アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
Mariaさま wrote:
> あたしは「アダルト・チルドレン」という概念を一般化したウォイティッツという人が大っ嫌いです。確かに観察力はあるかもしれないけど、「人に対する優しさ」っていうか、「思いやり」が欠けてると思います。
> (中略)
> あたしは、おかしいのは世の中のほうだと思います。
同様一通、って感じです。
ただ、私って、それでも、世の中の「普通の人」を
攻撃するわけじゃないんですよね。大事なのは自分だし。
世の中の「普通の人」たちに、「アスペの価値観」
を持たせることは、たぶん無理だし、
理解してもらうことさえ、難しいと思っています。
今日のNHKスペシャルによると、最近、各国がしのぎをけずっている人間の遺伝子情報の研究に対して、次のような問題が生じたようです。
1.日本のある医療機関が、患者さんの承諾を得ずに、採血した血液を遺伝情報の解析に用いていた。
2.アメリカの政府機関が、中米パナマの先住民族の人たちから「検診のため」と偽って成人T細胞白血病の遺伝子研究のための血液サンプルを収集し、発見した遺伝子の特許をとった。
3.カナバン病という神経疾患の遺伝子に関する情報を、アメリカのある病院が特許で独占してしまい、他の病院は特許料の契約をこの病院と結ばない限りカナバン病の診療ができなくなってしまった。
自閉症やADHDが「遺伝性疾患」だった場合、将来その遺伝子を巡って、いろいろな問題が生じてくることは十分にありうることだと思います。
例えば、ある企業がADHDの人から神経伝達物質の「レセプター」の変異に関する遺伝子を見つけだして、それに特許をとってしまった場合、リタリンに変わる次世代の抗多動剤の開発に何らかの悪影響が及ぶかもしれません。
また、言葉を話せないような重い自閉症児の親御さんが、「正常な子が欲しい」あまりに、遺伝子診断で次の胎児に同様の症状の遺伝が発見された場合に中絶をしたりということも十分にありえ、障害者としての尊厳が冒されることになりかねません。
遺伝情報の管理はどうあるべきか?我々は遺伝情報に対してどのように向き合っていったらよいのか?一つの企業が遺伝情報に特許とって利益を得るということは許されるのか?といった問題は、遺伝病の可能性がありうる自閉症・ADHDの当事者にとっても無関心ではいられないと思います。
みなさんはどう思いますか?
ひろた さんwrote:
>皆さんはここのことを普段の日常で生活を共にする誰に話してますか、(いつか)話す用意がありますか
>それは聞かれたら答えるというスタンスですか それとも聞かれなくても教えちゃうって言うスタンスですか
>ここに皆さんの生活を共にする知人が入ってきたら(あるいはすでにいることが分かったら)非常に困りますか、ただなんとなくすごくはすかしくて困ると言うだけですか?それとも誤解や嫌悪感を相手に覚えさせる事なく誘えるものなら積極的に誘いたいと思いますか
職場で隣の席の同僚には少しだけ話しています。
(こういう掲示板があって、そこに参加しているというくらい)
わたしは、思いついたことは口に出さないと落ち着かない性格なので、
聞かれなくても(さらに言うなら、相手が聞きたがらなくても)
気が向いたら話しています。アスペルガー症候群というのを説明するのが
難しいので、なかなか上手く話せませんが。
知人がここに来ることについては・・・人によります。
その人が、冷やかし半分で見に来て、みなさんを不快にするようなことを書いていったとしたら
わたしは自分の責任のようにはずかしく思うでしょう。
この掲示板を見たことでアスペや、人との関わりで違和感を持ってる人たちへの
理解を深めてくれるのならいいのですが。
そのようなことをしない人であると見極めがついた人なら誘うかもしれません。
あたしは「アダルト・チルドレン」という概念を一般化したウォイティッツという人が大っ嫌いです。確かに観察力はあるかもしれないけど、「人に対する優しさ」っていうか、「思いやり」が欠けてると思います。
ウォイティッツが挙げている、アダルト・チルドレンの十三の心理的特徴、っていうのを見ると、なんか、すごく腹立ってくるんですよね。
1)「正しいと思われることに疑いを持つ。」
あたしたちは、理屈抜きで「正しいこと」を押しつけられる立場です。それに疑いを持っちゃ悪いんですか? 「世間の常識」みたいなものを背景にした、「『正しい』んだから、正しいんだ!」みたいな主張を、ぜんぶ認めなきゃいけないんですか?
