アスペルガーの館の掲示板(旧)

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Re:Re:Re: 職人気質! 5766へのコメント
No.5768  Sun, 1 Jul 2001 15:16:10 +0900  みどり [この発言にコメントする]

ミッドランド wrote:
> どうも僕は「こだわり」という言葉を考えなしに使ってしまい、職人とASをごっちゃに解釈してしまったようです。これからは気をつけなければ。
> でも、ASに関しては「こだわり」がダメならばどう言えばいいのでしょう? 「入魂」じゃ変だし、「没頭」これもダメ、「自己聖域化(おー久々の造語)」……うーむ……。

こだわりは確かに悪い意味ですよね。ASのこだわりと言われるものも、ハタから見れば「つまらないことにこだわって....」のまさに悪い意味なんでしょう。
ただ、言葉の意味に裏表があるのは当然のことなので、「アンタから見たら単なるこだわりなんだろうけどさ」って意味を含めて、自分のとことんさを「こだわり」と表現するというのもアリだと思います。

テレビでよく見る、よく知らない他人に「こだわってますねー」ってのは論外ですけどね。あれは単にことばを知らないだけでしょう。
私なら「徹底してる」とか、「完全主義」とか「入念」とか言うでしょう。


質問(識字障害・読字障害・書字障害はどんな障害?)
No.5767  Sun, 1 Jul 2001 14:55:38 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

LDすなわち学習障害の子どものなかには、次のような特徴を持っている子がいます。

1.火山の絵を見せると「VOLCANO!(ヴォルケノー)」と答えるが、「VO・L・C・A・N・O」というアルファベットを見せると「何のことか判らない」という。

2・鏡文字を書いたり記号のような文字を書いてしまう。

3.本を読ませると行を飛ばして読んでしまう。

4.漢字を写し取ったり・写生が苦手であり、絵を描いても実物とにつかないもの
になったり、文字が汚かったり・細かい所に間違えがみられる。

みなさんのなかにも、「昔そうだった・今でも・・・」という人がいるかもしれません。

 私がふと疑問に思ったのは、「これらの子たちはどのように世の中を見ているのだろうか?」ということです。

 もしみなさんの中にかつてはそうだった・今もという人がおりましたら、どのようなことで困ったのか・いかにしてそれを克服できた・しようとしているのかというレスを頂きたいと思います。


Re:Re:Re: 職人気質! 5764へのコメント
No.5766  Sun, 1 Jul 2001 13:02:18 +0900  ミッドランド [この発言にコメントする]

KILROYさん wrote:
> 「こだわり」という言葉がいい意味で使われるようになったのは、一種の「流行」みたいなもので、本来はいい意味ではない。だから、褒めたつもりで職人さんに「こだわってますね」とか言ったら、ぶん殴られても文句は言えない。

 ならば、「入魂」という言葉はどうでしょう? これならばぶん殴られるなんてことはないと思います。

> 『AS特有の「こだわり」』というのは、医学上は「症状」であって、「個性の一部」とはみなされていない。したがって、否定されているのである。
>
> 『AS特有の「こだわり」』と呼ばれるものは「こだわり」ではなく、本質にかかわるものであり、「個性の一部」である、という主張はあって当然だが、それが認められたとすると「こだわり」という言葉を使うことは不適切とみなされると思う。「固執」や「執着」でもまだ悪い意味になる。
> なお、「頑固」というのも「頑(かたく)な」だから、やっぱり悪い意味。

 どうも僕は「こだわり」という言葉を考えなしに使ってしまい、職人とASをごっちゃに解釈してしまったようです。これからは気をつけなければ。
 でも、ASに関しては「こだわり」がダメならばどう言えばいいのでしょう? 「入魂」じゃ変だし、「没頭」これもダメ、「自己聖域化(おー久々の造語)」……うーむ……。

> 「パフォーマンス性」というのは、即時的であり、記録・保存がきかないという意味である。舞台芸術や料理が、パフォーマンスの代表といえる。
> 工芸の世界では、「これと同じものは二度と作れない」というものが確かにある。ところが「職人業」の世界だと、「同じものを安定的に供給する」という要求があるので、それでは困るのである。
> だから、職人は「芸術」とは無縁である。「こちとら職人でぇ。『芸人』じゃねぇんだ」と言ったひともいた。

