アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
眠れないママりん wrote:
>>
>授業中は興味のないものは抜け出すだけでなく、先生が説明している間にもおかまいなしに冗談を言い、ウロウロ歩き回ったりもします。
>面倒な(特に書くこと)授業はもちろん、掃除や当番もほとんどやっていません。やらせようと思っても、寝転んだり逃げかくれして全くやらないです。物の管理もできず、指示もほとんど聞いていないので、私が先生に毎日電話しているような状態です。>同じ学年ではある程度理解もあり、イジメなどはほとんどありませんが、他の学年では悪口をいう子もいて、(いつも同一人物ではないので対策に頭を悩ませていますが)そんな時は手も出るので、突き飛ばした、物を投げたなどトラブルも多いです。また待てない、つまらない、などのことでもトラブル多発です。
>これで普通学級でよいのか?と悩むこともありますが、教科をこなす能力には問題がないことと、友達と遊びたがることや、社会性が必要と思い、そのまま通わせていますが、補助の先生をつけてもらったこともあります。
うーん。このような場合はかなり対応が難しいと思います。場合によっては、抗うつ剤・リタリンなどの中枢神経刺激剤の投与が有効なのですが、子供にこれらの薬を飲ませるのには、依存性等の問題もあるので、慎重にすべきだという意見もあります。
>パソコンは止めさせなければ、朝起きてすぐに電源を入れ、着替えもせず、ご飯ができても、話しかけても返事もなく、寒くてもストーブもつけず、暑くても同様で、他のことが全く目に入らずです。
私もインターネットというものにのめりこんで以来、結構そんな感じです。
こんばんは
初めてのカキコでしたが、たくさんのレスありがとうございます。
気がつくと掲示板が白熱していて、どこにお返事をしてよいのか・・
読んでくれた皆さんへ
レスは色々と参考になりました。
ただ気がついたのが、息子の障害としての程度が重い。ということでした。
状態を詳しく言うと・・
授業中は興味のないものは抜け出すだけでなく、先生が説明している間にもおかまいなしに冗談を言い、ウロウロ歩き回ったりもします。
面倒な(特に書くこと)授業はもちろん、掃除や当番もほとんどやっていません。やらせようと思っても、寝転んだり逃げかくれして全くやらないです。物の管理もできず、指示もほとんど聞いていないので、私が先生に毎日電話しているような状態です。
同じ学年ではある程度理解もあり、イジメなどはほとんどありませんが、他の学年では悪口をいう子もいて、(いつも同一人物ではないので対策に頭を悩ませていますが)そんな時は手も出るので、突き飛ばした、物を投げたなどトラブルも多いです。また待てない、つまらない、などのことでもトラブル多発です。
これで普通学級でよいのか?と悩むこともありますが、教科をこなす能力には問題がないことと、友達と遊びたがることや、社会性が必要と思い、そのまま通わせていますが、補助の先生をつけてもらったこともあります。
パソコンは止めさせなければ、朝起きてすぐに電源を入れ、着替えもせず、ご飯ができても、話しかけても返事もなく、寒くてもストーブもつけず、暑くても同様で、他のことが全く目に入らずです。内容はほとんど組み合わせて自分の好きに作るゲームをやっています。どうせなら好きなことを伸ばそうと思い、パソコン教室にも通わせています。指導者の指示に従うのも難しいようですが、なんとか工夫してもらい今はほとんど個人指導でエクセルなどをしているようです。
私が教えているつもりでもだんだんと怒ってしまうのはどのような障害かがわかっているつもりでもうまく対応できていないことと、知能と障害に開きがありすぎて、錯覚を起こすことが問題なのかもしれません。
皆さんのレスを読んでいて、自分の分析ができるようになり、工夫していけるようになるまで、気長に構えるのも必要だと思いました。
実際場面での授業中は先生の話を聞くようにではなく、こっそり違うことをするよう教えたいと思います。そのほうがよほど現実的な対応ですね。参考になりました。
またここにお邪魔すると思いますが、よろしくお願いします。
お久しぶりです。ぺりこです。
Luluさんはじめまして。
Luluさんが協調性を身につけたいと思っているのかな?と思ったんで、久しぶりに出てきました。
もしそうなら、私が今まで経験して感じてきたことが、少しは参考になるかもしれないんで読んでみて下さいね。
自分がただ自分のままでいるだけなのに、人に誤解されたり、悪い状況に陥ってしまったりするのは、辛いですよね。私もそうでした。その瞬間は、”周りの人たちが悪い”としか思えないしね。
ただの多数派と言うだけで、少数派である私を攻撃してくると思ったこともあります。
それで、いやな状況から抜け出るために、自分で出来ることを考えてみたら、私の場合は、他人を黙って観察することだったんですよ。
そして、観察、分析、検証をふまえて完璧に近い形で多数派のまねをしてやろうと思ったのです。
こういう事例に対して、この人はこういう物言いをする、あの人はあんな風に振る舞う・・・でもそれはなぜか?・・・わたしだったらどうするか?
