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Re: 皆さんはLDと診断されたことがありますか? 4830へのコメント
No.4840  Fri, 18 May 2001 12:25:15 +0900  くると [この発言にコメントする]

シンタロウさん wrote:
> 僕は小学2年から4年の最初まで養護学級に入っていました。そして小学6年の時に、言語性LDと診断されました。でも、僕は自分がLDだと思っていません。
>なぜなら、今はちゃんと高校に行っています。
> 皆さんはLDと診断されたこがありますか?

 LDのくるとです。わたしは教育診断でLDと診断されています。でも
いちおう大学院には進学しました。調子が悪くて、卒業するのがやっ
とでしたが。(シクシク)

 ところで、シンタロウくんがLDの診断を受けたのは医療機関でしょ
うか?それとも教育相談機関でしょうか?LDには教育学的LDと医学的
LDの2種類があって、扱っている内容がかなり違います。

 シンタロウくんが受けた診断がどちらかが分かれば、もう少しきち
んとしたことが言えると思います。

 ちなみにコメントを見る限り、シンタロウくんは年齢の割に言語能
力が高いような気がします。

(P.S)
 最近、関東の方で成人LDの会なんてグループを作っちゃいました。
メーリングリストなんかも作ったので、興味があったら遊びに来てみ
てください。連絡先はseijinld@mri.biglobe.ne.jpまで

 そんじゃ、また


Re: 顔の表情について 4836へのコメント
No.4839  Fri, 18 May 2001 10:51:32 +0900  青りんご [この発言にコメントする]

あさかぜ wrote:
>Tienさん wrote:
>
>>ところでQ:「顔の表情が無い=乏しい=能面顔」と最近知人から言われて
>>かなりショックだったのですが、そういう傾向があるんでしょうか?
>
> 喜怒哀楽の表情が乏しく、普通の子供だったら大喜びしそうな場面でも能面のように無表情だったことから、そういう名がつけられたとのことでした。

名前こそつけられていなったけど「覚めたガキ」だと言われ続けてました。
二十代前半のOL仲間から「表情に乏しい」と言われて、知り合ったばかりの元夫からも「なんで喜ばないわけ??」などと言われておりました。
でも「そう?」とあまり気にも留めていませんでした。
>
> わたしは小学校低学年のころの記憶がほとんどありません。「情緒不感症」と呼ばれていたころは、表向きは日常生活をこなしながら何か別のものを見ていたのかもしれません。だから無表情だったのかも…と推測するのみです。

私もほとんどありませんでしたが、こちらにお邪魔するようになってから、突然「芋ずる式」に思い出している現在です。
小学生時代から、いつも「メンドクサイな~」という意識を持って生活しておりました。現在でも「メンドクサイな~」という意識で「親」(この場合の親は学校・地域向けの親です。)を演じています。
>
> 今では人から言われることはなくなりましたが、それは単に人と接するときは自分の中にこもらないように気をつけているだけのことです。安心して内にこもれる状況のときは無意識にこもっているらしく、先日も娘から「おかあさん、表情がない。なんか怖い」と言われてハッと我に返ったりしています(苦笑)。

実母にいつも「なんか~、怒ってる??」と尋ねてました(笑)
本人はなにも怒っていないと言ってますが、黙って無表情にしていると「怒ってる?」と言われるそうです。
子供といると質問攻めにあって、一人にこもれない私ですが、子供がいない時間はひとりで安心してこもっています。一人が快適です。

 あさかぜさん同様、鏡に向かって百面相の練習をしていた 青りんご


Re: 顔の表情について(情緒の話) 4833へのコメント
No.4838  Fri, 18 May 2001 10:38:00 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

Tien wrote:
>こんばんは。いつも皆さんからの心のケア感謝しています。
>ところでQ:「顔の表情が無い=乏しい=能面顔」と最近知人から言われて
>かなりショックだったのですが、そういう傾向があるんでしょうか?予約していたガイドブックアスペルガー症候群がまだ購入出来ていないので分からないのですが。単に対人関係で傷ついた果ての防御策としての結果かも知れませんが...。