 これについてはもう一言だけ言わせてください。
 工芸の世界に生きる人は「職人」とは呼ばない、ということでしょうか。なんか無理に「職人の世界」と「芸術の世界」を線引きしているように思えます。
 僕はそうは思わないのです。「職人業」と「芸術」はある程度フレキシブルではないかと思うのです。確かにお互いの領分は守られるべきであるし、「こちとら職人でぇ。『芸人』じゃねぇんだ」と言うのも自由であるべきです。
 しかし、「職人は『芸術』とは無縁」と言った風に、「頑なな聖域」をつくってしまって、果たしてよいものでしょうか。そんな考え方が、職人と呼ばれる人たちは「頑固で融通がきかない」と言われる一因になっているのではないでしょうか。

> アートは「機会」と「才能」が出会ったところに生まれる。だから寺社建築、つまり宮大工の世界はアートの世界である。したがって宮大工というのは「職人」とは呼ばれない。仕事がないときでも、一般の「職人」の仕事である大工仕事には、「腕が穢れる」といって手をつけなかったという話がある。

 そう考えるのも自由です。それこそ「入魂」と呼ぶべきでしょう。でも一方で「頑固で融通がきかない」と言われそうですね。

> 「職人魂(クラフトマン・シップ)」というのは、「美」を求めるのではなく、「わざ」を突きつめたところに美は立ちあらわれる、と信じるところから始まる。戦闘機や戦闘車輌の無骨な美しさは、求めて得られたものではない。機能・性能を追求した結果、そこに立ちあらわれたものである。こういうものを「機能美」と呼ぶのだが、それを信じるのが「職人魂(クラフトマン・シップ)」である。

 「機能美」を生み出すことも「芸術」のうちに入る、と僕は考えます。
 「芸術」というのは単に「美を生み出す」ことに大きな意味があり、「パフォーマンス性」や「美の追求」といったものは二の次だと思います。
 たとえ意識していなくても、「美」を生み出せたら、それは「芸術」と呼べる、僕はそう考えます。

> ラ五型戦闘機、というソ連の戦闘機がある。ラボーチキンという設計者が設計した機体で、フェノール樹脂で固めた木でできた「木製戦闘機」である。戦争中のことゆえ生産設備が不足しており、家具職人や楽器職人にも作れるというのですぐに量産体制に入れた。
> このラ五型は第二次対戦末期のスターリングラード攻防戦においてドイツ空軍相手に一歩も退かぬ戦いを演じ、『スターリングラードの小さい木の救世主』と呼ばれた。
> こういうものを作っちゃうのが「職人」なのである。ここに「芸」の入り込む余地はない。

 その場合はそうでしょう。「職人の世界」に「芸術」が入り込まないことだってあるでしょう。それは僕も認めます。
 しかし、僕が言いたいのは「それがすべてではない」ということなのです。

 僕はKILROYさんと争いをしたくはありません。ですから、今回の投稿がこのテーマの「僕自身の最終的な考え」とさせていただきます。

 ミッドランド


Re: これはNLDでは? 5762へのコメント
No.5765  Sun, 1 Jul 2001 11:25:05 +0900  くると [この発言にコメントする]

 ひま人さん、みなさん、おはようございます。くるとです。

ひま人さん wrote:

>手元のNLDの本には、NLD児は計算(殊に暗算)が困難だと書いてあり
>ますが・・・

 これは、医学的LDと教育学的LDのどちらの本ですか?ひとまず、医学
的LDの方だけ説明しておきます。

 現時点で医学的LDとは、読字障害,書字障害,算数障害が原因になって
学力困難をおこしている障害者のことを指します。で、学力困難以外の困難
(例えば、器用さ,社会性,多動,注意欠陥など)を抱えている人について
は別の診断がつけられることになります。むろん、医学的LDの人が他の障
害を合併していることもありますが。(自閉圏の障害と合併している場合は
自閉圏の診断が優先されることになっています。)けっきょく、医学的LD
は学習だけの問題に限定された障害ということができます。

 しかし、学習困難がおこる原因は人によって様々です。上記の暗算の問題
を例にして説明をしてみますね。医学的LDで暗算ができない場合は

(1)数字や記号が理解できない
(2)量や繰り上がりの概念が理解できない

 という2つの原因が考えられます。そして、(1)のタイプのLDは言語
性LD、(2)のタイプのLDが非言語性LDです(NLD)です。NLD
というのは、(2)のような理由によって学習困難が生じるタイプのLDの
ことを指します。

>それと、単に読み書きの能力に問題が無いのではなく、単語レベルでの読
>みの能力発音能力、そしてスペルの能力が優れ、かりにスペルが間違って
>はいても、音声学的には合っているそうです。