それで、他人と比べて初めて自分の思考癖と言うか、行動癖と言うか・・・に気づいたんですけど・・・
1 プライドが高いので、人の話を素直に認めることが出来ない。
2 物事をおおげさに考えすぎる。
3 人を信じていないくせに、調子に乗って甘えすぎる。
4 すべてが自分を中心に回っていると思ってる。(ちょっと言い過ぎ?)
5 暗黙の了解とか、雰囲気で判断するのが面倒(分からないわけではない)なので、言葉に左右されてみる。(要は人に責任を置くと言うこと)
6 自分の都合が悪くなると見え透いたごまかし方をして、うその上塗りをする。
7 いつも、言い訳を考えている。
8 自分のことしか考えていないので、人の話を聞いていないし、また覚えていない。(態度で見え見え・・・)
9 他者は、自分の話の聞き役と思っているので、そうしてくれない人は嫌なやつだと思う。
10 自分が合わせるのではなく、他者が自分に合わせるべきだと思っている。
11 井の中の蛙であることに気づいていない。
12 いさぎよくない。
13 無神経。
ちょっと自虐的ですが、まあこんなもんです。
で、直すっていっても気がついたらこうなってたんだから、もう今更どうしようもない、全部認めて私はこうなんだと・・・
協調性を多数派と同じ所に持っていくのは並大抵じゃない、あきらめようと思いました。でもだからって落ち込んでるんじゃ脳がない。
性格は直らなくっても、行動は変えられると思って、私の場合、自分の得意なことを一生懸命やることと、真摯に生きていくことを自分に課しました。
その二つに背いていなければ、いろんな事があって落ち込んだとしても、自分は大丈夫と思おう。って決めたのでした。
自分をどうにかしたいと思った時ってきっとチャンスだと思うんです。
自分のことなのだから、時間はかかっても一つずつ自分で決めていって良いと思うんですよ。
(ぺりこ)
星子 wrote:
>一番(仕事で接点を築く為に良い作業ができる為に)良いのは、
>「ヒト」を直接に入れないことです。
で、結局は、
「一人で勝手に作っていって、その中から好きなものを選んでもらう方が
絶対上手く行く」
ということです。
やってる自分が楽しいし
アタマ冴えるし
良いデザインものがポコポコ生れるし
ヒトともめないし
第一スムーズに事が行くし
売れるし。
意外だったのは、自分で勝手につくるモノの方が個性的で良いと評判だったことで
した。
自閉症は「応用が利かない」と言われていますが、
こればっかりは家族も不思議がっていました。
Maria さんwrote:
>Luluさんwrote:
>私は、自分が死んだときに誰も涙を流してくれないような人生がたまらなく嫌な
>ので、自分の協調性の悪さを何とかしたいのであります。
> だから、「ASであることの現実をありのまま受け入れる」は“出発点”だとしつ
>こく言っておろうに!
