アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
> 皆さんの好きな色は何ですか?また、嫌いな色は何ですか?
>
> 因みに私は、青系・緑系の色・えんじ・くすんだ黄色が好きです。反対に嫌いな色は明度の少ない灰色・蛍光オレンジ・蛍光ピンクです。
ぽよ子さん同様、どの系統の色が好きかは変化していくのですが、
概して、クセのある中間色や少しくすんだ色が好きです。
くすんだ中間色といっても、濁って地味な色は好きじゃありませんが。
好きなのは、たとえば、青磁色にやや緑を混ぜたような色とか、青みのある緑がかった黄色と黄緑の間の色とか、オレンジがかったテラコッタ色とか、オールドローズと肌色に近いサーモンピンクの間の色とか。
服なら、シビラっていうデザイナーの使う中間色がわりに好きです。
あと、限りなく白に近いグレイにほんの少し、藤色やブルーやローズなどの色味を混ぜたようなペール系の色とか。
今は、漂白したような砂色や、オフホワイトや、家具などで言えばホワイト・ウォッシュ(ナチュラルな木の色の白木に白の塗料を塗って洗い流したような色)も好きです。
好きじゃないのは、蛍光色と、単調な原色と、重くにごった色。
単調な原色に白を混ぜただけの単調なパステルカラーなども好きではありません。
qing wrote:
>武田好史 wrote:
>>皆さんこんばんは。
>> 皆さんの好きな色は何ですか?また、嫌いな色は何ですか?
>>
>> 因みに私は、青系・緑系の色・えんじ・くすんだ黄色が好きです。反対に嫌いな色は明度の少ない灰色・蛍光オレンジ・蛍光ピンクです。
>
>もう、小さい時からぐんじょう色が大好きです。
>おとといもぐんじょう色の物が見れてうれしかった。
>きらいな色は....うーん、時と場合によります。
ラピスラズリという名の石を知っていますか?群青という色の絵の具は、むかしは、アフガニスタンのバタクシャン地方でとれるこの石から作られたもので、とても高価だったそうです。この石の群青色は青の中の青という感じで、僕はとても気に入っています。この石は日本では瑠璃(るり)と呼ばれています。
ぽよ子 wrote:
>武田好史 wrote:
>>皆さんこんばんは。
>> 皆さんの好きな色は何ですか?また、嫌いな色は何ですか?
>>
>> 因みに私は、青系・緑系の色・えんじ・くすんだ黄色が好きです。反対に嫌いな色は明度の少ない灰色・蛍光オレンジ・蛍光ピンクです。
>
> 好きな色は、自分の中にムーブメントがあって、緑だったり、青だったり、赤だったり、その時その時で変わりますが、大抵、原色よりも少しくすんだ、濃いかんじの色です。最近はオフホワイトも好き。
> 蛍光色は、やっぱり嫌い。何色であれ、蛍光色はだめっす。
きなり色のセーター、結構似合うかも・・・。
武田好史 wrote:
>皆さんこんばんは。
> 皆さんの好きな色は何ですか?また、嫌いな色は何ですか?
>
> 因みに私は、青系・緑系の色・えんじ・くすんだ黄色が好きです。反対に嫌いな色は明度の少ない灰色・蛍光オレンジ・蛍光ピンクです。
もう、小さい時からぐんじょう色が大好きです。
おとといもぐんじょう色の物が見れてうれしかった。
きらいな色は....うーん、時と場合によります。
Chip wrote:
>私は表向きてんかんはありませんが思い当たる事があります。
>(母はヒステリーと自分で言うが、デパートで倒れたり、家でも何度か倒れた)
>
>4才の時、夜8時ごろ激しく怒られ窓から吊り出された。
>喉の感覚、胸の動きで、激しく泣いているのを自分でもわかっているのだが、
>感覚は冷静で、
>「ああ、あの電柱の電球の球、今日はついてるな。おとといまで切れてたのに、
>遠くで犬が鳴いてる。静かな夜だなあ。」(自分の声は聞こえない)
>
>きっとあのとき、てんかんを起こしていたのだろう。
>
>そう考えるとよくわかる。てんかんはなにかの防御反応なのだろうか。
てんかんなのかパニックになったのか判りませんが、私は次のような妙な体験をしたことがあります。
1.小学生くらいのころ、速いスピードで走っているバスの中で、ウトウトとしたときに、急に胸が締め付けられるような苦しさにみまわれ、気がついてみると隣の子に体をぶっつけそうになっていた。
2.大学時代地学の同好会のコンパで、みんなの談話がとぎれたときに、急に周りから切り離されたような恐怖感におそわれた。
3.半年前近所の銭湯に行ったとき、下駄箱で急に意識が曇ってしまい、気がつくと服を脱ごうとしていた。
皆さんこんばんは。
皆さんの好きな色は何ですか?また、嫌いな色は何ですか?
