アスペルガーの館の掲示板(旧)

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Re: 交流の場として・・・ 0051へのコメント
No.0064  Fri, 7 May 1999 23:27:05 +0900  nada [この発言にコメントする]

> 私はアスペの子の親ですが、文献などを見ると、アスペというのは母方の遺伝のような記述がありますね。つまりは、私も、私の親類たちもアスペ的要素があるというか、なんだか納得いく部分があるんですよ。私自身、幼稚園・小学校時代はずっといじめられていたし、言葉での表現がうまくできないとか、社会性に乏しいとか...。だから、アスペの母ということだけじゃなくて、私自身がこの掲示板に参加したいと思ったのです。

母方とは限らないだろうけど、そうですね。ぼくの場合もただ親の性質を自然に受け継いでるにすぎないという気がかなりしてて、だからこれを「病気」とか「障害」とかいうのには違和感があります。(これはアスペの人でも人それぞれですが)

> それも欲しいような気もしますが...。専門家の声というのも必要かもしれませんが、この掲示板に参加する中で、息子との関わり方も見えてくるかもしれないというふうに思っている部分もあります。アスペといっても十人十色ですからねえ。

ほんと、十人十色です。性格も能力もとても違うということ、日ごろの生活で痛感してます。文章を書いたり言葉の能力がとても優れたアスペの人がいる一方、ぼくなど、とてもそのあたりが苦手というのもいて。今までホームページに「掲示板」をつけてなかったのは、そのような言葉のコミュニケーションにとてもついていく自信がないという理由でした。

そんな自己表現が苦手であったりする人でも、臆せず書き込めるような掲示板になればいいなと思います。

さて、この週末ちょっと実家の仙台に帰る用事があって、来週はじめまでアクセスできないのですが、みなさんそれまでまたね。


Re: ありのままでいられるかどうかの問題です。 0062へのコメント
No.0063  Fri, 7 May 1999 22:34:57 +0900  キマイラ [この発言にコメントする]

ゆみっち wrote:
>「指導の場」は守られた空間です。私はまず親子双方がこの中でまず安心してもらえたらと考えています(きれい事かもしれませんが)。安心することで親子関係が少しでもいい方向へ行くきっかけになってほしいのです。

そう、「指導の場」は、正にその為の場ですから。しかも、「ちょっと普通じゃないな」ぐらいに思っていた我が子に「OO症」「OO障害」なんていう、聞いたこともないような病名をつきつけられるのは、親としては奈落の底に突き落とされる思いですから。私はそのショックも味わいました。「指導の場」の第一の仕事は、「安心させること」だと思います。

>日本ではこういう相談の場が少なく、従事している人もあまりいい環境で仕事しているとは言えません。だからこそ私は自分の体験を生かせるのでは、と思いこの職業を選びました。
>自分がASであることはごく一部の人にしか話していませんが、経験年数が浅いわりに色々相談業務が増えているので、自分の経験は無駄ではなかったなと今では思っています。

確かに、専門家だからといって、「必ずしも好意的に見てくれるわけではない」んです。「すごい」とか「ひどい」とか、平気で言う人が院長先生だったりしました。《本人》の気持ちが分かる人が相談に乗ってくれたら、これほど心強いことはないでしょうね。ゆみっちさんのような経験を持った専門家が、これからもっと増えてくれたら良いなと思います。息子の件で、私は、そう言う人に出会えませんでした。それで、病院に行くのをやめました。医療機関への不信感は根強く残っています。

専門家の皆さん方の努力の甲斐あって、今現役の子供達は、昔とは比べものにならないくらい幸せな学校生活を送っています。私も、今の子供達がうらやましいです。


Re: ありのままでいられるかどうかの問題です。 0057へのコメント
No.0062  Fri, 7 May 1999 21:45:33 +0900  ゆみっち [この発言にコメントする]

