アスペルガーの館の掲示板(旧)

あなたは 番目のお客様です。

新しい話題を投稿 次の20件を表示 最新のログを表示 パスワード変更 発言の削除
一度に表示する件数を 件に
《アスペルガーの館》に戻る / 新しいアスペルガーの館の掲示板


Re: はじめましてはじめまして。 5077へのコメント
No.5088  Wed, 30 May 2001 12:07:56 +0900  あさかぜ [この発言にコメントする]

ぶちさん wrote:

> くりすさん、青りんごさん、そしてみなさん、こんにちは。
> 初めて書き込みします、ぶちと申します。

 はじめまして。あさかぜと申します。よろしくお願いいたします。

>ルドルフ・シュタイナーという人の小さい頃の話を思い出しました。
> オカルト方面と日本では特に教育方面で有名な人らしいんですが、
>シュタイナーが書いたという小さい頃の思い出に非常に似ているよう
>な気がしました。私も詳しくなくて、ただの聞きかじりなんですが・・
>(その自伝を私が読んだわけではなくて、引用やその伝記について
>書かれたものを読んだだけなんですが)

 シュタイナーは「日本では特に教育方面で有名な人らしい」というだけではありません。全世界に広くその名を知られた存在です。
 日本では法律の壁が厚くて、シュタイナー学校(ヴァルドルフ自由学校とも言います)を設立することは容易ではありませんが、設立したいと願って努力を続けている人は多いし、シュタイナー教育について学ぶ人々は草の根的に全国に広がりつつあります。
 健常児・障害児の別なく、お子さんをお持ちの親御さんなら、シュタイナー教育の真髄を学ぶことは決してマイナスになることはないと思います。「教育のありかた」に関する考えかたを根本から見直すきっかけになります。少なくともわたしはそうでした。

> 私もシュタイナーのその話を聞いた時に、「この人もAS的傾向
>があるのではないか?」と思いました。シュタイナーの自伝という
>のを読んでみると、何か手がかりが掴めるかしら?

 シュタイナーの著作もたくさん訳されていますし、研究の本も数多く出版されています。
 学術論文がお好きでしたら、広瀬俊雄著『シュタイナーの人間観と教育方法』(ミネルヴァ書房・1988年)あたりがおすすめです。もっと違うアプローチがほしければ、松井るり子著『七歳までは夢の中』『私のまわりは美しい』(学陽書房)、広瀬牧子著『我が家のシュタイナー教育』幼児期編・学童期編(共同通信社)などはいかがでしょうか。
 松井氏が著書の中ですすめているシュタイナーの著作としては『教育の根底を支える精神的心意的な諸力〜オックスフォード講演』(人智学出版社)『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』(イザラ書房)等など、これも多数あります。
 ご一読なさってみるお気持ちはおありでしょうか?

> どんどん話がずれましたね・・・最近ちょっと支離滅裂なぶちでした。

 いやいや、わたしもずっこけまくる人間なので……。
 またお話できると幸いに存じます。


Re: 聞いてください 5079へのコメント
No.5087  Wed, 30 May 2001 11:07:49 +0900  青りんご [この発言にコメントする]

くりす wrote:


>どうしてみんな私をいじめるの?私はみんなが好きなのに。
>なかよくしたくて微笑むと、人はますます離れていく。
>「人を嫌う」という感情は、感じないと言うより、激しすぎて私の手には負えないので、多分意識化に深く押し込めてしまうのでしょう。

「嫌う」という感情からは誰だって逃げたいですもんね。
他人に対してもそうだけど、自分自身の中の「忌み嫌う」部分からも逃げたくなる。私の場合、その感情を押えてでも「知りたい」と思う気持ちが強いのかもしれない。無意識下に押し込めてしまった自分の「忌み嫌う」部分を掘り起こしてしまいます。キツイ作業ですけど「自分を知る」ためには必要な作業だと思いますし、
まず自分を知らなくては他人と関わる際に何らかのトラブルを引き起こすのではないかと思っています。いつも自分探しをしている状況です。
>
>私は分かち合いたくてここにきたのです。「世の中のものを何も感じない」障害を持った人と。

私の認識だと「無秩序で不合理で嘘だらけの世の中を感じすぎて、それを論理的に理解しようとしすぎて苦悩する人々」なんですが…。
「世の中のものを何も感じない」とは全く、逆に受け取ってますね。
「感じすぎるために、傷を負って麻痺している状態」という認識かな?
私はくりすさんがここにいてもいいと思うが…。
「知る」ことにより認識が変ることはいくらでもあると思うのよ。 
ここで「知る」事があるかもしれないし…。      青りんご


最低な人間になってしまったと思います。
No.5086  Wed, 30 May 2001 11:01:36 +0900  名加野 [この発言にコメントする]

皆さん、ありがとうございます。こんなに跳ね返ってくるとは思いませんでした。最初の痛恨の一撃はほんとに痛かったです。「鳥肌が、、」と書きましたが、それは家に帰っても、ゲームしてても、と寝るまでずっとそのままでした。これも驚きです。「恐怖」というものを、再認識させていただきました。今日もまだ体調不良です。(これを自業自得というのかな、、、何回も繰り返してきてるけれど)ただ、散々へこまされつづけた人生でも、こんなに「良心」がいたむ事はありませんでした。ちょっとした一言で怒る事はよくありますが、体調不良にまでなったのは初めてです。それは何故か、結局「環境」がよかったのではないか。と思います。なんだかんだ言われても、心の大きな人が多いのではないかという気がしてなりません。こんな僕でも手を伸ばしてくれる人が周りにいたという事です。怒られると今でもよく泣き出す(もしくはこれに近い)のですが、例をあげると、、、、
今年専門学校を卒業し、その卒業パーティーのあと、皆で帰る途中で、アイスクリームを買いました。いつもの行動です。が、ちょうどいつもいない人に怒られて小突いてたらアイスが落ちました。怒りましたが私はそれを拾って食べました。その時の反応は多分限界を超えたと思います(落ちても食えない事は無いと僕は思いますが)。食事したとき、色々言われました。「常識」が無い奴は今は良いかもしれないがそのうち最悪な結果でやられるよ、と。その人(さっき怒った人)が言うには、「俺があれを見ても友達でいられるのは、行いは最悪だけれど本当に最悪だったら口もきかないし、忠告もしない。行いが直れば良い友達になれるのに」これを聞いたとき思いました。実は恵まれてるのではないかと。

