アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
makichan wrote:
>みどりさん wrote:
> 自閉症は先天性のものだというのが医学の通説です。ただ自分の経験だけでいうと、それはちょっと違うんじゃないかなあと思うんですね。
「後天的な要因により“先天的な”自閉症と同じ症状が現れたもので、医学的な自閉症とは別のもの」
ということではないでしょうか?
tien wrote
>私の愛猫も16才で、先月癌の摘出手術をして、
>次は悪性のウイルス性風邪からやっと生還しました。病気の最中でさえ、
>私は家族中で一番パニック状態でしたから、お気持ちは痛いほど分かります。
1年ほど前に、どこかの動物愛護団体から、長寿犬飼育者の表彰を頂いた時、その時から彼女の死をありありと意識してしまい、以前の書き込みのTienさんと全く同じ状態でした。
また、2ヶ月ほど前、彼女が突然いなくなりました。この時、とても辛かったです。近所を探しまくりました。翌日、見つかったのですが(小学生が保護して連れて帰っていた)
寝ていても目を閉じていても暗闇から彼女が出てくるのです。
涙はボロボロでるし、おかしくなりそうでした。
だから、彼女は死んでしまったけれど、
ある日突然、全く彼女が消えてしまうより、ずっとましだと思っています。
現に今、お家の中にいるし(寝ているみたい・・・)。
彼女は、子供に人気のある犬でした。よく、中学生とかにも「かわいい」とすれ違いに言われました。
自慢の犬でした。美人です。今でも、突然彼女が私の家に来た時のことを思いだせる。うれしかったこと。
中学校から帰ってみるとびっくり。姉が拾ってきた子犬でした。
今朝、働きながらずっと考えたけど、でもでもでも、やはり、犬といえど、家族の一員です。
祖母と同じ墓に納骨させてあげることはできなのだろうか?
両親に、聞いてみます。頼んでみます。
Tienさん、本当にありがとう。
PS. 私はよくこの掲示板にROMしにくるのだけど、貴方の言っていることが私には良く分かる。
> だっはぁ~。やっぱいるんだ。あきれちゃいますよね。
> 問題なのは本人よりも、おはらいを受けさせる大人たちのほうじゃないかしら。
当時は自閉症というといわゆるカナータイプのことで、アスペのことは
一般に知られておらず、精神病院というと一度入れば出てこれないコワい
所でしたから、頼るところのない親が藁にもすがるべく宗教に走ったのは
無理もなかったのではないかと思います。
現代であっても、6年前後前(アスペ問題が注目されだした後)の話ですが、
子供の逸脱についてはまず情緒障害を疑うようで、最近診断の出た子供が
いじめられて不登校になっていた時に駆け込んだとある大きな病院では、
いじめはおいといてまずは親子関係の改善とか言ってたくらいです。
子供は、今の目で見ると教科書に載せたいくらいの典型アスペですが、
一歳半検診をすり抜け、子供の興味を一方的に聞かされていた教師の
目も引かず、私がアスペについて知るまで身近な者の誰一人発達障害
の可能性を指摘しませんでした。(情緒障害あるいは育て方の問題と
いう指摘ならあった。)
この経験からわかるのは、発達障害の専門家の不足(問題が起きても
それを疑ってくれる人がいない)が一つの問題であること、また、何度も
学校や教育委員会に相談を持ちかけていたにもかかわらず、いじめ問題は
軽視され、効果的なサポートが得られなかったことです。
実質的にサポートなしか、あっても効果がないとなれば、最後には神仏でも
キツネでも頼りたくなる気持ちは理解できます。
あえて私は言いたい。子供の問題行動に悩む親を放置して神頼みしかない
状態にまで追い込む日本の社会に問題があるのだと。
だからといって、子供の頃受けたお祓いに納得できるわけでもないし、
親としての私は自閉症のためもあってか宗教に走ろうとは思いません
でしたが。
Xanadii wrote:
> 前回No.5782にレス下さった方、またはお読み頂いた方、ありがとうございました。
> でも、自分でこんな話題振っといて、じつはやっぱりすこし虚しいのよね。
> というのは、「Through~」に書き込んだ内容というのは、誰に読んでもらいたかったかというと、「自身も健常者で、親しい間柄にある者に、一人も障害者のいない者」といった人々なんですよ。つまり、幸運にも、現時点で生まれながらの、あるいは後天的な障害や病気といったものを保持していなくて、幸運にも「障害」というものを、ふだん意識せずに日々を過ごしおおせているひとたち(これをかりにN群とする)に、ってこと。
>
> 「Through~」に限らず、この掲示板に参加するすべての人のコメントあるいはレスを、そういう人々に読んでもらいたい、そして理解してほしい、という願望は、書込みをする皆さんの中にもあるのでは?そしてそれは、果たして叶えられているのだろうか?