キマイラ wrote:
>ASと告知されていようといまいと、「普通になれ」と言われて、常に自分を自分で縛り、「自分を否定して」生きるように強制された時、ASは「幼児性を大人びた芝居でカモフラージュして生きる」ACになるのではないでしょうか。ASという最後の切り札を「そのままでいい」という意味に使うか、「それではいけない」と言う意味に使うかで、まるで違うものになってしまう。

ありのままってどういう私なんだろうと考えることがよくあります。しゃべらなかった頃の記憶がほとんどないので(私は4歳までしゃべっていなかった)、ありのままの私だったらどうやって言葉を覚えていたのだろう、そして母の教育や心理の先生のプレイセラピーを受けていなかったら私の社会性はどうだったのだろうと考えます。でもよく分からなくなってしまうのです。
今の自分はセラピーなどもする立場にあり、矛盾を感じることもあります。でもどうしたらこの子が生きやすい環境が作れるかを親や周囲の人たちと協力して考え、体制を整えていくことはこの世の中で生きていく以上必要なんでしょうね。

>それから、障害児とその親と専門家しかいない指導の場で、そこに相談に来る子供達を「ありのまま」認め、また、「ありのまま」受け止めることは簡単かもしれない。けれど、日夜、無理解な人々に囲まれて生活しなければならない現実は、そんなに甘くはない。どんなに我が子をかばっても、かばい切れないし、板挟みになる精神的苦痛も相当なものです(これは経験しないと解らないかも…。)。特に、自分自身がASを理解できない非ASの親ならなおさらです。そういう人は、十二分に、専門家に頼る必要があるのではないでしょうか。

「指導の場」は守られた空間です。私はまず親子双方がこの中でまず安心してもらえたらと考えています(きれい事かもしれませんが)。安心することで親子関係が少しでもいい方向へ行くきっかけになってほしいのです。
日本ではこういう相談の場が少なく、従事している人もあまりいい環境で仕事しているとは言えません。だからこそ私は自分の体験を生かせるのでは、と思いこの職業を選びました。
自分がASであることはごく一部の人にしか話していませんが、経験年数が浅いわりに色々相談業務が増えているので、自分の経験は無駄ではなかったなと今では思っています。


Re: 娘が時々うらやましい 0058へのコメント
No.0061  Fri, 7 May 1999 19:04:56 +0900  キマイラ [この発言にコメントする]

もやし wrote:
>親との関係も私は緊張の連続で、怒りを買うことを恐れて右往左往してばかり
>いたおぼえがあります。兄はうまく切り抜ける所を、私は引っ掛かってばかり
>いました。
>
>ASである娘の方が、うまくまとまっているように見える私です。
>私がACだからでしょうか?それとも私もAS?


身近にいるACを観察して思ったことです。(違っていたらゴメンナサイ。)そのACの人は、社会性がまるでないわけではないし、感情なども普通の人みたいです。でも、認知能力のどこかに発達の遅れがみられるような節があります。特に、社会的な認知が、欠けているというより歪んでいる感じがします。それで、言われたことを必要以上に守ろうとしたり、状況や相手に応じて変えられない「かたくなさ」があるように見うけられます。一般化できるかどうかはわかりませんが…。

ASの子供は、「やめろ」と言われても何の事だか分からずに同じことを繰り返しやってしまう。けれど、子供時代のACは「やめられる」んです。指示に従って、相手の意にそむかないように行動できると思います。ただ、本当の気持ちを心の中に押し込めて。


Re: 娘が時々うらやましい 0059へのコメント
No.0060  Fri, 7 May 1999 16:31:07 +0900  おサルのジョージ [この発言にコメントする]

おサルのジョージ wrote:
私の親(母)は、ASの傾向は無いので、私を理解し難かったらしく
>私も甘えづらかったです。逆に、父は、今思うと、多少AS的なところがあり

すみません、さっきの、投稿で、上の部分が、ピンクになってしまいました。
此処は、もやしさんの文ではなく、おサルのジョージの、文です。
アバウトなもので、すみません。


