アスペルガーの館の掲示板(旧)
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うまい言葉があるといいんですけどね。
例えば村上京子さん発案のA-typeというのもMebiusさんの言われる「自閉」の意味として使えると思います。
Mebius wrote:
>しかしながら、これはいたって個人的な意見のですが・・・、
>古典的自閉症と高機能自閉症
>高機能自閉症とアスペルガー症候群
>アスペルガー症候群と非言語性学習障害
>それらをあえて線引きすることは、はたして重要なことなのでしょうか? 私には近頃、どうもそれらが無意味なことのように思えてきているのです。
線引きは無理でしょうけど、程度や傾向で方向付けをすることは無意味ではないと思います。
ただしこれは教育や社会的な観点の話で、医学的にはまた違うでしょう。
まだ医学で解明されていないことが多いですが、将来は線が引かれるかどうか、可能性が残されています。
>ちなみに私はASであり“自閉民族”である訳なのですが、自閉症とは思っていません。これは私の認識では“症”とつくものは“疾患”であり“治療すべきもの”或いは“病”と捉えているため、これは私の考えとは異なるからです。
>そんな訳で“自閉症”ではなく“自閉”という言葉にこだわった事もまた、文章をわかりにくくしていたのかもしれません。
ASのSはsyndromeのことで、日本語に訳すと「症候群」となって「症」の字が入ってしまいますね。
訳が悪いと言えばそれまでですが、もともと医学の分野で名付けられているのでそうなってしまうのでしょう。
琴絵 wrote:
>彼女はいつも、自分がほめてほしい時はほめてもらえないとその場でパニックになってしまうし、一緒にいる人が悩みを打ち明けている最中にもパニックになってしまいます。
>自分の親を説得したいから、そのセリフを考えてくれ、というので、「自分の人生って、自分の好きにやるのが幸福だよ」と一言なにげなく言ったらパニックになり、わたしと縁を切る、ということに決めた、と言われました。
>一体何にたいしてパニックになったのかわたしには全くわからず、つい、ここに書いてしまいました。
ASの人は、多くの人と、ものごとの受け止め方が違うのです。
わたしも、パニックにはなりませんが、端から見たら「どうしてそんなことで」と思われるようなことをいつまでも深く気にしていたり、逆に一般常識的にはもっと気にするべき(らしい)ことがまったく気にならなかったりします。
それから自分の気持ちを適切に表現するのが難しいです。(下手です)
相手が自分の思い通りの反応をしてくれないと、相手に対して「嫌いだ」と言ったりすることもあります。
でも、それは相手に対する本気の拒絶ではなく、ほんとうは、こちらの思い通りでなくてがっかりした、という意味だったりします。
(あくまでわたしの場合ですが)
そういうとき、わたしの周りのひとたちは放っておいてくれます。(慣れているから)
そしたらそのうちけろっとして、また同じ相手に話しかけることができます。
変に慰められたりとりなされたりされると、かえって調子が狂います。
自分の行動でいちばん困っており、恥ずかしくも思っているのは本人だと思います。
>夜中でも、どこでもかけたい時にかけてくる電話にも困りましたが、それはつきあってあげるのがベストなんでしょうか。
「いつでも電話していいよ」とか言ってませんか?