星子です。
お久しぶりです。
私は最近アクセサリー制作で毎日、「自分」と「ヒト」との
情報伝達や、身体のコントロール(作動方法)の実験的な毎日です。
で、分ったことなのですが、
1.人に受け入れてもらいたい。
(生きているニンゲンとして自分の存在を認められて、
上手い接点付き合いが欲しい。)
2.自分の能力も発揮でき、それによってスムーズにコミュニケートにも繋がる。
これ、理想だと思うんですが、
人間(非自閉)的に成長しようとするほど 、返って上手く自分の能力も発揮できない
ことが分りました。
自分の作業の中にヒトの解釈やらウジャウジャウジャの話しで「話し合おう」
とすると、こじれるだけで、
しかも「デキナイし、それじゃワカラナイ」というのが向こうにはワカラナイ
ので、「こういうデザインのお願い。」
「この間購入したブレスを結婚式で付けたいので、衣装は紫ですが
おそろいのネックレスを作って欲しい」
とかいろいっろ、沢山言われても、
1.材料の購入時間やら考えても間に合わない
2.自分が勝手に作り出す分には、なかなか良いものができるが、
「〜〜をお願い」と言われると、さっぱり作れなくなる。
↑想像力の欠如
(忘れる)
3.すごい量の注文(「私はこういうのをお願い」と、作ったことの無い人
の説明はあやふやで適当でさっぱりワカラナイ)を受けて状況と時間設定
がワカラナクナル
↓
それで、間に入ってくれている人と結局もめて、自分も喋りたくも無いのに
受けるストレスで機関銃の様に騒ぐ破目になる。
一番(仕事で接点を築く為に良い作業ができる為に)良いのは、
「ヒト」を直接に入れないことです。
自分の作業への集中力が冴えて、パッ!とアタマが冴えるのは、
「ヒト」が直接に「いない」状況の時です。
本当に上手くいきます。
冴えます。
でもこの場合、ある程度作業に「馴れ」てきてスムーズにこなせるように
なってからの話しです。これまでに一山あるのですが。
冷静に把握できないのはやっぱりヒト(特に身近な家族)が動き回る(一方的に
話しされるし)昼間はダメージキツイし、上手く行かない。
夜の方が、作業やデザイン・色の組み合わせインスピレーション
は冴えて、ヒトにも「これ良いわ!」と好評で評判が上がるし、
家族とのイザコザ、揉め事も減るのでした。
ヒトの為・自分の為、夜型になろうかと今ちょっと本気でおもっています。
(ずっとでは無い)
タレイヌさん wrote:
>こころあるセラピストは、なんと!!ここのサイトを、紹介します。
>そのぐらい、ここには、隠れた、セラピストが、一杯いるもようです。
>セラピストは、資格をとって、たくさんお金をもらって、お話する、お
>仕事です。ここのセラピストたちは、みんな、ボランティア・・・・。
この問題をまたしても断章体にて…
(1)支援とは自転車の補助輪のようなものであって、運転手(クラン
ケ)が補助輪なしで運転できるようになった時点で取り外される
ことが望ましい
(2)必要とされなくなることこそが支援の最大の目標である
※支援を否定している訳ではない。現行の支援制度の不備は痛いほど分
※かっているつもりである。
(3)カウンセリングとは周囲に問題を話し合える仲間を持たぬ者が利
用する補助輪のようなものである。
(4)問題を話し合える仲間を持った時、この補助輪は取り外すことが
可能になる。
※別にカウンセリングを受ける権利を否定している訳ではない
そんな訳で、わたしのカウンセリング・イメージ。(あくまでわたし
の考えだぞ)カウンセリングと言うのは、他人に悩みを話すための練習
みたいなもの。そして、自分の言葉で悩みを語ることができるようにな
り、専門家でもない第三者と悩みを話し合えるようになったら、この補
助輪(カウンセリング)は取り外されていくようなものなんだと思って
います。可能であれば、悩みを相談するだけではなく、他人の悩みの相
談に乗れる状態になっているのが理想的です。
一見すると素人相談しかできないように見える館の掲示板やオフ会。
しかし見方を変えれば、カウンセリングよりも1歩前衛的な活動になっ
ていたのでした。
東京オフ会の準備やら、夏期休暇に入った職員の穴埋め仕事やら、個人
的なトラブル解決のために話題に乗り遅れてしまったこうもりです。シク
シク。
まずはわたしの意見。個人的に好きな文体である断章体での記述です。
(1−1)「ASという障害をありのままに受け入れること」と「障害と
うまくつきあっていけるように自己対策を立てること」は矛盾する
ことなく、両立する。
(1−2)ASという障害をありのままに受け入れている人が障害とうま