2)「最初から最後まで、ひとつのことをやり抜くことができない。」
他人から注目されるのが苦痛なあたしたちには、「完成恐怖」というのがあります。何かが「できる」ということは、すごく怖いことなんです。「他にできる人がいない」とかいって、面倒なことを押しつけられるのが日常的になっちゃってる人間にとっては、「あんたたちは、『できない』んじゃなくって、『やろうとしない』だけじゃないかっ!」と怒鳴りたくなってしまいます。
3)「本音を言えるようなときに嘘をつく。」
だって、「本当に正直に言っていいんだよ」とか言われて、本当のことを言うと、必ず痛い目にあうんだもん。それって、あんたが信用されてないってことなんだよ! 判ってる?
4)「情け容赦なく自分を批判する。」
だって、「あんたはどうして普通にできないんだ」「あんたはダメだ」とかいってずっと虐められてきたんだもん。居直るっきゃないじゃない。
5)「何でも楽しむことができない」
「普通の人」たちは、あたしたちの楽しみを理解できない。
6)「自分のことを深刻に考えすぎる。」
だって、あたしたちは「普通にする」ことができないんだもん。いつも自分の行動を、「世間一般の規準」と比べながら、「これでいいのかな? これで大丈夫なのかな?」と思いながら生きてきたんだもん。それってあたしたちのせいですか?
7)「他人と親密な関係を持てない。」
自分に「普通」を強要する相手となんか、仲良くできない。だけど、それを相手は「親しい人間として当然のこと」として強要してくるんだよね。
8)「自分が変化を支配できないと、過剰に反応する。」
「普通の人」というのは、自分のとって「あたりまえ」のことを、勝手にやっちゃうのである。で、あたしたちがそれに意義申し立てをすると、「変なやつがまた変なことを言ってる」とかいって無視しちゃうのである。そういうのに腹を立てると、こういうことを言われる。
9)「常に承認と称讃を求めている。」
あたりまえである。あたしたちが「ふつうのこと」と思って何かをすると、「××の分際で」みたいな形でぶち壊されちゃうからだ。あらかじめ根回しをしておくのは当然である。
10)「自分と他人とは違っていると思っている。」
あんたバカじゃない? 違ってるから「アダルトチルドレ」
11)「過剰に責任を持ったり、過剰に無責任だったりする。」
「普通の人」の責任感というのはどっかおかしい。責任とは、義務と権利の関係である。「普通の人」は、「権利をできるかぎり行使して、義務からは逃げる」ことばっかり考えている。あたしたちは「義務を果たしたのだから、権利を行使させてほしい」と言っても、受入れてもらえない。
12)「忠誠心に価値がないことに直面しても、過剰に忠誠心を持つ。」
……「筋を通す」とか「節を曲げない」とかいっても欧米人にはわかんないんだろな。
13)「衝動的である。行動が選べたり、結果も変えられる可能性があるときでも、お決まりの行動をする。その衝動性は、混乱や自己嫌悪や支配の喪失へとつながる。そして、混乱を収拾しようと、過剰なエネルギーを使ってしまう。」
ずぅーっと我慢してきたことを……じゃないな。ずぅーっと我慢させられてきたことに対して意義申し立てをするのを、「衝動的」の一言で片付けちゃうんですか? 自分の都合が悪くなったらコロッと態度を変えて、それを非難したら「つまんない事にこだわる奴だ」みたいに相手を責めるっていうのは、そういうの「卑怯」っていうんじゃないですか? だいたい、あたしたちに「秩序を維持する」っていう役割を押しつけてきたのは、「普通の人」たちじゃないんですか? それって「病気」だったり「悪いこと」だったりするんですか?
