アスペルガーの館の掲示板(旧)
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こんにちは、Motoさん
> ところがである。アメリカあたりから日本に来てみると、日本という国がどれほど天国に近い国かがよく分かる。わざわざアメリカなんていう治安の悪い国を例に挙げることもない。なんとなく理想国家みたいに思われているスイスやオーストリアあたりと比べても、日本はよほど天国に近い国である。
確かに、日本は諸外国からすれば絶対に良い国です。外国なら子供がおねだりしてくる所でも、日本には無い。それぐらい豊かであると言うのは認めます。ただ、豊か過ぎて、何かを失っている。「天国」この言葉を聞くと、「エルリックサーガ」を思い出します。関係無い話でした。
> まず、壊れた自動販売機というものを見かけない。これがアメリカだったら、路上に金と商品を無防備に置いておく奴がバカなのだ、くらいの発想があるから地方の公衆電話なんていったら半分以上が使用不能……というか、使える公衆電話を捜す方が難しい。
私はそこまで治安が悪い地域に行ってないので何とも言えませんが。
> 阪神淡路大震災のときですら、倒壊した清涼飲料水の自動販売機を目にして、「まあ、非常時やから」といって衆人監視の中で扉を壊し、被災者に一個一個配った、とかいった話はいくらもあった。たまたま通りがかった警官も見て見ぬふりをしたとか、「こんなときに商売もないやろ」といって倉庫から商品を引張り出して配った、とかいった話しがあった。こんなもの、場所が場所なら暴動モノである。
なるほど、普通は飢えた野獣のごとき行動に出るけれども。そこは良心的。信頼してるわけですね。
> こういう「共同体志向」の行動というのは、その共同体が正しく機能している、という安心感なしには生まれない。で、この「共同体志向」の制度を悪用して私利私欲に走る奴というのは、必ずといっていいほど「自分は社会の犠牲者だ」と思っている。
なんか、最終的に走りそうで自分が怖いな。
> そんなわけで、おれは「社会が腐っている」意見のうちの99.7%くらいは「性根が腐った奴の言い訳」だろうと見当をつけている。もちろんシンタロウくんや名加野くんの意見は残りの0.03%に含まれる建設的な意見に入るのだろうがね。
すんません。根性曲がってます。
> まあ、おれは日本の社会が賞味期限をいくらか超えた程度には腐っているかもしれない、というのは認める。だから、体質的に弱いひとだとちょっと身体がもたん程度には腐っていると思う。ただ私自身は幸いにして心身ともにそこまで脆弱ではなかったらしく三十代前半から数年間死ぬような思いをしたものの死ぬには至らなかった。
まあこれが「アメリカ」だったらハングリーでなけりゃ生き残れない(映画知識しかない。一応行ったけど。)ちゅうわけですね。
> で、個人的には社会が腐っているからといって自分が腐った真似をする言い訳にはしないつもりだ。すなわち私は「社会は必ずしも腐っていない」という意見を擁護する立場に立って生きてゆくつもりである。
……本当は信じたい。けれども悪い所ばかりが見えてくるんですよね。直さなきゃ。
> したがって、例えば医療ミスを隠蔽しようとカルテを改竄あるいは捏造した病院スタッフが懲役二年、とかいうのを私は認めない。それは患者個人に対する罪というより、医学に対する罪である。こういう奴は、医道に対する心得を欠いている。すなわち不心得者である。
> 古来、日本においては「不心得者は切腹」というのが定法である。
> したがって、医療ミスを隠蔽しようとした医療関係者は「医道不心得につき切腹」。警察の不祥事隠しを行なった警察官は「士道不心得につき切腹」。それで構わんと思う。
> なお、「切腹」というのは、「決して私心から行なったことではございません」という本人の言い分を認めた、という意味で恩情判決である。金を受け取ってどうこう、といった話なら、市中引回しのうえ磔獄門が相当であろう。
古風に「侍魂」って所ですか。……かっこいいけど、引きますね。
> 結論である。国家、社会、医療制度、司法制度、教育制度といった国家レベルの「共同体」「制度」に対する信頼感は国家的資産である。それを損なう行為はテロリズムだ。したがって個人に対する罪とは別に扱われるべきものだと思うのだが如何。
別ってことは、2重に裁判をやるって事ですか? うーん、長そうですね。まあ、最終的に納得すれば良いのか。ということは、それ専用の裁判官を作らなきゃ。
Tien wrote:
>こんばんは。最近自分で改めて気が付いたのですが、
>「(やみくもではなく)例えば、カードみたいなものを作成するように、きちんと
>線が引いてある紙を切ること」で、とても気分が落ち着くことに気づきました。
>
>あと、それとは逆に、冷蔵庫にマグネットで止めてある紙がきちんと揃っていない、または書類が揃っていないと(特にはじっこが)、とても嫌になることにも気が付きました。単に私が神経質なのでしょうか?そういう方いらっしゃいますか?
