アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
@PHOOさん
はじめまして。
この4月から小学校5年生の男子を甥に持つ者です。
その甥は若干の障害を生まれつき持っています。甥が今年に入ってか
ら心理的にかなり落ち込んでしまい、それはもう大変な状態だったよう
です。
甥のことは、私のサイトの取材として、甥の母親である姉と頻繁に話
をすることがありましたが、今回のこの件でショックを受けてしまった
私は、確かに甥は落ち込みから立ち直りつつある中、未だに姉とは話す
ことができていません。
…落ち込んでいた時の甥は、大昔の私と全く同じだったからです。
すでにななはさんからのRESにもありますが、百戦危うからずのた
とえのように、どのような抗不安薬を処方されているか、その辺りから
攻めてみられてはいかがでしょうか。
お子さんは朝の立ち上がりが弱いとのことを拝見させていただきまし
た。ひょっとして、その「抗不安薬」というのは、CG202という刻
印がなされているのではないでしょうか。
この私のメールアドレスの「@」の前のcg202もそうですが、この刻印
を持つ薬は、抗不安薬ではないのですが、リタリンというADHDに効
果があると言われている薬で、この私も、気づけば満2年にわたって飲
み続けています。
もしよかったら、こちらをご参照ください。
http://homepage1.nifty.com/CG202/mydrug/cg202.html
それはさておき、どちらにしても、どんな薬か不明で、しかもどう飲
ませるかはっきりしない物を、しかもお子さんに飲ませるというのは、
インフォームド・コンセントという難しい言葉を持ち出さないにしても、
私の姉なら病院や保険調剤の薬局に怒鳴り込むほどの見過ごせないこと
です。調剤ミスの恐れも医療事故多発の今では無視することができませ
ん。姉の怒りに触れた薬局に閑古鳥が鳴くほどのことが起きています。
抗不安薬ということで、その副作用がお子さんにどう及ぶか、それも
心配になっています。すでに大人であったこの私でさえ、一時期飲んで
いた抗不安薬の副作用には辟易していました。
http://www11.freeweb.ne.jp/family/ms25/index.html
皆さんお久しぶりです。JETです。
昨年末からの体調不良は依然として続き、つい先日、インフルエンザ
に罹ってしまって半死半生の状態で入院の憂き目に遭いました。
内科で入院したのに、主治医の熱血治療のせいか、退院する時には精
神科扱いになったということもありましたが、それでもなんとか生還で
きたことはうれしく思っています。
入院中に、何気なしに新聞の広告で見た本をオンライン書店に注文し
て読みました。
「恋愛できない脳」(原書房・1800円+税)という本です。
レンアイについては、ずいぶん前にこちらの掲示板に投稿させていた
だきましたが、私が物心ついてから抱いていたレンアイに対するわだか
まりというか、ソーシャル・スキルのなさに起因する謎であった部分が、
この本を読んでいて、ほんの少しですが氷解していくのを感じました。
でも、こういったことを入院先のベッドの上で考えるというのは、心
理的に若干つらいものを感じましたが、この機会を与えてくれた入院中
の数日間は決して無駄ではなかったと思っています。
http://www11.freeweb.ne.jp/family/ms25/index.html
Xanadii wrote:
>> 中国語では「障害者」は「残障者」になるそうです。どーですかねーこれ。
日本のろう者が用いている、「日本手話」では、「障害者=骨を折る仕草+人々」となっています。
突然ですが、今になってこの問題を蒸し返すのもどうかと思われるのですが。
といっても、世間ではあらかた意見が出尽くし、新味がないと思われる向きもおありかとは思うのですが。
私はやっぱり一生この問題にこだわってゆきたい。
ここでは過去ログを見ても、まだこの哲学的命題が語られていると思われるものがなかったもので、ここに今一度、問わせていただきます。
なぜ人を殺してはいけないの?
