アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
『いまでもわりに鮮明に覚えているのは、「式の計算を使って九九の暗記をいかにサボるか」というご講義だ。普通「九九」というと一の段とゼロの段は覚える必要がない。だから「二二が四」から始まるのである。次に「二三が六」を覚えていれば「三二が六」も覚える必要がない。で、ここからが眼目で、図形を使って五より大きな数の掛け算を五以下の数どうしの掛け算と足し算に分解して計算するのである。じつは納屋さんがしようとしていたことは、「数学における記号計算の体系」をあたしの頭の中に再構築することだった。
あたしはその後、納屋さんが設計した「可変長文字列に対する記号操作ベースの数値演算ライブラリ」というのの設計資料を見せられて、納屋さんが科学技術計算系プログラミングの鬼、すなわち「計算鬼」であるということを知ってしまった。なんでも天文計算から数式処理に興味を持ってその流れで人工知能の研究をしているうちに、「結果にあんまり影響しない部分の計算はサボる」「とりあえず大体の数値を出しておいて、そこから補正する」とかいった処理をコンピュータにやらせたくなって、「子供が計算をどのように間違えるか」に興味を持ち、ピアジェや遠山啓先生に傾倒してたりしていたのだそうである。その結果得られた結論は、人間は「計算の結果答えを出す」というより、「だいたいの見当をつけておいて後からそれを確認している」のだそうだ。
あたしたちの勉強法は、仮説検証型である。まず問題を一つ持ってきて、答えを予想する。それからふたりでごちゃごちゃお喋りをしながらその「予想した答え」が正しいことを証明してゆく。途中でその予想がおかしいんじゃないかと思ったら、それを修正してゆく。途中で手詰まりになってしまったら、そこでお休み。納屋さんは、あたしがなかなかに「おいしい間違えかた」をするといって喜んでいた。
で、あたしたちはお喋りばっかりしていて勉強らしい勉強もしてなかったから、成績に関してはぜんぜん期待していなかった。ところがその次の実力テストで、あたしはいきなり高得点をマークしてしまったのである。
あれはたしか夏休みの終わりに受けた模試のときだ。問題用紙を見たときに、前はごちゃごちゃに見えたのに、なんだか広々と、しかも整然としているように見える。「この問題とこの問題は同じパターン」「これは面倒臭そうだから後まわし」というのが見えてしまうのである。以来、試験時間は二倍か三倍くらいに使えた。答案を書き終わって「よしっ!」と思って身体を起こして周りを見るとほとんどの人はまだ必死に計算している最中(さいちゅう)で、「いかにも頭良さそう」風(ふう)の子と目なんか合っちゃって、その子ににっこり微笑まれ、思わず「すいません」とか縮こまってしまったりするのである。それに集中力が上がって、試験中の物音とかが耳に入らなくなった。ふぅ、とか息をついて顔を上げたら試験の監督係が覗きこんでいてびっくりした、ということもあった。答案を書きおえたら暑くもないのに汗びっしょりになっていた。そうか、「できる」というのはこういうことだったのか、と感動してしまった。
そういえば高校に入って間もないころ、数学のテストの後にクラスのよく知らない子が友達を連れてあたしのところにやってきて、「ねえねえ、あの問題の答何だった?」とか訊かれたことがある。そのときあたしがこれこれですって答えて、その子が「ほぉら、合ってんじゃないの」とかいって連れてきた子に胸を張り、連れてこられた子が「そうかぁ、スゥ(“好美”の“好”でもあるし、“蘇”の中国音読みだったりもする)が言うんならしょうがないな」とか言ってしょげるのを見て、「うっ……」とか詰まってしまって、いきなり泣いてしまったとかいうこともあった。「あ、泣かしてやんの」「おまえ優等生にいじめ入れてんじゃねーよ」「やだ、あたしいじめてないって。いじめてないよね?ね?」とかいって騒ぎになってしまったけれど、うれしかったです、ホント。だけど納屋さんはいぢわるだ。あたしがこの話をしても、「実力だな」と澄ましていて、「俺の教え方がよかったんだ」とは決して言ってくれなかった。それで「そんなんじゃなくってちゃんと威張ってよぉ」「いいじゃないか。おまえのこと認めてんだから」とかいって押し問答をしてしまった。で、その話を朋恵ちゃんにしたら、「のろけてんじゃねーよ」とか言われて、げしげし足蹴にされてしまった。
あたしの成績はその後着実に伸びてゆき、現在ではあろうことか理工系の四年制大学を狙える位置にいる。だけど、うちの母親は「女の子だから」という理由で文科系への進学を要求している。なぜ女の子だと文科系なのかという質問はしてはいけない。とにかく、そうなのである。』
『ふたりで聖書を』より
− Maria −
大槻いつきさんwrote:
>「高校大学いかない人間は半人前」なんて思ってるからそう見えるんじゃない?
>高校には行ったけど、それ以降で学んだこと役立てたことのない人って、いるに
>はいるんじゃない?
