アスペルガーの館の掲示板(旧)
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色眼鏡
私は何々です。たとえば、私はアスペです等と言ったら、
そこから関係性のなかに色眼鏡が存在する。
相手の色眼鏡。そしてこちらがまっとうなことを言っても
受けつけてもらえない。そんなことってある。良くある。
相手が非論理的であっても。そうだ。
まったくくだらない。非論理的な出来事です。
無意識のカテゴライズが、こちらには意識として
わかるのです。
面白いですね。馬鹿らしいほど。。
私はなになにです。と言わない場合は、変わっている人とか、、鬱病だろうか?とか面白い人など,,
iroiro
また相手の意識が反映されるのです。
るおう wrote:
>シンタロウ wrote:
>> 俺もいい所が沢山あるのに、周りの健常者は全くきずかない、周りの健常者は「共感性が無い」「人の気持ちに鈍感だ」「なんの取り得も無い」などほざくけれど、健常者の方が人の気持ちに鈍感でなんの取り得も無い!
>
>こっちのほうが実は、、色々なことに敏感だったり気づいたり、わかっていたり
>素晴らしい点だって多いんだよね!!!!!ただ。。世馴れていないだけ。。
凡人の 気に止めぬ花 いとおしき
吾思いつくに これ明日壁(あすぺ)たり
シンタロウ wrote:
> 俺もいい所が沢山あるのに、周りの健常者は全くきずかない、周りの健常者は「共感性が無い」「人の気持ちに鈍感だ」「なんの取り得も無い」などほざくけれど、健常者の方が人の気持ちに鈍感でなんの取り得も無い!
こっちのほうが実は、、色々なことに敏感だったり気づいたり、わかっていたり
素晴らしい点だって多いんだよね!!!!!ただ。。世馴れていないだけ。。
るおう wrote:
>gonzosannがおっしゃるようにASはいいところがたくさんあるのに。。
俺もいい所が沢山あるのに、周りの健常者は全くきずかない、周りの健常者は「共感性が無い」「人の気持ちに鈍感だ」「なんの取り得も無い」などほざくけれど、健常者の方が人の気持ちに鈍感でなんの取り得も無い!
>
>おまえあはどうだとか、、、ののしられてののしられて
>生きていくことやせっかくあたえられたギフトも駄目にされてしまうことが
>一番辛いし
俺もののしられた、健常者にののしられた、俺は健常者に人生を駄目にされた、健常者はいつも偉そうに気取ってる、そうゆう健常者が一番ムカツク!
>
>ものすごく腹が立つ。。。。。めちゃはらがたつ。。。
俺もすごくムカツイてる、めちゃくちゃムカツイてる!
>
>ののしられてののしられてののしられて。。くそ!!!!!!!!「
クッソオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!
スゲームカツクウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!
なおみの夢さんwrote:
>でも、言いたい。傍でASを支えている人の大変さを解って。
>解らなくてもいいから、学習して。
>私にASの苦しさがわからないと同じで、ASの皆さんもわかって貰えないつらさが
>あるかも知れない。
>でも、感謝の言葉ぐらいいえるよね。
>共感が持てないから、言えないのかもしれない。でも言わなくちゃいけない時が
>あるんだと学習して欲しい。
青りんごさんwrote:
>その思いを何とかして相手に伝えられないのかなぁ?
>「聞く耳」を持っておられない方なのでしょうか?