Re: 娘が時々うらやましい 0058へのコメント
No.0059  Fri, 7 May 1999 16:27:39 +0900  おサルのジョージ [この発言にコメントする]

もやし wrote:
>ASの娘(5歳)は私が見るに、物凄く素直で感情もストレートに表現する。
>私の中で、翻訳して話を聞いているせいでもあるだろうが、果たして私は子供
>の頃、こんなに親に対して自分をさらけ出していただろうか?甘えることが出
>来ただろうか?
>
>私の親(母)は、ASの傾向は無いので、私を理解し難かったらしく
私も甘えづらかったです。逆に、父は、今思うと、多少AS的なところがあり
(すごく努力して、人付き合いをしている人でした)私の最大の理解者で
サポーターでした。私が、一応、幸せな子供時代をすごして、
劣等感をあまり抱かず、好きな事をみつけて、没頭できたのは、
父のおかげです。
でも、父は、日常家にいるわけではないので、
実の母と居て、なぜだか、疎外感を感じたことをおぼえています。

ぎゃくに、幼児のころの息子は、物事に、凝るところとか、
好奇心の固まりであるとか、以上に、本を読むのがはやいとか
自分に似たところも合ったので、私にとっては、
わかりやすく、幸せな親子でした。
でも、社会性が必要となる場面では、しばしば、
苦労してしまいます。
いまでも、二人で、何かに凝ると、とっても、楽しいひとときです。
月とか、石とか、宇宙とか、そう ポ*モンとか、
ニューズ ウィークの、特集記事にも、ありましたが、
不思議な能力の、アンバランスです。
もやしさんの、お嬢さんも、おかあさんに、理解されて、
のびのびと、しあわせな、子供時代をおくっていらっしゃるようで、
うらやましいです。私も、今は亡き父ですが、今でも、わたしの
力になってくれているきがします。

>ただ、同年代の子供たちの中ではどうなんだろう?
>男の子数人から「家の姉ちゃんよりこえー」と言われているのを聞いた。
>女の子との接触が極めて少ない。声をかけられて反応しているのを見た事がな
>い。
>女の子っぽい服装を嫌がる。
>周囲の子の真似をして、嫌がられるのを数度目撃。
>
息子も、同年代が、一番苦手のようです、かえって、年下の子とのほうがk
うまくいきます。
一方的にしゃべるくせをちょっと直すと、同年代とも、もう少し、、、
と思うこのごろです。


娘が時々うらやましい
No.0058  Fri, 7 May 1999 12:30:13 +0900  もやし [この発言にコメントする]

ASの娘(5歳)は私が見るに、物凄く素直で感情もストレートに表現する。
私の中で、翻訳して話を聞いているせいでもあるだろうが、果たして私は子供
の頃、こんなに親に対して自分をさらけ出していただろうか?甘えることが出
来ただろうか?
恥ずかしいくらい、ラブコールしていることがある。
逆に、こちらが驚くほど気を遣っていることもある。
苦手が個性と受け取られると言うよりは、好意を持って大人達に迎えられてい
ると言う印象を受ける。

ただ、同年代の子供たちの中ではどうなんだろう?
男の子数人から「家の姉ちゃんよりこえー」と言われているのを聞いた。
女の子との接触が極めて少ない。声をかけられて反応しているのを見た事がな
い。
女の子っぽい服装を嫌がる。
周囲の子の真似をして、嫌がられるのを数度目撃。

そんな娘だが、いつも大好きなもの没頭できるものがあって、じつに楽しそう
に生活しているように見える。
お母さん、お父さん、先生、Kくん、大好きな人も沢山いる。

今の時点では、私の子供時代より娘の方が数倍楽しそうに見える。
同年代の子供たちからは、私も娘に負けず劣らず浮いていたし、どうしたら良
いのか解らずウロウロすることも沢山ありました。
指図されたことが解らず、ベソをかいたこともしばしばでした。
一人で迷走していたこともあったなぁ・・・と、娘を見ていて懐かしく思うこ
ともあります。
親との関係も私は緊張の連続で、怒りを買うことを恐れて右往左往してばかり
いたおぼえがあります。兄はうまく切り抜ける所を、私は引っ掛かってばかり
いました。

ASである娘の方が、うまくまとまっているように見える私です。
私がACだからでしょうか?それとも私もAS?