>
> 現時点では、書込み参加者の人たちっていうのは、全員、本人なり、子供なり、親兄弟なり、配偶者なり、その他血縁関係にある者に、なんらかの障害を発見されている、または疑いがある、という事情がおあり(これをかりにA群とする)なのですよね?
>
> N群の人々は、どうしているのか?ただ終始無言でROMしていっているのみなのか、なぜ、ただだまって見ているのみなのか?それがいいか悪いかってことじゃないんです。それより私が考えたいのは、「N群の人々を、この掲示板に参加させ、発言してもらうのはどうか?」ってことについてなんですよ。
> べつにもともと、館の掲示板には、「N群の者は近づくべからず」といった制限が設けられているというわけでは、なかったはず。それにもかかわらず、そういう人々がここにいない(過去にはtakaさんのような例もあったけれど、今どうしているか分からないしね)ということは、どういうことなんだろうな?やはり「障害」、とりわけ精神障害に対する遠慮というかタブーからなのか?
> どういう理由からであれ、N群の人々が、自分から語り出さなければ、私の疑問は解決しないんだろう(もちろんこの掲示板は、自由参加が基本だ。それは私も前提としているつもり)。
>
> 私はずっと、ある意味「自分はN群だ」と思い込んできた過去があるから、もし「自分がA群に入るかも知れない」ということに気付かなかったら、やはりこの掲示板の存在を知ったとしても、参加はしなかったのだろうか?そんなことを考えてる。
>
> A群の皆さんは、どう思われますか?
Nの人は単に怖いんじゃないの。
NがNであるという意味知りたくないだよ。精神科医でさえそんな人いるもの。
>
>
>
>
>
>
>
>
みどりさん wrote:
>さらに空想したこと。
>
>仮に後天性のアスペというのが存在したとしたら、どうだろう。
私がそのタイプだろうと思います。
>ある日突然、それまで感じることができた人の感情がよくわからなくなる。
>ある日突然、それまで適当にこなしていた日常のさまざまなことが、一部はとことんまでやらなければ気がすまなくなり、一部はさっぱりできなくなる。
>
>それまでの「普通」な生活により、「配慮」や「バランス」を重要だと認識している。ただ、ある日突然、それらがうまくできなくなってしまう。
>一方、いままで考えもしなかったことに快適さを発見してしまう。
>
自分が20歳の時それを経験しています。5月のゴールデンウィークの後半、大学2年(一浪でした)の学期がはじまったばかりの頃です。知り合いの英語の外人教師となにかエッチな話をしていた時にそれは急にきました。「アッ わかった!」その時はそう思いました。なにが解かったのか今になってみればよく解からないのですが。
ただそれ以来なにもかもがガラリとかわっていましたね。
躁病らしきものが一週間ばかりつづきました。ほとんど眠らずはしゃぎまっくていたので、一気に体重が5~6キロ落ちました。
もちろん医者にいきました。が医者は、自分には手におえないとさっさと匙なげちゃいましたね。大学付属病院でしたよ。今だから言えるんだけど、その地方で一番権威ある医者があんなこと言っちゃいけないと思いますね。手に負えないのであれば別の医者を紹介するとか他に方法があったと思う。自分に合う医者に出会えるまで待つしかないだって。馬鹿じゃないかね。腹が痛いという患者に、治せる医者に会えるまで待てとでも言うのかね。小説読みすぎとちゃうかい。この地方の風土が私に合わないのだろうと親には説明したそうな。適当なところでお茶を濁しやがってとこんなところで興奮してもはじまらんが。
医者が解からないというんだったら大したことはないのかあと思って、学校に行きはするもの授業は全然頭に入らないし、親と相談しても気のせいだ、怠けているだけだといって相手にしてもらえないし、教師なんか生徒と個人的な話し合いをしようとする態度まるでなかったですね。学生相談室みたいなところあったみたいですがその時は全然目につかなかった。とりあえず休学届を出して、遊んでるわけにもいかなかったので、しばらく肉体労働でもすれば気がはれるかと思って仕事さがしに上京しました。体だけは丈夫でしたから。