>我慢を重ねすぎて自爆することの方が、双方に大きなダメージを与えると思いますよ。>我慢しすぎちゃ自爆しますよ。吐き出さなきゃシンドイよ〜。
>「感謝の言葉が欲しいのよ」って言いましょうよ〜。
>なんとか伝える術を見つけて欲しいなぁ〜と思います。
本来ならば「Maria」としての立場から発言するべき問題ではないと思うんですけど、ちょっとうちのご本尊(Joshya)が逃げ腰なのであたしが発言します。
あたしは、「苦しい」とか「つらい」とか訴えると、かえって「そんなだらしないことでどうする!」「しっかりしろ!」「しゃんとしろ!」「弱音を吐くな!」みたいなことを言われ、「甘ったれるな!」「そんなことでどうする!」と言われ、「私たちが子供の頃は……」「私たちの若い頃は……」と言われ、「根性を叩き直してやる」とか「性根を入れかえてやる」とかいって、かえって状況がしんどくなってしまう、みたいな思いを散々しています。
とはいえ、そうやって他人の「『甘え』を許さない人」の多くは、同時に「『甘え』が許されなかった人」でもあるんですね。「相手につけこまれる」のが怖い。だから、相手に「甘え」を許さない。
そりゃあ……一応は分かりますよ? そういう人の気持ちは。
だけど、甘えられる相手にまで甘えられなくなっちゃって、同時に甘えさせなきゃいけない相手にも甘えを許さない、というのは行きすぎだと思います。そこまで行っちゃうと、もはや犯罪という気がします。
自分の「弱さ」をさらけだす勇気というのものが、男性のほうに欠けている。「誰にでも」とかいうんじゃありません。その弱さを許してくれる相手には、甘えていい……じゃなくて、甘えなきゃいけないんです。
確かにたちの悪い女もいるんですよ。男が憎いのかなんなのか知らないけど、男から「安らぎ」とか「甘え」とかを奪っちゃう女っていうのが。確かに「強い男」っていうのを期待する気持とかも分かります。そういう「強い男」って、確かに理想かもしれません。だけど、自分が唯一その男性の安らげる場所、甘えられる相手だっていうのが嬉しくないのかな?
で、そんな相手に引っかかって痛い目を見ちゃった男性というのは、女性に対して気を許せなくなってしまいます。かわいそうはかわいそうなんだけど、他の女のツケを払わされる女としちゃあ、たまったもんじゃない、みたいな思いもあると思います。
そういう男性って、自分の弱さ、情けなさ、っていうのを受容してないのね。で、それがバレてないと思ってるわけ。女のほうが許してあげて、甘えさせてあげてるのがわかってないわけ。だから、断固として叱っちゃっていいと思います。自分はあなたと対等な存在であって、自分はあなたの「命令」に従う立場じゃない。あなたの「お願い」を聞いてあげてるだけだって言っちゃっていい。だから、そういう言い方をしてほしい。こっちの都合、こっちの気持も配慮してほしい。そして、「ありがとう」って言ってほしい。そう、はっきり言っちゃっていいと思う。で、自分の「弱さ」から逃げない強さっていうのが、本当の強さだっていうのを教えてあげないといけないと思います。
まあ、あんまり甘え上手な男性もちょっと困り者なのですけどね。相手の女性が嬉々として貢いでたりなんかするし。本人同士が納得してて、それで幸せならいいんだけどさ。
(Maria)
gonzosannがおっしゃるようにASはいいところがたくさんあるのに。。
おまえあはどうだとか、、、ののしられてののしられて
生きていくことやせっかくあたえられたギフトも駄目にされてしまうことが
一番辛いし
ものすごく腹が立つ。。。。。めちゃはらがたつ。。。
ののしられてののしられてののしられて。。くそ!!!!!!!!「
久しぶりに書き込みます。
最近、思考力、記憶力ともに低下しており、上手く書き込めないと思いますが
頑張って書いてみます。
なおみの夢 wrote:
>
>ASのつらさってなんだろうと思います。どこまでつらいと思っているのかしら。
>と、知りたくなりますが、私の見える「赤」と他の人の見える「赤」とは違うだろうからそれを推し量るわけにはいかないのですよね。
>親であっても、夫婦であっても・・・。
そうですよね。
最近はASであろうとなかろうと「自分」以外の人間の感覚を推し量るなんてこと
「無理なのだ」という前提で考えるようにしています。
自分自身の感情でさえ意識しなくては解らないのに……。
(私の場合、理解できるまで鬱状態になります。)
>
>でも、言いたい。傍でASを支えている人の大変さを解って。
>解らなくてもいいから、学習して。
>私にASの苦しさがわからないと同じで、ASの皆さんもわかって貰えないつらさが
>あるかも知れない。
>でも、感謝の言葉ぐらいいえるよね。
>共感が持てないから、言えないのかもしれない。でも言わなくちゃいけない時が
>あるんだと学習して欲しい。
その思いを何とかして相手に伝えられないのかなぁ?
