アスペルガーの館の掲示板(旧)
あなたは 番目のお客様です。
《アスペルガーの館》に戻る /
新しいアスペルガーの館の掲示板
>おむに wrote:
>おむにです。こんにちは。
こんにちは。おむにさん。
いつぞやはレスをありがとうございました。
なにやらまたしても騒ぎを起こしているMebiusです。
>まず、議論の基礎となる「前提」もしくは「定義」の部分で食い違いが発生しています。
>基礎が異なったまま議論を続けるのは不毛なので、いじめの定義から見直しませんか?
>Mebiusさんのイメージするいじめと、みるさんのイメージするいじめの定義が聞きたいです。
一夜明けて掲示板を開いてみたら何やら大変な議論になっていて驚きました。
そうですね。まずは、私の考える“いじめ”の定義から・・・。
“摩擦”は“個”と“個”の存在するところには必然的に発生するものと考えます。全く同じ“個”など存在しないからです。そして、“摩擦”が生ずる事により、相手をよく知りたいという欲求(興味)が生じ、努力によってお互いを理解し、認め合うことが可能となります。逆にいえば“摩擦”が生じなければ、相手を“知りたい”などとは思わないかもしれない。そういう意味では“摩擦”というのは人間が生きていく上で大変重要な役割を担っていると感じています。ただし、認め合うためには、お互いが“個”を尊重する事。即ち“人間”対“人間”の関係がなければ成り立ちません。
一方“いじめ”は“人間”対“人間”の関係はなく、他者を一方的に排除しようとするだけです。ゆてぃさんがおっしゃるように、「摩擦は、話し合うことで発展的な解決もでき人間的な成長も望めるけど、いじめは、人の心を傷つけるだけの破壊的なもの」・・・と、私も考えます。
“いじめ”の定義、これでは短すぎますか?
あれこれ考えているうちに破壊的なものをあれこれ定義するのは難しいと感じました。
単なる“破壊”で終わってしまうがゆえに・・・
(関係ないけど追申)
おむにさんの“裏ページ”覗かせていただきました。
まだ若かりし○○年前に、北海道に漂着したMebiusでした。
私は、東京にある、「不登校」「引きこもり」の人達を対象とした施設の
スタッフとして、働いています。
以前の私の書きこみを読まれた方は、どうして普通の人には説明できない
ような障害を抱えながら、そんな仕事ができるのか、不思議に思われるかも
しれません。障害が軽いわけではありません。この施設が、職場としてかなり
特殊であるため、逆に自分の抱えているものを生かすことができるということ
は、あります。それでも、苦労は絶えませんが。
引きこもりの人は、加速度的に増えているようで、現在、新規の相談を
受けることはしていない状態なんですが、外部の人でも無料で参加できる
サロンのようなものがあります。他のスタッフには、ASなどの発達障害に
関する知識はありませんので、私が、個人的にお話するだけなんですが、
それでもよかったら、遊びにいらしてみませんか?私自身がASであり、
問題だらなので、一緒に問題を共有することしかできませんが…。
掲示板でやりとりをするのが苦手なので、興味のある方はメールを下さい。
すみません。
表出不安と言うんでしょうか、なかなか自分の仕事のことが書けません
でした。
るおうさん、ゆーりさん、お久しぶりです。お元気でしたか?
