アスペルガーの館の掲示板(旧)
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おむに wrote:
>おむにです。
>
>シュッツ wrote:
>>思い出せない要因にもいろいろあるのではないでしょうか。
>>まず第一には、顔が覚えられないから名前につながらない、
>>その他には、文字列としての名前が覚えられないとか、
>>この場面には誰がいるはずだったっけ、とか……
>
>私の場合、顔から名前を引き出す間にもう一つ別のプロセスを踏んでるような...。
>色とか形とか柔らかさが思い浮かんできたりします。
>調子のいいときはポンと引き出せるんですが、
>調子が悪いと顔と名前が繋がらなくなってしまいます。
>
私は違いますが、似た人をふたり知っています。
一人は非定型自閉症の20代の男性、
もう一人は発達性言語障害の30代の男性で、
ふたりとも、人名に限らず、
言葉一般で、名詞を思いつくのがモタモタするタイプみたい。
「形は見えてるんだが」とか言っています。
思いつかないときは、「ナニ」とか「アレ」とか言うので、
まるでお年寄りみたいだね、と言い合って笑いました。
「どうせ健常者だって、年をとればぼくに追いつくんだからな」とか言ってたっけ。
標題の通り、別に悪意は感じませんでしたが、
このページは、書きこみはせずにただ読んでいる人がたくさんいますから、
そういう方たちへの影響を考えて、フォローしたいと思っただけです。
本当に誤診をされて、転院を考えている方や、
忙しすぎて丁寧な応対のできない先生とうまく行っていない方などが、
「やっぱり素人は黙っていた方がいいんだ」と思って
みすみす機会を逃すようなことになるのは、惜しいと思ったからです。
誤診や診断もれは、確かにあるのだろうと思います。
たとえば、
http://www.synapse.ne.jp/~shinji/jyajya/wadai/goshin.html
の、一番下の事例などがその一例です。
ただ、誤診や診断もれについては、「あります」って言ってるだけです。
批判はするけど非難はしない、っていうところでしょうか。
だってまだまだ新しい分野で研究が進んでないし、
そもそも私たちは人数が少ないので、サンプルが少ないのだから、しかたないです。
それでも、世界中の仲間たちの協力もあって、
少しずついろんなことが知られるようになってきています。
たとえば、私たちの仲間の中には、
ある種の薬の適量が普通の人とは違う人たちがいるそうだし、
あるいは、普通の人たちとは副作用の種類が違う人たちがいるし、
といったようなことです。でも、まだまだ研究途上です。
私たちは言葉がしゃべれるし、読み書きもできます。
自分の感じたことを、ある程度分析したり説明したりすることができます。
でも、言葉のない人、知的障害の重い人、子どもたちなどはそれができません。
言葉の話せる私たちが、あれこれうるさく言うことで、
間接的に、言葉の話せない人たちの役に立つことはできないでしょうか?
海の向こうの仲間たちの中には、高機能の自閉症者たちが主催して、
自分たちが講師になったり、よそから講師を選んで招いたりして、
カウンセラーや、お医者さんや、特殊学級の先生などを相手に、
講座を開いたりしているグループもあります。
専門家は、お金を払って話を聞きに来て、
修了証をもらって帰ることができます。
あるいは、専門家の先生方の勉強会に招かれて、話をしに行く仲間たちもいます。カウンセラーも、医師も、さすがに本人になってみたことはないので、
やっぱり本人にたずねてみるのが手っ取り早い、って思うんでしょう。
講師料が出たりすることもあるそうですけれど、
仕事を休んで、介護者を雇ったりして、行くわけだし、
だいたい、環境の変化に弱い人たちだから、移動自体、大変です。
そんなしんどい思いをしてまで行くのは、やっぱり、
子どもたちや、言葉の話せない人たち、
そして、これから新しく診断される人たちの役に立ちたいからでしょう。
そして、彼らが呼ばれるのは、
お医者さんやカウンセラーにもわかっていないことが、
たくさんあるからでしょう。
被験者として、実験台になりに行く人たちもいます。
やはり、まだまだ、わかっていないことが、たくさんあるからです。
おむに wrote:
>下調べってどうやってやればいいんでしょう?
