アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
こんにちは。Mariaさん、レスありがとうございました。
Maria wrote:
>なんか休日モードの所長さんたちみたいなひとだな。似たような傾向の友達に誘わ>れて、とくに話をするでもなく、「これからどうしようか」とか言いながら目的も>なくうろうろするのが好きとか。何かが「好き!」というのではなくて、何かを目>の前にして「ここでこうしてコレと向きあっている私は何者だろうか」とか考えち>ゃうとか……なんかこう、いろんなものを並べてゴチャゴチャ売ってる場所が好き>だったりとか……しそうな気がする。
ふふふ、はずれでーす(^^)
どうしても会いたい時以外は独りで過ごしてます。
ごちゃごちゃしているもの、場所って実は嫌いです。
他薦片づけ選手権には出ることが出来るでしょう。(^^;)
好きなものしか目に入れません。ぼんやり眺めてて好きなのは外国の町・人々
自然ぐらいです。それらは慣習になっている無意識脳内分類作業からはずれ、
心を浮遊させ、和ませてくれるものです。デパートとかアミューズメントパーク
は大嫌いですね。
>「女として」「社会人として」値踏みをされるのが鬱陶しいときは、そういうもの>を表すコード(規範)を放棄してしまうのが正解だと思います。
参考になります。ありがとう。
大槻いつきさん wrote:
>ゲームそのものもおもしろいけど...
>「たほいや」という語感に、読んだ瞬間爆笑。
じゃあ、いつきさんに、
こういうのを与えると危険かな?
覚悟して、読んでください。(笑) >いつきさん
「たほいや」全出題語リスト
http://www.asahi-net.or.jp/~GH7S-FNHR/aiueo.html
>誰が始めて、どのように浸透したゲームなのでせう??
>その過程が想像つかねーだ。
http://www.asahi-net.or.jp/~GH7S-FNHR/first.html
から:
>> そもそもはイギリスで " Dictionary " という名で
>> 知られているゲームを起源とします。
>> これを日本のあるゲーム愛好家が日本語でやってみたところ
>> 人気があり、東京のゲーム愛好会「ボードウォークコミュニティ」の
>> 定番ゲームになりました。
>>
>> 「たほいや」は、こうしたパイオニアによる出題語の1つで、
>> その日本語離れした語感によってこのゲームの愛称になりました。
>>(以上の記述は、フジテレビ編「たほいや」フジテレビ出版 を参照しました。)
ちなみに、広辞苑第四版には、こう書いてあります:
----------------------------------------
たほい‐や【たほい屋】
遣小屋(ヤライゴヤ)に同じ。静岡県でいう。
----------------------------------------
ぴよさま wrote:
>たとえば、「たほいや」というゲームがあるんですけど、
>これなんか、
>「ちょっとしたことで楽しめる性質」のひとじゃないと
>ダメかもしれませんね。
>
>http://www.asahi-net.or.jp/~RP9H-TKHS/tahoiya.htm
>
ゲームそのものもおもしろいけど...
「たほいや」という語感に、読んだ瞬間爆笑。
たほいや...どっかにそんな名前の格闘技でもありそうですね。
誰が始めて、どのように浸透したゲームなのでせう??
その過程が想像つかねーだ。
どろどろどろ。(←不吉な雰囲気を演出している)
ふっふっふっふっふ、さくらかのえさん。あなたは禁断の地に足を踏みいれてしまいましたね?
さくらかのえさんwrote:
>「江戸時代の人は髷を結っていたが、髪の薄くなった人はどうしていたの
>だろう。
>もしかして「貸し髷屋」などというのがあって、それをつけてごまかして
>たのか?」
じつは江戸時代には、無許可の「○ゲ」は犯罪だったのです! したがって、「ハ○」の人は、「外国人登録証」ならぬ「○ゲ許可証」を常時携帯していなければならなかったのです!
