アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
大槻いつきさんwrote:
>私の言葉の中には、「彼は私と同類だ」「私は苦しんでいる」
>「彼は私と同様の問題で私以上に苦しんでるだろう」という前提があるのに、気づかない。
>友人は、自分が大槻と彼とをいっしょくたに罵倒してると気づかないのね。
>なんでこうも鈍いんだろ、「普通の人」って。
>疲れる。
>
>自分に縁のない苦しみって、理解できないものなのかな。
いつきさんの言う「普通の人」は他人と同じ経験を通じて他人の苦しみ
を理解していくようです。この場合、自分が経験したことがない苦しみを
理解するのは困難です。哲学の師匠からは「人は自分と違うものに対して
は共感するのが難しい」と教えられてきました。
考えてみると、わたしたちが他人と「違っていた」のはある意味で幸運
だったのかもしれません。「おれには他人の気持ちが理解できる」なんて
傲慢な気持ちを持たずに生きていくことができるのですから。(くると)
Mariaさん wrote:
> 今回はちょっと重いテーマ。「自殺」です。
>
> あたしは自殺を否定しません。「消極的肯定派」とでも言ったらいいのでしょうか。
> 「死んでほしくない」「死なないほうがいいと思うぞ。」くらいは言うけれど、「死ぬな」とか「死んではいけません」とか言うことはできません。
>
わたしも同じです。
それに「死ぬな」とか「死んではいけません」とか言う人は、ある意味で”傲慢”だと思います。うまく説明できませんが。
> 精神安定剤や睡眠薬は、持っているだけでも安心できるところがあります。「いざとなったら飲めばいい」。そう思えますから。
そうですね。ほかのアイテムでも・・・そのひとが安心できるんだったら、何でも。宝物のようにしまっておけばいいような気がします。ほんとうに使うかもしれないけど、のり越えたときのあかしとしてながめる日も来るかもしれないですし。
>
> だけど、死ぬ前に助けを求めてきてほしい、とは思います。自殺しちゃうひとって、本当にさりげなく、本当にこっそりと、「このひとだったら救ってくれるかな?」みたいな感じでしかアプローチしてきてくれないのね。でも、「お願いだから助けて!」って言ってほしいんです。でないと、死なれちゃったほうはすごくつらい。手を差し伸べてあげられなかった自分を責めてしまいます。
Mariaさんて、やさしいんですね。
> 世の中には、「消極的な自殺」をしているひとがけっこういます。
>
いますね。たくさん。わたしも、ついこの間までそのひとりだったのですけど。自分だけじゃないなぁって、いまは感じています。
> それより、「こっちに来て、いっしょに休みませんか?」と言ってあげたいと思うんです。で、他の人がやってきて、休息の邪魔をしないように見張っていてあげたいと思います。
> だから、『アスペルガー共和国』っていうより、『アスペルガーの里』っていうのかな? 本当に疲れちゃったときに、休むことができる場所、というのが欲しいと思います。で、とりあえず「ここ」がそういう場所であればいいな、と思います。
>
「ここ」に来ることができてよかったな・・・心のそこから良かったなと、わたしは思います。とても・・・あたたかいし、「がんばってね」ということばを使わずに励まされるんですもの。そっとしておいてもくれます。
わたしはここに来てまだ日も浅いし、心の余裕もすくないです。でも、会ったこともない人たちの優しさやあったかさを感じとることができて、自分はなんて幸せものなんだろうって思っています。
”あのとき、ほんのちょっとだけ体をかたむけていたら””あのとき、もしもハンドルを切らなかったら”もしも・あのとき・・・そんないくつもの崖っぷちを経験してきて、まだここにいるのが不思議なくらいなのに。またいつ崖っぷちに立つことになるかもしれないのに。