ありのままでいられるかどうかの問題です。
No.0057  Fri, 7 May 1999 08:13:50 +0900  キマイラ [この発言にコメントする]

ASと告知されていようといまいと、「普通になれ」と言われて、常に自分を自分で縛り、「自分を否定して」生きるように強制された時、ASは「幼児性を大人びた芝居でカモフラージュして生きる」ACになるのではないでしょうか。ASという最後の切り札を「そのままでいい」という意味に使うか、「それではいけない」と言う意味に使うかで、まるで違うものになってしまう。
しかし、ASがASを「ありのままで生きる」には、やはり、この世は辛すぎる。「これだけは覚えなければならない」最低のことは厳としてあります。もともと無い社会性(普通、人は、この場面では、こうするだろう)があるように振る舞おうと細心の注意を払って、疲れてしまう。
ASもACも、社会性に縛られて生きるという点では同じでも、もともと有るものか無かったものなのかという観点で見れば大違いだと思う。けれど、ASを「ありのまま」に認めても、「ありのまま」のASを受け止めてくれる社会がなければ、やはり、ASはAC的に生きざるを得ないという視点に立てば、生まれながらの宿命になってしまう確率は高いと言えるのではないでしょうか。

それから、障害児とその親と専門家しかいない指導の場で、そこに相談に来る子供達を「ありのまま」認め、また、「ありのまま」受け止めることは簡単かもしれない。けれど、日夜、無理解な人々に囲まれて生活しなければならない現実は、そんなに甘くはない。どんなに我が子をかばっても、かばい切れないし、板挟みになる精神的苦痛も相当なものです(これは経験しないと解らないかも…。)。特に、自分自身がASを理解できない非ASの親ならなおさらです。そういう人は、十二分に、専門家に頼る必要があるのではないでしょうか。


Re: ACとAS 0055へのコメント
No.0056  Fri, 7 May 1999 03:18:45 +0900  おサルのジョージ [この発言にコメントする]


>私は皆さんとちょっと立場が違って、小学校に入るか入らないかの頃から「高機能自閉症」とか「アスペルガー症候群」と母親に言われながら育ってきました。「あなたは普通の子どもじゃないから,普通の子どもになるために普通以上に努力しなくては行けない」とも言われました。普通の子どもになりたくていろいろ努力したこともありましたが、いつも裏目に出てかえっていじめられたりしていました。
>
私は、主婦としては、十分かわっているし、自覚してるし
人付き合いが悪くても、一人で、楽しいことがたくさんあるから、
いいや、とおもって、ずーっと、くらしていました。
でも、子供が生まれたら、やっぱり、そんなこどもで、
幼稚園、小学校と、他の子供たちに、溶け込んでいかない
こどもの、親、という、立場になりました。
そしたら、また、子供のとき自分で、一生懸命
克服した、集団の中での孤独とか、他の人からの揶揄
といった、経験が、フラッシュバックしてきて
しばらく、私自身子供につらくあたりたくなってくる
(どうして溶け込めないの?、、、と)
じきがあったんです。
いまは、その辺を理解してきて、自分の問題と、彼の
新しい問題を、分離して、かんがえられるようになり、
だいぶ楽になってきました。
でも、ときどき、自分の中で、必死で、処理してきた
集団と、自分という関係を、子供をもったことで、
もういちど、経験し直さなくちゃいけないということで
ちょっと、しんどい面は、あります。
なんか、わかりにくくなってきちゃいましたが。