因みに私は、青系・緑系の色・えんじ・くすんだ黄色が好きです。反対に嫌いな色は明度の少ない灰色・蛍光オレンジ・蛍光ピンクです。
>それと、これも子供が言ったことなのですが、「みんな、何も考えてないときがあるらしいけど、自分はいつも何か考えていて、寝ているときも考えていて、なーんにも考えていないときはない」といいます。
他の人との比較は出来ないけれど、私も何も考えていない時はないはずです。それが普通の状態でそれしか知らないので、そんなものだと思っています。誰かと話をしている時でも、つまらない話の場合は違うことを考えているので上の空の返事で、当然内容は何も覚えていません。
考え事があるのだから、話しかけないで欲しいな迷惑だな、と思うだけで何も言わず、上の空の返事だけをしています。考え事をしている人に話し掛けられる無神経が理解できなくて、いつも返事よりもそちらのほうに関心がいってしまいます。常に何かを考えている状態はASの一つの特徴らしいです。
私はとても鈍い子供で10歳ぐらいまでの記憶は残っていても、自分の意思がまるでなかったので、子供さんが「みんな、何も考えてないときがあるらしいけど、自分はいつも何か考えていて、寝ているときも考えていて、なーんにも考えていないときはない」と考えを言葉にまで出来るとはとても驚きです。
私も煮詰まってくると、寝ている間に夢の中で気になっていることを考えたりしています。けれども寝ている間の考えにはろくなものはなくて、寝ている間ぐらいは寝る事に集中するべきだと思います。特に小さい間は。
前々から気になっていたことなのですが、この頃は早期に自閉症やASと診断されて本人も知っている場合が多くなってきています。ひと世代前の人達はアスペルガー症候群という名前も知られておらず幼児期の診断もなかったので、ある程度分別がついてから、このために今までは何から何までがテレコであったのかと、驚きと後悔の半々で自分の問題を考え始めるのが一般的なケースでした。自分も含めて。
子供の時から知っている人がどんな過程を辿るのか、残酷な言い方をすれば、現在大量に人体実験が進められていて、ある程度の結果が出るまでに20年ぐらいはかかるでしょう。
多様性を認める社会ならばそれほどの心配は無用です。知っているほうが良い結果が出るでしょう。けれど認めない社会や認める能力を持たない社会では疑問を持たざるを得ません。そんな社会への社会適応という観点からだけならば、自分の問題を知らないほうが、頭をぶつけながらそこそこの社会適応能力を身につけやすいでしょう。個人的な経験からの類推ですが。
「変光星」の森口奈緒美さんは、あの世代では珍しく自分を自閉症と早くに知っていました。このあいだTBSのHPで彼女の略歴を見る機会があって、10年間の引きこもりという所で考え込んでしまいました。彼女のことは何も知らないので、自分ならどうかなと考えた結果なのですが、知っていた事と引きこもりが無関係とは到底思えませんでした。
自分がもし知っていたならば、拙い言葉で言葉にならない言葉で何度も説明しようとして、それが徒労に終わった挙句に社会との関係を切るだろう、と思いました。自分の性格ならばまず間違いなくそうなります。
個人個人の性格や置かれた環境で結果は違ってくるでしょうが、知らなければ起き得ないことなので、今の子供達はどうなるのだろうかと考え込んでしまいました。無用な心配をさせるだけかなとは思いつつ、可能性を否定も出来ませんので、杞憂に終わることを願ってちょっと書いてみました。
コミュニケーションツールとしての文体研究 その2(テレビ編)
評判になったテレビドラマは、残念ながら
「コナーキスト」による「コナーキスト」のためのドラマでした。
(「コナーキスト」については、NO.1835を参照下さい)
私にとってこのドラマは、見なければいけないという義務感と、怖いという感情の狭間で、結果的にはストーリーを追って見続けることはできませんでした。
なぜかと言うと、せっかく「同調」の世界から脱出したはずのドナが、自分の分身である原作を「同調」の世界に売り渡したのかと思うと、いたたまれなかったのと、あのようなプロデュースをする人は、我々感受性の強い種族に対し「この子たちは心がない」などと平気で言える神経の持ち主だと、作品が、私に語りかけてきたのです。
例を挙げれば、顔の一覧表を壁に貼って、感情を覚えようなんて、ふざけてるもいい話で、人間の表情は絵で分かるほど簡単ではありません。
感情の事を言えば、逆に私たちのほうが感受性が強いと信じています。
単に多数派か少数派かというだけで、元々感情表現や伝達方法が違うのです。
私に言わせれば多数派の「普通人」の方が感受性が鈍く心ない人々です。
これはドナの原作が悪いのではありません。
向田邦子の「阿修羅のごとく」を例に挙げますと、向田邦子と和田勉という「異常者(天才)」の組み合わせが、ドラマを虚構であるにも関わらず、真実と見まごうばかりのドラマに作り上げているのです。そういう作品は、時を経て何度見返しても鑑賞に耐えるのです。
まるでこのサイトで時折見い出される「詩」のように。
(つづく)この文もばらさないでね。
異星ジンへ
え!「そっち側の世界」って、てんかんの小発作だった可能性があるんですか。大発見じゃないですか。こういう解説の仕方は、こどもにはできないし、おとなは隠そうとしますから、あなたはきっと「こっち側」の人だと思います。すばらしい。
てんかんと言えば、私はあのピカチュウ騒動のとき、夕方TVをつけたら、偶然たまたま、ピカチュウが電撃を放ったあの問題シーンだったんです!