「じゃあおまえは殺されてもいいのか」といった類の、単なる表層的混ぜっかえしはなしで。ルールはこれだけ。
これに関して私が考えてきたことなんだけれどね、まあひとことで言えば、「私は「人を殺していい」という世界では生きていたくはないし、明日一秒たりとも生きてはいられないだろう。これは回答のひとつ。答えは多分ひとつじゃない。あなた自身の答え、理論の展開を聞きたいのね。
さっきの私の回答だけでは不足だとしたら。私は今までの人生、「今度会ったら殺してやりたい」と本気で思う相手が、少なくとも3人はいるんですけどね(当館に当該者はいませんからね!)、だからといって殺したからって、私の汚された自尊心が戻ってくるわけではない。だから殺さないってだけの話。
まあ殺して何の得になるかって話にもなってくるのかもしれないけれど。ほら、日本には、例外的に許された殺人ってあったじゃん?いわゆる「私的復讐権」、「仇討ち」ってやつ。あれ現在では、おそらくは時代にそぐわないって理由その他があって削除されたのだろうけれど、西洋諸外国が介入してこなかったらあるいはそのまま残っていたらと思うと...。「殺人」って形じゃなくてもたとえばすっ裸にして町ん中ほうり出すことを許す!とか、ああこれじゃ別の犯罪になっちまうか(笑)。こうなってくると「必殺仕事人」みたいのがいてくれないかなーってなってくるけど、法で裁けぬ相手を、天に替わって...ってやつね。これいまでも結構ニーズ高いし、探偵事務所なんかがやってるのかも。ただ昔の仇討ちっていうのは、個人のエゴではなく、親のためわが主君のため、亡き者の尊厳のため...という大義名分が存在したと、習った気がする。しかも、ちゃんと役所にしかじかの訴状を提出した上でね。いまの「殺し」は、秩序がない。
あとは結局、殺そーと思えば殺せるし、そういう能力も備わってはいるんだが、行使しないだけって考えもあるのかな。能力っていえば、酒鬼薔薇少年の「僕には人間を2度殺す能力が備わっている」なんて思い出すけれど、そういう能力って普通じゃないかなあ。2度「生かす」っていうんなら、これはもう人間を超えたものとして認定され得るだろうけれど。まー私の頭脳を駆使していえる「殺しについて」観とは、かようにチャラいものです。
えっと本日最後になりますがKILROYさん、いやMr.Moto(呼び捨て風になったのはなにも敵意があるわけでなく、みすたー・なんとか「さん」ってのも変だと思った訳)でしたっけか、以前の女性差別なんとやら、の部分もしかして私に振ってらっしゃったのですかね。いろいろとこちらの都合でレス遅くなってしまうもので、ケンカも間延びすることはなはだしく、失礼申し上げるのですが(あ。ケンカっていってもね、私KILROYさんの主張していることはすべて、けして個人攻撃ではなくおのれの美意識をもってご自分の項を読む人すべての意識に働きかけようとしておられるのだろうと了解している訳だから、そもそも腹の立てようがないのですけれどね)、ええまあ私は特にインテリでもなければ「いわゆるフェミニスト」でもないことは、ご了解のとおりです。何となれば人間のポンコツ、自己診断名ADD/AS、貴方がエキセントリックスであれば私めはせいぜいリディクール(無能の人、でくの棒)とでも自称いたしましょうか。
勉強不足で申し訳ないのですが、中里介山の「大菩薩峠」には、たしか女人相撲についての描写があったと記憶しているけど(話中では巨体の美人力士対盲目の男達という、世にもおぞましく怪奇な相撲試合の様相が展開している)、そもそも土俵が「神聖」であるっていうのも、もしかして近世以降の考え方なんではないでしょうか。男であろうと女であろうと相撲取りは肥満の巨体、つまり「フリークス」(畸形)によっておこなわれるもので、不可触とされた人々の生業のひとつであり、「聖別」された儀式として完成されていった、というのが真相なのでは?
ま、女性の「穢れ」ということなんですが、ミもフタもないこと言っちゃえば私毎月の生理なんて、もううんざりだしこれさえなければっていつも思うよ。人間が変わっちゃうのよね。穢れというより何らかの化学的作用を、脳の内側で感じる。もう毎回、影響の出る部分が違うのね。きっと私の場合、黄体ホルモンの出すぎね。私さあ、ほんとは自分が女だってバラすのはあんまり賢いことじゃないとは思ったんだけれど。でもMr.Motoの言うとおり、女が全部無防備で、異常な男をみんな排除していっちまったら、あとに残るのは腑抜けばっかりになっちゃうでしょうが。男女論っていうのは私のごときリディクールには予言できないことばかしだけれどね。でも理想はやっぱり理想のままにしておくほうがいいみたい。
あ。最後まで読んでくれた方なんているかどうか分からないけど、最初のテーマのほうのやつどうかよろしくね。
武田好史 さんwrote:
>あなたが見た夢で、奇妙だったものには、どんなものがありますか??
