アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
ウミノモクズ wrote:
>
>「ろうあ」+HIVの場合、、
>病気の理解の無さから 人間関係がうまくいかなくなり
>仕事を辞めなくてはならなくなった男性がいます。
>
>+βで 共存は難しくなります
>
>
私は以前、ある福祉作業所でボランティアをしていました。その作業所に1人ですが、「ろうあ+知的障害」という女の人がいました。その人とみんなは、職員の方がその人の手話を読みとって通訳するということで、初めて意志の疎通ができました。
その人は、とても知りたがり屋でお節介なので、けっこうトラブルメーカでした。でもそれはよく考えてみれば、「孤独でたまらない」「何とかして自分をアピールしたい」ということだったと思います。私がいた間に一度ですが、職員の方を「どうして判ってくれないの!」と突き飛ばしてしまったことがありました。
朝はいつも一番に、その人は作業所に現れていたようです。よく自閉症の人たちと一緒に袋のひも付け作業ををしている私の所に来て、仕上げたばかりの刺し子の図柄を見せてくれました。音楽療法の時は、太鼓の音の振動をことのほか喜んでいました。朝と帰りの会では、新聞で読んだことを必死になって話してくれました。私の服装のだらしがない所をよく指摘してくれました。
そんな彼女と「コミュニケーションできるようになりたい」、それが私が手話を覚えたいと思ったきっかけです。もっともASで、物の動きを目で追う・頭の中のことを表現する・適切な覚醒レベルの維持が苦手な自分には、手話を身につけるのは非常に難しく、習い初めて2年たった今でもまだようやく独り言が言えるようになったくらいです。けど少しずつ、少しずつ表現できる言葉を増やしていきたいと思います。
こんばんは。最近自分で改めて気が付いたのですが、
「(やみくもではなく)例えば、カードみたいなものを作成するように、きちんと
線が引いてある紙を切ること」で、とても気分が落ち着くことに気づきました。
あと、それとは逆に、冷蔵庫にマグネットで止めてある紙がきちんと揃っていない、または書類が揃っていないと(特にはじっこが)、とても嫌になることにも気が付きました。単に私が神経質なのでしょうか?そういう方いらっしゃいますか?
ゆーりさん wrote:
>ゆうろさんの書き込みを見て、卒論でとりあつかったコメニウス
>を思いだしました。
>コメニウスは17世紀の人で、世界初の絵入り教科書『世界図会』を
>書いたので有名な人です。
>薔薇十字団を通して、後世のシュタイナーとも関連があります。
コメニウスといえば、『大教授学』を書いたひとですよね。
アイザック・ニュートンも「薔薇十字団」の、メンバーだと言われています。特にニュートンは、「近代科学の祖」というより、「最後の錬金術師」だという評価をしたひとがいます。
同じコメニウスの影響を受けながら、ルドルフ・シュタイナーの「教育は芸術である」というテーゼとはまったく逆の、「教育は科学である」というテーゼに基づいて「水道方式」を開発した遠山啓(とおやま・ひらく)さんです。
あたしはここ数年、三十年戦争当時のアルザス地方について興味を持って調べています。ヨーロッパの十字路、歴史の分岐点、そしてゲルマンとラテン、新教と旧教の衝突点。ヨーロッパ史が凝縮したような時代と場所だと思っています。
おもしろいですよね。
(Maria)
はじめまして、ノバラと申します。
ゆうろ wrote:
>バスとか、電車とか社会的な交通機関を使ってるような人が苦手です
>あんなに人がいるのにキョロキョロしないで堂々としてるのが僕には無理
>都会に行くと自分はすごくちんけな存在だと感じる
>自信がなくなる場所だ
電車、とくに山手線のような向かい合わせの座席にちらほら人が座席につ
いているシチュエーション。人は人を観察している。なにも悪い事してな
いのに目が合うとドキドキする。心臓が張り裂けそうになる。だからいつ
も本を持って読んでる振りをする。
>特に高校生は、強力な輝きをはなってて近寄りずらい
>なんでそんなにいかにも高校生なんだあ とか思う
>他にも、いかにも会社員だったり、いかにもフリーターだったり
>みんな自分のキャラというのがしっかりしてる
>オタクだと外見でわかる ギャルだと外見でわかる
>それぞれの人が街の一部、手や足になり精一杯生きてる
>みんな 配役をもらっている
>いじめられて悩む人も、いじめるひともそれも役だろう
主役もいれば脇役もいる。光と影。
>お互い欠けているところを補完するためできた必然的なものだ
>問題なのは、この地球史の物語を放棄してしまったことだ
>役者じゃなくて観客になってしまった しかも無反応の客
>劇の中しかエネルギーはない
>だから自分も、なにか役をもらわないといけない
もし叶えば、自分で役を勝ち取りたい!