くつきあっていけるような工夫をしていない訳ではなく、つきあっ
ていくための工夫をしている人間が自分の障害をありのままに受け
入れていない訳ではない。
(2)発達障害に分類される障害者は障害を消去することはできないが、
障害を抱えながら成長を続けていく道が残されている。ただし、自
閉人が自閉でないものになることはできない。
(3−1)障害の受容には「自分の欠点を受け入れる」ことも含まれる。
自分の欠点を受容しないままの自己対策は心理的に危険である。
(3−2)例えば、亀はどんなに努力してもうさぎのように早く走ること
はできないし、うさぎはどんなに努力しても亀のように泳ぐことは
できない。亀がうさぎのように早く走ろうと努力したり、うさぎが
亀のように泳ごうとするのは徒労な努力である。
(3−3)亀もうさぎも生存に支障がなければ欠点があること自体は問題
とならない。障害者も社会生活に支障がなければ、欠点があること
自体は問題にならない。
(3−4)自分の欠点の中で何が社会生活の支障となっているかはよく見
極めておく必要がある。支障とならない欠点は趣味でもない限り、
放置しておくのが最も適切な方法である。
(4)自己対策は自分の欠点を受容した上で行なうことが望ましい。
黒Mariaだじょ。だじょだじょだじょ。
Luluさんwrote:
> だとしても、私とか、「眠れないママりん」様の息子さんのように、協調性に大いに欠けるケースでは、放置しておくこと自体が問題でしょう。どこへ行ってもトラブルメーカーでは、社会には適応できませんし、しまいには社会から見捨てられて孤独死、ということにもなりかねないでしょう。自殺願望のある人でもない限り、誰も孤独死は望まないでしょう。私は、自分が死んだときに誰も涙を流してくれないような人生がたまらなく嫌なので、自分の協調性の悪さを何とかしたいのであります。
眠れないママりんさんは、「普通クラスですが、興味のない授業には参加せず、他の場所へ行ってしまうなど、他にも問題は多いですがどうにか通っています。」とお書きになっておられます。あたしが思うに、その程度だったら「放置しておくこと自体が問題」なほど「協調性に大いに欠ける」とは思えないんですけどね。社会全般に対してはトラブルメーカーであっても、地域社会においては「あの人はああいう人だから」で許されちゃう部分はあります。ですから、一般社会においては制度的行動、地域社会には本来的行動、といった形で使い分けることで、人間は幸福に生きてゆけるのですよ。
うち(大森総研)の所長は「ダメなおぢさん」ですが、そのダメさ加減を愛しているひとがいるわけです。自分に欠点があるからという理由で全人格を否定されたからといって、他人が「欠点を持っていること」を否定する権利はないぞ(気持は分からんでもないけど)。そんなこと言ってたら、「障害者は生きる権利がない」みたいな話になってしまいます。
ダメな自分を他者と共有するのは気持いいぞ。これを「後ろ向き」というのなら仕方ないけど。
> ただ、「ASであることの現実をありのまま受け入れる」だけで終わってしまうのは私には消極的だとしか思えません。
だから、「ASであることの現実をありのまま受け入れる」は“出発点”だとしつこく言っておろうに!
> それは、私の「前向きな姿勢」が否定されたからです。それより、私にはなぜ「克服」とかという言葉が不愉快に受け取られるのか、判りません。だから、「現状を前向きに捉えてどこがいけないんだ」みたいなレスになってしまう、ということです。
そうではありません。「克服」という言葉が不愉快だからといって、「前向き」ではないと決めつけられるのが厭なのです。で、自閉症スペクトラム障害を持つ人々のうちの少なからぬ人々が、「威勢のいい」「勇ましい」「積極的な」スローガンに反感を持っている現実をLuluさんが認めようとしないのが不愉快なのです。
タレイヌさんwrote:
> こころあるセラピストは、なんと!!ここのサイトを、紹介します。
> そのぐらい、ここには、隠れた、セラピストが、一杯いるもようです。
> セラピストは、資格をとって、たくさんお金をもらって、お話する、お仕事です。
> ここのセラピストたちは、みんな、ボランティア……。みんな、親切。ただ、文章の、歯切れが、ものすごくいいのが、かえって、めずらしいのかもしれません。
>
> 意見は、そのまま自分に取り込んではいけません。自分のすぐ横に置いてみて、それを眺めながら、自分とは何処が違うのかを、ゆっくり、観察してみましょう。
