アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
ぴよさん wrote:
>私の想像ですが、、
>「普通の人は、常識という考え方に染まっていて、
> それが正しいと思っていることが多い。
> でも、それって、ある意味、「狂気」だよね。」
>という感じでしょうか。
まあそう言ってもいいですかねえ。(笑)
私は自分の考えを言葉にするのに非常に時間がかかる。後日考え纏めてみます。
私は別段新しい考えを持っているわけじゃないです。余り期待しないでね。
また後日に。
ボウルターさん wrote:
>この掲示板にだけアクセスできないといういやがらせに遭いました。
>卑怯なまねはやめてください。
大森総研のコンピュータからも、今日の夕方、この掲示板にだけアクセスできませんでした。
「しまった、日頃の問題発言がたたってシスオペに追い出されたか!」と、Motoさんは本気で思ったそうです。KILROYさんはこの掲示板がどうやって個人を識別しているのかについて考えをめぐらし、懸命にシステム破りの手段を考えていました。
「ひょっとして、『アスペルガーの館』と『アスペルガーの館の掲示板』のサイトは別で、『アスペルガーの館』のホームページからリンクが張ってあるだけで、単に『掲示板』のほうのサイトが不調なんじゃないですか?」
「……あ。(^_^!)」
システムの専門家にしてこの体たらくです。
「ボウルターさんが勘違いをするのも無理はないな」と所長さんは言っていました。
>ASこそが正しくて、普通の人がおかしいと考えるのは間違っている。
そもそも「アスペルガー症候群」というのは「病気の名前」なのですから、「ASこそが正しくて、普通の人がおかしい」というのは確かに間違ってはいます。
ですが、「民主主義の世の中では、少数の人間は多数の人間の都合に合わせるのが普通だ」とかいった主張をする人が、けっこう大勢います。世の中で「普通」とされていることで、「それって変なんじゃないですか?」みたいなことは、「世の中の大多数の人」、つまり「普通の人」の都合に合わせたものだったりします。
そういう、「『普通』だとされているけれど、実際には『変』なこと」は、少数派であるASのひととか、身体障礙者のひととか、「帰国子女」と呼ばれるひととかのほうが気づきやすいと思います。
べつに、「ASのほうが『普通の人』よりエラいのだ」と主張するつもりはありません。
だけど、「『世の中の多くの人がそう思っている』=『普通』=『正しい』」という訳ではないと申せましょう。
>さようなら
「さようなら」なんて言わないで、帰ってきてください。
寂しくなってしまいます。
− Maria −
makichan wrote:
#敬称略させていただきました。
>「ASは、自分が少しオカシイ、周りと違ってると思ってる分だけ、普通の人より、狂気の度合いが薄い。」
私の想像ですが、、
「普通の人は、常識という考え方に染まっていて、
それが正しいと思っていることが多い。
でも、それって、ある意味、「狂気」だよね。」
という感じでしょうか。
Maria wrote:
> ASの人間は、べつに五感が鋭いとかいう話ではないのだと思います。同じ世の中を普通の人より過酷な条件の中で生きてゆかなければならないので、ものごとの区別に細かく注意を払うようになった、ということなのではないでしょうか。
こんにちは。あの・・自分ではうまく書き表せなかったことを、はっきり言葉で表現してくださって感激(これが正しい言い方なのかはわからないですが)しています。私は何と言うか、考えることが好きなんですけれど・・それを言葉や文章にして外へ出そうとしたときにうまくいかないというか、そういうことが多くて、この掲示板に書き込みはじめてから夜眠れなくなってしまって、それはなぜかというと考えているからなんです。自分の書いたものや人の書いたものを読んで、気になることや心引かれたことや、そこから発生するさまざまな思考がぐちゃぐちゃと頭の中で行ったり来たりしていて、また掲示板に書いている自分を想像したり、ひたすら誰かにむかって話していたりというかたちでずうっと続いているわけなんです。この状態は私にとっては幸せなんですけれども、昼間の日常生活のなかではどうしても他にやらなければならないことを優先しますので、夜ふとんの中で続ける以外に方法がなくなってしまってます。