アスペルガーの館の掲示板(旧)

あなたは 番目のお客様です。

新しい話題を投稿 次の20件を表示 最新のログを表示 パスワード変更 発言の削除
一度に表示する件数を 件に
《アスペルガーの館》に戻る / 新しいアスペルガーの館の掲示板


Re:Re:「あんなへんな子と遊んじゃいけません!」 4672へのコメント
No.4677  Thu, 10 May 2001 22:13:52 +0900  Xanadii [この発言にコメントする]

Mr.Moto wrote:
>
> 悪い! Xanadii。おれはあんたが可愛くてしょうがないのだ。だから謝る。ごめんなさい。まるっきりおれのキャラではないので信じてもらえないだろうが、それでも謝る。今後はちゃんと改める。どうか赦してくれ。
>
> 「最近の若い連中は」「コンピュータのプログラマーなんていう奴らは」「引きこもりなどとという甘えたことを言う奴らは」といった形で、「個別」ではなく「一般」の枠に押し込めることでしか安心できんのだ。
>
>というのは、世の中に迎合しろとか、そういった話ではない。世の中の「常識」みたいなものを逆手に取って、小狡く立ち回るにしたってのはあんたの権利なんだ、ということが言いたいのだ。

> だが、往々にして「楽しむ」ことを求めた瞬間にそれは取り上げられ、レースに参加させられるための餌に変じてしまうのだ。それだけならまだしも我慢できる。レースから降りればいいのだから。しかし、「誰もが欲しいと思っているはずのもの」を鼻先に押しつけられて、しかもレースから逃げられない、みたいな状況というのが確かにある。
>
> 世間でいう「楽な」生き方にもそれなりの利点はあるのだ。ただ、おれはその部分と敵対することでしか生きてこられなかったし、その結果いろんなものを失った。
>
> 前にもどこかに書いたが、自分に誠実すぎるとかえって自分を傷つける。「いいかげんな生き方」というものを、あんたは自分に許したほうがいいようにおれは思った。
>
> おれはあんたを見ていると、なにやら痛々しいのだ。それはおれが受けてきた痛みと同質のもののように思う。もちろん他人の言うことだから聞き流してもらって構わんのだが、どこかで自分と折合いをつけたほうがいいとおれは思う。
>
> Mr.Moto

 ヘッ!ありがとよ。痛々しいのはここにいるだれでも同じこと。ブッ壊れてる同士これからもせいぜい、仲良くやっていこうじゃないの。
 ぶはは、すんません。私のほうでもそんなつもりじゃなかったのですよ。ただね...パンクだろうとなんであろうと、自分が属していて(たとえそれが幻想に過ぎないと分かっていたとしても)、愛して、大切にしているものを、頭ごなしに笑われたり否定されたり(たとえその人に全く悪意というものがなかったとしても)するっていうのは、一時的にムッとくるものでありまして。「おまえはデベソだ」って言われるより「おまえの母ちゃんデベソ!」のほうがはるか侮辱的であるのと同じことだと思うの。たとえ自分の親が、本当に無理解で、何度も泣かされるような存在だったとしても、人には言われたくない...。人間心理のミステリーだと思う。

 自分が属してると信じているものを、侮辱されたって言うことは、自分自身までが否定されたのと同じこと。たとえばの話「なんでおまえジャイアンツが好きなんだ」って言われた時点で、アッタマきた!ほっとけ!ってなっちゃう。本気で好きになれるものがないって人には、まるで理解できず、話題作り程度ならまだしも「コア」なファンなんてきた日には、まるで滑稽で大人気なくて、金払ってチケット買ってその球団の試合見に行ったり、グッズ買いこんだり、口角泡飛ばして監督や選手の評定したり、その団体の収益にせっせと奉仕しているだけの、なんだか「こわい」存在にしか映らない。そんなことしてたって、自分には一銭にもならないのに。自分が選手になれるわけでもない、なんの見返りもないのに。実際バカなんだけどね。ほんっとくだらないことなんだけどね。自分以外の人間にとっては、まるでどーだっていいことなんですけどね。

 でもやや飛躍させて考えれば、町や駅で自閉症とおぼしき人物が、何も知らない人間たちに、笑われたり怖がられたりしているのを見たりすると、自分までが笑われたような気がして、居たたまれなさを味わう。これならこのサイト参加者の方々にも、覚えのあることでしょう。

 「あんなへんな子と遊んじゃいけません!」親に言われると、精神的に非常に堪える言葉です。じゃあその、「へんな子」と遊んでいるわたしって何?かといってその親を、たとえ理解のある人でも「ひどい親だね」と言われようものなら、それはそれでムッとくる。
 まったく、おかしなもんです。
 私も世間から変わり者扱いされている人間と仲良くなる、妙な特技がある。(それでもウマが合わないときは徹底的にだめだったりするけど。いや私自身はほんとはだれとでも繊細に付き合いたいのにね)KILROY=Moto氏についてももし、親や他の誰かから「あんな奴と関わり合いになるな」などと言われたら、やはりひどく傷ついてしまうことと思う。私と関わった誰とのことでも。たとえ殺したい相手のことでもね。
 
 こんなだから食い物にされちまうような世の中だ。

 私の病の常で、あちこち話が重複したり飛んじゃってたり、しかもほとんどMoto氏へのレスになっていないのだが、まー私のほうでもてきとうに息抜きはしてますんで。私なんててんでユルイほうだと思うんだけどな。「発病」さえしていなければ、最高に恵まれた娘として、さぞ世間から祝福された人生を送ることができていたことと思う。楽になれるもんならなりたい、私だって。外見は人形みたいで、中身はヒートダメージでシワクチャになった塩ビ盤の上を、針が跳ね回ってるみたいなこの頭の中。たったいちどでいい、「ふつう」ってのがどんな感じなのか、私も味わってみたい。
 癌やアルツハイマーと違って、それが原因で死んだり悪化しないだけましか?
 ともあれこの話はひとまず打ち切り。ここで言いたかったことはこれで全部。
 Motoさんその他わざわざ読んでくださった皆さん(いるのか?)、いつもながら長くてごめんなさい。 


Re: どうしたらいい? 4673へのコメント
No.4676  Thu, 10 May 2001 20:47:58 +0900  あさかぜ [この発言にコメントする]

