アスペルガーの館の掲示板(旧)

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Re: うた 3527へのコメント
No.3537  Mon, 19 Mar 2001 23:47:11 +0900  さくらかのえ [この発言にコメントする]

ガーデニア 改め さるすべり さんwrote:

>本題は、歌についてです。音楽を、どう感じ取っていますか。

わたしはどちらかというと「特に音楽はなくても平気」という人です。
ただいつも頭の中で、前にきいた歌の断片(サビの部分が多い)が
リフレインしています。ついさっきテレビで流れていた曲のこともあるし、
あるキーワードをきっかけにして思い出した曲の場合もあります。
特にこれがお気に入りという歌は今のところありませんが、
ボーカルだけの歌やメロディーがはっきりしないものは苦手です。
三味線弾きながら歌う民謡のように歌が前に出て来すぎるものも苦手。
どちらかというと「声も楽器の一部」という聴き方をしています。
歌詞はあまり聴いていません。


カウンセリングを断られました
No.3536  Mon, 19 Mar 2001 23:43:21 +0900  Hiro [この発言にコメントする]

今日、横浜(三ツ境)でカウンセリングのあるTクリニックに診察を申し込んだら
なんと、二回のTELであっさりと断られてしまいました。

☆ここの管理者さんに迷惑ですので
実名は非公開ですが知りたいかたは遠慮なく聞いてください

☆門前払いの主な理由☆

1.未成年であること
2.分裂病の疑いがある(一度この病名がつくと、取れない…)
3.前の病院のほうが良いでしょう?(不明、勝手に言われた)

鬱状態のことを言ったら、死ぬ危険性のある人はちょっと・・・
挙句には、「(もとの)●●病院で相談してください」(責任者らしき看護婦)

1回目のTELでは診察は14日にするということでしたが
2回目に確認のTELを病院の近くに来ているときに携帯で入れたら言われました

カウンセリングって健康じゃないから受けるんですよね?
それなのに、生きているのが苦しいくらい大変だって言うと
「自殺する危険もややある人=来られては困ると客」いう理由で
一方的に断っているのでしょうか?

それと、分裂病の実態を知らないのは一般人なら多少しょうがない面もあるけれど
専門の心療内科医が無知であることは驚きです。ましては差別するなんて…。

それに、「心配でしたら、前の病院に連絡しましょうか?」なんて会話もあった。
前の病院が分裂と勝手につけたからそれを変えに来たのに
(でも、病歴を聞かれて正直に答えてしまったので、今になってちょっと反省)

一度この病名がつくと、全くの初診ですと
嘘をついて他の病院に行って診察を受けない限り
取り消せないのでしょうか?
(出来れば、前の病院に診断書を持って叩き付けたいです)

この件で死ぬ気が一気に沸いてきて
帰りの駅で、列車に飛び込んで騒ぎを起こしてしまいました。(あと約1メートル)

何にも知らないのに、怒ることも無く、暖かく接してくれた駅員さんに対して
日本の精神医療ってどうなっているのでしょうね?


Re: うた 3532へのコメント
No.3535  Mon, 19 Mar 2001 23:07:11 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

武田好史 wrote:
>ガーデニア 改め さるすべり wrote:
>>皆さん、音楽は好きですか?
>>私はあまりすきではありません。
>>なんか、歌手が「寂しくて」とかうたっていると、ぞくっとします。鳥肌が立ってきます。
>>
>>確かに、私は「共感性」に欠ける気がします。友人が、担架に乗って運ばれようとしているときに、その大変さがわからなくて、他の友人とは関係ない人のほうがちゃんと助けてくれていたり。
>>
>>本題は、歌についてです。音楽を、どう感じ取っていますか。
>
 僕は結構女性のシンガーソングライター・ヴォーカリストの歌が好みです。例えば、これはきっとサルスベリさんが大嫌いな歌の類かもしれませんが、中島みゆきの「時代」とかが好きで、下手だけどピアノで弾けたりします。
 最近好きになった歌は、Sheraの「Love again 永遠の世界に」とか、倉木麻衣の「Reaching for the sky」とか、ドラマがらみの歌で気に入ったといったものです。あとやや古めの歌では渡辺美里の「My revolution」、最も新しいのでは鬼束ちひろの「めまい」といったところでしょうか・・・。「前向きに・・希望・・あたしはこう思う!」とかいうメッセージ性がある感じの歌が好きです
 反対にモーニング娘とか、浜崎あゆみとか今の若い女の子の間ではやっている感じの人たちの歌は、なんか意味が判らないので嫌いです。


Re: Re:世界観の共有 3526へのコメント
No.3534  Mon, 19 Mar 2001 23:05:38 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

ガーデニア 改め さるすべり wrote:
>KILROY wrote:
>>>「ポンと肩をたたいて、ようと声をかけてくれるような、そんな人間関係
>>>が欲しい」というその人の言葉が印象に残っています。
>> ニコポン(ニコッと笑ってポンと肩を叩く)・キンメシ(「近いうちに食事でも一緒にどうかね?」と声をかける)なんていうのは、toriがいちばん厭がりそうな行為のような気がするが。
>
>あはは、私も「ニコポン」厭がるだろう。内心「ぎゃーぁぁぁぁー」と騒いでいるだろう。

そうだろうな・・・アスペ界では、視線を合わせず・体に触れず・近飯を言わずが会合をするさいの重要な内部規定であるのを、うっかり忘れてたよ!