理性(と言うのかなぁ)が働けば「明日のために夜は寝る」という行動になるんですが、今はそれができなくて・・結果的に体のほうを追い込むことになるので、医者にいって安定剤を処方してもらうべきかなぁとか、SSRIの服用量を増やしてもらうべきかなぁとか思ってはいるのです。でもめんどくさくて、ひたっていたいなぁこの幸せに・・私のほうが登校拒否になってしまいそうだよなどと娘に愚痴っているのです。(今、毎日いっしょに学校へ行っています。で、先生方から「おかあさんごくろうさまですね。大変ですけどがんばってくださいね」などと声をかけてもらい、本当は「やりたくないよ、こんなこと!!」と叫びたいのをこらえている日々なので)
> 犬猫に好かれる、というのも、ASの人間は犬猫と向かい合った瞬間に、「観察モード」に入ってしまうからだと思われます。つまり、「あ、この人間は私に関心があるのだな」と相手が判断するからなんじゃないでしょうか。
> だから、相手が警戒心の強い犬だと、「あやしいヤツ」とか思われて、かえって吠えられたりします。
> 『Re: 質問(海外でぜひ行ってみたいところは?)』(No.3341)以降、しばらく話題になっていたのですが、ASの人間はなぜかやたらと知らない人に道を訊かれたり話しかけられたりします。これも、目が合った瞬間に相手を観察するモードに入っちゃうからのような気がします。
ここがすごくわかりやすくて納得できて(私の場合”頭で知識として理解する”のと”自分が納得する”のとは別のことみたいです)「観察モード」っていい言葉だなぁ、うんうんそんな感じがぴったりだわなんて独り言いって喜んでしまいました。確かに観察してますね、いろいろなものを。「観察がすきなんだねぇ」と人に言われたこともあります。
> なお、「五感」と呼ばれる視角・聴覚・味覚・嗅覚・触覚のうち、味と臭いは大脳周辺野という無意識に近い(動物的な)部分の機能に属します。ですから、他の感覚と違って、「意識の底から湧きあがってくる感じ」があります。「臭い」「臭う」というのは、「論理よりも直感に働きかけてくる」という意味で、適切な表現だと思います。
> したがって、味や香りは映像や音よりも記憶を呼びさます力が強い、とされています。マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』では、紅茶に浸したマドレーヌが、記憶を呼びさます重要な小道具として登場します。
> また、ローズマリーやミントにも、記憶を呼びさます作用があると言われています。
勉強になりました。というか、新しい思考のネタを提供していただいて感謝します。これで今夜も眠れないな(^^;というのは冗談ですけど・・五感って漠然と使っていて、よくわかっていなかったことは反省しています。ASの人って、聴覚過敏や触覚過敏がわりと多いのかなぁくらいしか考えていなくて、私はそうじゃないらしいが(今は)、昔のことは覚えていないなぁなどと、するすると取りとめもなく流れていってしまう思考(こういうのも思考と言えれば)の中で自覚もなく使ってしまったような気がします。
それにしても〜・・・記憶が薄れているのは年くった証拠ですかねぇ。においには割と敏感なほうですし、ミントの香りって好きなんだけれど、積極的に嗅いでみれば何か思い出すかしら・・・。Mariaさん、ありがとうございました。パソコンの画面を読むのも書き込むのもすごく時間がかかる私ですけれど、できるだけここの話題を読んでいきたいです(できるかどうかは別問題ですけど・・・残念ながら) 失礼しました。
ボウルターさん wrote:
>>ASこそが正しくて、普通の人がおかしいと考えるのは間違っている。
ぴよさんwrote:
>私はASと診断されたのですが、
>ここの部分について、ボウルターさんと同じ考えを持っています。
>「ASこそが正しくて、普通の人がおかしいと考えるのは間違っている。」
>そう考えるASの人が、すくなくとも、ここに一人います。
私のカキコNo.4209を見ての発言でしょうか。発言内容少し補足訂正します。
「ASは、自分が少しオカシイ、周りと違ってると思ってる分だけ、普通の人より、狂気の度合いが薄い。」変な日本語になりましたが、今はこうしか言えません。いずれもう少しその事を説明したいと思います。
>ななはさん wrote:
>
>>アスペあるいはその傾向が強い人はどちらかと言えば猫型人種のような
>>気がしますが?