江戸時代には髪型の制限があり、「円頂(えんちょう)」「法体(ほってい)」といったスキンヘッドはお坊さんとお医者さん(ただし、関西では「総髪」といって、オールバックのロングヘア)だけに許された髪型でした。違いはお医者さんは腰に刀を差していること(たいていは一本だけ)。だからお坊さんがこっそり女を買いにゆくときは、刀を差して医者に化けました。
で、なにか失敗をして頭を丸める、というときには、まず名主のところへ行って書付をもらい、それを持って髪結床(現在の床屋)へ行って頭を丸めてもらいます。
で、「○ゲ」になりかかっている人はどうするかというと、「付け毛」をします。つまり髪を結うときに、他の人の毛を結いこんで、増毛をするわけです。
現在でも薬局や洋品店の店先にウィッグと一緒に売っている「かもじ」というのは、この「付け毛」、すなわち「かもじ」のことで、これは「かづら(=かつら)」の隠語です。「かづら」というのは蔓草のことで、昔は髪を留めるのに使っていました。「もじ」は「文字」で、公家ことば。「杓子(しゃくし)」が「しゃもじ」になり「浴衣(ゆかた)」が「ゆもじ」になるのと同じ。現代では「レズビアン」を「れの字」といいますが、これも「タブーに引っ掛かるものは、その名前を口にしてはいけない」というところから来ているのでしょう(お公家様は、下々のことに関わらないのです)。「惚れている」を「ホの字」なんていうのも同じこと。
江戸時代には「かもじ屋」という商売があって、絵も残っています。
上方落語の『百人坊主』や、これを改作した江戸落語『大山詣り』は、このあたりの事情を知っておかないと、ちゃんと楽しめません。所長さんはこの江戸落語『大山詣り』を改作して、『大山詣りの際に深酒をして喧嘩をした男が頭を丸められてしまい、住まいの日本橋まで戻る途中品川の大門(おおもん)で番太夫(門番)に見とがめられ、「じつは金沢の沖で乗っていた船が転覆して私一人が生き残り、仲間の菩提を弔おうと高野山(おやま)に上がろうと」といいつくろったのを迎えに来ていた仲間の女房が聞きつけて、長家に帰るやその報告をすると先走った別の女房が井戸に身投げをしようとし、それを止めようと講元のおかみさんが髷を落とし、ってんでけっきょく講中一同の女房がみな頭を丸めてしまう……』というスラップスティックな噺を創作しています。
この改作版『大山詣り』については、大山にある宿坊旅館『かげゆ』(No.3791の短編小説はここが舞台という設定になってます)で、地元落語家による上演会を開催しようというプロジェクトが『大山詣り』のモデルになった開山講『お花講』の講元を含めて進行しております。なお、『かげゆ』の宿泊予約はインターネットでもできます。詳細はホームページをごらんください(http://www02.so-net.ne.jp/~kageyu/)。豆腐料理が自慢です。お風呂は温泉じゃないけどきれいで大きいですよ。
- Maria -
ああ・・そう言ったこともいえるかもしれません。
もっと勉強しようと思いました。
またおじゃまします。
Xanadii wrote:
> この年齢(30歳)になって、いまだに克服できていない「音」があります。それは犬の吠え声。花火の音、風船の割れる音、クラッカーの音、シンバルの音、...これらのものは、克服しつつあるのだが...犬だけは駄目ですねえ。進行方向で、犬が吠え立てている個所があり、どうしても通過しなければならないことが明らかになったら、忽ち回れ右して、遠回りするのね。どうしても不可能な場合なんて、まさに拷問。あれが大丈夫な人間が不可解で仕様がない、と思っていたら、私の父も母もそうだった。
>
シンバルの音は、私もあまり好きな方ではありません!そのため未だに、ヘビーロックのような音楽は楽しめません。
他の自閉症の方もあの耳にキーンとくる音は苦手みたいです。私は昨年、地元の福祉作業所でボランティアをしていたのですが、作業所で働いている人の中に、シンバルが非常に嫌いな人がいました。
作業所では、1ヶ月に2回音楽療法の時間があって、そのときにみんな1人ずつ前に出てシンバルを鳴らします。自らをアピールするチャンスとばかりに、「ガシャーン」と大打ちがある度に、その人が暴れて部屋を飛び出して行きそうになるので、私はみんなに「あまりわざと大きな音を出さないように」注意し、また隣に座る人がその人に「大丈夫だよ!」と寄り添うように促しました。そうしていくうちにだんだんその人は音楽療法を楽しめるようになっていきました。
ぴよ wrote:
>たとえば、「たほいや」というゲームがあるんですけど、
【例題】
つぎの5つのうち、
広辞苑に書かれている(本当の)意味はどれでしょう?