「ボランティア=無償」という訳ではないのですが、少なくとも『アスペルガーの館の掲示板』に関しては、「金払ってでもカキコしたい」というROMさんが山ほどいたりします。だけど、自分の悩みをuploadすることに対して「正当でない」「僭越である」と考えて遠慮してる人がけっこういらっしゃるのね。ましてあたしに直接メールを寄越してくださるかたは本当に僅かです(あたしも別に暇を持て余してるわけじゃないけど、真摯なご相談にお応えするくらいの時間と熱意の持合せくらいはあるのね)。
翻ってLuluさんはその貴重な場に自分の感情を垂れ流しているように思われていると思われるわけで、それを考えると、もう少し「慎み」というものを持っていただきたいと思います。
> (黒Mariaファン・タレイヌ)
身に余る光栄です。ありがとうございますm(_ _)m。
では。
(Maria)
りげる wrote:
>私はロールシャッハテストで、協調性のなさ、自己を客観的に見ることが
>できないという、自分の性格にずばり当てはまる部分を指摘されました。
関心があることなので、わたしからりげるさんにも質問をしたいのですが、よろしいでしょうか。
りげるさんは、どういう状況でロ・テストをお受けになったのでしょう。ロ・テストの結果に基づいて、何らかの診断を受けたのですか。
この質問に直接お返事していただかなくてもいいのですが、わたしがこの質問をしたのは、テストをする側がどんな枠組み/視点を持っているかということに、結果の最終的解釈(診断・評価)は影響を受けると思うからです。つまり、自閉症スペクトラムという診断が念頭にない医師や心理士がどんなテストをしようとも(どんなにクライエントと誠実に丁寧に関わろうとも、でもいいのですが)自閉症スペクトラムという結果は出てこない。「協調性のなさ」など個別の特徴は当たっていても、と思うのです。
わたし自身は、「インクのシミ」のカードを見せ、「どんな形に見えるか」と問うテスト自体に、「当てにならなさ」はないと思います。チェックリストのようにはっきりとした目的を持つテストではないからこそ、ロ・テストが生きるのもそうでないのも、使い方次第だと思います。
---------------------------------------------
ロ・テストがそもそもどういうものかということについてより詳しく知りたい方には、以下の論文がおすすめです(3つ挙げます)。
「ヘルマン・ロールシャッハの生涯と仕事(1884-1922)」
『エランベルジェ著作集 1−無意識のパイオニアと患者たち』(中井久夫編訳、みすず書房、1999)所収
「エランベルジェ教授とロールシャッハについて」
「ユスティーヌス・ケルナーからヘルマン・ロールシャッハへ」
いずれも『中井久夫著作集 2巻−精神医学の経験「治療」』(岩崎学術出版社、1985)所収
シペラス wrote:
先日、ある本で読んだことですが、リタリンには悪性症候群(以下のURLをご参照ください)という深刻な副作用があるようです。
>
http://www.novartis.co.jp/prodcut/rit/os/os_rit9803.html
急に寒気を伴う高い熱が出たり・体が硬直したりといった、どこかいつもと異なる様子が、服用者に見られた場合は、直ぐに病院へ連れて行ってください。
特に子供や過去に抗うつ剤・トランキナイザーの投与を受けたという人は、ご注意ください!
(#13536の続き)
それよりも、私が今知りたいのは、協調性の欠如がASが原因なのか、それとも境界性人格障害が原因なのか、それに対する明確な回答です。それについては、その道のプロでないと見極めができないでしょうから。そのためのカウンセリングも必要でしょう。
もし、協調性の欠如がASが原因だということであれば、へたな努力よりは個性として残しておいたほうがよい、だとすると最悪私は一生トラブルメーカーのままで過ごさなければならない、ということでしょうか? 人間関係が悪いまま、私は一生恋愛もできないまま孤独死という運命しか待っていない、ということなのですか? こんな残酷なことって、あっていいんですか? (私はASよりも境界性人格障害が原因だというアドバイスを期待しています)
現状を素直に受け入れるだけで何ら対策をとらない、というのが最良の選択肢であるというのなら、私にもそれなりの覚悟があります。
くれぐれも言っておきますが、私は自殺願望だけはありません。「それなりの覚悟」に対して、自殺の心配だけは無用です。
Lulu さんwrote:
>私は、たとえ結果がマイナスに出たとしても、カウンセリングは必要だと考えてます。もしここでカウンセリングが裏目に出るようなら、経験者である貴方方の意見を参考にすればよろしいのではないでしょうか?
