アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
Tien さんwrote:
>神様、早く私を死なせて下さい。
Tienさんが死んだら悲しいよ。
こんなこと考えずにいられたら(考えなくても生きられる世の中だったら)いいのにね。
武田好史 wrote:
>みなさんこんにちは。
> 今日もまたつかぬことをお尋ねします。
>
>あなたにとって、アスペルガー症候群(AS)とは、何ですか?
私は普通の人になりたかった。だれとでも友達になって、ずっと友達でいる人が
欲しかった。普通の感覚がほしかった。親に怒られ続ける子供になりたくなかった。私はASになりたくなかった。神様、私に普通の人の頭脳を下さい。神様、早く私を死なせて下さい。
武田好史 wrote:
>みなさんこんにちは。
> 今日もまたつかぬことをお尋ねします。
>
>あなたにとって、アスペルガー症候群(AS)とは、何ですか?
私は普通の人になりたかった。だれとでも友達になって、ずっと友達でいる人が
欲しかった。普通の感覚がほしかった。親に怒られ続ける子供になりたくなかった。私はASになりたくなかった。神様、私に普通の人の頭脳を下さい。神様、早く私を死なせて下さい。
シンタロウ wrote:
>健常者のバカヤロウ...
ずいぶん悩まれていますが、落ち着いて下さい。恨んで恨み続けても何も解決しませんよ!バカヤロウと言う前に、今日あなたはなにをしましたか?人に何か親切にすることはありましたか?ゴミを一つでも拾いましたか?バカヤロウと言い続けると、あなたの言う「健常者のバカヤロウ」以下の人間になってしまいますよ。シンタロウさん、自分の周りの人にも目を向けて下さい。もっともっと苦しんでいる人は沢山いるんです。
チイママ wrote:
>Tien wrote:
>>変な余談が混じりましたが、すみません。しかし、AS傾向の人はこういうショッ
>>クには弱いのではないでしょうか?自己対応策が必要なのでしょうか???
>私の知り合いも今ペットの病気のことでとても悩んでいます。アスペでない人でも>ペットも対する思いは同じようです。今までアスペ傾向の私よりもそうでない人の>ほうがペットへの思いが強いように思っていました。
>私の知り合いや周りの人ほほんとにペットへの愛情がすごく強いのです。私にはそ>ういった感情が乏しいのかそれほどまでに他のものに愛情を注ぐと入ったことがあ>りませんでした。自分の子供は別ですが。
>それほどまでに愛情を注がれたということはすばらしいことだと思うし、飼われた>動物も幸せだと思います。
そうですか、私の場合は何も話さなくてもそばにいてくれる存在は私にとって
至上の存在なので、それが猫であろうと人間であろうと同じなのです。
私にとっては、美しい生き物の存在は何ものにも代え難いものなのです。
以前見事なアジアアロワナを飼っていました。他の何よりも、時としては人の慰めよりも、鰭をはためかせるアロワナの美しく泳ぎ回る姿、餌をねだる仕草等が、私には心の安らぎをもたらしてくれていました...。
>冷たい言い方に聞こえるかもしれませんが、みんなペットの死を受け入れて、乗り>越えるしかないのだと思います。自己対応策は「死」に関してはないのだと思いま>す。時間が解決してくれるのかもしれません。
そうなのですよね。いずれは先に行ってしまう存在ですから、充分覚悟はしています。レスありがとうございました。
健常者のバカヤローーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア
あっつかあさん
はじめまして!幼稚園教諭ゆーりです。
>今、娘が悩んでいるのは(といっても先生経由から知ったのですが)
>昼食のお弁当を誰かとグループで食べなくてはならない、という事です。
>今は、先生の手を借りて一緒のグループを探してもらっているようで、
>先生自身がこの件を伝えてきたのでした。
>「自分から行動して欲しい」と。
よけいなお世話じゃい!と、言ってやりましょう。
かくいう私も、中1のときは、どのグループからも離れて
ひとりで昼メシを食っておりました。
片手には、いつも「トム・ソーヤーの冒険」かなんかの本をもって
顔を隠して、もぐついていました。
図書室や屋上の階段でひとりで食べる時もありました。
「一緒に食べること=恐怖」であることもあるのです。
人生は、だれも、助けてくれません。
そのうちに、娘さんがひとりで切り拓いていくでしょう。
強制のほうが罪です。
「がんばれ」なんて言っちゃいけません。
「先生、もう鎖国時代みたいに教室の扉を締め切ったりしないで
ひろい世界へ窓をあけてみませんか?息が詰まるでしょう」
と言ってみましょう。
それで通じるかは疑問ですが、、、、
武田好史さん wrote:
>
>あなたにとって、アスペルガー症候群(AS)とは、何ですか?