うちの夫もどきが同じです。
重ねた書類は寸分の狂いもなく揃ってないと、だめです。
ほかにも、食品は在庫が一品以上ないと許せないらしい(うちでは、ソースやドレッシングなど、なくなりかけた時に新品のそれらがないと怒鳴られます。絶対に在庫として2個は買っておきます。)
新聞は届くとすぐに決まった所にホチキスで三箇所とめます。それからじゃないと
絶対読まないし、読ませません。
他にもたくさんあります。
すべて、そうしないとたまらなくいやになるらしいです。
神経質というか、AS特有のこだわりのひとつなのかなーと思っています。
わたしの落ち着く行為としては、手芸的なこと。
なにか一人でもくもくと、ちまちまとやる行為です。
編物、刺繍。これは子供のころからはまっていて、刺繍の本を読んでいるだけでも
幸せ。縫い物も好き。
Tienさんみたいに、きっちり揃っていないとだめ。ってタイプではないけど
縫い物などは、きっちりとはかって端の始末からなにから、徹底的に美しく
しないとだめです。
人がてを出してきて雑にされちゃうといやになります。
私このごろ普通の人だったよなーと疑問に思うようになりました。
みちることなおみの夢
こんにちは、ノバラと申します。
3 wrote:
>1 子供の頃、目の前に虹色のつぶつぶが、漂っていた。きれいだった。
> 他人から見れば、虚を見つめているみたいだったかも。
わたしは白い水玉模様が見えることがあります。あと、シャボン玉の泡
をよくみると虹色の模様のようなものがみえることもあります。
>2 鉄琴や南部鉄の風鈴、グラスの高い響きが好き。
>3 他人にも気持ちがあると、気がついたのは中学生の時。
>4 人間が苦手
今は同じ空間に複数のコミュニケーションをとらなければいけない人間
がいる場合(職場、美容院など)もう頭の中がぐるんぐるんしてきて心
臓がドキドキ目に見えるくらいです。
でも人の表情をみるのは好きです。笑ってる顔とか頑張っている顔とか
・・・矛盾?
シンタロウくん wrote:
>皆さんは「日本の社会は腐ってる!」と思ったことはありませんか?