「聞く耳」を持っておられない方なのでしょうか?
我慢を重ねすぎて自爆することの方が、双方に大きなダメージを与えると思いますよ。我慢しすぎちゃ自爆しますよ。吐き出さなきゃシンドイよ〜。
「感謝の言葉が欲しいのよ」って言いましょうよ〜。
なんとか伝える術を見つけて欲しいなぁ〜と思います。
ヘンな書き込みでごめんなさい。青りんご
かおりさんwrote:
>私は交友関係を含めて、人間関係は継続するのに努力が必要と思っていますが、
>どう努力すればいいのかが分りません。
>「友達の作り方がわからない」と本気で言ったのですが「いい大人がなに馬鹿
>なこと」と信用してもらえませんでした。友達が出来なくて悲しいという感じ
>はあまりありませんが、話をしていて、どんどん自分が異質だと感じることが
>あり、それがちょっと嫌です。さらに嫌なのはそのために、自分を隠して、あ
>たかも周りを同じかのように振る舞って、挙げ句の果てにそれが変なストレス
>になって、爆発することがあることです。こんなんだったら、最初から「変人」
>と言われていた方がマシ、なのかもと思ってしまいます。
以前、あたしは「友人とは、『迷惑』をかけてほしい相手のこと」と書きました。
最近は、「迷惑」と「お世話」の差ではないか、と思うようになりました。
その人の役に立ちたい、その人の力になりたい、と思うひとが、あたしにとっての「友達」です。その人に嫌われたとしても、それでもその人のために何かをしてあげたい。
で、あたしにもそういうふうに思ってくださるひとがいます。だけど、そういうひとに対して、「ごめんなさい」しか言えない人がいます。心苦しい、というのは分かるんですけどね。だけど、相手のひとは私に迷惑をかけられたとは思ってなくて、自分がしたいからする、と思ってくださってるわけですよ。それに対して「ごめんなさい」は失恋です。やっぱり、心から「ありがとう」を言わなきゃ嘘です。
じゃあ、「迷惑」じゃなかったら何なのか。たぶん「お世話」だと思うんですよ。
「いつもお世話になってますー」みたいなひとが、友人。相手はそんなことぜんぜん思ってないかもしれないけど、このひとがいてくれるおかげで自分の心はどれだけ救われているか。そういうひとが、友人です。「ありがとうございますー、お世話になりますー」って甘えられるひとも、友人。これが一方通行の関係だと、「恩人」なんだけど、「相互作用」だと、「友人」。
で、「友人」を作るコツというものが、三つあるように思います。
ひとつは、相手を操作しようと思わないこと。相手に好かれようとしてもダメです。自分のまっすぐな気持を伝えて、それが通じなかったらしょうがない、と割りきることです。相手に嫌われまいとして、相手の気にいるようなことを言うようになっちゃいけません。
ふたつめは、リスクを負うこと。「困ったことがあったら、いつでも相談してね」とか言っておいて、いざそうなったら知らんぷり、みたいなんじゃ友人はできません。ちゃんと連絡先を渡して、「困ったことがあったら、本当に、ちゃんと連絡するのよ?」と命令しちゃうくらいのことはします。で、引き受けたことは放り出さない。はっきり言ってしんどいときだってあるけどさ、それも人生のうちです。
みっつめ。けじめを守ること。自分でも守り、相手にもそれは要求すること。これは相手に対して用心することでもあります。でないと、際限なく甘えてくる「困ったちゃん」に取りつかれて痛い目をみることになります。
逆に、相手が自分に対して自分を開いてくれたときは、こちらも相手に対して正直になる、という意味の「けじめ」というものもあります。このあたりは駈引きの要素もあるんですけどね。「友人」ではあるけれど「恋人」になってはいけない、みたいな相手に対しては、「ここから先はダメ」とはっきり言うことも必要。
