アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
私は・・・性欲は元々存在していないし、
(多分生き物のソレがなんたるモノかも分かっていないだろう)
綺麗なモノなどには身体が震える洗練される興味・興奮はあるけど、
なんか、自閉症の人がそんなハナシしてるのが、なんか不思議じゃ・・・・。
私は例えば、色恋沙汰の演劇などを見てても自分が「笑い」を吹き出す瞬間などの
感性が周囲の普通の人のソレとまったく違ったものなんでいつも不思議でした。
なんでも笑ってしまうんで困ってた事もありました。
まわりの皆が真剣な時ほど爆笑してた十代でした。
中学の時なんか保健体育で男性の精子構造のビデオを見て皆まじめに「生」につい
て映像のテレビに釘付けになってる時、わたしはそのチッポケな虫みたいな
精子が一匹、二匹奮闘している流れがオッカシクッテ静まり返ってた教室で、
なんともスゴイ勢いで「ブブブーッ!」と吹き出してしまったのでした。
色恋沙汰劇を見ててもオカシイんです。「へー!・・そ、そうなるのか!」
というまったく知らない世界を違った処から見る面白さです。←昨日見た
で、観客の反応もひっくるめて面白いのです。
もう、ベッドシーンなんかめっちゃんこオカシクって「何じゃありゃ!あはは!」
なんです。飯食ったりゲロ吐いたりする上の肛門と言われる「口」同士をくっつけ
る口付け行為なんか目茶苦茶謎できもくてしょうがない。。
最近埼玉県で物議をかもしているのが、浦和・与野・大宮の3つの市が合併してできた新県都「さいたま市」の区名問題です。そう、市側が提示した「見沼区」という名に対して、「沼」というのは、土地が軟弱・田舎くさい・じめっぽいなど、地域のイメージダウンにつながる、「見沼」私たちのところから離れているのに…ということで、住民が猛反対しているというものです。
市側の、歴史的な背景上「見沼」という名前を残したいという意見と、住民側の意見を加味して、私は「みぬま」の漢字表記を、この際「見沼」から「美しい沼」という意味の「美沼」に改めるのがよいのでは、と私は思います。
歴史的な背景とは、次のようなことです。「見沼」の地名の起こりになった、「見沼田んぼ」は、江戸時代の中頃、八代将軍徳川吉宗の新田開発によって作られた水田地帯です。水田地帯が開拓される前は、そこにはやはり溜池で、文字どうりの「沼」でした。大雨のたびに溜池の堤が切れ洪水が出たといいます。
厄介者の沼でしたが、それでも下流の村では稲作のための貴重な水源だったので、新田開発のために沼を消すには、どこかから水を引く用水を取る必要がありました。しかも、その工事は次の年の田植えに間に合わせるため、半年あまりという短期間で行わなくてはなりませんでした。
幕府は、数学に著しく長けていた紀州出身の井沢弥惣衛に、その用水の設計を任せました。弥惣衛は詳細に地形を分析し、現在の行田市の利根大堰から見沼に至る
全長80km以上に及ぶルートを設定しました。川の下にトンネルを掘って用水を通すという、当時としては珍しい工法が取られた場所もありました。大勢の人が協力して、用水の工事は滞りなく進み、翌年の秋には沼は穀倉地帯になりました。
弥惣衛は更にすごいことをやっています!彼は、用水を米を江戸へ運ぶための運河としても役立てたいと、見沼付近で東西2本の流れに分けた用水とその間を流れている芝川を、「通船掘り」という水路で結ぼうとしました。しかし芝川と用水との間には、数mの高低差があり、そのままでは、船が通れないどころか、貴重な水が芝川に流れていってしまいます。そこで、水路を水門で仕切り、水門と水門にはさまれた区画の水位を調節することによって、船を通す仕掛けを作りました。これは「閘門式運河」という方式の運河で、現在の中米にある「パナマ運河」はこれと同じ方式で作られています。パナマ運河ができたのは、通船掘りができた時から、はるかに後の時代になってからです。