>電話かけまくるのでしょうか?
>
>Webで検索しまくったけど、小児科しか見つかりませんでした。
忙しくてちゃんとした書き込みをする余裕がなくてすみません、
お手数ですが361をもう一度見てくださいますか。
先程の私の発言(531)に補足です。
おむに wrote:
>こんばんは。
>
>青 wrote:
>>私最近ここに寄り始めたんですけど、ここのことをちょっと勘違いしていたみたいですね。
>>なんだか悪意があると取られたようで・・そんなつもりはなかったんですが・・
>
>悪意がないことは分かっていました。(^_^)
>(アドバイス...ですよね?)
私も悪意は全然感じませんでしたよ。
むしろ青さんは精神系のことに基礎知識があって、
理性的に議論しようという態度に感じました。
だから私も、ASのことをできるだけ知ってもらおうと思って
熱がこもってしまいました。
自分の文章を読み直してみると、なんだか怒っているようにも読めるのですが
全然そんなことはなくて、熱意の表れだと思って下さい。
マルハナバチ wrote:
>ただ、下調べをする精神的負担を負うのがいやだ、自分は耐えられないと思う、というのもアリです。それはそれで、その人の選択です。
私は多分こっちの人間です。
下調べってどうやってやればいいんでしょう?
電話かけまくるのでしょうか?
Webで検索しまくったけど、小児科しか見つかりませんでした。
こんばんは。
青 wrote:
>私最近ここに寄り始めたんですけど、ここのことをちょっと勘違いしていたみたいですね。
>なんだか悪意があると取られたようで・・そんなつもりはなかったんですが・・
悪意がないことは分かっていました。(^_^)
(アドバイス...ですよね?)
>ホント水さしちゃいましたね。
いやー。こういう刺激は個人的に好きです。
>ただちょっと気になることがあるんですが
>>医者がもっと頼りになればいいんですが、まだまだ精神科医でさえ発達障害の知識>が足りない人が多くて困ります。
>>だから自分で調べるしかないというのが現状です。
>
>これはちょっと傲慢じゃないでしょうか?
>何を証拠にこういうことを言うのか私には分かりませんが、言い過ぎです。
>医者はその道のプロですよ。
私はプロのプログラマーですが、やっぱり知らないこともたくさんあります。
新しい技術がどんどん出てきますからね。仕事に追われて勉強もままなりません。
学生の方が詳しいくらいです。自由な時間がたくさんありますから。
医者も一緒じゃないかなあ...。
青 wrote:
>ただちょっと気になることがあるんですが
>>医者がもっと頼りになればいいんですが、まだまだ精神科医でさえ発達障害の知識>が足りない人が多くて困ります。
>>だから自分で調べるしかないというのが現状です。
>
>これはちょっと傲慢じゃないでしょうか?