自分を保留したまま、相手に「素直になること」「正直になること」を要求する人がいます。そういう人は、自分が心理的に鎧を着ているのに、相手に無防備になることを要求しているということに気づきません。で、知らず知らずのうちに相手を傷つけていて、それに対しても無自覚だったりします。こういう人って、いろんな人に傷つけられてきたかわいそうな人なんだろうけどさ、だからといって正当化されるってものでもないと思います。
えー、それから最後の「けじめ」の件に関して、メール交際において気をつけねばならないことがひとつあります。
相手に対して心理的に無防備になる、っていうのは非常に怖いことである反面、非常に気持ちのいいことでもあります。で、相手がそうやって無防備に自分を開いてくれると、こっちもやっぱり自分を開いて接しよう、という形で相手の気持ちに応えてしまいます。こういう関係ができあがってしまうとハマるぞぉ? もう、容赦なくぐいぐいとハマってしまいます。メールのやりとりを始めてから三週間で、すでに結婚を決意している、とかいう話は洒落や冗談ではないのね。怖いのは自覚症状がないことです。ある日突然ずっぽりハマッている自分に気づいてしまいます。
パートナーにめぐりあう機会がない、というひとにメール交際はおすすめですが、くれぐれも自分や相手の家庭を壊したりしないようにご用心。
最後にひとつ重要なことを。住所氏名年令経歴等を詐称すると、あとで本気になったときにとことん苦しむことになります。あたしは最初にプロフィール送っちゃうからそういう苦労はなかったけど、三十三歳離婚歴あり子供一人、とかいう人が「二十一歳家事見習い」とかいって交際してて二十二歳学生、みたいな相手に本気で惚れちゃったりしたら……これは苦しい。
「嘘はいけません」とかいった子供じみたことは言わないけどね、あとでバレて困るような嘘はつかないほうがいいと思います。ちなみにあたしは一九五九年生まれ、男性。
(Maria)
Tienさんwrote:
>犬は自分の事を分からなければいけないし、人間は犬に人間のルールを教えな
>ければ共存はできませんよね。
>外国人の方との交流でもそうでしょう? 玄関で靴を脱ぐ事を教えるとき、
>日本人は「この人達は靴は脱がない習慣なんだ」と理解し、彼らは「日本人の
>人々は家では靴を脱ぐ習慣なんだ」と理解し、歩み寄りが生ずると思うのです。
外国人はしばしば「家の中とはいえ人前で靴を脱ぐなどというのはなんと野蛮な習慣だろう。こんな習慣は改めさせてやらねばならない」みたいな発想をします。
あるイタリア人は、日本人が開いたパーティに招ばれて、「私は文明人だから箸みたいな原始的な道具は使えない。ナイフとフォークをくれ」と言ったそうです。
それを聞いたホストの日本人は、「十四世紀まで手づかみで飯を喰ってた野蛮人が何をいうか。我々は六世紀には箸で飯を喰ってたと記録に残っておるのだぞ」と一喝したそうです。だいたいフォークやスプーンで秋刀魚やお茶漬や蕎麦が食えるかバカモノが、と私も言いたい。
「神の恩寵を受けていない哀れな野蛮人を救済するため」と称してやってきて、相手がキリスト教を拒絶すると皆殺しにしてしまう、みたいなことをやってた連中もいたしな。
健常者と障害者は同じ一つの世界を分け合っているのであって、決して健常者の世界に障害者が「いさせてもらっている」わけではないという意識が健常者・障害者双方に欠けているように思います。
(KILROY)
「片付ける」というのは、「予想された、望ましい結果を得るまで作業する」といったような意味だと思います。だから、「空間」とか「物」とかは、それに関わるものであっても、本質ではないように思います。
たとえば、
「なかなか仕事が片付かない」
「宿題はもう片付けた」
「学生時代、カツ丼二杯と天丼一杯とビール三本を一人で片付けたことがある」
「絡んできた若者三人を、二分かからずに片付けた」
なんかは、「場所」ではなく「物」「人」です。
「ちょっと昼飯を片付けてくる」なんていうのは、「昼食を食べる」という「予定」あるいは「行動」を済ませてくるという意味。