名加野くん wrote:
> 思いきり思ってます。日本だけじゃなく世界に対して。
樽一杯の汚水にコップ一杯のワインを加えると、樽一杯の汚水ができる。
樽一杯のワインにコップ一杯の汚水を加えると、樽一杯の汚水ができる。
こういう考えかたをすれば、「日本の社会というのは腐っている」くらいの結論はすぐ出てくる。
ところがである。アメリカあたりから日本に来てみると、日本という国がどれほど天国に近い国かがよく分かる。わざわざアメリカなんていう治安の悪い国を例に挙げることもない。なんとなく理想国家みたいに思われているスイスやオーストリアあたりと比べても、日本はよほど天国に近い国である。
まず、壊れた自動販売機というものを見かけない。これがアメリカだったら、路上に金と商品を無防備に置いておく奴がバカなのだ、くらいの発想があるから地方の公衆電話なんていったら半分以上が使用不能……というか、使える公衆電話を捜す方が難しい。
阪神淡路大震災のときですら、倒壊した清涼飲料水の自動販売機を目にして、「まあ、非常時やから」といって衆人監視の中で扉を壊し、被災者に一個一個配った、とかいった話はいくらもあった。たまたま通りがかった警官も見て見ぬふりをしたとか、「こんなときに商売もないやろ」といって倉庫から商品を引張り出して配った、とかいった話しがあった。こんなもの、場所が場所なら暴動モノである。
こういう「共同体志向」の行動というのは、その共同体が正しく機能している、という安心感なしには生まれない。で、この「共同体志向」の制度を悪用して私利私欲に走る奴というのは、必ずといっていいほど「自分は社会の犠牲者だ」と思っている。
そんなわけで、おれは「社会が腐っている」意見のうちの99.7%くらいは「性根が腐った奴の言い訳」だろうと見当をつけている。もちろんシンタロウくんや名加野くんの意見は残りの0.03%に含まれる建設的な意見に入るのだろうがね。
まあ、おれは日本の社会が賞味期限をいくらか超えた程度には腐っているかもしれない、というのは認める。だから、体質的に弱いひとだとちょっと身体がもたん程度には腐っていると思う。ただ私自身は幸いにして心身ともにそこまで脆弱ではなかったらしく三十代前半から数年間死ぬような思いをしたものの死ぬには至らなかった。
で、個人的には社会が腐っているからといって自分が腐った真似をする言い訳にはしないつもりだ。すなわち私は「社会は必ずしも腐っていない」という意見を擁護する立場に立って生きてゆくつもりである。
したがって、例えば医療ミスを隠蔽しようとカルテを改竄あるいは捏造した病院スタッフが懲役二年、とかいうのを私は認めない。それは患者個人に対する罪というより、医学に対する罪である。こういう奴は、医道に対する心得を欠いている。すなわち不心得者である。
古来、日本においては「不心得者は切腹」というのが定法である。
したがって、医療ミスを隠蔽しようとした医療関係者は「医道不心得につき切腹」。警察の不祥事隠しを行なった警察官は「士道不心得につき切腹」。それで構わんと思う。
なお、「切腹」というのは、「決して私心から行なったことではございません」という本人の言い分を認めた、という意味で恩情判決である。金を受け取ってどうこう、といった話なら、市中引回しのうえ磔獄門が相当であろう。
結論である。国家、社会、医療制度、司法制度、教育制度といった国家レベルの「共同体」「制度」に対する信頼感は国家的資産である。それを損なう行為はテロリズムだ。したがって個人に対する罪とは別に扱われるべきものだと思うのだが如何。
(Mr.Moto)
Mariaさん wrote:
> 「自閉症スペクトル」というのは連続スペクトルなのでしょうか、それとも分散スペクトルなのでしょうか。
> 吸収線とか輝線というのは、どうやってできるのでしょうか。
む、むずかしいです〜(汗) 光のスペクトルとか分光器なんかは見ていて楽しいけど……自閉症に関してのスペクトルとなると、???です。
>
> 感じからいうと、「自閉症」というと、ある基本的なステップをクリアしてゆくことで、段がついたように発達してゆく感じがあり、ASのあたりまで来ると、連続的に発達はしてゆくんだけど、「例外」「競合するルール」のところで悩む、みたいな気がします。
そんな感じはありますね。わたしはAS児しか見ていないですけど。三歳児検診までに見つかった自閉児で、療育によって六歳くらいまでにグンと伸びる場合があるそうで、わたしの住む町ではその辺に力を入れています。
「就学前」がひとつのキイポイントということでしょう。環境が激変しますし……。それを前提に療育を行うというのは、日本の堅苦しいところだな〜って思いますけどね。AS児はそこをすり抜けることが多いから、親の「気づき」が重要になってきます。
あら、なんか違う方向へ行ってしまって、すみません。