>何を証拠にこういうことを言うのか私には分かりませんが、言い過ぎです。
>医者はその道のプロですよ。
これを書いたのは私ですが、こういうことを言うのは私だけではありません。
自閉症を専門としている医者が、一般の精神科医についてそう言っているのです。
だから、悲しいことに現実なんです。
>どんな先生でも自閉症について、絶対これを書いた人よりは知識も豊富だろうし(だってすっごい長い年月専門的な勉強して医者になってるんだもの)経験も山ほどある。
>何より患者として客観的に見れる。
>(こんな事は私が言わなくてもみなさん分かってますよね、、すいません)
多くの精神疾患についてプロであるのは当然のことです。
しかし自閉症やアスペルガー症候群というのは、まだ研究自体がそれほど進んでいないのです。
だから医者の間にも正しい知識が広がってはいないようで、現在進行形といったところらしいです。
私自身が医者よりも知識を持とうなどという野心が有るわけではありません。
ただ自分のことが分かればいいのです。
そして精神科医というのは、私の専門家ではなく、数多くの精神疾患を相手にしている人なのです。
また、他の科の医師とは違って、客観的な検査などで患者の状態が全て分かるわけではなく、
患者自身の言葉が大きな判断材料になります。
だから重度の障害は別として、自分自身を客観的に判断することが重要なのです。
このことは私の主治医が私に対して言ったことです。
>これを書いた人の考えを見てると「頼りになる医者」っていうのは自分が正しいと思うことを正しいと言ってくれる医者ということになるように思うんですけど。
>私も「レッテルがほしい」と言うことで精神科に通いだしたんですが、そういうことよりももっと大事なことを得られたように思います。
私の場合には、自分の意見を認めて欲しいとか、レッテルが欲しいとか
そういうことではなくて、とにかく現在の苦しみを取り除いて欲しいのです。
その方法を見つける材料を医師やカウンセラーに与えるために自分を見つめなおした結果、
アスペルガーに行き当たったのです。
あくまでも私個人の場合ですので、これが普通なのか特殊なのかは分かりません。
私の勝手な意見も一部はあるでしょうけど、基本的には専門家や他の多くの
共通する特徴を持つ人の話を基に、客観的に書いたつもりです。
どれにレスつけていいかわからんので、とりあえず新規発言にします。
整頓悪くてごめんねえ。
素人といえども、消費者なのですから、プロ(医療なり、心理職なり)のサービスを買うにあたっては下調べをして積極的に参加することが悪いことだとは思いません。
ただ、下調べをする精神的負担を負うのがいやだ、自分は耐えられないと思う、というのもアリです。それはそれで、その人の選択です。
そこは、向き不向きというやつかもしれません。買い物でも、専門店の好きな人とデパートの好きな人がいるのですから、どちらがいいか、悪いかという話ではないのだと思います。
私の場合は、いま自分がどの辺にいるのか、どういう立場に置かれているのか、全体像の中で把握できないと不安になる方ですから、下調べをして、しっかり質問事項をまとめて、積極的に参加するメリットの方が勝るのです。
また、アスペルガーなり、ADHDなり、比較的最近知られるようになったばかりの障害というのは、プロにも知識の不十分な人はたくさんいます。それは必ずしもプロが不勉強だからというのではなく、勉強しようにもこれまでサンプルが十分いなかったからで、ある程度は不可抗力だと思っています。
だから、そういう過渡期の時代においては、大いに下調べをして、質問して、場合によっては受診先を何回か変えてでも満足できるサービスを求める方が多少有利な方に傾くかもしれません。あくまでも、ここ数十年の、一時的な話ですが。これは単に自衛のためであって、何も、素人のくせにプロの鼻を明かして喜びたいがためではありません。「プロの鼻を明かしていい気になりたいだけだろう」なんて邪推をする人がいても(きっと、いるでしょうが)、無視すればいいのです。
(だからといって、下調べをする精神的負担を避けたいタイプの人までこれをやれという意味ではありません。あくまでも、自分の精神衛生とてんびんにかけて、向き不向きで決めればいいのです)
関係のない話に聞こえるかもしれませんが、会社の命令で外国駐在生活をする人の精神状態を調べると、「きっちり年限が決まっている人」が「未定の人」より健康的なんだそうです(出典忘れました。ごめんなさい)。そして、「未定」の人以上に悪いのが「決まっていた年限が延ばされるということがくり返された人」だそうです。人間、「見通しが立って、心の準備ができる」っていうのも必要なんですよ。「知らずにすませたい」気分と、「心の準備をしておきたい」気分のバランスの上で生きている生き物なんですね。