昨日の冗談の話の続きになりますが、基本的な私の誤った考え方を披露させていただきます。
まず、話してて受け入れられない考えを持っていると気づかれる→その事を何度と無く言われる→からかわれる→不安→そこで、たまたま一つの弱点をしる(まあ、これが大体普通の人は「非常識な行動をとる」とへこむ事が分かる)→わざとへこます事をやる事によって黙らせる。まあ、わざとやったときは、効果が低いですけれど優越感に浸りたいためにやる。・・・結局は最低の人間のやる事であるということが、ちょっとだけ分かってきただけ。でも見てみぬふりをしているのかもしれません。根性捻じ曲がっていますから。こんなんじゃ、未来は無いかもしれない。

色々書きましたが、まずいところがあったらじゃんじゃん攻撃してください。一応冷静に書いたつもりですが。何が言いたいかは完結に話せないです。いつも簡潔に終わらせようとして失敗するので長々と書かせていただきました。

言葉で言われるより、書かれた言葉を見るほうが、小説読んでる私の場合理解しやすいようです。ショックもでかいですが、、、

ああ、気分が、、、まだまだ立ち直れるかどうか、、、でも気にしないでください。頑張ります。


Re: 聞いてください 5083へのコメント
No.5085  Wed, 30 May 2001 10:53:40 +0900  くりす [この発言にコメントする]

Maria wrote:
>くりすさん wrote:
>>Mariaさん、私の書いたことで嫌な思いをさせたのなら、ごめんなさい。私は
>>ただ、あなたがやさしい人なので、仲良くなりたいと思ったのです。自分なり
>>のやり方で、理解しようとしたのです。
>
> あたしは、「人を嫌う」ということがしんどいタイプなので、とりあえずそういう感情を横に置いて「それすると嫌われるよ」とお教えするだけです。で、ASの人というのは、「いわゆる普通の人」が「親愛の情」をあらわそうとする行為が苦手だったりします。ASにとってありがたいのは、「静謐を乱さない心遣い」だったりします。
>
> 掲示板の内容は、コピー&ペーストを繰返すことでワープロにコピーすることができます。過去ログをじっくり読んで、「傾向と対策」を練ってみてはいかがでしょうか。この掲示板は、「自分なりのやり方」がなかなか通じない場所なので。「ニッコリ笑ってポンと肩を叩く」ようなやりかたは、嫌いなひとが多いようです。
>
>>Raboniさん、私が聖書の言葉を使うのは、私の好きな言葉をただ誰かと
>>分かち合いたいからです。
>
> 「Raboni」ではなく、「Rabboni」。ヘブライ語です。現代語では「ラビ」「先生」。ですから名前ではありません。Joshyaさんは「お師匠さん」と呼ばれています。なんかイロモノっぽいけど。
> で、『「マリア(Maria)!」「先生(Rabboni)!」』というのは、
> 『イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で「ラボニ」と言った。「先生」という意味である』(ヨハネ・20:16)
>という、イエス先生とベタニアのマリアの会話をパクッているのですね。
>
> で、あたしが「困ったなぁ」と思うのは、
>
>>貧しい者は幸いです。神の国はあなた方のものだからです。(聖書)
>
>というのが、
>
> 『心の貧しい人は、幸いである。天の国はその人たちのものである。』(マタイ・5:3)
>
>ではなく、
>
> 『貧しい人々は、幸いである。神の国はあなたがたのものである。』(ルカ・6:20)
>
>であるということであって、あたしは「マタイ」が正解で「ルカ」は誤解だと考えていることだったりします。
> これでは「分かち合う」ことはできませんね。「押しつけ」になってしまいます。
>
> 「心の貧しい人」というのは、この後に出てくる「義に渇く人」と同じように、「知る/理解する」ということにおいて「充足」していないことだとあたしは考えています。で、「天の国」というのは、これからやってくる新しい世界でもなければ、どこかにある違った世界でもなく、いまあたしたちがいるこの世界そのものが「天の国」だと考えています。
>
> したがって、「マタイ」の言葉は、
>
> 『理解したいと思う人は幸いである。『アスペルガーの館の掲示板』は、その人たちのものである』
>
>と言いかえてまったく問題ない、と言えましょう。
>
> で、こういったあたし自身の見解と、
>
>>私は分かち合いたくてここにきたのです。「世の中のものを何も感じない」
>>障害を持った人と。
>
>といったくりすさんの発言は、なんだか方向性が違ってるような気がするんですよ。
>
> 自分が不確かな人は、「確かなもの」を求めます。だけど、「これは絶対に確かだ!」みたいなものというのは、おおむね信用がなりません。この世において「かなり信用できる確かなもの」というのは、「不確かさ」に堪えて着実に積み上げられ、その結果さらなる「不確かさ」を生み出しているものだったりしますから。
> ですから、あたしは「不確かさ」と向き合うことを選びました。
>
> くりすさんは、「確かなもの」をまず信じていて、それが「確かである」ことを確認し、あるいはそれを多くの人と共有することで補強しようとしているように見えます。
> だけど、あたしは違うんです。「疑いなさい」。あたしはそう言います。あたしに容赦のない疑いの目を向けなさい。あたしはその視線と戦います。そして、堪えて堪えてついに耐えぬいた結果得られたものは、十分に確かなものとしてあたしの中に残る、と考えます。
>
> あたしは自分を信用しません。ですが、自分を信頼しています。
>
> (Maria)
>
>私にとって、聖書の言葉はどれも「神様は私を愛してる。」というメッセージに過ぎず、それ以外の意味は、私には重要な意味はなしてこないのです。
ここにいる人たちの優しさに触れて私としては嬉しかったのですが、私はやはりここを去りましょう。天国でお会い出来ると、私としては思っています。