「ちゃもらい」
1.モンゴル西部の町。放牧が産業の中心。
2.パキスタン南部の都市。
3.鉄に傷がついて、そこから錆びていくこと。
4.(東北地方で)後妻または継母。
5.静岡県地方に伝わる、正月十四日の晩の行事。子供が家々をまわり、茶をもらう。
さくらかのえ さん wrote:
>
>ちょっとしたことで楽しめる性質というのは貴重なものですね。
>普段から、ちょっとしたことを面白がって、
>同僚に「ほらほら」と教えてあげるのですが、あまり乗ってきてくれません。
たとえば、「たほいや」というゲームがあるんですけど、
これなんか、
「ちょっとしたことで楽しめる性質」のひとじゃないと
ダメかもしれませんね。
http://www.asahi-net.or.jp/~RP9H-TKHS/tahoiya.htm
#私なんか、「たほいや」のために広辞苑を買いました。。。
Xanadiiさま、ご返事ありがとうございます。正直言ってXanadiiさんからこれほど濃ゆいレスが返ってくるとは思わなかったので、感激というか、ちょっと感動しています。
他人に対して「障壁(バリア)」を作る、というのは所長さんも試してみました。でも、けっきょく友達がいじめにあったりして(所長さんと一緒にお昼ごはんを食べたら職場に仲間はずれにされちゃったとか、「あいつに『うん』と言わせなかったらお前の首が危ないぞ」とかいって無理難題を押しつける役を任されたりとか)、いろいろあって人格が荒んじゃったところがあります。だけどネットの世界では所長さんは所長さんだしKILROYさんはKILROYさんでいられた、というのが救いになっていた、と本人は申しております。
>文章にした瞬間から、私のイメージは刻々と変化してゆくし、それがまた文章を
>生成することの快楽でもあるんじゃないかな。
というのも、「そこに留まらざるをえない自分」「そこに閉じ込められた自分」が、「向かおうとする自分」を見出すための試行錯誤、といった感じがあるのですが……勘違いだったらごめんなさい。
>自分について、確固たる自己イメージというものはない(自分に自信がないとい
>うことを、自信たっぷりに言い切っている)。それらはけっきょく他者が決めて
>ることなんじゃないかと漠然と感じてる。
所長さんの印象は、公的な場所ではけっこうMr.Motoに近かったりします。『ふたりで聖書を』に登場してくる「三味線の加藤」というのがじつは「表っかわ」の所長さんでありMr.Motoだったりするんです。つまり、「とにかくひたすら喋ること」、そして「嘘とはいえない嘘」によって相手を眩惑することで、なんとか社会生活を乗りきってきたようなところがあります。
だから、書いてるときの所長さんは喋ってるときの自分がすごくイヤ。真っ向から敵味方だったりうちうちのお仲間だったりするときはいいんですけど、世間一般のおつきあいというのがまるっきりダメ……というか、上手にはこなすんだけど後になって底の底まで落込んじゃって「もうやだよぉ……」とかいってマジで泣いてました。なにしろSE仲間では「便しくのS」と呼ばれておりましたから。「よくもあれだけ強気の交渉ができるもんだ」と感心されながら、「あれだけ言っといて、後でいよいよ追い詰められちゃったらどうするんだ?」と質問されて「便所に隠ってしくしく泣く」と答えたのがその由来。「それでも駄目なら?」「布団かぶってしくしく泣く」「それでもダメなら?」「女の子に肩なり胸なり借りてめそめそ泣くか、男友達と呑みに行って泣き・愚痴・ゲロ」の三拍子。そうやて過剰適応しちゃうから身体とか壊しちゃったんですよね。もっとも本人は逃げるに逃げられなかったんだけど。
ですから……いまだに本人は「自分が本当にしたいことってなんだったんだろう」とか思ってるそうです。ひょっとしたら「結婚」かもしれない……