 おそらく、これらは医学的なNLDに発生しがちな学習困難のタイプだと
思われます。わたしはNLDが「学習困難を持たないLD」だというつもり
はありません。「言語性LDとは異なる理由で学習困難を持つLD」だと言
いたいのです。

 でも、もしかすると前回誤解を招く表現をしてしまったかもしれない…(
ちょっと冷や汗…)

>書字が下手で、しばしばミミズが這ったようになっているそうです。

この問題はわたしも抱えているのですが、「協応動作」「微細運動」「視
空間認知」に困難を抱えているために発生しているそうです。この場合、発
達性協調運動障害(DCD)の人も同じ困難を抱えていることになり、判断
が微妙ですね。

 結論を言いますと、武田さんが上記に挙げたような学習困難を抱えていた
のであれば、NLDと診断することも可能だと思います。しかし、NO.5
752で武田さんがコメントするように「体の器用さ」「注意集中」「社会
性」に困難がある場合は

(1)ASか高機能自閉症→社会性
(2)ADD→注意集中
(3)DCD→体の器用さ

と診断されることになると思います。そして、診断の優先順位はDSMの基
準では(1)にあります。

 どうも、誤解を招くような説明をしてしまってすみません。(くると)


Re:Re:Re: 職人気質! 5761へのコメント
No.5764  Sun, 1 Jul 2001 11:02:31 +0900  KILROY [この発言にコメントする]


I wrote:
> 「こだわり」というのは、「本質的でないことに拘泥すること」をいう。

ミッドランドさんwrote:
> そんな否定的な意味なのですか?

 そんな否定的な意味なのだよ(^_^;)。

 「こだわり」という言葉がいい意味で使われるようになったのは、一種の「流行」みたいなもので、本来はいい意味ではない。だから、褒めたつもりで職人さんに「こだわってますね」とか言ったら、ぶん殴られても文句は言えない。

> ならば、AS特有の「こだわり」もそんな風にとられるものなのでしょうか?
> なんだかASの「個性の一部」を否定しているように思えます。

 『AS特有の「こだわり」』というのは、医学上は「症状」であって、「個性の一部」とはみなされていない。したがって、否定されているのである。

 『AS特有の「こだわり」』と呼ばれるものは「こだわり」ではなく、本質にかかわるものであり、「個性の一部」である、という主張はあって当然だが、それが認められたとすると「こだわり」という言葉を使うことは不適切とみなされると思う。「固執」や「執着」でもまだ悪い意味になる。
 なお、「頑固」というのも「頑(かたく)な」だから、やっぱり悪い意味。

 「こだわり」という言葉は、「手抜き」を「手抜き」と指摘できない世の中において、「手抜きをしていない」の言い換えとして使われはじめたのではないかと思う。
 もっとも、「結果に影響しない部分で手を抜く」というのも技術の一部なのだが。

>> 「必要なことを徹底する」のは、「こだわり」でも「頑固」でもない。また、
>>製造の現場で必要とされるものは、「芸」などのような評価不能なものではない。
>>確かな「わざ(技/業)」である。

> これにも一言言わせてください。
> 確かにそれも一理あります。でも、その考え方は「職人は『技術屋』でいい」
>と言っているようで、なんか寂しいですね。

 「芸」というのは「パフォーミング・アート」と言い換えると分りやすいと思う。

 「パフォーマンス性」というのは、即時的であり、記録・保存がきかないという意味である。舞台芸術や料理が、パフォーマンスの代表といえる。
 工芸の世界では、「これと同じものは二度と作れない」というものが確かにある。ところが「職人業」の世界だと、「同じものを安定的に供給する」という要求があるので、それでは困るのである。
 だから、職人は「芸術」とは無縁である。「こちとら職人でぇ。『芸人』じゃねぇんだ」と言ったひともいた。

 アートも「芸」だが、こちらは「技芸」。「第一の芸」と呼ばれたのは、「医術」である。「芸術は長く、人生は短い」というのもたしかヒポクラテスの言葉で、この場合の「芸術(アルト)」というのは医術のこと。「武術」もマーシャル・アーツだから「武芸」という言葉がある。
 アートは「機会」と「才能」が出会ったところに生まれる。だから寺社建築、つまり宮大工の世界はアートの世界である。したがって宮大工というのは「職人」とは呼ばれない。仕事がないときでも、一般の「職人」の仕事である大工仕事には、「腕が穢れる」といって手をつけなかったという話がある。