そう、自分は、もう、普通じゃなくてもいいやあ。
ということで、ひょっとしたら、普通、、、より、おもしろいかな
というとこまで、やっときたんだけど
普通になりたい子供がいて、(子供ってそうですよね、
まわりは、まだ、結構、残酷だし遠慮が無いし、それでこそ子供だし)
溶け込みたがって、必死になってる、息子をみてると、
昔の自分を見るようで、ものすごくかわいいんだけど
でも、それだけに、かえって、自分のことより、
しんどい、ってところがあります。
なんか、わかりにくいですね。
すいません。

>
>
>でも現在私がしている仕事で会う親子を見ていると我が子を見とめられずに悩む親があり、そして親自身も受け入れられない自分自身を認められずに苦しんでいる親が多いです。

アスペや、LDや、ADHDを知る前の私が、まさに、こんな親でした。
でも、わかってきたいま、また、自分の問題についても
自覚がでてきて、自分の事でも、ちょっと、だれかに
ヘルプしてもらいたくなってしまうという、退行?が
でちゃってます。
その辺が、自分で、今頼りない部分なのですが、ゆみっちさんの
コメントをよんで、頼れる自分というのも、また、ひとつ
作って、いかなきゃなーなんて、おもっています。
(人に頼るのが、めっぽう、苦手なんです、、、、
でも、ヘルプして欲しい気持ちはある、、、やっかいです。)


Re: ACとAS 0053へのコメント
No.0055  Thu, 6 May 1999 23:32:35 +0900  ゆみっち [この発言にコメントする]

私は皆さんとちょっと立場が違って、小学校に入るか入らないかの頃から「高機能自閉症」とか「アスペルガー症候群」と母親に言われながら育ってきました。「あなたは普通の子どもじゃないから,普通の子どもになるために普通以上に努力しなくては行けない」とも言われました。普通の子どもになりたくていろいろ努力したこともありましたが、いつも裏目に出てかえっていじめられたりしていました。

だからアスペということは自分にとっては十字架のような響きが今でもあり,あまり救いの言葉にはなっていません。

20歳の頃病気になって色々親子関係のことなどで悩んで、本なんかもすごく読んで家族療法などを勉強しているときにACという言葉を見つけたとき、やっと少し救われる気がしました。

ある意味でアスペは生まれながらのACなのではないかという感じがします(もちろんこれは私個人の意見ですが)。もちろんこれは私が育った環境がすでにACにありがちなものだったせいかもしれません。
でも現在私がしている仕事で会う親子を見ていると我が子を見とめられずに悩む親があり、そして親自身も受け入れられない自分自身を認められずに苦しんでいる親が多いです。

だから私は仕事で会う親御さんで、子どものことで悩んでいる人たちにはこういうメッセージを送ることがあります。
「このようなお子さんは必ず500人に1人前後で生まれます。これは自然の摂理です。だからお母さんは自分を責めないで下さい。他の子どもたちより大変な分,社会に対してSOSを送って,どんどん他の人の協力を得るようにして下さい」と。


Re: いろんな人 0052へのコメント
No.0054  Thu, 6 May 1999 21:07:46 +0900  さる [この発言にコメントする]

キマイラ wrote:
>でも、#"自分や自分の子が私の子より大事にされていない"と勘違いして嫉妬をエネルギーにしていた#という方向にエネルギーが向くこと自体が謎です。私にしてみれば。

少なくとも私の周りにいたこういう人は、”特に何もする気のない人”のように感じました。というより、ひとりでは何もする気のない人というんでしょうか・・。
自分で何か(好きな事でも、特技でも、義務でも)集中して”ひとりで”何かできる人は何があっても、攻撃してこなかったです。
でも、「ね〜○○さん・・一緒にこの仕事してみない?」などと言う人に限って、
あとで私は、痛い目に合いました。
嫌なことは嫌と意志表示するか、無視するか、してくる人はそんなに私の場合は害
はありませんでした。
結局、自分の方向性(得意分野、趣味、仕事、等々)があると(多少かたよりがある人もいましたが)そしてひとりでも集中していられるとエネルギーは無駄に使われないのでは?
なぜかみんな集団だと安心するんですね。ただ、”お互い様”というのと集団の中の1人で”あ〜安心”とでは違うと思うのですが。話がそれてすいません。