みる wrote:
>「いじめるこ」も「いじめられる子」もいない世界は
>考えてみると、少し怖いんです。
いじめという不純な行為は、実は人間だけではないのです。
例えばサンフイッシュというという淡水魚には、「オメガ個体」という「イジメられっ子」がいます。
この魚たちを水そうにいれてやると、互いに突っつきあいを始めやがて一番多くつつかれるものがでます。それがオメガ個体です。オメガ個体は、人間のイジメられっ子が、精神的なダメージ受け不登校・引きこもりにになって生活水準が低下してしまうのと似て、えさを十分にとることができず成長も悪いそうです。
オメガ個体が消えてしまうと、また群では突っつきあいが始まり、あらたなオメガ個体が生じます。まさに人間のイジメられっ子が転校してしまうと、クラスの他の子が新たなターゲットになるのと、似ています。
このようなことは、鶏や雷鳥などの鳥・ニホンザル・鹿などの動物でみられるようで、生物学的には「順位制」と呼ばれています。つらいけども群の安定を保つためには、どうしても必要なことみたいです。悲しいかな・・・
みる wrote:
>一番大事なのは、いじめっ子の心の中に巣食っている
>ストレスのもとを取り除いてあげる事だとおもいます。
みるさんは、いじめっ子の「心の闇」の部分を考えているのですね。
私は学生時代から今に至るまで、ずっといじめられてきたから
いじめっ子=天敵で、いじめの背景まで考える余裕はありませんでした。
いじめをなくそう!は大賛成でした。
>「いじめは悪い事だからしないこと!」って言うような指導をしたときに
>全員が、よい子を演じて、自分を押し殺した人間になってしまうのではないかと、
>みんなが優等生の模範のようになった世界は気持ち悪いなあ。
>そういう風におもったんです。
強制されるのではなく、いじめや差別、偏見が自発的になくなるのが
理想だど思います。そのためには、教育指導する大人の
意識から変えていかなきゃいけない。
ただ単にいじめをなくすんじゃなく、その背景や
周辺事情など、いろんなことを考えないとね。
いじめの問題も、こうやって考えると奥が深いですね。
#規格外のお芋だって、食べてみればおいしいんだよね。
さくらかのえさん、
私の言いたいこと全部
わかりやすくきれいな文章でかいてある感じです。
もうこれ以上いうことないです。
いじめられっこに強くなれなんて、言語道断。
強くなれてたら苦労しないって。
学校で責められて、家や先生からも責められたら、たまらないです。
いじめられっこのセルフエスティームもどんどん低下しちゃうよ。
みなさんレス。ありがとう御座います。
#「規格外のお芋の」私はスイートポテトとかにすれば結構いけるんですよ(^^)。
「いじめ」と「摩擦」は違うものであると、わたしも思います。
他人と接していて不快な気持ちにさせられることはいろいろありますが、
その中で「いじめ」というのは、力関係を伴う一方的なもののことである
という風に考えています。暴力のひとつの形態です。
「いじめ」はなくさなければならないと思います。
ただそれは一方的に、いじめる子どもをつかまえて説教するとか
悪者扱いすることでは解決しないと思う。説教されたことを恨むだけです。
もちろんいじめられる子どもに「強くなれ」とか
いじめっこの機嫌を損ねないように、などの説教をすることでも解決しません。
暴力をふるう人はその人自身がどこかで暴力を受けてきた場合も多いそうです。
でも暴力の連鎖をたどってるばかりでもしょうがない。
「いじめるな」と上から言うより、ストレスを発散させる手段として
「いじめ」以外の方法を使えるように教えることが大切かもしれない。
気にくわないことがあったとき、誰かを殴ったり仲間外れにしたりして
解決するんじゃなくて、「気にくわない」ということをことばで表現するとか。
たいていの暴力(人格否定するような攻撃的な言葉も含む)は八つ当たりです。
思ったこと(疑問や不満や要望など)をその場その場できちんと言える(表現できる)
場がないことが暴力を生んでいるんです。
それと自尊感情の低下。大切に扱われていないと自尊感情が低下します。
自分を大切に出来ない人は、他人のことも大切にできません。
先日の質問「人間はどうして働くようになったの」には、数々のレスを頂き大変ありがとうございました。
一口にアスペルガー症候群者といっても、私のように「働く=全く訳の分からないこと」と悩み苦しんでいる者から、勇敢に職場にとけ込みがんばっている人までピンからキリまで様々であることが判りました。
人間は本能的に誰かの役に立ちたい・自分もよりよく生きていきたいといった相反する願望を持っていて、働くとはこの2つのバランスをとるための大切な行為であるといえます。
しかしながら、私たちは認知→動作のシステムに不具合があるため普通の人と比べるとスローペースの動作となってしまったり、精神的な脆弱さから普通の人では何でもないことでも強い恐怖感をもってしまったり・鬱病に陥ってしまうこともあります。また友達もできにくい方です。
それでも人間である以上、何らかの形で社会に貢献していかなくてはと思います。
そこでみなさんに質問です
あなたはどんなところで働きたいですか?