タレイヌです、はじめまして、だったかな?(う〜ん、危ない記憶だ)
こころあるセラピストは、なんと!!ここのサイトを、紹介します。
そのぐらい、ここには、隠れた、セラピストが、一杯いるもようです。
セラピストは、資格をとって、たくさんお金をもらって、お話する、お仕事です。
ここのセラピストたちは、みんな、ボランティア・・・・。みんな、親切。ただ、文章の、歯切れが、ものすごくいいのが、かえって、めずらしいのかもしれません。
意見は、そのまま自分に取り込んではいけません。自分のすぐ横に置いてみて、それを眺めながら、自分とは何処が違うのかを、ゆっくり、観察してみましょう。
(黒Mariaファン・タレイヌ)
Luluさん wrote:
>こんにちは、Luluです。
>
>どうやら、貴方の御回答が一番的を射ているようです。
Luluさんのレス読んでいつも思うのですが、この表現は他のアドバイスはあまり「的を射ていない」と読めて、思わず反発しそうになります。
つまり「的を射ている」「的を射ていない」という解釈は、全ての方法を試した結果そうだった。というならわかるんですけど。
そうでない場合は「一番理解できる」とか「一番共感できる」という言い方のほうがいいように思います。
たびたびすみません。
Maria wrote:
> Luluさんの物言いでは、「ASであることの現実をありのままに受け入れること」が「あきらめ」であるように読み取れるのですが。
もしそのように受け取られたのであれば、私の表現力不足が原因ですのでお詫びいたします。
ただ、「ASであることの現実をありのまま受け入れる」だけで終わってしまうのは私には消極的だとしか思えません。
Maria wrote:
> Luluさんが「『私は自閉症である』という現実をありのままに受け入れること」に対して過剰に感情的になるのは、自閉症に対する嫌悪あるいは差別の感情があり、自分自身が自閉症スペクトラム障害を持っていることを認めたくないからではないか、とあたしなどは考えてしまうのですがね。
認めたくない、というより現状のままでいるのがたまらなく嫌なのです。それもそのはず、私は今まで39年間恋愛の機会はおろか、友人にも恵まれなかったのですが、その原因の一つがASの特徴である「協調性の乏しさ」であることが判った以上、これ以上孤独感を拡大させるのにはもう耐えられません。
もちろん事実をストレートに受け入れることは必要でしょう。実際、私はASについては確定診断もありますし、ADHDや境界性人格障害についてももうじきカウンセリングを受ける予定です。
Maria wrote:
> 「自閉症を“克服”する」という物言いは多くの自閉症者(および自閉症にかかわる人々)にとって不愉快かつ迷惑なものなんです。
> カウンセリングを受けることは有意義かも知れませんが、必ずしも「必要」という訳でもなく、多くのカウンセラーは「『(私が/子供が)自閉症である』という現実をありのままに受け入れること」がすべての出発点と考えています。
>(中略)
> では、さらに逆にお尋ねしますが、貴方はあたしがなぜ「AS持ちの人は何もしないでただ手を拱いているだけでいるのがベストだ」と主張していると判断するのですか?
それは、私の「前向きな姿勢」が否定されたからです。それより、私にはなぜ「克服」とかという言葉が不愉快に受け取られるのか、判りません。だから、「現状を前向きに捉えてどこがいけないんだ」みたいなレスになってしまう、ということです。
Maria wrote:
> あたしは、まず「ASであることの現実をありのままに受け入れること」が、最初のステップだと言っているだけです。それとも、自閉症スペクトル障害を持った人間は、自分が自閉症スペクトル障害者であることを否定し、「自閉症スペクトル障害者では“ない”人間」として生きるよう常に“前向きに”努力しなければならないんですか?