あたしは、おかしいのは世の中のほうだと思います。
−Maria−
文月立斎さん wrote:
ご意見ありがとうございます。
誰に向けて書かれたものかはわかりませんが、
アルペの特性のままに、自分のことと受け取ってリプライします。
>あとディベートやるのは書き込む方のポリシーの差異だと思うし、私も煽るようなことを書いた手前、何様のつもりだと指摘されることを覚悟で言うんですけど、少なくとも私は望んでないんです。
ディベート=特定のトピックに対し、肯定・否定の二組に分かれて行う討論。
ディベートというのは、
「まず肯定・否定ありき」で、相手を言い負かすことが目的です。
しかし、アスペの人で、そんなことに関心を持つ人は少ないはずです。
自分の言いたいことは、ずけずけ言うけど、
「他人を攻撃する」ことは目的としていないと思います。
ちょうど、犬好きと猫好きの「論争」に似ているところがあります。
もちろん、アスペの人は、「猫好き」のほうです。
http://www.interq.or.jp/kyuushu/dgoto/dec99c.html
より:
>犬好きと猫好きで論争をすると、いつも猫好きの私は旗色が悪い事が多く、あまり論争したくありません。
>
> 両方好きって人はいいんですが、犬だけが好きって皆さんは、概して猫の欠点をあげつらうことが多く、曰く『冷た
い』『恩をすぐ忘れる』『目つきが悪い』『泣き声が赤ん坊の泣き声みたいで気持ち悪い』『化けて出る』
>
> そういう時、猫好きの方は犬の欠点など攻めずに、ひたすら猫の弁護に終始しますね。
> どうしたわけか、いつもこの調子です。
>
> これまで、猫好きが犬の欠点を列挙して、犬好きをタジタジにさせているのなんか見た事ありません。
>
> そして猫好きは、いつも犬好きにタジタジにさせられて、結局『犬の方が優れていることは認めるが、私は猫も可愛いと思う』などという相手に媚びた結論を出して、敵に勝ち誇られることが多いです。
つまり、猫好きの「ま、いいか。」で、平和的に(?)解決するわけです。
JET様、文月というものです。
私も上司のはっきりしない指示で混乱した経験があるので、我が事のように感じました。
ですが、あまり人の悪意を駆り立てるようなことをしてしまうと、めぐりめぐってJETさまに降りかかる危険性がありますので、ほどほどに自重されて下さいね。
あまりにも出来の悪い上司については、信楽焼のたぬき=オブジェと思って無視するに限りますしね。(苦笑)
こんばんは。
少し言いづらかったんだけど、非難覚悟であえて言います。
議論にエキサイトするのはわかるんだけど、必要以上に引用や長文が多すぎませんか?
新規の書き込みや流れを見てて正直読むのに苦労するし、はっきり言って皆まで理解できてる人っているんだろうか?って疑問に思うんですよ。
私も不勉強を補うため本読んだりしてて、ある程度は理解できるけどそれでも引用なんかでかなりの量になってるので、正直意見が出しづらいんです。
あとディベートやるのは書き込む方のポリシーの差異だと思うし、私も煽るようなことを書いた手前、何様のつもりだと指摘されることを覚悟で言うんですけど、少なくとも私は望んでないんです。
当事者の方々は楽しいかもしれないけど、正直ついていけないんです・・・
というか望んでる人なんていないんじゃないんでしょうか?
正直な所、お互い納得行くまでされるのでしたら、よそでお願いしたいと思うんですよ・・・正直見てて怖いし。
私の心情を正直に告白すると、怖いですよ・・・ここ。
そりゃね、私だってネガティブなこと言ってその点指摘されることは大いに結構なんだけど、言い方が正直私自身を否定されるようで、つらいんですよ。
お会いして皆までわかる方ならまだ真意を量ることもできるのですが、文書だけの存在でしか認識できない方から言切られて正直「この方一体何なんだ?!」と理解できないんです・・・私がアスペで人の心を推し量る能力に劣っているということにもう少し配慮していただけないでしょうか?
ハンディ背負ってそれでも社会での存在つかむために砂噛む思いでがんばってるから、せめてここぐらい気楽に読ませて欲しい・・・だめですか?
私も改める所は直すべく努力しますから、御一考いただけないでしょうか?
ぴよ wrote:
>アルカディアは「ここ」か?
>という問題ですよね。
勘違いしてたかも。
エターナル・ランドとか、アルカディアって、
ヘヴンと同じように、実は、すでに「ここにある」んです。
それが、いいたかったんですわ。
青い鳥は、実はそこにいた。というわけです。
灯台もと暗しというか、
ドアの鍵を開けようともがいていたんだけど、
実は、鍵がすでに開いていた。
そんな気持ちが入っています。
ぴよ wrote:
>……っていっても、さっき言ったんだけど、
>「アルカディア」は実在する地方名です。
>
>ここは、かなり、方向性は合っているはず。
>エコロジカルな街ですし。
それで、、
アルカディアは「ここ」か?
