アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
ああ、私は突然やってきては教えて星人のような書き込みだけして
逃げ去るようなまねしてますな、、。
過去ログから全部読んでるんですが。
書き込みに時間かかるうちに忘れてしまうらしい。
キロイさんのレスとか私に返事してくれていそうなモノがあります。
(勘違い??へへ)
ちゃんと読んでるよ。しかもツッコミたい事いっぱいさ!
だから、こっそり古〜いスレッドに突然レスしても笑ってやってください。
ううん。普通はどれくらい古いスレッドにレスつけていいものなんだろうか?
ネチケットってむずかしい、、、。
読む分には、長文や大量書き込みって私は大好きなんだけど。
BBS見にきて新しいカキコミ増えていると嬉しいしなあ。
またゴミレスですがおまけに、、、。
シンバルのような破裂音は私も苦手です。
最近も酔っぱらった妹が酒瓶を割った瞬間にマジギレしてしまい
怒り狂ったことがありました。
まあ、一種のパニックだったのかもしれないですが自分の怒りに自ら
ビックリしてしまい逆に気まずくなっちゃいました。
シンバルといえば、酷い中耳炎を煩っていた時にオーケストラの公演を
聴きにいき、(行くなよ、って、、。ヘヘ)曲の途中でバシャ〜ンと
シンバルが鳴ったとたん鼓膜に穴があいたことがあるのだ。
シンバルのバシャ〜ンという音と一緒に津波のようなドッパ〜ンという
凄い水音がして。
恐かったです。
シンバルが原因だったのかは解らないのですが、そうだったら凄いエネルギーだなあ。
あと、規則的なモノですが、ザナディーさんとは逆に私は落ち着きます。
電車のレール切り替えのリズムなど大好きです。
音楽や絵画でも反復するものに固執します。ザナディーさんが飲み込まれて
しまう恐怖に飲み込まれるのが私の快楽なのか、、、。
なんか、いろんな部分が逆なのが面白いですね。
って、面白がっている場合じゃないか、、、、。
私の苦手なものってなんでろう????思い出したら書きます。
すまん武田さん。地元の図書館がコンピュータ・システムの入換のために二週間の旧館中で、調査は来週の金曜日以降になる。
F-8という聖書だのシェイクスピア作品だのに登場する植物にめちゃめちゃ詳しい男もおるのだが、現在本職の半導体の製造が忙しくて連日帰宅が深夜零時を回るという状態なのでさすがに頼めぬ。許せ。
KILROY
Mebiusの“輪”さんwrote:
>ところで、なぜ鉱物というのはかくも美しい結晶を形作るのでしょう?
たぶん、逆なのだと思います。
人間は、結晶というものに、「秩序」を見るんです。だから、結晶を「美しい」と感じるんです。
プラトン主義とか、構造主義とか、ゲシュタルト心理学とかいったものは、そうした「人間の本質に根ざす秩序への希求」というものを主張しています。
秩序の代表としての天空に、「あっちこっちふらふらしている変な星」があるのを見て、「なんかそこには秩序があるんじゃないかな?」と思ってコペルニクスは地動説を立てました。「でたらめなもの」の中に秩序を見出そうとして、デカルトは確率論を創始しました。数学者マンデルブロアは、「ごちゃごちゃしていながら秩序を感じさせるもの」の正体をさぐっているうちに、「フラクタル幾何学」という概念に到達しました。
「自由」という言葉は、「自らに由る」と書きます。つまり、「自分自身の内なる秩序に従う」のが「自由」です。「外なる秩序」を盲目的に否定することを「自由」と呼ぶことはできません。
つまるところ、「それに従うことが、自分にとってもっとも自然であるようなこと」を法律とする国が、『アスペルガー共和国』なのだと思います。
− Maria −
またもやなんの役にも立たないヨコレスですが、、、、。
犬の声に関してはASの方には本当に多いようですね。
ここの過去ログにもありました。
私は特にひどい聴覚過敏がないので本当には理解できないのですが、、。
