アスペルガーの館の掲示板(旧)
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風鈴 wrote:
>来週には息子を北海道に送り出す為、ここ数日その準備に追われながら・・・
風鈴 さん以前の書き込みを見ましたが
安くて良い電化製品やら家具などは買えましたか??
ずっと心配していました。ははははです。。。しんいりのときは、、ものすごい出費になりますから。。
>ひらがなに変えたって、使ってるもとの言葉がおんなじなんだから
>意味がないのでは?と思ってしまう。
「障碍者」の「碍」が常用漢字でないから。
というのが、ひらがなにした理由だと思っています。
参考資料を紹介します。
「障碍と障害について」
http://www2.nport.ne.jp/we/top/syougai.htm
「障害」という言葉について
http://www.neting.or.jp/welfare/chime/#challenged
「同音の漢字による書きかえ」
http://133.7.17.209/hyoki/kakikae.txt
ゆーり wrote:
>大きな海をぷかぷか泳いでみたい。
>だから、浜辺の石になりたいです。
>いつも海の音に耳を澄ませて、ゆったり沈んでいたいですね。
それは素敵。でもそれは人間が滅びた後が良いな。人間以外に迷惑を掛けるもの。
そして人間にも迷惑が掛かるんだけど。それに地球にも迷惑を掛けているし。
>人間になるのだけは、金輪際ごめんです。
うん、。。
人間ってなんで存在するのかな??
でもカラスの世界も保守的で。結構厳しそう。意地悪も居るし。不信感に満ち溢れている奴も居る。
動物の世界も結構厳しい感じ。でも、、ある種の動物は、、親子関係は人間より
素晴らしくて,愛があるのだ。。いいなあ。。
そういうのは。。涙ガ出るほど。。。
私は。。光になるのが一番いいな。。。風とか。。肉体を持っているとしんどいよ。あとは、、天体の一部とかね。。花の中に住む..何かとか。。
来週には息子を北海道に送り出す為、ここ数日その準備に追われながら・・・
なんか無性に淋しくなってしまって・・・荷造りしていても、生まれた頃からの思い出が走馬灯の様に駆け巡り、涙が溢れてくるのを悟られない様にするのが精一杯の毎日です。色々悩み、苦しみ、考えた末の結論で、一番良いと信じた選択なのになぜかやはり離れた土地で暮らす事になる現実を目前にすると、理由もなくただただ淋しくなってしまう情けない有り様です。通常、”明かるいキャラ”で通っているだけに、何とか平静を保ってはいるのですが、悲しくなってしまって・・・
日々、仕事とバイトの掛け持ちで時間に追われている時や、疲れている時はそれでも大丈夫だったのに、目前にしてこんな状態では、実際行ってしまった後の焦燥感は計り知れないかも??と不安ばっかりで過ごしています。
勿論、息子が上手く生活して行けるかとか色々な不安や心配も尽きなくて・・・
どちらかというと本当はすぐ落ち込んでしまいやすいだけに、常に前向きに考える様にしてはいるのですが・・・どうもダメですねぇ〜母親は・・・
金銭的にかなり大変だから、っとそれを考えている時は、割と”しっかりせね!!”
とそう言う事に神経集中出来るのに・・・
あんまり落ち込み気味だったので思わず聞いて貰いたくて暗い話題を書き込みしてしまいました。すみません。
私がもし生まれ変わるとしたら、亀になりたいです。
大きな海をぷかぷか泳いでみたい。
でも、そこまで大きくなるのは大変かな。
ほとんどの子ガメは、小さいうちに死んじゃうもんな。
だから、浜辺の石になりたいです。
いつも海の音に耳を澄ませて、ゆったり沈んでいたいですね。
人間になるのだけは、金輪際ごめんです。
今日の朝日新聞朝刊に気になる記事がのっていました。
ちょっとだけ抜粋します。
”埼玉県志木市が今年度から、
「障害者」というこれまでの表記を「障がい者」と改めた。
障害は個性の1つにすぎないのに、
「害」は「公害」「被害」などに使われてイメージが悪いという
考えに基づく。”
ひらがなに変えたって、使ってるもとの言葉がおんなじなんだから
意味がないのでは?と思ってしまう。
だいたい、そんなのけちなごまかしじゃないのか?
