アスペルガーの館の掲示板(旧)
あなたは 番目のお客様です。
《アスペルガーの館》に戻る /
新しいアスペルガーの館の掲示板
tori wrote:
>それと、首を絞めつけるタートルネックのような服も苦手です。
わたしもタートルネックとネクタイとマフラーが苦手です。なんか首が気に
なって体が硬直します。開襟シャツの第1ボタンを開けていれば、なんとか落
ち着いていられます。でも仕事(塾の講師)の時はネクタイを着用しなければ
なりません。なんか嫌です。
さくらかのえ wrote:
> さっそくのレスありがとです。
>その人といると楽しいとか、話していると楽しいという感覚でしょうか。
>
>あ、そういうのを「心のふれあい」と言っていいのか。
>
>わたしもときどき不思議なくらい話がかみ合って会話が弾むことが
>あります。めったにないけどね・・・
厳密にはもっと深い「心のふれあい」があるような気がしますが、わた
しはそこまでは経験したことがありません。特に「愛」という名前のつく
「心のふれあい」にはまだ到達できていない感じです。
ガーデニア wrote:
>私は、これで相手の男性にひどいことをしてしまいました。どうしても我慢できない接触を相手がしてきたので、泣いてしまったんです。そうしたら、その人は、すごい落ち込んで何度も謝ってきました。私も、「こんなんでごめんね。」と謝りましたが、相手は相当落ち込んでいました。
>とにかくこの問題は、触覚過敏を持つ人にとって難しい問題です。相手が柔軟な人だったらいいのですが、そうでない人だと、私みたいな事例は、「信じられない」ことの領域に入ることのようです。これからも、私にとって、これは、問題です。
「心のふれあい」にしろ「身体のふれあい」にしろ、自分に好意をもってくれる
人の接触が受け入れられないのは辛いですよね。ちなみに、わたしは異性との「心
のふれあい」には苦しみました。なぜか、自分に好意を寄せてくれる異性が脅威に
なってしまうことが多かったです。最近は少し改善してきましたが…(くると)
ガーデニアさんとるおうさんへ
るおう wrote:
>ガーデニア wrote:
>特に、体の一部分を触られるのがだめです。「ねえ」って、うしろから、肩をたたかれるとか。
>
>watasi も肩やら背中をさわられると、嫌でにげたり触らないで下さいといったり
>ぱたぱた振り払います。
わたしは思わず人にふれてしまった時にひどく罪悪感を感じます。これって性差
があるんでしょうかね?
tori wrote:
>ひんしゅく買うかもしれないけれど、一応聞いておきたいと思って・・・
>「身体のふれあい」って? 深い意味はないんですか?
>(無視していただいても結構です)
説明不足ですいません。補足しておきます。わたしは「身体のふれあい」に
ついては次のような場合を想定しています。
(1)相手の好意による接触
(例)後ろから肩をたたく,肩を抱く,握手する,キスをするetc
(2)予測外の接触
(例)満員電車のなかでひしめき合う,思わず体が触れる
なお、悪意による接触は含めておりません。(くると)
toriさんへ
>触られたくないときに触られると、非常に侮辱されたと感じます。
わたしも幼児の頃はそうでした。両親に触れられると非常に抵抗したそうで
す。(親にとってはかわいげのないガキだったかもしれない)
今は他人に触られることにはそれほど抵抗はありません。でも、誤って他人
に触れるとひどく罪悪感に悩まされます。幼児期の名残りなのだろうか…
さくらかのえ wrote:
>しょうがないのでインターネットの掲示板に書き込みをしたりしますが、
>そこでも浮いてる感じがする。どこに行っても浮いてる感じがします。
私もそう感じてます。でも、それでいいのだ。
>なぜボタンが嫌いなのか?