風鈴さん、ゆうこさん、こんばんは。
あと3日でお会いできるので楽しみです。
さて、待ち合わせ場所のアドバイスをSUNさんからしてもらったので、もう一度書きます。
2月17日(土曜日)11時 大阪の紀伊国屋書店の正面入り口前(壁に大きなモニタがある方)の正面入り口の向って右側のドアのそばにいる予定です。11時30分までは、絶対にいます。どうか合えますように。。。。。
SUN さん、こんにちは。
>17日、今度の土曜日ですね。
>私は今度の土曜は出勤日に当たっているので多分行けないんですが、
>また次の機会にお会いしたいです。
今度は、SUNさんの都合のいい日に計画したいと思います。
>
>>2月17日(土曜日)11時ぐらいに大阪の紀伊国屋書店の正面入り口前はいかがでしょうか?
>
>参加できないのに横からくちを出して申し訳ないんですが、
>紀伊國屋書店の正面入り口前(って、壁に大きなモニタがある方ですよね?)は広くてかなり人が多いので、
>服装の目印だけではなかなか会えないんじゃないかと心配です。
>(顔見知りと待ち合わせてもなかなか見つからなかったことがあるので…)
>大きなモニタの下の公衆電話(って今もあるんでしょうか?)の、向って右端の電話の近く、とか、正面入り口の向って右側のドアのそば、等、場所をしぼった方が安全な気がします。
>それか、もっと目立つものを持つとか。
>
>ああ、もっと早く書いたらよかったんですが。
>だいじょうぶでしょうか?
>3人が会えますように!
アドバイスありがとうございます。今から風鈴さんとゆう子さんへ知らせます。
ゆてぃ wrote:
>だから、摩擦といじめの区別がつかないことが、よくあります。
>単なる意見の相違や、話し合いで解決する「摩擦」なのに
>勝手にいじめられてると勘違いして傷ついたり
>その逆で、それは「いじめだろう」と思われることに
>気が付かなくて、単なるトラブルかと思って見過ごしてしまったりもします。
>(特に他人がいじめられている時)
私も、読み取れなくて、必要以上に神経をすり減らしてきたクチです。
>>「いじめ」を押え込む事でひとりひとりがストレスをしょいこんだら、
>>みんなが全員のこころが病んでしまうような気がしてなりません。
>
>だからと言って、みんなのストレスをいじめられっ子が
>しょいこむことがいいとは、思わないなぁ。
一番大事なのは、いじめっ子の心の中に巣食っている
ストレスのもとを取り除いてあげる事だとおもいます。
実はいえで今まで暴力を受けてきたとか、
心の中でものすごい劣等感にさいなまれていて、
何かそのはけ口としての行為かもしれない。
これは場合によりけりですが・・・。
いじめっ子がいじめるときって、
いじめっ子の心の中のストレスの袋がパンパンになって、
凄く悲しく辛い気持ちになって、
その結果、無意識のうちに理由の無いターゲットを創り出して、攻撃している。
そういう風に見える事が多いんです。
>>「いじめ」という雑草は、土のある所に必ず生えてきます。
>>面倒だけど一つ一つ、丁寧に摘み取るのが一番。
>>ここに、除草剤をまいて、雑草を一掃してしまったらどうなるのでしょう?
