アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
最近どんどん自分のアスペっぽさに気付いて来ました。
私の母親は、兄がいたずらっ子で(多動?)怪我ばかりしていたせいで、
おとなしくて一人で遊んでいれば不平不満は言わない私のことは、ほとん
ど覚えていません。
ただ、5才になるまで私は言葉らしい言葉を話していなかったようです。
そんな状態だったにも関わらず私の両親は、さほど心配もしていなかった
ようです。当時の親にとって、子供の発達の心配よりも命の方が大切で、
発達の遅れなんかは、大人になるまでになんとかなると言う考えが根強か
ったようです。
だから、私はつい最近まで、娘にアスペの診断が出ても自分のこととは関
係ないこととして考えてきました。
ところが、夫とアスペの事について勉強していく内に、夫は言い始めまし
た。「○ちゃんとママの違いって、年だけじゃないの?」「ママも○ちゃ
んと同じ所が不器用だね」他、色々です。
そう言えば、人付き合いを拒んでいる訳でもないのに何故か孤独だったり、
人と話していると、時々不思議そうな顔をされることなど、考えてみれば
きりがないくらい、自覚症状がある。
気にしないでいただけで、高い声で話したり特定の身振りにハマッたり、
他人から見れば、関係があるのかないのか分からない例え話しもしたりす
る。妙に他人と体の衝突が多い。一つのことを考え始めると、何も頭に入
らない。
そろそろ自覚するべきなのかしら?
kaiban wrote:
> うちの4歳の息子は、高機能自閉症の子で、横浜市にあるリハビリテーションセンターというところに通っています。
> その先生の診断で、うちの息子は、近い将来アスペルガーになるだろうといわれました。
> リハの考えは、自閉症も、高機能も、アスペルガーも、同じ帯状にある同じものだという、考えなんですが、アスペルガーという言葉を、障害ととればいいのか、個性ととればいいのか今とても悩んでいます。
障害としてちゃんと認めてほしいと言う人と、障害ではなくて個性にすぎないと言う人と、障害は個性だと言う人と・・・、アスペの本人でもいろいろでしょう。個性が障害になることがあるといったほうがいいかもしれません。
まだ4歳なんだし、これからどんな個性に育っていくのかと、楽しみにしてればいいのでないですか。
カタトニアのこと、よくわかりました、ありがとう、
又ひとつ息子の気持ちが理解できました。本当にもっと早くパソコンをはじめて
アスペルガーの館を見ていればと思う毎日です.
もう一つお聞きします、この夏に息子は、大検を受けるつもりですが、私が心配
するのは、問題を解くこと以外のことです。最後まで試験場でうまくやれるだろうか、といいますか、いつもどこに行くのも私が一緒で、しゃべるのが苦手の息子
の通訳みたいな事をしています、時々びっくりするような勘違いの行動をします、
皆さんは、大学とか就職とか、どういうふうにクリアされたのでしょうか?