漢字の間にひらがなが入ってるのも変な感じで落ち着かない。
日本語としてキレイじゃない。
それから、障害が個性の1つという言葉にもひっかかる。
障害によって、日々苦しんでいる人が現にいるのだ。
障害があったって、人間としての尊厳や誇りが失われるわけではないけれど
それを「個性」という言葉で片付けるのは
あんまりにも簡単すぎやしないだろか。
そんな小手先のことばかり考えてんじゃなくて、
もっと障害者にも住みやすい世の中にしてほしい。
(たとえば幼稚園のつめこみ・おしつけ・強制教育を改めさせるとか)
武田好史 wrote:
知らなかったので、情報提供有難う御座います。
明日、TV見てみます。
自己レスでごめんなさい
>自分は前に僕はインテリよりイタコに近かった、といったのはここにリンクするかもしれません。相手がわからなくても良いからボソッと布石を打っておく。だから、相手の頭の中でつながってくれるのを待つだけです。最後の抵抗だけれど、それで満足としていいかなと。
普通の場合です。何か大義名分のある時は、今でも、もう少し果敢になるか、そうでなければ失望でストレスがたまります。まあでも大義名分があれば枠組がある訳で、それなりに考えを伝えやすいものです。
そんな時、「それで満足する」のは己を殺す行為ですな。そうせざるをえないときは、別の所にやりがいの柱を立てて、僕の役割は今ここにないのだと割り切るしかない。
ふー 文章でちゃんと伝えるのは大変なのだ。
しかし何自分のこと伝えるのに夢中になってる<−俺
武田好史 wrote:
> 明日のNHK教育テレビ「にんげんゆうゆう」(19:30)は、ASの子供たちのことを特集するようです。
あ、そうなの? んじゃ、ビデオ録ろーっと。
武田好史 wrote:
>あなたが見た夢で、奇妙だったものには、どんなものがありますか??
自分が出産したらしく乳飲み子を抱いているんだけど、私の体が(体力が)弱すぎて 赤ちゃんを抱いて立ち上がることができない夢。
どんなに頑張っても脚力が足りず3歩と進めないの。
で、2〜3歩あるいて力つき、道に倒れ込んでいるところへ母が登場し
「だから言ったじゃない!」とか何とか言いながら赤ちゃんを抱えてスタスタと先に行っちゃうのだ。
そこに1人取り残された私は自分のふがいなさに涙する。
・・・と云う夢を、10代の頃によく見てました。
何かを暗示してたのかなぁ。 もう、ずいぶん見てないのに いまだに不思議な夢です。
くると wrote:
> もし、みなさんが生まれ変わることができるとしたら、今の人生を繰り返し生きたいと思いますか?
>それとも、全く別の人生を生きたいと思いますか?
私自身はこのままでいいけど、
世の中がもうちょっと変わってて、ASなど少数派への配慮がなされているといいなぁと思います。
・・・ってことで、全く別の人生は望まないけど、今よりちょっと楽に生きられる世の中であって欲しいです。
むしが良すぎるかしら?
さくらかのえ wrote:
>性格や感性や知識など今のままがいいと思う。気に入ってるから。
>若い頃は、いろいろと今考えるとしょうもないことで悩んでいたので、できたらもっと早くから いろんなことがわかって悩まないですみ
>自分を肯定できる人生を歩みたい。
私もそう思うですよ。はい。
武田好史 wrote:
>1.保健所に連絡して、「精神障害者通院医療費公費負担」について問い合わせる。
問い合わせをしてもしなくても、保健所へ行き「精神保健法32条の申請書をください」って言えば 申請に必要な書類をもらえます。
私の時は、申請する頃に具合が悪かったので、保健所に電話して「具合が悪くて取りにいけない」と事情を話してお願いしたら
保健所の人が申請書を自宅に郵送してくれました。
>2.精神科のお医者さんにかかるときに、「医療費の公費負担の制度の32条の適用をお願いします!」と言う。
うん。そう言いましょう。
>3.お医者さんが出してくれた書類にサイン・捺印する。
正しくは、
1.お医者さんが(保健所でくれた用紙に)診断書を書いてくれる
2.自分は保健所でくれたもう一枚の用紙(こっちがホントの申請書)にサインする
3.2.に1.を添えて保健所に提出する
です。
保健所が診断書を受理したその日から適用されるので、その日から医療費の自己負担額が安くなります。
> どれぐらい安くなるかといえば、3割の医療費の自己負担分が 0.5割になるので2970円の薬代が360円になるようです。
国民健康保険に加入している場合は、3割の自己負担分の全額を公費で負担してくれるので自己負担は 0割になります。
社会保険(会社の保険等)に加入している場合は、2割又は3割の自己負担分のうち、1.5割 又は 2.5割を公費で負担してくれるので
自己負担は 0.5割になります。
>この「32条」とはどの法律に属する条項なのでしょうか?