>>土は汚染され、きれいな花も、雑草も生えなくなってしまう。
>>また新しい、問題が、厄介な問題が続々と顔を出すのは目に見えている。
>>そう思ってしまうのです。
>
>これは、いじめに対する指導法の問題だと思うんだけど
>確かに、無理な方法では、後々問題は起こってくるかも知れません。
>みるさんは、いじめを雑草に例えてるけど
>私にとっていじめとは、癌です。徹底的に取り除かなければ
>死に至るもの。取り除くときに苦痛はあるけれども
>健康になるためには、どうしても取らなければならないものです。
>「放置=死」です。
同感です。雑草より、的確な表現だとおもいます。
とても現実的です。
>>「いじめるこ」も「いじめられる子」もいない世界は
>>考えてみると、少し怖いんです。
>
>どうしてかな?
>もう少し、みるさんの意見、聞いてみたいです。
これは、もしも教育する立場にある人が、
「いじめは悪い事だからしないこと!」って言うような指導をしたときに
全員が、よい子を演じて、自分を押し殺した人間になってしまうのではないかと、
みんなが優等生の模範のようになった世界は気持ち悪いなあ。
そういう風におもったんです。
昔電車の吊りかわ広告でサッカー選手が
「いじめ、かっこわるいよな。」
って、かいていた広告を見た時に(当時わたしは高校生だっただろうか?)
「なんて恐ろしい広告だろう!」とおもったんです。
いじめは悪い事だからしないこと!って言う指導と同じじゃないかって、
すごい怒りが込み上げたんです。誰が考えたんだ!って。
いじめがエスカレートしちゃうよ。って。
いじめっ子は、たいてい罪悪感を抱えながらも、
どうしようもなくていじめている事が多いようです。全部とは言いません。
(病的な診断を下されるほど心が病んでいない限りは。)
そんないじめっ子を、心のそこから温めて癒してあげないで、
上から押さえつけて封じ込めたら、どこにはけ口を求めるだろう。
犯罪に走って、もっとじぶんと周りを痛めつける結果を招かないか。
って、心配になるんです。
心のそこから癒して温めてあげれば、いじめっ子はいじめっ子じゃなくなる。
そうおもうんです。
#ちょっと関係ない話ですがですが、私は自分のことを
#「八百屋さんに並ぶことのない、規格外のお芋」
#だとおもってるんです。
#畑で、そのままじゃ商品にならないお芋の山を見ると、
#「あ、わたしがいる。(^^)。」と、つい微笑んでしまいます。
Mebius wrote:
>>みる wrote:
>>(「いじめ」=「人と人との摩擦」という意味で書きます。)
ここでは「いじめ」というものは、
人によっていろんな言葉やイメージに置き換えて考えていそうなので、
まず、定義してみたつもりでした。
でも、かなり穿った物の味方をしていたようです。
>“いじめ”は、決して“人と人との摩擦”などではありません。
>人と人との摩擦であればお互いが認め合う事で解決出来ます。が、“いじめ”は一方的に他のものを排除しようとする人権の侵害以外の何ものでもありません。
>“いじめ”と“摩擦”、何故あなたがイコールと考えてしまうのか私には不思議です。
そうだったのか。Mebiusさん、もっとお話して下さい。
これいやみじゃないんです。
たしかに、トイレに入ったとたん、上から水をかけられた、とか
服を脱がされてベランダに締め出された、などの悪質なものは、
これ、「人と人との摩擦」とは言い難い。です。
八つ当たり、のほうが近いですね。
摩擦がエスカレートしたものと考えられるものと、
そうでないものと、たしかにあるなあ、と考えさせられました。
>>「いじめ」がなくなったら、世の中にうごめくストレスの渦は
>>どこから吐き出されるのでしょう。
>では、世の中にうごめくストレスの渦は一体何処からやってくるのでしょう。
>“いじめ”によって吐き出されたストレスの渦は何処へ行くのでしょう。
ほんとだ。今答えに困っています・・・。
「いじめ」というストレスのはき出し方ではなくて、
そのエネルギーを「人と人との摩擦」に上手に置きかえられれば、
平和なんでしょうね。
>>「いじめ」を押え込む事でひとりひとりがストレスをしょいこんだら、
>>みんなが全員のこころが病んでしまうような気がしてなりません。
>
>“いじめ”がはびこれば世の中からストレスが無くなるとでも思ってらっしゃるのでしょうか? いじめ合って解決せよとでも?