Re: うた 3530へのコメント
No.3533  Mon, 19 Mar 2001 22:57:38 +0900  ゆーり [この発言にコメントする]

>KILROYさん
ぜんぜん話題とは関係ない話ですけど

>私がまだ日本電気の三田工場に勤めていたころ(今の墓石ビルが建つ前だ)、

うちの父も以前、三田工場ではたらいてたんです。
なんか奇遇だなーと思いまして。。。ちょっと嬉しい♪

>武田好史さん
わたしも鬼束ちひろ好きです。まわりの人からはよく「どこがいいの?」と
聞かれますが。あとはビートルズが好きだな。


Re: 自分のせいで 3529へのコメント
No.3531  Mon, 19 Mar 2001 22:35:25 +0900  るnoつくひと [この発言にコメントする]

KILROY wrote:
>るnoつくひとさんwrote:
>>私がアスペだったから、、その特徴的なことにより、私の実家の家庭が崩壊
>>したのだろうか?って最近思うんです。
> アルバート・アインシュタインは、ナチス・ドイツが原子爆弾の開発にする前に

> あなたは少なくとも文章が書けて、コンピュータが扱えるだけの能力があるわけですよ。その能力に応じて生きる道は、「いくらでも」とは言わんまでも、「なんぼか」はあると思うんです。仮定の話になりますが、あなたが「普通(俺の大っ嫌いな言葉だ)」に生まれたとして、あなたの実家の家庭が絶対に崩壊しなかったと言えますか?

> べつにあなたが自分の家の家庭が崩壊するのを知っていて、実家をの家庭を崩壊させるためにわざわざ悪意をもって、ASである自分を選びとって生まれてきた訳ではありますまい。あるいはあなたがあなたの家族を救う崇高な使命を帯びて生まれてきたということでもないで

そうなのかもしれないとかも思ったりしていました。悪意はないですが、
でもあまりにも、、めちゃくちゃだったので

> 世の中には才能のある人が善意の下に全力をつくしてなお、それが原因で周囲の人間が不幸になっちゃうことが珍しくありません。人間は自分の幸不幸をコントロールすることだってほとんどできないんです。まして周囲の人間の幸不幸をどうやったらコントロールすることができるんですか?
> あなたがコントロールできないことに対して、あなたが責任を感じる必要はさらさらないんじゃないでしょうか。


とてもちからのある御言葉に。。ただただ
KILROY さん。。涙とともに感謝をもうしあげます。今言えることは、それだけです。


Re: うた 3528へのコメント
No.3530  Mon, 19 Mar 2001 21:40:20 +0900  KILROY [この発言にコメントする]

さるすべりさんwrote:
>皆さん、音楽は好きですか?
>私はあまりすきではありません。
>なんか、歌手が「寂しくて」とかうたっていると、ぞくっとします。鳥肌が
>立ってきます。
 最近のコマーシャル・ミュージックのように、音楽を「歌+演奏」としてだけ歌いかつ演奏する音楽ってぇのは、さるすべりさんと同様まったく肌に合わない。昨今流行の和製ゴスペルに至ってはゲロだって吐いてみせる自信がある。
 懐メロ番組で、いわゆる「昔風の」歌い方で歌われる『丘を越えて』や、売り出し中の女性ジャズピアニスト矢野顕子のカヴァーというよりコピーみたいに歌う『丘を越えて』なんてぇのを聞いてると、その嘘臭さに気分がむかむかしてくる。
 私がまだ日本電気の三田工場に勤めていたころ(今の墓石ビルが建つ前だ)、藤山一郎さんが、会社の中の空いたスペースで、昼休みの空き時間を使って歌を教えにきてくれていた。『藤山一郎』という名前はもう忘れられかけていたらしく、あんまりやる気のなさそうなおじさんおばさんがちらほらと集まってる程度で、私みたいな若い者は見かけたことがなかった。で、その藤山一郎先生が、律の狂ったピアノを弾きながら歌う『丘を越えて』たるや……いま思い出して泣いてるもんな。そうだ、頑張んなきゃ。この人はまだ前に進もうとしている。俺みたいな若造が腐っててどうする。そう思った。嫌いな仕事だったけどいい仕事をしたと思ってます。その仕事に句切りがついたら即刻辞めたけど。
 かたや矢野顕子の『丘を越えて』は、豊かさのなかで「豊かであること」によってしか実現できないことを実現してく感じがあったような気がする。当時のパーソナル・コンピュータなんていったら今のいわゆるパソコンに比べたらオモチャとも呼べない代物だけど、自分でコンピュータを「作った」ひとたち(国語辞典で「パラメトロン」を引いてごらん。もはや完全な死語だけど、現在でも削るのが惜しいらしく、ちゃんと載っている。日本独自の計算・記憶素子だぜい!)が「いやー、いい時代になったもんだ」とその新しいオモチャを嬉々としていじくってんのを見て、アーサー・C・クラークが夢見たHAL9000はこのオレの手で実現してやるぜ!みたいに興奮してた(くそー、納期割っちゃったぜ(^_^;))。なにせSFの中の存在だったコンピュータを自分が買えちゃうんだもんなぁ。時代は「権力の象徴・大形コンピュータのIBM」対「民衆運動の象徴・パーソナルコンピュータのApple」という時代でございました。ゲーム・ミュージックのピコピコ・サウンドのお気楽さも好きだったなぁ。
 考えたら私は徹頭徹尾自己中心的なのかもしれない。「私の中の音楽」としての位置付けのない音楽っていうのは、なんか耳が受けつけない気がします。ふとした折に耳に入ってくる音楽もあるけどね、たいてい民族音楽かなんかです。

>確かに、私は「共感性」に欠ける気がします。友人が、担架に乗って運ばれ
>ようとしているときに、その大変さがわからなくて、他の友人とは関係ない
>人のほうがちゃんと助けてくれていたり。
 感性の違いってあるもんですね。私なんかは自分の友人が大変なことになってるっつーのにテキパキと事務的に動いちゃうもんだから、「あんたってどういう神経してるの?」とか責められちゃうし。どうしたらいいかわかんなくなって真っ青になって立ちつくしているひとというのは、意外に自分の状態に気づいてないように思います。たぶん、その「大変なこと」をまっとうに受け止めちゃうと精神的なダメージが大きすぎるんで、防衛本能がブロックしちゃうんじゃないでしょうか。友達が怪我したりすると、本人は平気なつもりでいるんだけど、傍から見るとガクガクしちゃってまるっきり役立たずになっちゃってる人とかいるし。お医者さんでもいましたもん。仲間がスキーで転んでエッジで額割ってそこらじゅう血だらけ、っていうのを見て、腰抜かして立てなくなった人が。

