アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
発達障害相互支援ネットワークの広報部門(そんなものは存在
しない)のこうもりです。
Mariaさんwrote:
> “安くない”板、新生『雑魚亭(zacco-tei)』暫定運用中。
http://users.hoops.ne.jp/joshya/ (ホームページ)
http://users.hoops.ne.jp/joshya/bbs/ (掲示板)
> ここの掲示板はヌルくありません。真摯な書込みには真摯に応
>え、“荒らし”はコテンパンというか完膚なきまでというか、徹
>底的にボコってしまいます。
>
> 悩んでんならこっち来てゲロ吐いちまいな。
この雑魚亭のHPですが、9月1日をもちまして発達障害相互
支援ネットワーク(現在メンバー30人程度)の公式HPとなる
ことが決定しました。遅くなってしまいましたが、ここに告知い
たします。
(募集)
発達障害相互支援ネットワークの公式HPとリンクを張ってい
ただけるHPを募集します。大人の発達障害者(ADHDも含む
)向けのコンテンツが持っているHPをお持ちの方がおられまし
たら、ぜひともよろしくお願いします。
お問い合わせやリンクをしていただけるという方は
seijinld@biglobe.ne.jp
までお願いします。もちろん、こちらからアプローチをかけてい
く場合はあります。その時はよろしくお願いします。では
では、失礼します。
泣きたくなるほど心に突き刺さる感じがしたので、コメントさせてください。
釈さん wrote:
> 本当に気にならないなら見る必要はないが,何かがとても不快なら,自分の視野が狭窄してしまっていることを認めなければならない。自分が育つためには,不快を怖れない勇気がいる。小さな自分に酔いしれて,大きな自己から隠れようとしないようにしたい。世界は清潔な遊園地ばかりではないのだ。
ここの部分、わたし自身の反省のために心に刻んでおきたいと思います。
パートナーの行動の後始末と生活に追われる一ヶ月を過ごしてきました。彼の他者依存性が気になって気になって、不快そのものの毎日を送っています。わたしが視野狭窄に陥っている可能性は充分あります。そのことに気づかせてくださって、ありがとうございます。これからどうすればいいのか、もう一度じっくりと考えてみたいと思います。
> 依存性や承認欲求などの認められるべきものが認められない状況においては,激越性の鬱に男性ホルモンが相乗すれば何をしても不思議ではない。
理論的ではないですが、自分の経験から感じたこととしては賛同できます。ありうると。
> たとえお粗末なものであっても何気ない日常が,どれほどの恵みに支えられているものか意識してほしい。
日々心がけていきたいと思っているのに、できていない自分が悲しいです。
> 小手先の技術だけで救われる人は少ない。深刻な自己認識という根幹的な問題への支援が必要だ。
この支援の方法を具体的に知りたいと思うのは贅沢ですか? 相手は五十代の男性です、一筋縄ではいかない。でも、挑戦してみる価値はあるかもしれないと考えています。それが自分の娘を育てる役にも立つのではないかと。ただ、現在の自分では無理が大きいかもしれないとも思います。迷いつつ実行中なのですが、どうにもならないと思ったら逃げるしかないかも……。
>>「障害をもっていても、君は愛されている」と伝えること!
>>「障害は、しなくてもいい・できなくてもいいという免罪符ではない」ということを伝えていく。
>とシベラスさんも言うように,肯定的であって甘やかしにならない態度で育てられねばならない。
子どもにはそれはできると思います。でも、成人にはどうすればいいでしょうか? “自分はちゃんとできている、悪いのは他人だ”と思いこんでいられる人には。承認欲求を優先し「○○さんがこう言ったからこうしたのだ、なにが悪い」と、他者に責任を転嫁して自分で責任を取ろうとする態度がまるでない人には。仕事からはじまって日常生活の細かいことまで依存性が高く、自らすすんで人とかかわることもなく(娘に対してでも)、不快なことややりたくないことは見ないふりをしてそっぽをむいていれば誰かがやってくれるだろうという構えを崩さない人には。
卑近なところへ突っ走りすぎたようです。頭を冷やして出直してきます。すみませんでした。
皆さん 本当にありがとうございます。
彼の事をより多く理解したい 最良の道を・・と思い 皆さんへ問いかけました。今の彼自信は、とても穏やかで まるで「熊のプーさん」そのものです。(体も)ハハハ 彼の事がわかって 私達夫婦の価値観も変わりました、普通 親から子へ教えるのでしょうが 彼から教わる事の方が多いと思います。人間本来の優しさ 思いやり 人間の裏側の汚染された部分に対する嫌悪感 ect・・・・