このような歴史がある「見沼」ですが、最近は自然観察の場として、障害がある人たちの園芸療法の場として、コンサートの会場など様々な面で、徐々にではありますが知名度を上げてきています。私自身も、「そのうちオフ会でハイキングするために、下見しとこうかな…」と思う場所です。
反対しているのは、恐らくは他県から移り住んできた人たちだと思いますが、生まれも育ちも埼玉県である私としては、ぜひ「美沼」として、環境を重視した・人々がやすらげる・美しい町に生れ変ることを期待します。
#仙台の「青葉区」より、「見沼区」はマシです。あそこは区と呼べるのは東半分だけで、西半分は本当にマジで山ばっか。温泉がありますが…
シロ wrote:
この掲示板で他の障害のことが発達障害に対して、時に対立的に独立的に語られることがあります。精神障害、セクシュアルマイノリティ、知能障害などに対して……。けれど、発達障害者は全体から見れば、多くはないけれど、他の障害者の中にも発達障害をかかえている人がいるのだということを時に考えます。
様々な2次障害を多く持つことも含めて、発達障害は独立性を持たないのではないかと思うことがあります。つまり、自らの障害をこうであると決めつけることが難しい、障害に対して、プライドを持つことが難しい。変な言い方かもしれませんが……。Aタイプは頭がいいとか、犯罪率が少ないとか、いい人が多いとか、少ないとかそういう決め付け方をすることが困難。できれば社会の中で、葛藤することが多かった自分について、何らかのアイディンティティやプライドを獲得したいと思います。けれど、自分を発達障害のカテゴリーに当てはめることでプライドを獲得するのは難しいと感じています。
発達障害であっても、社会的に活躍している人もいるし、そうでない人もいる。活躍している人を見て、あの人もまた自分と同じ障害者なのだと、慰められはしないのです。
けれど発達障害が独立的な障害でないことはやがて、他の障害や個性を受け入れる幅の広さにつながる要因になるかもしれません。
偏狭さに陥りがちな私ですが、発達障害を理解することが他の人の理解にもつながればと自らに期待しています。
セクシュアルティについては私もいろいろ考えることがあります。機会があればまた……。
すなふきん wrote:
>シペラス wrote:
>
>>私は専門家ではないので、確たることは言えないものの、自らの悩みとほぼ同一の悩みを有しているので、AS+ADDの可能性が高いだろうと思います。
>専門の医療機関で見てもらいたいですが、やはりこの分野に関しては得手不得手
>があるんでしょうね、病院によって。
>しかし、私の子供の頃はADHDもLDもASも、知られていなかったんでしょうか?
>何だか損した気分で・・。完全に放置状態でしたからね。わけがわからないまま
>ただ自分は努力不足だ、単なる甘えだ、そう思っていたし、周囲もそう思ってい
>たという現実。
ASは1990年代に入ってから、日本における存在がクローズアップされてきた障害です。したがって精神科の病院でも、福祉行政でも、教育現場でも、この新たに浮き彫りになった障碍のケアの模索をようやく始めたばかりです。
我が国では、ASを「精神障害とみなすべきか?知的障害とみなすべきか?」というところが、どうもおぼつきません。そのことが、障害者同士での軋轢になったり・障害者手帳の取得の妨げになったりということもあります。
最近ようやく、国が私たち軽度発達障害児・者の存在に気づいてくれたらしく、今秋から徐々に、「自閉症・発達障害者支援センター」という機構を、十数個の県
・政令指定都市に設けるようです。
シペラス wrote:
>私は専門家ではないので、確たることは言えないものの、自らの悩みとほぼ同一の悩みを有しているので、AS+ADDの可能性が高いだろうと思います。
専門の医療機関で見てもらいたいですが、やはりこの分野に関しては得手不得手
があるんでしょうね、病院によって。
しかし、私の子供の頃はADHDもLDもASも、知られていなかったんでしょうか?