でも一般の方々の方が犬に関しては生理的な恐怖を持っている方が
多いようです。
私はとにかく犬が好きで、自分も犬と暮らしているんで、自分の犬が
そう言う方にとってモンスターにならないようにとても気をつけています。
一度、家の犬の散歩中に通りすがりのお兄さんが、ただ歩いているだけの
私の犬を見ただけでヘナヘナと腰を抜かしてしまったこともあります。
(私の犬は凄く大きいので、それは恐っかったのでしょう。)
これは極端とはいえ、似たようなことが結構あるので今は早朝や深夜に散歩
してます。お陰で、飼い主に断り無く犬に触る人に遭遇せずに済むので
助かります。本当はドンナに急に人に触られても怒らないようにしつけなければ
いけないというのが常識ならしいのですが、私はそこまで犬に強制できない
ので時間で住みわける方を選びました。
(私の犬は愛玩犬のような犬種と違って人に構われるのが苦手な犬種なので、生まれつき。)
消極的な選択ですが、何につけ生理的な軋轢を一番早く回避してくれるのは
お互いの違いを分かったうえでの住みわけなのかも、、、。
私のような飼い主からするとザナディーさんのような方が一番の理解者なんだなあ。
でも、そうとも言ってばかりはいられないので、聴覚過敏などの解決方法が
あれば私も知りたいです。
私の犬との遭遇が幼い自閉者に一生の傷をのこすようなことになったら
とても不幸なことだ、、。
そういう訳でこの辺の事を克服された方がいたら、教えてほしいなあ。
他力本願でごめんなさい。ではでは。
それと、実は犬ってもともとは吠えない生き物だったんだよ。もともと狼だし。
それを吠えるように改良してきたのは人間の都合であって。
だから、原始的な系統に属する犬種ってあまり吠えないです。
コンゴのバセンジーとか、遊牧民がつれているサイトハウンドとか。
アスペに関係なくて、しかも長文でごめんなさい。
ASの妻もどき wrote:
>わーい! お久しぶりでした。勝手にただいまです。
そんな訳で、もう一度がんばる。
お帰りなさい!!チイママです。
その後どうなったんだろうか・・・と影ながら心配してました。
元気そうで何よりです。
もう一度・・・って思える間は一緒にいて頑張ってあげてください。
普通の人でもなかなか性格は変えられるものではないと思うので、
ASのご主人さんの場合はもっと大変かもしれないけど。
って、勝手におせっかいなことを言ってすみません。
でもなんかうれしいのです。
横レスです。
昔、広辞苑を買ったころ、「あ」から読んでいって、
みょうなことば(いわゆるたほいや的ことば)を見つけては興奮しながら書き出していました。
後に「たほいや」というゲームがあると知ったときには大感激。
(たほいや仲間がいなかったのでやったことはないんですが)
さっそく、ぴよさんが教えてくれたページの日本選手権全問題集や杉並たほいや講座、全出題語リストをプリントしました。
ワクワクです。
リストの文字を見てるだけでテンションがあがりますー
わあ、るおうさん、なんだかはらはらさせてしまったようですみませんでした!
レス有り難うございます。 お気持ちを煩わせてしまってごめんなさい。
> 沢山下書きをしたけどアップできなかったけど、、
私もよくそういうことあります(^^;)
書き込みって難しい!
『アスペルガーの館の掲示板』に一見無関係に見えるが、そのじつ重要であると思われる話題について述べることにする。
すなわち、日本語においては「膣口」と「頭部」を指す語が語源的に同一ではないか、という仮説である。
知を愛し、ものごとの本質を追求せんとする欲求(これを知的好奇心、あるいは助平根性といい、これこそが哲学の原動力である)は、ASにとって最大の武器たりうる。これを「常識」だの「羞恥心」だのといった、権力者がその支配せんとする対象の思考をせしめんとして発明した欺瞞に満ちた言葉を鵜呑みにすることで抑圧してはならないっ! そのような態度は断固として糾弾されるべきであるっ!