自分の状態が「病的である」とわかったのはそれから4年後でした。鬱に我慢ならなくなって東京のクリニックに駆け込みました。それでやっと診断もらえたんです。つけられた診断名は「自己同一性拡散」でした。(その時のことは後日機会あればカキコします。)結局大学を棒にふりました。鬱で苦しんでいても周りからろくに相手にされませんでした。怖いものはなにもありませんでした。感覚自体がなかったんです。怖いとか悲しいとか嬉しいとか。だからなんでもできましたね。あの頃はホントに危険だったとおもいます。よく傷害事件や自傷事件おこさずこれたものだと思いますね。自分にわからないところで人に助けてもらっていたのかもしれません。ただ最初のK大のK先生の態度は今でも許せないですね。あんな人あんな所に居ちゃあいけない。患者がかわいそうだよ。患者が医者を選べる都会の人はまだいい。選べない境遇のひとだっていくらでもいるんですよ。特に地方には。
全ては運なのかもしれません。事件おこさず今まで生きてこれたという程度において、幸せだったといえるかもしれませんしね。
ここのところみていて、オウム事件や宮崎勤の事件以来親や世間の見方が随分変わったように思います。「こころのありかた」により関心もたれるようになったのはいい事だとおもいます。不幸な事件を経験しないと幸福のありかたがわからないのだったらとても皮肉なことだけども。
>
>誰か書いてくれませんか。文庫本になったら買いますから。
私には文才がないですから遠慮します。それに出版しても採算とれません。
フランツカフカの「変身」はまさにそういう内容じゃないですか。ある日目が覚めたら芋虫になっていたなんていうのは・・。
自閉症は先天性のものだというのが医学の通説です。ただ自分の経験だけでいうと、それはちょっと違うんじゃないかなあと思うんですね。確かに小さい頃から一人遊びが好きで、浮いた存在でした。ちょっと前にNHKの番組に出ていたアスペルガー女の子、一人黙々と掃除する姿は小学生時代の自分にそっくりです。だけどまだあのころの自分にはありありと現実感覚があったんです。生きてる実感があったんです。それに20歳の時の強烈な経験があるし。
幼児期にこころに傷が入り思春期に発症するという説明が自分にはピッタリのように思いますね。いづれにせよ心のメカニズム研究すすんでよりよき明日が来る事願ってカキコしました。
私にも明日を信じる心が少しながら残ってるんですね。(笑)
Xanadii wrote:
こんばんは、Xanadiiさん。
>「Through~」に限らず、この掲示板に参加するすべての人のコメントあるいはレ>スを、そういう人々に読んでもらいたい、そして理解してほしい、という願望は、>書込みをする皆さんの中にもあるのでは?そしてそれは、果たして叶えられている>のだろうか?
もし、もしですよ、私がN群で、たまたまここを見たとしても、そうだなあ、
「変な人のあつまりだな。」ぐらいでさっさと去るんじゃないかと思いました。
悲しい反応ですけど。
>N群の人々は、どうしているのか?ただ終始無言でROMしていっているのみなの
>か、なぜ、ただだまって見ているのみなのか?それがいいか悪いかってことじゃな>いんです。それより私が考えたいのは、「N群の人々を、この掲示板に参加させ、
>発言してもらうのはどうか?」ってことについてなんですよ。
> べつにもともと、館の掲示板には、「N群の者は近づくべからず」といった制限
>が設けられているというわけでは、なかったはず。それにもかかわらず、そういう>人々がここにいない(過去にはtakaさんのような例もあったけれど、今どうしてい>るか分からないしね)ということは、どういうことなんだろうな?やはり「障
>害」、とりわけ精神障害に対する遠慮というかタブーからなのか?
発言しようとしても、私が彼らを分からないのと同じで、彼らはどう言えば良いのか分からないんではないでしょうか?