そんな彼をいつまでも 見守り 見守られる 親子でありたい と望んでおります。 告知 対人 受験 仕事 結婚・・・と彼の将来がどのように展開していくのか 共に楽しんで いきたい その為にも 彼自信を より多く理解し 一歩でも彼の心に 近づきたいと思っています。皆さんの会話 悩み などを 参考にさせて頂きたいです。これからも どうするべきなのか 悩んだ時は、 相談に 立ち寄らせてください。よろしく お願いします。
青桜さんwrote:
>見る価値無し。Aタイプは見に行くなかれ。
2ちゃんは,花見気分で行くところではないけれど,「自分を掘りたい」人には有益なところだ。自己満足の嫌いな者には,手ごろな砥石がたくさんゴロゴロしているいいところだ。ござの上で歌いたい時もあるだろうが,影が嫌いなら影に背を向けずに影を見つめる姿勢も時には必要だ。いい砥石が見当たらないなら自分でスレッドを立てるといい。
自分の心にないものは,どこへ行っても見ることができない。何が映ってもこころは自分のスクリーン。本当に気にならないなら見る必要はないが,何かがとても不快なら,自分の視野が狭窄してしまっていることを認めなければならない。自分が育つためには,不快を怖れない勇気がいる。小さな自分に酔いしれて,大きな自己から隠れようとしないようにしたい。世界は清潔な遊園地ばかりではないのだ。
器用なAタイプが存在しないとは,侮辱だろう。高知能なら,どんな破壊力も持ちうる。依存性や承認欲求などの認められるべきものが認められない状況においては,激越性の鬱に男性ホルモンが相乗すれば何をしても不思議ではない。異常心理が理解しがたい人は,自分がどれほど恵まれた環境や才能を持っているか十分に自覚する必要がある。それらがもし無ければ,自分が何をするか考えてみてほしい。たとえお粗末なものであっても何気ない日常が,どれほどの恵みに支えられているものか意識してほしい。
小手先の技術だけで救われる人は少ない。深刻な自己認識という根幹的な問題への支援が必要だ。
>「障害をもっていても、君は愛されている」と伝えること!
>「障害は、しなくてもいい・できなくてもいいという免罪符ではない」ということを伝えていく。
とシベラスさんも言うように,肯定的であって甘やかしにならない態度で育てられねばならない。
junさん wrote:
> 10歳位で 自己認識しはじめると 先生にも言われ本にも書いてあり
>その日がそろそろくるのでは、ないか?と思われます。
> どのように 皆さんは、受け入れていったのか? 周囲との温度差み
>たいな物に対しての対処や意見を聞かせて下さい。
> 彼を傷つける事のない 対処方をと願っております。
発達障害の受容にはある程度痛みが伴ないます。何とか克服しようと努
力を重ねた末に、挫折を味わい、自分はこの障害から一生逃れることはで
きないのだというあきらめの境地に到達した時に、障害者本人ははじめて
障害を受容することができます。障害ゆえの挫折,劣等感,葛藤,徒労,
もがき,絶望…。これらを経験してきた者でなければ、障害の受容はなか
なかうまくできません。
障害の告知については、ケースバイケースだと思うので、わたしにはど
うすればいいのか分かりません。ただ、障害を告知する日のために、障害
児本人が問題を直視する力を身につけておいた方がいいということだけは
言えると思います。
なお、障害を告知するか否かについては、「告知すべきだ」とはっきり
断言します。自分の障害を知らなければ、障害を受容することもできない
からです。
はじめまして。ASの娘(九才・小四)の母をやっております。
九〜十才の節目を越えて変わってくる感じは、娘を見ていても確かにします。昨年とはずいぶん変わりました。自己認識のはじまりだったんですか……忘れていました(苦笑)
junさん wrote:
> どのように 皆さんは、受け入れて いったのか? 周囲との温度差みたいな物に対しての 対処や意見 を 聞かせて下さい。
> 彼を傷つける事のない 対処方を と 願っております。
ASであってもひとりの人間、親子であっても人間関係にかわりはないので、junさんが息子さんとの間にどのような関係作りを望むかによっても変わってくるという気がします。
わたしは娘の支え手(サポーター)のひとりとして生きられることは喜びと感じます。力が足りない部分も多いでしょうが、本人の成長する力を信じることができるので、わたしにできることなどたかが知れていると思っています。どちらかというと、わたしの人生の指標になってくれているのが娘なので、失敗を何度重ねてもきっとやり直せるという気がしています。わたしのほうが娘に助けてもらっているというわけですね。