Mariaさん wrote:
>
> Tienさんの悩みは「日常」においてのことであり、Xanadiiさんが提示した対策は「非日常」の世界のことだ。だから本質的には対策になっていないように思う。

 横レスごめんなさい。↑わたしもそう思います。

> 日本人は、意外に強烈な「個」を持っている。アメリカが個人主義で日本が全体主義だというのはちょっと変で、「個」というものをちゃんと持ってなかったら日本みたいな国では生きてゆけない。だけど、そこんところを勘違いしてアメリカ流の「個」を日本人に押しつけようとするから、今みたいに「個」を脅かされて心の病気になってしまったりするのである。

 そうだったのか……。ふにゃふにゃしてて実態のない「個」しか持っていないと思いこんでいた自分を、もういちど見つめ直してみたい気がしてきました。

> だからあたしは「緩和なんてしないで、いっそ研ぎすませてしまえ」と言う。
>
> 黒マリア絶好調、かもしれない。 − Maria −

 うひょひょ。黒Mariaさんて素敵(はぁと)
「研ぎすます」のは、わたしも賛成!! でも苦手な匂いに対応する手段てあるのかな? たとえば「見えているけれどみていない」や「聞こえているけどきいていない」のように、シャットアウトを意識して行えるかって意味なんですが。
 匂いって、あるていど我慢はできるけど(あるいは慣れるけど)、シャットアウトできないですよね。脳のつかさどる部分がちがうって言ったのはMariaさんでしたっけ? 研ぎ澄ますとどうなっちゃうのかなぁ……。

     男の人の匂いが苦手(我慢はできるけど)な、あさかぜでした。


Re: いつ知った? 4667へのコメント
No.4675  Thu, 10 May 2001 20:06:04 +0900  あさかぜ [この発言にコメントする]

Xanadiiさん wrote:
> 
> あなたが「自閉症」という言葉を知った、もっとも古い記憶について、教えていただけますか?

 こんばんは。
 不思議に古い記憶がないんです。どこでどうインプットしたものやら……。
無意識にこの言葉を使ったのは、わずか5年ほど前のこと。母親の勉強会みたいな集まりで「うちの子ねぇ、自閉症っぽいんだよね」と言いました。
 すると、リーダー格のSさんがキッとなって「あなたね、自閉症ってどういうものか本当に知ってて言ってるの?脳に起因するれっきとした障害なんだよ」と、ひとくさり講義をしてくれて、わたしは謝りました。その当時は「自閉症」のことをまったく知らなかったからです。

 言葉だけ知っていても、内容が身に入っていない典型例です。


やっと読みました。
No.4674  Thu, 10 May 2001 12:09:42 +0900  猫目4 [この発言にコメントする]

昨日やっと
「ずっと普通になりたかった」という本を読みました。
(作者の名前グラニさんだったっけ?)

共感出来る面がたくさんありました。
「私と生い立ちも少し似ているかもしれない」と思いました。


Re: どうしたらいい? 4660へのコメント
No.4673  Thu, 10 May 2001 09:24:18 +0900  Maria [この発言にコメントする]

Tien wrote:
>こんにちは。エッチ系のネタは別に嫌いではありませんが、元来、
>生理的に、汗の付いた体とか、汗の臭い、湿気は受け付ける事が出来ないんです。
>どうしたら緩和できるでしょうか???温かい体も嫌いー。(TT)

 Hネタといえばあたし、あたしといえばHネタというくらいのあたし(学術ネタ多いんだけどなぁ。テーマが悪いのかなぁ)ではあるのですが、あたしも汗が嫌いで温かい体が嫌いです。サッカーの試合の後のジャージ交換なんかはあたしにとって見ただけでゲロ吐きそうな行為(あたしにはサッカー競技に対する思い入れがない、というのが大きな理由なのは分かっている)だし、人が座っていた椅子の温もりの気持ちわるさには怖気をふるってしまう。

 で、これに対する本質的な解決は、ない、と信じている。あるいは解決したくない、と思っている。

 日本にはもともと日常における「共食」の文化がない、ということを「卓袱台」についての考察の項で書いた。日本人で自分専用のお箸・お茶碗・お湯呑を使っていないひとというのは少数派だろうと思う。そして昔は「箱膳」というものの中に個人用の食器一切が納められていて、それは自分で管理するものだった。

 こうして日常において「個人」の境界を犯さないという規則が保たれていたからこそ、「直会」という神との会食においては「共食」が行なわれたのである。「お流れ頂戴」というのもそうだし、回し飲みもそうだ。「三三九度の杯」だって同じこと。鍋料理だって、もとは陣中食だったり「芋煮会」みたいな「非日常」の料理である。

 Tienさんの悩みは「日常」においてのことであり、Xanadiiさんが提示した対策は「非日常」の世界のことだ。だから本質的には対策になっていないように思う。あたしだってエッチの際には基本的になんでもアリアリというタイプだから、「非日常」だったら苦労はない。ところが身勝手なもので、「エッチが平気な相手」でもエッチな気分になっていな時はダメ、だったりするのである。まあ、エッチ抜きでもくっついていたい時もあるのだけれど、それはそれ、これはこれ。とにかく「日常」においては、あたしの対人関係距離は普通の人より大きいように思う。「相手の全身がひと目で見わたせて、ふつの声で喋って会話に不自由がない」くらいの距離にいてくれるのが理想である。

 唯一の対策としては、「弱酸性タイプ」や「中性タイプ」ではないふつうの石鹸(ベビー用がいい)で全身をこまめに洗い、タルク(鉱物質)ではなく澱粉系(植物質)のパウダーを振っておく、くらいのものである。だけど、これだって本質的な解決にはぜんぜん結びついていない。この問題は感覚の問題ですらなくて、「認知構造」の問題なのである。

 韓国の人が書いていたけれど、韓国だと人が食べているお皿からちょっと取って食べちゃうとか、人が飲んでいるカップから飲んじゃう、というのは「親愛の情」を表す行為なのだそうだ。あたしだったら、そんなことをされたら残りを相手に押しつけるか、でなければ食べずに捨てる。それで、「日本人は韓国人を差別している」とか言われるのならあたしは差別者でいい。