>彼女には、わたしや周囲の人は理解しがたい存在なのでしょうか。
彼女なりの理解があるのではないでしょうか。
ぜんぶ合わせてほしいとか大目に見てほしいとか理解してほしいとか思っているわけではないのです。
「この人はこういう人なんだなぁ」と思ってあげてほしいです。
http://home.att.ne.jp/sea/youjiskc/guide.htm
↑めちゃめちゃこわい。
涙が出そうになった。
ASじゃないのに、書き込みしてごめんなさいね。
よく考えたら、よくなかったかもと後悔しました。
さしつかえあったら、削除してもらってかまいません。
わたしの知人も、ASのお友達ができたら、きっと、もっと楽しく過ごせるようになるんだろうなあ。
いつもひとりぼっちの、彼女が、ちょっとかなしい・・・・
ここの存在を彼女が知ったら、きっとうれしいだろうな・・・
シュッツさん、こんにちは。
時折、シュッツさんの“癒し音楽館”で心休まるひと時を過ごさせていただいておりますMebiusと申します。
私のような者の戯言にレス下さってうれしく思います。
シュッツ wrote:
>ちょっと言葉の問題を一つ
>>自閉とは何か? それは自閉であるというただそれだけのこと。
>「自閉者」は確かに自閉でしょうけど、「自閉症」は自閉とは限りません。
>歴史的な経緯で「自閉症」と名付けられてしまいましたが、現在では自閉であることは必要条件ではなくなりました。
おそらくシュッツさんは私の使用した“自閉”という言葉の用法に“殻に閉じこもる”とか“引きこもり”とかを連想されたのではないかと思われます。
実は、私自身はすべての自閉者或いは自閉症者たちを総称して“私たち自閉民族”という人間性を意味する言葉として用いたつもりでおりました。・・・が、自閉とか自閉症とか自閉的傾向とか・・・そういった言葉は、古今東西いろいろな意味で誤解を招きやすいものであるという事は、私自身が身をもって体験してきたことでもあり、やはり“自閉”という言葉を使用する際には、それ相応の使用上の注意が必要だったと反省しております。
しかしながら、これはいたって個人的な意見のですが・・・、
古典的自閉症と高機能自閉症
高機能自閉症とアスペルガー症候群
アスペルガー症候群と非言語性学習障害
それらをあえて線引きすることは、はたして重要なことなのでしょうか? 私には近頃、どうもそれらが無意味なことのように思えてきているのです。
物事へのこだわりや思考形態、興味の持ち方など、いわゆる共通する人間性を持ち合わせた“私たち自閉民族(この表現もまた必ずしも適切であるとは思っていないのですが・・・)”が、知能指数の如何によって、或いは言語表出の仕方によって、また、器用か不器用か等によって分類されるべきなのかという点について、しばしば疑問に思うことがあります。
“普通”の人々のその人間性について語るとき、必ずしもそういった作業能力を基準にして分類などはしないのではないでしょうか。私たち(自閉民族)にだって個々それぞれ個性もあれば得意分野もある、突出した能力を持ち合わせたものもいればそうでない者もいる。それは“普通の人”の個性や能力にバリエーションがあるのと同じかそれ以上に“自閉者(自閉民族)”にだってバリエーションがあってあたりまえではないか、ということが言いたかったのでした。
“私達”を総称するのに”自閉”に取って代わる適切な単語が他に見あたらなかったが為に、結果的に誤解されやすいか或いは判りにくい表現になってしまいましたこと、お詫びしたいと思います。その他多くの方々にも誤解を与えてしまう可能性も踏まえて発言を削除することにいたします。
“自閉を語る上での言葉の問題”を痛感すると共に、今回の文章もまた、“自閉”という言葉を独断的に取り込んでいるが為に、やはり前回同様わかりにくいものとなっているのではないかと少々不安に思っているところです。
ちなみに私はASであり“自閉民族”である訳なのですが、自閉症とは思っていません。これは私の認識では“症”とつくものは“疾患”であり“治療すべきもの”或いは“病”と捉えているため、これは私の考えとは異なるからです。
そんな訳で“自閉症”ではなく“自閉”という言葉にこだわった事もまた、文章をわかりにくくしていたのかもしれません。
こんにちは。
私も、ゆうさんと同じような事で、悩んでいます。
私の場合は、もう大学卒業するのは、あきらめてしまいましたけど。
大学の規模は人それぞれだと思います。私は小規模な大学に在籍していますけれど、卒業できそうにありません。
るうきい wrote:
>私もGさんに頼んでホームページの作成中。では、また!