>他人から評価されたとき再び自分を知るだろう
>真面目な人だね とか 無口な人とか思われて
>最低レベルの役をもっらたことを実感するだろう
実感、現実を感じること?登場人物になって現実に参加すること?
>実感できれば成功だ スタートだ 本物の時間が再びながれだした
>劇の中の登場人物になれたのだ
>このシナリオが僕の理想なのです
わたしがまだ自分の習性に気付いていない時、やたらと言葉ではない
表現を求めてジャズダンス、舞、アメリカ人のピアニストにジャズを習
ったりしました。ジャズダンスと舞(日舞のような)では発表会があり
ました。舞台にでている瞬間は至福のときでした。そこでは完璧な存
在になれるからです。言葉でないもので人に表現する、自分を堂々と
アピール出来る刹那な時間。人には何かが伝わりわたしもそれを実感
できました。
わたしも、現実(わたしにとっては人が存在する空間)の世界で登場
人物になりたい!
でも、わたしにはまだシナリオは見えない。
見つけるまで負けたくない。
なんだか良く分からないレスでごめんなさい。
ゆうろ wrote:
>それぞれの人が街の一部、手や足になり精一杯生きてる
>みんな 配役をもらっている
ゆうろさんの書き込みを見て、卒論でとりあつかったコメニウス
を思いだしました。
コメニウスは17世紀の人で、世界初の絵入り教科書『世界図会』を
書いたので有名な人です。
薔薇十字団を通して、後世のシュタイナーとも関連があります。
『世界図会』は、世界の万物を絵に表し、まるで劇のように見せることで
子どもがありとあらゆることを楽しみながら学べることを目的としていました。
「学習者としての子ども」=「観客」となります。
これを研究していて思ったのは、
コメニウスには、きっとこの世の出来事がまるで劇の中のもののように
思えたのだろうな。ということでした。
ときは30年戦争、疫病大流行、魔女裁判、新教大弾圧で
ヨーロッパの人口が3分の1に減った時代。
ユートピア思想がもてはやされ、デカルトが登場し、近代科学の勃興で、
ヨーロッパの思想が大転換する時代。
神の摂理は、超然としてそこにあるのに、
人間というのは自分が宇宙に組み込まれて
きちんと役回りを果たしているとも気づかないで
じたばたして、殺しあったり憎みあったりして、
なんとあわれでおろかな生き物よ、というのがコメニウスの考え。
でも、もし神が不在なら、
ますますもって、人間は、トンチンカンな役をおたがいに割り振って、
悲しいピエロを演じている、不条理な生き物のような気がする。
観客には、だれもなりえない。
みんなが、そこに、組み込まれているから。
なんか、まじめに語ってしまった。ひまだったら、読んでください。
> 一方、歯科技工士の場合はコミュニケーションなど関係なし、相手にするのは石膏や金属、ガスバーナーや研磨の機械といった、専ら「モノ」です。
> コミュニケーションで余計な苦労をする分を、技術の方にまわせるのです。歯科衛生士の場合、この両方をたずさえてなければなりません。
>
> また、「ろうあ」であることが、歯科衛生士は欠格条項にひっかかりますが、歯科技工士はOKです。やはりコミュニケーションの頻度の違いからです。現に、ろうあで歯科技工士を務めている人は多数います。
>
> このように、性格も適性も正反対な職業が、歯科医療の世界ではうまく共存しているのです。
> ASと「いわゆる普通の人」の共存ができる、そんな世界のように思います。
>
> 神が授けた「一握りのチャンス」を存分に生かしたい
「ろうあ」+HIVの場合、、
病気の理解の無さから 人間関係がうまくいかなくなり