> 自閉症の場合は、基本となる概念を明らかにしていって、それをひとつひとつ着実に身につけるという「療育的アプローチ」が有効。
> ASの場合は、「こういうところで引っ掛かりやすいですよ」といったチェックポイントを用意しておいて、そこのところの競合を解消してやる「『教育+指導』的アプローチ」が有効。
個人差もありますが、基本としては上記↑のアプローチはかなり有効ではないでしょうか。
こんにちは。
ゆうろ wrote:
>僕は基本的に独り言しかできません
>せっかく返事をかえしてきてきてくれてる人がいても、ありがとうございます
>とか感謝の言葉をかえせないんです
>相手の方は反応がなくて物足りない感じをうけるでしょう
>どうしても気のかよった会話ができないんです
わたしもわたしが自分で感じた事しか理解できないので結果出てくる言葉は人
とコミュニケーションする言葉でなく、自白のような一方的な話になります。
独り言と同じ。人の気持ちを汲んだ会話ができないのです。
言葉にしないと伝わらない、なんで言葉にしなきゃいけないの?と思います。
感謝の言葉はかえせなくても感謝の気持ちは持っていますよ。たとえ相手の
方の反応を考えて自分の言葉のたりなさに胸をいためても。
>だから哲学者のように偉そうなことを語り、知的な大人に相手にされようと
>しているだけなのです 孤高ではなくまるっきり孤独なのです
>反射しないんです 僕は古代の遺跡のようなものです
>
>ここにきているかたは全て会話をしています
>悩みを抱えていて誰かに救ってもらいたいわけです
救ってもらいたいというより、先人達の知恵をおすそ分けしてもらう為に
きてます。哲学者のような方々が大勢いますから。あと、ここのHPにた
どり着いたときはじめて自分と同じ人種に出逢えてほんと安心した。ここ
にくるまで、ひたすら社会で普通の人が感じない孤独を持っているわたし
以外にもこんなにいたんだ。と思いました。
>ということは悩みを実感している自分をもっているわけで
>他人とはっきり区別されてるわけです 境界ができてて自立しているのです
>それが自分にはうらやましく思います
>自分も悩みをもってみたいものです
>
>僕はこのように詩人みたいにかっこつけたしゃべりをします
>昔はそんな悟っているような自分に自信をもち傲慢になっていました
>ただの屁理屈が虚飾されたのです
>そして知識ある大人を騙していったのです
ゆうろさんがその表現しかできず、今まで生きてきたのならそれは知識ある
大人を騙したのではなく悪知恵でもなく正当防衛だったのではないですか?
シンタロウ wrote:
>どうも、シンタロウです。
> 久々のカキコです。ところで皆さんに質問します。
>皆さんは「日本の社会は腐ってる!」と思ったことはありませんか?
あります!
消えない学歴社会・週に一度起こる殺人事件・合成着色料、保存料漬けの食生活・子供を虐げる親・明確なプランのない教育・平均的な能力重視でその人の特性を見ようとしないうわべだけのノーマリゼション、介護保険制度・精神障害者に対する無知、偏見・思いやりがなく自己中心的な若者・・・・
このまま行くと2100年まで、この国は保たないと思います。
シンタロウ wrote:
>どうも、シンタロウです。
> 久々のカキコです。ところで皆さんに質問します。
>皆さんは「日本の社会は腐ってる!」と思ったことはありませんか?
思いきり思ってます。日本だけじゃなく世界に対して。6年前は、モビルスーツを作って地球を破壊してやるとか、核を消滅させてやるなど、大それた事思ってました。
話を元に戻します。この頃は選挙で色々ありますが、日本のトップが腐ってるのではどうしようもないです。だからって、戦争おっぱじめるウヨク・サヨク(この辺分からない)とかも最悪ですが。別に日本ったって「日のいずる国」とかって勝手に選民思想みたいなのは何とかならないんですかね。トップじゃなくて良いから国民を考えて政治やってよと思うのですが。まあそれよりも、警察・自衛隊も結局人間だから間違いは犯すが、何で連続不祥事なのかがさっぱり不明。特にお偉いさん。結局自分の身は自分で守れという事ですか。誰かがちょっとニュースで取り上げられる特異な犯行すると蔓延するのもなんだかとは思うし。まねばっかしてんなと。
またアホやってますが、精神がどこかへいったのでここまでにします。
3 wrote:
>1 子供の頃、目の前に虹色のつぶつぶが、漂っていた。きれいだった。
> 他人から見れば、虚を見つめているみたいだったかも。
寝る直前に、空からきらきら光るクラゲ(?)みたいなものが何匹も降ってきたことなら……あと白い人達がタンスから出て来たり……違う現象かも。
>4 人間が苦手
苦手かどうか不明。時たま一人になりたくなるです。
どうも、シンタロウです。
久々のカキコです。ところで皆さんに質問します。
皆さんは「日本の社会は腐ってる!」と思ったことはありませんか?