HP楽しみにしてます。
出来たらリンク貼ってくださいね。
職場でAPの人と出会いました。
彼女はとても独走的だし、わたしは彼女が好きですが、彼女とおつきあいするのは、ものすごく大変です。
彼女はいつも、自分がほめてほしい時はほめてもらえないとその場でパニックになってしまうし、一緒にいる人が悩みを打ち明けている最中にもパニックになってしまいます。
自分の親を説得したいから、そのセリフを考えてくれ、というので、「自分の人生って、自分の好きにやるのが幸福だよ」と一言なにげなく言ったらパニックになり、わたしと縁を切る、ということに決めた、と言われました。
一体何にたいしてパニックになったのかわたしには全くわからず、つい、ここに書いてしまいました。
夜中でも、どこでもかけたい時にかけてくる電話にも困りましたが、それはつきあってあげるのがベストなんでしょうか。
いろいろ本を読んだりしてみましたが、やっぱりわかりません。
彼女には、わたしや周囲の人は理解しがたい存在なのでしょうか。
かなしいです。
彼女には彼女なりのルールがあると思いますが、周囲はどうやってそれを知っていけばいいのでしょう・・・
ちょっと言葉の問題を一つ
Mebius wrote:
>自閉とは何か? それは自閉であるというただそれだけのこと。
>自閉者の中には・・・
(以下略)
「自閉者」は確かに自閉でしょうけど、「自閉症」は自閉とは限りません。
歴史的な経緯で「自閉症」と名付けられてしまいましたが、現在では自閉であることは必要条件ではなくなりました。
そのため呼び名を変えようと言う議論が起こっていますが、まだ実現されてはいません。
例えば「カナー症候群」などはどうかという意見があるようです。
さくらかのえ wrote:
>
>これって、わたしの「ひとつのことを何回も同じ言葉で考える」っていうのと同じようなことかな。
>ぐるぐると考えているときに、別の興味をひかれるものがあらわれると、今度はそっちのことを考えはじめてしまいます。
>あとでまた最初のテーマに戻るときもありますが、そのときはスイッチを切り替える感じ。
>うまく切り替えできないでごちゃごちゃしちゃうこともあります。
>
さくらかのえさんと同じような気もします。
シャドー・シンドロームと言う本によれば、精神分析をするときに、”自由連想をする。”と言うのがあるそうです。
自由連想の過程は全く受動的で、それをする人は、心が思考から感情、記憶へ、あるいは逆方向に漂うままにしてくださいと言われます。
ところがADDの人の脳はあまりにも活動的で、漂うと言うことが出来ない・・・。1つの考えが浮かぶとそれに飛びつき、しっかりと捕まえて、どこまでも理詰めで追求してしまう。分析し、評価し、細部まで検討する・・・これでは漂流とは程遠く、思考や感情が自由に流れるままという状態にはならない。
物事を流しておくことが出来ず、次から次へ集中を移し、惹かれる物にぶつかると、それをしっかり捕まえて離さない(過剰集中)ために、自由連想をしようとしても、たちまち直線的にゴールに向かってしまって、無意識の中で待っている次の連想を見逃してしまうことになる。そうです。
私の場合はこれに当てはまると思います。
まあ、でもこれも自分の脳の指令だったら仕方ないと思っています。
ただ出来るのは、知識は力になると信じて、自分のそういった部分を分析し、評価し、細部まで検討し・・・ってまるでそのまんま・・・をやるしかないかな〜と。
ひとつ気になるのは、きっと今まで経験していないから分からないのでしょうけれど、普通人の心が思考から感情、記憶へ、あるいは逆方向に漂うまま・・・と言うことがどういうことなのか、具体的に感じてみたいのです。
これが自分の中で練習できれば、もっと楽に生きられるんじゃないかな?って。
さくらかのえ wrote:
>「人の心は絶えず流れている」って、気分が常に変動しているってこと?