 ところが一般の人間が求めるものというのは、「芸術」ではない。家にしろ物にしろ、つまるところ「道具」である。それを適正な価格で、安定して手に入れたい。それを供給するのが「職人」である。
 「職人魂(クラフトマン・シップ)」というのは、「美」を求めるのではなく、「わざ」を突きつめたところに美は立ちあらわれる、と信じるところから始まる。戦闘機や戦闘車輌の無骨な美しさは、求めて得られたものではない。機能・性能を追求した結果、そこに立ちあらわれたものである。こういうものを「機能美」と呼ぶのだが、それを信じるのが「職人魂(クラフトマン・シップ)」である。
 だから、職人はおおむね昆虫が好きだ。機能を集約したところに立ちあらわれる美の代表が、ミヤマクワガタやオニヤンマやクマゼミの形態である。あとは蟹の形が好きだという職人も多い。

 ラ五型戦闘機、というソ連の戦闘機がある。ラボーチキンという設計者が設計した機体で、フェノール樹脂で固めた木でできた「木製戦闘機」である。戦争中のことゆえ生産設備が不足しており、家具職人や楽器職人にも作れるというのですぐに量産体制に入れた。
 このラ五型は第二次対戦末期のスターリングラード攻防戦においてドイツ空軍相手に一歩も退かぬ戦いを演じ、『スターリングラードの小さい木の救世主』と呼ばれた。
 こういうものを作っちゃうのが「職人」なのである。ここに「芸」の入り込む余地はない。

> 僕は、職人というのは「技術屋」になってはならない、と考えます。人間味に
>欠けた、技術至上主義の人間がつくったモノに果たして魅力があるのでしょうか?

 「限界までの能力を積み上げた両設計者が、最後に競り合うときは、もはや人間性だけが発言権を持つように思われる。」
 佐貫亦男『設計からの発想 比較設計学のすすめ』、講談社ブルーバックス、P.249

 人間性が問われるのは、技術の上で為すべきことをすべて為したその後である。

>> 本質を見ろ。
> 「本質」を100%見られる人間がいるとは思えない

 私もそう思うが、本質から目を逸らす奴がけっこう多いので。
 「こんなことをやってなんの意味があるんだぁ〜!」
 「口を動かすのはいいが手を止めるなっ!」
みたいな経験はけっこう後で生きる。

 「何をやったらいいか分からない」で悩む奴というのは、何をやったらいいのか教えてやるとすぐ伸びる。
 「何をやればいいのかは分かっているのだが、ついついサボる」奴は、着実に脱落してゆく。
 そういう残酷な部分というのは、誰しも見たくないのである。

 (KILROY)


付け足し
No.5763  Sun, 1 Jul 2001 08:24:56 +0900  由佳子 [この発言にコメントする]

 もしか袋って、私の生きる原動力だ!
「ヤなこといっぱい。でも、もしかしたら一つくらい、いいことみつかるぞ」って。


Re: これはNLDでは? 5750へのコメント
No.5762  Sun, 1 Jul 2001 08:22:14 +0900  ひま人 [この発言にコメントする]

くると wrote:
> 複合型LDのくるとです。武田さんとひま人さんのコメントに横レスします。
>
>ひま人さん wrote:
>>武田好史 wrote:
>>
>>> 結果は院長先生より発表されました。私はやはりAS+ADHDで、言語
>>>性IQは高く106であり、反対に動作性IQは低く66で、平均してIQ88と
>>>いうことでした。
>>この言語性IQと動作性IQとのアンバランスは、NLD児・者の知能の特徴だと>思われます。とくに動作性IQが言語性IQよりも100も低いというのは、NL>Dである可能性がきわめて高いのではないでしょうか。
>
> ここで、医学的LDと教育学的LDの問題を分けておく必要があります。
>
>(医学的な意味でのNLD)
>
> あくまで、学力だけの問題を扱います。ここではNLDとは、脳機能障
>害が原因ではあるが、読み,書き,計算意外の分野に問題があって、学力
>困難をおこす人のことです。

手元のNLDの本には、NLD児は計算(殊に暗算)が困難だと書いてありますが・・・
それと、単に読み書きの能力に問題が無いのではなく、単語レベルでの読みの能力発音能力、そしてスペルの能力が優れ、かりにスペルが間違ってはいても、音声学的には合っているそうです。それと書字が下手で、しばしばミミズが這ったようになっているそうです。