精神保健法という法律だそうです。
>またみなさんのなかに 、これを利用した経験のある人はいますか?
はーい。 今使ってます。
これは、どんな人でも経済的な心配をしないで安心して精神疾患等を治療できるように設けられている措置で、
精神科、神経科、精神神経科、等のいずれの科でもOKですが、それらの診療科を受診している人なら誰にでも適用される法律です。
医師の意見で、この人には適用される、この人には適用されない、などと振り分けられるような性格の法律ではありません。
病院で32条の申請をしたいと申し出たときに、もし お医者さんが渋るようだったら、
そのお医者さんは患者のことを本当に思ってくれているとは言い難いのではないでしょうか。
私だったら転院を考えます。
みる wrote:
>ただ、お役所に書類を提出してからそれが受理されるまで、1ヶ月くらい時間がかかるので、
ぇ?、役所の仕事っていうのは、申請された書類は不備がない限りその場で受理しなきゃいけない決まりになっているはずだけど
何か間違ってません?
ぽよ子 wrote:
>サインと捺印をして、登録料だか手数料?を\2000位その場で払ったら、次回の診察(二週間後だったかな?)から適用されました。
たぶんそれは、診断書の代金だったんじゃないかしら?
みる wrote:
>メリット・デメリットなど、経験ある人がいたら私も教えて欲しいです。
私もデメリットは感じたことありませんし、何かデメリットがあるという話も聞いたことないです。
明日のNHK教育テレビ「にんげんゆうゆう」(19:30)は、ASの子供たちのことを特集するようです。親御さんはぜひ見てみて下さい。
こんにちは ひろたです
またきてもいいよといわれたので来てしまいました (^^;>KILROYさま
#ところでひろたとKILROYのやおい本を出そうとしている皆様へ
#恋愛の前に、はじめにKILROYさんにであって、すぐ一通り発言をよんだときから今にいたるまでずっとKILROYさんは結構僕にとっては恐い存在だったのだ。信長とか曹操みたいな感じか!?正しい(と芯から受け入れてしまう)存在というのは、目の前にあると、実はすごく恐い。でもだからこそ、そこから目をそむけたりしたくないんだな。この前、ある人(団体)から逃げて結局運命からもしばらく逃げることになった気がするから。まあそいでこことかその頃見つけたわけだがね。まあ、そこんとこはしっかり押さえてくれるよーに
KILROYさん、いつもテーマが自分の興味ある事も多く楽しく読ませて頂いてます でもちょっと今回は聞いてみたくなった事がったのですよ
> 「空気」と「多数決」に「論理」と「レトリック」と「情報操作」で対抗するという「マキャベリストのゲーム」に熟達しておくというのは、AS傾向の人間が世渡りをしてゆく際には有効なことだと思います。
>
> こうなると、立場は逆転します。「あの人は自分に都合が悪くなるとすぐ逆ギレしちゃうんだよな。」「暴力的な傾向を抑えられない人間って、いるんだよね。」「あいつ異常なんじゃないの?」みたいに指差される立場に立たされてしまうわけです。
>
僕はここにもっていくのはけっこう至難の技な気がするのですよ。KILROYさんはこれは「自明性」に疑いを持っている人(この前のロゴシズムだね)に、お勧めしたい方法と本当に考えていますか?