>それだったらわたしもあるけど・・・うーむ。
あ、でも落ち込んでぐじゃぐじゃしてた気分が、ある日目が覚めると平静に戻っていたことがあったなあ。
そうなると、前の日までのぐじゃぐじゃした気分には戻ろうと思っても戻れないし、その気分の原因になったことを思い出しても戻らない。
ぺりこ wrote:
>私の心はいつも何かにとらわれてあるところで止まっています。その対象物が別の物に変わる時はあくまでデジタル的です。
>普通、人の心は絶えず流れているらしいのですが(友達に聞いてみたところ当然だと言われました)どう思われますか?
>長々とすみませんでした。
これって、わたしの「ひとつのことを何回も同じ言葉で考える」っていうのと同じようなことかな。
ぐるぐると考えているときに、別の興味をひかれるものがあらわれると、今度はそっちのことを考えはじめてしまいます。
あとでまた最初のテーマに戻るときもありますが、そのときはスイッチを切り替える感じ。
うまく切り替えできないでごちゃごちゃしちゃうこともあります。
でもこれは、頭の中の話だから、心はまた違うのでしょうか。
「人の心は絶えず流れている」って、気分が常に変動しているってこと?
それだったらわたしもあるけど・・・うーむ。
ann wrote:
>もちろん、先に診断してもらうことが先だけど
>ああ、でも多分十中八九……、思い当たることが多すぎる。
>医者に診断してもらって、薬をもらっても……。
>一体これからどうやって生きていったらいいのでしょう?
>カウンセリングで全てが解決されるとは限らないと思いますが
>自分の中に何かコントロールできない怪物を抱えたまま
>私は途方にくれてしまいます。
こんばんは、annさん、悩んでおられるようですが、大丈夫ですか?
私は自分がおかしいんじゃないかと長年悩んで最近答えが見つかったような所です。最近思うのは何から何まで普通の人のようには出来ない、ということです。
うまく言えませんが、鳥のようでも飛べないが、魚は捕れる、ペンギンみたいだな、と自分を思います。鳥にはなれませんが、出来ることを探した方が、絶望的にならなくていいんじゃないでしょうか?私も離婚歴があって、自殺未遂もしたことがありますが、どうにかこうにか日々過ごしています。薬を貰ってぐっすり眠れても、翌朝スーパーウーマンには変身できません。まず、身の回りの気になる困ったことを一つづつ片づけていったら如何でしょうか?ここのサイトはレスして下さり、いろんな助言をして下さる人が多いので、私なんかとっても心が助かっていますよ。あけない夜はないといいますから、いっしょに歩きましょうよ。僭越なレスでごめんなさいね。
mamiさん、異星ジン、ぺりこさん、温かいレスありがとうございました。
職場でかなり気を使って、家でも気を使って、なんだかもういやだ!って
思ってたので、レスを貰ってってかなり落ち着きました。色々考え出すときりがなくなるのですが、目の前のことに集中するという習慣づけの必然性がますます感じられました。普通の人がうらやましい...。リタリンが欲しいけれど、主治医にそれとなく言っても専門が違うからか本気にしてもらえなかったし、自然食品(普通に食べる食品)でリタリンに似た効き目のあるものや、類似性のある食品はないんでしょうか?別件ですが、自分でも馬鹿みたいと思うんですが、失敗しないようにしようとすると頭の前頭部(?)が緊張するみたいです。逆に外国語を使うときは、後頭部が緊張するのが分かりますが、単なる過敏症なのかそう感じる人が他にいるのかな、と不思議です。「こんなところが過敏症だ、人と比べて変だ」ってばかり探すのが嫌なので、ASの特性をのばす方法も知りたい今日この頃です。改めてありがとうございました。
初めて開いてみました。PC買って2週間、まだ操作もままなりません。他の人の掲示板も読むことができないの。ごめんなさい。真雄さんにメールを送ってみようと思ったけど、それも、どうしていいかわからないし。とりあえず、掲示板に。私はちょっと前まで古ぼけたジムニーに乗ってた自閉症の鍼灸師です。IさんとGさんにあなたのこと聞いてびっくり!6年前ドナの本読んで私とそっくりと思ってYou are like me. と手紙を送りました。ドナはYou are not alone. と返事をくれ、私のことアスペルガーと思うといいました。それから、ずっと、自分とothers を観察しつづけ、いろんな本を読み、とうとう今年になって私も自閉症と確信しました。私もGさんに頼んでホームページの作成中。では、また!