最近は見ないのですが、10年くらい前までは以下のような夢をよく見ていました。
1.町中を歩いている。自分以外には誰もいなくて寂しい感じ。どこかに向かっているのだが、なかなか行き着かず、同じ道を何度も行ったり来たりしている。
2.1とほぼ同じシチュエーションだが、歩いているとき、両足が後ろから引っ張られているかのように重く、なかなか前に進めない。
3.口の中で歯がくだけて口の中いっぱいにあふれ、じゃりじゃり言っている。
4.場所はたいてい教室。ひとりだけ仲間の輪からはずれている。
5.好きな相手からにらみつけられたり「迷惑なのがわからないのか」などと面と向かって言われたりする。
6.家族と仲良くしている。
2と3は思い出しても嫌な感じ。
最近はなぜか知らない人や芸能人と仲良くしている夢をよく見る。
あと、一生懸命起きようとしてるんだけど起きられない夢というのもよく見ます。
空を飛んだり神秘体験をするような夢は見たことないなぁ・・・
武田好史 さんwrote:
> 戦時中の日本の歴史で重視しなくてならないのは、「どちらが悪い」ということではなく、
事実関係については
いっそのこと、両説併記して「どちらが正しいかと争われている」と解説すればいいのじゃ。
戦時中のできごとが歴史的事実であるのと同じくらい、
そのことについての責任問題を50年以上も引きずってあーだーこーだやっているのも歴史的事実。
どのような観点に立った主張であれ、
「子どもたちに正しい(または「真実の」)歴史を!」などと言ってる人たちの存在にはぞっとします。
絶対的な「正しい」とか「真実」なんてあるのかい?
もう買ってしまいましたか?息子さんの生活用具。そうですよね。4月ですものね。
武田好史 wrote:
> 明日のNHK教育テレビ「にんげんゆうゆう」(19:30)は、ASの子供たちのことを特集するようです。親御さんはぜひ見てみて下さい。
見ました!!
教えてくれてありがとう。
武田好史 wrote:
> 明日のNHK教育テレビ「にんげんゆうゆう」(19:30)は、ASの子供たちのことを特集するようです。親御さんはぜひ見てみて下さい。
はい。私“親”でありながら親の仲間には入っていけない“本人”なのですが
・・・見ました。
自然な感じがとっても良かったです。
嘘偽りのないストレートさも良かったです。
ありのままが伝わって来て、画面の前でうなずきながら見てました。
アスペの会に拍手です。
久々に杉山先生のお顔も拝見できてちょっと嬉しいMebiusでした。
大切なのは教科書の内容量ではなく、「学び方」なのではないでしょうか。
いちから十まで手っ取り足取り教えるのは、学びはじめ、学びたての子供たちにとっては、最重要項目ではあるかと思います。教科書はあくまでそのための手引書、教師は子供たちの、みずみずしく、あくなき知的欲求心の火付け役であるのが理想でありましょう。つまり「なにをいかにして学ぶか」を、段階を追って子供たち自身に考えさせ、目をひらかせるのは、教室を出発点として、人間社会すべてがフィールドなのであり...ありゃなんか私、あたり前のことばっか言っちゃってるよな。でも、私も自分が学ぶ年齢の子供だったら、「教科書を信じすぎたり、あてにするな」という言葉も聞きたかったよ。だってさあ、大学はいったとたん、「義務教育ってやつはいったい何を教えているのか」なんて、あたかも私ら(ここでいう私らとは、まかり間違っちゃって学士を志した連中のことね)のせいであるかのように、教授は嘆かれておられてね。ま、よく言われるように大学っていうのは「世の中」じゃないんだから、こんどは社会人になってからこっち、大学流ってやつも振るわなくなってきて、私みたいのはあっちでもこっちでもやっかい者扱いされていくことになるのね。ありゃ愚痴になっちゃった。