 逆に、である。男と女の関係のふたりが缶入りの烏龍茶かなんかを飲んでいて、どっちがどっちのだか分かんなくなっちゃったときに、女性のほうが男性にキスしてから片方を取る、というのはとてもわかりやすい行為だったりする。だけど、これって韓国人にもアメリカ人にもロシア人にもわかんないぞ。

 で、あたしがこの問題を解決したくないと思っているのは、こういうのがわかんなくなっちゃう、あるいは気にならなくなっちゃった自分というのを想像したくないからである。

 日本人は、意外に強烈な「個」を持っている。アメリカが個人主義で日本が全体主義だというのはちょっと変で、「個」というものをちゃんと持ってなかったら日本みたいな国では生きてゆけない。だけど、そこんところを勘違いしてアメリカ流の「個」を日本人に押しつけようとするから、今みたいに「個」を脅かされて心の病気になってしまったりするのである。

 欧米的な「個」は、いつだって「個」である。その意味で、「殻」だ。だけど日本人の「個」は、相手と合意することで破ることのできる「個」であって、その意味で「服」なのである。ここんところを勘違いすると、よくわからないことになる。相手がストリッパーだったら勝手に服を脱がしちゃっていいか、といえば、いけないのである。

 欧米だったら、「鍵をかけていなかったら、『入ってくれ』と言っているのと同じだ」みたいな考え方がある。だけど、日本だったら「ここから先には立ち入らないでほしい」というサインを見落としたほうが「不粋」「不作法」「無礼」ということになる。親しい人の家だから勝手に上がっちゃう、というのはイナカモノのすることだ、という認識だってある。

 これは、自分に甘えを許さない、ということでもある。甘えるのがヘタ、ということでもある。相手の顔色をうかがいながら、「いいですか?」「いいですか?」と少しづつ相手の内側に入ってゆく。だけど欧米流は「がばっ!」とハグしちゃうのである。お互いが合意しているなら、その落差を楽しむのもいい。

 だけど、基本は「お互いを遠ざけておく」ことなのだ。

 だからあたしは「緩和なんてしないで、いっそ研ぎすませてしまえ」と言う。

 黒マリア絶好調、かもしれない。 − Maria −


Re:Re: 首筋。髪。夢。 4668へのコメント
No.4672  Thu, 10 May 2001 02:09:55 +0900  Mr.Moto [この発言にコメントする]


Xanadii wrote:
> んでもってなんで私のときだけ、Ms.(?)Mariaにレスすると
>Mr.Motoから返事が来るってパターンになるわけ?ネカマバーに迷
>い込んだらマキァベリストの団体さんが待ち受けていて、フクロにされ
>たって気分だぜ。もーその手には乗らないかんね(こーゆーウサギみた
>いな事言うからまたぞろ狙われるんであって……)!

 悪い! Xanadii。おれはあんたが可愛くてしょうがないのだ。だから謝る。ごめんなさい。まるっきりおれのキャラではないので信じてもらえないだろうが、それでも謝る。今後はちゃんと改める。どうか赦してくれ。

>> こんな世の中で少しくらい楽に生きたところで罰は当るまい。おれはそう思う。

> 演技をし続けることによって安らぎを得るってやり方しか知らないという自分の
>側面は、自分で承知済みのこと。私の中のアスペルガー的な側面を封殺することは、
>同時に自分の「非As」である部分をも殺すことになってしまうって感じてる。
>ついには思考停止となり、人ですらなくなってしまうの。それが私の人生唯一の
>「痛恨の失敗」かな。

 おれは実のところ「三味線の加藤」(本当は「加藤」ではないのだが、Xanadiiが「馬」のイメージを背負っているのと同じように、おれは背負っているものがある)と呼ばれた男だ。自分のAS的な部分を「演技」の部分に置くことで、世渡りをしてきた男なのである。底の底まで技術屋であるKILROYや、誠実であるがゆえに損得勘定にうるさい所長や、思い込んだら一途そのもの、といったMariaとは、おれは違うのである。「なめられる」ことが何より嫌いなおれがもっぱら防波堤の役割を果たしてきたからこそ、他の連中が生き延びてきた、という自負がある。

 とはいえ、そういう環境が我が身に降りかかってくる、ということ自体が本当なら異常なのだ。はっきり言っておれなんか存在しないほうがいいのだ。心の傷もPTSDもなければ、おれなんかの出番はない。世の中のしかるべきルートに乗っかって人生送ってれば、それなりの幸せというものが手に入る、というのが、世にいう「常識」なのだ。

 しかし、そこから外れちまった人間がいる。それがうちの連中だ。だからおれがいる。しかし、おれとても人間の一部なのだ。徹底したマキャベリストにはなりようがないし、世にいう「常識」って奴にも迎合せざるを得なくなる。

> だからさあ。ご自身でも私の言葉を引用なすってたではないですか。
>「特にパンクを意識していたわけではない」ってとこ。思想求めてるっぽく
>見えるっていうのも、私がもともと文系出身だからそう思えなさるのでは?
>そもそも「思想の対極に存立するのがファッション」とやらいう図式からして、
>わりかし御駄仏なわけでさ。

 それは正しい。おれもそう思う。とはいえ記号としてひとり歩きしちまったファッションというものは、マスコミを通じて漂白され、単なる「ファッション」として自立してしまうのだ。

 「最近の若い連中は」「コンピュータのプログラマーなんていう奴らは」「引きこもりなどとという甘えたことを言う奴らは」といった形で、「個別」ではなく「一般」の枠に押し込めることでしか安心できんのだ。

>> こんな世の中で少しくらい楽に生きたところで罰は当るまい。おれはそう思う。

というのは、世の中に迎合しろとか、そういった話ではない。世の中の「常識」みたいなものを逆手に取って、小狡く立ち回るにしたってのはあんたの権利なんだ、ということが言いたいのだ。

> 楽しむために楽はできない。
> ともあれ生きてる。私は楽しみたい。

 まったくだ。おれとあんたでは立場が違うから、「楽しむ」ことに正直になることでそれが得られるならおれは何も言わん。
 だが、往々にして「楽しむ」ことを求めた瞬間にそれは取り上げられ、レースに参加させられるための餌に変じてしまうのだ。それだけならまだしも我慢できる。レースから降りればいいのだから。しかし、「誰もが欲しいと思っているはずのもの」を鼻先に押しつけられて、しかもレースから逃げられない、みたいな状況というのが確かにある。

