立場から書かせていただきます。

>普通クラスですが、興味のない授業には参加せず、他の場所へ行ってしまうなど、他にも問題は多いですがどうにか通っています。

 授業を逃亡まではしませんでしたが、その時間の授業とは全く関係ない教科書読んでたりして怒られてました。自分的には、その教科書の授業が途中で終わってしまったので、「続きを読みたいな」というだけだったのですが、時間の概念が乏しかったせいで、周囲との時間がずれていたようです。興味の無い授業に関しては、鼻歌歌ってたりして怒られましたね。
 ……っと。僕の事例とは違うかもしれませんね(^^;

>過度の集中があり、それが色々と変わるのですが、今はほっておくとパソコンに取り付かれたようになっています。コンピューターと相性がいいと知り、管理下でやらせていますが、毎日止めさせるのに大バトルです。

 色々と変わると言うのは、集中する「物」が変わるんでしょうか?
 僕もファミコンやってて親と毎日バトルでしたが……。

>家にいると身の回りのことは言われなければ何もできませんが、気が向くとできます。

 そうです。僕も言われないと殆ど出来ません(やりません)が「気が向けば」できるんです。ただ、そこに至るまでの時間がかかり過ぎるんです。気長に待ちましょう。

>知能的にはずいぶんと高く、知識も豊富ですが、気分のムラが激しく学校では指示に従えないため、成績は悪いです。

 他人のやり方が自分とあわないんじゃ無いかと思います。自分流にやりたいのに否定される。逐一指定されると、何かむかついてくるものがあり、言うとおりに出来ないとかありますが(^^;
 僕の場合は結果は同じと本人は思っているんですが、「やり方が回りくどい」らしく、敬遠されます。なものですから、そこの所を説明されて納得した場合別のやり方でもスムーズに移行できるんですけど……。

>このような状態で、優しく言っても指示に従わずひたすら自分の好きなことをしていますが、怒るとしぶしぶ何でもするので、これではいけないと思いつつ、一日中怒って身の回りのことをさせている状態です。

 それやられたら、毎日気分悪いでしょう……。
 出来れば、最初のうちはその行動に対するメリットを与えてあげるのが良いと思います。

 ・風呂に入るとさっぱりして気持が良い
 ・部屋を片付けるとゴロゴロ出来る

 あまり良い物が思いつかなかったです……。けれど、そう言う風に何かやる気を起こしてくれるのであればやるはずです。始めるまでが長い分、逆にやり始めたら短時間で課題が終わる事の方が多いのではないかと思うんですが、その辺りどうなんでしょうね?

 後は、強制しないでやり始めるまで待つ事です。せっかくやる気になっても誰かが、「やらないの?」って言っただけで、やる気がゼロになる可能性を忘れないで下さい。僕はそうなんですけれど、自発的にやる場合は行動力が大きくなりますが、指示されるとゼロに近くなるんです。何回親の催促の台詞で気分が台無しになった事か……。難しいですね。

 あ、上記の行動促進用メリットなんですが僕の場合のNGです。参考にならないでしょうが乗っけておきます。

 ・「〜を食べると体に良いから食べろ」(こんな曖昧な台詞で好きでない物食べるかボケェ!)
 ・何度も分かりきった同じ台詞を言われる

 こんな事ばかり言ってると、最初はしぶしぶ従うでしょうが、その内やらなくなります。

>会話をしていても、会話中に自分の興味あることの質問をしてくるので会話も成り立ちにくいです。

 同じです。最終的には親の「お前と話してると疲れるよ」で終わり。悲しいです。色々アドバイスは貰いましたが、活用するには時間と経験が必要と思います。
 話しがよく飛ぶ事に関しては、その内自制が少しは出来るんですけど、本当に少しでしかないのが痛いところですね。

>息子には自覚がなく、こんな風にすると良い。と言ってもイヤなことを言われているとしか思えないようで拒否します。

 口だけで説明されてもわからないです。実際に実演された方が早いのかもしれません。実際言い方にも寄りますが、嫌味にしか聞こえない時も在りますしね。

>言わなければわからない。でも、言うと拒否反応で、さらに自分をダメなやつと考えるような二次障害も心配になります。

 うちの場合は最後には拳骨が飛んできます。でも結局無駄でした。2度やる事は3度やる……と。何度殴られても分からない物は分からないですしね。特に説明が不充分だと。

 ……あまり参考にならなかったかもしれませんが、気長に待つのが良いと思います。眠れないママりんさんも気分転換した方が良いんじゃないでしょうか?
 長くなりましたが、それではまた。