ところで、診断されたからといって治療できるわけでもないのに、何の役に立つのだと言われる方がいますが、自分が何を相手にしているのか、輪郭や大きさが具体的に見えると、ずいぶん賢くなりますし、生活上の細かい点で対策を立てるのが上手になります。
障害という名前は「恐怖」なのかもしれませんが、私の場合は、「恐怖」は「不安」よりずっとマシでした。ちょっとした「恐怖」と「絶望」と引き換えに、無限の「不安」と「無駄な希望」を捨てることができたのですから、圧倒的に安い買い物でした。私の人生で一番お得な買い物だったと思います。
恐怖や絶望には輪郭があり、大きさも決まっています。でも、不安には輪郭がなく、無限に大きくなってしまいます。「絶望」はせいぜい半年から一年を奪うだけですが、「無駄な希望」というやつは、数十年を奪います。
そして、診断前後の不安定期というのは、女々しくなろうが、甘えているように見られようが、それが正常なのです。これが一生続くわけじゃありません。一時的にワタワタしている状態のときに人に笑われても、それを本気にする必要はありません。傷のなめ合いと言われようが、同情を求めているだけと言われようが、一時の投資です。
止まったエンジンを「押しがけ」している所を見て、「自分の力で走らずに、一生、他人に押してもらうつもりか」と言われているのと同じです。押しがけしている姿を見て、「一生、押してもらうつもりか」と言う人は、単に、「押しがけ」というものを知らなくて笑っているのかもしれません。あるいは、知っていながら、わざと笑っているのかもしれません。どっちにしても、相手にする必要はありません。「一生、他人に押してもらうつもりか」と言われるのが恥ずかしいからといって、押しがけをやめるのでは損です。言った人は、気が済んだら、そのまま行ってしまいます。止まったエンジンと一緒に立ち往生してくれるわけではありません。
こんな偉そうなこと言っている私ですが、私だって一年半前には、押してもらってエンジンかけたんですよ。
未診断の軽度発達障害を抱えて育ってきた人というのは、まあ、マックでむりやりウィンドウズのソフトを走らせようとしていたようなものかもしれません。診断というのは、マックならマックの「説明書」を手に入れることです。それからしばらくの間は、新しく自分に合ったソフトを入れ直さないといけませんから、その間は使い物にならなくて当然です。少しもおかしいことではないのです。それは、古いクセを全部見直して、総入れ替えする作業です。そのときに通常の作業ができなくても、一生、その状態が続くわけじゃありません。
再インストール作業中に、通常の作業がこなせないからといって、「無能になった」「壊れてしまった」というのは、たまたま知らないだけか、あるいは、知ってて言いがかりをつけているか、どちらかです。相手にしているより、さっさと再インストール作業に励んだ方が、早く機能回復できます。そして、機能回復したらもう、障害のことなんて考えてる暇がなくなるくらい、忙しくなるかもしれません。いっぺん、ちゃんとまとめて落ちこむなり甘えるなりだらけるなりした方が、後はきれいにすむのかもしれませんよ。押しがけを恥ずかしがってガマンした方が、いつまでも微妙に調子が悪くてだらだらこだわらなければならなくなる可能性もあります。
というわけで、機能回復した私、ちょっと仕事が忙しくて当分読みに来られません〜。ウェブサイトの更新も、なかなかできそうにありませんが、「閉鎖」はせずに「放置」しときますんでヨロシク(笑)
青 wrote:
> それを医者に対して「わたしを完璧な人間にして!」っていうのは無茶な話でしょ。
それは無茶な話ですね。
私の場合に限って言うと、つい最近こちらへ来て自分がASっぽいという事を知った私は、直したいというよりも、まず「何なのかはっきりさせたい」って感じです。
それができるのなら病院やカウンセラーにかかりたい。
(でもみなさんの書き込みを読ませてもらっていると、そういった意味では病院はあまり有効じゃないようですね)
これまで親に「キチガイ」呼ばわりされたり、周りの人に「ヘンなやつ」「間の悪いやつ」ってあきれた目で見られたりした事があったけど、自分が何なのかはっきりすれば、「だって○○なんだもん」って、責任転嫁(?)できるというか…親しい友人や家族からは、いたらないところをうんざりされずに大目に見てもらえるだろうとか…
それに、なんでああだったんだろう、って、自分でも納得したいというか。
(みるさんが書いてらした、「レッテルが欲しい」タイプっていうのは、こういう事でしょうか?)