>でも、私は「誰かが言ったこと」を鵜呑みにして、調子に乗る悪い癖があります。攻撃しようとする時はやっばり徒党を組もうとしている! でも、すっかり仲間になったつもりで準備万端整えたとたん、ハシゴをはずされてしまうなんてことがよくあります。ただ、私は勘違いしていただけだったんです。それで、いつも、「調子に乗りすぎているんじゃないか」と怯えています。今、この場でも。


私もあります。小学校の頃からです。5年生からの記憶しかないのですが、(変わってますか?)自分でいつも後悔したり、掲示板にコメントしたことさえ後悔
したりします。
掲示板を読んで、落ち込んだりもします。
普段の生活でも、みんなに敬遠されているのは”あの時私が調子に乗ったから?”
と眉をひそめたりもします。たまに、誰も信用できなくなります。
でも、平気なそぶりをしています。
だから、素直に苦しそうにする息子がたまに羨ましくもあり、妬ましくもあります。
何だかわかりにくくてすいません。


Re: ACとAS 0050へのコメント
No.0053  Thu, 6 May 1999 19:04:43 +0900  キマイラ [この発言にコメントする]

nada wrote:
>私が「アスペルガーの館」を開いた2年前はちょうど「アダルトチルドレン」(AC)というような言い方がはやってたときでした。アスペルガーの館でもそれに便乗して「ACとAS」などと言いました。ACのことを語っていた先生がたはASのような生まれながらのものとされてるものには無関心で、逆にAS関係の先生がたは、流行のAC(トラウマ論)を苦々しく思いながら無視しているという状況でしたので、そこに一石を投じたいなという気もありました。ほんとはかなり交わっている部分があるのでないかとわたしは思ってます。

ASの中にあるACの要素。これって、私がムキになって食い止めようとしている「二次障害」だろうと思う。たぶん。


Re: いろんな人 0049へのコメント
No.0052  Thu, 6 May 1999 18:50:48 +0900  キマイラ [この発言にコメントする]

さる wrote:
>キマイラ wrote:
>私はASではないためかどうかわかりませんが、「いやがらせ」(特に子供のことで)受けたとき相手のことがわかることもあります。
>大抵、1人ではできず徒党を組んでいます。
>面と向かってできないときは陰で(こちらが気付くように)します。
>1番わかりやすかった理由は”自分や自分の子が私の子より大事にされていない”
>と勘違いして嫉妬をエネルギーにしていた人たちです。

そういえば、ひとりひとりならけっこう「いいひと」でも、ボスが来ると豹変してしまう。ひとりでも充分にイヤミなことをする時は、多勢の仲間内で固まっている統一見解にしっかり裏打ちされている。それで、私は実際に組んで攻撃してくれる人がいなくって、ここで仲間を探しているというわけです。
でも、#"自分や自分の子が私の子より大事にされていない"と勘違いして嫉妬をエネルギーにしていた#という方向にエネルギーが向くこと自体が謎です。私にしてみれば。

でも、私は「誰かが言ったこと」を鵜呑みにして、調子に乗る悪い癖があります。攻撃しようとする時はやっばり徒党を組もうとしている! でも、すっかり仲間になったつもりで準備万端整えたとたん、ハシゴをはずされてしまうなんてことがよくあります。ただ、私は勘違いしていただけだったんです。それで、いつも、「調子に乗りすぎているんじゃないか」と怯えています。今、この場でも。


Re: 交流の場として・・・ 0047へのコメント
No.0051  Thu, 6 May 1999 17:40:12 +0900  ままきん [この発言にコメントする]