とにかく「新鮮さ」「学究心」だけは失われることのないように、ウソを書いたんなら書いたなりに、どういった歴史的必然性があったのかを、ちゃんとわかるように説いていくのは生きた「からだ」、つまり教師たちな訳だからさ。私はむしろそっちのほうが心配だよ。いまどき常識も知性のかけらのへったくれもないような、へんな奴が多いからね。
...あ、教科書の話なんていうから、自分が数学の成績がLDなんじゃないか?てぐらい絶望的で、追試2度受けたこと両親に言えなかったり、大学入試(いにしえの共通一次ね)で自己採点結果23点だったりしたことを、思い出してしまった...こんな私に教育をどーたらいう資格など、ありませんでしたね。
今なんて教科書もテスト用紙も、紙質なんて世界最高でカラーで、他国から見ればうらやましい限りなのに。私だって教科書の内容の方が貧弱で、あけてびっくり、なんていうのは悲しいけれど。逆に歴史の流れとともに教科書が複雑精緻になってゆくっていうのは、可能なもんなのかしら。
教科書編纂者がAsならばあるいはね?結局その流れか(^-^)。
風鈴 wrote:
>来週には息子を北海道に送り出す為、ここ数日その準備に追われながら・・・
>なんか無性に淋しくなってしまって・・・荷造りしていても、生まれた頃からの思い出が走馬灯の様に駆け巡り、涙が溢れてくるのを悟られない様にするのが精一杯の毎日です。
風鈴さん、こんばんは。
息子さん、一人っ子なのですか? なんだか私、淋しい気持ちわかります。
私も息子をどこかに山村留学でもさせた方がよっぽどいいのかな〜、なんてずっと考えてましたから・・・。
(北海道には結構あるんですよ。自然に恵まれた(恵まれすぎた?)過疎地域で廃校寸前の学校。)・・・でも私には出来なかった。・・・心配だし淋しいし。
今だって、息子の将来の事、高校はきっと地元の学校だし、大学だって家から通えるところがいい〜!・・・なんてね。
(そういえば、我家から通える範囲にある唯一の大学は国立だった。(^^;) )
ま、それはさておき、北海道・・・よいところです。
私は20年前に一人で北海道へやって来て、人生が変わりました。
大きな北海道の自然に身をまかせてみたら、いかに人間というものがちっぽけなものであるかがよくわかります。
所詮、人間など自然の威力にはかないません。ぜひ長期の休みなどには北海道を訪れて、疲れた心をリフレッシュなさると良いと思います。
息子さんにとっても風鈴さんにとっても、きっと良い事がありますように!
息子さんの北海道生活、陰ながら応援しています。
久々に書き込みました。
でも、風鈴さん、もうそろそろ忙しいのに読んでる暇あるのかな?
ま、いっか! 陰ながら・・・という事で。
−Mebius−
はじめまして、4歳と2歳のむすこをもつ30歳のははです。
実は長男の幼稚園にもASらしき・・(まちがっていれば申し訳ないのですが)
お友達がいます。ただ、その子は悪気はないにしろほかの子供たちをたたいたり、
帽子をバスの窓から投げたりします。大人からみればしょうがないな・と思えるのですが、正義感の強い子供からすれば悪い子、自分をいじめることおもっているようです。
むすこが・・ちゃんはなんであんなことする?ってきかれたのですが、
私自身こたえられませんでした。
私自身勉強不足、理解不足です。これからこういうことがたびたびあると
思います。むすこたちには正しことを教えていきたいのですが、
なにかよい本などありませんか。
あつこ wrote:
>こんにちは
>いつも皆さんの書きこみを読ませてもらっています。
>お聞きしたいのですが、どなたか福岡の方で AS に理解ある
>先生をご存知ないでしょうか?
>福岡方面の情報をさがしています。
>よろしくお願いします。
院長先生やスタッフに話しを聞いてみました。
病院名 野添病院
住所 福岡県久留米市藤山町
TEL 0942-22-5311
ASと診断した患者はいるらしいです。
治療は通院の場合130人いる患者を班分けしてあり、
班活動をしたり、
午前、午後で心理教育、社会技術訓練、話し合い、カラオケ、習字など etc...