 世間でいう「楽な」生き方にもそれなりの利点はあるのだ。ただ、おれはその部分と敵対することでしか生きてこられなかったし、その結果いろんなものを失った。

 前にもどこかに書いたが、自分に誠実すぎるとかえって自分を傷つける。「いいかげんな生き方」というものを、あんたは自分に許したほうがいいようにおれは思った。

 おれはあんたを見ていると、なにやら痛々しいのだ。それはおれが受けてきた痛みと同質のもののように思う。もちろん他人の言うことだから聞き流してもらって構わんのだが、どこかで自分と折合いをつけたほうがいいとおれは思う。

 Mr.Moto


Re: いつ知った? 4669へのコメント
No.4671  Thu, 10 May 2001 02:06:13 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

やんちゃん wrote:
>私は小さい頃から、友達とあそべなかった。小学校に上がったら典型的な緘黙児だったため、人から「自閉症?」みたいなことはよく言われていました。

>
>でも、しつこいようですが、今のところ自閉かどうかわからないので「似ている」としか言えないんですけどね。

 僕の場合、大学時代抑鬱状態に陥って、なんか自分がもう周りから取り残されたような感じで苦しく、とにかく自分が小さい頃から馬鹿でドジで周りから非難されてばかりいるのはなぜかということが、どうしても知りたくてたまらなかったので、精神科の校医の先生にお願いして心理テストを受けた。その結果からその先生は「君は自閉症の一種のアスペルガー症候群かもしれない」と僕に告げた。
 その後関東にある大学病院の精神科で、IQを調べてもらったところ、ある面では110でまたある面では60というように、能力のばらつきがあり、平均的にはIQ=80であることが判明した。
 さらに厚生労働省の外郭団体がやっている、障害者のための職業訓練に参加したときの検査で、「眼の焦点を一定の方向へ向けていることがうまくできない」「同時に2つのことをこなすのが難しい」ことが判った。
 来週、横浜にいるASの専門家の先生に診てもらう予定・・・・


Re: 境界例、認知障害、情緒障害と診断された方いますか? 4666へのコメント
No.4670  Thu, 10 May 2001 01:18:29 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

KILROY wrote:
> 話が分かりにくくなってしまいました。別な言い方をしましょう。ボーダーラインの人というのは、相手に自分を預けることができない人です。相手が自分に自分を預けてくると、怖くなって逃げ出しちゃう人です。だけど、「絶対的な信頼関係」みたいなものを理想としていて、それを確認せずにはいられない人です。で、その結果、信頼関係をぶっ壊しちゃう人なんですね。
>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
>
 何を隠そう、私はその典型であるといえます。小学校から高校までいじめられたせいもあってか、未だに人と接することが極端に苦手です。子供の頃から不器用であったので、よく叱られてばかりいたためか、「怒る」には「つかれている」「がんばって欲しい」「危険である」という多様なニアンスが含まれていることは、27くらいまで全く判らず、ただただ「恐ろしい」だけでした。
 未だに自分に対して、乗り越えられないような高い要求をだしてくる人の前では、場面緘黙とでもいうように何も話せなくなります。
 話しやすい人というのは、やはりどうあるべきかという自分なりのポリシーや常識にこだわらずに、手がかりを与えてくれ、徐々に自分の心の中の絡み合った「葛藤」というひもをほどいてくれるような感じの人です。(偶然の一致か、私がそう思った人には、案外魚座生まれの人が多いです。因みに私は蟹座・血液型B型です。)
 


Re: いつ知った? 4667へのコメント
No.4669  Thu, 10 May 2001 01:04:46 +0900  やんちゃん [この発言にコメントする]

私は小さい頃から、友達とあそべなかった。小学校に上がったら典型的な緘黙児だったため、人から「自閉症?」みたいなことはよく言われていました。
でも小学校高学年くらいの時「緘黙」と「自閉」は違うと知り、また、自閉症についての本を読んでみたりして「私とは全然違う」と思いました。
私が自閉症と似ていると気づいたのは、昨年、高機能自閉症の森口奈緒美さんの「変光星」という本を読んだのがきっかけです。だいたいは「私と違う」と思ったけれど、小学校に上がった後の記述で、ん?なんだか私も似たようなことやってるよ・・・というエピソードがいろいろ出てきて驚いた。
普通の「孤独な少女」の回想だと、「友達がいなくて寂しかった」とか、そんなことしか書かれてない。協力するってどうやればいいの?友達と仲良くってどうやるの?それより今からなにをやらなくてはいけないの?それともやってはいけないの?・・・なんて考えてしょっちゅうフリーズしていた私には、寂しいだの感傷的な考えを持つ余裕はなかった。
そういう部分で共感できる記述に初めて会ったという感じでした。

でも、しつこいようですが、今のところ自閉かどうかわからないので「似ている」としか言えないんですけどね。


Re: 首筋。髪。夢。 4662へのコメント
No.4668  Wed, 9 May 2001 23:01:03 +0900  Xanadii [この発言にコメントする]

Mr.Moto wrote:
>
>>セミロング以上の長さで、剃る量さえまちがえなければ、下ろしとくだけで、
>>あら不思議、スマートなストレートにはや変わり、の多機能で。ずりーよなー。
>
> 「ずりーよなー」のひと言がいじらしい。律儀やなつ(^_^;)。いまどきパンクに思想を求めるか。最近はファッションだと思われとるらしいぞ。ビートニク(死語だな。ボブ・ディランの『風に吹かれて』すら知らん奴が多い)だってゴスペルだって今や単なるファッションだし。

 だからさあ。ご自身でも私の言葉を引用なすってたではないですか。「特にパンクを意識していたわけではない」ってとこ。思想求めてるっぽく見えるっていうのも、私がもともと文系出身だからそう思えなさるのでは?そもそも「思想の対極に存立するのがファッション」とやらいう図式からして、わりかし御駄仏なわけでさ。
 んでもってなんで私のときだけ、Ms.(?)MariaにレスするとMr.Motoから返事が来るってパターンになるわけ?ネカマバーに迷い込んだらマキアベリストの団体さんが待ち受けていて、フクロにされたって気分だぜ。もーその手には乗らないかんね(こーゆーウサギみたいな事言うからまたぞろ狙われるんであって...)!