>私には到底そのような心理は理解できません。
なるほど、私がいじめと、人との摩擦とを混同している事からでてきてしまった、
問題といえそうです。
>>今、子供を育てる立場にある人に(自分も含む)望んでしまう事は、
>>「人と摩擦が起きたときに、解決していける知恵をつけさせてあげること。」
>>だと思うんです。
>
>ごもっともです。でも、それはあくまで“摩擦”が生じた場合の話です。
>“いじめ”は全く別の次元の話です。
>
>>ここに来る、AS・ADHDの人は、もともとコミュニケーションが下手です。
>>というか、コミュニケーションをつかさどる部分が、エラーを起こしています。
>>もともと持ってない、一部欠けているといってもいいのでしょうか?
>>(わたしはADDで、意思の伝達が笑っちゃうほど下手です。)
>>トラブルを起こしたり、巻き込まれたり。しょっちゅうです。
>
>もしかしたら、この書き込みもそうなのでしょうか?
>だとすると、あなたはとても誤解されやすい方なのかもしれませんね。
>私には、あなたの言っている事がよくわかりませんでしたので・・・。
>それとも、もしやあなたは本当の“いじめ”というものを知らないのかも?
おっしゃる通りで、愚かなことに自分では気づかない場合が多い、
典型的な人間です。しょっちゅう誤解されているタイプです。
今回は考えている事を上手に伝えきれなかったこと、残念です。
それよりなにより、「いじめ」という大変な大きなテーマを
独断的に捉えて話を展開してしまい、
Mebiusさんをはじめ、Mebiusさんと同じように考えていた方を、
ひどく嫌な気持ちにさせてしまった事を謝りたいです。
ごめんなさい。
>>そして、人が集まる所には、必ず摩擦が起こります。
>>きつい言葉のやり取り、
>>一方的な攻撃と受ける側の心の痛み、
>>1人vs集団の戦い。
>>無視。
>>家庭の中、幼稚園、小中高校、アルバイト、職場、摩擦の無い所
>>いじめの無い国って、世界中どこを探しても無いと思うんです。
>>いじめる、いじめっ子、いじめられっ子、仲間はずれ。
>>どこの国にもたいていこの単語は存在するでしょう。
>>
>>だから、いつでも自分が摩擦の渦に巻き込まれたとき、
>>うまくおさめる知恵で対処できたら・・・と思います。
>>当事者も、傍観者も。
>
>それはおそらく“摩擦”ではなく“いじめ”の事を言っているのだと思います。
>“いじめ”をうまく治める知恵・・・それはいじめっ子自身の病んだ心の問題であり、病んだこの世の中の問題と私は認識しています。
>
>>「いじめ」という雑草は、土のある所に必ず生えてきます。
>>面倒だけど一つ一つ、丁寧に摘み取るのが一番。
>>ここに、除草剤をまいて、雑草を一掃してしまったらどうなるのでしょう?
>>土は汚染され、きれいな花も、雑草も生えなくなってしまう。
>>また新しい、問題が、厄介な問題が続々と顔を出すのは目に見えている。
>>そう思ってしまうのです。
>
>“雑草”という植物が本当にあるのだとあなたは本気で思っているのですか?
>そう、確かに言われてみれば、私達は“雑草”なのかもしれない。
>除草剤をまかれて根絶やしにされようとしている。
>土は汚染され、きれいな花も、雑草も生えなくなってしまう。
>また新しい、問題が、厄介な問題が続々と顔を出すのは目に見えている。
>でも、何故、私達は雑草にされてしまうのでしょう。
>人々によって自然環境が破壊され、豊かな生態系が乱されてしまったからではないですか?