のプログラムが組んでがあり、曜日ごとに変わります。
気の合った仲間で一日中話しをしてる人達もいます。
全国レベルで上位の病院らしいです。日本各地から見学に来りしています。
ASに関しては治療の難しい病気であると話しておられました。
私自身はASとは診断されていません。
ゆーり wrote:
> 「害」は「公害」「被害」などに使われてイメージが悪いという
> 考えに基づく。”
>
>ひらがなに変えたって、使ってるもとの言葉がおんなじなんだから
>意味がないのでは?と思ってしまう。
>だいたい、そんなのけちなごまかしじゃないのか?
>漢字の間にひらがなが入ってるのも変な感じで落ち着かない。
>日本語としてキレイじゃない。
ほんとそうよね。
「障害」というのは、熟語として既存のものなのだから、ひらがなにしたからどうなったって言うんでい! という抗議の手紙は、、早速次の日から新聞社に舞い込んでいることだろうから、あえて追求しないことにして。
大体さあ、新聞社の表記って、おかしなものが多すぎるんだよね。『いわゆる「日本人妻」』だの(ああこりゃテレビの謂かあ)だの覚醒剤を「覚せい剤」ってゆうのも。私はこれらの表記が使われ出した起源というものを知らないのだが、インテリの層の間でのご都合ってやつで、その言説が直接かかってくる対象(人間)と、その報道に関わる自分たちの社会的引責がどーたらこーたらいうのが、本音の部分だったりするんだろうな。
彼らとしちゃ「十分な配慮と検討を重ねた結果」のつもりなんだろうけれど、なに、『障がい者』だって?語感からしていかにも「あんたがたは特殊なんですから...」てな感じで気ん持ち悪い。それともわれわれはバカだから漢字が読めないとでもいうんでしょうか。「害」という字が人に向けられた時点で、「おまえ普通じゃない」という意識があるのは十分明白なんですから、堂々と使えばいい。それで職失う覚悟もないような奴らに、仕事してほしくないよほんと。
ご参考までに。
中国語では「障害者」は「残障者」になるそうです。どーですかねーこれ。
皆さん、どうもありがとうございました
あれから、相手は何も言ってきませんでした。
パソコンソフトは、有料・無料に関わらず、損害の補償はないとのことです。
現に、私の使っているWindows2000の契約書(?)にも「免責事項」が書かれていました。
病院とかのコンピュータ・システムも無保証で危険なものなのでしょうかね?
以下は、『コンピュータと数学教育』(別冊・数学セミナー、[コンピュータと数学]6、日本評論社、1985)の「LOGOと子供たち」(戸塚滝登(とつか・たきと)/氷見市立湘南小学校)よりの抜粋。
+ + +
YY君は小学校2年生だが、算数の力がごく弱い、IQの面で境界線児童だと思われていたこともある。授業中にも落ち着かず、10分と机にじっとしておれない子だと言われていた。
YY君はLOGOを先生と一対一で習いはじめた。床の上に形を書き、その上を歩き回っては身体でプログラムを考えていくのである。歩きながら、「えーと、まえ4ぽだったよ。」とつぶやき、忘れないようにチョークで床にそのまま書き留めていく。授業中もそうだが、あまり物もしゃべらず、初めのうちはしぶしぶLOGOと関わっているという感じだった。
ところが、授業を始めて5日目、ついにこんな事が起こったのである。以下はそのときの記録からの抜粋である。
『(YYは5日目にしてようやく正方形をLOGOで作り出すことに成功した。)YY児は手をたたきながら画面を見つめている。と、「今度、三角、書いてみる」と大声で言い出した。自分でチョークをつかむと、あっという間に床に三角形を描いた。すぐ計り出す。頂点の曲がり角に来ると、「先生、早く分度器かして。」とさいそくする。足もとにかがみ込むと一身に向きを測っている。……(中略)ついに独力で三角のプログラムを作り上げてしまった。彼はこれに「さんかく」と名前を付け、メモリーにしまいこんだ。この時点で教師は「もっとたくさん三角形を描くやり方もあるんだよ。」とくり返し命令を教える。YYはこのプログラムを実行させてみる。(すると図7のような絵があらわれた)(註:原書ではここに図。いわゆる「三つ鱗」の形)