>本題は、歌についてです。音楽を、どう感じ取っていますか。
 「音楽」そのものは嫌いではありません。ただ、けっこう厳密なジャンル分けとスタイルによって聴き分けてます。
 「歌」における「音楽」ということになると、
 昨今のポップスのような「歌」と「演奏」がごっちゃになったようなのはダメ。だけどRCサクセションやザ・ブルーハーツ(現在ハイロウズ)や泉谷しげるはオッケー。歌が演奏を取りこんでるんですかね? データの打ち込みや肉体労働などの力仕事のBGM。
 「歌」がいい場合は「演奏」のほうが邪魔に感じるときがあって、アリアだとかアカペラのほうが好き。代表例は『アメイジング・グレイス』や『アウェー・マリア』。落込んだときの気分転換に。
 ただし「歌」は思考の邪魔になります。プログラミングの仕事中はインストゥルメント以外は聴きません。それもほとんどクラシック、それもバロック中心です。定番はイ・ムジチ演奏、ヴィヴァルディの『四季』と、グレン・グールド演奏、バッハの『ゴールドベルグ変奏曲』。職場ではエリック・サティをかけてる人もいたな。流しっぱなしにしておいても、わりと誰からも文句の出ない選曲です。
 「歌」を音楽として楽しむ合唱曲は、聴くより歌うほうが好き。山歩きや天体観測のときの晴れ待ちに。好きな曲は誰でも知ってる『花』(「はぁ〜るのぉ〜うらぁらぁの〜」であって、「泣きぃ〜なさぁ〜いぃ〜笑いぃ〜なさぁ〜あぁああい〜」ではない)と、ブルガリア民謡『スリコ』。酒が入ると『ツイスト・アンド・シャウト』と『ライオンは寝ている』。
 「演奏」すらも「歌」の一部である純邦楽は、高橋竹山と能楽が好き。私はジャズをこのジャンルに入れています。セロニアス・モンクと山下洋輔はここ。モンクは『ダイナ』、山下は『バード』がお気に入り。『バード』は河野典生(こうの・てんせい)の小説『明日こそ鳥ははばたく』を読んで。番外としてスチャダラパーの『GAME BOYS』。これも力仕事用。

 KILROY


Re: 自分のせいで 3513へのコメント
No.3529  Mon, 19 Mar 2001 19:26:56 +0900  KILROY [この発言にコメントする]

るnoつくひとさんwrote:
>私がアスペだったから、、その特徴的なことにより、私の実家の家庭が崩壊
>したのだろうか?って最近思うんです。
 アルバート・アインシュタインは、ナチス・ドイツが原子爆弾の開発にする前に連合国側が原子爆弾を保有すべきだ、と考えて、アメリカ大統領に原子爆弾の開発を進言し、「マンハッタン・プロジェクト」が発足しました。ところが原子爆弾はドイツではなくアインシュタインが愛した日本に投下され、その惨状を知ったアインシュタインは、「自分は生まれてくるべき人間ではなかったのだ」と苦悩したそうです。
 弱小出版社や弱小ソフトウェアハウスでは、たまさか一つの書籍、たまさか一つのソフトウェアが大ヒットを飛ばしてしまった結果、その先行きの見通しを誤って奈落のズンドコに落っこってしまうことがあります。これはその本の著者やソフトウェアの開発者が悪いんでしょうか。
 バブル景気全盛の時代には、いま自分の住んでいる土地の値段がいきなり跳ね上がり、そのため地上げだの資産をめぐる争いだのに巻きこまれて家庭が崩壊しちゃった人たちが大勢いました。その人たちはその時代にそんな土地に住んでいたから悪かったんでしょうか。
 あなたは少なくとも文章が書けて、コンピュータが扱えるだけの能力があるわけですよ。その能力に応じて生きる道は、「いくらでも」とは言わんまでも、「なんぼか」はあると思うんです。仮定の話になりますが、あなたが「普通(俺の大っ嫌いな言葉だ)」に生まれたとして、あなたの実家の家庭が絶対に崩壊しなかったと言えますか?
 世の中、どんなに才能があって、どんなに誠実に行動したって、結果が悪いことはあるんですよ。円谷幸吉やアイルトン・セナは、じゃあなんで死ななきゃいけなかったんだ? ということになります。円谷に走る才能がなかったら、自殺にまで追い込まれるようなことはなかっただろうし、セナがレーサーにならなかったら、レース上の事故で死ぬこともなかったでしょう。だけど円谷やセナが悪いわけじゃありません。
 べつにあなたが自分の家の家庭が崩壊するのを知っていて、実家をの家庭を崩壊させるためにわざわざ悪意をもって、ASである自分を選びとって生まれてきた訳ではありますまい。あるいはあなたがあなたの家族を救う崇高な使命を帯びて生まれてきたということでもないでしょう。
 世の中には才能のある人が善意の下に全力をつくしてなお、それが原因で周囲の人間が不幸になっちゃうことが珍しくありません。人間は自分の幸不幸をコントロールすることだってほとんどできないんです。まして周囲の人間の幸不幸をどうやったらコントロールすることができるんですか?
 あなたがコントロールできないことに対して、あなたが責任を感じる必要はさらさらないんじゃないでしょうか。

 私を救世主と呼ぶな、とイエスだって言った KILROY


Re: うた 3527へのコメント
No.3528  Mon, 19 Mar 2001 17:58:53 +0900  チイママ [この発言にコメントする]