あたしが調査したところ、高校・大学で勉強したことがちゃんと頭に入っている人は、おおむね二十人に一人くらいしかいません。
『納屋さんは試験勉強というのはデートの約束みたいなものだと言っていた。何月何日何時何分どこそこ、とかいって約束したらびしっと頭に入って決して忘れないし、メモだって取る必要がない。だけど約束通りデートが成立したら、三日後には待合せの場所も日時もきれいに頭から消えていて、残っているのはデートの思い出なのである。つまり、人間の頭は用が済んだことは忘れるようにできているから、「試験」勉強をするとその内容は「試験」が終わったとたんに頭から消えてしまい、「受験」勉強の内容は「受験」が終わったとたんに頭から消えてしまう。大学生が受験をくぐり抜けてきたはずなのに高校で教わったことが何一つ頭に入っていないとか、サラリーマンが入社試験で見せたはずの一般常識がまるっきり身についていないとか、そういうのはこういう大脳生理学的原則からくる必然的な帰結なのだそうである。
「すなわち『仲のいい夫婦は結婚記念日を忘れている』という系がここから導かれるわけです」と納屋さんは言っていた。そうなのかな?かな?かな? だけどあたしと結婚したときのことを考えて予防線を張っているなら赦してあげよう。そのかわり結婚してからあたしの誕生日忘れたら怒っちゃうぞ。
つまるところ、「自分が興味を持てないことはしない。苦手なことがあったら、それを好きになろうとして努力だけはする」、これが大脳生理学が示すところのもっとも効率のよい学習法なのだそうである。「あたしのスタイルはこれだ」とあたしは決めた。それで結果がついてこなかったら、自業自得である。
だけど、自分のスタイルを守りつづけるというのは、難しい。周囲の人が何かにつけて偏差値だとか志望校だとかを話題にし、そうした目標に向かって暗黙のうちに追い立てられているうちに、あたしは自分のペースを維持できなくなってしまった。自分がどれくらい疲れているのかも分からなくなって、怖くて立ち止まることができなくなってしまった。』
『ふたりで聖書を』より
− Maria −
さくらかのえさん wrote:
>わたしは「偏差値教育」のもたらした最大の害悪は、
>試験の点数だけで人格まで判断すること(これも十分悪いけど)よりも、
>本来点数をつけるべきではないことにまで、序列や点数付けを
>するようになってしまったことじゃないかと思います。
>成績だけじゃなくて、「人間性」まで点数つけられるようになってしまった。
>
>(なんだか何を言っているのか、自分でもわからなくなってきたぞ)
そうなんですよね。
ADD(こっちは診断ついてる)の私としては、「成績+態度」で評価されるのは苦手だった。
ペーパーテストの成績はそれだけで「頭のよさと努力の総合得点」なんだから、
努力の部分を二重に評価することはないじゃないか、なーんて。
「努力する人」の美点が成績意外にもあらわれることはわかってるけど。
そもそも、「教師」という一個人に、自分の受け持つ全ての生徒の「人格」に対する評価ができるの?
誰にであれ、私は自分の全人格を採点されたくはない。
すくなくとも、今の「学校」に全人格を判定するだけの権威はないぞ。
「これから教育をかえる」なんて意気込まれても、教師の人間性はかわってないのに
「聖職」みたいな権威だけをくっつけて、親や社会に盲信させようとしてるだけって気がするけど。
よく努力する、性格はいい、成績は非常に悪いって子を無理に高校大学におしこむ必要なんて無いじゃん。
本人がよっぽどそれを希望してるなら別だけど。
こう考えることを、「頭のよさで人を差別している」といいますか?
「高校大学いかない人間は半人前」なんて思ってるからそう見えるんじゃない?
高校には行ったけど、それ以降で学んだこと役立てたことのない人って、いるにはいるんじゃない?