>
自分が猫型かどうかはともかく、猫型の人となら、結婚してもやっていけるかも知れない。。。
ASの人が、現在直面している問題としては、次のようなものがあると思います。
1.一生涯を通して、継続的なケアを行える機構がない。
2.同じようなハンディをもった仲間が集い、切磋琢磨して、社会における自分のあり方を模索できるような場がない。
3.障害が社会的に認知されたものでないため、本人のみならず、親御さん・兄弟も、いざというときの社会的な保障が受けられるかどうか不安である。
4・鬱状態や極度の不安障害などのため、仕事が手に着かず、引きこもりをしている人が少なからずいる。
NGOを目指すのであれば、まず私たちがフェイス・ツウ・フェイスで「問題点は何か?」を洗い出して、それを基にして社会に働きかけ、協力者を得ていくのが良いだろうと思います。
とにかくAS・LD・ADHDなどの軽度発達障害児・者が、「生きていて良かった!」と心からいえるような感じのサポートシステムを創ることが、今いそがれることだと思います。
ぴよ wrote:
>実は、私も、さっきまでこの掲示板にだけアクセスできない状態でした。
>もしかしたら、この掲示板のサーバーがダウンしていたのかもしれません。
「掲示板のサーバーがダウンしていた」
というのは、専門用語ですね。
ぶっちゃけた話、
「掲示板を管理するコンピュータが疲れて倒れちゃった」
という感じです。
ボウルターさん wrote:
>この掲示板にだけアクセスできないといういやがらせに遭いました。
>卑怯なまねはやめてください。
>コンピューターのことはわからないので、どんなことが出来るのか知らないけど、ここにはもうこないから嫌がらせはやめてください。
実は、私も、さっきまでこの掲示板にだけアクセスできない状態でした。
もしかしたら、この掲示板のサーバーがダウンしていたのかもしれません。
>ASこそが正しくて、普通の人がおかしいと考えるのは間違っている。
私はASと診断されたのですが、
ここの部分について、ボウルターさんと同じ考えを持っています。
「ASこそが正しくて、普通の人がおかしいと考えるのは間違っている。」
そう考えるASの人が、すくなくとも、ここに一人います。
掲示板の今の状態が、
「今のあなたにとって気持ちよくない」
のでしたら、
その掲示板を見ない・掲示板に書き込まないことは、
とても良い方法だと思います。
ここらへんは、「引きこもり」と同じことだと思います。
これは、悪いことではないと思うんです。
でも、もし気分が変わりましたら、いつでも遊びに来てください。
明日のあなたは、今日のあなたとは同じではありません。
明日の掲示板も、今日の掲示板とは違うと思います。
yachan wrote:
>特に、人に関するお喋りが大好きで、人のことを悪いように言ったり、(一生懸命頑張っている人に対して)馬鹿にしたように言っておしゃべりを楽しんでいる・・。特に、私達みたいな人間(自分達とは違うタイプの人)を話題に取り上げて、馬鹿にして笑って盛り上がってたりする。
はじめまして。やんちゃんといいます(なんか名前が似てますねー)。
こういうのってあるあるー、って思いました。
特に同年代の人での飲み会っていうと、ほとんどこの手の話題だったりします。
私は共感する以前に、話題の物事に気がついていないので、全然ついていけない。それで、もっと周りをよく見ていないと、なんて考えちゃうんだけど。
でも解ったからといって、一緒になって嗤う気にはなれない。私も話題の人に近いからね。。それに、そんなに馬鹿にするようなこと?って思っている。そういう人って、自分たちを「できる人間」だと思ってるんでしょうね。私はその場にいるのが、ひたすらいたたまれない。
だから、こういう会にはできれば参加したくないんだけど、でも一応「顔つなぎ」っていうか、交流できる時にはしておかないと、と思って、頑張って参加しているのです。
この掲示板にだけアクセスできないといういやがらせに遭いました。
卑怯なまねはやめてください。
コンピューターのことはわからないので、どんなことが出来るのか知らないけど、ここにはもうこないから嫌がらせはやめてください。
ASとも自閉症とも言われたことはないけど、言われた病名は鬱病です。
母親から愛されず虐待を受けて、男には幼稚園の頃からいたずらされた心の傷があるので、ASの人も苦しんで生きてきたようなので、分かち合えるのではないかと誤解していました。
賢くても人間に輩なんて言葉を使うのは私より馬鹿です。
ASこそが正しくて、普通の人がおかしいと考えるのは間違っている。
知人のプライベートを書いてしまった部分は削除しました。
さようなら
MO wrote:
>早速のご返事ありがとうございます。
>いろいろと考えさせられました。自分も子供に対してひどい言葉を
>行ってしまう事があります。
>よく「ちゃんとしなければいけない!」と言ってしまう場面が
>多々あるのですが、親として本当にあるべき姿というものがどんな
>ものなのか、わからなくなる時があります。
>本当に彼が望むものは何なのか?彼にとってどうゆう態度を
>とるのが最良なのか?
こんにちは。具体的にどういう時にひどい言葉を言ってしまわれますか?
ぐずぐずしている時?言うこと聞かない時?