という問題ですよね。
ネットの世界では、地理的な問題はどうでもいいことなんで、
その問題はクリアしていそうな気がします。
Maria wrote:
> だぁからぁ、方向性が違うんですぅ〜!
> そっち方面に行っちゃうと、「青い鳥」症候群になっちゃうんですぅ〜!(しくしく)
>
> あたしたちが、「いま」存在してる、「ここ」なんです。
> ですから、「ジパング」とか、そういう方向でお願いします。
了解。
……っていっても、さっき言ったんだけど、
「アルカディア」は実在する地方名です。
ここは、かなり、方向性は合っているはず。
エコロジカルな街ですし。
だぁからぁ、方向性が違うんですぅ〜!
そっち方面に行っちゃうと、「青い鳥」症候群になっちゃうんですぅ〜!(しくしく)
あたしたちが、「いま」存在してる、「ここ」なんです。
ですから、「ジパング」とか、そういう方向でお願いします。
−Maria−
自己フォロー。
>だったら、「エターナル・ランド」とか。
Eternal Land(永遠の国)
ほかには、
「アルカディア」Arcadia とか。
#アルカディアは、実在した街だったですが。。
>Joshyaさん wrote:
>> そんなわけで「アスペルガー共和国」の代わりに「ヘヴン」。どう思います?
>ぴよさん wrote:
>>私が思いついたのは、「ネヴァーランド」とか。
>
> Joshyaでございます。また長くなっちゃったよー(T_T)。くるとさんゴメン。
>
> 「ネヴァーランド」だと、「決して実現しない」「あるいは二度と戻ってこない」という意味になってしまいます。「ピーターパン」に出てきたのは、"never land" ではなくて、"never-never land"。だから、「『戻ってこない』なんていうことはない」というのが、本来の意味なんです。確かに、そういう「おとぎの国」「夢の国」みたいな意味で使うことのほうが多いですけどね。
あ、そうか。(^_^);
だったら、「エターナル・ランド」とか。
はじめまして。アスペ似のやんちゃんといいます。
keisyu wrote:
>私以外にもACと、アスペが似ていると思っている人がいたんだ!
アスペの子供は親の期待どおりにならなくて、「なんでちゃんとできないの!」「なんて冷たい子なの!」と理不尽に責められることが多い。
なので、実際に虐待をうけてACになる率も高いんじゃないのかな。
そうでなくても、ある程度の年齢になると、自分のありのままと、世間との違いがわかってきて、「普通」になろうと無理をしてしまったりする。それはACの方が周りの人の期待に応えようと優等生を演じてしまうのと似ているのかも。
ちなみに私自身も、ACの基準にかなり当てはまっていると思う。
ただ、幸か不幸か、何を期待されているかよく分からなかったし、分かってもあまり器用でなくて優等生になれなかった。
>私と感覚が似ている人と、7年前に結婚し、5年前に子どもが生まれ、その子が高機能の自閉症でした。
>そして、なんと主人は、アスペでした。
なんかいいなあ(というのは感覚が似ている人に出会えたことね)。
なかなか気の合う人に出会えないものね。
出会えたからといって、好きになってもらえるとは限らないしねー。ふぅ。
Joshya wrote:
> そんなわけで「アスペルガー共和国」の代わりに「ヘヴン」。どう思います?