人間には、高校行く以外の「すばらしい生き方」があるんだからさ、
「性格は良いけど学問に向くかどうかわからない」人を「性格が良いから」進学させなくってもさ。
たぶん、さくらかのえさんの文脈からはそれてしまったのですが、ごめんなさい。
Maria さんwrote:
>『「優等生」はいつも敵視され馬鹿にされいじめられる』といった「いい子」である苦痛は無視されてきたわけです。
「「優等生」の問題は挫折を知らないために人の痛みがわからないこと」だとか
言ってるひと、未だにいるよね。はじめから「歪んでるヤツ」扱い。
「いまの学校は「偏差値偏向」だから、出来る子はいい思いをしてる」
という妬みの混じった思いこみに迷惑している「優等生」も多いはずだ。
それだけでなく「偏差値だけでなくいろんな面をみましょう」ってことになると
「優等生」はとたんに「勉強できないけど面倒見がいい」というような子より
「人間的にもうひとつ」ということになってしまったりする。
「勉強できるだけではだめだ」と言われたり。
わたしは「偏差値教育」のもたらした最大の害悪は、
試験の点数だけで人格まで判断すること(これも十分悪いけど)よりも、
本来点数をつけるべきではないことにまで、序列や点数付けを
するようになってしまったことじゃないかと思います。
成績だけじゃなくて、「人間性」まで点数つけられるようになってしまった。
(なんだか何を言っているのか、自分でもわからなくなってきたぞ)
青りんご さんwrote:
>「これからは個性の時代」と懸命に「個性」を探す親子あり、
ここから考えてみました。(独り言っぽくなってしまった)
「個性」ってそもそも「探す」ものなのだろうか。
「個性」=「突出したところ」と思ってる人って多いですよね。
ほんとは、ひとりひとりの全体、その人を形作ってる
(生まれつきの部分も、あとから習得した部分も)ものの総体が「個性」なのに。
「個性」=「突出したところ」と考えてるから、
特に突出したところがなく、たまたま周りと同じ事をしている人は
「個性がない」と言われてしまう。
「個性的」だということで苛められる人もいれば、
「没個性的」ということでバカにされる人もいる。
あれこれ言ってる人たちはいったい何を求めているのか。
「個性」は誰でも持っている。「個性」がない人などいない。
「個性」を押し殺して枠にはめるのは息苦しいが、
「個性的」であることを強制されるのもまっぴらごめんだ。
所長 wrote:
>ついでながらこういったクォーター形式(手元の英和辞典によれば「宿営」だ
>そうである)の施設が存在する場所、それも都会といってよい場所に存在する
>例というのは世界的みてけっこう珍しいのではないかと思う(かつては『チャ
>ブ屋』と呼ばれておったという)。
えー、所長さんは大森総研の所長に復帰しました。なんでかっていうと、あのひと「所長」っていう重圧から解放されると何するかわかんないひとだから。
で、かしこさん、nanaさん、みるさん、オフ会ではうちの所長がいろいろとご迷惑をおかけしたと思います。お気を悪くされたらごめんなさい。あれはあれでうちの所長のキャラクターなんです。
それから、あたしの書いた本を受けとってくださったそうで、感謝しております。できれば感想とか聞かせてくれると嬉しいです。
でもって、こともあろうに「卓袱屋」についての調査結果だったりします。
「卓袱」と書くと、ふつう「しっぽく」と呼びます。これはもともと中国のテーブルのことで、「卓袱料理」というと、長崎で日本化した中華料理のことをいいます。で、落語の『時そば』に出てくる「しっぽく」というのは、ちょうどお蕎麦におでんを載せたような、「しっぽくうどん」の蕎麦バージョン、といったものだったようです。
とすると、「チャブ屋」というと「簡易な」みたいな意味があるのかと思っていたら、これは「chop house」といって、横浜や神戸にあった外国人船員相手の簡易食堂のことを言ったのだそうです。で、「いわゆる売春婦を置いた店が多い」と注釈にありました(「たほいや」の問題でこういうの出したら顰蹙だろうな)。
なお、この「卓袱屋」については、岩永文夫さんというひとが、『フーゾクの経済学 欲望蚕業の原価がわかる本』(KKベストセラーズ、ワニのNEW新書)で紹介しています。
……で、あたしがなんでこんなことを書いているかということなんですが、これは研究者としてのプライドの問題だったりするわけです。
『フーゾクの経済学』では、この「卓袱屋」を含めたショートのムニャムニャを、「チョイの間」と表現しています。
違ぁーう! 「チョイの間」ではなく、「チョンの間」なんです。その根拠に関しては、『「ばかちょん」起源考』(No.3569)を御参照ください。
で、日本国内には、
川崎・堀ノ内
横浜・黄金町
横須賀・安浦
町田・通称「田んぼ」
石川・片山津
京都・五条楽園
大阪・飛田新地
大阪・松島新地
沖縄・真栄原(新町)
といった場所があるそうです。
こういう場所の成立事情、みたいなものは、あまり系統的にまとめられたものがないと思います。文献リストなんていうものも、おそらく作成されてはいないと思います。
調べてみると面白いかな、と思いつつ、「ちょっとなぁ……」と思います。
誰か調べてみませんか?
……と、人に振ってしまったりする − Maria −
あさかぜ wrote:
>武田好史さん wrote:
>>
>> good enough mather (ほぼよい母親)という言葉がある。パーフェクトではなく、good enough な母であればよい、という気持ちで暮らすのが、望ましいストレス対策である。
>>
>> 息子さんは今きっと、自分の人生の岐路にたって周りが見えずに苦しいのだと思います。やはり僕自身も同じことで悩んでいます。このトンネルを抜けていくことで、子供は大人へと発展していくんだと思います。「こうであらねば・・・」よりも、「今日はここよくできたね!」という言葉の方が、きっと彼の活力源になるものと思います。
武田さん、励ましの言葉をありがとうごさいます。
武田さんのレスで、元気百倍!!