>どういうわけかボタンというと、糸がゆるゆるになって外れかけたボタンとか、
>赤ちゃんが舐めてヨダレでべたべたにしているところを連想してしまう。
具体的なものがシンボル性を帯びてしまうということが、私にもよくあります。
ロゴが入った服とか、あまり好きじゃないです。
私は精神医学の診断基準をあまり信用していません。
診断基準を下敷きに、経験で診断を下す医者の権威もあまり信用できません。
だから、実のところ自分がASなのかどうかもあまり興味ないです。
ただし、自分のことを知るための一手段として、
精神医学と脳科学の研究成果を利用しようと思ってます。
私はいつも、ASの掲示板だからって、
ASじゃない人が書き込んではだめってことはないと思ってます。
なんでこんなことを書いたかというと、ここの掲示板の書き込みを読んでいて、
自分がASであるかないかを気にしている人が結構多いなと思ったからです。
かくいう私も、医者からASの診断を受けたわけではないのに、
まるで自分がASのように文章を書くことに、これまで何度かためらいを覚えたからです。
でも、医者の診断があるかないかという違いで、診断名が違うからという理由で、
遠慮したり、牽制しあったりするのはおかしくないですか?
小学生の頃、クラスが違うという理由で対抗意識を燃やす人たちがどうにも
理解できなかったけど、それと同じことだと思うのです。
医者が決めたカテゴリに押し込められて、自由に意見交換できないのだとすれば、
自分の意見や態度が制限を受けるのだとしたら、それは馬鹿げた話だと思います。
って、そういう状況があるわけじゃないのに、
誰からもケチつけられたわけでもないのに書いてしまいました。
私は結構長いこと馬鹿正直に、人の言うことや、本に書いてあること、
TVや新聞や、専門家と言われる人たちのことを真に受けて生きてきました。
でもあまりにも馬鹿を見ることが多いので、そういう態度はやめてしまったのです。
自分でいっぱい投稿しておいて言うのもなんですが、
掲示板のスピードに付いていけない・・・。
みなさんのレス、全部面白く読みました。ありがとうございました。
ガーデニアさんへのレスは↓ここに書きました。
http://homepage2.nifty.com/patti_ld/index.html
くるとさんもありがとう。
KILROY wrote:
> 躁状態って苦しいんですよね。「躁」っていうとなんか陽気にはしゃいでるみたいだけどさ、そう
>じゃないんだよね。確かに友達と一緒にいるときなんかはそういうときもあるんだけど、それでも
>ほとんどの場合は無理してはしゃいでて、必死にみんなに合わせようとしてたりとか……しんど
>いです。とても。
そういう人って好きでやってるのかと思ってました。
そういうのを操状態って言うんですね。初めて納得しました。
>「躁」の発作は「人生絶好調!」という場合でも襲ってまいります。もちろん人生のズンドコの時
>は「私の人生はこれで終わってしまうのだろうか」とも思うんですが、昇り調子のときは昇り調子
>のときで「いま死ぬわけにはいかない」と思うし、絶頂期なら絶頂期で「いつ落ちるか分からない
>」と思うわけですよ。で、そういう「心理的な」要因とはまったく無関係に、「生理的」に襲ってくる
>のが「躁鬱病」の「躁」状態なわけです。
ますます納得。
KILROY wrote:
>で……質問なんですけど、(少なくとも自称ASである)皆さんは、そういった(つまり、外国人だと
>か方言丸出しのお年寄りとか障碍のある人といった異文化の)人たちにいきなり話し掛けられた>経験ってありませんか?
異文化の人かどうかわかりませんが、ものを尋ねられることはよくあります。
見知らぬおばあちゃんに、タバコの自動販売機の前でタバコの銘柄を選んでと言われて、
「これがいいと思う」と言ったら千円札を渡されて、代わりに買ってくれと頼まれたりとか。
外国人に、「Drink!Drink!」と言われて、コンビニの場所を教えて上げたり。
いろいろです。
toriさんへ
コメントありがとです。スキーキャンプから帰ってきたばかりの成人LD
くるとです。
tori wrote:
>ひんしゅく買うかもしれないけれど、一応聞いておきたいと思って・・・
>「身体のふれあい」って? 深い意味はないんですか?