>     くりす


Re: Mariaさんと名加野さんへ 5081へのコメント
No.5084  Wed, 30 May 2001 10:51:05 +0900  Joshya [この発言にコメントする]

くりすさん wrote:
>私はここにいないほうが、よいかしら?

 この掲示板にはMr.Motoという名前の底意地の悪い野郎がおりまして、「それは、あなたの言ったことだ」(マタイ・26:64)くらいのことは言いかねません。ですが、私やMariaの歓迎の意志に代わりはありません。

 ただ、発言およびキーボード(およびマウス)の操作に慎重を期してはいただきたいと思います。『館の管理人』さんからは、「メッセージを丸ごと引用しないように」といったご注意も過去にはございましたし、「>」は他の人のメッセージを引用する際につけるものであって、自分の発言に「>」をつけられると、どこを読んでいいか判断に迷います(T_T)。

>joshyaさん、先ほどまたしても名前を間違えてメールを送りました。ごめん
>なさい。

 その件に関しましてはお気になさらぬよう。ただし、「メール」ではなく「メッセージ」、あるいは「書込み」「カキコ」とお言いください。「メール」というと別の意味になってしまいます。

>私にとって知識と信仰はまったく切り離されており、議論で信仰を失うことは
>ありません。議論は意味を持たず、説教をして人に関与するという感覚も鈍い
>人間ですが……

 掲示板というところは、基本的に「文字データ」だけが飛び交っている場所です。くりすさんの言わんとするところは(私には)理解できるのですが、そういう言われようをしてしまうと、「お互いに意見を交換することでお互いを高めあってゆく」という掲示板の意義を否定するように聞こえてしまいます。

 掲示板にメッセージを上げているメンバーばかりがメンバーではないのです。ROMと呼ばれる、ここに登場しないメンバーのほうが、実際には数が多いんです。そういったメンバーに対する配慮をしてはいただけないでしょうか。
 「この掲示板にメッセージを上げる」というのは、一部のメンバー(あるいは大多数のメンバー)にとっては、非常に勇気のいる行為なんです。それはこの掲示板において自主的に守られている秩序を尊重し、それを守りたい、という意志のあらわれです。

 くりすさんにも、その秩序を尊重していただきたいと思います。

 (Joshya)


Re: 聞いてください 5079へのコメント
No.5083  Wed, 30 May 2001 10:11:39 +0900  Maria [この発言にコメントする]

くりすさん wrote:
>Mariaさん、私の書いたことで嫌な思いをさせたのなら、ごめんなさい。私は
>ただ、あなたがやさしい人なので、仲良くなりたいと思ったのです。自分なり
>のやり方で、理解しようとしたのです。

 あたしは、「人を嫌う」ということがしんどいタイプなので、とりあえずそういう感情を横に置いて「それすると嫌われるよ」とお教えするだけです。で、ASの人というのは、「いわゆる普通の人」が「親愛の情」をあらわそうとする行為が苦手だったりします。ASにとってありがたいのは、「静謐を乱さない心遣い」だったりします。

 掲示板の内容は、コピー&ペーストを繰返すことでワープロにコピーすることができます。過去ログをじっくり読んで、「傾向と対策」を練ってみてはいかがでしょうか。この掲示板は、「自分なりのやり方」がなかなか通じない場所なので。「ニッコリ笑ってポンと肩を叩く」ようなやりかたは、嫌いなひとが多いようです。

>Raboniさん、私が聖書の言葉を使うのは、私の好きな言葉をただ誰かと
>分かち合いたいからです。

 「Raboni」ではなく、「Rabboni」。ヘブライ語です。現代語では「ラビ」「先生」。ですから名前ではありません。Joshyaさんは「お師匠さん」と呼ばれています。なんかイロモノっぽいけど。
 で、『「マリア(Maria)!」「先生(Rabboni)!」』というのは、
 『イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で「ラボニ」と言った。「先生」という意味である』(ヨハネ・20:16)
という、イエス先生とベタニアのマリアの会話をパクッているのですね。

 で、あたしが「困ったなぁ」と思うのは、

>貧しい者は幸いです。神の国はあなた方のものだからです。(聖書)

というのが、

 『心の貧しい人は、幸いである。天の国はその人たちのものである。』(マタイ・5:3)

ではなく、

 『貧しい人々は、幸いである。神の国はあなたがたのものである。』(ルカ・6:20)

であるということであって、あたしは「マタイ」が正解で「ルカ」は誤解だと考えていることだったりします。
 これでは「分かち合う」ことはできませんね。「押しつけ」になってしまいます。

 「心の貧しい人」というのは、この後に出てくる「義に渇く人」と同じように、「知る/理解する」ということにおいて「充足」していないことだとあたしは考えています。で、「天の国」というのは、これからやってくる新しい世界でもなければ、どこかにある違った世界でもなく、いまあたしたちがいるこの世界そのものが「天の国」だと考えています。