> こんな世の中で少しくらい楽に生きたところで罰は当るまい。おれはそう思う。
>
> Mr.Moto
 
 演技をし続けることによって安らぎを得るってやり方しか知らないという自分の側面は、自分で承知済みのこと。私の中のアスペルガー的な側面を封殺することは、同時に自分の「非As」である部分をも殺すことになってしまうって感じてる。ついには思考停止となり、人ですらなくなってしまうの。それが私の人生唯一の「痛恨の失敗」かな。

 楽しむために楽はできない。
 ともあれ生きてる。私は楽しみたい。 


いつ知った?
No.4667  Wed, 9 May 2001 22:10:32 +0900  Xanadii [この発言にコメントする]

 Hi dear my friends! How do ya survive today?
 私はといえば、今日、My only one artist(autistではなく。でもパンクやニューウェイヴのようなアヴァンギャルドなことをやる人々の中に、アスペルガー・タイプは多いんじゃなかろうかっていうのが私の感想)のインタヴュー記事がある雑誌を見つけて、それは嬉しいんだけど、カラー口絵でギグの写真がでっかく掲載され、しかも私のマヌケ面がバッチリ最前列に...というオマケ付きで、けっこうヘコんじゃってるとこ。当日、「やばい!」とは予感していたのだけれど。やっぱ使いやがったか〜。あの写真。Asのみなさんにも、写真嫌いは多いことと思う。そのアーティストからして、自分で「写真は嫌い」とか言っといて、頼むよまったく〜。

 近況報告はこれで終わりとして、今日は皆さんに質問をひとつ。
 
 あなたが「自閉症」という言葉を知った、もっとも古い記憶について、教えていただけますか?
 自閉症スペクトルと診断された本人でも、親御さんでも、配偶者、恋人、どなたでも、それぞれ、あなたご自身の記憶を答えてください。
 そしてそのとき、「自閉症」という言葉は、どのような状況で、どのようなものとして教えられましたか?
 
 私自身が、この言葉をはじめて知ったのは、中学までの間だったと記憶している。中学までは持ち上がりで、小学生の時とどちらだったかどうかは混乱していて、定かでない。それぐらいのころに、多分「おまえみたいなのを自閉症っていうんだよ」というようなことを、人に言われたかなにかしたのが、きっかけだったと思う。この辺のところが混沌としている。ともかくそういうわけで、「あたしは自閉症なんだ」って、ずーっと思っていた時期があった。「とにかくちょっと人とちがう人のことをいうらしい」という程度の認識しかなかった。それでも、「自分はいつか発狂するんだ」という考えが頭から抜けきれず、寝てもさめても怯えてたこともあったっけ。
 それからは長いことその言葉を忘れていて、高校生のころ「レインマン」を観ても、「自分と似ている」という感想は抱かなかった。ただ、「ふつうの人たちとこういう人たちで、見えてる世界が全く違っているんだね」と、家族に感想を言ったことは覚えている。まさにそれが私自身というものを象徴しているということには、そのときはまだ気づきもしなかった。
 私の「自閉症」を巡る履歴は、めちゃめちゃ駆け足だけど、ざっとこんなものです。そしてその後、まずはドナ・ウィリアムズの著書、そしてニキ・リンコさんの訳書等に出会ってゆくわけなのですが。私にかかっていた目くらましは、よほど強力なものだったらしく、ドナの本を読んでも、まだ「なんだか私に似てるけど、自分以外にもこういう人いるんだな」っていう程度の感想しか抱いてはいなかった。いつかAs者による、「自閉症スペクトルについての文献を読み直す会」みたいなものを作りたいなと思っている私です。あ。でも、こういうのって、掲示板でやればいいのか。でも、著作権の問題もあるかな?

 ヘタレス書き逃げするだけが能でないと見せたいばっかりの、ザナディでした。
 
 
 
 
 


Re: 境界例、認知障害、情緒障害と診断された方いますか? 4661へのコメント
No.4666  Wed, 9 May 2001 21:51:03 +0900  KILROY [この発言にコメントする]

リゲル(Mind Blue)さんwrote:
>私は4年前、神経科で当時主治医だった医者から「認知障害」と診断されました。
>また、その医者から、「あなたは神経症の中でも、境界例に近い」と言われた
>ことがあります。そして、小さい頃から情緒障害がありました。

 結論から先に言おう。あなたは境界線人格障害ではない。

 理由はふたつ。

1)境界線人格障害の患者は、自分が境界線人格障害であることを認めない。
2)したがって、ほとんどの医師は、患者自身に「あなたは境界線人格障害である」とは告げない。

 「あなたは神経症の中でも、境界例に近い」というのは、「あなたは『境界線症例』であって、すなわち神経症であるとも、神経症でないとも言えない」という意味である。

 したがって、

>この掲示板をご覧の方の中で、境界例(ボーダーライン、境界線人格障害とも
>言います)または認知障害と診断された方はいらっしゃいますか?

 というスタート時点ですでに間違っておるのである。境界症例とボーダーライン型人格障害はまったく別物だ。で、DSM-IVにあるのは、「境界線人格障害」のほうであり、「ボーダーライン型人格障害」のほうである。

 「境界線人格障害」というのは、男に復縁を迫って自殺未遂を繰返してみたり、不倫相手の男の家庭をめちゃめちゃにぶっ壊したあげくやっと男が自分のほうに目を向けるようになったら突然相手の男がつまんない男のように思えてきてあっさり棄てたあげく男に包丁で刺されたり、結婚式直前になって相手の男と些細なことで喧嘩して一方的に絶縁してしまって結婚式をぶち壊して仲人と両親が相手の家族や親戚一同に頭を下げて回る、といった事件を二度三度起こしたあげくにつく病名である。

 「境界例」と「境界線人格障害」の差についてはNo.3628でうちの所長が述べている。本人の許可を得て一部修正を加えたうえで再掲する。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 まず、「境界例」あるいは「境界症例」という言葉は、最近の流行語でいうと「人格障害」とほぼ同じ意味だと思っていただいて、問題ないと思います。要するに「迷惑な人」あるいは「困った人」なんだけど、「精神病」とははっきり診断ができない人、といったような意味です。つまり「ヘンな人」と「はっきりビョーキの人」のボーダーライン上にいる人が「境界症例」です。「神経科で『境界例』と診断された」というのは普通はこういう意味です。