3 wrote:
>1 子供の頃、目の前に虹色のつぶつぶが、漂っていた。きれいだった。
あるある。物ははっきりみえているけど、大人になったいまでも、なんかそんなふ
うなチリチリした感じの光が見える・・・
>2 鉄琴や南部鉄の風鈴、グラスの高い響きが好き。
小さいころ棒が、平行に並んでいるフェンスをよく鳴らしていた。
>3 他人にも気持ちがあると、気がついたのは中学生の時。
もっと遅いかもしれない。今でも、けっこう「嫌がっている」という気持ちに鈍感なほう。
>4 人間が苦手
とにかく人がいっぱいいて、バタバタしている環境が苦手。「会社=何をされるか判らない恐ろしい場所」っていうイメージが強くて、就職する気になれない。
1 子供の頃、目の前に虹色のつぶつぶが、漂っていた。きれいだった。
他人から見れば、虚を見つめているみたいだったかも。
2 鉄琴や南部鉄の風鈴、グラスの高い響きが好き。
3 他人にも気持ちがあると、気がついたのは中学生の時。
4 人間が苦手
>しているだけなのです 孤高ではなくまるっきり孤独なのです
>反射しないんです 僕は古代の遺跡のようなものです
古代遺跡を見たこトがあります。。
すごー―く大昔の(釈迦の時代の)。。
遺跡にいるだけで、いろいろなことを、、具体的にではなく感じるのです。
そして沢山の人が、、何故か、、そこを訪れるのです。
本人(遺跡)とは、、関係なく。。。
もし。。。遺跡が人間だとしたら、それはそれで、、苦しいよね。。
皆勝手に、、自分のことを喜んだりとか、、勝手におもい、、おもいおもいに
ただ、、勝手に想うのですから。。
遺跡な、、思いは、、私も経験ありですね。。
こんにちは、ゆうろさん。
ゆうろ wrote:
>僕は基本的に独り言しかできません
>せっかく返事をかえしてきてきてくれてる人がいても、ありがとうございます
>とか感謝の言葉をかえせないんです
でもこう言う事を書くと言う事は、どこかでありがたがってるのかもしれませんよ?直接表現できないだけで……
>相手の方は反応がなくて物足りない感じをうけるでしょう
>どうしても気のかよった会話ができないんです
>だから哲学者のように偉そうなことを語り、知的な大人に相手にされようと
>しているだけなのです 孤高ではなくまるっきり孤独なのです
>反射しないんです 僕は古代の遺跡のようなものです
確かに反応を期待して、僕は書いてます。でも反応できない人を責めたら、それはすなわち、反応できない自分自信を責めている事になるんじゃないかと思います。反応できないのは自分も同じ。反応できないジャンルが違うだけ……と。
>ここにきているかたは全て会話をしています
>悩みを抱えていて誰かに救ってもらいたいわけです
>ということは悩みを実感している自分をもっているわけで
>他人とはっきり区別されてるわけです 境界ができてて自立しているのです
>それが自分にはうらやましく思います
>自分も悩みをもってみたいものです
うらやましいと思っている事。ということは、それこそまさしく悩みなのではないのかなと思います。最初は些細な事。それを言われ続けた(気づかされた)ために悩みになっていく。それがどんどん泥沼化していく。後は感じ方次第と言う事でしょうか。僕は心に正直過ぎるので、それが表面に必ず出ます。まあ、要するに自己否定から抜け出せない。これで良いのか悪いのか。