「うわぁーっ、これっ、先生、これえ、三つ山だよ。三つ山だよっ!」と大喜びする。
このあたりから、YYの「かめ」に対する態度が一変し始めた。急にとりつかれたような雰囲気になってしまった。たいへん親しみをこめた言い方で、(教師にではなく)コンピュータに<向かって>(原文傍点)こう言った。「今度、四角を3つ書いてみるからね。」そしてうまく四角を3つ描いて見せた。
この結果を見つめながら、YYはふいに気がついたようだ。息をはずませながら、「あ、4つえがけば田んぼになるよ。」と言うが早いか、たちまちプログラムを考え出し、田んぼの形を見事に作り出してしまった(原文ではここに図)。画面を指さしながら、「これ、田んぼという名にしてやろうよ。ねえ先生、(と、真ん中の部分を指さし)ここに、「‖」形のイネ植えたら田んぼになるよ。」としきりにつぶやく。「先生、もっと書ける、ぼく、もっと書ける!」と、座ったまま、椅子ごと身体をゆすって興奮している。(いろんなものが描きたくって頭が一杯なのだろうか、あまりに素晴らしい笑顔なのでえ、筆者はここで一時、記録を採る手を忘れてしまったほどだった。)』
この時点で授業開始後1時間半近く経過していたのだが、その間に教師の介入は合計で10分にも満たないほどであった。あとはすべてYYが自分だけで学習を進めたのである。10分と机にじっとしておれない、と言われたYYを知る大人たちにとって、彼がまさかこれだけの長時間にわたって一つの事に熱中し続けたとは信じ難いことだった。
結局、YY児はLOGOのカリキュラムの第1段階を終える7日間に、角度の初歩概念を理解し、基本図形の初頭的性質のいくつかを独力で発見さえしてしまうのである。(ちなみに、角度や図形の性質は現行の指導要領では小学4年生にならないと出てこない教材であることにも注意されたい。)
PHOO wrote:
>不登校気味の小4男子(医療機関でADHDと診断されています)の
>母です。
>この掲示板はよく読ませて頂いています。
>環境の変化に弱い彼は新学期は落ち込みます。
>医師から抗不安薬(薬の名前は解かりません)を頂いています。
>朝飲ませても、夜飲ませてもいい。と言われているのですが、
>朝立ち上がりの悪い彼には、いつ飲ませたらよいのでしょう?
こんにちは、ななはと言います。
まず、お子さんがまだそんなに大きくないので、いわば先生との橋渡し役
はお母さんである PHOOさんじゃないですか、それなのに薬の名前が分からない
とかおっしゃるのが信じられません。ネットでもなんでも記号だけでも
薬を調べることが出来るじゃないですか?ネットもされてるんだし。
分からない薬を飲ませて不安じゃないんですか?
飲ませるのも、体調や個人差があるので、やっぱり先生とお母さんとお子さんが
よく話し合われて検討されてはどうでしょう?
あまりにも無防備・無知な感じがします。きつく聞こえたらごめんなさいね。
でも、一番お子さんを守れるのがPHOOさんだと思いますから...。
武田好史さん wrote:
> 今日文部科学省から、小中学校で使用する教科書検定の内容が発表されました。
ぜんぜん関係のない話だけれど、私は武田好史さんをずっとタケダコウジさんだと思っていた。「よしふみ」さんなんですね。失礼しました。たしかに「史」に「ジ」の読みはない。
で、教科諸問題である。
じつのところ私は小学校の理科の「教科書」に関してはそれほど心配していない。むしろ教師の側の資質や教材の選び方のほうを問題にしたかったりする。トノサマガエルとトウキョウダルマガエル、モンシロチョウとスジグロチョウの区別もつかん奴に理科を教えられても困るのである。トノサマとダルマは確かに見分けがつきにくいが、「紋白蝶」と「筋黒蝶」はそのまんまなんだから。
植物の数が三種に減ったというけれど、イネとダイズを題材に単子葉植物とマメ科植物くらい真面目にやっときゃ後はどうとでもなりそうな気がする。
「月の満ち欠けの写真は2枚まで」とか言うけれど、ただ写真を並べておけばいい、みたいな安易な姿勢を批判する意味で、悪くない判断だと思う。私だったら実際の月の写真は一切載せずに浮世絵から夕方の月と朝方の月を持ってきて解説する。「十五夜お月さん」とか「立待月」「居待月」「寝待月」「十六夜(いざよい)」「上弦の月」「下弦の月」なんていう言葉の意味や、「晦日(みそか)」「望月(もちづき)」の「晦」「望」にどんな意味があるか、みたいな話は「理科」ではない、みたいに思っている固定観念はブッ壊したほうがいい。