あと、自分のことを分析するのは興味深いですよね。イヤな事もいろいろ思い出してしまうけど。
>その知識を知らなかった今までが不幸だったんじゃなくて、これを知れたことが運がよかったんだって。
まったくそのとおりです。
>一般的な表面的で安易な基準では「バカ」「ぐず」「変人」と言われてる人が、医学的な基準で「AS」「ADHD」「人格障害」なんていわれて治療の対象になる。
>けど、実はその「一般的な基準」の方が本当なんじゃないか、って感じることありませんか?
もちろん、その「一般的な基準」が本当だと思ってました。(それが「一般的」なんですから)
だからここへ来て、「私は『本当』は『バカ』じゃなく『AS』だったんだ」となれば気が楽だろうと思って、。
おむに wrote:
> 「考えすぎ」というより「考えずき」なんです。
共感!
青 wrote:
>えっと・・それは・・つまり・・はっきり言っちゃうと・・・
>「考えすぎ」・・というやつじゃないでしょうか・・
「考えすぎ」というより「考えずき」なんです。(うまい!)
(-_-;
他人の反応に悩んで、分析することで納得する。
ていう感じでしょうか。
青 wrote:
>えっと・・それは・・つまり・・はっきり言っちゃうと・・・
>「考えすぎ」・・というやつじゃないでしょうか・・
>人の体って意識しないからこそうまく機能するって言いますから。
>それは心の面も同じじゃないですか?
>素人があんまり精神医学の知識を知り過ぎるのも考え物ではないでしょうか。
>あんまり考えすぎるのは心に毒ですよ。
>
>その知識を知らなかった今までが不幸だったんじゃなくて、これを知れたことが運がよかったんだって。
おもいます。おもいます。まさに江戸時代に生まれなくてラッキー!といった感じです。
私の場合、ボーッとしてるのに加えて、不安神経症の発作もあるので
江戸以前だったらきっと「狐憑き」といわれて地下牢で一生を送ってたかもしれないし、中世ヨーロッパに生まれてたら「魔女狩り」されてたと思います。
ぜいたくをいうなら、あと20年後に生まれていればADHDの子供に対する学校側の制度が整ってただろうなあなんて。(未来のこといったらきりがないですね。)
>けど、実はその「一般的な基準」の方が本当なんじゃないか、って感じることありませんか?
どういうことだろう?
>”この世に完全な人間はいない”っていうけど、それなら人はみんな程度の差こそあれ生きることに矛盾とか不満とか不安・謎を抱えて生きてるということになりませんか?
>それが人間ってものなんですよ、きっと。
おもいます。私がよく思うのは、このストレス社会で荒波にもまれながらも生活している、健常者とくくられている人、障害者とくくられているひと、
多くの人が、たくさんのストレス、不安、不満を抱えて生きていると思います。
強いなあ、でもこれが普通でこれができなきゃ生きて行けないんだよな。
>それを医者に対して「わたしを完璧な人間にして!」っていうのは無茶な話でしょ。
私の場合、親から「きちがい」といわれつづけてきたため、結構辛かったので、
「完璧にして!」というよりも、
「こんな私でも人間だよね。このままだっていいんだよね。人として扱われる資格あるよね。」という気持ちです。だから、ADHDなどとレッテルを貼られることによって、「よかった。いっぱしの障害を持つ人間として振る舞っていいんだ。」
という表現が私の気持ちに近いです。
「きちがい」→「障害があるけどちゃんと人間」
これは夢のようなカースト制度の身分の出世です。
小間使いがシンデレラになったような気分なんです。
だからつい、これって夢じゃないよねって確認したくなっちゃうんです。
私の身にこんなことが最近おこるんだけど、変かしら?やっぱり夢なのかしら?