Re: 職人気質! 5753へのコメント
No.5761  Sun, 1 Jul 2001 07:51:36 +0900  ミッドランド [この発言にコメントする]

KILROYさん wrote:
>ミッドランドさんwrote:
>>(僕は「堅気」よりも「気質」と書くほうが好きです)
>
> 「堅気」は「やくざ」の反対語だったような気がするのだが。

 あとでよく調べてみたら、そのようですね。僕の認識不足でした……。
 しかし、つぎの一文には一言いわせていただきます。

> 「こだわり」というのは、「本質的でないことに拘泥すること」をいう。

 そんな否定的な意味なのですか? ならば、AS特有の「こだわり」もそんな風にとられるものなのでしょうか? なんだかASの「個性の一部」を否定しているように思えます。
 
> 「必要なことを徹底する」のは、「こだわり」でも「頑固」でもない。また、製造の現場で必要とされるものは、「芸」などのような評価不能なものではない。確かな「わざ(技/業)」である。

 これにも一言言わせてください。
 確かにそれも一理あります。でも、その考え方は「職人は『技術屋』でいい」と言っているようで、なんか寂しいですね。
 僕は、職人というのは「技術屋」になってはならない、と考えます。人間味に欠けた、技術至上主義の人間がつくったモノに果たして魅力があるのでしょうか?

> 職人修行の第一は、おおむね「掃除」である。これは精神論ではない。それが「必要だから」だ。精密加工、精密塗装の世界では、「必要でないものを徹底的に排除する」ことがぜひとも必要である。それは半導体産業などに顕著に見られる。

 これについては納得。かなり的を射ていると思います。

> 本質を見ろ。

 「本質」を100%見られる人間がいるとは思えない   ミッドランド


Re: レスのつもりのカキコです 5755へのコメント
No.5760  Sun, 1 Jul 2001 07:47:34 +0900  由佳子 [この発言にコメントする]


そうかぁ。書いてしまったもの「ごめんなさい」だけじゃ申し訳ないけど、ごめんなさい。私の気持ちも、なかなか変えられないが、
>
> 信念を持つのはいいことですけど、人の生き方というのはそれぞれです。
>
>ですよね。
 やっぱり私、「傲慢」だ。ふぅ。
>
> 


Re: pocksさんへ 5756へのコメント
No.5759  Sun, 1 Jul 2001 07:17:51 +0900  pocks [この発言にコメントする]

>次回起動できることを祈ってて下さい。(泣)

とりあえず起動成功。


Re: 居眠り 5706へのコメント
No.5758  Sun, 1 Jul 2001 04:43:59 +0900  リゲル(Mind Blue) [この発言にコメントする]

コメントありがとうございました。

◎Tienさんへ

>私は通勤・帰宅時に一駅ずらして散歩運動する、または
>起床時に完璧に日光を浴びるようにする(光線療法みたいに)
>とからだの起床・入眠リズムを取り戻すようにしたら、少しづつか回復しました。

このご意見は参考になりました。帰りに、一駅ずらして帰宅しようと考えて
います。励まし、ありがとうございました。

◎makichanさんへ

> 私も入眠障害ひどくって眠剤に頼る生活13年ばかり続いています。朝きちんと>起きられても午前中は頭が重くってスッキリしません。元気がでるのは午後かra
> で、仕事が終わる夕方頃が一番調子がいいです。

まさに私がこのパターンです。朝眠くて、午後から少しづつ元気が出て、夕方に
は仕事ができます。そのため、今月から会社を午後だけの勤務にしましたが。

西洋オトギリソウも、入手できたら使ってみたいです。

最近は2時までには寝ようと、ハルシオン0.25gを処方量の1つではなく
2錠飲まないと、寝れないです。シエスタのある、イタリアやスペイン
のような国が羨ましいです。

リタリンが欲しいです。


Re: 質問(心の闇について) 5731へのコメント
No.5757  Sun, 1 Jul 2001 04:28:31 +0900  コーヒー [この発言にコメントする]

武田好史 wrote:

>あなたは、このような「心の闇」を撲滅するためには、何が必要だと感じていますか?