>ほかのところの掲示板、フォーラムなどもあることですし、このアスペルガーの館
>の掲示板は、アスペによるアスペのためのものということを特色としていきたいと
>思っています。

ほかのところにも入っていますが、アスペ専門ではないので...(それにアスペの会に入会希望のメールを送ったのだけど、無反応で...)。その趣旨に賛同します。

私はアスペの子の親ですが、文献などを見ると、アスペというのは母方の遺伝のような記述がありますね。つまりは、私も、私の親類たちもアスペ的要素があるというか、なんだか納得いく部分があるんですよ。私自身、幼稚園・小学校時代はずっといじめられていたし、言葉での表現がうまくできないとか、社会性に乏しいとか...。だから、アスペの母ということだけじゃなくて、私自身がこの掲示板に参加したいと思ったのです。

>#もしも、アスペの親や療育者のための掲示板もここにほしいというような要望が
>多数あるようなら、掲示板を増やしてもいいのですが・・・

それも欲しいような気もしますが...。専門家の声というのも必要かもしれませんが、この掲示板に参加する中で、息子との関わり方も見えてくるかもしれないというふうに思っている部分もあります。アスペといっても十人十色ですからねえ。


Re: ACとAS 0046へのコメント
No.0050  Thu, 6 May 1999 13:31:11 +0900  nada [この発言にコメントする]

yukito wrote:
>私も心関連のホームページを立ち上げていますすが
>ACとかASなど概念や定義など書けるほど知識はないので、
>そのかた専門のページにはなっていません。
>生きづらい人全てに対してきてもらいたいと思ってます。
>
>http://www.hi-ho.ne.jp/sugiyuki

これですが、なかなか最初のページがでてこなくてイライラしてしまってかんじんな内容を見る気がしなくなってしまう人もいると思うので、JavaScriptで遊ぶというのは別にしたほうがよいのでないでしょうか?

私が「アスペルガーの館」を開いた2年前はちょうど「アダルトチルドレン」(AC)というような言い方がはやってたときでした。アスペルガーの館でもそれに便乗して「ACとAS」などと言いました。ACのことを語っていた先生がたはASのような生まれながらのものとされてるものには無関心で、逆にAS関係の先生がたは、流行のAC(トラウマ論)を苦々しく思いながら無視しているという状況でしたので、そこに一石を投じたいなという気もありました。ほんとはかなり交わっている部分があるのでないかとわたしは思ってます。

あ、ハンドル名を 管理人 から nada に変えてます。
これから立場によって使い分けようかなと思います。


Re: いろんな人 0048へのコメント
No.0049  Thu, 6 May 1999 11:34:25 +0900  さる [この発言にコメントする]

キマイラ wrote:

>ところで、私は、無視されたらその人を避けるし、かまってもらえなかったら迷惑なんだと思って黙ってしまう。そして、一人で好きなようにする。(そんで、パソコン買っちゃった。)

私もそうです。ただ、息子が関わる場合、いきなり積極的になったりします。



>だけど、ASじゃない人と言っていいのかどうかわからないけれど、「いやがらせ」できる人っている。どうしてそんなことができるのか、私にはわからない。

私はASではないためかどうかわかりませんが、「いやがらせ」(特に子供のことで)受けたとき相手のことがわかることもあります。
大抵、1人ではできず徒党を組んでいます。
面と向かってできないときは陰で(こちらが気付くように)します。
1番わかりやすかった理由は”自分や自分の子が私の子より大事にされていない”
と勘違いして嫉妬をエネルギーにしていた人たちです。
その他、”できる所”と”ついやってしまう(悪気はないのに)”がある子なので
「何でそんなに頭いいの?(別に自慢ではありません)」という気落ちと「何で乱暴なの?(パニックの飛び火なんですが)」というのが、仲間?で話し合われた
結果でしょうか。
自分と違う環境の人や考えの人は、何とか排除したい人もいるようです。
親切のつもりの人もいるようです。
私は周りにそういう人はそう多くなかったので、(今のところ)静かに聞き流して
います。
お答えになりましたでしょうか?
気にさわったらごめんなさい。