>(無視していただいても結構です)
特に深い意味は想定していません。スキンシップ程度に考えてもらって
結構です。もちろん、不測の事態でおこった接触(ぶつかる、ひしめき合
う)についてコメントしてくださってもかまいません。
KILROY wrote:
>武田好史さん wrotes:
>> なんとなくこの気持ちわかります。ようはその・・「自分を他人に
>>認めてもらいたい!」「なんか人とつながりたい・・・」「このまま
>>じゃ自分はなにも世の中に貢献せずに一生を終えてしまうの????」
>>といった、焦りが高じて人に迷惑をかけるようになった状態が、躁鬱
>>病の躁状態だと思います。
>
> ……すみません。説明不足でした(^_^;)。
>
> えー、私が言っておるのは健康な人がいう「躁状態」ではなくて、いわゆる「躁鬱病」の「躁」状態のことなんですね。No.3131 の武田好史さんの指摘にあったリチウム(重炭酸リチウム)が効くアレでございます。かつては癲癇・精神分裂病(スキゾフレニア)と並んで「三大精神病」と云われたあれ(現在は、「精神病」とされているのはスキゾフレニアだけです。念のため)。ASだからといって、他の精神神経疾患と無縁であるとは限んないわけですね。
>
> 「躁」の発作は「人生絶好調!」という場合でも襲ってまいります。もちろん人生のズンドコの時は「私の人生はこれで終わってしまうのだろうか」とも思うんですが、昇り調子のときは昇り調子のときで「いま死ぬわけにはいかない」と思うし、絶頂期なら絶頂期で「いつ落ちるか分からない」と思うわけですよ。で、そういう「心理的な」要因とはまったく無関係に、「生理的」に襲ってくるのが「躁鬱病」の「躁」状態なわけです。
>
いろいろとご教示くださいまして、ありがとうございました!
やはり躁病の人って、鬱病の人と同じように苦しいのですね・・・
なんていっても、恐怖と不安を伝えるノルアドレナリンが、神経にビンビンに効いている状態たから。
武田好史さん wrotes:
> なんとなくこの気持ちわかります。ようはその・・「自分を他人に
>認めてもらいたい!」「なんか人とつながりたい・・・」「このまま
>じゃ自分はなにも世の中に貢献せずに一生を終えてしまうの????」
>といった、焦りが高じて人に迷惑をかけるようになった状態が、躁鬱
>病の躁状態だと思います。
……すみません。説明不足でした(^_^;)。
えー、私が言っておるのは健康な人がいう「躁状態」ではなくて、いわゆる「躁鬱病」の「躁」状態のことなんですね。No.3131 の武田好史さんの指摘にあったリチウム(重炭酸リチウム)が効くアレでございます。かつては癲癇・精神分裂病(スキゾフレニア)と並んで「三大精神病」と云われたあれ(現在は、「精神病」とされているのはスキゾフレニアだけです。念のため)。ASだからといって、他の精神神経疾患と無縁であるとは限んないわけですね。
「躁」の発作は「人生絶好調!」という場合でも襲ってまいります。もちろん人生のズンドコの時は「私の人生はこれで終わってしまうのだろうか」とも思うんですが、昇り調子のときは昇り調子のときで「いま死ぬわけにはいかない」と思うし、絶頂期なら絶頂期で「いつ落ちるか分からない」と思うわけですよ。で、そういう「心理的な」要因とはまったく無関係に、「生理的」に襲ってくるのが「躁鬱病」の「躁」状態なわけです。
子供の頃、「可愛がってくれたお婆ちゃんが亡くなった」とかいった理由がないにもかかわらず、突然死ぬのが怖くなったり、TVの怖い番組を観たわけでもないのにベッドの下の闇から怪物が這い出してくるような気分になるとかいったことって、あったと思うんですよね。それに近い、理由のない生理的な焦燥感、それが「躁」状態なわけです。
ついでながら、覚醒剤やコカインのようなアッパー系ドラッグではこうした躁状態が起きますので、単なる生理的なものでございましょう。なにしろ心臓発作を起こす直前にも起きますから。ざぁっ、と血の気が引くというか、血圧が下がったときに起こります。
またまた品性を疑われてしまいそうですけど、女性の場合はこの「躁状態」がエッチの最中(イく直前)に出ます。「あっ、だめ、死んじゃう!」とかいって首筋にかじりついてきて、ぎゅうっ、と頬を押しつけてくる、というのは、血圧が下がってきたことに対する反応なわけです。
ミステリーのドラマなんかで、死にかけてる女性が男性にすがりついて、男性がぎゅうっと抱き締める場面ってあるでしょう? あれもおそらく出血多量その他の要因で血圧が下がって「躁」状態を起こしているのですね。で、きつく抱き締められると血圧が上がってほっとするわけです。
ちなみに覚醒剤にはβ亢進作用があって、なんてことないのに心臓がバクバクいってしまって、心臓がヘタッて死んでしまうことがあります(喘息の薬なんかもそうです)。そんなわけで覚醒剤をキメてセックスするとほとんどジェットコースター感覚だという話を聞いたことがあります。それで覚醒剤というのはセックス・ドラッグとして有名なんですね(とはいえクスリなどというものに頼るのは邪道だ!)。