もしそうなら、もうちょっとその際の成功の為のポイントや、シチュエーションなどを語ってくれると助かります。
この前、いつも“あの先生のコネはどうで、あの人は何派だ”とか、権力の話ばかりしている学校の計算機室の元ボス(最近卒業しちゃったけれど)の論理があまりにおかしかったので(他の人みたいにあとで陰口言うのも誠実でない気がふとしてしまったので)結構しつこく食い下がって詰問したら、後で違う話題でえらい目にあったばかりです。
(ただそれが何の為に有効なのかという視点まで考えると、やっぱり僕なんかは、まず、やらないほうが良いのでしょうな。きっと。いままで自然にKILROYさんのやったような事をして上手くいかなかったって事はやれば必ず無理がでる。KILROYさんのいうとおり、一本筋がとおって、小悪人的不誠実や嘘や虚栄のない善人が一番強いのですよね。そうおもう。僕みたいな弱い人間だと特に大義名分のない虚栄はやっぱり目に見えて心と気と消耗する。)
数年前、学生のわるふざけで、親友
#(僕の意味不明の文章の校正をしていっしょに小説を完成させてくれた人で、知識や物事をきちんと整理する力に長けていたので彼と組めば僕もそれなりに力を発揮できた)
と組んで、ある、あまりに「自明性に疑いを持っていない」ようにみえる友人を下宿部屋に連れ込み、酒飲みながら、二人で囲んで詰問した事があったがやっぱり上手くはいかなかった。(「自明性に疑いを持っていない」通常の人の倫理観ははたして「ずるいだろ」という感情にもとずいているのだろうかという事を彼を例として検証してみるのが悪ふざけの悪い目的だった)うーんと、たしかお題は「なんで空き缶のぽいすてがいけないのか」だった気がするな。刑罰ではないし、地球環境もそこまで関係ないはずだろとかいって突っ込んだわけですな。(実際はひろたは缶ジュース自体そんなに飲まないけれど)
「なんかわからないけど、やっぱりなんかだまされている気がする」「あーやめやま。なんかむかつくからおめえとはもうはなしたくねえ」とは数時間後こっちののどか枯れるまでそれをやった後の彼の「意見」。いやはや大学はいりたての学生だから許される若さあふれる所業ですな。
うーん、でも話がいつもわかわかんないといわれてばかりだから、ちゃんとしたお話も、気を使えば出来るのなら、たまにでいいから、やってみたいなあ
#
ここのみなさまに聞いて考えて欲しいなと思って書いた事という点では内容は以上のみです
以下はこの件に関連して感じてきた事をだらしなくいろいろかいてみました
#
まずひろたの自分史(当然、主観入りの「わかりやすい」「物語」)から
> われわれAS傾向の人間は、「自明性」に疑いを持っています。ところが「普通の人」というのは、自分たちの「自明性」をまったく疑っておらず、それをわれわれに押しつけてきます。だから、われわれは「普通の人」に「『自明性』を疑え!」と主張するんですが、彼ら(あるいは彼女ら)にとっては、『自分たちの「自明性」を数にものを言わせてマイノリティに押しつける』という方法は、じつに都合がいいんです。ですから、われわれの抗議は「あいつらはなんで当たり前のことに疑問を持つんだ?」といった形で、その中身を検討されることなく「迷惑なこと」に分類されてしまいます。
>
ひろたがこの「自明性を疑え!」をはっきりと主張し始めたのは大学に入る半年ほど前からです。科学的精神というのが、ここから始まるというような事を書いてある本にたくさんこの頃遭遇し、「僕はこれが出来る、してきたんだ」なんて勝手におもって、真似してただけです。
そのうち、徹底的に話し合う機会が来ました。大学一年の秋の事です。僕は募集を見つけて、一種公務員(建築の設計や理論を屋ってたらしい)を早々と引退して、自適生活をしているおじい様の所に、住み込みをする事になったのですが、そのおじい様が、「インテリ」で、おはなし好きだったものなので、いろいろ話すことになりました。竜馬が行くなど司馬さんの本は全てもっている方で、時事問題を「いい天気だ」という感覚で話し、まず、僕へアドバイスした事は、「朝日新聞の社説は常識なのでちゃんと良く読む事」「字は人格をあらわすのでちゃんと綺麗に書きましょう。私なんか社員研修担当だったが字がきたない奴はそれだけで大マイナス」。などという泣けてくるほどの正統的教養派の人間でした。