何だか損した気分で・・。完全に放置状態でしたからね。わけがわからないまま
ただ自分は努力不足だ、単なる甘えだ、そう思っていたし、周囲もそう思ってい
たという現実。
脳機能の問題と言う可能性すら考えられず、頑張ればいつか報われると思ってい
たのに、一向に根本的問題は改善されず・・・。こんな人って多いんでしょうね。
案外。
あんくさんへ、追伸。
あまり自分のことを書き過ぎると不安定になるので用心しながら書きます。
わたしは中学生のとき、同級生のある男の子とある女の子に夢中になりました。いま思うと、その男の子に対しては一体化していて、その女の子に対しては憧れていたと思います。
自分がレズビアンであることと、自分が広汎性発達障害(PDD)であること。その2つが子どもの頃からのわたしの周囲との違和感の原因であり、その2つは(違和感の原因として)絡み合っていた/いると思っています。
わたしは、自分がPDDであると発見する前にセクシュアルマイノリティのコミュニティでそれなりに居場所を持つことができたので、PDDとわかったときも、自分はマイノリティとしての肯定感を持ちやすかったのではないかと感じています。(この肯定感は、自閉症圏の症状でわたし自身が苦しんだり困難を抱えたりすることとは別次元の話です)。
> いやいや、現実のほうはまったくもって確かなのだ。
まったくもってそのとり、現実は現実だ。
私の言い方が曖昧でした、すいません、倒錯しているのではありません。
現実の世界に出てくる多くの人は
本質的に物事を把握する事が少ない
自分をごまかさずに行動する人が少なく
私が理解できない行動にでて理解できないことをするんです。
前述のキリコさんが困惑されているような日常も含めます。
例えばその人たちの言動に振り回されているうちには
私達は生きた心地もしません
緊張と恐怖で心身共に衰弱してしまいます。
話の続きで人間関係で例えて、
私は人の言動だけで判断することをやめました、
その人の本質に目を向けそこから感じた
事を信じています、その方が確実です、
例えば私がキリコさんの立場で相手の本質に集中すると
Mr.Motoさんがおっしゃる男の立場がわかる
その場で自分の正義を貫き相手にその態度は間違っていると
叩きのめすこともできるが
相手の弱さもわかるので自分の気持ちを喪にふすのである
このレベルの事柄は「相手の気持ちを察する(して思いやる)」などの言葉で
一般の多くの人になれ親しまれている(らしい)。
ここで他の人があまり気付かないことまで察しがつくのである
本質をみようと思ったところで相手の心のなかの事とか
体験したこととかも意識に入ってくるのである
相手の心のなかでハミングしてる歌をききとり
一緒に声をあわせて歌ってしまったりすると
かなり相手は慌てる。
(今までわたしはそれが変なことだとはっきり認識できなかった、が
一般的な人が「霊感」と云う察しのバージョンはいろいろある。)
> で、その現実把握のプロセスというのはまさしく「霊感」とでも言うべきものであり、「わかる」ということが実際どういうことなのかは、認知心理学だの大脳生理学だのといったいろんなアプローチによって研究されているにもかかわらず、まったくもって謎である。
(わたしのこだわりと探究がそこにある、
浮かんでは消えて行く疑問とひらめきと様々な混乱
アスペルガーとか注意欠陥障害を
追求すればなんらか答えが出てくるだろうと精神科にいった、
診断をくだしてほしいわけでもなく、薬が欲しいわけでもない
できることならすべてシャットアウトしたい
私の意識はどこからきてどんな人間なのか障害ならば
医学的にどうなってるか理解できなければどんな薬でも
本質の解決にはならない、と医者に真剣に相談してしまった。。。。。
まったく後悔先にたたずである)
> われわれが「そう思う」ことで、「現実」は「そうなる」。語ること、信じることの重要性は、そこにある。
まったくその通りです、音楽家は奏で、画家は描き、作家は書く、
政治家は理想をかかげ、科学者は発明する、不器用な私はどうするか?