 したがって、「マタイ」の言葉は、

 『理解したいと思う人は幸いである。『アスペルガーの館の掲示板』は、その人たちのものである』

と言いかえてまったく問題ない、と言えましょう。

 で、こういったあたし自身の見解と、

>私は分かち合いたくてここにきたのです。「世の中のものを何も感じない」
>障害を持った人と。

といったくりすさんの発言は、なんだか方向性が違ってるような気がするんですよ。

 自分が不確かな人は、「確かなもの」を求めます。だけど、「これは絶対に確かだ!」みたいなものというのは、おおむね信用がなりません。この世において「かなり信用できる確かなもの」というのは、「不確かさ」に堪えて着実に積み上げられ、その結果さらなる「不確かさ」を生み出しているものだったりしますから。
 ですから、あたしは「不確かさ」と向き合うことを選びました。

 くりすさんは、「確かなもの」をまず信じていて、それが「確かである」ことを確認し、あるいはそれを多くの人と共有することで補強しようとしているように見えます。
 だけど、あたしは違うんです。「疑いなさい」。あたしはそう言います。あたしに容赦のない疑いの目を向けなさい。あたしはその視線と戦います。そして、堪えて堪えてついに耐えぬいた結果得られたものは、十分に確かなものとしてあたしの中に残る、と考えます。

 あたしは自分を信用しません。ですが、自分を信頼しています。

 (Maria)


Re: 改善策は? 5076へのコメント
No.5082  Wed, 30 May 2001 10:06:35 +0900  シュッツ [この発言にコメントする]

まず最初に、誤解を防ぐために書いておきますが、以下のことは皮肉や揚げ足取りなどではなく、裏の意味はありません。
言葉の定義や文章に分からない点があったので、文字通りの質問として教えていただきたいと思ったので質問します。

ゆうろ wrote:
>普通の人とは 悩むことができる人です
>僕は脳がボケていて気持ちに反応しないので人として使い物になりません

ゆうろさんは悩みがないという意味なのでしょうか?
文字の上からは、「悩みがないことが悩み」とも受け取れるのですが、それだと無限ループになってしまいます。
もしかしたら「悩み」という言葉を、私が考えているのとは違った定義で使っているのかも知れないとも思いました。

>あなたは普通の人です
>常識を感じとれて 文章を見ても意味のこもった書きかたで
>伝える という人らしいことができています

このように判断できるのは

>会話してて自分と他人という感覚を感じれる人は幸せです

こういう感覚が必要に思えるのですが、「自分と他人という感覚」の意味を私が取り違えているのでしょうか。

全体として
「悩みがないから不幸、悩みがあると普通で幸せ」
と読み取れるのですが、合ってますか。
それとも私の理解不足でしょうか。


Re: mariaさんとたかのさんへ 5070へのコメント
No.5081  Wed, 30 May 2001 09:51:08 +0900  くりす [この発言にコメントする]

Joshya wrote:
> はじめまして、くりすさん。救世義也(くせ・よしや)と申します。
>
> くりすさん、およびついでながら名加野さん、『アスペルガーの館の掲示板』へようこそ。常連書込みメンバーのひとりとして歓迎をいたします。今後ともよろしく。
>
>くりすさん wrote:
>>Mariaさん、コメントありがとう。あなたのコメントが気に入りました。
>
> とのこと、Mariaに代わって御礼申し上げます。
>
>>mariaさん、私にはあなたがそんなに怒る訳が、わかりません。多分掲示板を
>>見た半数は私の様で、半数はあなたのように怒るのではないでしょうか?
>>と言うのは、タイプがあると思うのです。
>
> Mariaはその「半分」のために発言しているのですよ。「医者を必要とするんは、丈夫な人ではなく病人である。私が来たのは、正しいとされる人を招くためではなく、罪とされた人を招くためである」(マルコ・2:17)。怒らない人は、放っておけばよろしい。
>
>>Mariaさんは、皮膚感覚が敏感すぎることはありませんか?多分あなたは私の
>>娘と似ているのではありませんか?
>
> 「皮膚感覚が敏感すぎる」というのは、「『普通の人』に比べて」ということをおっしゃりたいのだと思います。ですが、Mariaの側からすれば、それが「ふつう」なんです。Mariaは「あまりにも鈍感な『普通の人』ども」に悩まされたり煩わされたりせずにどうやって生きるか、のほうに関心があります。
>
>>娘は言葉に敏感で、言葉自体の意味は正確にわかりますが、そこにこめられた
>>人の気持ちの真意を受取りずらいのです。例えば私が「バカね」といって笑う
>>と私の「かわいい」と思う気持ちは伝わらず、「バカ」「笑われた」とだけ伝
>>わってしまうことがあります。好みも感情もはっきりしたものを持っていて、
>>自分の基準に合わないものを受け入れられないので本当の姿と違って頑なな印
>>象を与えがちです。
>
> ご発言のご様子ですと、Mariaについてあまりご存じでないようにお見受けいたします。Mariaは下手な玄人だったら裸足で逃げ出そうかというカウンセラーとしてこの掲示板では知られており、一部では大学のスタッフよりも信頼されております。できうるならば過去ログをご参照いただけると、うれしく思います。
>
>>貧しい者は幸いです。神の国はあなた方のものだからです。(聖書)
>
> くりすさんはクリスチャンとお見受けいたします。私は「救世義也(Joshya Xet)」を名のっておりますので、おそらくなにがしかのご想像はおありと思われます。
>
> 私とMariaは「マリア(Maria)!」「先生(Rabboni)!」、と呼びあう仲です。こと福音書に関する議論では、そこいらの聖職者など歯牙にもかけません。Mariaに説教をするつもりで下手に聖句など引用しようものなら、くりすさん自身の信仰の危機を招きかねません。ご注意のほどを。
>
> (Joshya)
>joshyaさん、先ほどまたしても名前を間違えてメールを送りました。ごめんなさい。
>私にとって知識と信仰はまったく切り離されており、議論で信仰を失うことはありません。議論は意味を持たず、説教をして人に関与するという感覚も鈍い人間ですが・・・
私はここにいないほうが、よいかしら?