閉ざされた心・性格のひずみ・人格障害・反抗挑戦性障害、これら「心の闇」を
もった人々を社会の成員とすることです。その人々を含め社会なのです。そうい
う人々を含めみんなでうまくやっていける社会をみんながそして行政は目指すべ
きです。現在「心の闇」をもつ人々は社会の非成員として、がゆえにその「奇異」
なる行動は刑法立案の相手にされず、今回の事件も刑法は犯罪行為の抑止力となっ
ていなかった。行政・社会は「怪異な人々」が存在することを認知する必要があり
ます。そして社会の成員として迎え入れ、公共的便宜の授与と自己の行動の最終的
責任者たることを認めなければなりません。そして理解、このような人々が成員と
して存在することも考慮し、たとえば社会防衛としての刑法を立案時は「怪異」な
市民がいることも忘れちゃいけません。でなければ有効な犯罪抑止はできないでし
ょう(一般人には有効でも「怪異」な人に無効であったらしょうがない、刑務所の
男女房分けはゲイの犯罪者にとっては喜びとなってしまう)有効な刑罰は役人に
頭を(柔らかくして)しぼってもらいます

今「心の闇」をもつ一部の人々は隔離された社会の非成員です。今のような刑法の
手直しは今回のような犯罪に対し空回りするばかりでしょう。「刑事責任能力がな
い者に有罪判決を下す」という法的矛盾は際立っていくばかりです。


Re: pocksさんへ 5754へのコメント
No.5756  Sun, 1 Jul 2001 00:36:57 +0900  pocks [この発言にコメントする]

> 原因の究明、および対応をお願いいたします。

半角カナは句読点なども含め使用していません。

Netscapeで書くと時々化けることがあることがわかっていて、他の
掲示板でも同様の症状が確認されています。

IEだと化けませんので、ホストのCGI側に問題があるか、端末側・ホスト側
いずれかの漢字コード認識に問題がある可能性があります。

ではIE使え、という話もあろうかと思いますが、私の環境でIEを使うと
システムがコケることがあるため、ちょっと難しい状況です。
今回使おうとしたら、漢字変換が働きませんでした。
前回別の掲示板でカーネルが読めなくなってえらい目に遭いました。
次回起動できることを祈ってて下さい。(泣)


Re: レスのつもりのカキコです 5742へのコメント
No.5755  Sun, 1 Jul 2001 00:25:08 +0900  Maria [この発言にコメントする]

由佳子さんwrote:
> パートナーをさがしている方、きっと、いや必ず逢えますよ。出来そこない
>じゃない!ただ、こんなに大勢の人間があふれる中で、あなたにとって特別な
>「たったひとり」の人に出逢うのに、少しばかり時間がかかっているんだと思
>います。・・・・・・それが「いつ」かわかっていれば、こんなに苦しまない
>のにね。

 いきなり余談。ロシア語に“абсика”(アヴォーシカ)というのがあります(綴りは正確じゃないかもしれない)。「“もしかしたら”ちゃん」みたいな意味。昔、西瓜を入れるのに使った、網状の袋があったでしょう? あれをもっと細かくしたような手提げ袋です。日本でいうなら風呂敷みたいなものです。
 物資不足のソヴィエト政権下で、「もしかしたら」何かの物資の売出しに遭遇するかもしれない、という期待をこめて、庶民が携帯していたのがこの「アヴォーシカ」。ある日本人は、これを「もしか袋」と呼んでいましたが、それを聞いた別の日本人が「モスクワ袋」と勘違いしたそうですが……訂正する気が起きなかったそうです。

 ようやく本題。

 「必ず遭える」っていうのは、優しいようでじつはとても危険な考えなのね。じゃあ、遭えなかったらどうするのか。「それは本人に何か問題があったのに違いない」という「被害者非難心性」に、簡単に結びついてしまいます。

 「人生をともに生きるパートナーを求めています」っていうひとに、「いつかいい人が現れますよ」とかいうのは、それが保証されていない以上、無責任な発言でしかないわけです。言ってる本人は慰めのつもりなんだろうけどさ。かといって、「だったら私がパートナーになってあげます」というのも、傲慢。相手にだって選ぶ権利というのがあります。
 「考慮の対象として立候補します」というのは、かなり誠実な対応だと思います。だけど、それで交際してみて「やっぱり嫌だ」とか言ったら、相手はますます深く傷ついてしまう可能性があります。

 そんなわけで、なんにせよ「人生をともに生きるパートナーを求めています」っていう発言にコメントするというのはかなりの覚悟が必要なことなのね。

 まあ、理想を言えばですね、「私はあなたが望むなら、パートナーとして一生を共にします」と選択権を放棄しちゃうのが正しいありかたなのね。こんなの、おとぎ話の中にしかなさそうなお話だけどさ。だけど、正しいことは正しいわけです。で、そうなると、相手だってそのひとに無理強いはしたくないから、「なにがなんでも」みたいな話しではなくなります。で、そうやってつきあってみると、やっぱりお互いの誠意というものは通じ合うのね。で、なんとなくうまくまとまっちゃったりするわけです。