自分の幸せを感じ自分らしく生きるのが精一杯だ。
内面的な混乱が治まったら、
また、ゼンマイ仕掛けのように動き出すかもしれない、な。
こうもりです。就職騒ぎで連絡が遅れてしまいましたが、オフ
会の告知をしたいと思います。
(集合)
12月8日(日)11時30分にJR御茶ノ水駅聖橋口改札口前
に集合。緊急連絡先などは参加者にDMにてお知らせします。
(1次会会場)PM12:00〜4:00
カラオケ・スタジオルーム『パセラ』
30分/100円ワンドリンク制。20人部屋を取っておく
予定です。パスタ・ピザ・ラーメン・カレーなどを昼食で取る
ことが可能です。
(2次会会場)PM4:00〜6:00
1次会会場のすぐ近くにある喫茶ルノアール小川町店
それ以降、希望があれば3次会もある。
(申し込み)
こうもりのメール・アドレスseijinld@msg.biglobe.ne.jp
まで。緊急連絡先などをお伝えする必要上、できるだけDMで
申し込んでくださいませ。
皆様とお会いできることを楽しみにしております。では
わたしはこのことをずっと気にかけていたので、ちょうどいい機会だと思い、書きます。
NT(神経学的多数派)の中に、レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー・トランスセクシュアル(そして、その様々なグラデーション)の人たちがある程度の割合でいるように、ASやPDDやADD/ADHDやLDの子どもたちの中にも、レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー・トランスセクシュアルの子どもたちがいます。
まったく問題のないことです。一つの生き方であり、在り方であるのだから。いまの社会の中では苦労を負うところがあるのはほぼ確かだけれど、お子さんたちの発達「障害」をありのままに受け入れたように、セクシュアリティのこともありのままに受け入れ、無理解や誤解と、ともに闘ってあげてください。情報も、ヘンなものも出ているので、いいものを探してください。わたしは、そういうサポートのネットワークを徐々に作っていけたらいいなと思っています。
あんくさんへ、2つのことを書きます。
1つは、わたしは「GLBT=ゲイ・レズビアン・バイセクシュアル・トランスジェンダー(トランスセクシュアル)・そうかもしれないと自分に問いかけ中の人、かつ自閉症スペクトラム・自閉症周辺の人たち(ADDなど)」の海外のメーリングリストに入っていて、平均60%ぐらいの理解で英文を眺めているのですが、そこでしばしば話題になるのは、NT(神経学的多数派)のGLBTと自分たちは違う、ということです。NT-GLBTコミュニティの中ではAC(Autistic and Cousins)ということで違和感があるし、ACコミュニティの中ではGLBT+questioningであることで、違和感があるし、ということ。これについては、わたしも大いに関心があり、考えていきたいと思っています。
2つめは、同性愛者で、かつトランスの人がいるか、ということについて。います。女から男(FTM)のTSでゲイの人は、性別適合手術などをする前は、見かけ上はヘテロだし、男から女(MTF)のTSでレズビアンの人も、パッシング(望みの性で通用する)前は、やはり見かけ上はヘテロです。でも、その人たちは、性的指向としては、ずっと同性愛であるわけです。
性自認も性指向も、様々な揺れやグラデーションがあり、明確なアイデンディティを探し求めている人もいれば、特定したくない人たちもいる。セクシュアリティのことって、ホントおもしろいと思います。
すなふきん wrote:
>はじめまして。40歳男性、本人です。
>AC、ADHD、LD、そしてAS。最近知ったこうしたもののうち、私の場合どれに
>あてはまるのか判断できないのですが、該当点が多いので、一度精神科へ
>行った方がいいでしょうか?