Re: 改善策は? 5076へのコメント
No.5080  Wed, 30 May 2001 09:02:22 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

>
>普通の人とは 悩むことができる人です
>僕は脳がボケていて気持ちに反応しないので人として使い物になりません
>会話してて自分と他人という感覚を感じれる人は幸せです
>僕は自分の立場が曖昧でつまり赤ん坊とおなじなのです
>いつもだれかがたすけてくれるだろうという甘えがあります
>
>あなたは普通の人です
>常識を感じとれて 文章を見ても意味のこもった書きかたで
>伝える という人らしいことができています
>
>私はまるで辞書のように偉そうな語り事でしか言葉を使えません
>頑固なおじさんのように堅苦しいひとりごとしかできません
>
>精神的に幼稚なので言葉でかっこつけて大人の皆さんに
>相手にしてもらおうと企んでしまう

 かわいそうに、君はよっぽどひどいイジメにあったんだろうね。だからどうしてもそんなふうに自分を責めてしまう。消えてしまいたいと思う。
 けれども、そんな風な「劣等感」「マイナス面」は、君だけに特別という物じゃないんだよ。
 小児麻痺で車椅子に乗っている女の子はきっと、「ああ私は、どうして地面の上をしっかっり歩けないのかな・・・」と悩んでいるだろう。僕が、昔ボランティアをしていた福祉作業所には、知的障害に加えて病気のために失明してしまった人がいた。その人は、音楽療法の時ははしゃぐけども、普段はとても寂しそうな顔をしていた。苦悩がありありと伝わってきた。余暇活動でカラオケに行ったときには、知的障害+聞こえないという女の人がマイクをもって歌った。歌と言ってもほとんど犬の遠吠えのような声だったので、聴覚過敏の僕は必死に「止めて!」と言うのをこらえた。周りにいた人の中には「もう止めて!」と言ってしまった人がいた。それを見て彼女はとっても傷ついたと思う。
 そんなことに比べれば、僕たちの障害なんて、ちっぽけな物に過ぎないと思わないか。僕たちは動ける・僕たちは考えられる・僕たちは語り合える。それだけで、十分なほど「普通」だと思う。ないのはそれを上手に使いこなせる「統合力」だけ!


聞いてください
No.5079  Wed, 30 May 2001 08:25:07 +0900  くりす [この発言にコメントする]

コメントを有難う。嬉しくて、皆さんが好きです。
私はだいぶ「世の中的」になりましたが、本来なにも感じない人間です。そんな私が「世の中」との接点としてはじめにつかんだ感情が、「好き」なのです。だからこそ私は「いくらいじめてもヘラヘラ笑っている子供」だったのです。
どうしてみんな私をいじめるの?私はみんなが好きなのに。
なかよくしたくて微笑むと、人はますます離れていく。
「人を嫌う」という感情は、感じないと言うより、激しすぎて私の手には負えないので、多分意識化に深く押し込めてしまうのでしょう。
Mariaさん、私の書いたことで嫌な思いをさせたのなら、ごめんなさい。私はただ、あなたがやさしい人なので、仲良くなりたいと思ったのです。自分なりのやり方で、理解しようとしたのです。Raboniさん、私が聖書の言葉を使うのは、私の好きな言葉をただ誰かと分かち合いたいからです。
私は分かち合いたくてここにきたのです。「世の中のものを何も感じない」障害を持った人と。


Re: Q 5067へのコメント
No.5078  Wed, 30 May 2001 07:16:18 +0900  かおり [この発言にコメントする]

Tien wrote:

>Q:脳細胞が壊れても最後まで残る記憶とはなんだろう?
>あなたはどう思いますか?

最後まで残ってほしい記憶は、木漏れ日のキラキラした芝生の上での昼寝&読書した日
でも、最後まで残るだろう記憶は、、、、、、わかんない???多分自分の中の一番古い記憶?一番大切なもの?でもそれってどうすれば分かるのかなあ?
もうちょっと考えてみます。 かおり


Re: はじめましてはじめまして。パソコンはちーっともわかりませんが、頑張ってやってみます。 5065へのコメント
No.5077  Wed, 30 May 2001 01:19:27 +0900  ぶち [この発言にコメントする]


くりすさん、青りんごさん、そしてみなさん、こんにちは。
初めて書き込みします、ぶちと申します。ずーっとこの掲示板を
読ませていただいていたんですが、くりすさんと同じくパソコン
苦手なもんですから、書き込むのは初めてです。



>>私は主人と会って心が解放され、母となった今では五感もいつのまにか正常に働くようになったが、「自分の世界」に戻ることは出来なくなってしまった。すてきな記憶が、あるだけ。
>
>長い間、忘れていた「すてきな記憶」をココにお邪魔するようになって芋ズル式に思い出してしまいました(笑)
>
>>私は、何? 私は、あなたがたの仲間ですか?
>>私のたどった道は、なんだったのでしょう?
>
>私も未だにわかりません。
>今は別に分ける必要性も感じないのでどちらでも構いません。
>「垣根」は存在しているのだろうか?
>自分の過去の検証作業が娘を育てる上での指針になっているような気がしています。

(くりすさんの「私はASなんでしょうか?」という問いには、
返事になっていませんが)くりすさんの小さい頃のお話を聞いて、
ルドルフ・シュタイナーという人の小さい頃の話を思い出しました。

オカルト方面と日本では特に教育方面で有名な人らしいんですが、
シュタイナーが書いたという小さい頃の思い出に非常に似ているよう
な気がしました。私も詳しくなくて、ただの聞きかじりなんですが・・
(その自伝を私が読んだわけではなくて、引用やその伝記について
書かれたものを読んだだけなんですが)

青りんごさんも同じような経験をお持ちなんですか?
ふふふ、私もちょっとだけ・・・でも私も出産後ほとんど
そういう感覚がなくなりました。どうしてなんでしょうね?