>思考体力減退中につき、なんだか覇気のない長駄文で失礼いたします。
お疲れのところ、ありがとうございました。ご快癒を心より祈念しております。
(Maria)
Mariaさん、レスありがとうございます。
先程は自分の考えに夢中になってて書き損ねてしまいましたが、
アメミキリンさんのレスもとても嬉しく読ませていただきました。
んでもって。
Maria wrote:
> いつきさんは小説を書かれるそうなのでお分かりいただけると思うんですけど、この「丁寧なご返事をありがとうございます」の一文を書くだけで、私はドキドキしてしまいます。「丁寧な」でおかしくないかな? 「ご丁寧な」とか書いたら皮肉みたいに聞こえちゃわないかな? 「RES」や「レス」じゃなれなれしいし、「レスポンス」だとキザな感じがするし、「ご返事」というと私信への返事みたいだし……そうやって、逆に自分の感覚から自分自身のイメージを逆算してゆく過程というのが、文章を書くときにはあるように思います。
あーめちゃくちゃわかります。
掲示板なんかでは、わざと崩して書くことも多いのですが。
他人が書いた文章だと、そういうマナーとか守れてなくてもさほど気にならないんですが。
ちなみに、私がかく小説というのは原稿用紙40枚程度の、
たまに雑誌に投稿して図書カードもらったりする程度のものです。
だから、筆力もその程度。
> 「自分」といっても、ふだんいろんな人と接しているときの「役割としての自分」、つまり「ペルソナ(仮面)」としての自分と、その下の……「顔のない顔」とでも言うんでしょうか?「生の自分」というのがあると思います。大槻さんの場合は「生の自分」というのがまずあって、インターネットという匿名性の中で「自分が自分らしくふるまえるペルソナ」というものを作りあげた、と思っていいのでしょうか。
> だとしたらいつきさんはあたしやMr.Motoと同じですね。なんか、呼吸が楽、という感じがしませんか?(具体的な質問、ではありません。そうだったら嬉しいかも、ということです)
まさに、そう・・なんでしょうね。
どういう意味でおっしゃってるのか、ちょっとわからない部分もあるので。
この掲示板には「学校にも行かなきゃいけないし呼吸もしなきゃいけないし炊事も洗濯も
食事もしなきゃいけない」生身の自分ではなく、その自分の中の純粋な思惟をぶつけられるかんじです。
私の中ではその思惟が一番大切日常生活のややこしいことなどはおまけでしかないので、
この掲示板で「自分らしくふるまえている」という事になるのかもしれませんね。
この掲示板での仮面が、一番自分にとって違和感の無い物であることもたしかです。
>
> あたしの本体である「私」の場合、Mr.Motoという「怪物」を飼っているので、あたし自身はのほほんとしていられるところがあります。ですから、「私」は「私」の本当の気持を知りたいときには、あたしに喋らせる、ということをします。で、ときどき思いもよらないことをあたしが喋るので、びっくりしてたりします。
>
> 「私」って変な人かな? Maria
私とMariaさんで「怪物」という単語の認識が違っていたようですね。
アスペルガーなどの人は、「普通の人」にわかることがわからない、
また「普通の人」ではわからないことがわかるなんてことがありますよね。
「普通の人」がそのことを知ったらどう思うんだろう?
自分の心の中の「(普通の)他人にはわからない」あるいは「自分でさえ気づいていない」ような真実を、
こいつはわかってるかもしれない。
しかも、どうすればその真実をわからせずにすむかも見当がつかない
(相手がどうやって理解に達しているのかわからないのだから)。
誰も見ていないと思ってリラックスしてた入浴シーンをのぞかれたみたいなもの(??)。
アスペルガーって、意味不明な恐怖をそそる「怪物」に見えるんじゃないでしょううか?