>私達に必要なのは“除草剤”などではありません。一つ一つ丁寧に摘み取られる事でもありません。
>私達に必要なものは“豊かな自然環境”の方です。
ここで一つ、Mebiusさんに補足説明させて下さい。
私が雑草と行ったのは、いじめる人でもいじめられる人でもなく、
「いじめ」という行為自体をさしました。
私たちを雑草にたとえたつもりは、全くありませんでした。
>>理想論です。
>
>“丁寧に摘み取るのが・・・”ですか?
丁寧に摘み取りたいのは、やはり、いじめっ子やいじめられっ子ではなく
「いじめ」という悪質な行為のことです。
いじめというものを摘み取るというのもむずかしいと思います。
TVのニュースで、アナウンサーが
「どうして親や教師がいじめに早く気づいて対処できなかったのか?」
と憤っている姿を見掛けますが、正直な話、
「いじめ」ってそんな簡単に解決できる事じゃないですよね。
そこで教師が「いじめないこと!」といったって、
水面下でもっとエスカレートしたいじめが起こっていることに
大人達は気づかない。
そんな光景を中学校の頃3年間頻繁に見てきました。
教師や親はいじめられたときに頼りにならない。
いつもそうおもって、中学校という戦場に、一人のりこんでいました。
この世の中で、スポイルされていい人間なんて、1人もいないと、
私はいつも思っています。
そういう社会に早くならないかなって、のぞんでいる人間です。
だって、そうじゃないと、自分自身が真っ先に摘み取られてしまう。
そんな人間だからです。
>話の前後関係から真意を測りかねてしまいました。誤解があったらごめんなさい。ただし、私はこれこそ“意見の摩擦”と思っているので、お互いの意見を認め合う事で解決できるものと思っています。
Mebiusさんともっとたくさんお話したいです。
こういうことを「意見の摩擦」というのですね。
私には、みなさんから学ぶべき事が、たくさんたくさんありそうです。
そして、たくさん、知りたいです。
本当のいじめ。自分の頭の中で整理できてないように思います。
私も、「いじめ=摩擦」ではないと思います。
摩擦は、話し合うことで発展的な解決もでき
人間的な成長も望めるけど、いじめは、人の心を傷つけるだけの
破壊的なものです。
>ここに来る、AS・ADHDの人は、もともとコミュニケーションが下手です。
>というか、コミュニケーションをつかさどる部分が、エラーを起こしています。
>もともと持ってない、一部欠けているといってもいいのでしょうか?
>(わたしはADDで、意思の伝達が笑っちゃうほど下手です。)
>トラブルを起こしたり、巻き込まれたり。しょっちゅうです。
自分もコミュニケーションが、めちゃくちゃ苦手です。
人の気持ちを読みとるのも下手です。
だから、摩擦といじめの区別がつかないことが、よくあります。
単なる意見の相違や、話し合いで解決する「摩擦」なのに
勝手にいじめられてると勘違いして傷ついたり
その逆で、それは「いじめだろう」と思われることに
気が付かなくて、単なるトラブルかと思って見過ごしてしまったりもします。
(特に他人がいじめられている時)
>「いじめ」を押え込む事でひとりひとりがストレスをしょいこんだら、
>みんなが全員のこころが病んでしまうような気がしてなりません。
だからと言って、みんなのストレスをいじめられっ子が
しょいこむことがいいとは、思わないなぁ。
>「いじめ」という雑草は、土のある所に必ず生えてきます。
>面倒だけど一つ一つ、丁寧に摘み取るのが一番。
>ここに、除草剤をまいて、雑草を一掃してしまったらどうなるのでしょう?