 喜び・悲しみ・驚き・恐れ・怒りなどのように、人間の心が強く揺り動かされ、興奮した状態(経験)のことを、心理学では「情緒」とよんでいます。その心の揺らぎが
顔に現れたものが「表情」です。
 犬が嫌いな人は、それを見ると「怖い」と感じ、血の気が引いたり・口をすぼめ
「あっ!」というような感じになります。反対に犬が好きな人は、「喜び」感じ・ほほえんだり・その子を撫でたりするでしょう。このように「情緒」というものは、その人が見聞きした外界の情報をどう受け止めたのか(認知条件)と、それかからどのような神経系の興奮が起こり顔または体の筋肉が動かされるのかということ(生理学的条件)との相互作用によって生じるものです。「表情」は「情緒」によって、顔の筋肉が動かされた状態なのです。
 イザードという学者は、「人間は生得的に9つに分化した情緒をもって生まれてくる」と唱えています。その9つとは、興味・喜び・驚き・苦痛・怒り・嫌悪・軽蔑・恥・恐れなのだそうです。この9つの情緒の経験のされ方は、年齢・経験・状況を問わず人間に共通です。
 
 さてTienさんの質問ですが、おそらくは私たち自閉症の人たちは、先天的にものの動きを上手に目で認知できないからだと思います。実は人間は普通、赤ちゃんの時からお母さんなど周りの人の表情を見てまねることによって、「こんな気持ちの時は、こんな顔」というように表情を創り出す筋肉を鍛えているのです。ところが自閉症の子は、すでに赤ちゃんのころから「あまり泣かなかった」「無表情だった」「おどおどしていた」といったような異常をもっている場合が多いのです。
きっと、視覚から入った情報を体の動きへ模倣していく機構に、先天的な不具合があるのでしょう。 だから「情緒」はあるのに、「表情」として表現することが上手にできないので、無表情というレッテルを貼られてしまったり、緘黙したり、馬鹿笑いをしてしまったりするのではと私は思います。
 


ギリシャ語・ラテン語を第一外国語に
No.4837  Fri, 18 May 2001 09:25:48 +0900  Mr.Moto [この発言にコメントする]

 文部省と科学技術省が一緒になって文部科学省になったらしい。どうせパチンコ屋かソープランドの新装開店と似たようなもので中身は一緒という気がしないでもないが、これを期に改めるべきは改めていたきたいものである。

 算数指導と国語教育に関してはとりあえず置いておいて、今回は外国語教育について述べておきたい。昨今、「国際化に対応し海外との競争力を高めるために小学校での英語教育を実施・強化しよう」などと馬鹿なことを主張する連中がいるという。こういう連中には日本における「洋学」の歴史を一から勉強しなおして欲しいのだが、たぶん理解する頭もあるまい。

 で、いちばん困り者なのが、「英語を公用語にしよう」などと考えている連中だったりするのである。

 そもそも公用語というのは喧嘩の道具である。「英語の公用語化」はすなわち英文の契約書で取引が行なわれるということであり、裁判が英語で行われるということだ。日本人と日本人が英語で喧嘩をするとも思えないから、相手は欧米人である。しかし欧米人相手に英語で喧嘩して勝てわけがない。もちろん「英語で欧米人と互角に渡りあえるくらいの語学力がなければ、国際化に対応できない」とかいった理屈もあるだろう。しかし、これは絶対に勝てない。だいたい「喧嘩の相手とこっちの意見が対立した場合、相手のほうが正しいことにする」なんていうルールを喧嘩に持ちこんだら、喧嘩に勝てるわけがないのである。
 たとえばの話、英語の文章の解釈が向こうとこっちで異なった場合、向こうは「英語ではこうなのだ」とひとこと言えば済んでしまう。「いや、そんなことはないだろう」と言っても、「お前らは欧米の文化を理解していない」と返される。「いや、我々だって欧米の文化を理解している」とか反論しても無駄である。「しょせんお前らは根っからの欧米人とは違う」。それで終わりだ。

 じゃあ、どうするか。簡単である。紀元前からヨーロッパ(というか、地中海世界)の公用語として通用していた古典ギリシャ語(以下、「ギリシア語」。ここいらへんがスノビズムである)とラテン語を、公用語として採用しちゃうのである。理由は以下の通り。
 まず、ギリシア・ローマ文化はヨーロッパ文化の源泉であるという意識が、欧米人にはある。反面、英語の「それは私にとってギリシア語である」は「さっぱりわからん」を意味する。利用すべきはこの劣等感だ。
 漢文の素養のある日本人にとって、ギリシア語起源の言葉は一目瞭然である。ギリシア語の造語成分はほとんどが漢字・漢語と一対一対応する。超音速はスーパーソニック、流体力学はハイドロダイナミクス、恐竜はディノサウルス、生化学はバイオケミストリーといった調子だ。中学生レベルの英語力があれば、科学技術関係のディスカッションが十分可能になる。実際問題として、私がロサンゼルスの某大手航空機メーカーで仕事をしていたときに、理工学関係の専門用語を漢字で表記して台湾人のエンジニアと筆談したところ、ほとんど問題がなかった。ところが十分な漢字教育を受けておらずハングルしか知らない韓国人エンジニアは戦線から脱落。もちろんアメリカ人は一部のインテリを残して端から討死である。はっきり言って、大多数のアメリカ人は米語しか知らない。