(現実には、「普通の人」はアスペルガーの能力面でのでこぼこや「普通の」理解能力が欠如していることに
まず目を向けて、実は「普通でない理解能力が存在する」ことには気づきにくいのでしょうが)
私の言う怪物とはそういう意味です。
では、ふたたび長くなってしまってまいったなぁ、な大槻でした。
この年齢(30歳)になって、いまだに克服できていない「音」があります。それは犬の吠え声。花火の音、風船の割れる音、クラッカーの音、シンバルの音、...これらのものは、克服しつつあるのだが...犬だけは駄目ですねえ。進行方向で、犬が吠え立てている個所があり、どうしても通過しなければならないことが明らかになったら、忽ち回れ右して、遠回りするのね。どうしても不可能な場合なんて、まさに拷問。あれが大丈夫な人間が不可解で仕様がない、と思っていたら、私の父も母もそうだった。
ちなみに父はAs傾向、母はADD、兄はADHD傾向が顕著であります(全員未診断)。母方の兄弟は全員が有名大出身でよくいって「へんくつ」、厳密な意味では「紙一重」的な人たちなんだよね(おもしろい人たちだし、個人的には大好きなんだけれど、やはり葛藤は避けられないようで、さいきんは彼らの方で母から逃げ回ってる感じだ)。アスペルガーの血族ってやつですか。もういまさら何も驚かないけれど。
ま、それはどうでもいいとして、犬の吠え声の苦痛もさることながら、いままでずっと、それを怖がることは、恥ずかしいことだと、なぜかずっと信じ込んでいたのね。どうして恥ずかしいんだろう、と、よくよく思い出してみたら、私そのことで家族からさんざからかわれていたんだよね。兄なんてひどい時は、私のことわざわざ犬のいる家の前へ誘い出しては笑い者にしていたもの。
というわけで、苦手な音の私の克服法。要はその音に神経を集中しないように自分を仕向ければいいわけで、有効だったのは口の中で歯をカチカチ噛み合わせることかな。ひとに悟られないようにしてね。特定の音をこわがることが自閉的障害の特徴なら、これはひとつの情報として提供しておかなくちゃならないかなーと思ったわけ。
他に、私の苦手なものとして、「規則的なもの」があります。時計の音、メトロノーム、マーチに合わせて行進すること、電車に乗っているとき線路の接続部分を車輪が越えていくときの、あの「ガタターン、ガタターン」てやつ、その他自動的で自分ではコントロール不能なものは、目眩を誘われて、一度気になってしまうとけっこう神経に堪える。これ克服法を発見した方がいらっしゃったらぜひ情報よろしくね。でもけっこう無理な気もする。私がいままで当たった文献で、そういう特徴についての記述なかったからなあ。
Maria さんwrote:
> それはそうと、
>>なんとなく、さくらかのえさんの「笑いのツボ」のようなものが分かって
>>しまったような気がします。
>>ひょっとして、(中略)「なべつかみ」という語感にハマッてしまったの
>>ではありませんか?
>……とか書いておきながら、ハズしてしまいましたか。残念。
いえ、ハズしてはいないです。
「妖怪なべつかみ」とはいかなる形&性質のものだろうか、と考えてしまいました。
短くコンパクトな語句のほうがはまるようです。
ちょっとしたことで楽しめる性質というのは貴重なものですね。
普段から、ちょっとしたことを面白がって、
同僚に「ほらほら」と教えてあげるのですが、あまり乗ってきてくれません。
今度、異動でやってきた課長は後頭部の髪が薄い人で、
それをごまかそうとしてか変な(無理のある)髪型になっているのですが、
そのことを同僚に話すと「そういうことを言ってはいけない」と
言われてしまいました。身体的なことだからねぇ。
(本人の前で言ってるわけじゃないですよ)
課長の頭を見ていると、
「江戸時代の人は髷を結っていたが、髪の薄くなった人はどうしていたのだろう。
もしかして「貸し髷屋」などというのがあって、それをつけてごまかしてたのか?」
などと考え出してしまいましたが、その話をしようとしても、
みんな忙しくて、誰も相手にしてくれない。
ようこそ『アスペルガーの館の掲示板』へ。(と、勝手に仕切っている。反省反省)
ボウルターさんwrote:
>ペンギンさんが時々この掲示板に訪れるそうですが、何という名前で投稿して
>いるのか教えて下さい。
はい、ペンギンさんは「ペンギン」さん、および「キマイラ」さんとしてこの『アスペルガーの館』に登場しておられます。
>阿字の故郷に戻った気分です。
あなたに大日如来のご加護がありますように。なむなむなむ。
>Mariaさんあなたは凄すぎます。ほれぼれします。どうぞこのままぶっちぎって
>下さい。
ぶっちぎりません。流水先を争わず。雲の如く行き、水の如く流れるのさっ!