ガーデニア 改め さるすべり wrote:
>皆さん、音楽は好きですか?
好きです。
>本題は、歌についてです。音楽を、どう感じ取っていますか。
最近はピアノ音楽も好きになりました。以前はピアノの雑音のように頭に響いて好きではなかったのですが、最近ピアノの音楽を聴くと心が癒されるようになってきたので不思議に思ってます。
普通の音楽はBGM程度にしか聴いてないような気がしますが、音楽ってどんなものでも好きです。


うた
No.3527  Mon, 19 Mar 2001 16:14:55 +0900  ガーデニア 改め さるすべり [この発言にコメントする]

皆さん、音楽は好きですか?
私はあまりすきではありません。
なんか、歌手が「寂しくて」とかうたっていると、ぞくっとします。鳥肌が立ってきます。

確かに、私は「共感性」に欠ける気がします。友人が、担架に乗って運ばれようとしているときに、その大変さがわからなくて、他の友人とは関係ない人のほうがちゃんと助けてくれていたり。

本題は、歌についてです。音楽を、どう感じ取っていますか。


Re: Re:世界観の共有 3501へのコメント
No.3526  Mon, 19 Mar 2001 16:07:47 +0900  ガーデニア 改め さるすべり [この発言にコメントする]

KILROY wrote:
>>「ポンと肩をたたいて、ようと声をかけてくれるような、そんな人間関係
>>が欲しい」というその人の言葉が印象に残っています。
> ニコポン(ニコッと笑ってポンと肩を叩く)・キンメシ(「近いうちに食事でも一緒にどうかね?」と声をかける)なんていうのは、toriがいちばん厭がりそうな行為のような気がするが。

あはは、私も「ニコポン」厭がるだろう。内心「ぎゃーぁぁぁぁー」と騒いでいるだろう。


質問(あなたの散歩道は・・・)
No.3525  Mon, 19 Mar 2001 16:00:05 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

 僕はストレス発散のため、3日に1回くらいの割で散歩に行きます。
運動不足も解消しようと思って、5ないし10kmぐらい歩いたり、カメラを持ち出して、道ばたに咲いている雑草の花(今はオオイヌノフグリ:青星草:がきれいです。)や公園の木々の姿を撮影して回ったりしています。 

ということで、今日は散歩に関する質問です。

1)どんな時に行きたくなりますか?

2)コースはどんなふうですか?

3)散歩中に見た光景で、印象に残っているものは、どのようなものですか?


Re: よく言われるんです 3517へのコメント
No.3524  Mon, 19 Mar 2001 12:50:52 +0900  KILROY [この発言にコメントする]

 『しかも面白いことに、「素直」とは本人が決めるべきものではないというものではないということ。本人がいかに素直な気持を抱いていても、それが本当に素直であるか否かは自分が決めるのです。「きみ、恋人のひとりもいなくて寂しいだろう」と茶化したところ、「いえ何ともありません」と答えると「素直じゃないんだなあ」と来る。酒の席で「おまえ、アイツにさきを越されて悔しくないか」と聞き「いえ、別に」という返事に「素直じゃねえんだからなあ」と来る。
 つまり、人としての<自然な>感情の動きがあり、それが素直なのであって、それから外れている者は素直ではないのです。しかも「自然」とはマジョリティにとっての自然なのであり、マジョリティと感受性を共有しない者は、みんなそれを恥じており、隠蔽しており、無理に平気を装っている。だから「素直」ではないということになるのです。たいした暴力ですが、私はこうした言葉遣いに親和性のある人(「世間度」の高い人)とそうでない人とをただちにかぎ分けられる。』
 (中島義道『私の嫌いな10の言葉』、新潮社、本体1200円)

 中島さんは哲学者なので議論はここまで。哲学者にはこういう「素直じゃないなぁ」「素直になれよ」なんていう物言いをする馬鹿とつきあっている暇はないわけです。
 で、われわれの興味はここから何歩か進んで、この馬鹿どもの発症メカニズムとこういった馬鹿どもに対していかに対処すべきかという実践的な方法を求めることに移るわけです。

 「素直になれよ」の同義語としては、「もうちょっと自分の気持に正直になったほうがいいんじゃないか?」というのがありますが、これは周囲の人間関係に関する配慮の結果としてタテマエ的な発言を繰返さねばならない立場にいる人間にとってはけっこうグサッとくる言葉で、「私にも事情とか立場というものがございますので」ということになるわけです。こういうの腹が立たない。

 で、なんで「素直になれよ」の一言がこんなにも多くの人にとって不快なのかといえば、それにはおおむね二通りの理由があります。
 ひとつは、「素直になれよ」とかいった言葉を発する人物というのは、おおむね社会的に見て「偉い」人であり、なおかつ自分のエゴ(これは心理学の用語でいう自我に相当するエゴ)を垂れ流しているという点で不快なのであります。自分の食べカスを(空になっているとはいえ)他人の皿にポイッと放りこんでしまう奴とか、人の本を読んでいて、ついページをめくるときに唾をつけてめくってしまい、注意すると逆ギレしたりする奴とか、「ああ、ごめんごめん」とお座なりに謝って、しばらくするとまた同じことをする奴とか、後になって「あいつは異常だ」とかいって人に悪口をいうとか、そういう奴だというのが透けて見えちゃうからです。つまりは自分の視点からしか物事を見ることができず、社会性というものを身につけてこなかった(力関係、というのは社会性のうちに含めません)結果がわれわれをしてかの人に対する不快感を持たしめるわけですね(←どういう日本語だこれは)。で、こいつらは「ちゃっかり」していて「要領がいい」という点で自分は有能であると自惚れていて、他人の利益を侵害するという意味で有害であり、個人的には往々にして成功するものの全体の利益の足を引っ張り、「周りに迷惑をかけるな」と然れば「全体主義だ」「個人の権利の侵害だ」と騒ぎ立てる人権バカでもあります。「権利の濫用はこれを許さず」と憲法にあるのを知らんのだこの馬鹿は。自分の国の憲法くらい読んどけや。