> 私はずっと、ある意味「自分はN群だ」と思い込んできた過去があるから、もし
>「自分がA群に入るかも知れない」ということに気付かなかったら、やはりこの掲
>示板の存在を知ったとしても、参加はしなかったのだろうか?そんなことを考えて>る。
私がN群だったら、意見しても傲慢に聞こえたらいけないな、とか、どうして相手の事がわからないんですか?が叱責調になるからやっぱりやめとこう、
って思うと思うんですが...。
まじわらない 永遠の線路
先には 橋がかかっても
いつか だれかが横切っても
線路は ふたつ 走ってゆく
こんな感じました...。
ぱっくん wrote:
>こんにちは。突然ですみません。ASと全く関係ないことなんですけど、質問させて>ください。今日、愛犬が亡くなりました。16年以上一緒でした。もちろん、寂しい>です。悲しいです。明日、お別れです。その時、骨を持って帰るかどうしようか迷>っています。母ももちろん可愛がっていました。だけど、
>骨は欲しくないと言います。持っていたくないと言います。
>小さい庭があるのですが、庭に骨を埋めたくないと言います。
こんにちは、ぱっくんさん。私の愛猫も16才で、先月癌の摘出手術をして、
次は悪性のウイルス性風邪からやっと生還しました。病気の最中でさえ、
私は家族中で一番パニック状態でしたから、お気持ちは痛いほど分かります。
>動物を飼っていて経験のある方(又は、この方面に詳しい方)、骨はどうなされて>ますか? 動物の骨は持っていない方が良いのでしょうか?
>後々、後悔したくないので、どうすれば一番いいか迷っています。
>(もちろん、一番の願いは、彼女が安らかに眠ってくれることだけなのですが。)
>なにかいい案があれば、教えて下さい。よろしくお願いします。
私も、家族も、もちろん心の準備をしなければいけない時期に来ていますので、
ペットロス関係のHP等いろいろ参考にしています。どう考えても、人間より
先に逝くのは彼らですからね。宗教に詳しい方の意見を以前伺いましたら、
基本的に骨は箱等に入れて側に置いてはいけないと言われました。彼らにも
行くべきところがあるのだから、いつまでも無理にそばに引き留めて置いてはいけないと。基本的に庭があったら土に返すという事で埋めても良いと言われましたよ。
魂は肉体をもう離れていると私は思います。
そしてもしかするとあなたのそばに座っているかも知れない。
最後はもしかすると苦しい状態だったかも知れない。それから解放された、
天寿を全うした、と考えて良いと思います。16才というのは超高齢ですから、
よほどご家族全員で大事にされたのだろうと思います。
普通は8-10才で逝ってしまうでしょう?それを超えて家族として日々を
共にされたのですから、きっとわんちゃんも幸せだったと思います。
お気を悪くされたらごめんなさい。
武田好史 wrote:
>今日私は、地元の図書館で薬の事典を読んでいました。その中のハロペリドール等>の強力精神安定剤の飲み合わせに対する注意事項の中に、
>「グレープフルーツジュースとの飲み合わせについては、医師と相談するよう
>に。」という文言がありました。このことは、つまりは「グレープフルーツと一緒>にこれらの薬を摂取すると、相乗効果で身体に不都合なことが起こる」ということ>なのでしょうか?