>わたし・・・マザーさんにひとこと謝りたくて。そしたら、武田さんのこのコメントを見つけてしまったものですから。
> うまくことばにできないです、まだ。去年「死んでやる、自殺してやる〜」と泣きわめいた娘に「あんたの気持ちはよくわかった。どうしても実行するときは、おかあさんに一声かけてくれ。そんときゃいっしょにいってやるから」って、言っちゃったんです。その場はそれでおさまったのですが、わたしは・・・自分の考えがいかに足りないか思い出してしまって。すみません。えらそうなこと言える人間じゃないんです。
>
> 武田さん、ありがとうございます。”ほぼよい母親”ってことばを心にきざんでおきます。(なぜか武田さんは学校の先生だと思いこんでいて・・・我ながら、あきれるほど周りが見えていない、あさかぜです。ごめんなさい)
あさかぜさんも、心温まるレスをありがとうございます。
私も”ほぼよい母親”ってことばを自分に言い聞かせ、少し肩の力を抜いてみます。
成人LDのくるとです。
武田好史さんwrote:
> あなたが、家の外で見かけた、「この人(子)ASかも・・・」と思った人の例には、どんなものがありますか?
第1はある特定の分野に極端にくわしい子を見かけた時ですね。例えば数学とか恐竜とか科学とか電車とか…
あと、わたしが参加しているボランティア先(LDが専門)で、電話帳や商品カタログに強い関心を示している子供を見かけました。この子はASのまちがいなん
じゃないかなという気がしています。
そんじゃ、また
みなさんこんばんは。
こんなことを喜ぶのは何なのですが、最近町を歩いていると、一週間に一度くらい、「もしかして同胞のASの子・・・?」というような風変わりな子を見かけます。
今月の始め頃には、地元のデパートの屋上で、紫のチューリップの花束を持った18くらいの女の子が、一人で楽しそうに踊ったり・なにやらしげしげと北の方の空を見つめたりしているのを、見かけました。
そこでみなさんに質問です!
あなたが、家の外で見かけた、「この人(子)ASかも・・・」と思った人の例には、どんなものがありますか?
Maria wrote:
> 「個性」と「偏差」って、別物なんです。「優等生」も個性だし、「変わり者」も個性なんですよね。ですから、「その子が生きやすいように、うまく世間と折合いをつける」ことのお手伝いをする、ということになると思います。
はい。それを視野にいれて育てていこうと思います。
ありがとうございました。
>
> 「方言礼讃」という立場はあたしも同じです。「地域性の尊重」ということだから。あたしが問題にしてるのは、「地方はよくて中央はダメ」みたいな「地方ナショナリズム」に基づいた、『手放しの「方言礼讃」』なんですよね。「地方」対「中央」っていう構図によって、「東京=中央」という判断がなされてしまって、「東京」だって「地方」なんだっていう視点が欠落しちゃってる人がいるんです。
そうです。お蔭で混乱が治まりました。
> 「東京人は冷たい」「東京もんはええかっこしい」。そう言われます。
> だけど、東京くらいよそものに優しい土地はないように思います。
>
> だからこんなに大きくなっちゃったんだけどね。 − Maria −
雑多でスピード感があって優しい東京が好きですよ。
橋を渡ると、そこは埼玉(笑)東京暮らしが21年目の青りんごでした。
青りんごさんwrote:
>「あるいて(歩いて)」を「あるって」と言うのも「東京方言」なんでしょうか?
だと思います。「まっつぐ(真直ぐ)」「とっつき(入口)」「ぶつかる(行き当る)」なんかもよく使います。「この道をまっつぐ行ってぶつかったら右ぃ曲がって、左っかたの最初の路地ぃ入ったら、とっつきの左っかたが棟梁(とうりゅう)ん家(ち)」みたいな感じです。
>「これからは個性の時代」と懸命に「個性」を探す親子あり、「個性的すぎて」
>懸命に「枠」におさめようとする親子あり・・。
>たまったもんじゃありません。母はどうすればいいの??
「個性」と「偏差」って、別物なんです。「優等生」も個性だし、「変わり者」も個性なんですよね。ですから、「その子が生きやすいように、うまく世間と折合いをつける」ことのお手伝いをする、ということになると思います。
I wrote:
>そんなわけで、東京生まれで東京育ちの優等生としては、「方言」という個性を
>尊重しつつも、手放しの「方言礼讃」に対しては、ちょっと屈折した感情を抱か
>ざるを得ないのだな。
>「方言礼讃」じゃないですよー。
「方言礼讃」という立場はあたしも同じです。「地域性の尊重」ということだから。あたしが問題にしてるのは、「地方はよくて中央はダメ」みたいな「地方ナショナリズム」に基づいた、『手放しの「方言礼讃」』なんですよね。「地方」対「中央」っていう構図によって、「東京=中央」という判断がなされてしまって、「東京」だって「地方」なんだっていう視点が欠落しちゃってる人がいるんです。「東京の人間」だって、「地方」の出身者なんです。
そもそも、明治の中央政府というのは、薩摩・長州の出身者で固められていました。明治天皇は京都の人です。江戸っ子で幕臣だった勝海舟は、明治政府には参加せずに隠遁生活を続けていました。
明治以降の東京の人というのは、ずっと「遠慮」しながら生きてきたんです。「江戸っ子」なんていうのは、講談や落語の中にしか存在しません。
「漱石には千円札がよく似合う」と言ったひとがいました。『三四郎』他の漱石の作品には「『地方の人間』から見た『東京人』に対する警戒心や敵愾心」みたいなものがしばしば描かれています。ですが、漱石自身は東京人だったんですね。「自分」を描くんじゃなくて、「自分に向けられた視線」を描くことで間接的に「自分」を描く。東京人にはそうした屈折した感情があります。
元から住んでいる人間が少数派。で、「元から住んでいる」自分も、元はよそもの。
「東京人は冷たい」「東京もんはええかっこしい」。そう言われます。
だけど、東京くらいよそものに優しい土地はないように思います。
だからこんなに大きくなっちゃったんだけどね。 − Maria −
Maria wrote:
> 「標準語」=「東京のことば」だという根強い偏見があります。
>
> ところが、「東京方言」というものが、確かに存在するんです。
> たとえば、「鮭(さけ)」を「しゃけ」と呼んでみたり、「蠅帳(はえちょう)」を「はいちょう」と呼んでみたりします。「潮干狩り(しおひがり)」は、「ひよしがり」、「品質(ひんしつ)」は「しんしつ」です。
「あるいて(歩いて)」を「あるって」と言うのも「東京方言」なんでしょうか?