 次に、ラテン語にはアイウエオの五つの母音しかないから、日本人にも発音上の不利はない。逆にラテン語は長年ヨーロッパで公用語として使われ続けてきた結果、欧米人のラテン語の発音は訛りまくっている。したがって発音に関しては日本人にかえって分があったりする。アメリカ人がラテン語起源の言葉を英語風に発音したら、いちいち訂正してやるがいい。なに、今までさんざん日本人を「ご指導」してくださったお礼である。
 まだ利点はある。ラテン語の名詞には日本語の「てにをは」に相当する格変化が存在するために、省略自在にして語順も好き勝手という、日本語そっくりの構造を持っている。たとえばの話、「来た、見た、勝った」や「考える故に存在す」は、ラテン語を逐語訳すればそのまんま日本語になる。ところが英語にしろフランス語にしろドイツ語にしろイタリア語にしろロシア語にしろ、「てにをは」もなければ名詞の格変化もない。するとまず主語は何かとかいった話になるのである。この違いは彼らにとって大きなハンディキャップになる。

 したがってアメリカ人を相手にハッタリをかますのは簡単である。ギリシア語やラテン語の成句を暗記して、そうした成句を何かにつけて引用してやるのである(ついでながら、「羊の皮を被った狼」や「酸っぱい葡萄」は元からギリシア語である。お間違いのないように)。だいたいアメリカ人の九割以上は、これで突然外国人に話しかけられた日本人のように青ざめる。暇と根性と学習意欲のあるかたには、福音書の内容をギリシア語のまま端から暗記するのをお勧めする。ただし実用に際しては「敬謙なクリスチャン」のふりをするのを忘れないこと。「宗論はどちら負けても釈迦の恥」といった柔軟性は彼らにはない。なにしろ人間復興の時代であるはずのルネッサンス期に異端審問と称して大虐殺をやらかした(いわゆる魔女狩りである)連中だ。何をするかわからない。
 もっと底意地の悪い手だってある。勝手に専門用語を作っちゃうのだ。「そんなの知らない」とか言われたら、「辞書引いてみろ」と言ってやればいい。「辞書に出てなかった」とか言われたら、「安い辞書を使うんじゃない」とやり返せば済む。それでも引っ込まなかったら、「誰かギリシア語に詳しい奴に訊いてみろ」と言っておきなさい。意味だけは解るはずだから、「そういう言葉もあるかもしれない」ということになってしまう。
 ギリシア語・ラテン語を公用語にしてみなさい。占領下の日本で徹底的に叩きこまれた英語コンプレックスが雲散霧消することはまちがいない。かくして日本は、敗戦国日本と訣別することができるのである。

 「そういえば『伝記』は『描く』のではなく『書く』ものなのに、なぜ『バイオグラフィ』なのか。これだけでアメリカ人はびびる。「そういえば、ステレオグラムというのも本当は『ステレオグラフ』だろう」。これはやたらに効いた。念のために申し添えておくと、うちの所長はステレオグラムの世界的権威である。この件に関して向こうが怯まない場合は、大森総研のほうに振ってほしい。安心して喧嘩を売れ。ケツは我々が持つ。

 (Mr.Moto)


Re: 顔の表情について 4833へのコメント
No.4836  Fri, 18 May 2001 08:58:43 +0900  あさかぜ [この発言にコメントする]

Tienさん wrote:

>ところでQ:「顔の表情が無い=乏しい=能面顔」と最近知人から言われて
>かなりショックだったのですが、そういう傾向があるんでしょうか?