いろんな人
No.0048  Thu, 6 May 1999 08:08:37 +0900  キマイラ [この発言にコメントする]

まだ、圧倒的に親の方が多いんだろうな…。でも、いろんな人からいろんな発言があった方が、いろんなことを発見できて面白いかなって気がする。刺激になるし。

ところで、私は、無視されたらその人を避けるし、かまってもらえなかったら迷惑なんだと思って黙ってしまう。そして、一人で好きなようにする。(そんで、パソコン買っちゃった。)
だけど、ASじゃない人と言っていいのかどうかわからないけれど、「いやがらせ」できる人っている。どうしてそんなことができるのか、私にはわからない。


交流の場として・・・
No.0047  Thu, 6 May 1999 04:58:17 +0900  管理人 [この発言にコメントする]

アスペルガーやその周辺の何かであるような本人たちのための交流の場、あるいは、言いたいことが言える場となればと思ってこの掲示板を作りました。
「アスペルガーの館」という名前も、Asperger'Sたちがあつまれるとこになればと付けたのだけど、掲示板ができてやっとその名にふさわしいものになるかな・・・

ところで、アスペルガー関連のネット上の交流・情報交換の場というのは、ここだけではありません。私の知っているところでは次のがあります。

「アスペの会」の掲示板
 http://ibuki.ha.shotoku.ac.jp/cgi/tsujii/wwwbbs.cgi

LD(学習障害)フォーラム
 http://www.ne.jp/asahi/hp/keyaki/HTML/LD-FRM/INDEX.html

NIFTY SERVE 障害児教育フォーラム(FEDHAN)
(会議室「自閉症児の教育」「LD児と教育」など)
 http://www.nifty.ne.jp/forum/fedhan/
#残念ながらパソコン通信NIFTY SERVEの会員しか会議室は見れません

これらも見てみることをおすすめします。とくにアスペのお子さんをもつ親たちには役にたつのではないかと思います。

ほかのところの掲示板、フォーラムなどもあることですし、このアスペルガーの館の掲示板は、アスペによるアスペのためのものということを特色としていきたいと思っています。
でも、だれでも書きこめるオープンな場でもなければつまらないので、だれの書き込みでも歓迎です。

#もしも、アスペの親や療育者のための掲示板もここにほしいというような要望が多数あるようなら、掲示板を増やしてもいいのですが・・・


ACとAS
No.0046  Wed, 5 May 1999 23:50:37 +0900  yukito [この発言にコメントする]

遅れましたが、掲示板設置おめでとうございます。

このホームページを見つけて訪問したのが1年ぐらいまえになります。
ACについては知っていまして、ミーティングにも出ていましたが
はじめてASをこのページでしりました。
はっきりいって目からうろこがおちた感じでした。

こういう場があることに感謝します。

私も心関連のホームページを立ち上げていますすが
ACとかASなど概念や定義など書けるほど知識はないので、
そのかた専門のページにはなっていません。
生きづらい人全てに対してきてもらいたいと思ってます。

http://www.hi-ho.ne.jp/sugiyuki


このような場を作ってくれてありがとう
No.0045  Wed, 5 May 1999 17:01:53 +0900  ままきん [この発言にコメントする]

みなさん、はじめまして。
今年アスペルガーと診断を受けた小5の男の子を持つ母親です。
なにしろ、この病気に関する情報が少なく、どういう風に対処していったら良いのかわからないでいます。
交流の場もないですし、このような掲示板を作ってくださったBoard Readerに感謝します。
夢精も始まり、思春期にさしかかっています。この時期が一番難しいとカウンセラーの先生にも言われています。いろいろと情報交換をしていきたいと思います。
よろしくお願いします。

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