>
> 現在は、「まじめ」な人間が馬鹿にされる時代です。で、大人たちは子供から刃物を取り上げておきながら、「最近の子供はナイフで鉛筆を削ることもできない」とかいって馬鹿にし、勉強に追い立てておいて「最近の子供は泥まみれになって遊ぶ楽しさを知らない」とかいって馬鹿にするんです。
>
> そりゃあなた切れますよ。子供は産業用ロボットじゃないんだから。
「これからは個性の時代」と懸命に「個性」を探す親子あり、「個性的すぎて」懸命に「枠」におさめようとする親子あり・・。
たまったもんじゃありません。母はどうすればいいの??
> そんなわけで、東京生まれで東京育ちの優等生としては、「方言」という個性を尊重しつつも、手放しの「方言礼讃」に対しては、ちょっと屈折した感情を抱かざるを得ないのだな。
「方言礼讃」じゃないですよー。
たまたま「東京弁」に接触する機会が少ないだけだと思います。
生粋の東京人は、いそうでいない。
(私の周囲に地方出身者が多いだけ?)
>
> 「面(つら)」(平らになったところ)とか「当(あ)たる」(接触する/感触を確かめる/(本質に踏みこまない)表面的な接触をする)とか、「倣(なら)う」(意味を理解する以前に、形だけ真似る/形から入る。「前へならえ」の「ならう」)とか、大森にもいい言葉はいっぱいあるんだぞ。
>
> 今日はちょっと「東京人代表」みたいな気分になっている Maria
「東京」の「方言」もたくさん浴びれば好きになると思います。
「東京弁」もたくさん聞いてみたいです。
(あらら?これじゃあ、やっぱり方言礼讃ってことかしら???)
混乱する青りんごでした。
「標準語」=「東京のことば」だという根強い偏見があります。
ところが、「東京方言」というものが、確かに存在するんです。
たとえば、「鮭(さけ)」を「しゃけ」と呼んでみたり、「蠅帳(はえちょう)」を「はいちょう」と呼んでみたりします。「潮干狩り(しおひがり)」は、「ひよしがり」、「品質(ひんしつ)」は「しんしつ」です。
じつは、文節の後に「ね」「さ」「よ」をつけるのは、東京から神奈川にかけての「方言」です。ですから、電話で相手を説得するときなど、「ですから、私も困ってしまうんです」みたいな固い表現ではなく、「だからね、あたしもさぁ、困っちゃうのよ」(喋っているのは女性ではなく、普通のおぢさんです)みたいになります。「あたしゃこう思うンです。」「嫌ですねェ。」みたいな感じで話すお年寄りというのも、けっこういらっしゃいます。
で、こういう「東京方言」も、やっぱり「矯正」の対象になりました。たとえば、昭和四十年ごろには、「『ね・さ・よ』追放運動」というのがありました。
こうした「標準化」教育というのは、おそらく戦後の復興期から高度経済成長期にかけて行なわれたものなのではないでしょうか。日本の軍隊というのは出身地別に編制されていましたから、指揮官だけが「標準語」に相当する「軍隊の言葉」が使えれば、かまわないわけです。兵隊さんは作戦内容なんかを知らなくていい、というのがありましたから、その方が好都合だったわけです。
ところが、中卒者が「金の卵」と呼ばれ、地方からの集団就職が盛んに行なわれた時代には、「企業で使いやすい標準的な労働者」が「期待される人間像」としてもてはやされました。そうなると、「偏りをなくす」教育、言ってみれば「個性を殺す」教育というのが主流になったわけです。
「標準語の指導」は、そういう時代背景の中で行なわれたように思います。
「ギターを弾くと不良になる」とか、「長髪は不良化の第一歩だ」とかいった馬鹿な主張が本気で通ってしまい、「モデルガンは銃身を黄色または金色に塗り、銃口を塞がなければ売ってはいけない」とか「子供に刃物を持たせてはいけない」とかいった規制が行なわれました。
そうすると、「不良」と「優等生」という「色分け」が行なわれるようになっちゃったんですね。で、ちょっと前までは「不良」扱いされた側の悲劇、みたいなものばっかりが取り上げられていたんですが、『「優等生」はいつも敵視され馬鹿にされいじめられる』といった「いい子」である苦痛は無視されてきたわけです。
現在は、「まじめ」な人間が馬鹿にされる時代です。で、大人たちは子供から刃物を取り上げておきながら、「最近の子供はナイフで鉛筆を削ることもできない」とかいって馬鹿にし、勉強に追い立てておいて「最近の子供は泥まみれになって遊ぶ楽しさを知らない」とかいって馬鹿にするんです。