仕事を辞めなくてはならなくなった男性がいます。
+βで 共存は難しくなります
Maria wrote:
> 「罰男」
> →「人に認められたい」という欲求が強いのだが、判断力や自制心などが
>欠けているためたいていトラブルを起こし、そのトラブルを収拾・隠蔽しよう
>とする努力がさらにトラブルを拡大する、といったタイプの人物。
ぴよさん wrote:
>私は典型的な「罰男」なんですけど、
>仕事をしないと生活していけなさそうだし、困っています。
>どうすれば/どうされればよいのでしょうか。
かつて私が勤務していた会社には、「棒」という制度があった。
壁に人名を記した表が常時掲示してあり、誰かが「罰」な行動をすると、被害に遭った人間が合議した上でその「罰度」に応じてポイントを科し、その人物のところにその「罰ポイント」が加算される(「正」の字の一画一画で示されるため、これを「棒」と呼ぶ)しくみになっていたのである。
で、この「棒」は飲み会のときに一本千円で清算されるのだが、これはそれほど本質的な部分ではない。
この「棒」の数がその月で一番多い奴が「月間罰男」とされ、全員からの批判を甘んじて受けねばならぬ、ということになっているのである。
で、これは「責める」「謝る」みたいなものではないのね。あくまで「質問」「説明」です。罰男は、自分がいかなる原因によっていかなる行為を行ない、それがいかなる影響を及ぼしたかを自分の口から説明し、自分がいかに愚かであり、その愚かさを克服するためにいかなる努力をしたかということを、全員が納得するまで説明しなければならないわけです。
「罰男」の特性は、「すぐ忘れる」「舞い上がる」の二点です。で、「謝りゃ済む」みたいに思っています。
ところがこのシステムでは、少なくとも一ヶ月間は自分の「罰」を意識していないと「月間罰男」への道が待っているのね。しかも「謝って済むもんじゃない」ということも覚えなければならない。同じ間違いを二度したら「無期限罰男」とみなされ、「無期限罰男扱い」が解除されるまでは職場でのステータスがどん底にまで落とされる、ということ覚悟せねばなりません。
で、一ヶ月の期間が明けたからといって、油断はできないのね。「上半期罰男」「下半期罰男」「年間罰男(部門別)」みたいなのまでしっかり用意されているわけです。
で、その時期が近づくと、
「今月は×川の罰男で決まりだな。だいたいあいつは構造体の使い方がむちゃくちゃだ」
「いやいや、×山とのダブル受賞もありうるぞ。あいつは設計の詰めが甘いから、真際になってでかいのが出る」
みたいな話にもなってくるわけですよ。
つまり、職場にいる全員が、
・(自分を含めて)誰がどういう弱点を抱えているか
・どういう状況のときにどういう「罰行動」を起こすか
について、常に緊張状態を持って相互に監視しあっている、という状況ができあがるのですね。
ソフトウェア開発において、これほど望ましい状況があるでしょうか。
そのうちお客さんもこの制度に自主的に首をつっこんできたりします。
客先でプログラムをいじっていて、「うっ……」とかいって詰まると、
「……これは棒かなぁ?」とか言われます。
「いやいやいや、大阪くんだりまで来て棒背負って帰りたくありませんから」
「棒も荷物になるでぇ? 新幹線乗れるか?」
「はっはっはっはっは、スキー宅配便で送ったります!」
横で聞いてる事情を知らない人が変な顔をしてたりします。
納品物件を納めて帰ると、会社に得意先から「棒でっせ〜!」と電話が掛かってきます。
「△△の機能、メニューに入っとらんやないですか」