miffy wrote:
>アスぺが無理に心を開くことは出来るのでしょうか?人格変わっちゃう?私は出来た気がするのですが。生きてる素晴らしさを感じた様な気がします。
心を開きたくても、開けない人もいる思う。
人間関係って、個人個人の考えって、複雑すぎて、怖い気がする。
ちょっと開いて、傷ついてしまう場合も、あると思うし、
それだったら、もう二度と開きたくないって考えるかもしれない。
傷つきやすい人に限って、人を傷つける事に鈍感かもしれないし・・・。
もう人間なんか一生、わかりたくないと思う。
miffy wrote:
>アスぺが無理に心を開くことは出来るのでしょうか?人格変わっちゃう?私は出来た気がするのですが。生きてる素晴らしさを感じた様な気がします。
アスぺでも、アスぺでなくても、
心を開いてた場合、傷つく人は、傷ついて、
平気な人は、平気なんでしょうね。
同じ人は、いないから。
何か、世の中って、面倒くさいですね。
おサルのジョージ wrote:
>ボーっと、するのがすきだ、、、ということに、名前があるのを、初めて知りました。
今まで無意識にやっていたことに、名前がつけられちゃうと、なんか、公認されたみたい。それで、注意するようになって、しゃんとするかと思うと、妙に安心してしまう。
久しぶりに街に出て、デパートのキラキラする明かりを見たら、ちょっと、意識を失いかけてしまった。あぶない、あぶない。
アスぺが無理に心を開くことは出来るのでしょうか?人格変わっちゃう?私は出来た気がするのですが。生きてる素晴らしさを感じた様な気がします。
森ぽん wrote:
> カタトニアという言葉は聞いたことがありません。検索してみたら、バンドの名前になっているらしく、音楽のページが出てきました。
> 私は出勤の2〜3時間前に起きます。ときどきぼんやりするので、朝の用意がはかどらないからです。努力すれば速くできますが、ぼんやりする時間がほしいのです。ここで仕事のアイデアが浮かぶという効用もありますし。他人といるときや、時間が決まっているときは抑えられます。一人でいるときに時間制限がないとぼんやりします。このぼんやりは気持ちいいのですよ。これをカタトニアと呼ぶので正しい用法なのかな?
>
ボーっと、するのがすきだ、、、ということに、名前があるのを、初めて知りました。
私もボーっとするの、好きです。だから、人を待つとか、全然苦になりません。
だって、待つ時間って、ボーっとする、いい口実になりませんか。
私も仕事があれば、努力すれば結構、ちゃんとしますが、主婦というのは、
外からの、制限がないので、よくありません。
ぼーっと、しようと思えばできるのに、してると、家事がたまります。
これは、いけません。
何とか、しなくちゃと思うこのごろです。
でも、ぼんやりするのは、楽しいし、時々、地平線が開けるようなひらめきに
であったりします。
友達にも、よく、なれれば、こうやってボーっとするのもわるくないよね
といわれて、何をいってんだか、と思った私ですが、今思うと
私と付き合い始めると、みんな、最初は時々私のまわりで、時間が
止まったみたいになるのに、戸惑ったんでしょうね。
ところで、森ぽんさんは、どんなアイデアがうかぶんですか?
自分で、アスペっぽいなと、思うだけで、ここに、寄せてもらっているおサルのジョージです。
最近の話題で、生き物じゃないものに、表情が見えるお話しがありましたね。
これ、アスペっぽいんでしょうか?ちょっと、その傾向のない人にも
振ってみたくなる話です。それともあすぺっぽいと、デジタル的に、子供の頃の
思い出が、鮮明におぼえていられるということでしょうか・
私は、文字、ひらがなが笑うのが、いやだったのをおぼえてます。
笑った感じの字になる日があって、そういう日は、一生懸命
字が笑わないように、気をつけて書いたりしたのをおもいだしました。
森ぽんさん、レスありがとうございます。
森ぽん wrote:
> 鉄塔には線名と鉄塔番号と建設年月を書いた小さな札がかかっているので、どことどこをつなぐ送電線であるかを知る手がかりになります。
私は鉄塔の表情ばかりこだわっていて、これにはあんまり着目してませんでしたが、面白そうですね。
> 「鉄塔武蔵野線」という鉄塔愛好者の人が書いたらしい小説があって、前者を男鉄塔、後者を女鉄塔と主人公の子どもが呼んでいた話が出てきます。
この「鉄塔武蔵野線」をヤフーで検索しましたら、送電線好きな人のつくったHPに遭遇し、感激しました。世の中には同好の方がいるもんですね(笑)。
ASから話題がずれてしまいました。失礼しました。
うちの4歳の息子は、高機能自閉症の子で、横浜市にあるリハビリテーションセンターというところに通っています。
その先生の診断で、うちの息子は、近い将来アスペルガーになるだろうといわれました。
リハの考えは、自閉症も、高機能も、アスペルガーも、同じ帯状にある同じものだという、考えなんですが、アスペルガーという言葉を、障害ととればいいのか、個性ととればいいのか今とても悩んでいます。
遅くなりましたが、私は、息子の母親です。始めてメールというものを、書いたのでうまく送信できてなかったらごめんなさい。このメールも、出そうか出すまいかでけっこう悩みました。よかったら皆さんがどう感じられたか教えて下さい。
森ぽん wrote:
> 一人でいるときに時間制限がないとぼんやりします。このぼんやりは気持ちいいのですよ。これをカタトニアと呼ぶので正しい用法なのかな?