>症状としては以下の通りです。
>
>・幼少期から他人と関わるのが苦手。
>・特定の科目が苦手。(算数、漢字書き取り)
>・運動が大の苦手。(球技、水泳など。特にチームプレイは苦手)
>・協調行動が苦手。非言語的なサインが読み取れない。
>・小学校でひどいいじめに遭った。原因は緘黙(学校でしゃべらない)。
>・何においても自己評価が著しく低い。
>・友達が出来ない。
>・恋人が出来ない。
>・一度にいくつかの指示が出されると対応できない。
>・整理整頓が苦手。体系だった書面の作成が苦手。
>・仕事などで飲み込みが悪い。時間がかかる。
>・まとまった報告、説明が苦手。順を追ってうまく説明できない。
>・型どおりの行動になりやすい、パターンが崩れるととたんに不安になり、
> 疲れやすくなる。
>・いやなことは徹底的にいやがる。辛いことを避けたがる傾向。
私は専門家ではないので、確たることは言えないものの、自らの悩みとほぼ同一の悩みを有しているので、AS+ADDの可能性が高いだろうと思います。
アムバランスさん wrote:
> 私は私達の物を認識する感覚は霊感みたいなものかと感じています、
> 現実の方が不確かじゃないかしら。
いやいや、現実のほうはまったくもって確かなのだ。
ところが、人間というものは「意味」というものを現実に貼りつけることによって現実を「認識」あるいは「把握」していて、その“現実認識”っちゅーものが個々人において異なるということを疑わず、「自分にとっての“現実”」=「現実」だと思っちゃうところに問題があったりするのである。
蝶にとっての「現実」、蜜蜂にとっての「現実」、蛙にとっての「現実」というのは、人間にとっての「現実」とはまったく別物である。まったく同じ「物理的な“現実”」を対象としていながら、それぞれの種にとっての「意味」(「重要性」と言い換えてもいい)にもとづいて(現実の)世界を把握しているのである。
ところが蝶・蜜蜂・蛙などの場合は「本能」という確たる“ものさし”を持っているので「現実の計り間違い」(というか、現実把握の個体差)というものが少ない。これに対して人間の場合は後天的な影響による現実把握のものさしが不確か(人格形成に時間がかかるということからもそれはわかる)なので、同じ「物理的な“現実”」を目の前にしても、その把握のしかたは人さまざまなのである。
で、その現実把握のプロセスというのはまさしく「霊感」とでも言うべきものであり、「わかる」ということが実際どういうことなのかは、認知心理学だの大脳生理学だのといったいろんなアプローチによって研究されているにもかかわらず、まったくもって謎である。
われわれ人類にとって「正しい現実認識」というのはわれわれの遺伝子あるいは生理にとって適切な世界観とは何かということに依存し、つまりは種としての適応プログラムの“質”というものにかかわってくる。で、これは「われわれはどう生きるべきか」というビジョンにつながってくるわけで、それは造物主としての「神」のイメージ、ある意味「世界観」にかかわってくるという点で堂々巡りになってしまうのだ。
われわれにとって「現実」は自己の投影であり、その意味で「現実」は鏡のようなものである。認識を変えれば「現実」も変わるという「魔術性」というものを内在しているという点で、現実を支えているのはわれわれの認識である。
われわれが「そう思う」ことで、「現実」は「そうなる」。語ること、信じることの重要性は、そこにある。
(Mr.Moto)
まろんすさん wrote:
>そういう私も少しケアが必要かも・・。
ここに居てる人、みんな必要なんじゃないでしょうか。
少し欲しいドコロでは無いです。←色々さ迷った
っていうか、自覚してない軽度発達障害者は多いし危ないということを私は
言いたいのでしーた。<呼びかけても本人自体が気づいてない、
超アブねー人はポチポチ居るもんです。
・・肩の打撲ですが、数ヶ月前に整骨院へいき(年に一回行くか行かないかを
数件繰り返していた)「交通事故でも?子どもの時事故にあったとか?」
と聞かれ、
毎回違う整骨院へ行っても同じこと尋ねられていて、
私は過去の出来事が時間と共に繋がっていないしスッカン!!と忘れるので