ちゃんとする、がどういう事を指されているのか分かりませんが、
他人の子ども達と比較していらいらする必要はないと思うんですが...。
おはようございます。北海道は今日も暖かく春の喜びにみちあふれています。
あさかぜさん。はじめましてADHDの息子を持つ、ついでにASの夫(まだ未入籍なのですが)とその子ら含め六人で暮らしています。よくテレビで子沢山一家という番組を見ていて、その乱雑さ、ごちゃごちゃの生活・・・。私には無理と思っていたのに、人生はわからない。私の睡眠とひきかえに家の中もごちゃごちゃにならず、乱雑にもならず、生活してます。また遊びにきてね。仲間が増えるのは嬉しいもの。
キロイさんのカキコ見てると、本当にうちの夫と同じで、こんな風にやって
いるのだろうな・・・なんて見えてしまいます。
家の夫もなんでも出来ます。料理も整理整頓も何かひとつ、ものを作るので
も玄人はだし・・・。なんでも出来すぎて、やはり、私なんかいらないんじ
ゃない?って思いました。でも、私って人もなんでもやってしまって、でき
てしまってだあれも助けてくれないってことで悩んだ人なので、相手方に無
力感を味あわせてはいけないと思うから、彼がやろうとしている時は、引く
ようにしています。はじめの頃は、私自身なんでもやることがあたりまえで
、意識してなかった為、彼のなんでも自分勝手にやるなという言葉に何度泣
いたことでしょう。彼はキロイさんほど優しくないかも知れません。
こんなに文句もいわず、がんばってる私を少しは評価してよ。たまには「ご
くろうさん」とか言ってよ。と思うけど、まちがってもそういう言葉は、だ
せない人なので、この間のように、荷物まとめて・・・ってことになるのよ
ね。ひとごとだろうけど。
ASの傾向は同じでも人によってずいぶんちがうんですね。優しさっていう
のをどんなふうに捉えていらっしゃるのでしょう。
私はここでいう普通の人なのだけど、とってもにていると、感じています。
私も子供の頃からなんでも出来て、一度見たことを瞬時に記憶してしまうよ
うなこどもでした。とりわけ小難しい言語、和歌とか、短歌。数字の羅列。
色、柄、などその時の状況とともに記憶してしまい、たまに親に聞かれると
その状況、誰がどんな服装で、どんな色で・・・などと話して、なんなの
この子は・・・。と見られていました。
運動神経もよく。いつもリレーの選手。運動能力テストはいつも学年一番
で、勉強もした事はないのにいつも百点でした。いつもなぜ他の子たちが
わからないのかが、解らなかった。私の記憶の仕方がみんなと違うと気付
いたのは、高校の頃。私は、ページをビジョンとして脳に記憶させるので
、たしか、このことは、このページの、一番下にあったと思い出して、脳
の中にそのペーシ゜を開きパソコンの画面のように下にスクロールして、
そのの場所を検索し拡大してみるんです。この話を人にするとへんなやつ
という顔をされるので、二度としませんが・・・。
そんなわけで当然きらわれたり、いじめられたりしましたよ。
わかってくれる人は友人として今もみんな付き合いがあるんだけど、子ど
もの頃は陰口のオンパレードで、人と付き合うのが苦手だつた。
目立たないように、人よりはみ出さないように、生きてきました。私を救
ってくれたのは、茶道でした。静かに集中し、余計なことを言わずすむの
で私に合っていたのでしょうか。私も傷ついた子どもでした。いつも心の
なかに寂しい風がふいていると思ってました。人と違うことを苦しんだの
は、普通の人でもいるのです。私は普通の人たちの会話にいまも入っては
いけません。儀礼的にはしますけど。
ここの人たちの方が理解できるんです。だから、私は苦しみながらでも、
ASの夫といるのでしょうね。だから私が去ったときの彼の苦しみ・・
誰も解ってくれない・・・という気持ちを無視できずに舞い戻ってしまっ
たのだと思います。私にとっての愛はありのままのあなたを大切に思うこ
と。それは、すべての人に対して・・・。
うだうだ書きました。普通の人にもいろんな人がいるという事を知っても
らいたかった。読んでくれて有難う。時間がおしてるのでまた。お邪魔し
ました。
て
りふれくとさん wrote:
>ボコボコにされてちょっとげんなり気味の「りふれくと」です。
(^_^;) じつのところこのあたりが掲示板の恐ろしさなのだな。
『アスペルガー共和国』に関していえば、今のところ二つ、より細かく分類すれば、三つの流れがある。