あと、失礼な表現ですが、「うちにはまだ片付いていない娘がいる」なんていう表現もあります。これは、「結婚して家を出てゆく」というのが「予想された、望ましい結果」だという認識があるのでしょう。
なお、「片をつける」というと、「決着をつける」という意味になります。この場合、「予想された」とか「望ましい」とかいうのは、必ずしも自分にとってではありませんし、しばしば誰にも予想がつかず、誰にとっても望ましいものではなかったりします。
……やっぱりあたしは青りんごさんのところのお嬢ちゃんと同類項だ。
大森総合研究所 自然言語処理ディビジョン 蘇好美(Maria)
ミッドランド wrote:
> 「交友関係」は自然にできるものなのでしょうか。
> 僕を除く僕の家族は、全員幅広い交友関係を持っているのです。そして皆上手く付き合っています。悲しいことに、僕だけがその要素を持っていません。
> メールのやり取りが「交友関係」に結びついてほしいと願う ミッドランド
私も友達を作るのが苦手です。自分から友達になって光線を出せません。だから、「飲み会でなって今付き合ってるの」とか、「道で声を掛けて」等々何だってみんなそんなに簡単に友達が出来るんだろうと思ってしまいます。
幸い、私には、中高校生時代からの友人が2ー3人います。高校のときに会った友達が私の一番の友人です。(彼女の一番かは不明ですが)でも、多分これって、みどりさんが前に言ったところの「類友」状態なのでしょうか???
大学、社会人になってからの友人はとんと長続きしません。忙しいからか、出身地が違うからか、家族持ちが増えてる年代だからなのか、
「あなた友達いる」とたびたび聞かれます。どの程度をもって「友達」とするのかの基準が分りません。電話で話す?でも私はめったに電話を掛けませんし、かかっても来ません。
一度出来たと思った友人を疎遠になることが多いです。何でか分りませんが、何かしら変なこと(これは相手にとって常識はずれの何かという意味です)を言ったかしたか。親には常々「二言多い」と言われますが、それも、聞いた事をそのまま繰り返した結果なんですけど、、、、と自己弁護に走ったり。
「とにかく『こんにちは』で始めて、名前を聞いて、あと聞きたいことをどんどん聞いてきゃいいんだ」とも言われましたが、何を聞けばいいんだか、まさか「あなたは神を信じますか」でもないでしょうし、、前にそう聞かれた時は「『アスラン』を信じています」と答えてみましたが、解って貰えなかった、キリスト教徒のくせになどとはいいませんが。。。。
子どもは親を選んで産まれて来るわけではないし、親も子どもを選べない、でもその中で毎日顔を突き合わせて何かしら共通項を増やして「似た者」になるのかと思います。でも、その似た者に為れなかったら、、、
友人は選んで選ばれて、何を基準に選ぶかにもよりますが、「似た者」を探すのかなとも、思います。たまに毛色の違った友人を持ってみて、でも、「やっぱ駄目だった」ともとに戻ることになるのかも。
私は交友関係を含めて、人間関係は継続するのに努力が必要と思っていますが、どう努力すればいいのかが分りません。
「友達の作り方がわからない」と本気で言ったのですが「いい大人がなに馬鹿なこと」と信用してもらえませんでした。友達が出来なくて悲しいという感じはあまりありませんが、話をしていて、どんどん自分が異質だと感じることがあり、それがちょっと嫌です。さらに嫌なのはそのために、自分を隠して、あたかも周りを同じかのように振る舞って、挙げ句の果てにそれが変なストレスになって、爆発することがあることです。こんなんだったら、最初から「変人」と言われていた方がマシ、なのかもと思ってしまいます。
「孤高」の人になりたいとも思ったことがありますが、「孤高の人」ってどんなひとだろう???仙人とか、隠者とか、霞を食べて生きられれば食費が本代にまわせるのに、とても仙人になれない事を考えたり。
結局ミッドランドさんの問いかけには上手く答えられません。 かおり
武田好史 wrote:
> すると手話では、「片づける」という言葉は、「物を集めてきれいに並べる」というふうに表現するようです。「空間」を片づけるという表現はないのです。
> つまり、同じ様な物を集めてきれいに並べていけば、自ずと空間がきれいになるという発想なのでしょう。なんか目からうろこが落ちたような気がしました。
私の部屋は本だらけです。友達が来てもスペースがない。幸い、この友達は人間が出来ていて、部屋を片づけてくれる。でも、その方法を私たちは 「物質移動」と名づけていました。空いている本棚に本を入れていく、または本を部屋の端に寄せる。これで、お茶をする空間ができましたが、結局どこに何を置いたかがわからないので、1日でもとどおりですね。そう、私の片づけに「同じ様な物を集めてきれいに並べていけば」の部分が欠けていました。
今の部屋は少しましな かおり
殺人を犯しても罪の意識を感じない心のないサイコパスと言われる人種
彼らは、なんのために生まれてきたのか
自分もそうなのかな 利己主義 無責任 悪知恵
あんなひどい事はするわけないけど、気持ちが揺れ動かない
実感できない 自分をもてない 夢の世界から抜け出せない
時間がとまっている 時間は心が創る
過去の記憶がランダムにばらばらに浮ぶ ボケなのか
夢にはいつも小学時代の友達がいる
毎日、なにもなく同じ日がつずく 仕事もせず 遊ぶ能力もない
昔はよかったなあ 元気だったなあ はあ
家のなか 寝たきりだったり 意味もなくおきる 変わらない
ご飯だよー 食べる 終わる 無だ なにもない
むなしい わたしは分裂病なのか 振りをしてるだけなのか
ため息
都会はすごい苦手 他人の目が気になる 自分はすごく場違いな感じ
不自然 不審 陰湿 田舎者
人前で堂々と携帯でしゃべれるのがすごい 自分もってるなあ
みんな結婚して子供産んで親になっていってしまう おいてかれる
自分はそんな意思がない 人間的に壊れている
病気じゃないから直る可能性がなくて残念
僕は人格障害者なのか? 精神科いってもお金とられるだけで意味ない
精神障害者には意味有るが人格障害者は確認をするだけだろうから
どうしようもなく、普通の人と同じ環境ですごさないといけない
Maria wrote:
> 「Maria様」とか呼ばれると、かなり居心地が悪いです。
"Maria" という名前だけ見たら、私も反射的にサマをつけたくなるかもしれません。
> あたし自身はべつに公的な(行政上の)保護なんか受ける必要を感じていませんが、「AS児のお母さま」と言ったときに「AS」については、おおむね学習障害の一部としてのASが問題にされているので、それこそ行政上の区分が重要になってきます。
> みどりさんやあたしは「こっち側(社会的に適応した立場)」からASの子供たちを見て「迎えいれる」立場ですが、社会に「送り出す」立場のお母さまがたにしてみると、「公的な保護」について気にせざるをえません。
> 「療育」や「特種学級」といった選択肢についても思うところがありました。
ああ、まさに線引きのしかたについて気になってたんですね。
> あまり整理のつかないまま発言しちゃったので、ちょっと申し訳なく思っています。みどりさん、それにみなさん、ごめんなさい。
申し訳ながることはなにもないと思います。
Maria ちゃん、普段は発言する前に一人で行ける限界まで行ける人なんでしょうね。でもたぶん、それができる人はそう多くありません。
> こういう発言のスタイルって、あたし好き。「みどり」という名前も、いいなぁ、都思います。
そう言われると舞い上がってしまうじゃないですか。
> ちなみにロシア語では「赤い」は「美しい」の意味で使われ、エスペラントでは「緑の」は「よい」という意味で使われます。
色から想起される感情というのは、どこから来ていて、どの程度人類に共通のものなのか、とても興味があります。
ASの人に特有のものもあるのかしら。
Tien wrote:
>最近思います。私は通常、特に朝は全然頭が働きません。でも薬を服用すると
>楽になります。どうしてこんななんだろう。薬は自分を守る鎧みたいで、
>それがないと動けない自分が、なんかつらいです...。
私もここ数日の薬の禁断症状と思わしきもので、また薬嫌いになってしまいました。
ああ早く飲まなくてもそこそこに過ごせるようになりたい。
みき wrote:
> わたしにはちゃんと「悲しい」という気持ちを持っています。でも、普通の人が>悲しいと思うときにはわたしは悲しみを感じない。
> 池田小学校の事件のニュースを学校のクラスの人と見ていたときも、みんな口々>に「かわいそう」、「ひどすぎる」と言っていました。その中で、わたしは他人の>苦しみや悲しみを何も感じることができないことがつらかったです。
> どんなに普通らしくふるまうことができたとしても、「こころ」までは普通には>なれないのですね。
「悲しい、かわいそう」と言うことが、本当の優しさかどうかわからないです。
普通の人が悲しいと思うことと、ASと言われる人が悲しいと思うときは、私は同じだと思っています。それは、自分にとって、大切なものを失ったときなどです。「いやだ。」「返して。」「元通りになりたい。」というときです。
普通の人は、時に相手が悲しいであろうという状況に立ったときに「かわいそう!」という術を身につけています。その言葉の裏には、「自分はそのようになりたくない」とか、「普通だったらそんなことしない」とか「自分は犯人ほど悪い人ではない」というような意味合いをも含んでいると思います。
それで、「かわいそう」と言ったからといって、相手の身のレベルまで悲しめる人がどのくらいいるでしょうか。涙する人たちは、ある意味、自分と被害者を置き換えて考えているのです。「これが、自分の家族だったら……」「怖かっただろうな」「痛かっただろうな」と。
また、理性の面で「この子が生きていたならどんな未来があったかもしれない」と悲しむ人もいます。
でも、自分は実際、被害者ではない。痛みもない。だから普通の人だって、空想のレベルの悲しみです。
だから、そんなに悲観する事はないと思います。
それより、「かわいそう」と言っている、同じ口で、悪口や人を傷つける言葉を言えることの方が問題かも知れません。
みき さんwrote:
> わたしにはちゃんと「悲しい」という気持ちを持っています。でも、普通の人が悲しいと思うときにはわたしは悲しみを感じない。
> 池田小学校の事件のニュースを学校のクラスの人と見ていたときも、みんな口々に「かわいそう」、「ひどすぎる」と言っていました。その中で、わたしは他人の苦しみや悲しみを何も感じることができないことがつらかったです。
> どんなに普通らしくふるまうことができたとしても、「こころ」までは普通にはなれないのですね。
人が悲しいと思うときに悲しいと感じられない分、
人が悲しいと思わないときに悲しむことができるのではないでしょうか。
もしかしたらそれはとても大切なことかもしれません。
最近思います。私は通常、特に朝は全然頭が働きません。でも薬を服用すると
楽になります。どうしてこんななんだろう。薬は自分を守る鎧みたいで、
それがないと動けない自分が、なんかつらいです...。
変なカキコで済みません。
なおみの夢 wrote:
>ASを支えて行くってどういうことだろう。
>私もASを知り、大切に思ってあげたいと願う一人ではありますが、今そのことに
>疲れています。
こんばんは。なおみの夢さん。なんだか私の両親の思いのようで、
ちょっと涙が出ました。私もそういう思いをさせているのだろうと思います。
>本人がASと知らないということが問題なのだろうか。多分人とは違うということは>理解しているのだろうと思いますが、知能が高かったがゆえに、カバーできてしま>い、苦労していないと思います。
>自分が人と違うという事を、頭がよい、悪いで区別して考えてしまうのです。