>土は汚染され、きれいな花も、雑草も生えなくなってしまう。
>また新しい、問題が、厄介な問題が続々と顔を出すのは目に見えている。
>そう思ってしまうのです。
これは、いじめに対する指導法の問題だと思うんだけど
確かに、無理な方法では、後々問題は起こってくるかも知れません。
みるさんは、いじめを雑草に例えてるけど
私にとっていじめとは、癌です。徹底的に取り除かなければ
死に至るもの。取り除くときに苦痛はあるけれども
健康になるためには、どうしても取らなければならないものです。
「放置=死」です。
>「いじめるこ」も「いじめられる子」もいない世界は
>考えてみると、少し怖いんです。
どうしてかな?
もう少し、みるさんの意見、聞いてみたいです。
おむにです。こんにちは。
Mebius wrote:
>>みる wrote:
>>(「いじめ」=「人と人との摩擦」という意味で書きます。)
>
>“いじめ”は、決して“人と人との摩擦”などではありません。
>人と人との摩擦であればお互いが認め合う事で解決出来ます。が、“いじめ”は一方的に他のものを排除しようとする人権の侵害以外の何ものでもありません。
>“いじめ”と“摩擦”、何故あなたがイコールと考えてしまうのか私には不思議です。
まず、議論の基礎となる「前提」もしくは「定義」の部分で食い違いが発生しています。
基礎が異なったまま議論を続けるのは不毛なので、いじめの定義から見直しませんか?
Mebiusさんのイメージするいじめと、みるさんのイメージするいじめの定義が聞きたいです。
こんばんわ。以前カキコした事があります。ずいぶん前に自分がアスペルガーだと言うことに気がつき、それからはずっと今まで以上に友達関係がうまく行かないようになり、かなりヒドイ鬱状態が続いています。必要以上に回りの目が気になり雑談が出来ない私にとっては、毎日が苦痛でしかありません。こんな状態が一年近く続いているので出来ればなんとかしたいのです。普通に装おうとすればするほど変な事を口走ってしまい、その場の空気を悪くしてしまうのです。無理自分以外の人間とに付き合うことはないのでしょうか?このままでは引きこもりになってしまいそうで恐いのです。こんな事で悩みつづけるのは気持ちの問題なのでしょうか・・・。
>みる wrote:
>(「いじめ」=「人と人との摩擦」という意味で書きます。)
“いじめ”は、決して“人と人との摩擦”などではありません。
人と人との摩擦であればお互いが認め合う事で解決出来ます。が、“いじめ”は一方的に他のものを排除しようとする人権の侵害以外の何ものでもありません。
“いじめ”と“摩擦”、何故あなたがイコールと考えてしまうのか私には不思議です。
>「いじめ」がなくなったら、世の中にうごめくストレスの渦は
>どこから吐き出されるのでしょう。
では、世の中にうごめくストレスの渦は一体何処からやってくるのでしょう。
“いじめ”によって吐き出されたストレスの渦は何処へ行くのでしょう。
>「いじめ」を押え込む事でひとりひとりがストレスをしょいこんだら、
>みんなが全員のこころが病んでしまうような気がしてなりません。
“いじめ”がはびこれば世の中からストレスが無くなるとでも思ってらっしゃるのでしょうか? いじめ合って解決せよとでも?
私には到底そのような心理は理解できません。
>今、子供を育てる立場にある人に(自分も含む)望んでしまう事は、
>「人と摩擦が起きたときに、解決していける知恵をつけさせてあげること。」
>だと思うんです。
ごもっともです。でも、それはあくまで“摩擦”が生じた場合の話です。
“いじめ”は全く別の次元の話です。
>ここに来る、AS・ADHDの人は、もともとコミュニケーションが下手です。
>というか、コミュニケーションをつかさどる部分が、エラーを起こしています。
>もともと持ってない、一部欠けているといってもいいのでしょうか?
>(わたしはADDで、意思の伝達が笑っちゃうほど下手です。)
>トラブルを起こしたり、巻き込まれたり。しょっちゅうです。
もしかしたら、この書き込みもそうなのでしょうか?