でも、娘には言っています。「心は何度でも死ぬことがあるよ。でもね、心は何度でもよみがえることができる。何十回でも何百回でも。きっと生きかえることができるんだよ。ただね、体はひとつしかないの。体が死んだらもうもどらないの。体は心のいれものだよ。だからね、体をこわしてしまわないで。どうしてもどうしても、もうどうにもならないってときまで、体はこわさないでおいて」って。
わかってもわからなくてもいいんです。”手をさしのべることのできるチャンス”が、ほんの一瞬でもつかまえられれば、わたしにも何かできることがあるかもしれないですから。どんな人に対しても。
わたし・・・やっぱり人が自殺するのって、つらいです。でも、止めることもできそうもないです、多分。
書いててわけがわからなくなってしまいました。まとめられなくて、すみません。
ASの妻もどきさん wrote:
>私としては(2)を先にしてしまいたい人間です。でも人っていろんな感情を複合
>して持っているから、(1)をしてから(2)に移行するようにしています。
>でないと、たまに反対のところから入ってくる人がいるから。たとえば
>「別れたい」といっても「別れたくない」のが本音ってことがあったりするから。
>理解はしてあげられるけど、後は自分でしか解決できないだろうから
>そっとしておきます。
やはり、人間の心は複雑です。(1)と(2)どちらかを選ぶなんてできないような気がしてきました。(くると)
Mariaさん wrote:
>不肖くると wrote:
>>(1)困っている人がいる時は、その人の気持ちを理解しようとする。
>>(2)困っている人がいる時は、その原因を理解しようとする
> ちなみにあたしは、
>
> (1)→嫌いな奴が困っているとき。で、何もしない。
> (2)→好きなひとが困っているとき。で、できることをしてあげる。
>
>です。
うーむ。相手によって使い分けていくんですね。でも考えてみるとわた
したちは誰に対しても同じ態度で振舞っているわけではないですよね。こ
の問題が不思議に感じたわけがわかってきました。(くると)
くると wrote:
>(1)困っている人がいる時は、その人の気持ちを理解しようとする。
>
>(2)困っている人がいる時は、その原因を理解しようとする
>
> ちなみにわたしは迷わず(2)を選んでしまいました。他人の気持ち
>に鈍感なのかもしれない…(苦笑)
>
> さて、みなさんに質問です。みなさんは(1)と(2)どちらのタイ
>プですか?それとも全く違う反応をしますか?ご一考いただけると幸い
>です。
成人Add/As(疑)のザナディでございます。
私は(2)かな。解答用紙にもそう記入すると思うし、実際の行動もそうだ。親しい人で、困っている人がいれば、まず質問攻めにしていたりするんだよね。私の場合むしろ「問題をいっしょに考えてあげたい」という一心からであって、他意はないのだけれど、深入りしすぎるとこの私のように、二股の彼女に寝返られたりなけなしの生活費カモられたりするから皆の衆も気をつけられるのだぞお(私だけか...)。それにしても人が人を陥れる時の目って、とおーってもキレイで誠実そうだったりする。あのヤロー、いまでも目黒あたりをそ知らぬ顔でウロついてんだろうか?ちきしょー、フクシマ殺してえ!
あ、(2)を選んだ人すべてがこのような人生パターンを踏むタイプというわけではありませんので...
ケンシロウ さんへ
もっと前もってお知らせしてくれたら行けたのに・・。
また、7月くらいにオフ会やってください。
そうそう、ケンシロウさんは横浜の人?
もしそうだったら
いつか私がたまに参加している映画鑑賞サークル来ませんか?