>自分と違うこういうやり方は、頭が悪いからできないのだとか、自分の言った言葉>(主語が抜けていたり、説明不足だったり)を理解できないのは、頭が悪いから
>だ。と、いった風で、自分側にも問題があるとは思っていないのです。ある意味幸>せですよね。
それはなかなか辛い問題ですね。ASということは本人は知った方が良いと私は
思います。
>私のそばにいる大人のASは、ある意味で純粋で素敵です。
>でも、自分を知らない彼は、知らない故にとても人を傷つけ、苦しませます。
>彼は自分の世界に忠実に生きています。だから「障害」にはならないでしょう。
>ASのつらさってなんだろうと思います。どこまでつらいと思っているのかしら。
>と、知りたくなりますが、私の見える「赤」と他の人の見える「赤」とは違うだろうからそれを推し量るわけにはいかないのですよね。
>親であっても、夫婦であっても・・・。
変なたとえですが、大型犬のしつけを思い出しました。
大型犬は小さいうちはそれは可愛いですけど、大人になって同じように人間に
のしかかったりすると危険なので大きく成長しだした時期にしっかりしつけなければいけません。大きくなった体で人間に抱きついたら、その時足を軽く踏んで
「いけない行為」だと教えるわけです。
犬は自分の事を分からなければいけないし、人間は犬に人間のルールを教えなければ共存はできませんよね。
外国人の方との交流でもそうでしょう?玄関で靴を脱ぐ事を教えるとき、
日本人は「この人達は靴は脱がない習慣なんだ」と理解し、彼らは「日本人の人々は家では靴を脱ぐ習慣なんだ」と理解し、歩み寄りが生ずると思うのです。
>でも、言いたい。傍でASを支えている人の大変さを解って。
>解らなくてもいいから、学習して。
>私にASの苦しさがわからないと同じで、ASの皆さんもわかって貰えないつらさが
>あるかも知れない。
>でも、感謝の言葉ぐらいいえるよね。
>共感が持てないから、言えないのかもしれない。でも言わなくちゃいけない時が
>あるんだと学習して欲しい。
それは性格にもよるんじゃないでしょうか。私はちょっとした経験を積み重ねて、
「自分が感謝していても言葉や行動で表さなければ決して他人には伝わらない。」
(今思えば当然の事なのですが)骨身にしみました。
今は何かして貰ったらすかさず「ありがとう」と言うようにしています。
その方は言っても馬耳東風なのですか?
>ごめんなさい。そんなことわかっとるわ。という人の方が多いよね。
>こんな事言われる事がASのつらさなのかも知れない。
>苦しさまぎれに心が叫んじゃった。安定剤のせいか、難しい事が考えずらくなって>いるのかな。支離滅裂でごめんなさい。聞き流してください。吐き出してしまいた>かったなおみの夢
対人訓練も大事だと思います。「あなたがこうすると人はこう思うのよ。」
とか「こういう場面ではこういう風に対処するのよ。」とか。
意外と本人は欠点に気づいてないかも知れないし、積み重ねで学習は必要だと
思います。誤解のないように聞いていただきたいのですが、ある食堂で
知的障害者の方々が引率者と一緒に食事を取られていました。そしたら、
いっせいに彼らは「頂きます!」と言われたのです。
それまでかなり苦労があったみたいなことをあとでちらっと引率者の方から
聞きました。でも何度も何度も嫌がっても、そういう訓練(日常的な訓練全般)をしないと、いずれは彼らが他人から誤解をうけ、結局苦しむのは彼らだとも言われていました。
なおみさん、辛いことはどんどん言った方が良いと思います。そうでないとすれちがいのまま自分だけ自爆して取り返しの付かないダメージになる恐れもあります。
私は家族とはここ何年か徹底的に会話するようにしています。
話さないでも分かる、というのはあくまで日本人の創り出した理想論的幻想だと
私は思っていますから。
お体&心お大事に...。心配しております。
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