>ここでは当分過去レスに向かって旅をする予定です。
びっくりされると申し訳ないので、あらかじめ申し上げておきます。
あたしはオトコなのさっ! あたしは「KILROY」のハンドル・ネームで登場している「所長」さんと「KILROY」さんの一部で、「Mr.Moto」さんや「Joshya」さんのお仲間でーす!
もしもあたしについて詳しくお知りになりたければ、救世義也(くせ・よしや)著、『ふたりで聖書を』(明窓出版、一六〇〇円)をお読みくださぁーい!
- Maria -
同じことの繰り返しみたいになってしまうのですが...。
アミメキリン wrote:
>私にとってはマジョリティ、マイノリティについての議論は意味がありません。
>(芸術が生まれるための強い原動力になるとは思います。)
>私にとって重要なのは、大槻さんが言われる「違うもの同士がお互いを認め合う」ことです。そして確かに数の少ない側は認められにくいと思います。
>他者に「それでいい」と言われることは実に稀で、「それでいい」と他者に
>言えるという事は、幸せな事です。
そう。
それは全く同感なんです。
相手を本心から認められるっていいことだと思う。
そして私は、自分は「自分と違う人」を認める能力は優れている方だと思っている。
でもね。
私がなぜその能力を獲得したのか、という疑問は残るのです。
①私がもともと頭が柔らかい。
②マイノリティであるぶん、「自分と違うもの」と接する機会が多いため。
③自分自身への評価があまりに低いから、「この人だって私よりはまし」と思っている。
「自分よりまし」な人間を否定することは、自分をさらに否定することだ。
それは苦しいから、こいつも否定せずにおいてやろう。
なーんて思考が働いてるのか。
できたら③であってはほしくないなぁ。
でも、周囲の「相違を認める能力」の低い人を見ていると、「私だって世間でまともに成功していれば
自分と違う人間を(ただ違うというだけで)否定してしまうんだろうなぁ」
なんて思うことも、よくあります。
>私は他者の感性を生きることは出来ません。それは、しんどすぎます。
>でも行動や能力ひいては人となりを認めることはある程度出来るように思います。
他者の感性を強要されて生きること・・・
私にもそれはしんどすぎる。
アスペルガーという概念を知ってはじめて、「他人と同じ感性を持っていないというのは、
感性が存在しないのとは違うらしい」と思いました。
ずーっと、同じように感じてるふりして生きてたからねぇ。
アスペルガーのことをもう二年知らなかったら、自分がどうなっていたか・・・ちょっと怖い。
武田さんへ。
「Lingko」さんはたぶん「銀杏(Gingko)」のシャレだと思うぞ。
ずいぶん昔のカキコだけど、No.0292を参照のこと。
なお、この件は「雑学博士」の所長さんの助言によります。 - Maria -
ななはさんwrote:
>レスありがとうございました。遅くなって済みません。
>参考になりました。
いえいえこちらこそ。ありがとうございます。お役に当てて嬉しゅうございます。
それよりも私のカキコが大量すぎて、みなさんを浮き足立たせてしまっているのではないかと恐縮しております。ゆっくりでいいんですよ?ゆっくりで。前のログはいつでも見られるんですから。
>えっと掲示が多くて混乱していますが、
そう。あたしが悪いんです。あたしが。ごめんなさい。m(_ _)m。へこへこ。
>私の場合、ここに書き込む自分は
>至って日常の私です。意外と自分で自分は分からなくて、他人の方が
>客観的に端的に捉えているのではないか、と思います。
なんか休日モードの所長さんたちみたいなひとだな。似たような傾向の友達に誘われて、とくに話をするでもなく、「これからどうしようか」とか言いながら目的もなくうろうろするのが好きとか。何かが「好き!」というのではなくて、何かを目の前にして「ここでこうしてコレと向きあっている私は何者だろうか」とか考えちゃうとか……なんかこう、いろんなものを並べてゴチャゴチャ売ってる場所が好きだったりとか……しそうな気がする。
>なるべーく目立たないようにするコツってないでしょうかね?