 こんにちは。
 わたしは子供の頃「情緒不感症」というけったいな状態名をつけられていました。自分が記憶していたのではなく母に確かめたのですが、医者の診断を受けたわけではなく、学校の先生からそう言われたようです。

 喜怒哀楽の表情が乏しく、普通の子供だったら大喜びしそうな場面でも能面のように無表情だったことから、そういう名がつけられたとのことでした。

 わたしは小学校低学年のころの記憶がほとんどありません。「情緒不感症」と呼ばれていたころは、表向きは日常生活をこなしながら何か別のものを見ていたのかもしれません。だから無表情だったのかも…と推測するのみです。

 今では人から言われることはなくなりましたが、それは単に人と接するときは自分の中にこもらないように気をつけているだけのことです。安心して内にこもれる状況のときは無意識にこもっているらしく、先日も娘から「おかあさん、表情がない。なんか怖い」と言われてハッと我に返ったりしています(苦笑)。

        顔面筋肉を発達させられるかもしれないと思って、鏡の前で百面相をしたことがある
                                   あさかぜ


Re: 顔の表情について 4833へのコメント
No.4835  Fri, 18 May 2001 00:36:48 +0900  qwert改め「銀八」 [この発言にコメントする]

Tien wrote:
>こんばんは。いつも皆さんからの心のケア感謝しています。
>ところでQ:「顔の表情が無い=乏しい=能面顔」と最近知人から言われて
>かなりショックだったのですが、そういう傾向があるんでしょうか?予約していたガイドブックアスペルガー症候群がまだ購入出来ていないので分からないのですが。単に対人関係で傷ついた果ての防御策としての結果かも知れませんが...。

こんばんは Tienさん

2月に初めてカキコしたとき、名前どうしようかと考え、
キーボードの上段左から右に打ち込んだだけの、一時しのぎの、
何と読んでいいのか自分でもわからないqwertにしたのですが、
「銀八」という名前に変えます。皆さんよろしく(^^)

さて、私はASと診断されたわけではないのですが、
自閉症と自覚していながら、辛うじて社会生活を営んでいますし、
皆さんが他人とは思えないので、自閉気味もしくはASっぽい奴
くらいに認識してください。
顔の表情がない・・・私もときどき指摘されることです。
思春期の微妙な時期に
※笑顔が似合わない
※目が怖い
と言われたのが気になって無表情になってしまいました。
トラウマとかいう心の傷になっているのかもしれませんね。
随分損をしているかも(T_T)
           
                         銀八


Re: ついでに(自己レス) 4827へのコメント
No.4834  Fri, 18 May 2001 00:00:45 +0900  さくらかのえ [この発言にコメントする]


>やんちゃん wrote:
>
>>言ってみれば、なんだかパラレルワールドみたいな感じです。
>>自閉云々とは関係なくて本当にファンタジーなんだけど。
>
あさかぜ さんwrote:

> わたしも同じようなことをしていました。設定の細部にこだわって、ストーリーがちっとも進展しない物語(?)を、たくさん作っていました。
> 小説(というより、あらすじ程度)は中学生の頃から書いていましたが、まともに完結したためしがないです(笑)。

わたしも同じようなことやっていました。
まずは名前をたくさん作って、誰と誰が友達だとか親戚だとか複雑な過去があるとか
いろいろ設定するんだけど、肝心のお話のほうは「起承転結」で言ったら
「起」の部分から先にゆかない。
それにひとりであれこれやってる場面はかけても、
ひとと何かをしている場面というのが具体的に思い浮かばないのです。
「友達が家に遊びに来ての雑談」など。自分に蓄積がない経験は書けない。
そんなこんなで小説を書くのはやめてしまいました。

ところで「系図」が好きだった人っていますか?
特に外国の王室などのやたらと入り組んだ系図。


顔の表情について
No.4833  Thu, 17 May 2001 23:10:07 +0900  Tien [この発言にコメントする]

こんばんは。いつも皆さんからの心のケア感謝しています。
ところでQ:「顔の表情が無い=乏しい=能面顔」と最近知人から言われて
かなりショックだったのですが、そういう傾向があるんでしょうか?予約していたガイドブックアスペルガー症候群がまだ購入出来ていないので分からないのですが。単に対人関係で傷ついた果ての防御策としての結果かも知れませんが...。


Re: 皆さんはLDと診断されたことがありますか? 4830へのコメント
No.4832  Thu, 17 May 2001 22:27:57 +0900  ミッドランド [この発言にコメントする]

シンタロウさん wrote:
> 僕は小学2年から4年の最初まで養護学級に入っていました。そして小学6年の時に、言語性LDと診断されました。でも、僕は自分がLDだと思っていません。
>なぜなら、今はちゃんと高校に行っています。
> 皆さんはLDと診断されたこがありますか?