 わーっはっはっはっは、今日も私の毒舌は冴えわたっているぞ(←ふつう自分で言っちゃうかな)。

 でまあ、こういう単なるエゴ垂れ流しの小便臭い鼻垂れ小僧のウンコ垂れ野郎をまともに相手してても何の利益もありませんから、ここは上機嫌に(この「上機嫌」というのが重要なポイント)「あいにく変わり者でございまして」と自信たっぷりにニッコリと笑いかけてさしあげるのがベストでございます。そうすると相手はあなたが「この田舎者のゲス野郎はまったく堪ったもんじゃねぇな」と考えていることを即座に理解して、「あ、あは……あっはっはっはっは、そうかね。うん。そうか変わり者か。がっはっはっはっは」とかいって空々しい豪傑笑いを空しく響かせたりするのだな。で、こういう連中はあまり害がない。

 で、もう一つの理由というのは、相手がこっちを搾取するために、確信犯的に「素直になれよ」とかいう言葉を使っているという理由です。
 同じ「素直になれよ」でも、恋人同士が喧嘩しちゃって、女性のほうがどう考えても自分が悪いんだけど意地張っちゃったもんだから自分から謝るわけにもいかないし、相手に折れてもらうというのも面子の上でちょっと無理だろうし、どうしよう困っちゃったな、みたいなときに男性のほうがなしくずしにエッチに突入して対立をうやむやにしてしまおうという下心を持って「なぁ、素直になれよ」みたいに関係を迫ってくる、なんていうのは腹の立たない「素直になれよ」だったりする……と思うのだが、ここんところは女性にも訊いてみないとわからんな(←そうやってどんどん品性を疑われてゆくというのがまだ解らんのかボケ)。

 で、腹の立つ「素直になれよ」のほうは、こっちが泣き寝入りするのを期待しているとか、その結果トラブルが起きたときに自分が責任を取らなくていいように、こっちが自発的に行動したということにしたいという意図のもとに「素直になれよ」と言っとるわけです。こういう奴を相手に素直になってたら、ケツの毛羽まで抜かれます(←言うとるそばからこれや)。
 ここであなたは重大な決断に立たされます。逃げるか、闘うか。これは最終的な判断であって、今とりあえずどっちにするか、ではありません。はっきり言って会社辞める気があるかどうかです。「こんな奴のために会社を辞めたくない」とか考えてっと大怪我するから気をつけること。逃げるときは上手に立ち回ってサッサと逃げましょう。良心に恥じることはありません。同僚や友人に気をつかうこともありません。こっそり再就職先を探すなり、寿退社を考えるなり、とにかく最短距離かつ有効に逃げることを考えるべきです。
 なに、闘う。そうなると、相手は徹底的に叩く必要があります。まず相手を憎むことから始めましょう。途中で攻撃の手を緩めると、相手は死にものぐるいになってあなたに噛みついてきます。奥さんや子供さんごめんなさい。こんな男をパパに持ったあなたがたが不幸なんです、と諦めてもらいましょう。
 で、具体的な方法としては、第一は「素直に」従って相手の弱みを握り、失脚させる方法です。ですがこの方法は必ずしもうまくゆきません。こういう奴は会社の弱みを握っていることが多く、あなたの告発は握り潰される可能性が高いでしょう。
 次は、「相手が自分に何をさせたいか」をはっきり確認し、その証拠を握ったうえでお望み通りに行動し、さらにその上でめいっぱい不始末を犯してしまうのです。当然責任の追求が行なわれ、それがあなたを通りこしてその憎い相手にぶつかるように仕向けます。
 相手の上の立場の人間に訴える、というのも、こうした下準備を行なってからでないと、あなたが悪者にされてしまうことがあるのでけっこう危険です。だいいちその上の奴というのも同じ穴のムジナだったりすることがあるわけです。このリスクを避けるためには、会社の上層部の人とこまめに接触しておくことです。「素直になれよ」とか言ってる奴が本格的に嫌がって妨害する人物が、相手にとっての最大のウィークポイントです。
 私の場合は府中だとか入間だとかにいった遠くの現場で働いていたために、たまに本社に帰ると後から入社した奴に「なんだコイツ」みたいな目で見られていた上に、私の上司が社内で私の悪口をふりまいていたために「仕事はできるけれど、不良社員で勤務態度が悪い」「仕事ができるのを鼻にかけためちゃめちゃイヤな奴」だということになっていたようです。会社っつーのは仕事する所なんだから仕事ができりゃあそれで十分じゃねぇか、といった理屈は世間じゃ通用しないようです。

 思いきった手段が性格的に取れない、という場合は、しょうがないからそういう馬鹿は無視して仕事に集中しましょう。とはいえそういう馬鹿が会社を倒し……って、まあ、どうあがいたって解決できないことってあるんですよ。だからってべつにあなたが悪いわけじゃなし、あんまりカリカリしないで適当に対処するってぇのもいいんじゃないっすかぁ?