低年齢で診断されたのですし、教育環境を整える努力もなさっているのですから、ご自身が不安を持たずに、息子さんの良いところをたくさん見つけてほめてあげたらいいのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。できないことや、うまくいかないことに、人一倍ショックを感じたり苛立ったりすることが多いお子さんでしたら、それを受け止めたうえで別のやりかたを考えたり、時間をおいて挑戦することを教えたりと、いくらでも方法はあると思うのです。
失敗によって自己評価を下げる、あるいは自己否定をしてしまうことは避けたいです。長く尾を引く二次的障害につながりかねませんので。お母さんが息子さんの理解者であり支え手であるのなら、息子さんは安心して成長を続けていけると思いますし、これはAS児でなくても子育ての特徴だとわたしは思います。
ASの部分ばかりにこだわって、息子さんの本質というか人間としての魅力そのものを見失ってしまわないように気をつけてあげてほしいなあと願います。
(「対処法を」という言葉が気になったので、書きました。参考にならなかったようにも思います。すみません)
jun wrote:
> はじめまして 私は、小4(男の子)AS母です。
>彼がASだと診断されたのは、小1の終わり それから 家庭での学習や家庭教師 学校での取り出し授業(週3程度) この4月からは、通級学級 と いって 他校へ行って 特別授業を受けております。
> 10歳位で 自己認識しはじめる と 先生にも言われ 本にも書いてあり その日がそろそろくるのでは、ないか?と思われます。
> どのように 皆さんは、受け入れて いったのか? 周囲との温度差みたいな物に対しての 対処や意見 を 聞かせて下さい。
> 彼を傷つける事のない 対処方を と 願っております。
>どうぞ よろしくお願い致します。
「告知は慎重に行うべきで、発達障害を扱う上で最も困難な問題の一つです。」
私自身に正確にAS+ADHDという診断がついたのは、28歳の時でした。それでも、自分が抽象的なことを理解できない、周りの大人にどうしても追いついていけない、体が疲れやすい・情緒が不安定だといったことが、そういった障害のためだということを知り始めた時は、結構不安でした。私の場合は、家族が障害を理解してくれるまでが大変で、自暴自棄になって、「早く就職でもしろ」「これからどうするんだ!」と問い詰める父と取っ組み合いのけんかをして、とめに入った母が肩を壊してしまったことがありました。幸い、最終的に診断を行ってくれたYPDCでは、親子カウンセリングを綿密に行ってくださったおかげで、今ではだいぶスムーズな家族関係を保っています。
このように大人といわれる年齢でも、自分の障害を認知していく・障害者として周りと向き合って生きなければならないということは、ものすごくエネルギーを使うことなのです。
今年の初夏東京で、YPDCの先生方が公演をなさいましたが、冒頭の一行は、その中でのある先生の言葉です。私自身はだいたい次のことに、注意すべきではなかろうかと思います。
1.混乱している時にしない!
2.「障害をもっていても、君は愛されている」と伝えること!
3.「障害は、しなくてもいい・できなくてもいいという免罪符ではない」ということを伝えていく。
はじめまして 私は、小4(男の子)AS母です。
彼がASだと診断されたのは、小1の終わり それから 家庭での学習や家庭教師 学校での取り出し授業(週3程度) この4月からは、通級学級 と いって 他校へ行って 特別授業を受けております。
10歳位で 自己認識しはじめる と 先生にも言われ 本にも書いてあり その日がそろそろくるのでは、ないか?と思われます。
どのように 皆さんは、受け入れて いったのか? 周囲との温度差みたいな物に対しての 対処や意見 を 聞かせて下さい。
彼を傷つける事のない 対処方を と 願っております。
どうぞ よろしくお願い致します。
シンタロウさん wrote:
> 皆さんはどう思いますか?
とりあえず、全く違う。あんな自分を捨てて去った妻を
裁判に訴えるような器用なAタイプは存在しないと思う。
あれはただの性格破綻者であると思う。
2ちゃんは、安い板ではなく、腐りきった板です。
見る価値無し。Aタイプは見に行くなかれ。
シペラス wrote:
>2.必要であるとするなら、どのような環境条件(立地条件・定員・利用者の構成・部屋割り・インテリア・ケアスタッフの構成等)を満たしていることが、望ましいと思いますか?