 「境界線人格障害」、あるいは「ボーダーライン型人格障害」というのは、ひとことで言うなら「石橋を叩いて壊す」性格です。
 ボーダーラインの人は、基本的に大変な寂しがり屋です。ですが、大変に傷つきやすく、常に「相手に裏切られるのではないか」という不安に怯えています。
 ボーダーラインの人は、信頼できそうな人がいると、その人に近寄ってゆきます。すると、その人が神様のように見えてきます。そして、その人を心の底から崇拝してしまいます。ところがここから先が問題で、その人が自分にとって百%期待に応えてくれることを望んでしまうんですね。
 だから、ボーダーラインの人というのは、恋人ができたとしたら、その人に対する要求がどんどんエスカレートしてゆきます。ところが相手がその要求に応えてくれると、「相手が自分の要求に応えてくれた」ということだけで満足してしまって、実際の要求がどうでもよくなってしまうんですね。そうなると今度は「相手に無理な要求をしてしまったために、相手が気を悪くしちゃったんじゃないか」「自分は身勝手な人間だと相手に思われなかっただろうか」みたいなことが気になって、「どうしてあたしの言うことをいちいち本気にするの?」「あたしがそんなこと本気で要求すると思ってたの?」みたいな感じでコロッと主張を翻してしまいます。
 つまり、「受容」「拒絶」「受容」「拒絶」と、相手に近づいたり遠ざかったりを繰返して、相手と落着いた関係を作ることができない性格の人を、「境界線性格」「ボーダーライン性格」というわけです。
 で、相手がこの近寄ったり離れたりの関係に疲れてしまって「もう我慢できない。少しは俺の気持も考えてくれ」とか言うと、自分のすべてを拒否されたような気分になって、「あなたも他の人と同じだったのね!」みたいに、いきなり「可愛さ余って憎さ百倍」みたいな気分になっちゃって、「もう一緒にいることなんてできない!」とかいって関係を断ってしまいます。

 ……これって、客観的に見れば結婚サギと変わらんよなぁ? さんざん我侭言って相手を振り回しておいて、「もっと一緒にいる時間を作ってくれ」とか言えば「忙しいから」とかいって断るわ、やっとデートの約束を取り付ければドタキャンはするはすっぽかすわ、「結婚を前提とした交際を考えてほしい」とか言えばこれ見よがしに他の男とつき合うわ、結婚を申し込めば山ほど注文をつけて「これを認めてくれないんだったら結婚なんかできない」とか言うわ、あげくに「よし、それでもいいから結婚しよう」とか言ったら理由も言わずに逃げ出すわ……

 で、こういう女がストーカーを作るわけですね。だって男のほうにしてみたら、自分がなんで棄てられたんだかぜんぜん理解できないんだもの。最初っから愛されてないんだったら「ああ、俺は利用されたんだな」で済むんだけど、相手はその男性のあらゆることを支配し、自分のものにしたいと思っているのが伝わってくるのに、自分が束縛されそうになるといきなり逃げ出しちゃうんだから。男のほうとしては、「何なんだ? これはいったい何なんだ?」ってなもんです。

 話が分かりにくくなってしまいました。別な言い方をしましょう。ボーダーラインの人というのは、相手に自分を預けることができない人です。相手が自分に自分を預けてくると、怖くなって逃げ出しちゃう人です。だけど、「絶対的な信頼関係」みたいなものを理想としていて、それを確認せずにはいられない人です。で、その結果、信頼関係をぶっ壊しちゃう人なんですね。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 ボーダーライン型人格障害の人間は、ほとんどの場合、そういう「迷惑極まりない自分」というものを正視できない。したがって、「自分はボーダーライン型人格障害」であるという認識が持てない、すなわち「懲りる」ことがないのである。

 おそらく、そのお医者さんは「あなたの症状は病気と呼べるほどのものではありませんよ」と言ったにすぎないのである。安心されたし

 (KILROY)


猫目4さんレスありがとうございました。 4655へのコメント
No.4665  Wed, 9 May 2001 21:50:59 +0900  Tien [この発言にコメントする]

猫目4 wrote:
>こんにちは。
>難しいねー。
>そーゆー私も
>男性の体が気持ち悪いです。
>エッチも相手や自分の体の不潔さや醜さが気になって嫌いです。

こんばんは。
自分の身体はそうでもないけど、なんか男性の身体については好き嫌いが
個人的に激しいと思います。

>Tienさんは恋人とかいるのですか?

男性の友達はいるけど...。

>相手との行為に不快を感じるのかな?
>しなくてもいいんだったら
>いいんだけどね・・。
>解決にならない
>変な発言しちゃったかな?
>ごめん・・。

いいえ、レスありがとうございました。他レスにも書きましたが私は
多分プラトニック派だろうなと思いますので...。


Xanadii さん、レスありがとうございました 4660へのコメント
No.4664  Wed, 9 May 2001 21:45:57 +0900  Tien [この発言にコメントする]

Xanadii wrote:
> 古人いわく、「悪夢を克服したくば悪夢に跳び込め」。
> 超満員のギグで、しかも客席といわずアーティストといわずダイヴィングを決め> てくるようならんちき騒ぎの真っただ中に放り込まれちまえば、贅沢言ってらん> ない。Shittyでホットなパンク兄ちゃん連中の、フライング・ボディーア> タックをもろに食らったり、脱水症状で死にかけるという経験を超えれば、勝っ> たも同然だね!(よけいトラウマになるだろって!)でもね、こんな状況でも、> 実際そうなると結構、周囲もあなたの身を案じて手を差し伸べてくれたりして
>(男じゃなかなかこうはいかないだろうけどなあ!)、人の温もりってやつに、は> からずも垣間触れることになったりして、奇妙なんだけど癒しにつながったりも> する、そういうやりかたもあるってこと。