カタトニアという言葉を知らなかったので、勉強になりました。
> 一方、昔の何かを思いだしたときや、気分が高揚したとき、気になることがあるときに起こる動作。首を振ったり、目を強くつぶったり、何か声を出したり、手をたたいたり、口笛を吹いたり、目をぐるぐる回したり、自分をつねったり、髪の毛を引っ張ったりする癖が私にあります。意志に関係なく突然起こる現象。でも人前では抑えたり無難な動作に切り替えてごまかしたりできます。
私の場合、気分が高揚した時は、人前で抑えることが出来なくなるので、
よく、ピョンピョン、ジャンプをします。
よく高いトーンの声を出したくなりますが、それは、家でやっています。
不自然な笑いは、つい人前でも、出てしまいます。
カタトニアという言葉は聞いたことがありません。検索してみたら、バンドの名前になっているらしく、音楽のページが出てきました。
私は出勤の2〜3時間前に起きます。ときどきぼんやりするので、朝の用意がはかどらないからです。努力すれば速くできますが、ぼんやりする時間がほしいのです。ここで仕事のアイデアが浮かぶという効用もありますし。他人といるときや、時間が決まっているときは抑えられます。一人でいるときに時間制限がないとぼんやりします。このぼんやりは気持ちいいのですよ。これをカタトニアと呼ぶので正しい用法なのかな?
一方、昔の何かを思いだしたときや、気分が高揚したとき、気になることがあるときに起こる動作。首を振ったり、目を強くつぶったり、何か声を出したり、手をたたいたり、口笛を吹いたり、目をぐるぐる回したり、自分をつねったり、髪の毛を引っ張ったりする癖が私にあります。意志に関係なく突然起こる現象。でも人前では抑えたり無難な動作に切り替えてごまかしたりできます。こちらのほうは、手元にチック障害の定義を書いた本があり、それをみるとチックと呼ぶので正しいと思います。
鉄塔愛好という趣味のカテゴリーがあるとは聞いたことがありませんが、私は小学生の頃から好きです。大人になってからさらに熱中したことがあって、自分が住んでいる地域の送電系統を調べ上げたことがあります。都会では送電線を埋めているのであまりおもしろくありません。鉄塔には線名と鉄塔番号と建設年月を書いた小さな札がかかっているので、どことどこをつなぐ送電線であるかを知る手がかりになります。大正○年などと書いてある鉄塔は歴史を感じさせます。昔は幹線だったが今はローカルな送電線になっているとか、送電線のつなぎ換えは意外に頻繁にやっているなどということも見つけました。実際に工事を見たときは感動しました。鉄塔の大きさと碍子の数で電圧がだいたいわかります。私は鉄塔にはある特別の感じがあるので、天気の良い日に見るのはあまり好きでなくて、台風でも来そうな天気のときに見るのがよいのです。私が住んでいるところから十数キロ北に十系統ほどの送電線の集まる場所があり、壮観です。地元の人は電磁場が病気の原因になるという説があるといっておびえています。鉄塔にもいろいろタイプがあって、長い電線の途中を吊っているのや、鉄塔に留めた電線の間を短い線で橋渡ししたものがあります。「鉄塔武蔵野線」という鉄塔愛好者の人が書いたらしい小説があって、前者を男鉄塔、後者を女鉄塔と主人公の子どもが呼んでいた話が出てきます。ほかにも地下からケーブルが空中に立ち上がる鉄塔とか、二つの鉄塔を鉄骨でつないで門形になったものとかもあります。前の勤め先の近くには30本(3本で1回線だから10回線となる)の電線を架けた巨大鉄塔がありました。自閉症の本に鉄塔愛好児のことが出てくるのを読んだことがありますが、鉄塔愛好者に自閉症の人が多いかどうかは知りません。
にゃんすか太郎です。レスありがとうございます。
キマイラwrote:
>私の知り合いの自閉症児のお母さんに、「子供の頃、空気の粒がビーダマやビーズ>のように光って見えた」経験を持っている人がいます。その人は、自閉症の診断基>準で言うところの「想像力」に困難がありますが、ASと言うほどの症状はありま>せん。
この現象は今現在も私には見えますし、他の方も意識すれば多分見えるんじゃないでしょうか。小学生の時に、空気は見えるかどうかという話になって同級生の1人も同じような表現をしていたので、これを以て何かの症状とはいえないとは私も思います。
>>でも、小さい頃はもやしさんと同じように、物事すべてに
>>生命があるとおもってたし、男女もあると思ってました。
>>これはみんな持ってるんじゃないかなあー?