私もシュタイナーのその話を聞いた時に、「この人もAS的傾向
があるのではないか?」と思いました。シュタイナーの自伝という
のを読んでみると、何か手がかりが掴めるかしら?

私自身は他人の感情が読めないわけではないし、ASか?って
言ったら違うような気がします。でもそれっぽい傾向はあるかな?
実家の兄が小さい頃「問題行動」が多いとされて、母は毎週学校に
呼び出されるし、兄はクラス全員からいじめられるし・・・
そこで先生の勧めで、カウンセリングを受けた所、下された診断が
「多動」でした(後に母から聞いた話)。でも私は兄のどこがそんな
に問題だったのか分かりませんでした。確かに個性的だけど、他人に
危害を加えるわけではないし(不当な扱いに対しては戦ったけど)、
協調性がないと言われたけど、きちんと理由を話して彼を納得させれば、
ちゃんと分かるんですよ。
「それはただ言う事を聞かせようとする先生がいけないんじゃない
の?」・・・というのが小さい頃の私の感想。

結婚して自分に子供が出来て、小さい子の相手をするようになって、
あの頃の記憶が蘇ってきました。「兄の多動ってそんなに困った事?」
などいろいろ考えて、あちこち調べているうちにここに行き当たり
ました。兄はASっぽいのかもしれません。

そんな兄も今は元気に会社に通ってます。得意不得意の激しい兄妹
でしたが、兄は自分の得意なことを生かして、会社でも重宝がられて
いるようですし、彼の個性もまわりに受け入れてもらって、けっこう
ハッピーにくらしているようです(むしろ「世渡り上手」な私の方が
得意分野も生かしてないし、いつももがいてます)。

兄のように学校から色々言われるようなお子さんをお持ちの親御さん、
大丈夫ですよ!ちゃんと自分の道を見つけて行きますって。
兄を担当したカウンセラーさんがおっしゃってたそうです。
「彼は大丈夫です。心配は要りません。愛してあげて下さい。
守ってあげて下さい。自分はまわりから嫌われているって感じて
傷ついたり、いじめられたりして心に大きな傷を負う方が、
重大な問題です。大きくなるにつれて次第に色んな事を身につけて
行きます。大丈夫ですよ」って。
少なくとも兄は、その通りになりました。

ありのままを受け入れてやって、愛してあげれば大丈夫!

どんどん話がずれましたね・・・最近ちょっと支離滅裂なぶちでした。


Re: 改善策は? 5075へのコメント
No.5076  Wed, 30 May 2001 00:30:45 +0900  ゆうろ [この発言にコメントする]

くると wrote:
>ゆうろ wrote:
>>ASはなおるんですか 
>
> ゆうろさんが言う「普通の人」に近づくことはできると思い
>ます。ただし、外国人が日本人と完全に同化することができな
>いように、「普通の人」と完全に同化することはできないので
>はないでしょうか。
>
>>少しでも普通の人の能力にちかずくには具体的になにを実行
>>すべきですか
>
> ゆうろさんが「この人は普通の人だ」と思える人を徹底的に
>観察し、真似をしてみることだと思います。
>
> ただし、実行する前に次の質問について考えていただけない
>でしょうか?
>
>(1)「普通の人」とは具体的にどのような人ですか?
>(2)「普通の人」とそうでない人を判定するのは誰ですか?
>(3)ゆうろさんは「普通の人」とどの点において違っている
>   のですか?
>(4)「普通」になることによって、どのようなメリットがあ
>   ると思いますか?
>(5)ゆうろさん自身は「普通でない人」を軽蔑しますか?
>(6)「普通である」とはどのようなことですか?
>
> ゆうろさん以外の人も考えていただけると幸いです。
>  

普通の人とは 悩むことができる人です
僕は脳がボケていて気持ちに反応しないので人として使い物になりません
会話してて自分と他人という感覚を感じれる人は幸せです
僕は自分の立場が曖昧でつまり赤ん坊とおなじなのです
いつもだれかがたすけてくれるだろうという甘えがあります

あなたは普通の人です
常識を感じとれて 文章を見ても意味のこもった書きかたで
伝える という人らしいことができています

私はまるで辞書のように偉そうな語り事でしか言葉を使えません
頑固なおじさんのように堅苦しいひとりごとしかできません

精神的に幼稚なので言葉でかっこつけて大人の皆さんに
相手にしてもらおうと企んでしまう


Re: 改善策は? 5073へのコメント
No.5075  Tue, 29 May 2001 23:42:25 +0900  くると [この発言にコメントする]

ゆうろ wrote:
>ASはなおるんですか 

 ゆうろさんが言う「普通の人」に近づくことはできると思い
ます。ただし、外国人が日本人と完全に同化することができな
いように、「普通の人」と完全に同化することはできないので
はないでしょうか。

>少しでも普通の人の能力にちかずくには具体的になにを実行
>すべきですか

ゆうろさんが「この人は普通の人だ」と思える人を徹底的に
観察し、真似をしてみることだと思います。

 ただし、実行する前に次の質問について考えていただけない
でしょうか?