所長さんの元の職場(自衛隊)では「迷彩服とフェイスペイント」というのが定番でしたが……ダメですね(^_^;)。「敵に発見されにくい」カッコではありますが。
職場とかではなくて町中でしたら、「美大生ルック」「万年助手ルック」というのがありますが。野球帽、後ろで束ねたロングヘア、絵の具で適当に絵とか描いたTシャツ(冬場は山シャツを着用。カントリー風ワークシャツにクルーネックのセーターも可)、いいかげんな作業ズボン(サイズはダボダボ)に布製のベルト、安物のスニーカー、大形のキャンバス製バッグ、そんでもってあっちゃこっちゃ油絵の具だとか試薬のシミだとかで汚れている、で完璧。視線が気になるならサングラスを掛けます。こういうカッコでふらふら歩いてると、都会では「なんだコイツ」みたいに一瞥されるだけで、だぁーれも相手にしません。
だけど、じーちゃんばーちゃんと子供と動物は何かにつけて寄ってきますし、骨董屋のガンコ親父かなんかにつかまって延々と「ご講義」を聞かされてしまいます。
「女として」「社会人として」値踏みをされるのが鬱陶しいときは、そういうものを表すコード(規範)を放棄してしまうのが正解だと思います。
ではでは。 .- Maria -
I am very anxious about disappearing your responses for this page over a month.
How are you? What are getting along with you?
From yoshifumi Takeda.
はじめまして
こことペンギンさんのところを発見できて、私にとって今日は記念すべき日になりました。
阿字の故郷に戻った気分です。
とてもここちいいです。
私のマシンは頭に浮かんだことを文章にするのがとても苦手で、書いてある文章を理解する方ならきっと平均的な能力があると思います。
時々ハイレベルで私の知能の限界を超えてしまいますが、なんとかついていきたいものです。
特にペンギンさんとmariaさんのファンです。
ペンギンさんが時々この掲示板に訪れるそうですが、何という名前で投稿しているのか教えて下さい。
mariaさんあなたは凄すぎます。ほれぼれします。どうぞこのままぶっちぎって下さい。
感謝の気持ちを一筆書きたかったので。
ここでは当分過去レスに向かって旅をする予定です。
ペンギンさんの方は過去から現在に向かって旅だっています。
とても似ているところがあるので驚いています。
3つクリアーしました。
以前とても曹洞宗の尼僧になることに憧れていました。
現在親友のネコのミーチャンと同居しています。
とってもいいやつです。
私もミーチャンも座禅が苦手なので、もしできたとしても私はとても寒がりなので、一列に並んで洟をたらしながら座禅している自分を想像するといやです。
どんどん脇道にそれていきそうなので終わります。
You are welcome to "HOUSE OF ASPERGER'S SYNDROME", Mrs.supring.
I suppose you are not native speaker of Japanese language, aren't you ?
supring さん、『アスペルガーの館』へようこそ。
ひょっとしたら、supring さんは日本語で育っておられないのでは?
私は、過去十五年間、外国語で話していないので、英語をうまく使うことができません。ですから、日本語で話すことにします。
私の推測は、違っているかもしれません。もしもそうなら謝罪します。
小学校六年生の息子さんをお持ちで、知性を感じることのできる文章を書き、なおかつ日本語があまりお上手ではないので、そう判断しました。また、日本人は、「天才(genius)」という言葉をあまり科学について使いません(「数学がとてもよくできます」が普通です)。また、子供に対して「彼」もあまり使わず、「甥」「息子」をそのまま代名詞として使います。
アスペルガー症候群は、現在において、正確に理解された障害ではありません。したがって、日本語の習得の不完全さが、息子さんをLDと、甥御さんをアスペルガー症候群と、診断させた可能性を、考える必要があります。もしそれが正しいなら、成長し、日本の文化および習慣に順応することで、徐々に解決すると、私は判断します。
あなたがたに平安がありますように。 - Maria of Bethany -
Mariaさん wrote:
>
> 「この掲示板に書込みをしている『あなた』は、どんな『あなた』ですか?」