 つまり人間はあまり自分に誠実だとかえって苦労するのだよ KILROY


Re: 涙? 3499へのコメント
No.3523  Mon, 19 Mar 2001 11:48:13 +0900  ゆーり [この発言にコメントする]

みなさんレスありがとうございました♪

「輪の内側の人間」と「輪の外側の人間」、感じているのは
自分だけではないんだと実感できました。
「外側の人間」は、よっぽどでない限り内側にはなれないんですよね。
でも、「外側の人間」が集ったら、「内側の人間」になれるのでしょうか?
わたしの場合、「内側の人間」になれるのは
せいぜい友達と1対1の時で、3人以上のときはダメです。

★ぺりこさん
>涙にも、いろいろあります。

それは、たいへん辛い話ですね。
その校長先生はきっと自分では、ぺりこさんのことを気にかけていて
親切にしていると思い込んでいたのでしょうが---。
親切の押し売りはいやですね。
わたしも、友達に「同情」と「力になってあげたい」というまなざしを
されて荒れたことがあるので、気持ちわかります。
関わり方がとても繊細な問題だということは、
彼らにはなかなか伝わらないようです。

★さくらかのえさん
>ひとが盛り上がってると観察する側にまわってしまうのよね・・・

同じくです。
でも、こういう人間もいたほうが良いのかなって最近思いました。
国民全体がファシズムに陥ったとした場合、冷ややかな目で見ている人間も
必要なわけですから。。。(その場合すぐに弾圧されそうですが)


自己診断ガイド 3519へのコメント
No.3522  Mon, 19 Mar 2001 11:04:54 +0900  KILROY [この発言にコメントする]


 ぬりかべ

 高所恐怖症の人間は断崖絶壁に近寄れない。バンジージャンプとかいったら言語道断である。だいいち飛下りようにも身体が動かない。頭で「安全だ」と思っていても身体が動かんのだ。「高さ」というものに対する恐怖というのはじつに根源的なもので、その恐怖にさらされた者には親も子もへったくれもない、というのは「親不知・子不知」という名前の道が日本各地にあることからもわかる。
 ヘリコプターのパイロットも地上からの垂直上昇は死ぬほど怖い(そもそも航空法で禁止されている)という話があるのだが、逆に「もしも高空でエンジンが止まったら」などという不安は意外にもなかったりする。高高度でエンジンが止まった場合はオートジャイレーションという方法で軟着陸できる。低高度ではスピードさえ出していればズームアップ上昇をしてからこのオートジャイレーションで着陸すればいい。ところが中途半端な高度をトロトロ飛ぶのは実に怖いという。なにしろ墜ちたら助からない。だから視界の悪いときに低高度で遭難者の探索をする山岳ヘリコプターのパイロットなんていうのは、アクション小説の中にしか存在しない。

 「頭では解っているのだが身体が動かん」という「ぬりかべ現象」は、脳の機能というよりも、もっと高度な心の機能の働きであることがここから解る。でなかったら人間には飛行機の操縦なんていうものは絶対に覚えられない。「ぬりかべ現象」は「ヒステリー症状」の一種であり、パニック発作もこのヒステリー症状の一種だから行動療法によって治癒が可能だと考えられる(パニック発作については後日改めて)。

 子供の頃にバス旅行で何度も何度も酔ったことのある人は、しばしば自動車に乗れなくなる。私は叔父が所有していた自動車が駄目だった。ところがタクシーは平気だったりする。気分の悪くなる原因は、バスにしみ込んでいる煙草の臭いと排気ガスの臭い、それに振動である。叔父はヘビー・スモーカーで、しかも趣味がラリーなものだから叔父の車は煙草の臭いがひどく排気ガスの臭いはきつくサスが固めでエンジン特性がフラットでなく、しかも運転がタイトなものだから悪条件がすべて揃っている。だから私は子供の頃に白い車に乗ろうとすると身体が固まって動けなくなった。タクシーが平気だったのは、煙草の臭いがせず排気ガスが臭わず(燃料がLPGだから)乗り心地がよく運転が上品だという理由による。

 いわゆるPTSD(心的外傷後ストレス反応)で電車に乗れないとかいうのは、意識でどうこうではなく身体が言うことをきいてくれない。目の前に目に見えない圧力の壁が「どん」と立ちふさがって、身体が前に進まないのである。これが「ぬりかべ」の「ぬりかべ」たる所以であり、水木しげる先生も南方戦線で経験したという。目の前に何もないのに前に進めない。つまり無意識が発しているシグナルが意識の命令を凌駕してしまうのである。

 「ぬりかべ」に対処するということは、自分の無意識と和解することである。PTSD以外の原因で起きる「ぬりかべ」は、無理に無理を重ねてきたあげくに発症することが多い。焦ってどうこうしようとするより気長につきあうことである。どうしても学校に行けない、とか会社に行けない、とかいうときは、カウンセリングの充実している病院に言って、「過労」という診断書を出してもらって精神安定剤を処方してもらう。何件か回ればものわかりのいい医者はみつかるはずだ(最近の医療の流行りでもある)。で、会社に病欠の届けを出し、地方の「『ひなびた宿』ってぇのはもっとキレイなもんだ!」(広告マッチのコピーにこう書いたすごい人がいる。ダダイスト辻潤の息子、辻まことである)と怒鳴りたくなるような温泉場のボロ宿で湯治と称して一ヶ月くらいのんびりしてくるといい。なに、予定は一ヶ月でもだいたい三日もすれば痺れが切れる。一週間保つ奴はまずいない。三週間経ってまだ職場復帰する気になれなかったら、その土地で職探しをして居着いてしまうというのを真剣に考えたほうがいい。仕事のできない奴が仕事のストレスで体調を崩すなんていう話はあまり聞いたことがない(あったとすれば仕事の要領が悪い。会社の評価が低いとすれば、それは組織の側に問題がある)から、過疎になりかけの町なんていったらけっこう重宝されそうに思う。

 私事になるが、日本語処理システムを開発したときは「てにをは」の処理がどうにもうまく行かず、とうとうマシンの前にぬりかべが出た。たまりかねた私は会社に無届けでコロラドに九日間のスキー旅行に出かけてしまった。社長は「なあ、どっかで日蝕があったかな?」と同僚の藤本っちゃんに質問したという(私は天文マニアなので、沖縄・小笠原・ハワイと日蝕のたびに長期休暇を取っていた)。帰りの飛行機の中で私は高笑いをしていた。汎用日本語処理系JAI-Parser誕生秘話である。
 逆に、私が心臓を決定的に悪くしたのはその後ある人の紹介で移った会社でぬりかべと毎日闘いながら出社した結果突発性拡張型心筋症を悪化させたという事情による。このご時世、失職するのは辛いものがあるが、身体を壊して失職したら本当に後がない。健康なうちに自分から退職するのが得策である。私だって日本語諸理系の権利の問題がなかったらさっさと退社していた。とはいえ病気にならなかったら自殺していたろう。