Maria wrote:
> 今回はちょっと重いテーマ。「自殺」です。
>
> あたしは自殺を否定しません。「消極的肯定派」とでも言ったらいいのでしょうか。
> 「死んでほしくない」「死なないほうがいいと思うぞ。」くらいは言うけれど、「死ぬな」とか「死んではいけません」とか言うことはできません。
私も「死なないで」とは言うけれど「死ぬな」とは言えないです。
「死にたい」と思う気持ちも尊重したい。
「じゃあ、手伝って」と言われても、そんな事は出来ないし・・。
私にできることは
「両腕でぎゅっと抱きしめて一緒に泣いてあげること」くらい・・。
そんなことしか出来ないけれど「たすけて」って言って欲しいと思います。
自分の願望かもしれない 青りんご
Mariaさん wrote:
>くるとさん wrote:
>>(1)困っている人がいる時は、その人の気持ちを理解しようとする。
>>(2)困っている人がいる時は、その原因を理解しようとする
>
> (1)→女。
> (2)→男。
>
> そういう説が最近流行っているようです。
それって、男脳・女脳のアレですか?(ベストセラーだし・・・)
じゃ、わたしは(1)だ。女だし。って、思考放棄してたらいけないわね。
くるとさん、ごめんなさい。冗談です(^^;
う〜ん・・・困っている人の状態によると思います。わたしの感覚によると言ったほうが正しいのかな。
いっしょになって困っちゃうときもあるし、勝手に困ってろよと放りだすときもあります。わたしに何かできることがありそうだったら、できる範囲で力になりたいとは思いますけど。ということは(2)に近いタイプですね。
Maria wrote:
> ですから、「大好物」を使って悪いことはない、と国語学者さんはたぶん言うと思います。ですけど、通じるか通じないか、というのが問題になるわけで……
> この場合は娘さんが正しいのではないかと思います。
なるほど・・。
>
>>「わたしは半袖がおきにいりです」って言うかな?(既に混乱。母)
>
> この問題に深入りすると、「個体」とか「外延」とかいって、めちゃめちゃ哲学的な問題になったりします。
お蔭でその後、考え込んでしまいました。
>
> そういうわけで、これは文法的なものだと思うんですよ。「おきにいり(の物)」という意味で、「おきにいり」を使っているという。そんな訳で、これもアリという気がします。
どうも、ありがとうございました。今夜、食卓にて報告することにします。
>
> ごめんなさい。どういう結果を期待されるかによりますが、あたしもあんまり力にはなれないと思います。「おもしろい子供に育てろ」とかいうのなら、なんとかなりそうな気はしますけど。
>
> 役立たずの Maria
いえいえ。かなり参考にさせていただいています。
いつも、ありがとうございます。
独り言が激減した娘に代わって「ぶつぶつ」独り言を喋ってる 青りんご
武田好史 wrote:
>
> このまえ、妹から「言葉がはっきりしない」と責められたので、「緊張や不安が強いとき・疲れているとき・興奮してるとき、のどが麻痺してうまく話せなくなる」とメールで話したら、「権利を主張するな!」「そんなことで暗くなるな!」だってさ。本当にひどいやつだよ!
>
武田さん、こんにちは。母の青りんごです。
キツイ妹さんのようで・・。優しくしてくれるといいですね。
我が家の妹(七歳)も年齢的に「きつい」「うるさい」「おせっかい」「かまいたがり」なので姉(十歳)は当然「嫌がります」
妹には「そっとしておく」のも「優しいこと」なんだぞーと教えていますが、理解してるのか、どうなのか???
性格が両極端。「ペア」での行動を観察していると「助け合っている」ようでもあり「利用しあっている」ようでもあります。仲良しですよ。
「私と妹(姉)どっちが好き?」と別々に聞いてきます。
「どっちもよ」といってもどちらも納得してくれないので、
姉には「ぶつぶつ喋るあなたがすきよ。でも、妹には秘密」
妹には「べらべら喋るあなたがすきよ。でも、姉には秘密」
と二股かけてる優柔不断男のようなことを言ってしまいます。
でも二人共、それで気分がいいらしい。
将来は、どちらからも嫌われる孤独な老女になるだろう・・。
いつも、つまらない事ばかり書いてごめんなさい。青りんご
くるとさん wrote:
>(1)困っている人がいる時は、その人の気持ちを理解しようとする。
>
>(2)困っている人がいる時は、その原因を理解しようとする
>
1ですね、まずは。
でも、1と2は相互につながっていると思う。
「困る」に至るまでの過程を理解しないことには、「困っている気持」を本当には理解できないもの。
「困る」というのも人の感情。
同じ状況にあっても困らない人は困らない。「なぜこの人はこの状況で『困った』と感じるのか」
理解するって、その人の苦しみをのぞいてあげるためにも必要だと思いませんか?