自分で「次回の来館は20日以降」とか書いておきながら、ふたたび舞い戻って来てしまった。
キーボードで打ち出される「わたくしザナディ(Xanadiiは『ザナディ』」と読む...ことにしといて。元ネタは元の皇帝フビライの構想した理想郷「ザナドゥ」を、女名前っぽくもじっってみた。深い意味はないのよ)」と、実際の、生身の人間であるところの私との間に、自分では「相違はない」というふうに了解しております。私は自分が「こういう人間に見てもらいたい」という主体的な欲求はないの。もともと現実空間じゃ絶望的なばかりに無口で、「喋りによる意思伝達」という手段を持たなさすぎる人間なのね。画面上じゃそこそこ喋れているように見えるだろうけど、1つの文章組み立てるのに、数時間はかかっているの。でもそんなのここでは結局関係なくなっちまうじゃない?文章でその人の人間像を復元することなどできない、というのが私の持論です。たとえば今までの文章読んだだけでは、私がモヒカン頭でスミ入りだなんてこと、私が書かなきゃ一生判明しないでしょ?文章にした瞬間から、私のイメージは刻々と変化してゆくし、それがまた文章を生成することの快楽でもあるんじゃないかな。
私がしゃべらない、ということに関しては、多くの人が、なんとか私の口をこじ開けよう、何かしら引き出そうという努力を重ねてきました。小学生のころ、学校の帰り道、数人のいじめっ子のグループにしつこくからまれたことがあったっけな。私の方では彼らの顔も名前も知らなかったし、ある日突然降ってわいたようにしか認識できていなかったけれど、今思えば、彼らの方では帰り道がいっしょだったとかなんとかいう事由で、私を認識し、私を―私の「異質性」を嗅ぎつけていたんだろうな。彼らは、私には想像もつかない方法で、私が「無口」だということを知っていた。彼らは私の口を割ろうと、小突き回したり、持ち物を取り上げたり、その他さまざまな嫌がらせをしては、「おいなんかしゃべれ」と強要した。ある日ついに耐え切れなくなった私は、一言「やめてよ」と弱弱しい音声を発した。そのとたん、グループのリーダー格の少年は、「よーし、しゃべったな。じゃあ許してやるよ」と囲いを解き去っていった。
> それに対して「私」にいちばん近い所長さんは、仕事上のトラブルに絡んで延々といろんなひととやりあった結果、かなり痛めつけられちゃったという経緯があります。ビジネス文書みたいな定型文書や技術文書の類はKILROYさんが書いているのでそれほど問題はないんですが、「自分の意志」というか、「自分の意見」というか、そういったものを書く立場である所長さんは、ここ数年かなり文章を書くのに苦労しています。
私はしゃべれないから、自分の場合たとえば文章を書くとか、音楽(クラシック)をやるとかいった行為に代替させているんだけれど、しゃべれるというのはそれだけで私にとってはうらやましいことなんだよね。それでもしゃべればしゃべるほど溝が深まるという事実だってあることは私にも分かるような気がする。私いまかなり自虐的に、自分のだいきらいな「しゃべる」という語を多用しているんだけれど(しゃべ?この語幹だけでも子供ごころに不快だったもんね)、さいきんは「お前なんでそんな無口なんだ」という突込みには「よく言われますよ」という切り返しで切り抜けることにしている。
> この掲示板に書込みをされているメンバーの中には、ほとんど素のままで出ていらしている方と、明らかに普段の自分とは別、あるいはふだん「自分」として手紙なんか(メールもそうです)を書いているときと、この掲示板に匿名で書込みをしている時ではかなり違うという方がおられるようです。
>
> そこでお聞きしたいんですが、この掲示板に書込んでいる「あなた」は、あなたにとってどんな人ですか? もしもそれが普段感じているあなたとは別の「あなた」だとすると、あなたと「あなた」が対話したときに、どんな感じがしますか?
しいて言えば「饒舌な自分」を演出しているという部分はあるのかも知れない。 私の頭の中は常にさわがしい。頭の回転の速さとは関係ないみたい。壊れたラジオみたいに、チャンネルが勝手に飛び回っているようなもので、自分でコントロールできているという確信はない。自分について、確固たる自己イメージというものはない(自分に自信がないということを、自信たっぷりに言い切っている)。それらはけっきょく他者が決めてることなんじゃないかと漠然と感じてる。思考体力減退中につき、なんだか覇気のない長駄文で失礼いたします。
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