 「ぬりかべ」はあなたを守ってくれる心優しい妖怪である。お友達になっておくといい。

 なお、中公新書の『サブリミナル・マインド』は一読の価値あり。

 KILROY


Re: 自己診断ガイド 3518へのコメント
No.3521  Mon, 19 Mar 2001 08:56:36 +0900  シュッツ [この発言にコメントする]

思いついたところに一ケ所だけレス

KILROY wrote:
> この『アスペルガーの館』にアクセスしてくる人々の多くは、自閉症者やASの人間の体験談を読んでもいるだろうし、医師が書いた患者およびその家族のための解説書も読んでいるだろうし、中には専門書にまで目を通している人だっているはずだ。だけど、そういった本が、「これは何だ? いま私の身に起こっているのは何なんだ?」というきわめて切実な問いに答えてくれるかというと……くれないのである!

私もたくさんの文献を読みあさりました。
確かに直接の答はくれません。
しかし、役に立たなかった訳ではありません。

数学で言えば、文献は方程式や定理のようなものであり、具体的な値は各個人によって違うのです。
だから、値を代入できるのは、自分しかないと考えています。

私は理系人間のせいか、最後の答だけでなく、方程式というものを重視する立場です。
それを使っていかないと、異星人に囲まれたこの世間では生きて行けないのです。


 Re:卒業証書 3515へのコメント
No.3520  Mon, 19 Mar 2001 07:55:31 +0900  マザー [この発言にコメントする]

風鈴 wrote:
>マザー wrote:
>>
>>このHPを見るようになってから、子供にやさしくなれた。
>>以前はけっこう自分の思いを押し付けてた・・・・
>>私はこのHPに、出会えてよかった!
>>
>>館の管理人さん、皆さん ありがとう。 マザー
>
>私も、マザーさんと全く同じです。このHPに出会えて良かった!!
>館の管理人さん、こんな素敵のHPを作って頂き有難うございます。
>そして、ここへ来られている皆さん、本当にいつも有難う御座います。
>もう、何かあるのかしら?って位に中毒で、1日に何度もアクセスしたり、
>それだけに1日でも見ないと禁断症状がでそうな程ですよ。(笑)
>家で見られない日は、翌日会社で!」・・・・という程のハマリようです。
>来月2日間見られない日が続くし今から心配です。

今の私も ハマリくってます!
心の安定剤になってるかも?・・・


自己診断ガイド 3518へのコメント
No.3519  Mon, 19 Mar 2001 05:41:48 +0900  KILROY [この発言にコメントする]


 幻覚

 幻覚とは感覚上は現実とまったく区別がつかない。いわゆる心霊体験のほとんどはこの幻覚であると断言しよう。ただし、心霊体験=無視すべきもの、と考えることは適切ではない。詳しくは後述。

 ふつうに体験するのは入眠時幻覚、とくに閉眼時の幻聴である。
 眠ろうとしていると、誰かがどこかで喋っている。声ははっきりしているのに、何を言っているのかがわからない。かといって外国語だという訳でもないのである。大きな声でもなく小さな声でもなく、ただがみがみと頭に響く感じがする。そこで目を開けるのだが……そのとたん声は消えて、そこは特に変わったことのないホテルや旅館の一室である。そこでまた眠ろうとすると、またしても声が聞こえる。これを繰返してとうとう夜明け近くになり、眠ったところで今度は覚醒時幻覚である。いわゆる金縛りで、目を開けてみると、髪振り乱した若い女が上から覆い被さって自分を押さえつけているのである! 金縛りが解けたとたんに「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁあっ!」。こうなると立派な怪談であるが、半分は千葉大で医者をしている従弟の体験、半分は私の体験である。

 幻覚と現実を区別するのは理性によるしかない。ところが半分覚醒時には理性はちゃんと働いてくれていない。そんなわけで寝ているときに出る幽霊はほぼ間違いなく幻覚だから、せいぜいスリルを楽しんでもらいたい。ナルコレプシーの患者にとってはわりと日常的である。また、高熱を発したとき、薬物に中毒しているとき(ハシリドコロという毒草に当ったときや強い解熱鎮痛剤を使っているときなど)にもしばしばこの手の幻覚が出る。

 これに対して昼間の幻覚は、幻覚自体が強烈なため覚醒時でも幻覚が出る場合(薬物中毒の患者や重度の精神分裂症の患者が体験するのがこれ)や、意識レベルが低下しているために出る場合(ナルコレプシーやいわゆるハイウェイ催眠など)や、サブリミナル・メッセージに敏感な場合(いわゆる霊能者がこれ)などがある。
 サブリミナル・メッセージというのは、いわゆる「気配」である。そんなものがあるのか、と信じがたい人もいるだろうが、針式の時計を五分進めておく奴はいてもディジタル時計を五分進めておく奴はおらんのである。これはつまり、針の時計は「時間の気配」を感じさせるけれど、ディジタル時計は時刻そのものを伝えてくる、ということでもある。
 「なんか変な気がする」「どっかおかしい気がする」というのは論理型である。それが視覚に対して直接来るひとというのがいるのである。ノーベル賞物理学者リチャード・ファインマンは、「方程式の変数や項に色がついて見えた」という。山の中では「こっちの道はヤバいような気がする」なんていうことがよくある。これもサブリミナル型の「幻覚」ではあるが、現実に即しているだけに「幻」と言っていいのかはよくわからない。