「だからそれ、メニューアサイン変えたでしょ? ○月○日付の○○っていう文書で確認取ったやないすか。」
「そっか……惜しかったなぁ……」
こんな感じで気が抜けません。「ええい、行っちゃえ!」みたいな見切り発車をしてそれっきり忘れちゃう、みたいな態度が減ります。そのつど、きっちりきっちり確認しながら仕事を進めるようになります。
この方法、なかなかに苛酷ですが効果的です。
もっとも、これをやると罰男は「こんな、職場の人間関係を悪くするような制度は人権侵害だ! 即刻廃止すべきだ!」とか言いだすんですが。
(KILROY)
あさかぜさんwrote:
> 児童文学になじみのない方にはつまらない話題でしょうから、読み飛ばして
>くださいね。
大人にも面白い子供の本は以外に多いです。「ちくま子供の本」シリーズの中の石田五郎さんの『天文台日記』は、何度読みかえしたか分かりません。
> 昔自分の読んだ本を、いつか娘が読んでくれたらいいな〜と思い、それにつ
>いて語りあえたらいいな〜と密かな楽しみを胸にいだいています。
子供の頃に読んだ本が、思い入れが強すぎてずっと捨てられませんでした。
エリナー・ファージョンの『ガラスの靴』
トーベ・ヤンソンの「ムーミン」シリーズ、『たのしいムーミン一家』、『ムーミン谷の冬』、『ムーミン谷の彗星』、『ムーミン谷の夏まつり』、『ムーミンパパ 海へゆく』。
それを青りんごさんのお嬢ちゃんに差上げたら、熱心に読んでくださっているそうです。本にとっても本望だと思います。
あとは、谷川俊太郎さんの『かさをささないシランさん』(←ちょっとテーマが重い)や、『アンノのアルファベット』の日本語版、安野光雅さんの『へそまがりのアルファベット』、レイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』、コンラート・ローレンツの『ソロモンの指輪』。
『つぶやき岩の秘密』の作者はあの『強力伝(ごうりきでん)』や『アラスカ物語』の新田次郎さん。NHKでドラマ化され、石川セリさんの歌った主題歌がよかったけど、あのラストはなんだぁ〜! NHKのばかやろぉ〜! 視聴料返せぇ〜! ついでながら『笛師』はおすすめ。
筒井康隆さんの『時をかける少女』もありましたね。筒井さんのエッセーに「子を持って知る子の恩」というのがあって、近くの公園で、息子さんがブランコに乗りながら『時をかける少女』(原田知世が出演した映画のほう)のテーマソングを歌っているのを聞いて思わず涙したそうです。
寺田寅彦先生が雑誌『赤い鳥』に書いた『茶碗の湯』というエッセーもよかったです。恩師である日大の牧野光雄先生が熱対流の理論に興味を持ったのはこのエッセーがきっかけだったとか。
あとは忘れてならない『ファーブル昆虫記』。「子供の本」じゃないんだろうけど、子供のときに読んでおいてほしい本です。子供に『ファーブル昆虫記』を読ませる、というのは「押しつけ教育」じゃないと思うんだけどどうだろう。
子供の頃に読んだ本で印象に残っているのは、岩波新書に入っていて最近岩波文庫で出た松田権六さんの『うるしの話』。これも子供向けの本じゃありませんけど、面白かったです。
ちくま文庫、詩人の天沢退二郎さんが書いた『光車よ、まわれ!』。泣いたなぁ。ファンタジーの傑作です。
こういう本は、子供に伝えていってあげてほしいと思います。そして、あたしもそんな本を書きたいと思っています。
(Maria)
>わたしも似てます。
>わたしは自分の言葉や目線を普通にしようと意識するあまり、あまりの緊張の反動か、人が言葉を噛んだり、面白いいい間違えをしたり、どんな人が見ても笑ってしまうようないわゆるずっこけみたいなことが笑いのツボに入ってしまって笑い出すと抑えが効きません。