>ご存じの方がいらっしゃいましたら、教えて下さい。
こんばんは、武田さん。
グレープフルーツはあなどれない、と私も以前何かの薬との相互作用を読んで
思いました。調べましたところ、
特定医療法人一陽会病院HPhttp://www1.ocn.ne.jp/~ichiyo/index.html
にありました。
今月のノート(平成12年10月)精神科・心療内科の薬とグレープフルーツジュース
*追記(平成13年2月12日)あり
ある種の降圧薬(ジヒドロピリジン系カルシウム拮抗薬、たとえばアムロジンやアダラートなど)、消化管薬のアセナリンなどを飲んでいる患者さんは、「グレープフルーツジュースを飲むと、薬の効きめが強く出るので、グレープフルーツジュースを飲まないように」と指導されています。これは、グレープフルーツジュースに含まれる天然フラボノイドが、薬の分解酵素(CYP3A4と呼ばれている)の働きを妨害するためと考えられています(参考文献1)。
あまり知られていないのですが、精神科・心療内科の薬でも、グレープフルーツジュースを飲むと、薬の効きめが強くでることがあります。文献に出ているものとしては、感情調整剤・抗てんかん薬のテグレトール、安定剤のセルシン、睡眠薬のハルシオン、抗うつ薬のアナフラニールなどがあります(参考文献2)。
また文献上明らかでなくても、CYP3A4で分解される薬は数多くあり、理論上これらの薬は、グレープフルーツジュースを飲むと、薬の効きめが強くでると考えられます。たとえば、抗うつ薬のトフラニール、抗不安薬のソラナックスなどです(参考文献3)。これらの薬以外でも、メーカーに問い合わせてみると、CYP3A4で分解されるという精神科・心療内科の薬は多いようです。医薬品集に書いていないからといって安心はできません。
グレープフルーツジュースを飲んでも影響のない(CYP3A4で分解されない)安定剤もありますが、どの薬が大丈夫かをいちいち確かめるのは大変です。またグレープフルーツジュースによる影響は、個人の体質や薬の種類によっても違うので、飲んでもよい量を決めるのは簡単ではありません。こうしたことを考えると、精神科薬・心療内科の薬を飲んでいる患者さんは、グレープフルーツジュースを飲まないほうが安心だと思われます。
なお野菜ジュースや炭酸ジュースなどの味を整えるために、グレープフルーツジュースが少量入っていることがあります。精神科薬・心療内科の薬とグレープフルーツジュースとの関係をみた研究(参考文献2)では、グレープフルーツジュースの摂取量は150~300mlです。ですから、少量であれば(何本も飲むのでなければ)、それほど心配はいらないと思われます。(担当:伊藤光宏)
追記(平成13年2月12日):ある患者様から、グレープフルーツジュースを飲んで、何時間たてば、薬を飲んでも大丈夫なのかという質問をいただきました。参考文献4によれば。グレープフルーツが薬の濃度を上げる作用は12時間以上続くということです。ですから、時間をあければ大丈夫というものではなさそうです。
参考文献1 この薬の多剤併用副作用 第2版(松田重三 編集), 医師薬出版株式会社.
参考文献2 寺尾岳, 堀広子, 中村純:嗜好品と向精神薬の相互作用, 精神科治療学, 14, 975-980, 1999.
参考文献3 渡辺雅幸:向精神薬の代謝と相互作用, 臨床精神医学講座14巻, 546-564, 1999, 中山書店.
参考文献4 越前宏俊:薬物相互作用を考える④.Medical Asahi 2000 December, 54-56, 2000.
ご参考になりますでしょうか???
こんにちは。突然ですみません。ASと全く関係ないことなんですけど、質問させてください。
今日、愛犬が亡くなりました。16年以上一緒でした。もちろん、寂しいです。悲しいです。
明日、お別れです。その時、骨を持って帰るかどうしようか迷っています。
母ももちろん可愛がっていました。だけど、
骨は欲しくないと言います。持っていたくないと言います。
小さい庭があるのですが、庭に骨を埋めたくないと言います。
動物を飼っていて経験のある方(又は、この方面に詳しい方)、骨はどうなされてますか? 動物の骨は持っていない方が良いのでしょうか?
後々、後悔したくないので、どうすれば一番いいか迷っています。
(もちろん、一番の願いは、彼女が安らかに眠ってくれることだけなのですが。)
なにかいい案があれば、教えて下さい。よろしくお願いします。
#つい7日前に、祖母(93歳)が亡くなったばかりだったのに。
#たった、7日の間に2つの死を見てしまいました。 命というのは、あっけないです・・・。
#今日は、彼女の体を洗って綺麗にして、お線香を立てて・・・。
#一杯、一杯、ありがとうを言いました(とても、言葉では言い足りない・・・)。
#多分、これから、段段、辛くなってくる。姿が見えなくなると、悲しい。寂しい。
#今はまだ、一緒にいられるから、ずっと眺めていられる。なでてあげられる。
くるとです。今日は無意味に書き散らします。
みなさんはイソップ童話に登場するコウモリの話をご存知ですか?