そりゃあなた切れますよ。子供は産業用ロボットじゃないんだから。
そんなわけで、東京生まれで東京育ちの優等生としては、「方言」という個性を尊重しつつも、手放しの「方言礼讃」に対しては、ちょっと屈折した感情を抱かざるを得ないのだな。
「面(つら)」(平らになったところ)とか「当(あ)たる」(接触する/感触を確かめる/(本質に踏みこまない)表面的な接触をする)とか、「倣(なら)う」(意味を理解する以前に、形だけ真似る/形から入る。「前へならえ」の「ならう」)とか、大森にもいい言葉はいっぱいあるんだぞ。
今日はちょっと「東京人代表」みたいな気分になっている Maria
さくらかのえ wrote:
>
>以前、沖縄のことを書いた文章で、
>「方言札」のことを読んだことがあります。
>小学校で、方言を使うとその日一日「わたしは方言を使いました」という札を
>首からさげていないといけなかったとか。
これは「いじめ」ているとしか思えないですよね。酷い。
>標準語が正しい日本語で、方言は正しくない、という思想が昔はあった、
>というより、今でもテレビを見ると、方言を使う人を馬鹿にしたり、
>面白がって方言を喋らせたりしているのをよく見かけます。
当時、文部省から標準語を使用するように通達でもあったのであろうか?
それとも「方言」のみの使用から「将来、何らかの支障が出て来るだろう」との配慮をした学校の考えだったのだろうか?
(確かに、鹿児島弁は他県の方には通じにくい。自分も三ヶ月間は「????」でした。)
いずれにせよ、その環境で「方言の使用は恥じるもの」という考えが植え付けられたのでしょうね。学校とは「余計なお世話」をしてくれる所です。
>
>しかし現実問題として、
>ふだんまったくなまっていない標準語を使っている人はいないと
>これも前に何かで読んだ。
喋る事を生業としている方々でも疑わしいですよね。
>
>ところで、わたしはこどものときから、
>住んでる地方の方言と共通語と本やテレビで覚えた言葉がごっちゃになった
>自分独自の言葉を使っていました。
>ちゃんとした標準語もちゃんとした方言も
>実はよくわかってない・・・
私もそうです。
関西人と1週間生活を共にすれば、「なんか変?」
北関東の方と三日暮らせば「なんか変?」
さまざまな方言が被った「標準語」を喋ってしまいます。
>父は鹿児島出身ですが、それらしい言葉はいちども話したことがない。
>青りんごさんと同じような経験があるのかもしれません。
東京暮らしが長くなると方言も忘れてしまうようですね。
味覚同様(「とんこつ派」から「醤油派」へ)無意識のうちに自分が変ってしまったのでしょうね。現在、酔うと「方言」では喋れません。とても残念です。
個人的には「北関東」の方言が好きですよ。 青りんご
ケンシロウ wrote:
>横浜のカレーオフが盛況のうちに(?)終わりました。
>
>ななさん、みるさん、かしこさん、かとうさん、おむにさん、如月さん、KILROY(所長)さんいろいろお世話になりました。力不足な幹事をフォローしてくださり、ありがとうございました。僕は難発性のどもりなので言うべきことがうまく言えず、適切な対応ができずにご迷惑をお掛けしました。
>うみねこさん、ぽよこさん、ゆてぃさん、そのほか今回参加できなかった皆さん、次は参加できるといいですね。
うわー、本当に残念です。LDなわたしですが、今度開かれる時はぜひとも
出席したいです。では(成人LDのくると)
武田好史さん wrote:
>
> good enough mather (ほぼよい母親)という言葉がある。パーフェクトではなく、good enough な母であればよい、という気持ちで暮らすのが、望ましいストレス対策である。
>
> 息子さんは今きっと、自分の人生の岐路にたって周りが見えずに苦しいのだと思います。やはり僕自身も同じことで悩んでいます。このトンネルを抜けていくことで、子供は大人へと発展していくんだと思います。「こうであらねば・・・」よりも、「今日はここよくできたね!」という言葉の方が、きっと彼の活力源になるものと思います。
>
> 今僕は、父と僕の分の晩飯を作ったり・洗濯をしたり・部屋の掃除をしたりして、母という存在の尊さをかみしめています。彼も10年先になるかもしれませんが、きっと悟ってくれるでしょう。あまり思い詰めずに、ただ見守ってやればよいと思います。子供はそれが一番うれしいんです!