ひとつはりふれくとさんが言うような、「ASの理想郷」である。ただし、「ユートピア」という言葉が「どこにもない場所」を意味するように、現実的ではない。そして、そういった「原初ナルチシズム」の段階に永遠に留まっているのは望ましくない、という話にもなるのである。
とはいえ緊急非難的に逃げ込む場所としては確かにそういう場所も必要であり、たまたまそういう場所を見つけて羽を休めている人間を不用意に追い立ててはならんぞ、という話もした。
「金剛界曼陀羅」だとか「さび」「わび」だとか "NOWHERE MAN" の訳詩だとかはそういった流れのなかにある。
ふたつめは、プロジェクトとして実際に(そして、ひっそりと、かつ確実に)進行しつつある『アスペルガー共和国』に関する流れであり、これが大きく分けてふたつあって、「組織」としての『アスペルガー共和国』(あるいはNGO組織「ヘヴン」)についての部分で、もうひとつが「世界アスペルガー共和国化計画」(オウム真理教の「世界印度化計画」のパクリである)という、理念としての『アスペルガー共和国』の部分である。
で、ここでりふれくとさんの書込みについて検討してみたい。
>いいと思います。確かにいいと思います。
>しかし、一度このような……ある意味「甘い」世界に行ってしまうと、後で
>「普通の世界に戻ってみたい」時に、容易に戻れなくなってしまいそうで怖
>いです。
>また、ASだけのカテゴリーを作ってしまうと、社会がASを受け入れるた
>めの妨げとなってしまう……といった懸念もあったりします。
>個人的に反対の立場ではありませんが、実際入国するか?……と聞かれると、
>ちょっとなぁ……と思うのもまた事実です。
ASの特徴のひとつに、「自殺企図の高さ」というのがある。そして、いじめによって学校や職場から排除され、「引きこもる」ことでかろうじて「自己消去願望」に耐えているというひとも少なからずいる。で、この『アスペルガーの館の掲示板』が、そういうひとたちにとっての唯一の「外界への窓」であるという可能性もまた高い。
だから私はしつこく「鬱状態に落込んでいる人間を、不用意に叱咤激励し、追い立てるようなことをやめろぉ〜っ!」と叫んでいるのである。
だとすると、
>しかし、一度このような……ある意味「甘い」世界に行ってしまうと、後で
>「普通の世界に戻ってみたい」時に、容易に戻れなくなってしまいそうで怖
>いです。
……というのはないんでないかい?と普通思うべさ。誰も好きこのんで引きこもっとる奴はおらんし、幻想の中に逃げこんでいてもいつかは現実との乖離が起きる。いわゆる「普通の世界」にいつかは戻るべきだというのは本人がいちばん、そして嫌っちゅーほど分かっとるのである。「そんなもん人に言われとうないわっ!」と怒る気力があればまだいい。そのままずっどぉーん……と落ちこんでしまった人だってたぶん何人かはおるだろうと思う。
そう、掲示板の恐ろしさはここにある。書込まない人間は見えない。だけど、見えないからといって存在しないわけではない。それはアクセスカウンターを見ればわかる。
りふれくとさんの失敗は、その「見えない大衆」に対する配慮を欠いたことである。本来だったらその「見えない大衆」の番犬ともいえる Motoちゃんが喉元に喰らいついてしまうのだけど、そこまでやるとりふれくとさんが立ち直れなくなっちゃいそうだったので、まだしも穏健派と目されている私が登場することにあいなった。だから、今回の件は私個人がりふれくとさん個人に対して怒っている、ということではない。ただし私自身が権威として君臨しているなどと思いたくもないのでひとこと言い添えておくと、これは「引きこもる」ことでようやく「生きること」に耐えている人間の声を形にしたものだと私は思っている。
二十五年間引きこもりを続けている男性を追ったテレビ番組を私も見たが、所長氏は「私は彼より引きこもりに入る時期が二十年遅れただけのような気がする」と言っていた。
で、その「普通の人間」による「普通の世の中」を「普通の人間の立場で体験してきた」私が思うに、「普通の世の中」を「普通の人間」として生きるのは引きこもっているよりはるかに楽だったりする。べつに
>このような言葉を聞くと、希望の光が消えゆくようでホント悲しくなります。
だなどと悲観する必要はまったくない。はっきり言って世の中は「ちょろい」。ところが、「普通の人間」は世の中が「ちょろい」ということを認めないのである。