で、全然関係ない話。
私が病院かかってると知ってる友人に、その友人が嫌ってる人
(私は彼もASかなんかの脳障礙を持ってるのでは?とにらんでる)のことを
「あの人も私以上に病院とか行く必要があると思う。
まわりも助かるし、本人もあのまま生きてるの苦しいだろうし」と言ったら、
「だよねー、絶対あいつやばいもんねー」とのたもうた。
私の言葉の中には、「彼は私と同類だ」「私は苦しんでいる」
「彼は私と同様の問題で私以上に苦しんでるだろう」という前提があるのに、気づかない。
友人は、自分が大槻と彼とをいっしょくたに罵倒してると気づかないのね。
なんでこうも鈍いんだろ、「普通の人」って。
疲れる。
自分に縁のない苦しみって、理解できないものなのかな。
Maria wrote:
> 岩波新書の中に、遠山啓さんの『無限と連続』という本があります。
>
> 遠山さんの実質上の処女作ともいえるこの本が出版されたのは、昭和二十七年。当時、ポケットの中にくたくたになった『無限と連続』が入っている、というのは、理科系の学生にとって一種のファッションになりました。
>
まったく知らない話でした。
> で、この本の合評会が機縁となって、「新数学人集団(SSS)」という集まりができました。
> その中に、「SSSのガロア」と呼ばれた、谷山豊さんという学生さんがいました。
>
> 一九九三年、「『フェルマー予想』が解かれた」というニュースが、全世界を駆けめぐりました。ですが、この『フェルマー予想』の解決というのは、ある別の予想が肯定的に証明されたことの帰結でした。
>
> 『谷山−ヴァイユ予想』。
>
> 遠山さんは、戦後日本の数学界に、大きな足跡を残したひとです。
>
> 同じ岩波新書には、やはり遠山さんの『数学入門』という本があります。こちらは高校生が読んでも面白い、一般向けの入門書です。
>
> 遠山さんは、授業の名人、と呼ばれたひとです。小学生に連立方程式を教えたあとに、生徒に「これは勉強だとおもうか、それとも遊びだとおもうか」と質問したら、「面白いから、遊びだ」という答えが返ってきた、というエピソードの持ち主です。
>
興味あります。
> その「遠山節」をご堪能ください。
>
> なお、「遠山啓著作集」、3シリーズ全27巻が刊行されています。発達障礙児童の教育の面で得るところが多くあり、かなり定評のある本です。
> 最寄りの図書館に置いてなかったら、リクエストしちゃいましょう。
>
ありがとうございます。早速帰りに図書館に寄ってみます。
余談ですが、遠山さんのこと・・って書いてあってびっくり、ついこの間まで、
私の苗字だったんです。今は旧姓に戻したので違いますが・・・
良い意味で因縁って思ったので、この因縁大事にします。
子供に面白いって言われる勉強をさがしてあげたい。
Mariaさん、教えてくれて本当にありがとう。
今度Air−doに乗って遊びにきて下さい。お礼に観光案内とお食事をご馳走します。
くると wrote:
> 成人LDのくるとです。
>
> 最近ひまつぶしに職業適性検査の問題を解いていました。ちょっと不
>思議な二択問題があったので、書いときます。
>
>(1)困っている人がいる時は、その人の気持ちを理解しようとする。
>
>(2)困っている人がいる時は、その原因を理解しようとする
>
> ちなみにわたしは迷わず(2)を選んでしまいました。他人の気持ち
>に鈍感なのかもしれない…(苦笑)
>
> さて、みなさんに質問です。みなさんは(1)と(2)どちらのタイ
>プですか?それとも全く違う反応をしますか?ご一考いただけると幸い
>です。
私としては(2)を先にしてしまいたい人間です。でも人っていろんな感情を複合
して持っているから、(1)をしてから(2)に移行するようにしています。
でないと、たまに反対のところから入ってくる人がいるから。たとえば
「別れたい」といっても「別れたくない」のが本音ってことがあったりするから。
理解はしてあげられるけど、後は自分でしか解決できないだろうから
そっとしておきます。
くるとさん wrote:
>(1)困っている人がいる時は、その人の気持ちを理解しようとする。
>(2)困っている人がいる時は、その原因を理解しようとする
(1)→女。
(2)→男。
そういう説が最近流行っているようです。
ちなみにあたしは、
(1)→嫌いな奴が困っているとき。で、何もしない。
(2)→好きなひとが困っているとき。で、できることをしてあげる。
です。
じつは冷血漢だったりする − Maria −
今回はちょっと重いテーマ。「自殺」です。
あたしは自殺を否定しません。「消極的肯定派」とでも言ったらいいのでしょうか。
「死んでほしくない」「死なないほうがいいと思うぞ。」くらいは言うけれど、「死ぬな」とか「死んではいけません」とか言うことはできません。
精神安定剤や睡眠薬は、持っているだけでも安心できるところがあります。「いざとなったら飲めばいい」。そう思えますから。