横からごめんなさい。
わたし・・・マザーさんにひとこと謝りたくて。そしたら、武田さんのこのコメントを見つけてしまったものですから。
うまくことばにできないです、まだ。去年「死んでやる、自殺してやる〜」と泣きわめいた娘に「あんたの気持ちはよくわかった。どうしても実行するときは、おかあさんに一声かけてくれ。そんときゃいっしょにいってやるから」って、言っちゃったんです。その場はそれでおさまったのですが、わたしは・・・自分の考えがいかに足りないか思い出してしまって。すみません。えらそうなこと言える人間じゃないんです。
武田さん、ありがとうございます。”ほぼよい母親”ってことばを心にきざんでおきます。(なぜか武田さんは学校の先生だと思いこんでいて・・・我ながら、あきれるほど周りが見えていない、あさかぜです。ごめんなさい)
マザーさん、わたしもコナン君大好き!かわいいし、かっこいいし(^^)
娘といっしょに観にいくより、自分が観たかっただけのあさかぜなのです。
KILROYだす。
館の管理人さん wrote:
>KILROYさんは、だれかが悪意をもってこの掲示板を狙ってウィルスで攻撃
>していると思い込んだんですよね。
かの「インターネット・ワーム事件」のときも、Bunblebee氏が作成した「Plage2000」にしても、本来は研究的な意図で開発したものが漏洩したという意味で、「悪意をもって」配布されたものではありません。
もちろん、管理人さんが「ウィルス」と称するもの(つまりはワームだが)の配布に意図せざる形で関与したユーザが「悪意」を持っているとも思っておりません。
ウィルスとワームはまったく別物だし、さらに今回転がりこんできたような「トロイの木馬」タイプの常駐型自己複製ファイルなどというのは、ユーザがうっかり実行しなきゃそれまで、というオモチャみたいな代物である。
しかし、こういうチャチな代物であるがゆえにハッカー気取りの馬鹿ガキにも手に負えるという面があり、さらに最初に「実行する」という明確な行為が伴わないかぎり配布(この手の自己複製ファイルに対して「感染」という言葉はあまり使いたくない。ユーザが意図的に何もしなけりゃ何も起こらないのだから)は始まらないという意味で、どこかに(潜在的にしろ)悪意というものが存在するのである。
ウィルス・プログラムの場合、ドライブに書込み保護のしてないメディアを突っ込んだだけで、文字通り「感染」する(Intel系OSだったら割込みベクタのところで見張ってりゃだいたい安心だが、こちとらマシンが Mac なのでリソースでも狙われた日にゃどもならん)。で、四月二十三日深夜から翌二十四日早朝にかけて、襲ってきた奴は、Outlook Express のHTMLメールの自動実行機能を使った悪辣な代物であった(らしい)。
ところが私のマシンがWin系であったために、インターネット・エクスプローラーを利用しにいった時点で誤動作によってインターネット・エクスプローラーおよびOutlook Expressが強制終了されてしまい、その時点でオープンしていたHTMLファイルに附属するリソースおよびエリアコード情報を破壊したと考えられるのである。
HTMLファイルの文字化けは「こんなこともあるのかな」くらいに思っていた(そう、私は例の「お気に入り」機能を使っていない。自前でHTMLのスクリプトを書き、そこにアドレスをタグで埋込んであるのだ。だからこのファイルに痕跡が残ったのであって、そうでもなければこれが外部からのアタックであるなどとはゆめ思わなかっただろう)。しかし、エリアコード情報を参照するアプリケーションはといえば、メーラー以外にはちょっと考えられない。インターネット・エクスプローラにしろ他のアプリケーションにしろ、エリアコードに触るのはローカルの日付情報を求めるとき、すなわちプリントアウトのときくらいしか考えられない。
……こんなヤバげな話を『アスペルガーの館の掲示板』にアップはしたくないのだ、私だって。
だもんだから、単に後からやってきたチャチな自己複製ファイルについてのみ注意を喚起しておいた。で、そのときに二つの報告を嘘にならない程度にごっちゃにしてあえて注意を喚起し、同時に「外からの悪意」を臭わせて「この『アスペルガーの館』のメンバーの中に悪意の配布者がいる」という印象を消しにかかったのである。さらに「マルハナバチさんに対する誤解に基づく悪意のアタックによるとばっちり」という可能性を臭わせて、「AS」に対する「悪意」に発想が及ばないように配慮した。
という事情なものだから、「思い込んだんですよね。」などと同意を求められても困るのである。
したがって、sweetyさんによるHybrisウィルスについての解説についてはナイスフォローだと思った。で、私が受取ったブツの正体はいまだ不明であるが、Outlook Express のセキュリティ・ホールを突いたけっこう厄介な代物である可能性はいまだ捨てきれない。
で、
>ウィルスってのは今のところコンピュータネットワークに付き物ですので、
>それに遭遇したからといって、だれかに狙われて攻撃されている、などと
>早とちりしないことです。
という意見も管理人さんの立場からいえばしごく真っ当な発言ではあるのだけれど、「しごく真っ当な発言」であるだけに鼻につくうらみがある。