僕の人生を結構(いい意味でも悪い意味でも)面白いものにしてくれた、憎たらしいけれど、たいしたヤツ。(一部、皮肉あり)
まァ、コイツ(AS)のおかげ(せい)で、普通の人なら悩まなくていい悩みを抱えるハメになってしまいました。悩んで悩んで、人の何倍も悩んで、青春時代がすごく濃密になってしまったではないか!感謝するぜ。
コイツを知るまでは、僕はずっと自分の性格の問題だと思って「欠陥人間」であると自分で思い込むようになっていました。しかしコイツの存在を知り、決して欠陥人間なんかじゃない、それは一種の個性だと思えるようになりました。
ちきしょー!さんざん苦労させやがって!!存在を知ったら安心できちまうなんて…なんてヤツ…でも好きだぜっ。
おいASよ、今夜も酒を酌み交わそうぜ。 ミッドランド
追加です
不肖くると wrote:
>武田好史さん wrote:
>> 今ASの人たちに、どのような支援が必要だと思いますか?
>
> 独自のコミュニケーション方法の確立です。聴覚障害者に手話
>があるように、非言語情報を読むのが苦手なわたしたち向けの、
>コミュニケーション方法がほしいです。
もう1つほしいのが愚行権です。わたしたちには周囲の人間か
らは奇異に見られるが、特に誰にも迷惑をかけていない特徴をた
くさん持っています。
とりあえず
(1)本人が結果に対して責任を持っていること
(2)法律に違反していないこと
(3)周囲の人間に多大な迷惑をかけていないこと
という要件を満たしている限り、できるだけ自由に振舞わせてほ
しいです。
初めて書きこみします。さっそくですが、中1の娘のことです。
乳幼児の頃から発達が気にかかり保健所や児童相談所にも通った経験が
ありますが、結局の所、知的な遅れがないことからそれ以上の療育に
関して相談する機会がないまま過ごしてきました。
たまたま娘を見た知人に、アスペルガーの事を教えられ
専門医療機関への受診を考えている所です。
いろいろ考えて、ここの地方ではまだ珍しい私立の中学に
入学しました。しっかり個人を見てくれ安心して子供も通学しています。
(した・・。かな?)もちろん、担任には娘の事は伝えてあります。
今、娘が悩んでいるのは(といっても先生経由から知ったのですが)
昼食のお弁当を誰かとグループで食べなくてはならない、という事です。
(1人でも2人でもだめ。)娘は1人で食べるのは何ら苦痛もなく
誘われれば誰とでもいいのだけど、自分から仲間に入れてもらう事を
苦手としています。そして、それができない娘の事も私は理解しています。
今は、先生の手を借りて一緒のグループを探してもらっているようで、
先生自身がこの件を伝えてきたのでした。
「自分から行動して欲しい」と。
今後、たぶんいろんな問題が出てきた時
先生のおっしゃる通り、私が娘に頑張れと言いつづけることがいいのか
(私がそうする事で出来るようになるのだったらするんですけど・・)
それとも、先生(学校側)に娘の事をもっと理解してもらうべきなのか・・。
長くなり申し訳ありません。どなたかご意見お願いします。
武田好史さん wrote:
> 今ASの人たちに、どのような支援が必要だと思いますか?
独自のコミュニケーション方法の確立です。聴覚障害者に手話
があるように、非言語情報を読むのが苦手なわたしたち向けの、
コミュニケーション方法がほしいです。
武田好史さん wrote:
>あなたにとって、アスペルガー症候群(AS)とは、何ですか?
わたしの今の診断は教育学的LDなのですが、3才児検診の時
は自閉症の可能性が指摘されていました。その当時、知的遅れが
ないという理由で診断はされませんでしたが、今だったらどうな
ったかわかりません。
ある意味で自閉症はわたしの障害歴の原点です。
武田好史 wrote:
>みなさんこんにちは。
> 今日もまたつかぬことをお尋ねします。
>
>あなたにとって、アスペルガー症候群(AS)とは、何ですか?