で、「自殺」というのも、そういうものだと思うんですよ。「自殺」という手段だけはいつでも「最終選択肢」として残しておきたい。でないと、生きてゆくのはしんどすぎます。「いよいよダメだったら死にゃあいいんだから」と思っていると、かなり気は楽です。
まあ、世の中には「いま死ぬわけにはいかない」と思ってガンバってるひとも大勢いるわけだから、死ぬかわりに、あらゆるものをなげうってそういうひとのお手伝いをする、という生き方もあると思います。それすらも無理、とにかく生きているだけで辛い、となったら、これはもうそのひと本人の判断に任せるしかないかな、と思います。
だけど、死ぬ前に助けを求めてきてほしい、とは思います。自殺しちゃうひとって、本当にさりげなく、本当にこっそりと、「このひとだったら救ってくれるかな?」みたいな感じでしかアプローチしてきてくれないのね。でも、「お願いだから助けて!」って言ってほしいんです。でないと、死なれちゃったほうはすごくつらい。手を差し伸べてあげられなかった自分を責めてしまいます。
お互い、傷つけられないように心に鎧を着てるものだから、相手の心に触れようとするのって、確かにしんどいんだよね。だから、その「しんどさ」に耐えて相手に訴えかけるだけの気力と体力が残っているうちに、訴えかけてきてほしいのね。
世の中には、「消極的な自殺」をしているひとがけっこういます。アルコールに溺れて苦しさをまぎらわせて、身体が壊れて死ぬのを待っているひとがいます。「倒れれば楽になれる」と思いながら仕事を続けていて、突然死しちゃうひとがいます。そういうひとたちは、たぶん救いを求めては撥ねつけられ、という経験を繰りかえしてきたひとだと思うんです。「がんばれ」「しっかりしろ」「ちゃんとしろ」と、「励まし」「叱咤激励」を受けてきたひとだと思います。
それより、「こっちに来て、いっしょに休みませんか?」と言ってあげたいと思うんです。で、他の人がやってきて、休息の邪魔をしないように見張っていてあげたいと思います。
だから、『アスペルガー共和国』っていうより、『アスペルガーの里』っていうのかな? 本当に疲れちゃったときに、休むことができる場所、というのが欲しいと思います。で、とりあえず「ここ」がそういう場所であればいいな、と思います。
あと、ひとつだけ言っておこうと思います。
たぶん、死は休息にならないぞ。休息する主体がなくなっちゃうんだから。
それより逃げることを選んでほしいと思います。自分の家が火事になったから、自分が消さなければいけないというものでもありませんし。それは緊急非難です。
心の消防隊がいてほしいと思う − Maria −
成人LDのくるとです。
最近ひまつぶしに職業適性検査の問題を解いていました。ちょっと不
思議な二択問題があったので、書いときます。
(1)困っている人がいる時は、その人の気持ちを理解しようとする。
(2)困っている人がいる時は、その原因を理解しようとする
ちなみにわたしは迷わず(2)を選んでしまいました。他人の気持ち
に鈍感なのかもしれない…(苦笑)
さて、みなさんに質問です。みなさんは(1)と(2)どちらのタイ
プですか?それとも全く違う反応をしますか?ご一考いただけると幸い
です。
岩波新書の中に、遠山啓さんの『無限と連続』という本があります。
遠山さんの実質上の処女作ともいえるこの本が出版されたのは、昭和二十七年。当時、ポケットの中にくたくたになった『無限と連続』が入っている、というのは、理科系の学生にとって一種のファッションになりました。
で、この本の合評会が機縁となって、「新数学人集団(SSS)」という集まりができました。
その中に、「SSSのガロア」と呼ばれた、谷山豊さんという学生さんがいました。
一九九三年、「『フェルマー予想』が解かれた」というニュースが、全世界を駆けめぐりました。ですが、この『フェルマー予想』の解決というのは、ある別の予想が肯定的に証明されたことの帰結でした。
『谷山−ヴァイユ予想』。
遠山さんは、戦後日本の数学界に、大きな足跡を残したひとです。
同じ岩波新書には、やはり遠山さんの『数学入門』という本があります。こちらは高校生が読んでも面白い、一般向けの入門書です。
遠山さんは、授業の名人、と呼ばれたひとです。小学生に連立方程式を教えたあとに、生徒に「これは勉強だとおもうか、それとも遊びだとおもうか」と質問したら、「面白いから、遊びだ」という答えが返ってきた、というエピソードの持ち主です。
その「遠山節」をご堪能ください。
なお、「遠山啓著作集」、3シリーズ全27巻が刊行されています。発達障礙児童の教育の面で得るところが多くあり、かなり定評のある本です。
最寄りの図書館に置いてなかったら、リクエストしちゃいましょう。
− Maria −
「緊張すると喋れなくなる」「普段に輪をかけて言葉がおかしくなる」って、喉の筋肉の問題なんですか?