>すべての物を擬人化するのは、普通の子供のやる事で、人より物に親近感を感じら>れるのは、何かの特殊事情じゃないのかな?
私自身の体験したことが、子供的な世界の産物なのか、それともなんらかの症状を示す物なのかということはよくわかりません。
ただ、私の母親が私の幼い頃の印象について話してくれたとき、言葉を覚えるのが遅かったとか多動的な傾向や一つの物に対する固執などから、何らかの精神的な疾患があったのではないかということを聞いて、自分の幼い頃の精神状態に興味を持った次第です。
すみません。チックの定義がよく分からないので、違いが分かりません。
ただ、私の場合の話をすると、洗濯物をたたんでいる最中にだんだん動作が遅くなって行くなど、何かやっている
最中に異常に緩やかな動きになることがあったり、ちょっと困る所では動作の途中で止まったままになってしまう
こともあります。遅くても動いてさえいれば良いのですが、止まっているところを見た人は「ギョッ」としています。
そういう訳で、ちゃんと家事が終わらないことが多いもやしでした。
すみませんが、教えてください。
カタトニアとはチックとどう違うのでしょう?
moyashi wrote:
>でも誰に聞いても、成人して普通に生活出来ている人の障害は知る必要はないって
>言うんですよね。ペンギンさん、どう思います?
はたからは普通に見えても、本人にとっては大問題だから、ここに集まってくるんでしょうね。私達の世代は、子供の頃から大人になるまで、誰も助けてくれなかった。結局、自分たちで助け合うしかないんでしょうか?
U先生のお話を聞いてきました。
目新しい、知らない話しはほとんどありませんでしたが、補足として実例を上げた
り、例え話しをして下さったり、とてもわかりやすく感じました。
しかし、まわりの方々の反応は鈍く、私が大爆笑していた話しは誰も反応せず、
親の方も教師や保母さんなどもひどく真面目で、自分が場違いな感じがしました。
先生のみていらっしゃる子供たちの話しは、娘に似ていたり、自分に似ていたり、
とても共感できて、アスペの世界と自分の世界の近さに改めて驚いています。
特に、一つの話題に固執するところや回りくどい言いまわし、一対一なら社会性が
あるのにグループ相手だと問題があるところ、合併症状のカタトニア(行動が緩慢
になったり、止まったりする状態)が頻繁に起る事など、自覚できる部分が今まで
考えていたよりずっと多いことに気が付きました。
一緒に講座を受けていた夫も「ママの事を聞いてるみたいだったよ。ママも自閉っ
ぽいと思っていたけど、今日聞いたのでもっとそう感じたよ」と言っていました。
でも誰に聞いても、成人して普通に生活出来ている人の障害は知る必要はないって
言うんですよね。ペンギンさん、どう思います?
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