 僕は一度もありません。加えて、自閉症ともASとも診断されたことはありません。
 
 一時期、「正確な診断がほしい。」と思ったことがありました。しかし数々の医者と顔をあわせているうちに、「この人、どこまでわかってんだ?」などと疑うようになってしまいました。
 最もひどかったのが、僕が「高機能自閉症」を疑って病院へ行ったときでした。
僕が、「高機能自閉症ではないんでしょうか?」とたずねると、そこの医者は、
「それは専門じゃないからわからない。」とそっけない返事。その医者の顔を見ると、いかにも「やっかいなヤツが来た」と言いたげそうな表情をしていました。
その態度を腹立たしく思い、帰ろうかと思いました。
 僕はこんな経験をしているので、もう医者を頼りにするのをやめました。
「発達障害」なんてのは結局自分が訓練して順応していくしかないのです。医者の診断など「訓練のための指針」に過ぎません。

 でも、その訓練すら手探り状態の    ミッドランド

  


Re: 質問:自閉症はなぜアイ・コンタクトがないのか 4829へのコメント
No.4831  Thu, 17 May 2001 20:53:22 +0900  さるすべり(百日紅) [この発言にコメントする]

みなさん、
「自閉症はなぜアイ・コンタクトがないのか」
という質問に答えてくださって・考えてくださって、どうもありがとうございました。
ちょっとだけわかりました。

武田さん、ろう者の話を聞かせてくださってどうもありがとうござました。初耳な話でした。


皆さんはLDと診断されたことがありますか?
No.4830  Thu, 17 May 2001 19:47:35 +0900  シンタロウ [この発言にコメントする]

 僕は小学2年から4年の最初まで養護学級に入っていました。そして小学6年の時に、言語性LDと診断されました。でも、僕は自分がLDだと思っていません。
なぜなら、今はちゃんと高校に行っています。
 皆さんはLDと診断されたこがありますか?


Re: 質問:自閉症はなぜアイ・コンタクトがないのか 4786へのコメント
No.4829  Thu, 17 May 2001 15:39:55 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

さるすべり(百日紅) wrote:
>質問です。
>「自閉症はなぜアイ・コンタクトがないのか」
>教えてください。
>
>ある先生に聞いたら納得いかない返事がきてしまったので納得行かしたいです。

 一つはおそらく、「視覚」と「聴覚」に同時に注意を傾けることが困難であるからだと思います。
 あるいは、家族や片思いの人などが「視線恐怖症」で、自閉症の人の「凝視癖」をとがめ、「一度言われたことはかたくなに守らなくてはならない」という気持ちから、アイコンタクトをいかなる場合でも避けるようになることもありえるとおもいます。

 これは余談ですが、耳の聞こえない「ろう者」の人たちは、手話で会話するときに、相手の気持ちを表情から正確に把握するために、アイコンタクトを重視しています。
 ろう者の人は「気持ち=目から入る物」で、自閉症者の人は「気持ち=耳から入る物」のようです。この前私が所属している手話サークルの講師で聞こえない人であるSさんに、「ろう者の人は独り言を言うの?」と尋ねたところ、「言わないよ。1人でいるときは周りの景色を見ているからね。」とのことでした。


Re: 質問(あなたにとって一番の幸せって何ですか?) 4754へのコメント
No.4828  Thu, 17 May 2001 14:53:35 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

武田好史 wrote:
> みなさんおはようございます。
>今日は本当につかないことをお尋ねします。
>
>あなたにとって、一番の幸せって何ですか?

 五体満足で、とりあえず生きていることです。その五体を動かす「心」にASという欠陥があって不器用ですが、少しずつ精進して、「生きること」が楽しくなるようにしていきたいです。


Re: ついでに(自己レス) 4812へのコメント
No.4827  Thu, 17 May 2001 14:14:21 +0900  あさかぜ [この発言にコメントする]

やんちゃん wrote:

>言ってみれば、なんだかパラレルワールドみたいな感じです。
>自閉云々とは関係なくて本当にファンタジーなんだけど。

 こんにちは。
 わたしも同じようなことをしていました。設定の細部にこだわって、ストーリーがちっとも進展しない物語(?)を、たくさん作っていました。
 小説(というより、あらすじ程度)は中学生の頃から書いていましたが、まともに完結したためしがないです(笑)。


Re: 「普通」の多義性 4825へのコメント
No.4826  Thu, 17 May 2001 12:32:27 +0900  くると [この発言にコメントする]