『プレジデント』という企業経営者向けの雑誌があるが、何かにつけて戦国武将だのなんだのの話が出てきて、「戦い」だとか「生き残り」だと「戦略」かいった語句が頻出している。『Big Tomorrow』なんていう若手サラリーマン向けの雑誌もあって、これも方向性は同じようなものだ。で、なんでこういう雑誌が存在しているかというと、「我々は過酷なビジネス社会という戦場で日夜戦っているのだ!」とかいった幻想を彼らが必要としておるからである。大森界隈は町工場の町として知られており、そういった中小企業の経営者の苦労を考えるとサラリーマンの世界などというのはヌルくてヌルくて風邪でも引いてしまうくらいヌルい。こうなると幻想なんかに浸っていられるわけもなく、当然のように愛読する雑誌は『ツールエンジニア』かなんかになってしまうのである。
ところが、サロン化したサラリーマン社会では、「仕事ができる人間」ほど生きにくい、という現実がある。「普通の世の中」を「普通の人間」として生きるというのは、すなわちそういったサロンに適応するということであって、これが可能である人間を私は「狭義のAS」、すなわち「対人関係に困難のある障礙者」としてのASに含めることに疑問を抱く(「当人に堪える難いほどの苦痛がある」というのなら認めるが)。
で、実際問題として、熱処理がどうの加工歪みがこうの応力集中がどうしたのといった会話をしているぶんにはサロン文化もへったくれもなく、すでにしてASだ非ASだとかいった区別すらも無意味である。そんなわけで、私にはりふれくとさんの言う「普通の人間」による「普通の世の中」を「普通の人間の立場で体験する」という言葉の意味が、実感として迫ってこないのである。
所長氏はコンピュータのプログラマーとして優秀であり、企業の一員としても優秀だった。で、優秀であるがゆえに不幸のズンドコに叩き落とされたという経験をしている。りふれくとさんが所長氏と同じような体験をしたいと思っているようには思えない。証券会社や銀行が倒産をするというのは「普通の世の中」の出来事であるが、その煽りをくって勤めていた会社が倒産して退職金すら貰えずに職を失って路頭に迷って、「そうだ、これこそが『普通の社会』の醍醐味なんだ!」と喜びを噛みしめたいかというと、そうではないと思うのである。闇金融だの仕手戦だの会社乗っ取りだのインサイダー取引だのといった話は確かにAS向きの話題ではないから「普通の人間」による「普通の世の中」の話なんだろうけどさ、じゃあ、「普通の人間」とか「普通の世の中」って何なのさ、ということになっちゃうと思いませんか?
つまるところ、「普通の人間」も、「普通の世の中」というものに飽き飽きしていて、「普通の世の中」に適応しちゃった「普通の人間」である自分に飽き飽きしているのである。だから、「本当の人間」、「本当の世の中」、「本当の生き方」とかいった話になると、もはやASも非ASも願うところはほぼ同じ、ということになってしまう。
「普通」というのは、「本当」の部分からズレてしまった人間が、自分のエゴティズム(利己主義。「エゴイズム」は「自己主義」で、「自己中心主義(エゴセントリズム)」とほぼ同じ意味)を正当化するために使われているという現状がある。そこのところをもう少し深く考えてほしいと思う。
KILROY
ななはさん wrote:
>アスペあるいはその傾向が強い人はどちらかと言えば猫型人種のような
>気がしますが?
私も、そう思います。
猫型の人のほうが、自分にとっては、つきあいやすいです。
#もちろん、犬型の人とも折り合いをつける技術も、大事ですが。。
今の仕事も、研究開発という、どちらかというと猫型の仕事だし。
#これも、人間をふたつに分類しようという目的でいっているのではないです。
#まぁ、「性格をあらわす軸のひとつとして、こんなのがありそうだ。」という感じでしょうか。
犬型と猫型について、「なるほど」と思える言葉をいくつか。
#「どちらが良いか」という話は、なしにしましょうね。。
「犬型」の人いわく:
>> 人間は犬型の生き物である。建前として自由が認められてはいるが、周囲の人間はそれを許さないし、むしろ人間は自分から従属と支配を好む。それが生きがいでもあり、快楽であるからである。
http://nestoris.virtualave.net/networked/16.html
>> 猫型より犬型の方が優れていることは、常識で考えればすぐにわかる。
>> 「きまぐれ」とは、どちらかと言えばマイナスイメージで受け取られるのに対して