……というわけで、「女性のあそこの名前」の話である。
昔の日本語では、「膣口」のことを「つび」といった。
この「つび」が「(目を)つぶる(つむる)」「(花の)つぼみ」と同源の言葉であることは容易に想像しうる。また、「つぶ」は「小さくまとまったもの」であり、「つぶて」は小さい塊、「ちび」は「小さくまとまっている」、「(鉛筆などが)ちびる」は「小さくなる」、「ちびちびと」は「(ほぼ一定の)少量づつ」、「(小便を)ちびる」は「少量でありながらある程度の量を排出する」という意味である。
「かたつむり」の古名である「まいまいつぶり」は、「ひらひらと身体ひらめかせて動く」(舞う)ものが、「固くコンパクトな姿になる」(つぶる)ことから「舞い舞いつぶり」と命名されたと考えられる。
すなわち、「ちび」「つぶ」「つむ」「つび」には「小さくコンパクトにまとまっている」という意味が、ほぼ共通してみられる、ということがわかる。「(口を)つぐむ」も系統としては同じである。「(糸を)つむぐ」も、「ふわふわとまとまりのないものを、よりあわせて細くする」のだからやはり同系であろう。
さて。頭部のことを「おつむ」と呼ぶ。これはかつて「つむり」「つぶり」と呼ばれており、古い日本語を多く残す沖縄では、「ちぶる」と呼ばれる(『ウルトラセブン』に「チブル星人」という頭だけの宇宙人が登場したのはここに由来する)。これも、頭部というのが目・鼻・口・耳などがコンパクトにまとまった、ひとつの「機能の塊」であるという点から命名されたものであろう。
したがって、俗に「巾着の口」と呼ばれる「膣口」は、「頭部」を表す「つぶり」「つむり」と同源の言葉であると推定される。
江戸時代には、女性の性器は「饅頭をふたつ重ねたような形」が最上とされた。そこで「おまんじゅう」が女性器の隠語として使われるになり、それが時代を経て「おまんこ」という言葉になったという事情があるらしい。しかし、現在では「おまんこ」という名称はすでに隠語たり得なくなってしまった。
よって「おまんこ」に代わる名称として「おつむ」を用いることを提唱する。
これなら人前で使っても後ろ指を指されずにすむ。
よーし、絶好調。 Mr.Moto
>武田好史 wrote:
> どうもありがとうございました!私は鉱物に興味をもっていたので、2年ぐらい前にちょっと思い立ってこの比を計算してみました。やはり同じ結果でした。
> そうか・・・これらの形のダイヤモンドの結晶って、一辺の長さが同じだったら、さいころ状のが一番大きいんだ・・・
> 数学の本当のおもしろさって、こんなところにあるんですね!
ところで、なぜ鉱物というのはかくも美しい結晶を形作るのでしょう?
Mariaさん、ありがとうございました。
後でじっくり解いてみることにします。
ところで・・・、
“どうやって解くのでしょう?”などとと書き込みをしてからふと気付いたのですが・・・、皆さん、“Mebius”がそんな事も知らないのか!とお思いになりませんでした?
・・・で、私のネームの由来についてちょっと一言。(自己弁護)
実は私、“数学者Mebius”ではなく“Mebiusの輪”の方なのです。
≪私がMebius(の輪)を名のる理由・・・≫
私の思考形態はなんだか“Mebiusの輪”みたいによじれてて・・・、表を走っているつもりが、ふと気付くといつのまにか裏側を走っていたりする。
これが本当の自分だと思って走ってるのに、どっちが表でどっちが裏なのかも良くわからない。迷いながら走っているといつのまにかぐるりと巡ってもとの場所に戻っていたりする。
何とかしようと半分に分けようとすれば、更によじれがひどくなり、どうにかしようともう半分に分けようとすれば、もっと絡んで縺れるばかり。
よじれてるけど、ありのままが一番いい。
“Mebiusの輪”って美しい。
よじれているから美しい。
普通の輪も良いけれど、“Mebiusの輪”の方が魅力的。
始末に終えないけれど魅力的。
なんだか、私達みたい。
・・・という訳で、Mebiusが数学に無知だということ、
どうかお許しいただきたいと思います。
あまり勉強してないけれど、数学・・・好きです。
だって、とっても魅力的。
―Mebiusの“輪”―
Mebiusさんwrote:
>どのようにして計算するのでしょう?
>公式でもあるのですか?
V = 1/3×S×h (V=体積、S=底面積、h=高さ) [錐体の体積の公式]
Z^2 = X^2 + Y^2 (Z=直角三角形の斜辺の長さ、X・Y=他の二辺の長さ)[三平方の定理、別名「ピタゴラスの定理」]
の二つを使って計算します。
まず、正四面体の体積。
正四面体というのは、「正三角錐」ですから、まず底面の面積Sを求めます。これがごちゃごちゃと計算して√3/2になります。
で、次に底面の頂点から、三角錐の頂点に下ろした点(底面の中心です)までの距離を求めます。これがいろいろあって1/√3。そうすると、高さh、この1/√3、そして三角錐の稜線が直角三角形を作りますので、hは√2/√3、となります。
V = 1/3×S×h
ですから、
V =(1/3)×(√3/2)×(√2/√3)
=1/6√2 (=√2/12)
になります。
正六面体。辺の長さ1の立方体なので、体積は1。
正八面体。底辺が辺の長さ1の正方形、稜線の長さ1の四角錐をふたつ合わせた形です。
正方形の対角線の長さは√2。稜線の長さは1。そこでまた三平方の定理を使って高さhを求めると、1/√2となります。したがって、
V = (1/3)×1×(1/√2)×2
= √2/3
よって結果は1/6√2:1:√2/3となって、全部に6√2を掛けると
1:6√2:4 ≒ 1:8.485:4
となります。
……ここまで計算して「やったね!」と悦に入っていたら、Mr.Motoがやってきて、「プログラマーは盗んでなんぼの商売だ。まず公式集を見ろ」と言われてしまいました。ばかやろー! しくしく。(←努力は買うぞ by KILROY)
悲嘆のMaria (←『ピエタ』か? by Joshya)
シュッツ wrote:
>武田好史 wrote:
>>数学が得意な方にお尋ねします。
>>
>> 一辺の長さが同じである、正四面体・正六面体・正八面体の体積の比は、どうなるのでしょうか?