「?事故って?なんでそんなこと聞くのか?」という疑問だけで終わってました
が、ようやく4年ほど過ぎた今年に入って、
「あ”・・・やっぱり、あれかな・・・??。」というボケ具合ですね。
何せ、その頃全く軽度発達障害なんて知りもしなかったし、自覚なんか(自閉に
限ってはなおさらでは無いだろうか??)無かったもんで・・・・・・・・。
ジェンダーの「転位」という語用が、果たして以下の記述に適合するものなのかどうかは、ともかくとして。
卑近な例で言うと、私の場合、まあ一応オンナですから、映画とか好きなバンドのライヴとか観ていても、とりあえずはヒーロー(ミュージシャン)の方に目が行きますでしょ。そこまでは通常と一緒なのだけれど、かっこいい男とか見て、「ああこういう人に愛されるような女になりたい!」って思うんじゃなくて、強いて言えば「ああこの人になりたい!」という思考回路になってしまうのですよ。そして好きになった男の、発しているオーラとか仕草振る舞いとか、ファッションとかものの考え方生き方まで、自分の中に取り込もうとする。
だから、私は精神的には「おタチ」なのかも知れない。
ただ、「好きになる相手がいつも同性」とか、「お嫁さんもらって、パパになるのが夢」というのはないから、セクシュアリティとかジェンダーがどうのいう以前の問題で、つまりは未発達なんだろうな。
まあ最近は、格闘系のかっこいい女も(映像の中では)増えているし、そういうの見ても、やはり取り込みたいって思うようにもなっているから、つまりは「かっこいいものが好き」な人間ということなら、アスペ的とは言わないと思うのだが。
そういや大学時代、周りに指摘されるほど私が精神的に取り込んだ相手は、女性だったか…
ライヴ行ってもね、必ずといっていいほど、そのアーティスト(もち男)に心身共に同一化して、見分けがむつかしいような女なんてのが、いるわけですよ。私はそこまではやらないので(でもちょっとやる)、そういう心理って、どうなのかなって…。彼女にしてもらいたい!でも望み薄だし、いっそ自分が「この男」になるしかない…ってことなのかしら…(めずらしく歯切れの悪いワタクシ)
男でも、AV見てるうちに、女優のキモチになっちゃうアレみたいなもん?
(はいここで落とさないでくださいMaria分析官殿)
個人的には、「私は精神的には同性愛者なので、性転換して同性愛者になること」を望む人間がいるものかどうか、すこしだけ興味があります。
Mr.Moto wrote:
> 「UFO(未確認飛行物体)や心霊現象は実在する」とかいったときに、「当たり前だろう?」と反応する人は少ない。
私の場合は主張する勇気がないんです。
でも同じ事を思っている人がいたのでで安心しました。
私は私達の物を認識する感覚は霊感みたいなものかと感じています、
現実の方が不確かじゃないかしら。
私は霊感と人がいうものがおおかれすくなかれ自分にあることを
自覚しています、
していますが本来ある感覚で生まれ持っているので
人にはないことすら気付きませんでした
それぐらいのも物です
アスペルガーであるということに気付いたのも
最近であるのでなんておっとり方でしょうか、(私って)
アスペルガーなら誰でも同じ感覚があると思っていましたが
そういう発言をする方があまりみられないので
自分自信に説明がつかず悶々としています
しかし今でてきた想像によると
自閉症低機能の人から見れば
一般世間のほとんどが異次元で未確認でしょうし、
予想外の物や事がおこるとパニックになるのでしょう
あるはずがないと思ってるんですから
どういうわけか私達はその未確認の異次元を
体験できそこでの常識を認知し適応できる
自分の世界と一般の世界を行き来できている、
無意識の内に。
その一般世界の枠をまたもや気付かず魂の世界(第3次元)と
行き来してるんじゃないかって。
結論は私達は霊感的に物を感じてるんじゃなあい。
はじめまして。40歳男性、本人です。
AC、ADHD、LD、そしてAS。最近知ったこうしたもののうち、私の場合どれに
あてはまるのか判断できないのですが、該当点が多いので、一度精神科へ
行った方がいいでしょうか?