>> 「従順」という言葉は、プラスのイメージがあるのは明白だからだ。
http://home3.highway.ne.jp/mgb/diary.htm
「猫型」の人いわく:
>> 猫派の人は猫しか見ておらず、犬派の人は猫と比べて理由づけしているのが面白いですね。
http://www.psikyo.co.jp/psikyo/diary/99/990920.html
>> これまで、猫好きが犬の欠点を列挙して、犬好きをタジタジにさせているのなんか見
た事ありません。
http://www.interq.or.jp/kyuushu/dgoto/dec99c.html
さくらかのえ wrote:
>そういう番組を見て(または話をきいて)、「甘えてる」とか「逃げている」とか、
>「理解されなくてもしょうがない」とか「親は大変だ」とか
>紋切り型の感想しか出てこない人にはうんざりする。
>
>同僚などと話していると、ときどきあまりの「感性の違い」「物事の捉え方の違い」
>に愕然とすることがある。同じ日本で日本人で収入レベルもそう変わらず、
>同性で、同年代で同じ時代を生きているのに。
>
>同僚たちが言う「可哀相」は単に相手の状態を形容しているだけにきこえる。
>自分の今いる位置からしかものを言っていない。
>人間は基本的には誰でも自分の経験や立場からしかものを言えないが、
>そのことに気づかず、一方的な言葉を垂れ流している輩が多すぎる。
>
>自分の子どもや兄弟や夫が引きこもりになったとしても
>「甘えてる」などと言えるのだろうか。
>自分や自分の家族が同じ状況に陥ったとき「可哀相」と言えるのだろうか。
うん。私も同感。
いわゆる普通の人っていうのかな? あんまり考えずにお喋りを楽しんでいるみたい。特に、人に関するお喋りが大好きで、人のことを悪いように言ったり、(一生懸命頑張っている人に対して)馬鹿にしたように言っておしゃべりを楽しんでいる・・。特に、私達みたいな人間(自分達とは違うタイプの人)を話題に取り上げて、馬鹿にして笑って盛り上がってたりする。私はそばにいて、きゅんと胸が痛くなる。私は、こういう軽軽しく人を評価する人が大嫌い。なんてうすっぺらでつまらない人だろうと、思う。こういう人達とは一緒にいたくない。第一、楽しめない。一緒にいるだけで、うんざりする。
早速のご返事ありがとうございます。
いろいろと考えさせられました。自分も子供に対してひどい言葉を
行ってしまう事があります。
よく「ちゃんとしなければいけない!」と言ってしまう場面が
多々あるのですが、親として本当にあるべき姿というものがどんな
ものなのか、わからなくなる時があります。
本当に彼が望むものは何なのか?彼にとってどうゆう態度を
とるのが最良なのか?
りふれくとさんの書き込み、読みました。
わたしは、りふれくとさんを叩くつもりはありません。
自分の個性を誇りに思うのも、
自分の個性を「変えたい」と思うのも、
それは、ひとりひとりの自由だと思いますから。
「アスペルガー的な個性」と、「普通の人的な個性」の、
どちらがよくてどちらが悪いということもありません。
#Mariaさん、許してね。
#ここでは、便宜上、「アスペルガー」と、「普通の人」という言葉を使いました。
#ひとくくりにするつもりで使ったわけではないのですが。。
りふれくとさんは「普通の人的な個性」を目標としているし、
私なんかは「アスペルガー的な個性」を誇りに思っている。
これとはぜんぜん違った考えの人もいるかもしれない。
そういうことだと、私は思います。
追伸。
「KILROYさんは、りふれくとさんのことを叩くつもりで
あの文章を書いたわけではない。」と、私は思います。
たぶん、「アスペルガー的な個性を誇りに思ってもいいのでは?」
ぐらいの意味で書いたんだと思います。
まぁ、KILROYさん本人からのコメントをいただけるのがベストだと思いますけど。。
ボコボコにされてちょっとげんなり気味の「りふれくと」です。
まず、メインに入る前に、
忘れられないように(^_^;
No.4214 Tue, 17 Apr 2001 02:15:44 +0900 りふれくと
の文章中に、一部説明不足の点があったことでこの板を荒らしてしまったことをお詫びします。
>KILROYさん
ふむぅ・・正直ここまで叩かれるとは思ってませんでした。
別に「アスペルガー共和国」を批判するつもりは毛頭なく、武田さんの
>そのとうりです。だからアスペルガー共和国は、実現不可能な構想なのです!