それに究極的な所まで行ったら、誰もが会話してるフリをしていると言う考えに僕は行くと思います。すいません、人間不信とは違いますよねごめんなさい。
>僕はこのように詩人みたいにかっこつけたしゃべりをします
>昔はそんな悟っているような自分に自信をもち傲慢になっていました
>ただの屁理屈が虚飾されたのです
>そして知識ある大人を騙していったのです
まあ、似たようなものです(違うかも)。こっちは何度も言われつづけたためかわざと人の嫌がる事をして勝ち誇ってました。「俺は貴様らができない事ができるんだぞ!」と。他のやつらに言わせれば、「異次元のサル山のボス」だそうでした。
……見ていただくだけで構いません。だんだん慣れれば良いんです。いきなり無理したら体に偏重きたします。……多分。
ここまで読ませておいて、気にしないでくださいとは言えませんが、駄目文なんでお気になさらずに。
油江宏明 wrote:
> 始めまして。
> 私、現在、京都大学理学研究科の地球物理学教室に在籍している、油江(ゆごう)といいます。
こんにちは、私は東海大学海洋学部海洋資源学科を卒業したものです。卒論・修論は、鉱物が好きなので、静岡県の御前崎周辺の第三紀層の砂岩を作っている砂粒鉱物について調べました。論文を上手かけなかったことから、すっかり自信をなくし、今は引きこもりで、ミネラルフェアーで買った鉱物の標本をただながめているだけです。
> 小さい頃から対人関係がとれないうえに運動能力が鈍く、いじめにあうこともしばしばでした。苦しい強迫思考にも、いつも襲われていました。
> 小学校高学年ごろから中学校にかけて、どうも、自分は、周囲の人間から見てよくも悪くも「非常にかわっている」と見られているらしいことを、はっきり自覚しはじめました。それまでは、自分からは周囲の人間しか見えないため、自分も似たようなものだと思っていたものを、周囲と自分との違いをある程度自分自身で分析してみるようになったのです。しかし、自分が何者なのか、さっぱり分からない。この状態にある意味で知見をあたえたのは、高3の夏の、ある事件に関わる報道でした。当時、ある男性が、幼女誘拐殺人の容疑者として、大々的に報道されたことがありました。この数ページにわたる新聞記事を見て、唖然としたのです。これは、まさに自分のことをいっているではないか、いや正確には、周囲の人間が自分を見てこう見えるだろう、ということが書いてあるではないか、と。しかも、何日間かにわたる記事を読むにつけ、さらにその類似性がはっきりしてくる、事件の事実関係はともかく、自分と同じ種類の人間をようやく見つけた、それにしても、短期間で、よくここまで調べたものだと思ったものでした。そうして、責任能力の問題に絡んで、「強い分裂気質であることは確かだが、精神分裂病ではない」とかいう苦しい書き方がしてあったりして、「そうか、自分は分裂病だったのか」とある意味ようやく安心できる大地に着地したような気分でした。
私も小学校から高校まで変わり者ということで、よくいじめられました。これまでの人生で生きやすかったのは幼稚園(実は誘拐殺人事件の犠牲者の1人と同じ・・・)と、一年前ボランティアをしていた福祉作業所ぐらいです。
私は本当は、何か子供に関わる仕事をしたいと思っていました。しかし、感情の起伏が激しく、字が汚く、気に入らないということに関してはどうしても筋を通す汚い性格なので、これはあっさりあきらめました。
未だに自分は何をして生きるべきか判らず、悶々とした日々を送っています。
p.s.