「ウィルス」の感染経路は
1)感染しているシステムに対してライトフリーな状態で接触したメディア
2)ネット経由で手に入れたソフトウェアの不用意な実行
によるものが多く、「ワーム+ウィルス」といった剣呑なケースというのはまだ多くない。したがっていわゆるワクチン・ソフト(フリーウェアとして随所で入手可能である)の使用と、違法コピーソフトを使用しないといった常識的な対応で感染は未然に防止しうる。
つまり、ゆきずりのエッチ(無防備なメディアの接触)はするな、あるいは身元の分かった相手(フリーソフト作家)か衛生管理のできるプロ(メーカー)を相手にしろ、程度の注意はしろ、ということだ。それを「ウィルスってのは今のところコンピュータネットワークに付き物」というのは、「STD(性感染症)は女遊びには付き物」という発言と同じくらい無責任に聞こえはしまいか。
また、「それに遭遇したからといって、だれかに狙われて攻撃されている、などと早とちりしないことです」という発言は、「ウィルスとの遭遇→悪意ある攻撃」というかなり一般的かつ機械的な判断を「早とちり」と決めつけている点で、すでに被害にあったユーザの気持を傷つけると思う。あるいは症状としての「被害妄想」(この掲示板においては実際シャレにならん話である)の結果「だれかに狙われて攻撃されている」と判断したとしたら(少なくとも可能性として排除できないことは確かだ)、これは単に助言して済む話ではないから言うだけムダである。
したがって、『それに遭遇したからといって、だれかに狙われて攻撃されている、などと早とちりしないことです』といった形で「相手の判断そのものについて言及する」のではなく、『それに遭遇したからといって、「だれかに狙われて攻撃されている」と決めつけるのは早計です』と、「冷静な対処を促す」ことを呼び掛けるのが正解だろう、と思われる。
ご納得いただけたか。 KILROY
横浜のカレーオフが盛況のうちに(?)終わりました。
ななさん、みるさん、かしこさん、かとうさん、おむにさん、如月さん、KILROY(所長)さんいろいろお世話になりました。力不足な幹事をフォローしてくださり、ありがとうございました。僕は難発性のどもりなので言うべきことがうまく言えず、適切な対応ができずにご迷惑をお掛けしました。
うみねこさん、ぽよこさん、ゆてぃさん、そのほか今回参加できなかった皆さん、次は参加できるといいですね。
KILROYさんは、だれかが悪意をもってこの掲示板を狙ってウィルスで攻撃していると思い込んだんですよね。それに対して、おむにさんが
> これはトロイの木馬ウィルスで、しばらく前にも流行ました。
> おそらく感染したパソコンから自動送信されたメールを
> 受け取ったものだと思います。
> 相手に悪意はないでしょう。
>
> このページでウィルスのチェックが出来ます。http://www.trendmicro.co.jp/hcall/scan.htm
>ここがいい。
>
>http://www.trendmicro.co.jp/hybris/index.asp
と教えてくれたのに、KILROYさんは、これを見なかったのか
> 「Plage2000」系のウィルスに攻撃を受けた可能性があります。
> 「Plage2000」の作者は、A29 というグループの Bunblebee という人物です。
> Bunblebeeを日本語にすると……
と言いだしたので、私は「あれれ」と思いました。
そのあとでsweetyさんもHybrisウィルスの特徴について書いてくれていますが、KILROYさんの受け取ったものはPlage2000などではなくてHybrisでしょう。
KILROYさんの勘違いですよね。
ウィルスってのは今のところコンピュータネットワークに付き物ですので、それに遭遇したからといって、だれかに狙われて攻撃されている、などと早とちりしないことです。
所長である。ケンシロウさん主催の横浜ミニオフ会に参加してきた(^_^)。
ネット社会における匿名性に配慮して参加した各人の印象については、「等しく好印象を受けた」とのみ記すことにする。いや、ホント。みなさん素敵なひとでした。ケンシロウさん、いろいろありがとうございました。
で、ついでに黄金町の「夜の国際都市」も冷やかしてきたのだが(といっても大半のメンバーには意味不明であると思うが)、韓国後・北京語・広東語・タガログ語と確かに国際色豊かである(見た所南米系の女性もおられたし、フランス語らしきものも聞こえた)。なお、STD(性感染症)が怖いので国際親善のほうはご遠慮申しあげて見るだけ聴くだけである。
ついでながらこういったクォーター形式(手元の英和辞典によれば「宿営」だそうである)の施設が存在する場所、それも都会といってよい場所に存在する例というのは世界的みてけっこう珍しいのではないかと思う(かつては『チャブ屋』と呼ばれておったという)。
なお、意味不明はあくまで意味不明のままにしておくことにする。詳しくお知りになりたい方は、最寄りの書店において「裏風俗」関係の書籍に当って「黄金町」あるいは「本牧」地域についてお調べ願いたい。
なぜかときどき発作的に評判を落としたくなる 所長
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