についても反対の立場です。
しかし・・説明不足は怖いですね(^_^;
まず、最大の説明不足は
>個人的に反対の立場ではありませんが、実際入国するか?……と聞かれると、
>ちょっとなぁ……と思うのもまた事実です。
ここの辺りでしょうか。
この言葉は、「りふれくと」自身のASに対する考えがあって出たもので、別に「アスペルガー共和国」に対する嫌味でも皮肉でもありません。
詳しくは、「りふれくと」の初カキコ(http://www.nadita.com/bbs/yakata/bbs.cgi?L=2885)
を見てもらえると分かりますが、「りふれくと」は、「ASでありたくない」人間であり、「ASを治したいと願う」人間でもあり、そしてKILROYさんが「大っきらいな」と表現した「普通の人間」による「普通の世の中」を「普通の人間の立場で体験してみたい」人間なんです。
ですから、
>われわれASは、はなっから「普通の世界」の住民ではない。それをりふれくと君は忘れてはおるまいか。
このような言葉を聞くと、希望の光が消えゆくようでホント悲しくなります。
それを踏まえれば、その前の
>しかし、一度このような……ある意味「甘い」世界に行ってしまうと、後で
>「普通の世界に戻ってみたい」時に、容易に戻れなくなってしまいそうで怖
>いです。
という言葉の意味も理解して頂けると思います。
ASの人間が大多数を占める世界に暮らすことが、多くのASの人のためになることは理解していますが、そこに「AS」の立場で住むということは、「ASとして生きる」「ASを受け入れる」事を認めるのに繋がるのではないでしょうか?・・そう思います。
しかし、「りふれくと」は、その現実が非常に嫌な人間です。
画期的な新薬の開発でASが治せる、僅かな可能性を願い続ける人間です。
そうでなくても、日々の行動の中で絶えず「ASという現実に甘んじない。絶えず向上していく。そして、1度の挫折で決して諦めない」ことを目標に努力している人間です。
疲れたときに「アスペルガー共和国」に静養に来る・・そんな感覚なら構わないんです。しかし、それを続けていると、いつの間にかこの環境に慣れてしまい、そして「りふれくと」自身が目標から逃げてしまい、「りふれくと」の持つ「普通」という名の夢が結局果たせずじまいに終わってしまう・・それが怖いんです。
ですから、「りふれくと」は自らの希望を叶えるために、「ASにとっては厳しい現実の社会」をあえて選択します。
「甘い」というのは、本来の意味だけではなく、そんな「りふれくと」自身が夢を諦めないための「叱咤」でもあります。
すみません。訳分からないことを言ってますが、大目に見てやってください(^_~;
眠いので続きは明日書きます。
あたしが胃痙攣の発作を起こしたときに役にたったのは、ラマーズ法でした。
例の、「ふっふっふー、ふっふっふー」という、あの呼吸法です。
「う〜〜〜〜〜〜〜〜、う〜〜〜〜〜〜〜〜」と唸るのもいいと思います。
「ちぃ〜くぅ〜しょぉ〜、ばぁ〜かぁ〜やぁ〜ろぉ〜」というのもアリです。
「はぁぁぁぁぁぁあ。」と、エッチのときのような声を上げてしまうのも効果的です。
ここで所長さんからネタの提供があったのでお伝えします。
抑圧の強い女性というのは、エッチの最中にも、「自分」というものを意識しちゃいます。だから、つい「堪(こら)えて」しまうんですね。
で、エッチの最中に、「可愛い声を出してるな」「声が色っぽいよ」とかいって耳元で囁いてしまうと、よけい我慢しようとしてしまいます。で、呼吸が苦しくて我慢できなくなってきたところで、「あんまり我慢してると、脳の血管切れて死んじゃうぞ?」とかいって脅しちゃうんだそうです。
……で、いっぺん声を出しちゃうと、もう後は歯止めが利かなくなってしまいます。気持がいいんですね。取り調べ中の犯人がゲロッてしまったようなものです。
自律神経失調症というのは、そもそもが交感神経(緊張させる神経)と副交感神経(リラックスさせる神経)の切換えがうまくいかない病気です。で、人間は意識的に緊張することはできても意識的にリラックスすることはできません。だからお酒に頼ったりするわけです。
くしゃみと性的なオーガズムは、「極度の緊張から、完全なリラックスへ」という変化です。ですから、人間をぐずぐずにリラックスさせちゃう効果があるわけです。過食と嘔吐にも同じ効果があるため、摂食障害では過食発作があります。で、排泄にも同じ効果があるものだから、「浣腸プレイ」というのがあったりもします。
「ヒステリー」というのは、ギリシャ語の「子宮」が語源で、「子宮が暴れる病気」だとされてきました。女性の場合、エッチが充実すると、自律神経失調症や乖離性障害は消えてしまう、という経験則が二千年くらい前から知られています。
結婚には、「精神状態を安定させる」という効果があるんじゃないかと思います。
− Maria −
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