 昔は家の都合とかでなんとなく縁談がまとまっちゃったりすることって、あったじゃないですか。だけど、そういう形でまとまっちゃった夫婦がみんな不幸だったかというと、そうじゃなかったりするんですよね。逆に選んで選んで選びぬいて失敗する、みたいなケースが意外に多かったりします。

 そーいえばあたしのよく知ってるひとにもいたもんな。自分から掲示板で「結婚宣言」して、選択権を放棄しちゃったひとが。「あれじゃ、あたしがひどいブスみたいじゃないかぁ! ばかぁ!」とかいって相手の女性に叱られて土下座してたりするんだけど。だけど、土下座する価値はあると思うな。相手の女性がまたいいひとなのね。美人だし。こういうおとぎ話みたいな恋、というのが現代にもあったりします。男女逆、っていうのが、いまどきといえば、いまどきです。

 信念を持つのはいいことですけど、人の生き方というのはそれぞれです。

 押しつけにならないように気をつけましょうね。お互いに。

 (Maria)


pocksさんへ
No.5754  Sat, 30 Jun 2001 23:29:08 +0900  KILROY [この発言にコメントする]


 pocksさんへ。

 入力システムの設定が、ひょっとして「半角カナ」の入力を許すようになってはいませんか?

 No.5439-No.5440およびNo.5748において、pocksさんのメッセージの途中から表示の乱れが起きています。

 原因の究明、および対応をお願いいたします。

 (KILROY)


Re: 職人気質! 5751へのコメント
No.5753  Sat, 30 Jun 2001 23:10:07 +0900  KILROY [この発言にコメントする]

ミッドランドさんwrote:
>(僕は「堅気」よりも「気質」と書くほうが好きです)

 「堅気」は「やくざ」の反対語だったような気がするのだが。

> しかし、僕は「職人芸」を支えているのはこの「頑固さ」であると思うのです。
>「頑固さ」は強いて言えば「こだわり」です。この「こだわり」が職人技につな
>がり、そして「モノづくり文化」へと進化していった、そんな気がするのです。

 「こだわり」というのは、「本質的でないことに拘泥すること」をいう。

 「必要なことを徹底する」のは、「こだわり」でも「頑固」でもない。また、製造の現場で必要とされるものは、「芸」などのような評価不能なものではない。確かな「わざ(技/業)」である。

 職人修行の第一は、おおむね「掃除」である。これは精神論ではない。それが「必要だから」だ。精密加工、精密塗装の世界では、「必要でないものを徹底的に排除する」ことがぜひとも必要である。それは半導体産業などに顕著に見られる。

 本質を見ろ。

 (KILROY)


Re: これはNLDでは? 5749へのコメント
No.5752  Sat, 30 Jun 2001 23:05:21 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

ひま人 wrote:
>武田好史 wrote:
>
>> 結果は院長先生より発表されました。私はやはりAS+ADHDで、言語性IQは高く106であり、反対に動作性IQは低く66で、平均してIQ88ということでした。
>
>この言語性IQと動作性IQとのアンバランスは、NLD児・者の知能の特徴だと思われます。とくに動作性IQが言語性IQよりも100も低いというのは、NLDである可能性がきわめて高いのではないでしょうか。

 私は「規則的に身体を動かす」ということが非常に苦手です。どうしても衝動的に行動してしまいます。 例えばです、ほうきでゴミを掃く・草取りをするという作業で重要なのは、「除かなければならないのは、ゴミや草ではなく、それらがある場所である。」ということが判ったのはつい最近のことで、それまでは四角い部屋を丸く掃いたり・草を取り残したりということがよくありました。
 また注意が散漫な方で、小さい頃から忘れ物・なくしものが多いです。99%同じで1%違うというような感じのものを見分けるのも苦手で、小学生の時に隣の子の教科書を間違えてもって返ったりしたり、マンガのふろくの間違え探しの絵を見てもどこがどう違うのか判らないことのほうが多いです。
 スケッチというものも苦手で、小学6年生の時に「屋上から見える風景を描きなさい」という課題をだされて、途方に暮れて時間が来ても画用紙が白紙だったので先生にひどく叱られたことがありますし、学生時代に地質学を勉強していても、用語的な知識は豊富にあるにも関わらず地質調査となるとからっきし活躍できず、大きな露頭(地層の見える場所)にでくわすと、他の人たちは心をときめかすのに私はもうパニック状態でした。博物館の学芸員になりたいという夢をあきらめたきっかけの一つです。