Mariaさんへ

 休憩時間にお邪魔します。大森総研の紹介および、「普通」について
のより詳しい説明ありがとうございました。

Maria wrote:
>
>くるとさんwrote:
>>不肖くるとは「異常」と「違法」をはっきりと区別して考える傾向を持ちます。
>>善悪の問題と正常異常の問題が同じであるとはどうしても思えないのです。こ
>>の点についてもう少しくわしく教えていただけませんか? 
>
> 「規範」または「行動原則」として何を採用するか、は、この場合問わないんで>すよ。

なるほど。

> ですから、「何らかの規準・規範によって容認・受容されること」、そして同時>に「それが個人的にも納得できる範囲にあること」が「普通」の要件である、と言>えるでしょう。

かなり、頭が整理されてきました。

> そんなわけで、個人における「普通」感覚は、状況によって変化します。
(中略)
>くるとさんの
>>普通 …「他者から許容されている」という意味での「普通」
>>ふつう…「他者から自然な感覚」とみなされているという意味での「普通」
>>フツー…「教条主義的に守るべき規範を守る」という意味での「普通」
>という三分類には、「他人にとってはどうか知らないけど、あたしにとって自然」>という意味の「普通」が含まれていません。あたしはその部分に「ふつう」を使い>ます。

 うーむ。わたしは無意識に「普通」という言葉を「外部(周囲の人間)から与えられるもの」と解釈していたようですね。この点が自分の視点から抜け落ちており
ました。「自分にとっての普通」というのが、わたしにとっても認めてほしいもの
かな?

 本当に愚問につきあっていただいてありがとうございました。休憩時間が終わったのでこれにて失礼します。(くると)


Re: 「普通」の多義性 4823へのコメント
No.4825  Thu, 17 May 2001 11:36:25 +0900  Maria [この発言にコメントする]


くるとさんwrote:
>不肖くるとは「異常」と「違法」をはっきりと区別して考える傾向を持ちます。
>善悪の問題と正常異常の問題が同じであるとはどうしても思えないのです。こ
>の点についてもう少しくわしく教えていただけませんか? 

 「規範」または「行動原則」として何を採用するか、は、この場合問わないんですよ。

 「違法/合法」の判断も、つまるところ「倫理観」「社会的な要求」「法精神」「憲法」「法律の条文」「地方自治体レベルの条例」といった、いろんな要件が関わっているわけです。ですから「裁判官の判断」というもので、そのあたりの調整を行なっているわけですね。

 ですから、「何らかの規準・規範によって容認・受容されること」、そして同時に「それが個人的にも納得できる範囲にあること」が「普通」の要件である、と言えるでしょう。

 有楽町から新幹線のガードに沿った細い路地の中に、以前『ミルクワンタン』というお店がありました。で、普通の人は、「ミルクワンタン」というものを想像しただけで「普通、そういうもの食ってうまいと思うか?」みたいに思います。ですが、現物は「中華丼の中に、豚挽肉で作った肉じゃがが入り、その上にホワイトシチューがかかり、浮き実にワンタンが入り、万能ネギのような青葱が一面に散らしてある」といったもので、食べてみると「なるほど。違和感ないな」というものだったりします。

 台湾料理の代表である炸醤麺(チャーチャンミェン)だって、あれは本来おつゆがないものですから、「普通は汁があるだろう?」みたいな声もあります。だけどスパゲティ・ミートソースのことを考えると「ふつう」という気がしてきます。で、あれは冷たい麺と熱い肉味噌だれのマッチングがナイス(麺の腰は冷たくないと出ないし、肉味噌だれは熱くないと味がボケてしまいます)なのであって、「冷+熱」の組合せを「変」とみるか「普通」とみるかは意見の別れるところです。

 そんなわけで、個人における「普通」感覚は、状況によって変化します。

 あたしが使う「ふつう」は、その時、その気分のあたしにとっての「ふつう」で、マシンに向いながら飲む砂糖抜きのミルクティ、みたいな「ふつう」です。「他者から自然な感覚」とみなされている、という面では、「普通、ミルクティには砂糖を入れるだろう」ということになりますが、ジョージ・オーウェルは「砂糖抜き・牛乳入り」の紅茶を「正しい紅茶」の範疇に入れています。

くるとさんの
>普通 …「他者から許容されている」という意味での「普通」
>ふつう…「他者から自然な感覚」とみなされているという意味での「普通」
>フツー…「教条主義的に守るべき規範を守る」という意味での「普通」
という三分類には、「他人にとってはどうか知らないけど、あたしにとって自然」という意味の「普通」が含まれていません。あたしはその部分に「ふつう」を使います。

 だけど、その「ふつう」が分かってもらえないのよね Maria


大森総合研究所について 4823へのコメント
No.4824  Thu, 17 May 2001 11:03:09 +0900  Maria [この発言にコメントする]

くるとさん wrote:
>ところで 大森総研とは何ですか?そして青りんごさんのお嬢ちゃんと大森総研
>の関 係やいかに!?