#私の大学時代の友達の中に京大の古生物教室で、鹿の化石の研究をして修論を書いた者がいます。彼は結婚して今、滋賀県の多賀町の町立博物館の学芸員をしております。多賀町は森がきれいで・天文台もあり、地学愛好家のリラクゼーションにはもってこいのところです。一度いってみてはどうですか。
シュッツさんwrete:
>理工系の本には「スペクトラム」を使うものも多いですよね、だからどちらを
>使っても違和感を感じないです
>「自閉圏」と「自閉症スペクトル」は別だと思ってました。
>自閉症から“健常者”に至るまでの全ての領域での、連続した変化の状態が
>「自閉症スペクトル」
>その中であいまいな境界より自閉症に近い領域が「自閉圏」
>私の頭の中での定義はこうです。
とてもくだらないことを考えてしまいました。
「自閉症スペクトル」というのは連続スペクトルなのでしょうか、それとも分散スペクトルなのでしょうか。
吸収線とか輝線というのは、どうやってできるのでしょうか。
発達段階において獲得するスキーマ(概念モデル)やアクシアム(基本法即)というのがあらかじめ決まっていて、その獲得の階梯(ステップ)を順次上がってゆくことで「障碍」を乗りこえてゆくことができるなら、分散スペクトル。
そうではなくて、自閉症とASというのは質的に違うのではなく、単なる程度の差であり、その先に「正常」の世界があると考えると、連続スペクトル。
発達段階において、ステップを上がってゆくことと、適応の度合いとが単調増加のかたちで進んでゆくのなら、輝線スペクトル。
「鳥は飛ぶ」という知識のあとに「ペンギンは飛ばない」「ダチョウは飛ばない」「ヤンバルクイナは飛ばない」といった知識が入ってくると混乱してしまうように、「(発達が)進んでいる」「遅れている」と「(障害の度合いが)重い」「軽い」関係は、単純には捉えられない、と考えると吸収スペクトル。
感じからいうと、「自閉症」というと、ある基本的なステップをクリアしてゆくことで、段がついたように発達してゆく感じがあり、ASのあたりまで来ると、連続的に発達はしてゆくんだけど、「例外」「競合するルール」のところで悩む、みたいな気がします。
つまり、「分散スペクトル」から「連続スペクトル+吸収線」という感じ。
そう考えると、「自閉症」は「算数」的で、「AS」は「数学」的という気がします。
自閉症の場合は、基本となる概念を明らかにしていって、それをひとつひとつ着実に身につけるという「療育的アプローチ」が有効。
ASの場合は、「こういうところで引っ掛かりやすいですよ」といったチェックポイントを用意しておいて、そこのところの競合を解消してやる「『教育+指導』的アプローチ」が有効。
……たんなる思いつきです。あまりマジメに受け止められても困りますが、どうなんでしょうか。
(Maria)
始めまして。
私、現在、京都大学理学研究科の地球物理学教室に在籍している、油江(ゆごう)といいます。
実は、私は、大学入学試験前日、京都に向かう電車の中、激しい強迫思考により精神的に致命傷を受け、どん底のうつ状態に陥りました。辛うじて試験を受け、合格通知を得たものの、既に半ば寝たきり状態で、まともに勉強できる状態ではなくなっていたのです。結局、どうしていいかわからないまま月日がながれ、学生相談所から診療所通いを始めたときには、既に、3年半が、たっていました。そうして、10年後の現在に至っています。最近、新聞で、精神医療関係のWebサイトをみつけ、リンクをたどっているうちにこのページにたどりつきました。
小さい頃から対人関係がとれないうえに運動能力が鈍く、いじめにあうこともしばしばでした。苦しい強迫思考にも、いつも襲われていました。
小学校高学年ごろから中学校にかけて、どうも、自分は、周囲の人間から見てよくも悪くも「非常にかわっている」と見られているらしいことを、はっきり自覚しはじめました。それまでは、自分からは周囲の人間しか見えないため、自分も似たようなものだと思っていたものを、周囲と自分との違いをある程度自分自身で分析してみるようになったのです。しかし、自分が何者なのか、さっぱり分からない。この状態にある意味で知見をあたえたのは、高3の夏の、ある事件に関わる報道でした。当時、ある男性が、幼女誘拐殺人の容疑者として、大々的に報道されたことがありました。この数ページにわたる新聞記事を見て、唖然としたのです。これは、まさに自分のことをいっているではないか、いや正確には、周囲の人間が自分を見てこう見えるだろう、ということが書いてあるではないか、と。しかも、何日間かにわたる記事を読むにつけ、さらにその類似性がはっきりしてくる、事件の事実関係はともかく、自分と同じ種類の人間をようやく見つけた、それにしても、短期間で、よくここまで調べたものだと思ったものでした。そうして、責任能力の問題に絡んで、「強い分裂気質であることは確かだが、精神分裂病ではない」とかいう苦しい書き方がしてあったりして、「そうか、自分は分裂病だったのか」とある意味ようやく安心できる大地に着地したような気分でした。