何故か面白いんですよねーこれが(笑
こう言うときに「そういう事ってあるよねー」って言ってくれると良いんですが、そうもいかないですね。一人だけ言ってくれた人がいました。僕の恩師でした。が、「キチガイだ!」と言う人が多いです。
「感情が乏しい」と言われてた時期に頻発しました。必ず一年に一回、授業中に笑うという現象が起きたものです。僕の考えでは、「感情を表に出さない」→「着々と溜まる(多分火薬)」→「何気ない事で爆発する」と言う考えに至りました。今でこそ、よく発散させていくためか少なくなりましたが、「少なくなっただけ」なんです。一生付きまとうのかなと思います。
> でも会社(銀行でした)で馬鹿笑いしたり、ニヤニヤ一人笑いすれば上司
>(向かい合わせの席で、アイコンタクトが難しいわたしには地獄でした)や
>同じ課の人から常識はずれで気持ちの悪い人と思われてしまいます。なので
>会社にいた時は笑いのスイッチの元をOFFにし反応しないように、でも笑
>うところという時にはほどほどの笑いを演じました。
これって窮屈ですよね……文字通り地獄だと思います。外へ出たいのに我慢してサウナに入るみたいな。僕はいつも会社からネットしてますが、よく「口を押さえて」笑ってます。その分キョロキョロして余計こっけいですけど。(笑
> 会社だけでなく友達(今は自分が落ち着かず連絡をとっていませんが)とい る時にもそういう操作のようなことをします。
> そんな時には、物体としてのわたしは空間に存在してるけど、精神的には存在
>していない。悲しい・・・
表面だけ取り繕っている(というか安心できない)友達って、総合すると「知人」レベルって事なのかな……?
> だから本当に心の底から笑えるときは一人でTVでお笑いをみたり(これは 相手がTVだからどんな反応をしてもいいし相手から自分が見えないし笑いの 反応が自由にできるから)した時とか、がっつりわたしもこの空間に参加して
いる感が味わえます。
……うーんそうすると、やっぱ一人でいたときが一番自分をさらけ出せるから安心……難しいですね。そのうちネット上で顔が見えたら「さあ大変」ですね。(;;
> 最近、街ですれちがったベビーカーに乗った赤ちゃんが笑いかけてきたので
>すが意味のない笑顔のやりとりにその赤ちゃんとの共感がもてました。なんか
>すごく嬉しかった。人との共感に飢えているんだなぁ。
何気ない事がうれしい事ってよくあります。他の人からは「意味無い」と言われますが、「全て意味のある事をしなくちゃいけないのか!」と問いたいし、言ってます。←これ自体意味の無い事だと思われていますが。はーあ。
> 「まだまだ人生は長いですから頑張りましょう!」と言い切る若さがキラキラしてます。とにかく名加野さんレスありがとう、嬉しかったです。
こちらこそ。僕もまだまだここにいる人達には受け入れて貰えてるのかどうか分からないので、返事が来るとうれしいです。これを機会にどんどん書かれてはどうでしょうか? その分何もレスが来ない&手痛い反撃がくるのが一番痛いですけど(笑
るおう wrote:
>ゆうろ wrote:
>>特に高校生は、強力な輝きをはなってて近寄りずらい
>>なんでそんなにいかにも高校生なんだあ とか思う
>私も。。実は。苦手。あの時,,自分が高校生だったから苦手だったのかと思ったけど。。高校時代から時間がだいぶたっているのに、、、やはり、、外で見かける高校生が苦手。特に,,強力なイメージの高校生。すごく苦手。制服きて群れているせいだろうか???