ぴよさん wrote:
>私が思いついたのは、「ネヴァーランド」とか。
Joshyaでございます。また長くなっちゃったよー(T_T)。くるとさんゴメン。
「ネヴァーランド」だと、「決して実現しない」「あるいは二度と戻ってこない」という意味になってしまいます。「ピーターパン」に出てきたのは、"never land" ではなくて、"never-never land"。だから、「『戻ってこない』なんていうことはない」というのが、本来の意味なんです。確かに、そういう「おとぎの国」「夢の国」みたいな意味で使うことのほうが多いですけどね。
(そういえば、『「もう二度と」なんて言わないで("Never Say, Never Again.")』という映画がありました。ひょっとして、007シリーズの中でショーン・コネリーがいちばんカッコよかった作品かもしれない。『アンタッチャブル』のコネリーもよかったし。)
で、二人のジョン(バプテスマのヨハネとジョン・レノン)が言ってるのは、「もう我々はそれを手に入れてるんだよ。私たちみんなが考え方を変えるだけで、それは実現するんだよ」ということなんです。
そういえば、諸星大二郎さんの『失楽園』という作品は、これがテーマになってました。私のイエス・キリストのイメージにいちばん近いのが、『失楽園』に登場する「沼」から来た男です。
(ついでながら、諸星さんは『生命の木』という、もうひとつ別のキリスト教物語を書いています。ここに出てくる「白痴のキリスト」の「善次(「ぜずす」だったりします)」がめちゃくちゃよかったりします。諸星ファンの多くは、「みんな、ぱらいそさいくだ! おらといっしょにぱらいそさいくだ!」というセリフに思わず「ぜずさま!」「ぐろうりやのぜずさま!」と反応してしまいます。とはいえ「重太」じいさん(「じゅだつ」だったりします)の「おらもつれていってくだせ、おらもつれていってくだせ」のほうが出るひとも多いんですが。)
なお、書く戦争後の世界を舞台にした遠藤淑子さんの『ヘヴン』という作品に登場する「ヘヴン(天国)」は、軍の施設である精神病院で、『時計じかけのオレンジ』や『BANANA FISH』に出てきたような人格改造のための実験施設だった、というオチがついてます。つまり、我々が住んでいるこの世界以外に「天国」を求めてもロクなことがない、というメッセージを発しているという意味で、『失楽園』と好一対の作品であるように思います。
もう一つ。樹なつみさんの『OZ』では、一種の理想都市として描かれているのは『OZ(オズ)』です。もちろん『オズの魔法使い』に出てくる『オズの都』ですね。これに対して主人公が浮浪者の老人に聞かされた「この世で一番美しい風景」というのは「収穫の時を迎えた一面の麦畑」だったりします。
遠藤淑子さんの『ヘヴン』と樹なつみさんの『OZ』には、どちらも人間そっくりで両性具有的なヒューマノイドが登場します。で、どっちの主人公も、ときどきそのヒューマノイドを「うらやましいなあ」と思いながら見ています。
榛野なな恵さんの『Papa Told Me』にもロボットになりたがっている高校生の女の子が登場します。もしも、こういうひたすら愚直で誠実な存在だけが地上にいたならば、確かに地上は「天国」です。だけど、それは「与えられたもの」ではなく「選びとったもの」でなければなりません。だから私は「人間を家畜化する行為としての『教育』」は認めなかったりするわけです(私は教育そのものを否定しているわけではありません。念のため)。佐藤史生さんの『ワン・ゼロ』は、人間を家畜化しようとする『神(ディーバ)』に対する人間の「意志」の象徴『魔(ダーサ)』の意義申し立てという意味で、「誠実さ」と「意志」は矛盾しない、という主張のように思います。
ひょっとしたら、ASというのは「進化した人間」なのかもしれません。ロボットのように愚直で誠実、しかも高い知性を持ちながら、動物的な怒りや悪意に基づく憎しみを持つことができない、という天使のような存在がASです。だけど、これが人格障害と結びついたものがいわゆるサイコパスである、と考えるとけっこう辻褄が合っちゃったりするから怖かったりします。『OZ』に登場する19(ナインティーン)はまさにこのタイプ。だけど19の最後はちょっと泣けてしまったりします。
そんなわけで、ASのためのブックガイドでした。
Joshyaさん wrote:
> そんなわけで「アスペルガー共和国」の代わりに「ヘヴン」。どう思います?