(1)「普通の人」とは具体的にどのような人ですか?
(2)「普通の人」とそうでない人を判定するのは誰ですか?
(3)ゆうろさんは「普通の人」とどの点において違っている
   のですか?
(4)「普通」になることによって、どのようなメリットがあ
   ると思いますか?
(5)ゆうろさん自身は「普通でない人」を軽蔑しますか?
(6)「普通である」とはどのようなことですか?

 ゆうろさん以外の人も考えていただけると幸いです。
  


生命の根拠
No.5074  Tue, 29 May 2001 23:19:16 +0900  くると [この発言にコメントする]

 LDのくるとです。最近、生きることの辛さや死の願望を
ほのめかすコメントがあったので、思うところがあってコメ
ントします。

 わたしは子供の頃から家族や周囲の人間から

(1)いかに正しく生きるか
(2)いかに幸福に生きるか
(3)いかにうまく生きるか

について、様々なアドバイスを受けてきました。しかし、ど
のアドバイスもわたしの問題意識とは少しずれていました。
わたしがいつも引っかかり続けていたのは

『なぜ生きなければならないのか』

というもっと初歩的な問題でした。この問題についてわたし
は未だに根拠を見つけ出せていません。(わたしに自殺願望
がある訳ではありません。あしからず)

 ここでみなさまに質問です。みなさまにとって生きる理由
はなんですか?考察過程も含めて教えていただければ幸いで
す。


改善策は?
No.5073  Tue, 29 May 2001 23:06:04 +0900  ゆうろ [この発言にコメントする]

ASはなおるんですか 
少しでも普通の人の能力にちかずくには具体的になにを実行すべきですか


詩みたいなもの
No.5072  Tue, 29 May 2001 22:01:30 +0900  Tien [この発言にコメントする]

なんかカキコ続けてごめんなさい。
書かないと苦しいので、面倒くさかったら目をそらしておいてください。

ごめんなさい 忘れたんじゃないの すぐ分からなくなるの
怒らないで 怒らないで あたしを嫌いにならないで

なにを話してるの 教えて 仲間に入れて 一緒に居て
あたしとは一緒にいられない?

あいづちも覚えたわ 笑うこつも覚えたわ 
でも違うのね 何かが違う 壁の向こうには行かれない

いつか進んだ科学が あたしを造り替えてくれるだろう
その科学が悪魔でも あたしはふつうの頭がほしい


Re: 質問(あなたにとってASとは何ですか?) 5020へのコメント
No.5071  Tue, 29 May 2001 21:56:48 +0900  やんちゃん [この発言にコメントする]

武田好史 wrote:
>みなさんこんにちは。
> 今日もまたつかぬことをお尋ねします。
>
>あなたにとって、アスペルガー症候群(AS)とは、何ですか? 

こういう質問には応えとかなきゃ、と思うのだけど、頭がうまくまとまりません。
「ASに似た性格」の私にとってASの概念は、言ってみれば、「物差し」です。
方向音痴で今まであてずっぽうに歩いていたのが、やっと地図を手に入れたようなものです。
私のいる位置や、次にどこへ向かうべきか、を考えるとっかかりができた感じです。
でも本当は頭の中にカーナビが欲しい。

こんな言い方したら、ASであることで本気で悩んでいる方から怒られそう。。


Re: mariaさんとたかのさんへ 5060へのコメント
No.5070  Tue, 29 May 2001 21:55:04 +0900  Joshya [この発言にコメントする]

 はじめまして、くりすさん。救世義也(くせ・よしや)と申します。

 くりすさん、およびついでながら名加野さん、『アスペルガーの館の掲示板』へようこそ。常連書込みメンバーのひとりとして歓迎をいたします。今後ともよろしく。

くりすさん wrote:
>Mariaさん、コメントありがとう。あなたのコメントが気に入りました。

 とのこと、Mariaに代わって御礼申し上げます。

>mariaさん、私にはあなたがそんなに怒る訳が、わかりません。多分掲示板を
>見た半数は私の様で、半数はあなたのように怒るのではないでしょうか?
>と言うのは、タイプがあると思うのです。

 Mariaはその「半分」のために発言しているのですよ。「医者を必要とするんは、丈夫な人ではなく病人である。私が来たのは、正しいとされる人を招くためではなく、罪とされた人を招くためである」(マルコ・2:17)。怒らない人は、放っておけばよろしい。

>Mariaさんは、皮膚感覚が敏感すぎることはありませんか?多分あなたは私の
>娘と似ているのではありませんか?

 「皮膚感覚が敏感すぎる」というのは、「『普通の人』に比べて」ということをおっしゃりたいのだと思います。ですが、Mariaの側からすれば、それが「ふつう」なんです。Mariaは「あまりにも鈍感な『普通の人』ども」に悩まされたり煩わされたりせずにどうやって生きるか、のほうに関心があります。

>娘は言葉に敏感で、言葉自体の意味は正確にわかりますが、そこにこめられた
>人の気持ちの真意を受取りずらいのです。例えば私が「バカね」といって笑う
>と私の「かわいい」と思う気持ちは伝わらず、「バカ」「笑われた」とだけ伝
>わってしまうことがあります。好みも感情もはっきりしたものを持っていて、
>自分の基準に合わないものを受け入れられないので本当の姿と違って頑なな印
>象を与えがちです。

 ご発言のご様子ですと、Mariaについてあまりご存じでないようにお見受けいたします。Mariaは下手な玄人だったら裸足で逃げ出そうかというカウンセラーとしてこの掲示板では知られており、一部では大学のスタッフよりも信頼されております。できうるならば過去ログをご参照いただけると、うれしく思います。

>貧しい者は幸いです。神の国はあなた方のものだからです。(聖書)