>一体なんだろう。どうして嫌いか。。一人でいない高校生は、嫌いだ。一人でいる高校生は、大丈夫かな。ある種の高校生がきらいなんだ。
僕も嫌い、特に派手な格好をしていて話し声がうるさい奴らが嫌い、奴らはいつも群れを作っていて、障害者を差別してくる、奴らはいつも「でたー!!障害者だ!!」「みんな逃げろー!」「チョーキモい〜」「歩き方が変」「近寄らないで〜、気持ち悪いから」「早く死んで〜」「死ね!」「消えろ!」と言ってくる、僕はそうゆう奴らが一番大嫌いだ!
こんにちは。
僕の世代では、アニメ某お坊ちゃまクンでの「チャマ語(死語)」というものが流行っていましたので、特に2つの意味を合体させるのがよくありました。だから逆にその当時は言葉を作って「暗号文化(?)」ばかりやっていたような気がします。
ですから、こちらの自分だけ語は、パクリが多いです。
「意味不明」=「訳ワカメ」
「やられた」=「やられモ(モ)ンガー(友達が作ったのが定着)」
「すごいおいしい」=「カユウマ(バイオハザードまんまです)」
その中でも自分語は
「五月蝿い」=「はえくさい」
「気絶」=「暗転まっ逆さまー」
というのがありました。どちらかと言うと、「既存の漢字の読みが、違う読み方になる」と言うのが多いと思います。
こんにちは。
今夜の日食ネット中継を楽しみにしている、あさかぜです。
うちのAS児は『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』の発売を待ち望んでいます。今年七月にやっと出ます。わたしは英語文を漠然と読むことはできるけれど、翻訳する能力はないのでやはり邦訳が待ち遠しいです。
児童文学になじみのない方にはつまらない話題でしょうから、読み飛ばしてくださいね。
昔自分の読んだ本を、いつか娘が読んでくれたらいいな〜と思い、それについて語りあえたらいいな〜と密かな楽しみを胸にいだいています。
娘はハリ・ポタから入るけど、もし『ナルニア国ものがたり』や『メアリー・ポピンズ』や『ムーミン谷』のシリーズを好きになってくれたら……。『ホビットの冒険』『指輪物語』、『モモ』『はてしない物語』etc.etc.
『つぶやき岩の秘密』だっていいわ。自分の子供に語り継げる物語があるってことは幸せなのかもしれません。「マイ・ファンタジー」とあい通じるものがある物語と出会ってくれたら……彼女の世界の幅をひろげる役に立つんじゃないかと思います。
とはいえ、子供は生き物……親の望むような方向へ行くとは限らないところが、またなかなか!です(苦笑)。
アニメばっかり見てて、ゲームに夢中で、それでも子供は「何か」を学んでいるので、親をやってて楽しいです。(いつもではないですが〜)
めずらしく母親をしてみた、あさかぜでした。(ふほほ)←照れ笑い
シュッツさん wrote:
>理工系の本には「スペクトラム」を使うものも多いですよね、だからどちらを使っても違和感を感じないです。
学生時代に写真光学の授業中に『指輪物語』を読むのに夢中になっていて、単位を落としたわたしは、理工系とは馴染まなかったかもしれません(笑)。
>「自閉圏」と「自閉症スペクトル」は別だと思ってました。
>自閉症から“健常者”に至るまでの全ての領域での、連続した変化の状態が「自閉症スペクトル」
>その中であいまいな境界より自閉症に近い領域が「自閉圏」
>私の頭の中での定義はこうです。
はっきりと定義をお持ちなのは、うらやましいです。
わたしの質問にレスをくださった、ミッドランドさん、Mariaさん、みどりさん、ありがとうございました。(って、ここに書いてもいいのかしら?)