私が思いついたのは、「ネヴァーランド」とか。
「アスペルガー共和国」の名前について。
たとえば、「アメリカ合衆国」の「アメリカ」というのは、アメリゴ・ベスプッチという人の名前が元になっています。「インディアン」なんていうのも、コロンブスが最初にたどりついた場所をインドの一部だと思ったところから名付けられました。「エベレスト」なんていう名前も、イギリスの測量官の名前で、現地語では「チョモランマ」です。
そういう意味で「アスペルガー症候群」というのは、ちょっとイヤな感じがあります。アスペルガーが見つける前から、「アスペルガー症候群」は存在してたわけですし、「アスペルガー症候群」は「病気」というより「変異」あるいは「タイプ」であり、むしろ内臓逆位(内臓の位置が左右逆)なんかに近いものですから。
以前、この掲示板に「一つのパンを二人で分ける」話が出てきたときに、「交渉理論」における「オプチマルな交渉」という概念について述べたことがあります。キリスト教でいう(というより、イエス・キリストのいう「最も重要な掟」(マタイ・22:34−40)というのは、この「オプチマルな交渉」に帰着するように思います。ですが、「オプチミスト」というと「楽天家」(よく考えるといい言葉なんだけどね)という意味になっちゃうし、「功利主義者」というと「利己主義者」みたいに思われちゃうし、どうもいい訳語が出てこないんですね。でまあ、なんとかあてはまる言葉を探すと、「天の国の住人」ということになっちゃいます。
福音書が書かれているギリシャ語では、「天」は「ウラノス」(天王星がウラノスですね)です。だけどなんとなく雰囲気が出ないように思います。
で、考えたのがジョン・レノンの『イマジン』。天国なんていうものは存在しなくて、あなたがそう考えることでこの世が天国になる……そういうメッセージソングなんですね、あの歌は。『イマジン』を知らないひとでも、「狭いながらも楽しい我が家……」という歌詞で有名な『私の青空』という歌を知っているひとは多いはず。あれは『マイ・ブルー・ヘヴン』です。
そんなわけで「アスペルガー共和国」の代わりに「ヘヴン」。どう思います?
(Joshya)
Mr.Motoである。くるとさんゴメン。この手のRESにはサマリーがつけられん。わりと不毛な(というか、広がりのない)議論(しかもディベート的な議論のための議論)をしているので、つまんなかったら読みとばしちゃってください。
Moto wrote:
> だから、「よし、今夜は痛飲しよう」ということになって泣き・愚痴・ゲロの
>三拍子、みたいな「非日常」の世界においてならばそれは許されるのであるが、
>日常に戻ったらそれはすべて忘れねばならんのである。
ひろたwrote:
>痛飲は今の定義拡大的言葉づかいで、乱交といっていいのかな。 妻で無いの
>にいいのか?っとまずおもうわけですが、それは非日常であるから許されるわ
>けである。というのがここの論理だろう。
どこからこういう素っ頓狂な誤読をするかなこの男は(-_-X)。
泣きを言ったり愚痴をこぼしたりしてよい相手というのは親兄弟恋人つれあい親友あたりと決まっておるわけだし、赤の他人にゲロの始末までさせてしまうというのは社会人としてあるまじき行為である。「乱交」というのはその人間関係の領域を超えて「非日常」の関係を持ってしまうことだ。
所長やKILROYはあらかじめここまで書くので文章がくどくなる。こういう素っ頓狂な誤読をする奴らがいるから所長やKILROYが落込むのだ。そこんところを配慮しろ。
>日本でも昔、祭りという非日常に乱交がおこなわれる村があったようだしね。
ムラ的な共同体においては、抑圧自体が「罪」というところがある。そこで、「非日常」を共有することで境界をとっぱらうために「祭り」を行なうのである。
>(しかしじゃあ痛飲の時はくっちゃっていいのか?って話題もあるけれど悪趣味
>だから省略。)
それは準強姦といって犯罪だ。貴様は織原容疑者か。
男女の営みのことを「お祭り」というくらいだから、非日常を共有した場合、そういう関係に行っちゃう危険性は非常に大きい。したがって、そういう女性とはあくまでオフィシャルな場でしかつきあわん、というのが慎みというものである。
「愚痴ぐらい聞いてくれたっていいじゃないですかぁ!」「そういうのは彼氏にでも相談するんだな」「だって、彼が聞いてくれないんですもん。」「だったらその彼を連れてこい。俺が説教してやる!」というのが正しい対応。
「今晩は思いっきり乱れちゃいますからね、覚悟してください?」「そしたら姦っちゃって大人しくさせてやる」くらいの感じでスタートした場合、これはもう最初から「やる」体勢。したがって、乱れるはずがお見合いの後のデートみたいになってしまって、盛り上がらないことおびただしい。いよいよ、という段になって「脱ごうか?」「脱がそうか?」みたいに妙に遠慮がちだったりとか。かくも非日常を共有するというのは難しいものなのである。