それで良く議論しましたが、たとえば、国歌の問題とかKILROYさんが書いたような事とかいうとどうも話がかみ合わなくなってくるわけで。もちろん最後は怒る訳ですが、そこにいたるまで、相手の認識は、どうもこいつはレベルの違うことを比喩にだして議論をしているのではないか。とか、そういう認識をするようで。
そして、その自明性の揺さぶりに関しては、何もわかってないくせにそんな事簡単に言ってというたぐいの怒りになる様で。後はなぜかいつも自分の事(とか日本の事)しか考えてない(僕的には??だったが)等などのお決まりの朝日新聞的嘆きにいつも終着するのが不思議でした
その頃しばらくして、思ったのは、ああ人間を説得するのは理論ではなくて感情なのかという事。ふれて欲しくない自明性をかき回される事はレイプされる事のような事なのかなあと想像したりとか。(僕は議論でキレませんが、失敗して落ち込んでるときに、考え方や生き方が全く違う人に、上の立場から、したり顔で説教食らうとやっぱり心にずんと来るものもある訳で)
> われわれはもっと、「底意地の悪さ」を身につけたほうがいいんじゃないだろうか、と思います。われわれには「普通の人」の「自明性」の矛盾を見破る目があります。だから、その矛盾を増幅して彼らに帰し、彼らの「自明性」を揺るがせてやるのです。かれらは「自明性」に盲目的な信頼を置いているがゆえに、こうした攻撃には非常に脆かったりします。
>
それでも、自分の考えを断固として主張しなければいけないようにおもう時はあるのですよね。僕の場合始めの彼女と付き合ってた頃、おたがい共依存でかつ、生き方が違ってきたので、相当いろいろ話しました。彼女はキレましたが、かといって、自明性を揺さぶられはしなかったように思う。ここでも言われる事は同じ、話のすじが読めない。なぜ、そんな関係のない話をここでするのか。そんな話をたとえばなしに使われて、わからない。屁理屈に聞こえる。
##
今思うと反省するのは、僕は相手の言いたい事(論理や彼女の感情が行き着く先の予測ではなくて)を理解しようとしただろうか、僕は相手のはなしを聞こうとしただろうか。どのような感情で話ただろうか。 と言う点で、これは特に相手の性質に対して媚びる必要も、議論をするべき相手かどうか、相手を選別したり切り捨てたりしてはいけない理由もちゃんと存在するパートナーとのコミュニケーションではとても大事な事ですが、それは今のお話の筋と違うので省略
##
いままでつきあった女性というのは僕にとっては、友達からはいるというより、どっちかというと、友人期間は二か月程で、いきなり恋人になった人だったのでいろいろと違う視点を学びました。今の彼女と会って、自分の親などの事も思って感じた認識は、 ああ、普通の人って、たしなみ(悪く言えば出来る奴とおもわれたいって事)から、一見議論好きに見えるだけであって、本当は議論をした時のあの妙な興奮感が嫌いな人も多いのねって事。
やっぱり友人は議論の理屈が自分と合う人が多いわけで、そうでない人とそれなりに徹底的に話したのはこの彼女二人とおじいさまかもしれない。
> 「空気」と「多数決」に「論理」と「レトリック」と「情報操作」で対抗するという「マキャベリストのゲーム」に熟達しておくというのは、AS傾向の人間が世渡りをしてゆく際には有効なことだと思います。
>
それでです。僕にはこのKILROYさんの戦略がいまいちリアリティを帯びないのはなぜなのか。ただこれを読んでると興奮するくらい本当は格闘好きなんだけれども(なんて書くとまた嫌われそうだ。まあ、いい感じに最近は発散してるので、別に悩んだりしたないです。)
どうしてか 自分なりに分析してみると、
1 キャラの違いか
僕はどっちかというとひょうひょうして、バカでーすという感じの温和タイプのキャラなので、(かといって自分が思ってる以上に馬鹿ですとアピールしてるわけでもないから欺いてもいないのだが)いきなり議論をしだすと、こいつ何言ってるんだっていう先入観がはいる。これが大きすぎるとさすがに、上手くいくはずもない。(そこをはねのけてやるくらいが理想ですが)
2 知識量(単語量、データ量)の違いか
これも1と重なりますが普段からの信用と議論のときに正確な言葉使いが出来るかです。忘れやすいひろたでした。(多分もうそろそろアスペに関しても語れなくなる頃だ。この前久々に半年前の自分の日記を見たら、わけがわからなかった)