鳥と獣(哺乳類)が戦争をしていた時、鳥には「自分は獣だ」と言い
獣には「自分は鳥だ」と言って中立を守っていたコウモリの話です。
けっきょく戦争が終わった後、どっちつかずだったコウモリは鳥から
も獣からも孤立してしまうという結末でしたね。
わたしは別にどっちつかずの態度を取っていた訳ではありませんけ
ど、子供の頃からコウモリのような立場に置かれていました。子供の
頃から自閉症,発達遅滞,肢体不自由,MBD,教育学LDなど、様
々な可能性が指摘されてきましたが、はっきりとした判断が下された
のは教育学LDだけでした。
健常者の立場から見ればわたしは「普通じゃなかった」そうですが
障害者の立場から見れば「健常者」か「めぐまれた障害者」に見えた
ようです。普通学級でも障害児の相談機関でも自分に似た子供に出会
うことはあまりありませんでした。
だから、わたしはコウモリに共感します。この世界では白なのか黒
なのかがはっきりしない位置にいる人間がたくさんいるのではないで
しょうか?
ASをはじめとする軽度発達障害も、発達障害者と健常者の間に発
生したコウモリみたいなものなのかな?と思う今日この頃です。
という訳で無意味なコメントを終りにしたいと思います。
今日私は、地元の図書館で薬の事典を読んでいました。その中のハロペリドール等の強力精神安定剤の飲み合わせに対する注意事項の中に、
「グレープフルーツジュースとの飲み合わせについては、医師と相談するように。」
という文言がありました。
このことは、つまりは「グレープフルーツと一緒にこれらの薬を摂取すると、相乗効果で身体に不都合なことが起こる」ということなのでしょうか?
ご存じの方がいらっしゃいましたら、教えて下さい。
前回No.5782にレス下さった方、またはお読み頂いた方、ありがとうございました。
でも、自分でこんな話題振っといて、じつはやっぱりすこし虚しいのよね。
というのは、「Through~」に書き込んだ内容というのは、誰に読んでもらいたかったかというと、「自身も健常者で、親しい間柄にある者に、一人も障害者のいない者」といった人々なんですよ。つまり、幸運にも、現時点で生まれながらの、あるいは後天的な障害や病気といったものを保持していなくて、幸運にも「障害」というものを、ふだん意識せずに日々を過ごしおおせているひとたち(これをかりにN群とする)に、ってこと。
「Through~」に限らず、この掲示板に参加するすべての人のコメントあるいはレスを、そういう人々に読んでもらいたい、そして理解してほしい、という願望は、書込みをする皆さんの中にもあるのでは?そしてそれは、果たして叶えられているのだろうか?
現時点では、書込み参加者の人たちっていうのは、全員、本人なり、子供なり、親兄弟なり、配偶者なり、その他血縁関係にある者に、なんらかの障害を発見されている、または疑いがある、という事情がおあり(これをかりにA群とする)なのですよね?
N群の人々は、どうしているのか?ただ終始無言でROMしていっているのみなのか、なぜ、ただだまって見ているのみなのか?それがいいか悪いかってことじゃないんです。それより私が考えたいのは、「N群の人々を、この掲示板に参加させ、発言してもらうのはどうか?」ってことについてなんですよ。
べつにもともと、館の掲示板には、「N群の者は近づくべからず」といった制限が設けられているというわけでは、なかったはず。それにもかかわらず、そういう人々がここにいない(過去にはtakaさんのような例もあったけれど、今どうしているか分からないしね)ということは、どういうことなんだろうな?やはり「障害」、とりわけ精神障害に対する遠慮というかタブーからなのか?
どういう理由からであれ、N群の人々が、自分から語り出さなければ、私の疑問は解決しないんだろう(もちろんこの掲示板は、自由参加が基本だ。それは私も前提としているつもり)。
私はずっと、ある意味「自分はN群だ」と思い込んできた過去があるから、もし「自分がA群に入るかも知れない」ということに気付かなかったら、やはりこの掲示板の存在を知ったとしても、参加はしなかったのだろうか?そんなことを考えてる。
A群の皆さんは、どう思われますか?