話は、受験当日の朝にとびます。前日、致命傷を被った私は、初めて、精神的ダメージで起きられない、という状況に陥りました。このとき、思い浮かべたのは、不登校の問題で、当人が、大げさじゃない、本当に学校へ行けないんだ、と語っているという幾らかの新聞記事です。当時は、自分が極端な完全癖をもっていると自覚していたこともあって、ある程度、彼ら(彼女ら)のことを理解しているつもりでいたのですが、全くわかっていなかったのだと思いしらされました。自分は、とりあえず幼いころから強迫思考に襲われて、訓練ができているからなんとかなったが、普通の人間がいきなりこんなことになれば、部屋から、いやベッドからでられない、と。
そうして、なんとか大学に合格し、通っているうちに、自閉症やLD障害、精神分裂病などに関する記述がまさに自分のことを指している(すくなくとも自分にはそのように思えた)ことに気づき、その関係の本を、読みあさりました。
しかし、どうしていいかわからないまま時が流れ、学生懇話室に相談にいったのは、3年半後でした。それから、自分と同じような症状で苦しんでいる人が大勢いることをしり、なぜこういう情報をもっとオープンにしてくれていなかったのか、本当に悔しく思いました。もし本当にひどい状態になったときに、直ちに治療を受けていれば、あるいは、やりたい勉強をしっかりやって、希望の進路に進めたかもしれない。現実には、まともに勉強などできないまま、不本意な進路を強要されている。もし、あのとき、直ちに医療施設へ駆け込んでいれば、という無念さが頭をはなれません。
また、小、中学校時に受けたいじめも、なんらかの病名がついていればなかったのではないか、という思いが頭をかすめます。
そういう観点から、私は出来るだけ自分の状況を周囲にオープンにしようと努めてきました。しかし、大部分が、事の深刻性をわかってくれない、無関心、というのが現状です。それにもかかわらず、報道などによれば、多くの人が、精神障害などといった言葉に大きな抵抗をもち、差別を受けるとおそれ、医師も「障害」という言葉を出来るだけ避けているといいます。いったい、どういうことなのでしょうか。私自身は、これだけ自分をさらけ出しているのにもかかわらず、差別など受けたことがない、むしろ、その逆のことで、苦悩しているのです。
まとまりのない文章で申し訳ありませんでした。
よかったら、下記のアドレスのページでも見て下さい。
これから、ちょくちょく書き込ませていただきたいとおもいます。では。
***********************************************
油江宏明
京都大学理学研究科 地球物理学第五講座
E-mail yugo@kugi.kyoto-u.ac.jp
TEL 075-753-3953
URL http://www-step.kugi.kyoto-u.ac.jp/~yugo/
************************************************
ミッドランド さん、こんにちは。
> 皆さんこんばんは、ミッドランドです。
> 僕の職業は何度も述べましたが、歯科技工士です。
おお、バスチアンくんのお父さんとおんなじだ!
(武田さんも同じこと書いていらっしゃいましたね)
かっこいい!!
> このように、性格も適性も正反対な職業が、歯科医療の世界ではうまく共存しているのです。
> ASと「いわゆる普通の人」の共存ができる、そんな世界のように思います。
"ASと「いわゆる普通の人」の共存"、けっこうありえるんじゃないかと思いました(お互いのいいところを活かしあって)。
ASには「職人」的な仕事が向いているのではと思います。
「歯科技工士」は思いつきませんでしたが、手先が器用であれば、ASな人にぴったりの職業のひとつですね。
私の場合は昔から「職人」の仕事にあこがれてきましたが、手先が不器用なのであきらめていました。でも結局、手先を使わないですむ「職人」的な仕事をしています。
> 神が授けた「一握りのチャンス」を存分に生かしたい ミッドランド
黙々と真摯にお仕事に取り組むミッドランドさんの姿が目に浮かびます。
これからもいいお仕事、してくださいね。
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