追伸:
 うちの団地(僕は5階に居ますが)1階の母親が、大変ヒステリックに怒るので大変子供がかわいそうです。外までよく聞こえてくるんですよ。子供の泣き声とか激しい叱責の声が。夕方よく聞こえるんです。あんな怒り方だと子供に恐怖心しか与えないんじゃないかと大変心配です。今はもう引っ越していませんが。


Re: 親に望むこと 13512へのコメント
No.13514  Tue, 30 Jul 2002 09:34:33 +0900  Maria [この発言にコメントする]

眠れないママりんさん wrote:
> 普通クラスですが、興味のない授業には参加せず、他の場所へ行ってしまうなど、他にも問題は多いですがどうにか通っています。

 興味がなくても教科書(&副読本)だけは読んでおき、授業中は自分の席についていて、退屈だったら居眠りなり早弁なり内職なりをバレないようにやりなさい、と教えてあげてください。
 数学的(あるいは論理的)なパズルを解くというのはけっこうお薦めです。

> 過度の集中があり、それが色々と変わるのですが、今はほっておくとパソコンに取り付かれたようになっています。コンピューターと相性がいいと知り、管理下でやらせていますが、毎日止めさせるのに大バトルです。

 この場合、問題は眠れないママりんさん側にありそうに思います。「過度の集中」といいますが、過度だから集中なのです。文字通り寝食を忘れるようでなければ集中とはいえません。
 「パソコンにとり憑かれたようになっている」とのことですが、ネットサーフィンなのかチャットなのかゲームなのかプログラミングなのかPCの自作なのか動作原理の研究なのかが文面からはわかりません。おそらく眠れないママりんさん自身がパーソナルコンピュータのことがよくわかっておらず、ひとくくりに「パソコン」でくくっちゃっているのでしょう。
 昔はコンピュータ室に“棲んでいる”ような大学生なんかがゴロゴロいたものです(最近はコンピュータが安くなったので自分の部屋でやってますが)。で、コンピュータ室にはハッカー予備軍のガキが何人もチョロチョロしていて、そのガキが長じてパーソナル・コンピュータ黎明期にはカリスマ・プログラマーとして活躍していました。
 専門家の指導の下で徹底的にやらせる、というのがおそらくは最良の解決策です。

> 家にいると身の回りのことは言われなければ何もできませんが、気が向くとできます。
> 知能的にはずいぶんと高く、知識も豊富ですが、気分のムラが激しく学校では指示に従えないため、成績は悪いです。

 あたしの周囲にいる人は、だいたいそんなもんです。それでも二十代も広範になって部下を持つようになると、けっこうまっとうな社会人になってしまいます。

> このような状態で、優しく言っても指示に従わずひたすら自分の好きなことをしていますが、怒るとしぶしぶ何でもするので、これではいけないと思いつつ、一日中怒って身の回りのことをさせている状態です。

 なるべく放っときましょう。異性とファッションのことしか頭にない馬鹿よりだいぶマシです。世俗の雑事に煩わされず、自分の本道を貫くというのは大事なことです。

> 会話をしていても、会話中に自分の興味あることの質問をしてくるので会話も成り立ちにくいです。

> ほめて励まして、悪い振る舞いを止めさせ、いい振る舞いをわかりやすく説明し教えていく。というのがいいようですが簡単ではありません。

 発達障害児は伸ばせる枝が少ないので、「とりあえず伸ばす」ことを考えたほうが正解です。分別は年齢が進むにつれて後からついてきますが、年齢が高くなってから能力を伸ばすというのは非常に困難です。「角を矯めて牛を殺す」「助長」といった愚を犯さないことです。

> 息子には自覚がなく、こんな風にすると良い。と言ってもイヤなことを言われているとしか思えないようで拒否します。
> 言わなければわからない。でも、言うと拒否反応で、さらに自分をダメなやつと考えるような二次障害も心配になります。
> 自分のことを指摘されたり指示されるのって、誰だってイヤですよね……。

 人間は自分のことが分からないほどバカではありません。たとえば太った人は自分が太っていることをちゃんと知っており、痩せたほうがいいと思っているのです。ですから、そういう人に「おまえはデブなんだ。分かっているのか!」とかいって 説教を垂れるのは気持がいいかもしれませんが、それは問題解決にまったく結びつきません。太っている人には太りつづけている理由があり、その理由が解消されなければ仮に痩せたとしても他のところに他の形で問題が出ます。
 人間には自分自身をコントロールする権利があるのですが、自分が何かをしたこと(あるいは、しなかったこと)の結果に対する責任というものが同時に生まれます。ところが、教師だとか保護者だとか上司だとかはその人をコントロールしようとしながら、「自分の責任で」それを行なうことを求めます。こういうのを無責任、あるいは「いいとこ取り」「やらずぶったくり」と世間では云います。
 相手のやることをよく観察して、その人のやりかた(スタイル)がどのようなものであるかをよく見きわめ、それから相手のやりかたに沿った助言をする、というのがたぶん正解です。
 なお、本人が何かをやっている最中に矢継ぎ早にあれこれ言って失敗させる馬鹿な教師やら親やら上司やらが腐るほどいるのは困ったことです。ゴルフ・トーナメントでショットをしようとするゴルファーに向かって「ヘッドアップするな!」「ボールを良く見ろ!」「スイングに集中しろ!」とか大声で叫ぶギャラリーがいたとしたら、競技妨害でつまみ出されます。助言は計画段階において済ませておき、本番では口を出さないようにしましょう。