知人に頼まれて子供向けのスキー教室のコーチを頼まれた時に、教えていた小学校三年生の女の子が夜中に喘息発作を起こしてしまい、朝まで抱き締めて背中をさすってあげていたことがあります。その子もやっぱり「頭で考えてるのと関係なく怖い」と言ってました。痙攣発作起こして失神して、三十秒も経たずに意識を回復したら、ケロッとしてました。
と、いうわけです KILROY
精神科の先生のイメージと言えば(テレビの影響かもしれませんが)ちょっと年配で怖そうと思ってました。
ASの子供の精神状態が、去年の夏頃から不安定になり大学病院の精神科を受診する事になったのですが、ちょっとびっくり・・・・
若い先生が多い(けっこうカッコ良かったりする。)
若いゆえに「大丈夫かな?」とおもいもしましたが、子供は、兄貴のような感覚で頼りにしている感じです。まだ未熟な部分も感じられますが、一生懸命さが伝わって
きます。
子供も大分うつ状態から回復しつつあります。「何かを始めよう」とする意欲みたいなものがでてきました。
精神科にかかる事に抵抗を感じる人も多いと思われますが、わたしは、マイナス面よりプラスに考えて希望を持とうと思います。
最後に、ASと分裂病の違いについて・・
分裂病のひとは、小さい頃から何らかの異常が見られる訳ではなく、ASの人は、幼児期から特異的な発達障害がみられる。ASの人には、「幻覚」などの症状はなく、病状もあまり悪化せず改善するようです。
武田好史 wrote:
>KILROY wrote:
>>>このページの投稿者は、けっこう鬱状態という方が多いと思いますが、
>>>逆に「躁状態」で困ったという経験のある方はいますか?
>>> もっとありていにいえば、「現在の鬱状態は、過去の躁状態での自分
>>>の行動を強く恥じているから・・・」という方ですが・・・
>>
>> そういうタイプの躁って、あんまり経験ないんですよ。
>>
>> 躁状態って苦しいんですよね。「躁」っていうとなんか陽気にはしゃいでるみたいだけどさ、そうじゃないんだよね。確かに友達と一緒にいるときなんかはそういうときもあるんだけど、それでもほとんどの場合は無理してはしゃいでて、必死にみんなに合わせようとしてたりとか……しんどいです。とても。
>>
>> で、最悪なのは夜中に躁の発作がきたとき。「どうしようどうしようどうしよう」という感じで、切迫感が来てしまいます。なんの理由もないんだけどさ、とにかく切迫感があるんですよ。本当に、「いてもたってもいられない」感じ。「こんなことしてる場合じゃない」という感じなんだけど、「そう考えている」んじゃなくて、そう感じているときの・感じ・だけが襲ってくるんです。
>>
>> しかたないから文章書いたりとか……あとはどうしようもないとき、以前はよく夜中だというのにそこいらじゅうを歩き回っていました。身体動かしてないとつらいんですよね。お酒飲んでもだめ。眠れない。カラ酔いっていうのか、頭だけ冴えちゃう。で、明け方になって、やっと寝られるという……
>>
>> 参考になりましたか? KILROY
>
なんとなくこの気持ちわかります。ようはその・・「自分を他人に認めてもらいたい!」「なんか人とつながりたい・・・」「このままじゃ自分はなにも世の中に貢献せずに一生を終えてしまうの????」といった、焦りが高じて人に迷惑をかけるようになった状態が、躁鬱病の躁状態だと思います。
自分も学生の頃、ガールフレンドに電話をかけまくったりして、今となっては本当にかわいそうなことをしたと、反省しきりです。また、こんな時は次から次へといろんな考えが浮かんできてしまい、電気の消し忘れ・物の紛失が多くなります。
また力の加減が判らなくなり、よく物を壊します。
P・S・
眠れない時に、次のブレンドのハーブティがお勧めです。
リンデン
ジャーマンカモマイル
ラベンダー
ペパーミント
ローズ(ピンク色の)
マロウ
ステビア
いずれもティスプーンで一杯くらいの量づつを、「お茶バック」の中にいれて
コップないしはティーポットの中に入れ、お湯を注いで3〜5分浸出すれば出来上がりです。
ハーブは乾燥したティ用のやつが、原宿・船橋・横浜にある「生活の木」という専門店で売っています。
>熊谷では夜道でイラン人に声をかけられました。
いかん、「イラン人」とかイランの人だけ呼び捨てにしてしまっている。これではただの人種差別主義者ではないか。
このときは最初いきなりペルシャ語(「イラン語」か?)で話しかけられて、話をよく聞いてみると私はイラン系に見えたのだそうです。うーむ、父方の祖父母は能登の出身だから、確かに大陸系の顔なのですね。だから親戚みたいなものだと思ってます。
KILROY
武田好史 wrote:
>私もやはり、化繊の衣服にアレルギーがあって、下着は綿100%のものでないと着ることがで
>きません。アクリルが入っているものを着てしまうと、もう体がかゆくてたまらなくなります。
襟のタグとかは気になりませんか?