と不安になりがちです。わかっているんだけどつい人に尋ねちゃうんです。
QOLってやつですね。
これは、まず心に大きな傷を持っていたらそれをどうにかしなくては
QOLの向上には繋がらないなあ、というのが実感です。
その傷の痛みが、QOL向上の妨げになってるケースってとても多いと思うんです。
このに気づいてない、カウンセラーの方々、精神科医の方々多いと思いました。
(ちょっと傲慢な意見かもしれませんが、6個所くらいまわってかんじました。)
そして、心の痛みを取り除いてから、その次の段階として、障害を抱えながらもなんだかんだ生活していければ、それが人と多少違う生活の仕方でも、その人は幸せに過ごせるはず。
>「もう駄目だぁ!死んでやるぅ!」って思ってても実際は結構何とかなってるもんでしょ?
>今の生活に耐えられないのなら鬱病の薬でももらって、その場をしのいでがんばってれば、いつかいい事ありますよ、きっと。
>(医者から「とりあえず鬱の薬、出しときましょう」って言われるのは「それは精神科領域じゃどうしようもないから自分で何とかしなさい」っていう含みがあるのかな(笑))
本当に鬱の人は
ちゃんと薬飲まないと本当に死にたくなっちゃうから気をつけましょう。
>と言うか私たちって、そういうことに頭が行ってしまうような原因が何かあって、そっちの方が問題なのかも。
それ、あるかもしんない。その傾向強いです私。でもやっぱ考えちゃうんですよねえ。
>(まっ、こういうことはお酒でも飲んでぱーっと忘れちゃいましょうよ。
>ぱーっとね(笑))
それもよし!そうやって楽しめるときパーっと飲んで、気になることがでてきたら
ここのけいじばんで悩みを相談する。
しかもここにくる人の知識と経験は、プロフェッショナルだからすごい!
>>っていうか、普通の人っていう定義もまた難しいですけど、
>>長くなりそうなので、その話しはまた次のきかいに。
>あっ、それ興味あるな。
ちょっとばんごはんたべてきますね。
おむに wrote:
>
>そうですね。
>話してて、「それわかる〜」の連続でした。
>仲良しになりましょう。(^_^)
なりましょうなりましょう。なんだか楽しいですね。
>カウンセラーに聞いた話では、障害という名前がネックになっていて、
>アル中になるとか、犯罪を犯すとか、社会的な問題を抱えてないと
>そういう診断名はつけにくいそうです。
>障害がだめなら「注意欠陥・多動性傾向」とかでいいからつけてほしいです。
参考になりました。ありがとうございます。
それから、私たちがしているようなやり取りって、
はたからみてるとやはり傷の舐めあいといった感じで
辟易してしまう方もきっと多いことでしょう。
でも、今回はこれでわたしもおむにさんも「ほっ」とできたので
ここのBBSに感謝しております。
青さんの書かれたことは一般論としては正論に近いと思うのですが、
各論としてはまだまだ問題が残っているのだと思います。
青 wrote:
>素人があんまり精神医学の知識を知り過ぎるのも考え物ではないでしょうか。
>あんまり考えすぎるのは心に毒ですよ。
医者がもっと頼りになればいいんですが、まだまだ精神科医でさえ発達障害の知識が足りない人が多くて困ります。
だから自分で調べるしかないというのが現状です。
>けど、実はその「一般的な基準」の方が本当なんじゃないか、って感じることありませんか?
「本当」とは思いませんが、普通の人の認識の現状だと思います。
()付きの文章にレスしてもいいかどうか迷いますが、重要だと思うのでしておきます。
>(まあそういうこと考えずお気楽に生きている人も結構いますが)
これは理想だと思うし、そういう人は多いでしょうけど、環境が赦さない場合もあります。
後の2次障害につながる内容を含んでいます。
>(「考えてもどうしようもない」って割り切ってやっていこうと思ってても「これが答えなんだぞ」って目の前にぶら下げられると飛びつきたくなるのも人情ってものでしょうね。)
そうかも知れませんね。人それぞれでしょうけど。
>それを医者に対して「わたしを完璧な人間にして!」っていうのは無茶な話でしょ。
これはその通りです。と言うよりも、こんなこと言わないでしょう。
ただし知識がなければ言うかも知れません。
>それと関係ない部分は考えるだけ損じゃないでしょうか?