ゆう wrote:
>みなさん、はじめまして。ゆうといいます。よろしくお願いします。
こちらこそよろしく。
卒論書けるといいですね。
いろいろ不安があると思うけど無理しないでね。
KO- wrote:
> またまた、ある先生の講演会を聞きに行ってきて、気になったこと、1つ。
>
> 自閉症の人は、記憶力がよくて覚えられてしまう。(頭がいいとかではなくて) 記憶されてしまう。→数学の公式や表や歴史の年号など。
>
> なんだかなぁ〜。私なんぞ学生の頃は、数学の公式が覚えられない、地名が覚えられない、人の名前が覚えられない、文章が覚えられない、漢字が覚えられない、覚えられないづくしでジタバタしてきたのに(-.-)
>
> これって、本当ですか?
>
私の場合、記憶するというより、はまってしまうと言ったほうが正確です。
数学でいえば、数字や+,−,√の記号のリズムが気に入ってしまって、抜け出せなくなってしまいます。
数学の勉強が終わってもしばらくは、頭の中で数式がぐるぐるぐるぐる回っていてなかなか消えてくれない。頭を壁に打ち付けても、消えてくれない。人間の頭もパソコンみたいに、使わないデータは合理的にしまっておければいいのに・・・
私自身の今迄の鬱病体験と、読書からの知識と、精神科医との対話から得た自分なりの意見です。あなたの論文の参考になればと思い書き込みしますね。
まづ最初に普段我々が感じる「現実」とはなにかを問う。私はバーチャル(仮想的)なものだと言いたい。「現実」を例えて言うならテレビ番組を見ている様なものです。「現実」を上っ面でしか見ない鈍感な「健常者」あるいは逆に幻想を頑なに信じ込んでる「分裂症」の人たちは一つの番組を見てこれしかないと思い、皆同じものを見ていると錯覚しているのです。けどテレビとは規格が違ったり、白黒だったり、あるいは放送局の周波数の違いでもっていろんな番組が見られるものなのだ。アスペや自閉症の人たちは、人それぞれに生まれ持った周波数等の違いから、それぞれの違った番組を見ている。それが他者から見ると「個性的」に見えてるのではないか。
さらに言うならアスペ人は人ー倍敏感であったり、人と異なる体験をした為に、「現実」の仮想性つまり、いいかげんさ、不確かさを幼い頃からうすうす見抜いているんじゃないかな。一つの事に身を置けないから多動になる、集中できない、視線がぶれたりする。 私は「現実」がバーチャルだからこの世は虚無だとか無意味だとか言ってるんじゃないよ。間違えないでね。バーチャルなものの背後には「唯ー絶対の存在」は確かに在ると思う。ただそれを感じるには現代人は余りに忙しすぎる。とらわれが多すぎる。断片的な知識や、所属する組織の論理やらで振り回されて見えづらくなっている。動物的嗅覚を無くしている。
バーチャルがバーチャルであると気付くと「絶対」は見えてくる。アスペ人間が時に神がかりに見えたりするのはその所為じゃないかな。抽象的表現ですみません。あなたの直感を働かせて読みこなしてね。
NANAHA wrote:
>私の場合、すごく悩んでいるのが、習慣性のなさ(ルーティンワークの欠如)です。昨日も同居している母から凄くののしられたんですが、「電気の消し忘れ」
>「決まったところにものが収納出来ない」「二つ頼まれたら1つは忘れてしまう」
>「人が注意して苦言を言っていることが理解できない」などです。普通の人はどうやって生活習慣上のことを学ぶんでしょうか?怒っている人が実際目の前にいても
>何のことかピンと来ないことすらあります。ほんとに頭が足りないのか悩みます。
>
私の父は異常に几帳面で、じぶんのこだわっている生活習慣を、母と私たち子供に強制的に身につけさせようとしました。(それは恐怖とともにです。)