3 段取りのちがいか
いかに戦略的に前もって準備しているか。 「気」(つまり相手に対しての姿勢)にちゃんと気を使っているか。 さらにアドリブの上手さのちがいなど
自分がリアリティを持てなかった理由を自分なりに分析するといまのようになるのかな
””””
自分は前に僕はインテリよりイタコに近かった、といったのはここにリンクするかもしれません。相手がわからなくても良いからボソッと布石を打っておく。だから、相手の頭の中でつながってくれるのを待つだけです。最後の抵抗だけれど、それで満足としていいかなと。相手に対して誠実であれば、これだけでも、自分がその時その時で調子のいい事を言って合わせているのではなくて、前々から考えてた事なのだとかそういう事を感じてもらえる事はあります。そのうち好意的にじぶんのことばに耳を傾けてくれる人も存在してくるかもしれない。
#####
所でちょっと話は変わりますが最近思ったのは議論(ディベート)と論理的話し合いは別という事。論理的話し合いではおたがいにインスピレーションをわかしあいながら前に進んで行く事が重要なので、ディベートのように相手との論理の違いに注目して議論の進行の明確化をするとかえってよくない。ディベートのようにやってしまうと、結局結論が、論理的枠組みは違うけどいってる事は結局いっしょだよねってことになってしまいかねないと思う だから友達と話すときは僕のスタンスは議論でなくてブレインストーミングだといったりしている。 どうでしょう
#####
> べつに喧嘩を売ろうとかそういった意図はまったくないのだが、ここ数日の私は武田好史さんに無性にツッコミを入れたい気分になっていたりする。
>
そう言えば僕もそんな事あったな でもなんか僕にはやっぱり誠実さがかけてたので今は反省です(あ、もうゆるしてくれてるのかな、武田さん!?)
相変わらずのわかりにくさでよんでくれた皆さんすみません これからも、話題によっては極稀に召還されます ひろた
チイママさんwrote:
>もしよかったら、皆さんの最近ハマってることを教えて下さい。
以前は腐るほどいろんなものにハマりまくっていたのだが、心臓を壊し職を失ってからは「金と体力を使わずにすむ趣味」ということになって非常に限定されることになった。「ボトルシップはいいぞ」という話もあるのだが、私はああいう非生産的なものはどうも弱い。カワニナ(つまりはホタルの餌だ)とメダカの養殖ノウハウの蓄積、というのもあったのだが、最近ほぼ完成しちゃったので卒業である。ハーブ栽培も使いきれないものでこのところ熱気が失せ、ジャム作りと漬け物作りもこのところご無沙汰である。以前は「シャンパン風どぶろく」なんていうのも作ったが、爆発事故を起こして以来ちょっと遠ざかっている。餃子とカレーは一応「極めた」という自信がついたのでこれも卒業。
で、結局のところ私の一番長続きしている趣味といえば、「スカベンジング」である。日本語で「落ち穂拾い」。かの寺田寅彦大先生が「小屋掛けの落ち穂拾い」と呼ばれたというところから頂戴した。
つまるところ、「どうでもいいこと」に疑問を持ち、それについて徹底的に調べる、というのが趣味なのである。インターネット使いのAS者にとってこれほど適した趣味があるだろうか(いやない。反語表現)。日本という国は恐ろしいところで、「これは」という文献はほとんど日本語に訳されている。図書館に行けば金もかからないし、学術書の類はリクエストすれば(時間はかかるものの)取り寄せてもらえる(ついでながら、最寄りの図書館で『ふたりで聖書を』をリクエストしてくれると嬉しかったりする)。
魔女はなぜ箒の柄に跨がって空を飛ぶのか(これはドイツ語に起源があるのが分かった)。プログラムの間違いのことをなぜ「バグ(bug)」というのか(これは誤用だというのが分かった)。バニー・ガールというのはなぜバニー・ガールなのか(これにはけっこういろんな由来があったりする)。「銀杏」と書いてイチョウと読むのはなぜか(「鴨脚(ヤーチャオ)」が語源。葉っぱの形から)。九官鳥に「オタケサン」と喋らせるのは何故か(これは正確には「オタキサン」のはずだったのだが、「オタケサン」になってしまったのには理由があったりする)。「女性が性的な絶頂感を得ること」を「いく」と表現するのはなぜか(これには古代史の謎まで絡んでくるから面白いのである)。