> こんなに指摘&怒ってばかりいて……このままでは、親子関係が悪化する一方ではないか?

 言っている意味が理解できません。本人が「指摘」しているつもりでも、実際には単なる「侮辱」だったり「妨害」だったりしたら人間関係が悪化するのは当然ですが、必要な指摘を行なって関係が悪化する例はあたしの体験上あんまりありません。もしも関係が悪化したとしたら、それは指摘の方法が悪いのです。「おーい、鼻毛が出てるぞぉ!」と遠くから大声で叫ぶ馬鹿はいないと思います。
 さらに、相手を「叱る」のはいいのですが、相手に「怒る」というのは自分の怒りの感情を相手にぶちまけることであり、これは確実に人間関係を悪化させます。本人が「叱っている」つもりで、じつは自分の鬱憤を「怒る」という形で発散させたりするのは、「八つ当たり」といってこれはもう最低の行為です。「私は誰からも理解されないし好かれない」とか言っている人は、たいてい年中八つ当たりをしている人です。

> いい関係を保てている親子の親とはどのような方なのでしょうか?

 グレゴリー・ベイトソンでも研究してください。「ダブル・バインド」というのがいちばん悪い、というのが定説になっています。

> 私の姉もアスペルガーではないかと思いますが、私の親は姉にはかなり口うるさく言います。そのため親子関係は最悪で結婚してからの姉は実家に近づきません。

 無力感にさいなまれている人は、他人をコントロールしようとします。で、他人をコントロールしたいと思っている人は、他罰的になります。「あいつはダメなやつだ→だからおれが面倒をみてやらなければいけないんだ」という思考回路ができあがっていて、「心配だから」「責任があるから」とかいって人のことに何かにつけてちょっかいを出します。
 だったら自分が力をつけてセルフ・コントロールを回復すりゃあいいと思うのですが、焦りがあるので長期的な展望に基づく努力ができず、目先のことにすぐ飛びつきます。

 自分の影響力に自信のある人は、「フリーハンド戦術」というのを使います。相手に、「あなたは何をしたいと望んでいるのですか?」と訊き、「できることがあれば協力しましょう」というのがこれです。つまり、「選択を相手に委ねる」のです。「なんでも部下がやっちゃうんで、私は仕事がない」とぼやき、部下が「好きなようにやらせてもらっています」というような上司は、がっちり部下を掌握しています。

> 何をどうするのがいいことなのか、全く前が見えなくなる時があります。
> 躾すらろくにできていません。田舎のため、公的援助も受けにくい状態です。
> 親子のいい関係を保っている方、どのようにしていますか?
> どのようなことに気をつけるとうまくいくのでしょうか。

 「何をどうするのがいいことなのか」「どのようにしていますか?」「どのようなことに気をつけるとうまくいくのでしょうか」という発想自体が問題なのです。「するべきことを、しない」で失敗する親は多いですが、「してはいけないことを、する」で失敗する親はその何十倍もいるはずです。
 拾ってきた猫が隙間に入り込んで出てこないときに、むりやり引きずりだしたら懐きません。そういう時は餌と水とトイレを用意して放っておくのです。で、そのうち用があれば向こうから寄ってくるようになります。猫には猫の摂理があり、どう育てても犬にはなりません。猫に何かをさせようとしたら、猫の行動パターンをやりくりしてどうにかするしかないわけで、本来の行動パターンにないことを「やれ」と言っても無理ですし、本来あるべき行動パターンを禁止することもできません。で、人間と猫が違うのは、せいぜい「人間は自分の行動をプログラムできる」という一点です。
 「人間をありのままに見る」ことと、「“自分”という思い通りにならない厄介なものとどうつきあうかを考える」ことが、おそらくは出発点なのだと思います。

 とはいえ、「“自分”が思い通りにならないから、相手に面倒を押しつけて問題を解決する」人が多いんですがね。

 (Maria)

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