Xanadii wrote:
>名加野 wrote:
>> こんにちは、横レスになりますが
>>
>>武田好史 wrote:
>>> 私は最近、ASが「普通の人」に理解されないのは、「こんな私に何ができるの・・」という、相手に対して閉鎖的とか非協力的にみられる感じで人と接してしまいがちななところにあるのではという気がしてきました。「とりあえず、できる範囲で周りの人の期待に応えよう。」「健常者も実は障害者であることを忘れずにいよう。」、こんな感じの譲歩を見せることも私たちが明るい未来を築くために必要なことだと、思えるようになった今日この頃です。
>>
>> これを見て前から思っていた事があります。それは「人類皆変人(体)」です。
>
>> それで意識を変えてもらうに当たって「人類皆変人(体)」(インパクトがあれば言葉は何でも良いけど)と考えればすんなり行くのでは? と考えた次第です。良い案だと思うんですが、どうでしょうか?
>
> (体)は、たぶん(態)のことですよね。
> 名加野さんの考えも、もっともだと思うのですが、やはり「どのように育っても良い」「どんな人間がいても良い」というところを一歩、間違うと、ひとに迷惑ばかりかけてしまう人間が育ってしまうこともあるわけですよ。受け入れたくない「ヘンな人間」というのは、やっぱりいるわけで、この前テレビでも社会学者か誰か言ってたけれど、「ヘンな大人ばかり育ってしまう集団は、滅びる運命を選び取るしかない」んですよね。
>
> 「変人」はいいんだけどさ、わきまえのないただの「イナカモン」は要らねえよな。
> 以前、電車に乗っていたら、私のすぐ横に立ってたカップルが、口移しでガム噛んでてさ。クッチャクッチャペッチャペッチャ音立ててさあ。吐き気が込み上げつつ、こりゃこいつら変態か、でなきゃイナカモンだと思ったね。
> まあそういうカップルを見て、「うらやましい!愛があるわね!あたしも真似したい!」と思う人間もいるかも分かったもんじゃないけど(また本人たちも、「見て頂戴」とでも言わんばかりだったが、まずは御両人とも鏡を見てからにしていただきかった)、わたくし個人は、こういった人々を「低脳」と呼んで、差別しております。
>
> 「変人」を気取るにも、まず「クール」とは何かを、自分なりに考えていただきたいものだ。
>
そうですね。分別をもって自分らしく・つぶれずに・悠々自適でということでしょうか・・・
名加野 wrote:
> こんにちは、横レスになりますが
>
>武田好史 wrote:
>> 私は最近、ASが「普通の人」に理解されないのは、「こんな私に何ができるの・・」という、相手に対して閉鎖的とか非協力的にみられる感じで人と接してしまいがちななところにあるのではという気がしてきました。「とりあえず、できる範囲で周りの人の期待に応えよう。」「健常者も実は障害者であることを忘れずにいよう。」、こんな感じの譲歩を見せることも私たちが明るい未来を築くために必要なことだと、思えるようになった今日この頃です。
>
> これを見て前から思っていた事があります。それは「人類皆変人(体)」です。
> それで意識を変えてもらうに当たって「人類皆変人(体)」(インパクトがあれば言葉は何でも良いけど)と考えればすんなり行くのでは? と考えた次第です。良い案だと思うんですが、どうでしょうか?