シュッツさんもありがとうございました。
「スペクトル」「スペクトラム」共、へたに使わないほうが自分らしいかなと結論づけることができました。
みなさんのご協力に感謝いたします。
訂正。
I wrote:
> ところがこの「spektrum」が、「可視光領域」の意味で使われるように
>なったのですね。そこから「範囲/領域」という意味の「spektrum」とい
>う言葉ができたようです。
正しくは、
ところがこの「spektrum」が、特定波長領域(特定周波数領域)における強度分布(なお、多くは可視光領域)の意味で使われるようになったのですね。そこから「領域内分布」という意味の「spektrum」という言葉ができたようです。 ここから、「ある特定の性質をもった対象が分布する範囲」といった意味が生まれたと考えられます。
です。
あたしにここまで言わすなよー、KILROYさんの担当じゃないのかよー、という気がします。
Hネタでもやってたほうが気が楽だわ Maria
ミッドランドさん wrote:
> …………参りました。「キザなヤツ」ですか、僕って(いや、別に気を悪く
>しているのではないんです)。
東京大学名誉教授・国広哲弥さんは『日本語誤用・慣用小辞典』(講談社現代新書1042)の「まえがき」の中で、「慣用読みをしなかったら通じなかったり教養をひけらかしているようににびく」語として「堪能(カンノウ、慣用タンノウ)」、「消耗(ショウコウ、慣用ショウモウ)」、「洗滌(センデキ、慣用センジョウ)」を挙げておられます。「清拭(セイショク、慣用セイシキ)」「早急(サッキュウ、慣用ソウキュウ)」なんかもこれに含めていいように思います。
おそらく国広先生も、通じなかったり教養をひけらかしているように思われたりした経験をされているのだろうと思います。
うちのJoshya氏はその国広先生と大修館の『言語』という雑誌で動詞活用における音便の歴史的変化について論争をやらかしたひとです。
「気障」とか言われているうちが花、という気がします。日本語処理のプロとなると、不用意に慣用読みが使えなくなります。
> 僕って融通がきかないヤツですか?
あたしに訊かれても困りますが、「ものごとの本質にかかわる部分をゆるがせにしない」という態度を「融通がきかない」の一言で片付けてしまってはいけないと思います。もっとも、こういうことを言うものだからあたしたちは「融通がきかない」 と言われてしまうのですが。
(Maria)
Maria wrote:
> それと同じで「スペクトラム」とか言うと、「気障なやつ」くらいに思われちゃいます。
理工系の本には「スペクトラム」を使うものも多いですよね、だからどちらを使っても違和感を感じないです
> で、学術的にどうこうという話になると、「spectorum」を「範囲/領域」という意味で使うこと自体がそもそも学術的には問題になりそうに思います。それより「領域」に相当する用語(たとえば「region」)を使ったほうがいいんじゃないでしょうか。ですからあたしは「自閉スペクトル」ではなく「自閉症圏」(あるいはその略称としての「自閉圏」)という言葉をもっぱら使っていました。
「自閉圏」と「自閉症スペクトル」は別だと思ってました。
自閉症から“健常者”に至るまでの全ての領域での、連続した変化の状態が「自閉症スペクトル」
その中であいまいな境界より自閉症に近い領域が「自閉圏」
私の頭の中での定義はこうです。
ゆうろ wrote:
>だから自分も、なにか役をもらわないといけない
>他人から評価されたとき再び自分を知るだろう
>真面目な人だね とか 無口な人とか思われて
>最低レベルの役をもっらたことを実感するだろう
>実感できれば成功だ スタートだ 本物の時間が再びながれだした
>劇の中の登場人物になれたのだ
>このシナリオが僕の理想なのです
でかした!よくこのことに気がついたね!
そうなんだ!人間はこのことに気がついた時に、本当に幸せになれるんだよ!
人間万歳!君の新しい人生に万歳!
そう言われてみれば、視覚的に見てこっちの方が正しいと感じて、
霧雨=粒子雨(りゅうしあめ・りゅうしう)
って呼んでいる・・・・
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