私はそこまでは求めていません。
繰り返しますが、私は「現状を受け入れるだけでそのままでいること」が嫌だと言っているだけです。現状を受け入れること自体を嫌がっているわけではありません。もしそれが他のAS持ちの方々にも同様の対応を求めているのだと解釈されたのなら、私の表現が稚拙だったということで、お詫び申し上げます。
断っておきますが、私は現状を否定しているつもりは毛頭ありません。協調性の悪さが原因でありとあらゆる人間関係が壊れているという現状を認めている(認めざるを得ない)からこそ、どのようにこの現状と向き合うべきかを探っているところです。
どこへ行ってもトラブルメーカーになるよりは、これから接触する人に対してだけでも協調して暮らしていける、協調性に欠ける人にとっては、こちらのほうが大事だと思いますが、如何でしょうか? 現状を受け入れるだけでそのままでいるのなら、一生どこへ行ってもトラブルメーカーで終わってしまいます。
Maria wrote:
>「多くの専門家によるカウンセリングを受けることで『多くの場合、専門家による助言は大して役に立たない』ことを学んだのは非常に有意義な体験だった」という話はしばしば聞くので、カウンセリングを受けること自体は悪くないと思いますが。
私は、たとえ結果がマイナスに出たとしても、カウンセリングは必要だと考えてます。もしここでカウンセリングが裏目に出るようなら、経験者である貴方方の意見を参考にすればよろしいのではないでしょうか?
Lulu さんこんにちは。名加野と申します。
内容が白熱しているようですけど、余り「前向きに」「前向きに」とやっているうちに、「自分を追い詰める」様にはならないで下さいね。
何だか凄く追い込まれている様に書かれているので、心配になってきました。
話が飛びますけれど、TVで『生きかた上手』の作者の方が言ってましたね。
「85歳になったら新老人になる」のだと。けれども、75歳の人が85歳になるまでに「何を頑張れば新老人にふさわしく成れるか分からない」という問いに「まだ10年もあります。その間無理に頑張らなくても良いじゃありませんか。85歳に成るまでに色々考えてみてください」……。だっけかな?
何だかそんな事を言ってたんです。でも詳細は忘れてしまいました。
ええと、まあ、言いたかったのは無理は良くないと言うことです。22歳の小僧の話ですので、「何を分かり切っている事を」と思われても仕方ないですけど(^^;。とりあえず今回はこれにて失礼いたします。
P.S.……録画しておけば良かったです。
こんにちは、Luluです。
確かにおっしゃるとおり、
aya wrote:
>自分の問題点を解決すべくがんばりたい、という人がいる一方で、問題点のわからないまま、前向きになり続けてすっかり疲れきったひとがいると思います。
>あえて前向きにならない、というのが勇気ある選択だという状況もあるでしょう。
だとしても、私とか、「眠れないママりん」様の息子さんのように、協調性に大いに欠けるケースでは、放置しておくこと自体が問題でしょう。どこへ行ってもトラブルメーカーでは、社会には適応できませんし、しまいには社会から見捨てられて孤独死、ということにもなりかねないでしょう。自殺願望のある人でもない限り、誰も孤独死は望まないでしょう。私は、自分が死んだときに誰も涙を流してくれないような人生がたまらなく嫌なので、自分の協調性の悪さを何とかしたいのであります。
私は、問題を前向きに捉えることは100%自助努力だけで、とは考えていません。だからといってカウンセリングが全てだとも考えていませんが、自助努力だけに頼るのは危険でしょう。
「問題点がわからないまま前向きになりつづけて疲れた」、というケースは、私の推測ですが自助努力だけで問題を解決しようとしたケースのように思えます。
ただ、カウンセリングを受けてみましょう、という決心はそれなりに勇気が必要なので、その決心がつくことだけでも前向きになったものと解釈しています。
Luluさん wrote:
> 私が言いたかったのは、ASであることの現実をそのまま受け入れても、「はい、そうですか?」であきらめてしまうのは本人のためには良くない、ということです。
Luluさんの物言いでは、「ASであることの現実をありのままに受け入れること」が「あきらめ」であるように読み取れるのですが。
> しかし、現実をただ受け入れているだけで何ら対策も取らずに、成り行きに任せているのなら、コンピュータに限らず日常生活全般で「眠れないママりん」様の息子さんが自信喪失状態に陥ってしまう、へたをすると再起不能になるくらいまで落ち込んでしまう、それが心配なのです。