(体)は、たぶん(態)のことですよね。
名加野さんの考えも、もっともだと思うのですが、やはり「どのように育っても良い」「どんな人間がいても良い」というところを一歩、間違うと、ひとに迷惑ばかりかけてしまう人間が育ってしまうこともあるわけですよ。受け入れたくない「ヘンな人間」というのは、やっぱりいるわけで、この前テレビでも社会学者か誰か言ってたけれど、「ヘンな大人ばかり育ってしまう集団は、滅びる運命を選び取るしかない」んですよね。
「変人」はいいんだけどさ、わきまえのないただの「イナカモン」は要らねえよな。
以前、電車に乗っていたら、私のすぐ横に立ってたカップルが、口移しでガム噛んでてさ。クッチャクッチャペッチャペッチャ音立ててさあ。吐き気が込み上げつつ、こりゃこいつら変態か、でなきゃイナカモンだと思ったね。
まあそういうカップルを見て、「うらやましい!愛があるわね!あたしも真似したい!」と思う人間もいるかも分かったもんじゃないけど(また本人たちも、「見て頂戴」とでも言わんばかりだったが、まずは御両人とも鏡を見てからにしていただきかった)、わたくし個人は、こういった人々を「低脳」と呼んで、差別しております。
「変人」を気取るにも、まず「クール」とは何かを、自分なりに考えていただきたいものだ。
みどり wrote:
>
>ドラマの一つくらいはかけるかもしれない。
>
>主人公は結婚を目前に控えた若い人にしましょう。一ヶ月くらい前に告知された方が話が盛り上がるかな。仕事も最初は営業とかでしょう。
>そのうち、家族の中のある嫌いな人が、先天性のアスペの人だったことが判明。でも仲間だからといって主人公を助けてくれるというわけではない。
あっはっはっはっは。確かに面白いかもしれないですね。でもこういった、ブラック・ジョーク入ってるドラマは、むしろイギリス人に作らせたほうが、うけるかもしれない。日本だとどうしてもシリアスに湿っぽく見せられちゃって、そのわりにはキレイに仕上げられすぎちゃって、掘り下げ方がもの足りなかったりするんだろうね。それにどうせ、うけたとしたって、ブームとして消費されるばっかりで、長続きしないだろうしな、この国じゃ(笑)。
ミッドランド wrote:
>Xanadii wrote:
>
>> 上の①②③の理由が、もしあなたの中にあるとしたら、それはやはり自閉症は「恥ずかしい」病気なのだという認識があることを、ご自分に対して認めていただきたい。
>
> 自閉症は「病気」ではなく「障害」なのでは? ミッドランド
私もそうだと思いますよ。書き方が悪かったかな。「恥ずかしい」病気、ではなくて「恥ずかしい病気」だわね。かぎかっこでくくった部分は“世の中の誤った認識への指摘”のつもりだったわけ。そういう人たちもいるんじゃないかっていう想定ってことで。おはらいしたがる人々もいる世界、いてもおかしくないでしょう?
pocksさん wrote:
>>やんちゃんさん wrote:
>>「これはおかしい」と、病院…ではなくて祈祷師のところに
>>連れて行かれたそうです。
>
>数十年前ですが、お祓いを受けた経験があります。
>受ける方は「宇宙ロケットが飛ぶ時代だというのに、こんなことで
>この俺様がどうかなると本気で思っているのか」と、さめてましたが。
だっはぁ~。やっぱいるんだ。あきれちゃいますよね。
問題なのは本人よりも、おはらいを受けさせる大人たちのほうじゃないかしら。
もし今でも、いまどき「キツネが憑いてる」なんて言ってるような人間がいるなら、そいつは21世紀に生きる資格はないと思うけどね!
あ~、またキツネ、いやキツいこと言ってしまった...
こんにちは、横レスになりますが
武田好史 wrote:
> 私は最近、ASが「普通の人」に理解されないのは、「こんな私に何ができるの・・」という、相手に対して閉鎖的とか非協力的にみられる感じで人と接してしまいがちななところにあるのではという気がしてきました。「とりあえず、できる範囲で周りの人の期待に応えよう。」「健常者も実は障害者であることを忘れずにいよう。」、こんな感じの譲歩を見せることも私たちが明るい未来を築くために必要なことだと、思えるようになった今日この頃です。
これを見て前から思っていた事があります。それは「人類皆変人(体)」です。こう言うと皆怒るのですが、個性を言いかえるとこうなるんじゃないかと。結局の所「一人一人違う」んです。みんな、他人の心までは全て分かりません。それを補っているのが「文化」や「常識」なのでしょう。そして、その常識が通用しなくなる事態が発生すると、自己防衛(ヤバイと思った人を避ける等)を始めてしまうんだと思います。で、思うんですが「普通の人」という人達は、「皆が同じ常識を持っている」ということを前提に話していくんだと感じました。鎖に繋がれているような感じです。そこへ普通でないものが入っていき、決定的な差を見せられると引くわけです。でも「十人十色」と言う言葉がある通り、人はそれぞれ違うわけです。でも、普通の人はこの言葉の意味をあまり気にしてないように思います。言ってるのは「うわべ」だけ。分からせるには要するに「そう言う事」だけじゃないと思ってもらわなければなりません。
それで意識を変えてもらうに当たって「人類皆変人(体)」(インパクトがあれば言葉は何でも良いけど)と考えればすんなり行くのでは? と考えた次第です。良い案だと思うんですが、どうでしょうか?
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