例えば、同じ趣味を持っている人同士の世間話のようなものと考えればいいんじゃないでしょうか。
>「もう駄目だぁ!死んでやるぅ!」って思ってても実際は結構何とかなってるもんでしょ?
>今の生活に耐えられないのなら鬱病の薬でももらって、その場をしのいでがんばってれば、いつかいい事ありますよ、きっと。
ここから先はASというよりむしろ、2次障害としての鬱等の話ですね。
これがあるかないかで、かなり様子が違ってくるでしょう。
ASを「性格」と割り切って大きな問題もなく生活できるか、
それともASが引き金になって、悪循環で次々と問題が生まれて辛い毎日を送るか。
しかし、こうなるともはやASの話題を離れてしまいますけど。
>(まっ、こういうことはお酒でも飲んでぱーっと忘れちゃいましょうよ。
>ぱーっとね(笑))
それができないから苦しんでるんです。
みる wrote:
>このBBSで見ていて思うのですが、ADDの症状がにていると思いました。
>脳みその作りが似てるかもしれませんね。
そうですね。
話してて、「それわかる〜」の連続でした。
仲良しになりましょう。(^_^)
>おむにさんはなんと診断されているのですか?
診断名はまだついてないのですが、
カウンセラーには
「ノイローゼ(神経症)がある」
「アスペではないような気がする」
「子供のころADHDだった可能性がある」
「学習障害の可能性がある」
と言われています。
あくまでカウンセリングであって診断ではないのですが。
医師には、分裂病の薬しか処方してもらえません。(T_T)
>それから、今日本では、おとなのひとにはADHDという診断明はつかないことになっているのでしょうか?
カウンセラーに聞いた話では、障害という名前がネックになっていて、
アル中になるとか、犯罪を犯すとか、社会的な問題を抱えてないと
そういう診断名はつけにくいそうです。
障害がだめなら「注意欠陥・多動性傾向」とかでいいからつけてほしいです。
このBBSで見ていて思うのですが、ADDの症状がにていると思いました。
脳みその作りが似てるかもしれませんね。
おむにさんはなんと診断されているのですか?
それから、今日本では、おとなのひとにはADHDという診断明はつかないことになっているのでしょうか?
おむにです。
シュッツ wrote:
>思い出せない要因にもいろいろあるのではないでしょうか。
>まず第一には、顔が覚えられないから名前につながらない、
>その他には、文字列としての名前が覚えられないとか、
>この場面には誰がいるはずだったっけ、とか……
私の場合、顔から名前を引き出す間にもう一つ別のプロセスを踏んでるような...。
色とか形とか柔らかさが思い浮かんできたりします。
調子のいいときはポンと引き出せるんですが、
調子が悪いと顔と名前が繋がらなくなってしまいます。
みる wrote:
>あ、私わかります。普通の人は滑らかにおこなっているのに、
>私たちの場合は「暗記」に近い状態なのではないでしょうか。
>しかも「短期記憶」。忘れたら憶える。忘れたら憶える。
そうかもしれないですね。
付き合いが長ければ長い人ほど間違えにくいですし。
でも、忘れたら「思い出す」って感じでしょうか。
同じ人がいて安心しました。
これでも結構悩んでたんで。(^_^;
皆様ご丁寧にレスを有り難うございました。ペンギンさんのおっしゃる通り、指示に従えたらという意図だった様な気がします。(実は昨日その話をしてくれた方にもう一度さりげなく聞いてみたのですが、「いや、ウサギという所にポイントが有るような言い方だった」と再度強調していましたが…どう考えても変ですよね。誤解なんでしょうね。
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