私今サークルで合唱やってて、Soloに立候補しようとしてるんだけど。
緊張すると喉の筋肉が・・・って、Soloには致命的かも。
まぁ歌うときには人と比べて緊張しにくいんですけどね。
以前Soli(Soloのようなかんじで、二人で歌う)をやった時には、練習中はめちゃくちゃ緊張して
普段と全然違う声になっちゃったんだけど、本番にはかえって緊張せずに普段より調子よく歌えました。
今回も同じ事を期待するのは危険かな。
練習ではいつも一緒に練習している60人程度の合唱団員の耳を意識するけど、
本番では600人くらいの赤の他人の耳を意識する。
私は、「赤の他人600人」のほうが緊張しにくいみたいです。なんでかな。
「いいカッコみせよう」って気持ちがなくなって、虚心に頑張れるのかな、本番は。
#総勢100人近くの合唱団での人間関係は私には苦痛すぎるなぁ。
#歌うこと自体はある意味「音楽療法」もかねて大好きだし、私には絶対やめられないんだけど。
Maria wrote:
>makichan wrote:
>>文章の後半はアルコールと眠剤のせいでおかしくなりました。
> 睡眠薬とアルコールの併用はやめた方がいいと思うぞ。昔のブロバリン系と違って死んだりすることはないと思うけど、短期記憶が長期記憶に移行するのを阻礙するもんだから、ときどき訳わかんなくなってヘンな行動に走ったりするし。
>
マイナートランキナイザーは、お酒と一緒に飲むと危険です。
アルコールには、血液中のこの薬の量を急激にあげる作用があり、薬とアルコールの相乗作用で脳の機能が過度に抑制され、運動機能障害になり、最悪の場合死に至るようです。
大丈夫なレベルでコントロールしているから安全ということもなく、長年これを続けていると、肝機能にやはりダメージが来てしまうようです。
私の後輩に弱視のことから来る過度の不安のため、トランキナイザーを常用していたやつがいました。時たま彼も、ウイスキーと一緒に薬をあおるという無茶をやっていたようです。最近彼が若くして、この世を去ったことを知らされました。
青りんごさん wrote:
>わたし、半袖が「だいこうぶつ」なの(10歳、自閉児)
>「だいこうぶつ」は食べ物で使うんじゃないかい?
ですけど、「名物」というと「有名な品物」という意味で使うんですね。「名物茶碗」とか。
ですから、「大好物」を使って悪いことはない、と国語学者さんはたぶん言うと思います。ですけど、通じるか通じないか、というのが問題になるわけで……とはいえ仮に姪(五歳)に「あーたん」と呼ばれたからといって、「一般性がないからあたしは『あーたん』ではない」と言えるかどうかはまた別問題だし……
この場合は娘さんが正しいのではないかと思います。
>「わたしは半袖がおきにいりです」って言うかな?(既に混乱。母)
この問題に深入りすると、「個体」とか「外延」とかいって、めちゃめちゃ哲学的な問題になったりします。
「基本的に、『消費されるもの』に関しては『おきにいり』は使わないのだ」とかいうと、「この髪型がおきにいりのようです」みたいな表現は間違い、ということになります。
そういうわけで、これは文法的なものだと思うんですよ。「おきにいり(の物)」という意味で、「おきにいり」を使っているという。そんな訳で、これもアリという気がします。
>Mariaさんに家庭教師になってもらいたい青りんごでした。はーーー。
ごめんなさい。どういう結果を期待されるかによりますが、あたしもあんまり力にはなれないと思います。「おもしろい子供に育てろ」とかいうのなら、なんとかなりそうな気はしますけど。
役立たずの Maria
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