いつも何かをお世話になってありがとうございます。

ARBが好きでライブは行くんですよ。最中は押されたら殴り返すし、ライブ後
手足にはなぜか沢山の青あざが...。

> 「生」を感じさせるような場面の、傍観者としてでなく、愛して、その一部にな> ろうとする。私はそんなやり方で、失われた部分を探し出しつつある。

そうですね、どっちかと言うと肉体派でなくてプラトニック派だから、
克服はそれなりに...ってかんじです。レスありがとうございました。


Re:死んだらどうなるの?(人間は7回生まれ変わる!) 4657へのコメント
No.4663  Wed, 9 May 2001 21:08:18 +0900  なおみの夢 [この発言にコメントする]

青りんご wrote:

>七回も生まれ変わって、毎回「一生懸命」に生きてたら疲れてしまいます。
>私の場合、「次回は一生懸命生きるから、今回はのんびり生きさせて」
>仏様は許してくれると思うんだけど…。駄目かな??  青りんご

若い頃、人生どう生きて行っていいのか、煮詰まったことがあります。
七回も生まれ変わらずこれが最後にして欲しい・・・。と思いました。
でも、それこそ業なのか、沢山の事を経験しなくてはいけないように
なっているようです。昔の人は「神よ、我に七難八苦を与えたまえ」と言った
ようですが、七難も八難もあってもういらないって感じ・・・」。

ある、有名な漫画家さんが巫女になって、そこの神社に押しかけて、お手伝い
を、したことがあります。
そこで知り合った霊感少女に「あら、又あったわね。前世でも一緒に巫女
をしていたわね。」と言われ、どきっとしたことがあります。

私も今は少しのんびりさせてくれい・・・。と言いたい。
青りんごさん。仏様も許してくださいますよ。きっと

      疲れがたまって思考能力ゼロのなおみの夢でした


Re: 首筋。髪。夢。 4658へのコメント
No.4662  Wed, 9 May 2001 21:02:00 +0900  Mr.Moto [この発言にコメントする]

Xanadii wrote:
>現在、私はモヒカン族となっているのだが、誤解のない様勝手に喋っとくと、
>私のは特にパンクを意識しているわけでもなく、My Themeである
>「馬」のたてがみをイメージしてることと(次からハンドルMANE=たて髪、
>に変えようかと考え中)、自分の毛髪の量の多さに業を煮やしたあげくの暴挙
>だったりする。

 文化人類学者のエリアーデによれば、馬は宇宙の象徴だそうだ。つまり、古代においては「馬」=「宇宙船」に近いイメージであったらしい。いわゆるペガススはその象徴であるという。

 ところで馬用のシャンプーが(人間用として)日本でも売られていて、あのツヤが出る、というので毛のボリューム(あれは毛穴の密度ではなく毛の太さなのだそうだな)のある女性に好評なのだそうだ。おれも東京駅の八重洲地下街にあるドラッグストアで見かけた。一応、話のタネに。

>セミロング以上の長さで、剃る量さえまちがえなければ、下ろしとくだけで、
>あら不思議、スマートなストレートにはや変わり、の多機能で。ずりーよなー。

 「ずりーよなー」のひと言がいじらしい。律儀やなつ(^_^;)。いまどきパンクに思想を求めるか。最近はファッションだと思われとるらしいぞ。ビートニク(死語だな。ボブ・ディランの『風に吹かれて』すら知らん奴が多い)だってゴスペルだって今や単なるファッションだし。

 おれはいまだに「システム工学」のプロとしての「システムエンジニア」やIBMの大型コンピュータの対極にあった「市民のための、反権力の戦いのための武器としてのパーソナルコンピュータ」みたいなものを引きずっとる奴を知っているが、なかなか苦労の多い生活を強いられておる。いまどきの「システムエンジニア」とかいったら「プログラムもろく書けんくせに御託ばかり並べる役立たずで高級取りの批評家型思想バカ」以外の何者でもないし、「パーソナルコンピュータ」に至っては「パソコンができる」かどうかが出世に直接かかわるといったマイクロソフト帝国的商業主義崇拝者にとっての踏み絵でしかない。

 こんな世の中で少しくらい楽に生きたところで罰は当るまい。おれはそう思う。

 Mr.Moto


境界例、認知障害、情緒障害と診断された方いますか?
No.4661  Wed, 9 May 2001 20:52:46 +0900  リゲル(Mind Blue) [この発言にコメントする]

リゲルです。

この掲示板をご覧の方の中で、境界例(ボーダーライン、境界線人格障害とも
言います)または認知障害と診断された方はいらっしゃいますか?
私は4年前、神経科で当時主治医だった医者から「認知障害」と診断されました。
また、その医者から、「あなたは神経症の中でも、境界例に近い」と言われた
ことがあります。そして、小さい頃から情緒障害がありました。
掲示板に個人情報を書きたくない方には、メールアドレスを公開しておきます
ので、よろしければ掲示板またはメールで教えて頂けますか?
ASまたはADDの方の中で、2次的障害として境界例の方および認知障害と診断
された方がどのくらいいらっしゃるか、知りたいものですから。

<参考>境界性人格障害の診断基準アメリカ精神医学会 DSM−IV のURL
http://homepage1.nifty.com/eggs/borderline.html#13

8つの診断基準のうち、5つ以上に当てはまれば境界例の疑いが
強いのですが、私も5つ当てはまります。


追伸

Mariaさん、ななはさん、ぴよさん、さくらかのえさん、Tienさん、みるさん。
4/24の私の書き込み(発言番号 4381)に対して、レスをありがとうございました。


Re: どうしたらいい? 4652へのコメント
No.4660  Wed, 9 May 2001 20:35:54 +0900  Xanadii [この発言にコメントする]

Tienさん wrote:
>こんにちは。エッチ系のネタは別に嫌いではありませんが、元来、
>生理的に、汗の付いた体とか、汗の臭い、湿気は受け付ける事が出来ないんです。
>どうしたら緩和できるでしょうか???温かい体も嫌いー。(TT)

 古人いわく、「悪夢を克服したくば悪夢に跳び込め」。
 超満員のギグで、しかも客席といわずアーティストといわずダイヴィングを決めてくるようならんちき騒ぎの真っただ中に放り込まれちまえば、贅沢言ってらんない。Shittyでホットなパンク兄ちゃん連中の、フライング・ボディーアタックをもろに食らったり、脱水症状で死にかけるという経験を超えれば、勝ったも同然だね!(よけいトラウマになるだろって!)でもね、こんな状況でも、実際そうなると結構、周囲もあなたの身を案じて手を差し伸べてくれたりして(男じゃなかなかこうはいかないだろうけどなあ!)、人の温もりってやつに、はからずも垣間触れることになったりして、奇妙なんだけど癒しにつながったりもする、そういうやりかたもあるってこと。
 かのS名林檎嬢も、インディーズ時代、ステージ上から使用済みナプキンを客に投げつけたっていうのは有名な逸話だし、要は、自分自身から汚いものを切り離して生きることは不可能なんだって、気づかなきゃいけないってことですかね。ま、上に挙げたような例は、そのアーティストを真剣に好きじゃないと苦痛なだけだったりもするけど。