僕にとってアスペルガー症候群(AS)は、自分の体の一部だとおもいます。
僕は少6の頃LDと診断されました。でも、僕はASも併発してるのではないかと思うようになりました。(でもASとLDは併発するのかなー)
「日本ではASの人のほとんどがLDと誤診されてる」という情報をアスペルガーの館で見たことがあります。僕はそれを見て自分はLDではなくてASではないかと思うようになりました。
これが僕にとってのアスペルガー症候群です。(シンタロウ)
武田好史 wrote:
もう一つみなさんにお伺いします。
今ASの人たちに、どのような支援が必要だと思いますか?
因みに現在のところ、日本におけるASの発症率は200人に1人ですが、環境悪化のせいなのか未だ増殖中のようです。
みなさんこんにちは。
今日もまたつかぬことをお尋ねします。
あなたにとって、アスペルガー症候群(AS)とは、何ですか?
近頃では「pride」を使わず
「自分を大切にする気持ち」という意味で「セルフエスティーム(自尊感情)」
という言葉を使う人もいるようです。(今、手元に辞書がないので綴りがわからん)
「セルフエスティームを育てよう」などと言ってます。
わたしもあまり「pride(プライド)」という言葉は好きではありません。
「プライドを持て」というと、言うほうは好意で励ましているつもりなのかもしれないけど、
相手の「今」を否定的に見ていることにかわりはありません。
「プライドを持て」=「今のお前にはプライドがない。それはよくない」
という意味だからね。
ただ、「プライド」にせよ「誇り」や「自尊心」にせよ、
その言葉やその言葉で示される概念じたいが悪いわけではない。
問題なのは用法です。
「プライドを持て」「お前には誇りがないのか」というような
相手の「今」を否定するような使われ方が多くなった結果、
「プライド」「誇り」「自尊心」といった言葉自体が
うとましいものになってきたように思います。
#これは「努力」「頑張る」などという言葉にも言えると思います。
#それ自体は必ずしも否定的な言葉ではないのに、
#「もっと頑張れ」などの「励ます一方、現在否定」な用法のせいで、
#忌むべき言葉になってしまった・・・
#「励ます」という行為自体が「相手にプレッシャーをかける」雰囲気に
#なっているのも否めません。
「プライドが傷ついた」の場合、
されたことの内容よりも誰にされたかにこだわって言ってる場合も多い。
「セルフエスティームが傷ついた」というのは、今のところ
「自分を大切にする気持ちが損なわれた」という意味でしかない。
Tien wrote:
>
>変な余談が混じりましたが、すみません。しかし、AS傾向の人はこういうショックには弱いのではないでしょうか?自己対応策が必要なのでしょうか???
私の知り合いも今ペットの病気のことでとても悩んでいます。アスペでない人でもペットも対する思いは同じようです。今までアスペ傾向の私よりもそうでない人のほうがペットへの思いが強いように思っていました。
私の知り合いや周りの人ほほんとにペットへの愛情がすごく強いのです。私にはそういった感情が乏しいのかそれほどまでに他のものに愛情を注ぐと入ったことがありませんでした。自分の子供は別ですが。
それほどまでに愛情を注がれたということはすばらしいことだと思うし、飼われた動物も幸せだと思います。
冷たい言い方に聞こえるかもしれませんが、みんなペットの死を受け入れて、乗り越えるしかないのだと思います。自己対応策は「死」に関してはないのだと思います。時間が解決してくれるのかもしれません。
「誇り」も「pride」も「自尊心」も好きな言葉ではありません。
「自分が上、他人が下」。そういう相対的な気分があるからです。
「矜恃」あるいは「矜持」。「自らを頼みにすること」。これがあたし。
業、精(くわ)しからざれば、胆(きも)、大(だい)ならず。
あたしにはできることがある。そして、あなたにも。
できることをしよう。できないことは、できないんだから。
そして、欲張るのはやめよう。私にできることはそんなに多くないのだから。
『人間は一つのことが出来れば十分だ』
(No.3200、『Re: 2001年2月27日の日記』、28 Feb、by tori)
そういえば toriさん元気かな?
ゆーりさんに嫌われていないとわかってうれしい Maria
ゆーり wrote:
>ブッダも同じことを考えたんでしょうか?
仏陀は結婚して、子供もいます。
友人が弟子になるなど、弟子達との信頼感系も強いです。
王子として生まれて、国同士の争い・戦争での殺しあいなどが、思想を組み立てるきっかけになっているようです。
それらから推定すると、個人としての孤独よりも、人間が集団となったときの社会の孤独の方を中心的に考えていたのではないでしょうか。
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