「対策」と呼べるものを取るには、まず「ASであることの現実をありのままに受け入れること」が必要であるということです。自分の子供が「自閉症」だと診断され、それを受け入れることができずに「否認」「怒り」というプロセスから抜けだせなくなってしまっている親は大勢います。あたしたちにとって、「自閉症であること」は単に「自閉症であること」であり、多くのことの出発点ではあるものの、それ以上でもそれ以下でもありません。
Luluさんが「『私は自閉症である』という現実をありのままに受け入れること」に対して過剰に感情的になるのは、自閉症に対する嫌悪あるいは差別の感情があり、自分自身が自閉症スペクトラム障害を持っていることを認めたくないからではないか、とあたしなどは考えてしまうのですがね。
> だから、最小限カウンセリングだけでも受ける必要があることは認めざるを得ないでしょう。私は、カウンセリングを受けるだけでも効果はあるものと考えているため、(もっとも、その効果がプラスになるとは限りませんが)結果がプラスになればそれが私の言う「克服」だと説いているのであります。
Luluさんが「克服」という言葉を自分の考えている意味で使うのはご自由ですが、「自閉症を“克服”する」という物言いは多くの自閉症者(および自閉症にかかわる人々)にとって不愉快かつ迷惑なものなんです。
カウンセリングを受けることは有意義かも知れませんが、必ずしも「必要」という訳でもなく、多くのカウンセラーは「『(私が/子供が)自閉症である』という現実をありのままに受け入れること」がすべての出発点と考えています。
> では、逆にお尋ねしますが、貴方はAS持ちの人は何もしないでただ手を拱いているだけでいるのがベストだとおっしゃるのですか?
では、さらに逆にお尋ねしますが、貴方はあたしがなぜ「AS持ちの人は何もしないでただ手を拱いているだけでいるのがベストだ」と主張していると判断するのですか?
あたしは、まず「ASであることの現実をありのままに受け入れること」が、最初のステップだと言っているだけです。それとも、自閉症スペクトル障害を持った人間は、自分が自閉症スペクトル障害者であることを否定し、「自閉症スペクトル障害者では“ない”人間」として生きるよう常に“前向きに”努力しなければならないんですか?
> 私はただ現実を受け入れるだけで、それ以上のことをしないでいるほうが嫌です。ただ自分が腐ってしまうように思えてならないからです。前向きになってボロボロになるほうが、むしろ後悔しません。
特攻精神というのは勇ましくて素敵ではあるのですが、しばしば現実認識の欠落による妄想の結果、あるいは精神主義にもとづく現実逃避だったりします。戸塚ヨットスクールの戸塚宏校長も「自閉症児をヨットに載せて荒海に送り出せば、いやがうえにも自然の偉大さ・力強さに直接向き合うことになり、心を開く」とか言ってました。こういう物言いってカッコいいよなぁ(-_-;)。
> 私がこれほどまでにムキになっているのは、最低でもカウンセリングを受けて今後の対策を練らないと、ありとあらゆる人間関係が壊れていく一方で、へたをすれば孤独死という事態にもなりかねないからです。39年間結婚はおろか、恋愛さえ満足にできない状態を打開するためには、先にも書いた「過保護」「トラウマ」を払拭しなければならないので、そのまま手を拱いているだけの状態でいるわけにはいかないのです。
Luluさんが「自分にはカウンセリングが必要である」と考えているのは了解しましたが、「すべての自閉症スペクトラム障害者にはカウンセリングが必要不可欠である」かどうかはまた別問題のように思うのですがね。
もっとも、「多くの専門家によるカウンセリングを受けることで『多くの場合、専門家による助言は大して役に立たない』ことを学んだのは非常に有意義な体験だった」という話はしばしば聞くので、カウンセリングを受けること自体は悪くないと思いますが。
(Maria)
Luluさん wrote:
>でも、現状で私が抱えている問題に対して前向きの姿勢で臨まない限り、目下最大の弱点である「協調性の乏しさ」は今後も拡大の一途をたどる、それが心配だったので、どうしても皆様の意見にはなじめませんでした。前向きになるのがどうしていけないんだ、みたいに。
>
自分の問題点を解決すべくがんばりたい、という人がいる一方で、問題点のわからないまま、前向きになり続けてすっかり疲れきったひとがいると思います。
あえて前向きにならない、というのが勇気ある選択だという状況もあるでしょう。
「克服」「立ち直る」「がんばる」系の言葉は、自分が自分で使うのはありだと思いますが、よく社会で乱発される言葉でもあり、抵抗のある人は多いかもしれません。
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