>しかし、
>自分のある面がさらけ出されるのを恐れる事と、恥ずかしがる事、嫌悪する
>事、禁欲(禁止)する事とはすべて、全然違う話ではないのか。
だからそう言っとる。それが「美学」というものなのだ。
>ある人は、親友と飲んで語り合うのは好きだが、繁華街に飲みにいくときは
>絶対誰も誘わず一人で行くという。つまり非日常に日常を入れたくないのだ。
>品性のある人ではないか。ここを非日常とみなしてる人でオフ会にはいきた
>くないって人もいるだろう。それも同じ事だよね。
無名性あるいは匿名性の中に身を置くというのと、日常からの解放あるいは逃避とは別の話である。それを言いだすと、「旅の恥は掻き捨て」ということになる。酔ったあげくのケンカやゆきずりのエッチを私は認めない。
北の波止場近くのバーで、きれいな標準語を話すマスターと二人きり。「お客さんは東京から?」「うん」「こちらにお知り合いでも?」「まあね。(ふっ、と遠い目をして)……マスターはこちらのご出身?」「(ふっ、と遠い目をして)……今夜は冷えそうですね。」
こういうありがちな世界が、「嗜み」とか「慎み」の世界なのである。女も喧噪もないほうがいい。とはいえ同じような状況で、都会的でちょっとやさぐれた感じの美女(で、必ずロングコート着用のこと)が「マスター、お代わり!」「……身体はお大事にしてくださいね」「うるさぁい! 注げ!(沈黙)……ねぇ、あたしたいな女、どう思う?」「素敵ですよ」「ふんっ! だったら口説きなさいよぉ……(ぐずぐず)」なんていうのも許す。
>僕は品性を持った凛とした人(例;飲み会でもしらふでいるような人)を尊
>敬するし惹かれる。なぜなら自分にはあまり無いものをもってるから。品性
>とは恥ずかしがる事ではないだろうか。
「酒を飲む」というのはアルコールの作用によって抑圧機構を麻痺させる行為なのだから、酒飲んで酔っぱらわないなんていうのは何をしているのかよくわからない。「それより茶を飲め、茶を」と私なら言う。
>似た理論で仕事と遊びを分ける人もいるけれどこれも禁欲的だと思う。これは
>両立させるのがプロの醍醐味だろ!? ちがうのか?
ちがうのである。
これをごっちゃにする馬鹿が多く、その馬鹿がプロ同士のつきあいに嫉妬することが多いので、分けといたほうが無難である。「あんたはどっちの味方なんだ!」みたいな属人的な批判を受けやすくなるというリスクもあるので、むしろ均等に嫌われていたほうが仕事はうまくいく(岡本浩一『無責任の構造 モラル・ハザードへの知的戦略』、PHP新書を参照のこと)。
遊びにもいろいろあるが、真のプロは仕事で自己実現しちゃってるから自己実現としての「遊び」は不要であり、「無名性と匿名性の中に身を置く」ためには趣味の人脈はあくまで趣味の人脈にとどめておきたい。また、「自分を見つめるための時間」という意味での「遊び」であれば、本来それは孤独なものである。
Moto wrote:
>オフィシャルとパーソナル、パブリックとプライベートの区別はつけるべきだと思う。
ひろたwrote:
>人が法に傅くのではなく法が人に傅くのである
>かつてある人物が休息日に相手の合意のもとで患者の治療という仕事をおこなっ
>た。一方当時、休息日に働いてはならない」という禁があった。これを破ったと
>して、彼が責められた時、彼が言った言葉だとされている。
>場面場面で適切に、かつおそれず、自分の役割を果たせばよいではないか品性の
>違う人同士がそれゆえもあってお互い尊敬しあい、友情や愛情を築く事はことは
>かなりよくある事であると感じるし
オフィシャル:職務上の/任務としての
パーソナル:個人的な
パブリック:公の/公的な/公用の
プライベート:私な/公的な立場から離れた
私はウェイターとしての仕事には自信があるが、喫茶店では客としての注意はするが(トラブルでも起こされれば別だが)その店のウェイターの教育に口を出したりしないし、代わりに仕事をすることもない。それはオフィシャルとパーソナルの区別である。
また掲示板上で他人を誹謗中傷することはないが、メール上では何を言おうと私の勝手である。これはパブリックとプライベートの区別である。
それがなぜユダヤ教における安息日の規定と結びつくのかがわからない。私(というより所長だが)だってお客さんに「うちのパソコンなんだけどさぁ、こんど通信始めたいんだけど、機材のセッティングとかサインアップとか分かんないんだよね。なんか分かりやすい資料とかありません?」とか言われたら「じゃあ、今度の休みにでもお宅へ伺いますよ。代金はビールとカツ丼で結構ですから」「よし、なら鰻重。」「それより上寿司一人前」「乗ったぁ!」くらいのことはする。
そもそも私が東方カトリック教会の教祖様であるJoshyaと同一人物だというのを忘れたか?