私は、あの長時間点滅する白いチカチカした光に目がくらみ、イライラして、
「しつこい、しつこい、しつこーい!いまどきのアニメはこんなしつこい画を流すようになったのかーっ!けしからん!」と寝るまで怒り続けていました。
自分でもあの怒りようは、ただごとじゃありませんでした。
翌朝、例のピカチュウ騒動をニュースで見てびっくり。
私は絶対「光感受性てんかん」をもっています。ものすごいまぶしがりだし。
そういえば思い出しました! 私も小学生の頃「そっち側」に行きました。
夏休み、外は晴れ、昼頃TVを見ていたら、突然画面に白い閃光が閃き、暗転するや、何と「原爆ドーム」が映ったんです! 外界の音が一瞬遮断されて、耳にキーンという音がしてたと思う。こわかったぁ。
でも、その番組、何かの対談番組で、原爆ドームとはまったく無関係だったんですよ。私はびっくりして「おかあさん、おかあさん、今テレビに原爆ドームが!」と母を呼びましたが、既にそのときは、元の画面に戻っていました。母は平然として、「そういえば今頃の時間でしょ原爆が落ちたのは、きっとそのせいよ」
私「おかあさん、違うよ! お昼って言ったら、関東大震災だよ」
母「あら、そうだったかしら。じゃそのせいよ。チャーハンできたわよ」
この会話でおわかりかと思いますが、母も「こっち側」なんです。
>一度、自力で行けたことがあって、その時は両耳を手で押さえたり離したりを繰り返したら行けました。
やだーっ、そんな怖いことよくできるねー 実験したの?もっと聞きたい。
かるあ wrote:
>私の悩みは、他人とうまく会話ができないことです。
本多信一さんのシリーズはいいです。人との会話についての考え方が載っています。この人はお仲間だってわかります。
精神科とカウンセリングの違いについて。
カウンセリングが料金が高くて、予約制で2・3ヶ月待ちはざらです。ぐらいしかわからない。病院は、悩みは聞かないし、薬しか出しませんよ。(経験から)
今までの人生で、比較的お仲間に近い方が寄ってくる事が多々ありましたが、こちらでその関係を持続する事が苦手なのと(いつの段階で電話番号を聞いていいのかが未だに分からない)、ずるい所があって、世間の側にいられると思っていたので、そういう人と疎遠になってしまいました。
彼らと二人でいるユニットは、特異な印象で見られたからです。
離れていった方々は、皆ドロップアウトしました。学校をやめたり、会社を辞めていったり。
今思うと、彼らに何も出来なかった自分が悔しくて、何も出来ないかもしれないけど、共闘はできなかったのかと。
去年、ADHDの方がいたのですが、パーソナルがジャイアン型なので、付き合うだけでノイローゼになってしまいそうでした。
でもまわりは、私たちを隔離してしまいました。
我慢して、付き合いましたが、その人(十歳下)は私を格下と見ていたので、ギクシャクしました。
彼が、何か変だと分かった時、まわりの彼の扱いは、弱者に対するものに、変わっていきました。その時私は思いました。能力不足と知られるより、努力不足と思われた方がましだと。
こんな私が、仲間達にしてやれることは何かあるのだろうか。自分が生きていくだけで精一杯の私が。
ひよ wrote:
>その世界は映画みたいな映像なんですか? それとも本みたいな文字なんですか? それとも音声なんですか? この世の言葉では表現できないものなんですか?「そっち側の世界」ってどんなの?「違う世界」ってどんなとこ? 何かもう少しこの世で具体的に例えられるものがありませんか?
ruou wrote:
>異星ジンさんは、その時の内容,,細かいこととか覚えています?それとも
トリップしていることだけ?
私は、てんかんの小発作だとおもっていました。
映画で言えば、回想シーンのような時間のながれです。まわりは騒がしいのに、自分だけが別の空間に隔離されているカンジです。
その時の心理は、安らぐ事はなかったですね、どこか別の世界に連れて行かれたみたいで少し不安でした。慣れるにつれて消えていきました。
音声は、難しいですね、何といったらいいのか、耳を両手で押さえた音の聞こえ方に近いです。
時間は、長かったり、短かったり、スローモーションがかかるので長く感じがちですが、実際は、1,2分かも。
一度、自力で行けたことがあって、その時は両耳を手で押さえたり離したりを繰り返したら行けました。
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