「赤ずきん」はなぜ赤いカプチンをまとっているのか(この疑問を解くために、ルネッサンス史から中世ヨーロッパ史からキリスト教史、はては古代ギリシャ史まで追いかける羽目になった)。コンピュータを起動することをなぜ「長靴(boot)」というのか(これは意外につまんなかった)。幻といわれたダマスカス鋼の正体はなんだったのか(これは最近『日経サイエンス』に正解が出た)。「関東風のお節料理」の定番は何なのか(重箱は五段重が正式、というのを私はこれで知った。昔の人はホンダワラを食用にしていた、というのもこれで知った。で、よく見ればお正月の玄関飾りには、このホンダワラが使われているのである!)。「春の七草」のうちの「スズシロ」の正体は、じつは大根ではなくてスズシロナという別の植物ではないのか(これはいまだに結論が出ない)。
こうした「はっきり言って『普通の人』にとってはどうでもいい」ことを徹底的に調査する、というのが面白いのである。プロの研究者はこういう「業績になりそうにない」研究に首を突っ込むような真似はしない。これらは完全にアマチュアの仕事である。それなりの成果が出たら、何らかの形で発表してみるといい。また、この趣味の強みは(文章が書けないとちょっと辛いものがあるが)、仮にベッドから一歩も動けず、人と会うことが苦痛であってもなんとかなっちゃうという点にある。ASである、ということが比較的ハンディになりにくい、という利点もある。
こういう趣味は、いかがなものか。 所長
べつに喧嘩を売ろうとかそういった意図はまったくないのだが、ここ数日の私は武田好史さんに無性にツッコミを入れたい気分になっていたりする。
武田好史さんwrote:
> 人間は、この営みすなわち「哲学」を駆使して、200万年以上地球で生活し、
>今や宇宙へと飛躍しようとしています。
「哲学」、フィロソフィ、すなわち「知を愛すること」は、むしろ「内的な価値」に迫るものであって、そういった物質文明とは別次元のものなんじゃないでしょうか。ですから、
> 環境問題・食糧問題・平和の維持・真の人間らしいライフスタイルなど、私た
>ちの周りには探求を要することが山積みです。
というのも、どこか論点から外れているように思うんですね。これらの問題は、すでにテクノロジーの枠を越えて、「我々は何を選びとってゆくか」という「価値観」の問題に帰しつつあるように思います。
また、
> 「悩む・考える・工夫する・共有する」は、よりよい世の中を創る第一歩です。
とはいうものの、どんな世の中が「よい世の中」なのかというのが、哲学における問題なんだと思います。
ですから、私は
>今の日本がダメになったのは、きっと目先の利益の追求のために、「哲学するこ
>と」をおろそかにしてきたつけが回ってきたのだと思います。
という視点にも疑問を持っています。今の日本は、「とりあえず豊かになる」ことが良いことである、という「哲学」に基づいて努力してきた結果、その「豊かさ」に裏切られた結果として、そうした「哲学」に対する反省が生まれた、と見るべきでしょう。
> 私は、ASの人は「哲学をする」ために、この世に生きているのだと思います。
という意見は、前向きではありますが、正直言って疲れる考え方だと思います。ASの人間は「普通の人」にとっての「自明性」というものに疑いの目を向けざるを得ず、結果的に「哲学させられちゃう」面は確かにありますが。
たとえば、「君が代」「日の丸」がダメだという人の多くは、「なぜダメか」と質問されても「ダメなものはダメ」「そんなの当たり前でしょう?」程度の認識しか持っていないわけですよ。で、反対派の「君が代」「日の丸」肯定派にしたって、やっぱり「自明のこと」以上の理屈を持出すことのできる人はごく少数なんです。で、少数の「哲学」してるヒトたちさえもが、この「自明性」というところに逃げ込んでしまっているんですね。「国を愛する」ということがいいことなのか悪いことなのか。「いいに決まってるだろう! でなきゃ国が滅んじゃうじゃないか!」「悪いに決まってるだろう! だから戦争なんかが起きるんじゃないか!」といったところで、話は終わってしまうのですね。
たとえばの話、日本では公の場で『軍艦マーチ』を演奏することに差し障りがあるとされています。ところが世界中の軍隊の軍楽隊は、必ずといっていいほど『軍艦マーチ』をレパートリーに入れています。なのになぜ日本だけがダメなのか?