>
精神障害者グループホームの場合は、平成4年度に厚生省の保健医療局の通達ということで、どのように運営すべきかという指針が国より出されています。
http://www2.justnet.ne.jp/~smtm/page1201.htm
白さん wrote:
>オレ、やっぱ、人間がすごく好きです。
>皆さんの、幸せをお祈りしています。
ありがとう。元気でやってください。
白さんと話すことができて、うれしかったです。
おひさです、白くん。グルンサです。
白くん wrote:
>お久です。
>もう、覚えて下さってる方ないかもですけど、
>8ヶ月くらい前に投稿してた白です。
>あの時は、本当にお世話になりました。
ちゃんと覚えてますよ(^^)。
いろいろなことがあったようですが、自分と向き合う、という意味でも、決して無駄にならないと思います。
>僕はASの皆さんに教えられたことを忘れません。
>将来は、多様な子供たちを、その個性のままに見守っていくことの出来る
>教師になりたいと思っています。
>なれないかも、ですが。(笑)
>
>なんかうまく言えないですけど、世の中って、いろんな人がいるから
>いいのかもですね。
>この掲示板、すごく懐かしいです。
>オレ、やっぱ、人間がすごく好きです。
>皆さんの、幸せをお祈りしています。
白くんも…。よかったら、またここに来てください(管理人でもないけれど、相変わらずこういうことを言います。わたしは)。では。
お久です。
もう、覚えて下さってる方ないかもですけど、
8ヶ月くらい前に投稿してた白です。
あの時は、本当にお世話になりました。
今、僕は、あの時お話してたASの彼女と、この2、3日で、
やっと普通の友人として、普通の話ができるようになりました。
それまでにはいろいろありましたが、皆さんのアドバイス通り、
そっとしておいてのが良かったようです。
今は、もう僕も、彼女に対する特別な感情はありませんが、
人間関係を修復できたことを、とても嬉しく思っています。
あの一時期、憑かれたようにASを勉強したことで、
僕は自分の性格等についても、奥の奥まで考え抜くことになりました。
結果、すごい苦しみも味わいましたが、今は、本当の自分に行き着くことが出来、
前向きに生きています。
僕はASの皆さんに教えられたことを忘れません。
将来は、多様な子供たちを、その個性のままに見守っていくことの出来る
教師になりたいと思っています。
なれないかも、ですが。(笑)
なんかうまく言えないですけど、世の中って、いろんな人がいるから
いいのかもですね。
この掲示板、すごく懐かしいです。
名前の見えない方々は、どうされてるのかな。
オレ、やっぱ、人間がすごく好きです。
皆さんの、幸せをお祈りしています。
シペラス さん
みなさん、こんばんわ。
私も主人が亡き後は一人になります。
>そこでみなさんに質問です。
>
>1.ASにグループホームは、必要でしょうか?
あった方がいいと思う。
>2.必要であるとするなら、どのような環境条件(立地条件・定員・利用者の構成・部屋割り・インテリア・ケアスタッフの構成等)を満たしていることが、望ましいと思いますか?
私は更地に大きな家を建てたり、
買ったりするより
熱海とかの別荘地の売れ残りマンションとか
(一つのマンションに3部屋以上売れ残っていれば)
安くていいような気がします。
別荘地なら静かだしいいかな?と・・・。
定員はマンション一部屋に一人か二人。
インテリアは各自好きなように・・。
ケアスタッフは
もしマンションビル丸ごと一つ買い取れる事が出来たら、
(まー、無理かなあ・・)
管理人のような感じで誰か雇えばいいような・・。
きのう,隣家の主人が久しぶりにうちの裏を歩いていた。そして裏庭の塀の上に置いてあった野鳥給水用のガラスの灰皿がなくなっていて,立てかけてあったはしごが植木の上に投げ倒されていた。塀は左官屋さんの隣家の主人の自作なのだ。
それを見て以来ようやく,隣家の老人が以前やっていた測量後の境界ずらしを悪と認識できるようになった。当時は,仕事に出ていた両親の留守中に見たそのことを,なんて勤勉な人だろうと思っただけで,今日まで誰にも言う気にはなれなかった。
こういうバカぶりは,大変生きにくい。たまのストーカーに困ったぐらいで,誉める人はいない。私心のない仕事ぶりはたいてい直接の上司とトラブった。学校時代から,寡黙や不適応を挑発と見られて困惑したことが多い。後で自殺していく人に,生前思い入れすることが何件かあったので,友人が元気な様子の時に嫌われるとほっとする傾向がある。
お先真っ暗だが,その分猫が,仏に見える。
シペラス wrote:
シペラス wrote:
私は今、一つ悩んでいることがあります。それは親亡き後どこでどうやって生活していこうかということです。これはASに限らず、全ての障害者に共通の悩みだと思いますが、ことに私のような一般企業の構成員ではない状態でそんなに収入もなく・配偶者も・友達もそんなにおらんという、障害者のみなさんにとっては、考えただけでも、気がめいりそうな感じであろうと思われます。
その一つの選択肢として、グループホームがあるのですが、ただでさえ集団行動が苦手・疲れやすい・情緒が不安定・コミュニケーションの障害の足かせをどれか一つは持っている我々には、ある意味では身を削ってしまうような危険性もはらんでいますし、逆にまっとうな生活陶冶の舞台となるような可能性もあり、まさにTO BE OR NOT TO BEといった感じだと思います。
そこでみなさんに質問です。
1.ASにグループホームは、必要でしょうか?
2.必要であるとするなら、どのような環境条件(立地条件・定員・利用者の構成・部屋割り・インテリア・ケアスタッフの構成等)を満たしていることが、望ましいと思いますか?
3.必要でないとお答えになった人は、その理由もできれば書いてください。
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© 1998 y.mikome, T.Ikeda, 1999 s.murakami