 大森総合研究所(旧称・大森菌類研究所)は、もともとはアマチュア研究者の集まりで、その後「コラボレーション・ユニット」的に自然観察会だとかソフトウェア・ツールのやりとりだとか「Amok」というシステムエンジニア/プログラマ向け同人誌を発行したりしていたのですが、中心人物である「所長」さんが国語学上の発見をして、それを元にJAI-Parserという自然言語処理システムを開発したんですね。これが一九九〇年のことです。
 ところが、アルゴリズムやデザインや「思想・感情の表現」ではないデータというのは法的に保護されないというのがあるのと、こういう公共性の高いものを法的に囲い込んでしまうというのも問題があるのとで、そういった知的生産物の管理母体として再スタートしたのが現在の大森総合研究所だったりします。

 JAI-Parser システムはアスキーの出版技術部(J-TEXを開発したグループ)やアップル・コンピュータの「ことえり」開発グループなんかが興味を示し、共同研究もしていたのですが、アスキーはインプレス・グループとの分裂騒動、アップルは米国アップル・コンピュータ社の業績不振から、どちらもプロジェクト凍結、という憂き目にあっています。

 その後、例のいわゆる「ステレオグラム」(正確には「ステレオグラフ」)流行の際には「クロップマーク・オートステレオグラフィ」「テクスチュア・マッピング・オートステレオグラフィ」の二つのアルゴリズムを引っさげて、ブームの技術面を支えていました。『3D立体ふしぎ館』(講談社)、『スーパーステレオグラム』(インプレス)等をご参照ください。

 で、さらにその後JAI-Parserの技術を活かして開発された「rStone-JE」の販売権・商標権や『スーパーステレオグラム』の版権をパクられてしまったために、大森総研は事実上手足をもがれた恰好になり、ここ数年間は休眠していた、ということだったりします。

 rStone-JEが市場から姿を消して数年が経ち、現在でもrStone-JEが実現した「ダイレクト・プロダクション検索(直積検索)」を可能にした辞書引きツールが存在しないところから、rStone-JEの最終バージョンともいうべき『馬家ゝ(ばかちょん)』システムを開発すべく、ひっそりと活動中だったりします。

 さて。

 青りんごさんのところのお嬢さんと大森総研については「Re: 『共和国』その後 4311へのコメント」(No.4314 Sat, 21 Apr)で、

青りんごさん wrote:
>KILROY wrote:
>> ASの人間は言語の習得に困難を覚えるがゆえに、「調子」と「具合」と
>>「加減」の意味の違いとか、「ちょっと」と「すこし」の意味の違いとかいっ
>>たものに敏感である。こんなものは日本語の中で生活している限りにおいて
>>は大して役にも立たないが、翻訳や外国人に対する日本語教育の世界におい
>>ては必須の感覚である。

>現在、10歳の娘(高機能自閉?)に↑のような「あいまい」な表現を教えています。>どうも、この辺りの感覚が理解しにくい様子です。
 (中略)
>こちらにおいでの皆さんで、「これが一番解る」というご意見がありましたら
>教えていただきたいです。
>違う話題で申し訳ありません。
>ご意見をいただければ嬉しいです。

といった経緯があるものですから、大森総研としても、大いに支援せざるべけんや(支援しないなどということができるだろうか、いや、できるはずがない。反語表現)、という体勢で臨んでおったりするわけです。
 で、「ワードハンター心得 4325へのコメント」(No.4326 Sun, 22 Apr)以来、あたしがその担当者、ということになっているわけです。

 「普通」の多義性については、また改めて述べたいと思います。

 大森総合研究所・自然言語処理ディビジョン研究員 Maria


Re: 「普通」の多義性 4814へのコメント
No.4823  Thu, 17 May 2001 04:48:15 +0900  くると [この発言にコメントする]

Mariaさんへ

 どうも、問題点を整理してくださってありがとうございます。ところで
大森総研とは何ですか?そして青りんごさんのお嬢ちゃんと大森総研の関
係やいかに!?