 くりすさんはクリスチャンとお見受けいたします。私は「救世義也(Joshya Xet)」を名のっておりますので、おそらくなにがしかのご想像はおありと思われます。

 私とMariaは「マリア(Maria)!」「先生(Rabboni)!」、と呼びあう仲です。こと福音書に関する議論では、そこいらの聖職者など歯牙にもかけません。Mariaに説教をするつもりで下手に聖句など引用しようものなら、くりすさん自身の信仰の危機を招きかねません。ご注意のほどを。

 (Joshya)


Re: 食欲って? 5054へのコメント
No.5069  Tue, 29 May 2001 21:38:27 +0900  かおり [この発言にコメントする]

Maria さん wrote:
>かおりさん wrote:
>>皆さんはどんな時に食欲を感じますか?
>
> ……おなかがすいたとき。
どういう時にお腹が空きます?私は仕事最中、それもとってものってる時にお腹が空いたと感じ、でももう一段落したら、と思っているうちに空腹感がどっか飛んじゃいます。でも、食べれるときに食べとかないとと思い、何か食べるわけです。

> でまあ、饂飩を自分で打ったりするのも面倒だし海老の天ぷらも自分では揚げないのでそれは買ってくるとして、お出汁はきっちり取って、お麩だとか葱だとか青菜だとか蒲鉾だとか絹莢豌豆だとか豚肉だとか ちまちまちまちま用意して、根深を刻んだのを仕上げにたっぷりかけていただくわけです。菜切包丁研ぐところからやっちゃうもんね。でないと葱がしゃきっと刻めません。七味唐辛子の辛味と葱の辛味があいまって最高です。暑気払いと称して夏でも食っちゃうぞ。
すごいですね。私の場合、店屋物は嫌いな上に料理も好きじゃない、(お菓子作りは好きだけど)、それでもたまーーーーーーーーーに自分で作ろうかなって、材料買って、作って、で食べる段になって食欲が失せる。作っているうちにお腹がいっぱいになっちゃう感じ、別に味見してないんだけど。

> 「プログラマーは食べられるときに腹が減り、眠れるときに眠くなって一人前」とか言われてたからな。カップ麺も続くと辛いし、胃を悪くしちゃって食べ物を受けつけなくなっちゃったんですよね。それでビールばっか飲んでました。日常生活では野菜炒めと豆腐とキノコを多く取るように心がけてました。あとは台湾料理に沖縄料理。学制時代はお肉とおコメがおいしかったけど、社会人になってからや野菜と豆腐がおいしくなりました。
たしかに、社会人になってからお肉の量が減った気が、、、だからたまに実家に帰って「どーせたいしたもの食べてないんでしょ」と肉がどーんと出たり、「これ大好物だったでしょ」などと、半端でない量で食べろ食べろといわれ。そりゃ昔は確かに好きだったけど、「大好物」だったものの記憶はない。
ビールは飲めと言われれば飲めるけど、日本酒の方が好き。それも越後産よりも南部さんのどっしりしたやつ。もっとも最近はご無沙汰していますが。

>
> そう。「お店の味」ってそんなもんです。でないと「商売」になりませんから。だからあたしは基本的に「食べたいものは自分で作る」派です。
料理をしない私は結局、外食派なのかなあ、取りあえず、お米ぐらいは炊いて、おかずはコンビニかどっかで買って、飢え死にだけはしないようにしていますが。
>>
> 日本茶、紅茶は好き。ほうじ茶も好きだし中国茶も好きなんだけど、しょっちゅう飲むものじゃないから、本当はいいお茶をちょっとだけ飲みたいのね。ところが、「お茶が好き」っていうが人に知れてしまうと、お土産だとかなんだとか、いろんなお茶を貰うものだから、気が重いです。AS傾向のひとはこの点ありがたいです。本当においしいのを厳選してちょっとだけくれたりするから。「そのかわり、新海苔が出たらよろしく」「オッケー!」ってなもんです。
紅茶はレシピエのを愛用しています。東京の千駄ヶ谷に本店があって。全国宅配で送料がたった300円。「トキオ」、「ヴィーナス」が好き。あと風邪をひいた時のために「ノエル」だったかな、シナモンが入っているのをキープしています。
>
> 自分が心の底から打ちこめるものを持ってない人っていうのは、あたしみたいな「バランスの取れていない」「極端な」「偏った」人間が怖いというか気持がわるいというか、そういうものらしいです。で、わざわざ「普通」にするよう「ご指導」くださるのね。ふっざけんじゃないわよ!と言いたいです。
私もほっとけといいたい。あんたには(Mariaさんじゃないよ)それくらい打ち込める物がないのか。ご愁傷様。自分が理解できないからといって他人を自分のレベルに引き込もうとしないで貰いたいと思います。
>
> 味覚に関してはけっこうアンバランスなところがあります。まずくて食べられない、ということもあんまりないし、東京の水道水を平気で飲めるので、厭な顔をされることも多いし。脂っこいもの、塩気のきついもの、乳化剤のいっぱい入っているもの、グルタミン酸の多いもの、すべて平気で食べちゃいますが、あとで気分悪くなったりします。
私は不味くても食べます。胃に入ればみんな一緒。アレルギーは無いし。水道水は駄目だけど。喉が渇くという事がないので、水無しでも平気です。(固形物の中にも水分はある)そうそう、ラーメン、うどん系を食べた後は喉が渇くというより頭痛がします。そう言えば、なんで飲み会の後はみんなラーメン食べたがるんだろう???

> 何かの参考になりましたでしょうか。
はい、とっても。 かおり

新しい話題を投稿 次の20件を表示 最新のログを表示 パスワード変更 発言の削除

《アスペルガーの館》に戻る / 新しいアスペルガーの館の掲示板


EWBBS.CGI 改 (WZ BBS対応 Web掲示板 T.Ikeda改 + s.murakami改
© 1998 y.mikome, T.Ikeda, 1999 s.murakami