「軍国主義につながるから」「過去の忌わしい侵略戦争の歴史を(アジア近隣諸国の人々が/日本人が)思い出すから」「軍事力を持つこと自体が悪いことだから」「皇国史観につながるから」。いろんな解釈は成立つんですが、じゃあ日本は軍事力を持たなくていいのか、あの戦争を単なる「侵略戦争」と片付けてしまっていいのか(あるいは日本が侵略されちゃってもよかったのか)、だったら天皇制というのはいけないことなのか、自衛隊の存在をどう考えるのか、そういったことをなぁーんにも考えずに、ただ「『軍艦マーチ』はいけません」じゃどうしようもないんですよね。
われわれAS傾向の人間は、「自明性」に疑いを持っています。ところが「普通の人」というのは、自分たちの「自明性」をまったく疑っておらず、それをわれわれに押しつけてきます。だから、われわれは「普通の人」に「『自明性』を疑え!」と主張するんですが、彼ら(あるいは彼女ら)にとっては、『自分たちの「自明性」を数にものを言わせてマイノリティに押しつける』という方法は、じつに都合がいいんです。ですから、われわれの抗議は「あいつらはなんで当たり前のことに疑問を持つんだ?」といった形で、その中身を検討されることなく「迷惑なこと」に分類されてしまいます。
われわれはもっと、「底意地の悪さ」を身につけたほうがいいんじゃないだろうか、と思います。われわれには「普通の人」の「自明性」の矛盾を見破る目があります。だから、その矛盾を増幅して彼らに帰し、彼らの「自明性」を揺るがせてやるのです。かれらは「自明性」に盲目的な信頼を置いているがゆえに、こうした攻撃には非常に脆かったりします。
たとえば、私は「『軍艦マーチ』は反戦歌である。だから小学校で教えよう」とか言いだしちゃうんですね。
「守るも攻めるも鉄の 浮かべる城ぞ頼みなる」というのは、林子平の『海国兵談』を持出すまでもなく当然の話で、実際に攻めるかどうかは別問題です。「浮かべるその城日の本の 御国の四方を守るなり」というのも、海上保安庁の船が日本の海を守っている以上、当たり前のことです。「真鉄のその城 日の本に 仇為す敵を攻めよかし」というのも、相手が「日の本に 仇為す敵」である以上、「集団的自衛権」の行使に当りますからなんら問題はありません。
つまり『軍艦マーチ』は、「日本はあくまで日本という国を守るために軍事力を保持しているのですよ。どこかの他の国のように、侵略意図を持って軍事力を保持しているのではありませんよ」というアピールなのです。
こういうことを真面目に主張すると、「普通の人」は「そんな事があるものか!」と逆上してしまいます。「ダメなものはダメなんだ!」と。ですが、法治国家日本では、公式の論争のルールは「キレたら負け」なんですね。で、「じゃあ、なぜダメか」ということになると、そこで自分が足場にしていた「自明性」なるものがガラガラと音を立てて崩れてゆくのに気づき、パニックを起こしてしまうんです。
こうなると、立場は逆転します。「あの人は自分に都合が悪くなるとすぐ逆ギレしちゃうんだよな。」「暴力的な傾向を抑えられない人間って、いるんだよね。」「あいつ異常なんじゃないの?」みたいに指差される立場に立たされてしまうわけです。
「空気」と「多数決」に「論理」と「レトリック」と「情報操作」で対抗するという「マキャベリストのゲーム」に熟達しておくというのは、AS傾向の人間が世渡りをしてゆく際には有効なことだと思います。
私が練習台になろう。かかってらっしゃい。 (Mr.Moto)
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