症状としては以下の通りです。
・幼少期から他人と関わるのが苦手。
・特定の科目が苦手。(算数、漢字書き取り)
・運動が大の苦手。(球技、水泳など。特にチームプレイは苦手)
・協調行動が苦手。非言語的なサインが読み取れない。
・小学校でひどいいじめに遭った。原因は緘黙(学校でしゃべらない)。
・何においても自己評価が著しく低い。
・友達が出来ない。
・恋人が出来ない。
・一度にいくつかの指示が出されると対応できない。
・整理整頓が苦手。体系だった書面の作成が苦手。
・仕事などで飲み込みが悪い。時間がかかる。
・まとまった報告、説明が苦手。順を追ってうまく説明できない。
・型どおりの行動になりやすい、パターンが崩れるととたんに不安になり、
疲れやすくなる。
・いやなことは徹底的にいやがる。辛いことを避けたがる傾向。
以前は神経症かと考えカウンセリングなど受けましたが、全く効果はなく、
見当違いのことをやっていたのかな?と思うようになりました。
どなたかアドバイスお願いいたします。
星子 wrote:
>シペラスさん wrote:
>>ようやく障害者手帳をGETできた!
>>精神保健福祉手帳3級。
>
>やっぱり3級でしたか。
>あの、わたし今申請中なのですが、療育手帳の方が欲しいくらいです。
>「精神障害」というネーミング、軽度発達障害にしっくりこないんです。
>脳の発達障害。
>とてもとても成人した一般人の幻覚が見えて仕事にならないとかいうものとは
>もっと別であり、
>他でも動き取れない事が多く、日常生活の判断もままならず、
>なーんもできなくて、自分で食事採るのもやっとこで、
>そのくせ、一つできる事ができると、ずっとそればっかりやってて逆に
>支障をきたすくらいです(唖然)<いやホント。
>
実はこれは、法律上そうなっているのです。
精神保健福祉法・第五条では、『精神障害者』の定義について、
#この法律で「精神障害者」とは、#精神分裂病(現・統合失調症)、#精神作用物質による急性中毒又はその依存症、#知的障害、#精神病質およびその他の精神疾患を有するものとする。
と述べていて、精神障害者保健福祉手帳がもらえる対象者は、四五条により、それから「知的障害の人を除く」となっています。
つまり現時点では、「軽度発達障害」は便宜上、「精神病質およびその他の精神疾患」に属するということになります。
ただ「知的障害者」の定義は都道府県・政令指定都市によりマチマチで、「IQがおおむね75以下の人」というのが一般的な見方ですが、横浜市などのように「精神科の医師の高機能自閉症という診断書があれば、IQ91まで、療育手帳を交付します!」というところもあります。
うーん・・。
どうしたら星子さんのようなASの人を助けられるのだろう・・。
そういう人達をケアしてくれる団体って無いのかしら?
そういう私も少しケアが必要かも・・。
ふぁー しゃんwrote:
>朝方、ホメオパシ−(=毒をもって毒を制す)視察研修の載った国際T教育研究所
>のチラシを見せられた。ホメオパシー的な考えあるのは勿論否定はしないけど、
>実際やられる本人にはたまったもんじゃないっちゅうの。
ホメオパシー。
2種類プレゼントされまして、あの質問に答えるのが苦悶でした。
無理やりナントか答えを絞り出して、頂いたレメディーを口にすると、、、
喉が腫れて息苦しい感じになりました。
で、医科大の医師に「あんたにゃー向かい無いよ。止めた方がええ。」
と言われました。
(実際にはツッケンドンに「向いてないし止めた方がいい」とキッパリ言われた)
あのアンケート内容が怖かった。
「いきなりビルから飛び降りたくなる」とか・・。内容が異様に奇抜だこと・・。
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