職人気質!
No.5751  Sat, 30 Jun 2001 19:25:47 +0900  ミッドランド [この発言にコメントする]

 職人の端くれとして、僕が常々考えていること、それは

#「職人気質(しょくにんかたぎ)」

についてです。(僕は「堅気」よりも「気質」と書くほうが好きです)

 これは良い解釈と悪い解釈があります。

 良い解釈には、・プロフェッショナルの技の持ち主。
        ・その技で生きている。
        ・何よりも自分の仕事に誇りを持っている。 

などなど、「技」に重点をおいた意味合いになります。それに対し、悪い解釈となると、その意味合いは決まってこれ!

「頑固で融通がきかない」

……ま、あながち間違ってもいませんが。
 しかし、僕は「職人芸」を支えているのはこの「頑固さ」であると思うのです。「頑固さ」は強いて言えば「こだわり」です。この「こだわり」が職人技につながり、そして「モノづくり文化」へと進化していった、そんな気がするのです。

 特に伝統工芸、あれこそ「頑固さ」「こだわり」「モノづくり文化」の集大成であると思います。伝統工芸は貴重な日本文化です。いわば「職人気質」が日本文化を支えているということです。ですから僕は伝統工芸の職人に尊敬の念を持ってしまいます(実は大学を出たあと、進む道に迷ってその道へ進もうかと考えた)。

 あ、「こだわり」といえばASに特有のものですよね。それでいくと「職人気質」はASと通ずるところがあるような気がします。だから僕も職人として生きていけるのかもしれません。

 でも、ASを「頑固」と呼ぶのは語弊がありますね。

 「職人気質」を実は自覚していない   ミッドランド 


Re: これはNLDでは? 5749へのコメント
No.5750  Sat, 30 Jun 2001 14:53:53 +0900  くると [この発言にコメントする]

 複合型LDのくるとです。武田さんとひま人さんのコメントに横レスします。

ひま人さん wrote:
>武田好史 wrote:
>
>> 結果は院長先生より発表されました。私はやはりAS+ADHDで、言語
>>性IQは高く106であり、反対に動作性IQは低く66で、平均してIQ88と
>>いうことでした。

>この言語性IQと動作性IQとのアンバランスは、NLD児・者の知能の特徴だと>思われます。とくに動作性IQが言語性IQよりも100も低いというのは、NL>Dである可能性がきわめて高いのではないでしょうか。

ここで、医学的LDと教育学的LDの問題を分けておく必要があります。

(医学的な意味でのNLD)

 あくまで、学力だけの問題を扱います。ここではNLDとは、脳機能障
害が原因ではあるが、読み,書き,計算意外の分野に問題があって、学力
困難をおこす人のことです。

(教育学的なNLD)

 ここでいうNLDとは、脳機能障害が原因になって

(1)社会性
(2)注意集中・多動
(3)体の器用さ

 に困難を抱えている人のことを指しています。これを見て気がついた人
はいるかもしれませんが、教育学的なNLDには、高機能自閉症,AS,
AD(H)D,発達性協調運動障害などが全て含まれることになります。

(まとめ)

 従って、武田さんのように(AS+ADHD)と診断された人は、教育
学的に見ればNLDと判断される可能性があります。でも、教育学的にN
LDと判断された人は、医学的にはLD以外の診断がついてしまう可能性
が高いのです。

 余談ですが、不肖くるとは教育学的に複合型LDと判断されています。
しかし、主な問題が社会認知能力や体の器用さや注意集中であり、医学的
にはLD以外の診断がつく可能性が高いと思います。


Re: これはNLDでは? 5705へのコメント
No.5749  Sat, 30 Jun 2001 08:37:03 +0900  ひま人 [この発言にコメントする]

武田好史 wrote:

> 結果は院長先生より発表されました。私はやはりAS+ADHDで、言語性IQは高く106であり、反対に動作性IQは低く66で、平均してIQ88ということでした。

この言語性IQと動作性IQとのアンバランスは、NLD児・者の知能の特徴だと思われます。とくに動作性IQが言語性IQよりも100も低いというのは、NLDである可能性がきわめて高いのではないでしょうか。

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