 「生」を感じさせるような場面の、傍観者としてでなく、愛して、その一部になろうとする。私はそんなやり方で、失われた部分を探し出しつつある。


七生報国 4657へのコメント
No.4659  Wed, 9 May 2001 20:33:04 +0900  KILROY [この発言にコメントする]

青りんごさんwrote:
>七回も生まれ変わって、毎回「一生懸命」に生きてたら疲れてしまいます。
>私の場合、「次回は一生懸命生きるから、今回はのんびり生きさせて」
>仏様は許してくれると思うんだけど……。駄目かな??

 「七生報国」という言葉もあれば、『私は貝になりたい』というドラマもありました。ユーミンの『リーインカーネーション』という歌もありましたね。

 電算業界では、過去世の業、前世の悪因縁がたたるとプログラマ道に落とされる、という伝説が根強くあります。

 それでも生まれ変わって時代や境遇が変わるだけマシだし、七回で終わるんならまだしもという話があります。どっかにバグ入ってて、同じところで無限ループしてたらどうしよう(^_^!)。

 久々の KILROY


Re: 首筋。髪。夢。 4646へのコメント
No.4658  Wed, 9 May 2001 19:47:59 +0900  Xanadii [この発言にコメントする]

然横レス御免のザナディです。
なおみの夢さん wrote:
>ふーん。あたし首筋ってすんごく感じるんです。美容院で髪を洗ってもらう
>のってやばい!って感じ。そんなすごい技術があるんだ。

 首筋って、私もだんぜん駄目だなあ!子供の頃よりましにはなってきているけど、もう陽が当たっただけでもムズムズ、ザワザワくる感じで。セクシャルな触覚とはいいがたい。
 80年代はショートと言えば、女も問答無用でカリアゲに仕立てられてしまう時代で(それさえなけりゃ私的には至極ゴキゲンな時代だったのだけれど)、バリカンが首筋に当てられるのはゴーモンに近かったな。「えっ、い、痛かったですか〜?」なんて心配されちゃうしね。 

Mariaさん wrote:
> なお、美容院ではサービスの一部として肩を揉んでくれたりしますが、あれがダメ、という人はけっこう多かったりします。悲鳴をあげて飛び上がってしまい、怖くて美容院に行けないという女性もいたりします。だから、セットの具合で男ができたのが分かる、というケースもままあります。大半はばっさり切るんですが、濃ゆいひとは逆に伸ばしたりします。これ以上の説明は、『アスペルガーの館の掲示板』では不可能です。

 私の通っていた山形市内のとある美容室では、手指と腕をオイルマッサージ(!)するサービスを一時期展開していて、これにもけっこう弱った。そういうサービスは、事前に受ける受けないの選択を、客にさせてほしいもんだよなー。大体、美容室の指圧サービスって、一様にターヘーだしさあ。痛いだけで。要らない。
 
 で美容室ネタついでのお話。現在、私はモヒカン族となっているのだが、誤解のない様勝手に喋っとくと、私のは特にパンクを意識しているわけでもなく、My Themeである「馬」のたてがみをイメージしてることと(次からハンドルMANE=たて髪、に変えようかと考え中)、自分の毛髪の量の多さにごうを煮やしたあげくの暴挙だったりする。同じ悩みをかかえておいでの皆さん!表面をそいで髪傷めるよりこっちの方法が確実ですよー(って掛け声で、日本にモヒカン少女が増えたらこわいな)。
 セミロング以上の長さで、剃る量さえまちがえなければ、下ろしとくだけで、あら不思議、スマートなストレートにはや変わり、の多機能で。ずりーよなー。あと剃った部分は完全なスキンにしないで、地肌がのぞく程度に残しとくのが審美的にもオッケー。自己の本性(結局パンクじゃないのさ!)を隠しつつ世の中を渡るという、私の宿命を象徴したようなスタイルでもある。今は自分でバリカンで定期的に剃ってます。もう一生続けるしかないのか。失恋しても?やるよ。多分ね。

 我ながらバカなことしゃべってんなー。

> このネタを振ってしまった自分をちょっと後悔している Maria

 私は「夢の中」のほうが「感じる」。夢の中って、現実よりも、あらゆる感情(喜怒哀楽、セックス、酒の味とかいろいろ)が、リアルで強烈に増幅されている感覚がある。あれは不思議。もともと見た夢の内容を人に話すと、「よくそんな細かいことまで覚えているねー!」と驚かれる方なんですけど(幸か不幸か、霊的勘の持ちあわせはない)。ついでに昨日見た夢は、「両足を切断された若い女性が、古い洋間の様な部屋の天井から吊るされていて、涙を流しながら自分の猫の名前を呼んでいるのだが、別な猫(たぶん彼女をそのような目に合わせた張本人の飼い猫であるらしい)が彼女の猫の死がいをくわえてやってきて、蛇に与えてしまう」...フロイト学派に曲解されそうな内容だなー。こんなのを毎夜のように見る。こんど特集しようと思う。

 私自身の中の男・女の成分比は3:3ぐらいであるらしい。性の意識がもともと希薄で、未分化なほうだと思ってる。中坊のころ男子に「女じゃないみてえ」と言われたことがあるけど、同年代の人間よりは適正な発達段階に達していない、という内的感覚があるわけ。
 でもレズ男は見下す主義の、Xanadiiでした。


 

新しい話題を投稿 次の20件を表示 最新のログを表示 パスワード変更 発言の削除

《アスペルガーの館》に戻る / 新しいアスペルガーの館の掲示板


EWBBS.CGI 改 (WZ BBS対応 Web掲示板 T.Ikeda改 + s.murakami改
© 1998 y.mikome, T.Ikeda, 1999 s.murakami