> 算数では、「円周率は3」ということになるようです。こんなの「π」でよいと私は
>思います。普段はπで計算して必要に応じて3.14を代入してやればよいのです。
あいにく「記号」という概念は小学生向きではないんですね。「円周率」は「円周率」で教え、手計算のときは3を使い、電卓を使うときは3.14を使う、という指導法になるようです。高校時代の天文部の顧問だった冨田先生は、授業中に円周率を3で計算し、「おかしい。教科書の数値と合わん。」とか言っておられたので、実害はなさそうに思います(^_^;)。ちなみに私は概算のときは「三を掛けてから二十分の一だけ増量(三・一五)」を基本にしています。ついでながら、「産医師異国に向こう、産後厄なく、産婦御社(みやしろ)に、虫散々闇に鳴く、お礼には早よ行くな」で小数点以下三十九桁(^_^)。ロサンゼルスに行ったときに向こうの航空エンジニア(女性)の前でスラスラッと書いてみせたら、「サンタ・マリーア!」と叫んでおりました。日本人おそるべし(^_^)。
それより問題は小学校の算数のカリキュラムなんですね。遠山啓さんの「水道方式」による「二・五進法による加法の指導」「ゼロおよび繰り上がりのある・なしによる三桁+三桁の加算問題の分類」「一般から特殊へ/特殊から一般へ」「数え主義の追放/量による指導」とかいった指導理論が、いわゆる文教族との派閥争いによって教科書から退けられていて、その結果算数の学力が「押えこまれた」形になっており、それを解消する形で「公文式」が勢力を伸ばしてきた、という現状があったりするわけで……この「水道方式」による算数の教科書である『わかるさんすう』の採択問題については調べてみると面白いと思います。
ついでながら人工知能の分野では、「子供はいかにして足し算を間違えるか」をコンピュータでシミュレートする「バギー」というプログラムがありまして、問題と計算結果から、「この子は足し算アルゴリズムのこの部分が理解できていない」みたいな原因を突き止めることができたりします。
ほかにもシーモア・パパート教授が開発したLOGO言語によるコンピュータ指導が発達障害児教育に効果を発揮し、ADHDでとにかく五分と机に向かっていられなかった子供が一時間以上もコンピュータにかじりついていたとかいった話もあり、安野光雅さんの『はじめてであう すうがくのえほん』やらピアジェの『発生的認識論序説』やら……くそぉっ! とにかく山ほどの歴史資産が小学校の算数教育に関してはあるというのに、文部科学省(旧・文部省)および文教族の縄張り意識のためにそれらが活用されとらん、という現状があるのをマスコミはなぜ黙っとるんだぁぁぁあ!と、私は十数年来怒っておるのですね。
ところが障碍者向けのユーティリティ・ソフトウェアや発達障害児向けの教育ソフトウェアを開発したいと言えば「儲からん」と邪魔をされ、水道方式に基づく算数教育用のソフトウェアを開発しようとすれば「お上のすることに逆らうな」と足を引っ張られ、「ええい、いつか見ていろ俺が福祉と教育ソフトの世界に革命を起こしてやるうっ!」と拳を握っとったんですが……まだ夢は捨てとらんぞ(-_-メ)。
この件についてはフォローの書込みが必要かもしれない。続報を待て 所長
みどりちゃん wrote:
>私自身はこのままでいいけど、
>世の中がもうちょっと変わってて、ASなど少数派へ
>の配慮がなされているといいなぁと思います。
>
>・・・ってことで、全く別の人生は望まないけど、
>今よりちょっと楽に生きられる世の中であって欲し
>いです。
>むしが良すぎるかしら?
なるほど、自分が変わるのではなく、世界が変わっ
てほしいということですね。確かに少数派が多数派
に一方的に合わせていかなければならない世界は疲
れますよね。
いわゆる「普通の人」との同化にえらい時間をか
けてしまったわたしも同感です。
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