>真面目モードでした
>しかし、正論(の追求)は何も残らない気も一方でちょっとする。正論残って人
>残らず。ただの恐怖なのかもしれないが。
キミが求めているのはおそらく人生の解説書ではなくて、「必勝本」なのだ。
人間に限らず動物というものは、危機感が高まると「いまここ原理」というのが働いて、目先のことしか考えられなくなる。つまりキミは焦りのあまり、長期的な対策をとったり根本的な掘下げというものができなくなっており、ついつい目先の解決策、目先の理論に飛びついてしまうのである。
KJ法やNM法といった問題解決技法でも勉強してみたまえ。少しは違うはずだから。
(川喜多二郎『発想法』『続・発想法』、中公新書などが入門書としては適当)
最後に一つ。大森総研メンバーはストイックであるが禁欲的ではない。より正確に言えば、「ギリシャ哲学の一派であるストア派の哲学に忠実という意味でストイック」ではあるが、「ピュ−リタニズム、ビクトリア朝的な禁慾思想に忠実という意味で禁欲的」ではない。
ストア派の哲学においては、人間はその才能をもって社会に貢献することを善しとする。したがって、食事にしたってすでにあるものを無駄にせずおいしくいただくのはストア的にいって正しい。高級素材を求めるのは反ストア的だが、おいしいごはんの炊き方やおいしい味噌汁の作りかたを追求するのはストア的なのだ。したがって和食、特に江戸料理はストア的な料理だといえる。
さらに、女性に喜びを与え、富国強兵に貢献するという意味で、セックスというのはストア的な行為なのである。このあたりは塩野七生さんのエッセイを参照していただきたい。ユダヤ教にギリシャ的なストア哲学が影響を与えた結果生まれた原始キリスト教の正統なる後継者を自認するJoshyaがS○Xネタにこだわるのにはこうした理由がある。
いわゆるフェミニスト女性の中には、男性の「イかせたい」という欲求を征服欲の表れ、すなわち自己確認の欲求とみて排除する、という思想がある。つまり、「男なんかいなくたって女はイけるのだ」という発想、ないし、「女は快楽のための道具として男を利用しているだけなのだ(エリカ・ジョングの『飛ぶのが怖い』はまさにこれがテーマだった)」、という考えかたである。
けれども生物学的にいえば男というものは女によってしか自己を確認できないわけで、そうすると、「彼のためにイッてあげたい」というのも女性にとって普通の感情である、ということになる。で、「イかせてあげられない男」と「イッてあげられない女」が双方の愛情ゆえに悩み苦しむ、ということになる(昨今ED(勃起不全)が社会問題化しているのもこれが理由だろう)。
で、この不幸な状況を看過できないがゆえに(特にAS女性には「イッてあげられない」ひとが多いはずである)、Joshyaはセックスについて説くのである。「犯す男」と「犯される女」の関係は反社会的であり不健全であるけれども、「イかせちゃう男」と「イかされちゃう女」の関係は、同じ「加害者」と「被害者」の関係であっても心理的に安定なのである(「すぐそうやってエッチでごまかそうとするんだからぁ!」みたいに文句を言っている女性はあんまりそのことに悩んでいないように見える。これを公の場で言うと「そういう思想が女性の自立を妨げるのだ」とフェミニストに袋叩きにされるのだが)。
そんなわけでひろた君、思いつきを思想にまで高めてから喋るようにしようね。
(Mr.Moto)
くるとです。情けない自己レスになっちゃいました。
不肖くると wrote:
> みなさんのコメントを見た結果、「友人」という言葉が大きく
>分けて二種類の意味で使われていたことに気がつきました。
>
>(1)一緒にいるのが楽しい友人
>(2)社会性を身につける手段としての友人
もう1つの種類があったので補足します。
(3)世間体を守る手段としての友人
「お友達幻想」という言葉がありますが、一般的には友人が多
い方が社会的評価は高くなるようです。孤立感を持つ人の中には
とにかく集団に参加することによって、自分の社会的評価を高く
してしまう場合があります。わたしが2次障害を起こしていた時
期はこのタイプの友人を求めていたような気がします。
最近は仕事以外では(1)のタイプの友人が増えてきて、本当
にうれしいです。
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