だとすると、あなたはとても誤解されやすい方なのかもしれませんね。
私には、あなたの言っている事がよくわかりませんでしたので・・・。
それとも、もしやあなたは本当の“いじめ”というものを知らないのかも?
>そして、人が集まる所には、必ず摩擦が起こります。
>きつい言葉のやり取り、
>一方的な攻撃と受ける側の心の痛み、
>1人vs集団の戦い。
>無視。
>家庭の中、幼稚園、小中高校、アルバイト、職場、摩擦の無い所
>いじめの無い国って、世界中どこを探しても無いと思うんです。
>いじめる、いじめっ子、いじめられっ子、仲間はずれ。
>どこの国にもたいていこの単語は存在するでしょう。
>
>だから、いつでも自分が摩擦の渦に巻き込まれたとき、
>うまくおさめる知恵で対処できたら・・・と思います。
>当事者も、傍観者も。
それはおそらく“摩擦”ではなく“いじめ”の事を言っているのだと思います。
“いじめ”をうまく治める知恵・・・それはいじめっ子自身の病んだ心の問題であり、病んだこの世の中の問題と私は認識しています。
>「いじめ」という雑草は、土のある所に必ず生えてきます。
>面倒だけど一つ一つ、丁寧に摘み取るのが一番。
>ここに、除草剤をまいて、雑草を一掃してしまったらどうなるのでしょう?
>土は汚染され、きれいな花も、雑草も生えなくなってしまう。
>また新しい、問題が、厄介な問題が続々と顔を出すのは目に見えている。
>そう思ってしまうのです。
“雑草”という植物が本当にあるのだとあなたは本気で思っているのですか?
そう、確かに言われてみれば、私達は“雑草”なのかもしれない。
除草剤をまかれて根絶やしにされようとしている。
土は汚染され、きれいな花も、雑草も生えなくなってしまう。
また新しい、問題が、厄介な問題が続々と顔を出すのは目に見えている。
でも、何故、私達は雑草にされてしまうのでしょう。
人々によって自然環境が破壊され、豊かな生態系が乱されてしまったからではないですか?
私達に必要なのは“除草剤”などではありません。一つ一つ丁寧に摘み取られる事でもありません。
私達に必要なものは“豊かな自然環境”の方です。
>理想論です。
“丁寧に摘み取るのが・・・”ですか?
話の前後関係から真意を測りかねてしまいました。誤解があったらごめんなさい。ただし、私はこれこそ“意見の摩擦”と思っているので、お互いの意見を認め合う事で解決できるものと思っています。
Kanaさんゆうこさん風鈴さん、こんにちは。
17日、今度の土曜日ですね。
私は今度の土曜は出勤日に当たっているので多分行けないんですが、
また次の機会にお会いしたいです。
>2月17日(土曜日)11時ぐらいに大阪の紀伊国屋書店の正面入り口前はいかがでしょうか?
参加できないのに横からくちを出して申し訳ないんですが、
紀伊國屋書店の正面入り口前(って、壁に大きなモニタがある方ですよね?)は広くてかなり人が多いので、
服装の目印だけではなかなか会えないんじゃないかと心配です。
(顔見知りと待ち合わせてもなかなか見つからなかったことがあるので…)
大きなモニタの下の公衆電話(って今もあるんでしょうか?)の、向って右端の電話の近く、とか、正面入り口の向って右側のドアのそば、等、場所をしぼった方が安全な気がします。
それか、もっと目立つものを持つとか。
ああ、もっと早く書いたらよかったんですが。
だいじょうぶでしょうか?
3人が会えますように!
「いじめるこ」も「いじめられる子」もいない世界は
考えてみると、少し怖いんです。
《アスペルガーの館》に戻る /
新しいアスペルガーの館の掲示板
EWBBS.CGI 改 (WZ BBS対応 Web掲示板 T.Ikeda改 +
s.murakami改)
© 1998 y.mikome, T.Ikeda, 1999 s.murakami