 ・・・まあ、本論に突入しましょう。

Mariaさん wrote:
>1)常識主義的「普通」
> ですが、「車が来ないのが分かってたら、普通は赤信号でも渡っちゃうよな」といった例がありますので、「ルールやマナーに忠実」というよりも、「容認されている」という意味に近いと思います。

>2)正常主義的「普通」
> おわかりでしょうか。つまり、「容認されていない」から「普通じゃな
>い」わけですね。そうすると、(1)と(2)を区別する必要はなくなり
>ます。

 この点についてはまだ理解できてない部分があるんですよね。

(疑問点1)
1)でMariaさんが挙げた例はわたしが挙げていない別の例であるような気
がしてしまいました。これを含めると1)は

① 「教条主義的に守るべき規範を守る」という意味での「普通」
②「規範ではあるがほとんどの人が守っておらず、規範破りが容認されてい
 る」という意味での普通

(疑問点2)
>普通「そう判断することが必ずしも異常あるいは違法と言えない状態」

Mariaさんはこの観点から1)と2)が区別する必要がないと考えておら
れるようです。しかし、不肖くるとは「異常」と「違法」をはっきりと区別
して考える傾向を持ちます。善悪の問題と正常異常の問題が同じであるとは
どうしても思えないのです。この点についてもう少しくわしく教えていただ
けませんか? 

>
>3)自然主義的「普通」
> ……例に「普通」が使われていません。困ったものです。

 ごめんなさーい。うっかりミスです。

>4)快楽主義的「普通」
> この場合、「これが普通なんですよ」と言われれば、それまでだったりします。つまり、この例だと、「快感原則に忠実であることが容認されているにもかかわらず、本人がそれを『容認されていない』と考えて我慢していると思われたとき、『それは容認されているのですよ』と伝える意味で、『普通にしてください』と言っている」と解釈できるわけです。

 基本的には納得できたのですが、1点だけ質問です。

(疑問点3)
 Mariaさんがこのコメントの中で「容認する」という言葉をたびたび使用
しておられます。「普通である」ということと「容認されている」というこ
とを同一視することはできるのでしょうか?

 不肖くるとの語感では

①普通…集団の中で他者との同一性が維持されている
②容認…他者との同一性は維持されていないが、他者によって承認されてい
    る事柄。

となります。ちょっと混乱しています。


(暫定的まとめ)
>Mariaさん wrote:
>> 「普通」は「そう判断することが必ずしも異常あるいは違法であるとはいえな
>>い」みたいな意味で「普通」。
>> 「ふつう」は当人にとって心情的にそうするのが当然、という意味で「ふつう」。
>> 「フツー」はそれが制度的であるという意味で「フツー」です。

 簡単にまとめていただいてありがとうございました。わたしは

普通 …「他者から許容されている」という意味での「普通」
ふつう…「他者から自然な感覚」とみなされているという意味での「普通」
フツー…「教条主義的に守るべき規範を守る」という意味での「普通」

と理解したのですが、Mariaさんの説明とは食い違っている可能性が高い
と思います。寛大なアドバイスをお願いします。では


Re: 「普通」の多義性 4809へのコメント
No.4822  Thu, 17 May 2001 03:31:30 +0900  くると [この発言にコメントする]

Mariaさn wrote:
> うちの研究所のスタッフは、「普通」と「ふつう」と「フツー」を、いちいち区別する、ということを習慣にしています。
>
> 「普通」は「そう判断することが必ずしも異常あるいは違法であるとはいえない」みたいな意味で「普通」。
> 「ふつう」は当人にとって心情的にそうするのが当然、という意味で「ふつう」。
> 「フツー」はそれが制度的であるという意味で「フツー」です。

 なるほど。文字情報にするとよくわかりますよね。でもこれを会話のなか
で使い分けるのはけっこう苦労しそうです。音韻に直すとどれも同じですか
らね。

  音声情報による意志疎通がとても苦手なくるとより


Re: マイ・ファンタジー 4805へのコメント
No.4821  Thu, 17 May 2001 01:09:18 +0900  さくらかのえ [この発言にコメントする]


気に入った言葉があると、すぐに使ってみたくなります。
地図を見るのも好きです。地名などの固有名詞が好きなようです。
ドラマの気にいった場面や気に入った歌のフレーズは頭の中で何度でもリピート。

でも実は「自閉的ファンタジー」って具体的にどういうものなのだか、よくわからなかったりする。

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