>
>√2/12:1:√2/3
すっ、凄いです。シュッツさん。
どのようにして計算するのでしょう?
公式でもあるのですか?
―Mebius―
ボウルターさんwrote:
>働きたくない時は働きたいと思うまで無理に働かなくていい。
>働かないからといって決して差別してはいけない。
>働きたくない間はトルストイの「イワンの馬鹿」のように、人の残り物を食べ
>ないといけないとか、おかずなしでご飯と漬物と汁物だけとかルールをつくっ
>たらいいと思う。
『アスペルガー共和国』では、
○「一日(いちじつ)作(な)さざれば、一日喰わず。」
×「働かざる者食うべからず。」
ということになっています。労働は苦役ではありません。義務である以前に権利なのです。「世の中に対して何事かを作す(創造する)」ことは、多くの人にとって、すなわち生きることです。「働きたくない」というのは、罪ではなく病です。それは癒されねばなりません。
>子供の頃一度だけ台風ですごい雨・風の時、外に出てはしゃいだことがあります。
>すごく気持ちがよかった。
>2分ぐらいで母に見つかって、2度とするなと本気でおこられました。
>至福のひとときでした。
霊長類には普遍的に見られる行動で、これを「レイン・ダンス」といいます。
ただし颱風はあまりレイン・ダンスには適していません。やはり熱帯多雨林のスコールが最適だと思います。
蒸し風呂で十分に全身を十分に蒸らしてから、水で濡らした白樺の枝(若葉がついたもの)で全身をばしばし叩く、というのは、感覚的にレイン・ダンスに近いものがあります。フィンランドの人はレイン・ダンスを文化として保存してきたのかもしれません。
− Maria −
ボウルター wrote:
>アスペルガー共和国が現実のものとなってほしいです。
>>働かないからといって決して差別してはいけない。
私が描いている「アスペルガー共和国」のビジョンは、こんな感じです。
過疎化が進んでいる地域のとあるなだらかな山の南山麓に、作業場・診療所・居住するためのグルホ形式の家・学校を作り、山の山頂には人々が周りの景色見たり.天体観測を楽しめるような施設と太陽光・風力発電の設備をもうけます。また山頂と山麓の間の斜面には、果樹園・ハーブ園・野菜畑・お花畑をもうけます。農薬・化学肥料の使用は極力抑えます。
人々は、野菜や果物・作業場で作ったアスペの感性を生かしたオリジナル商品を売ったり、各グルホ毎にあるコンピュータ室でソーホやソフトのプログラミングをやったりして、生計を立てます。専業的に仕事をしたり・マンネリ化しないようにいろいろな仕事をしたり・鬱状態の時は施設の掃除をちょっと手伝って後は診療所で安静にしたり、とにかく自分が貢献しやすいかたちで無理なく、共同体生活できる体制を作りたいです。また、月1くらいは技術講習を行って、国民みんなが「働ける喜び」を分かち合えるようにしたいです。
学校では、私たちの子どもたちと不登校などに陥ったり・身寄りがないということで引き取られた里子が一緒に学んでいます。先生は私たちの審査で、優しく・子供好きで・判りやすい指導ができる人を公募により、選ぶようにします。その人たちと一丸になって、教える内容を工夫し、「おおらかに世の中で生きられる子」を育んでいきたいです。
ぴよwrote:
>#これって、いたって健全な会話だよね。。
そこで迷うから照れが出るのだバカモノが。
「健全かつ真摯な話である」と断じなさい。
孔雀は毒蛇を喰らってなお毒を受けず、蓮華は泥中に咲いてなお清浄である。
穢れはキミの心から出るのである。口から入るものに穢れはなく、口から出るものに穢れはある。
正心に還り、清浄の位を保って佛道を歩みなさい。
気分はほとんど織田無道 復活のMr.Moto
ひとりごとです。ですから、返事を求めて書いているわけではありません。
supring さんは、けっきょくどちらの方だったんでしょう。謎です。
大森総研の人たちは、「欧米人のものの考え方」について批判的ですが、べつにアングロサクソンを嫌悪しているわけではなくて、あたしを含めて欧米流の徹底したピューリタニズムにちょっとついてゆけない自分を感じているだけだったりします。で、そういうひとは欧米社会にもけっこういます。