母が、水を出しっぱなしで食器を洗っていると、どこにいても必ずやってきて罵倒します。
母は何度言われても自分のやり方を変えず、父はとうとう水道に”水を出しっぱなしにするな”と張り紙しました。
それは10年たった今でも張り付いたままです。(母も私もとってはいけないと思っている。)
電気をつけっぱなしにするなど父が怖くて出来ません。
私はうちのものすべてに、父の影を感じて緊張していました。
今、私は父と離れて暮らしていますが、一度ついた悲しいサガは抜けることなく、時として強迫的に家中かたずけをして(たとえ夜中でも)とても疲れます。
こんなになってしまった私を見て、母は、ゴミで死ぬことはない。電気をつけっぱなしでいても、電気料金の請求がベラボーに高いときに、今度は消そうと反省すればよい。あなたは、どうでもいいことにとらわれすぎて、大切なことを見過ごしているかもネ。と言います。(父とは正反対です)
私はやはりバランスがとても大事だと思います。
私や父のように、そればかりにこだわってしまうのも困るし、抜けっぱなしも困る。
でもたいがい命にかかわらない(たとえばコンロの火をつけたままとか)のであれば、人に注意されて気づくくらいの方がおおらかでほほえましく思います。
>それとASとかLDとかACの人の場合、同じ様な人に惹かれてしまう、という傾向はあるのでしょうか?きちんとした人と恋愛をしたくても、どうしてもこの傾向があるみたいで、
ASもACもADDもある一部分(過剰集中など)をとると共通点があるそうですね。
私が今読んでる本には、注意欠陥障害(ADD)の人は、社会的知能の面でどんな問題を抱えているかに係わらず、トラブルのある相手を選ぶ。刺激に過剰集中することで心の安定が得られるので、きちんとした退屈な人にはないやり方に、関心を引きつけられる。ADDがADDをパートナーとして選びたがるのは、ADDが与えてくれる高い刺激を求めるからだ。とありました。
まさに私がこれです。
今まで、ずっと普通人と思って暮らしていたのですが、あるASの方との出会いがきっかけで、今までにない心の動揺を感じました。
うまくいえないのですが、他人とは思えないと言うか・・・同種族?
ただ、人間としてずっと係わっていたい。
こういった感覚、すごい不思議で・・・
それから、あまりに殺気立ってる自分がどうしてなのか知らないままだとおかしくなりそうだったので、電話相談したり、本を読んだり、ここにカキコさせてもらったりして、自分が少しですが分かって来たような気がしています。
私の脳の指令がそうさせていること・・・
私の心はいつも何かにとらわれてあるところで止まっています。その対象物が別の物に変わる時はあくまでデジタル的です。
普通、人の心は絶えず流れているらしいのですが(友達に聞いてみたところ当然だと言われました)どう思われますか?
長々とすみませんでした。
KO- wrote:
> その状態から脱け出せなくなって困っているの? もし、困っているんだったら
> 強制的にStopをかけられる方法を用意してみては?
> いっそ、一切な〜んにも考えないでみたり、な〜んにもやらないでみたり、
> お風呂に入ったちゃったり・・・・・ あっ、これは私か(^^ゞ
どうもありがとうございます。
でも「一切な〜んにも考えないで」いることができないんですよね。。。
テレビを見るとか、仕事で忙しくなるなど、外部からの情報量の多さで半強制的に別のほうに意識をもっていければ、その間は忘れていられるので、なるべく外部刺激を入れるようにしています。
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© 1998 y.mikome, T.Ikeda, 1999 s.murakami