今は綺麗に外れるように出来ている服が多いけど、
昔は無理に外そうとして、穴を開けてしまったことが何回かありました。
>腕時計ですが、金属製のもののメッキに使われているクロム・ニッケルなどの重金属のイオン
>は、皮膚を冒します。プラスチック製のものが比較的に無難だと思います。
私もいろいろ試行錯誤した結果、今はかばんの中に入れて持ち歩いてます。
金属のバンド → 皮 → プラスチック → ポケットの中 → かばんの中
さくらかのえ さん wrote:
>(日本にいても、外国語、言葉がはっきりしないお年寄りや障害のある
>人に話しかけられるとパニック! 困ってしまっておろおろ・・・
>情けない上に、相手に対してすまない気持ちでいっぱいです)
突然、変なことに気がついてしまいました。
私には高校のときの天文部の関係でAS(傾向)の友人がけっこういるのですけれど、ASの人というのは、なぜか外国人にとって話しかけやすい存在のようなのです。だから、「通りすがりの外国人にいきなり道を訊かれる」という経験が、それぞれやたら多かったりします。
私の例でいえば、田町の駅前ではベンガル出身のインド人のおばちゃんがわざわざ人込みをかきわけてやってきてインド訛りの英語で道を訊くし、新橋駅の地下ではカリフォルニア出身の日系三世のお兄ちゃんに何メートルも先から手招きされるし(他にも人間は何十人もいるというのに!)、成田空港では隣に座った中国人のおじさんにいきなり話しかけられるし、熊谷では夜道でイラン人に声をかけられました。
「そういう時って困りますよね」と非AS傾向の人に言ったら、「……それって、普通、ありません」と言われてしまいました。
そういえば天文部のOB会の企画で小笠原に日蝕を観に行ったときは船で行ったんですが、私らが遊戯室でトランプをしてたら「私も混ぜてください」と某放送局のアナウンサーの女性が混じってきて、私らが同じグループだと知って驚いていました。全員他人同士だと思ったそうです。
ASの人どうしの関係というのは、悪くいえば他人行儀、良くいえば機能集団なのではないかと思います。ですから、それだけに社交的な人はかえって社交的な気がします(つまり、赤の他人とも普通に話ができるという意味でです)。なにしろ相手に気をつかわせることがありませんから。高機能広範性発達障害の患者には「人との相互的なやりとりの関係を持ったり、当たり前の人間関係や社会的関係を持つことの困難さがある」とかいった定義がありますが、たとえばの話、技術系のフィールド・エンジニアが客の態度にいちいち腹を立てていたなら仕事になんないわけで、「仕事優先」という意味では、AS傾向というのはむしろ望ましいように思います。
で……質問なんですけど、(少なくとも自称ASである)皆さんは、そういった(つまり、外国人だとか方言丸出しのお年寄りとか障碍のある人といった異文化の)人たちにいきなり話し掛けられた経験ってありませんか?
始めて質問します KILROY
《アスペルガーの館》に戻る /
新しいアスペルガーの館の掲示板
EWBBS.CGI 改 (WZ BBS対応 Web掲示板 T.Ikeda改 +
s.murakami改)
© 1998 y.mikome, T.Ikeda, 1999 s.murakami