で、なぜこんな話をしていかというと、ボウルターさんもひょっとしたら「欧米流の徹底したピューリタニズムにちょっとついてゆけない、欧米型社会に育ったひと」なのではないかと思ったからです。
なぜか。それは、ボウルターさんが、
>阿字の故郷に戻った気分です。
>以前とても曹洞宗の尼僧になることに憧れていました。
と書いておられたからです。
現在、大乗佛教は実質的に「日本の宗教」です。したがって、海外の仏教徒の多くは日本を目指します。
だけど日本人の九割は白陰禅師を知りませんし、阿字観も月輪観も知りません。ところが海外で日本の「禅」に興味を持っている人にとっては、これらはほぼ常識です。また、日本人で「阿吽の呼吸」の「阿吽」に「初めから終わりまで」という意味があるのを知っている人間は、おそらく百人に一人以下でしょう。ですが、キリスト教をその精神的基盤に持っている欧米の人には、『私はアルファでありオメガである』というキリストの言葉を知っていますから、自然に「阿」という言葉に「万物の根源」あるいは「万物の源泉」という意味を見てとります。
だから、「阿字の故郷」という言葉が、ほとんどの日本人にとっては(その中でもASの人間は精神世界に関する知識が一般人よりはずっと豊富であると考えられるにもかかわらず)意味不明だということを知らなかったりします。
また、日本では修行者に「兼学」を勧めることが多く、曹洞宗も「佛門(佛道の入口)」の一つでしかない、という考え方があるので、「曹洞宗」よりは「禅宗」を使いますし、「尼僧になる」よりも「佛門に入る」という言葉を使いそうに思いました。
ボウルターさんが、この『アスペルガーの館の掲示板』で、自分にふさわしい道を見つけることができたらいいな、と思います。そして、あたしたちがそれに協力できたらいいな、と思います。
ななはさんもあたしも孔雀明王(マウリヤ)の化身かも Maria
おはようございます
きのうは仕事がお休みだったので、一日過去のカキコを読んでいました。
所々戻れなかったのは残念です。
グレン・グールドのゴールドベルグ変奏曲を精神安定の為に時々聴いているので、グールドのところを見れなかったのは残念です。
ミーチャンの妨害に遭いながら(相手をしてくれないとキーボードに寝転ぶ強行手段にでます)、現在に辿り着きました。
一晩寝てどれくらい覚えているのかわかりませんが、軌跡のようなものは掴めました。
アスペルガー共和国が現実のものとなってほしいです。
人を騙したり小馬鹿にしたりする人のいないところで、助け合って心から笑えるような生活がしたいです。
みんなが交流できる広い広場を作って、話をしたくない時は「沈黙の部屋」・思いっきり叫びたい時は完全防音の「叫びの部屋」・人と目を合わせたくない時は気がすむまでサングラスをしていればいいし、働きたくない時は働きたいと思うまで無理に働かなくていい。
働かないからといって決して差別してはいけない。
働きたくない間はトルストイの「イワンの馬鹿」のように、人の残り物を食べないといけないとか、おかずなしでご飯と漬物と汁物だけとかルールをつくったらいいと思う。
子供の頃一度だけ台風ですごい雨・風の時、外に出てはしゃいだことがあります。
すごく気持ちがよかった。
2分ぐらいで母に見つかって、2度とするなと本気でおこられました。
至福のひとときでした。
人に害を与える行動ではないので、共和国ができたら是非もう一度やりたい。
果物の樹をたくさん植えて、野菜や米を作って鳥を飼って、現金収入としては鬱状態の人などが休養できる宿泊施設をしたらどうでしょうか。
アスペルガー共和国でなら心が癒されるのではないでしょうか。
あと住宅事情や年老いて一緒に暮してきた動物の面倒を看れなくなった人の為に長期に預かる施設をしたらどうでしょうか。
私の頭ではたいした考えは浮かびませんが、楽園に住みたいです。
Mariaさん wrote:
> したがって、あながち誤った表記と決めつけることはできません。
まぁ、「崩す」というのは、もとは「くづす」だったわけだし。
#これって、いたって健全な会話だよね。。
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