 この項は続くかもしんない KILROY


自己診断ガイド
No.3518  Mon, 19 Mar 2001 05:40:38 +0900  KILROY [この発言にコメントする]


 これからおそらくは数週間にわたって、ある文章を書きつづけようと思う。

 これには三つの理由がある。ひとつはこの文章を目にしている人がおそらくよく知っているであろう私の大切な友人が、ちょっとした発作を体験したことである。
 で、もうひとつは私がちょっと医学的にみてヤバいことを書いてしまったがために(他に理由があるとも思えない)、No.3344の書込みが削除されてしまったことだ。そして最後のひとつは、私の人生経験という奴に関係してくる。

 私の大学時代の担当教官は有機化学合成と毒物の専門家である一戸良行先生である。『のぎへんのほん』シリーズの『毒草の雑学』『毒草の歳事記』などを出されているから興味のある方は読んでいただきたい。で、私は高校時代から胃炎・胃潰瘍・十二指腸潰瘍といった持病があり、長年精神安定剤のお世話になっている。訳のわからんものは服(の)みたくないというのはAS傾向の人間には共通の感覚らしく、不完全性定理で有名なゲーデルもそれが原因で死んだとされている。そこで私は自分の飲んでいる薬の成分からはじめて日常われわれが使用している市販の薬の成分、あるいは麻薬だの毒薬だのの成分について調べはじめた。なんと酔狂な、と思われるかも知れないが、うちの家業はペンキ屋であって家の中には有機溶剤であるトルエンだのキシレンだのアセトンだのの瓶がゴロゴロ転がっていたという家庭なのである。
 たがために私は酒と薬のチャンポンという一般の常識では考えられないような無茶をやる(No.3344もこのあたりの記述が問題となったらしいことは想像に難くない。読者は真似せぬこと)。ところが歴史的にいうと酒そのものが薬であり、古代ギリシャでは薬というのはビールで飲むものだったのである。薬効成分を抽出するのにアルコール抽出を行なうのは珍しくなく、養命酒を始めとする薬酒はあまた存在する。また、正月に飲むお屠蘇の屠蘇散のように、酒で煮出して服用する薬などというのもある。
 で、そんな話をしておったら、喘息持ちだとか茸マニアだとか精神神経疾患を患ってる奴だとかラリハイ飲み(つまり、リーガル・ドラッグの愛用者)だとかいった、自分の身に起こる各種の症状を冷静に観察する能力のある人々の話をいろいろと聞くことになった。

 世間からキチガイ扱いされている我々とてキチガイに対する偏見からは自由ではない。精神神経症状の発作に襲われた場合、我々の多くは「私はキチガイになってしまったのだろうか」と狼狽しパニックを起こす。もちろんそれが単なるパニックなのか、それとも精神神経症状としてのパニック発作なのか判断する余裕もない。そういう時のためによかれと思って「当人にとっての躁発作というものはどんなものなのか」というのを赤裸々につづった文章は、書いた当人が少なからずアブナい奴だったがために削除されていて、大切な友人の危機(具体的な危険がどうこうという話ではなく、当人にとっては危機的な心理状態だったという話である)にあまり役に立ってなかったかもしれない、という事実を知って、ふと気づいたのが「患者から見た症状」に関する、患者のためのガイドブックというものが存在しないことなのである。

 この『アスペルガーの館』にアクセスしてくる人々の多くは、自閉症者やASの人間の体験談を読んでもいるだろうし、医師が書いた患者およびその家族のための解説書も読んでいるだろうし、中には専門書にまで目を通している人だっているはずだ。だけど、そういった本が、「これは何だ? いま私の身に起こっているのは何なんだ?」というきわめて切実な問いに答えてくれるかというと……くれないのである!

 ついでながら私は四度にわたって心臓病による一ヶ月以上の入院を経験している。宣伝めいていて申し訳ないが、私の著書である『ふたりで聖書を』はその経験から生まれた(とはいえ執筆時点での入院回数は三回め)。で、そのとき考えたのが、文学にできてマンガやアニメや映画にできないことは何か、ということである。それはすなわち感覚描写だ。健康な人間には体験できない「感覚」を、文章によって疑似体験させること。それである。その腕前を磨くために私はポルノグラフィを読みあさり、自分でも書いてみた。これはけっこう役に立ち、練達の読み手である編集者を唸らせた。ことにいわゆる「拒食症(これは相当に問題のある呼称なのだが、それについても追って記述)」発作に関しては、「拒食症というのが、やっとわかった」とお誉めをいただいた。つまり、こうした感覚描写は、我々自身にとって役に立つだけでなく、いわゆる健常者に我々を理解させるためにも有効なのである。

 そんなわけで私がこれから書こうとしているのは、自分の身に起きている症状が何であるかを判断するためのガイドである。
 躁状態とは何なのか。パニック発作と心臓神経症は同じものなのか違うものなのか。実際にそうした発作に襲われたとき、適確に判断できるためのガイドブック。そういうものを書きたいと思った。
 そういった主旨であるから、私はあらゆる意見を歓迎する。特に専門家と患者本人の意見は重視する。そして、これから書く文章の著作権を、とりあえず全面的に解放する。どこに掲載しようが紹介しようが自由である。ただし、この文章に対するフィードバックだけは筆者に届くよう配慮していただきたい。

 ただし医師でもなんでもない私がこういったものを執筆することには内心忸怩たるものがある。私が拠り所とするのは、ただひとつ「私」だ。それが「あなた」にとって役立つとは必ずしも言えない。しかし……誰かがやってみる価値があるとみた。

 私に勇気を与えてくれた、tori、ASの妻もどき、マザーの三氏に大いなる感謝を捧げる。それからみどりちゃんの「あ、私のことだ!」の一言は、私をやる気にさせてくれた。ありがとうね。そしてその他のひとたちにも、また感謝を捧げたい。

 よぉーし、やってやろうじゃねぇか KIRLOY

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