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Re: Through the looking glass 5831へのコメント
No.5835  Thu, 5 Jul 2001 09:54:14 +0900  シュッツ [この発言にコメントする]

Makichan wrote:
>シュッツ さんwrote:
>>makichan wrote:
>>>みどりさん wrote:
>>> 自閉症は先天性のものだというのが医学の通説です。ただ自分の経験だけでいうと、それはちょっと違うんじゃないかなあと思うんですね。
>>
>>「後天的な要因により“先天的な”自閉症と同じ症状が現れたもので、医学的な自閉症とは別のもの」
>>ということではないでしょうか?
>
> 後天的な要因により“先天的”な自閉症と同じ症状が現れたものなら、医学的な自閉症と同じと言ってはいけないのでしょうか?
>
> ボクも仲間にいれてよ〜。仲良くしようよ〜。バブバブ〜。

社会的、教育学的などのような分野では同じように扱ってもいいと思うのですが、医学的には分けておかないと、先に進めなくなると思います。

例として、「手のしびれ」
(1)筋萎縮症などの病気によるしびれ
(2)凍傷によるしびれ
(3)腕をぶつけたことによるしびれ
(4)癌の転位によるしびれ(これあるのかな?)
これらは社会的生活の上で区別しなくてもいいことが多いと思うのですが(例外あり)、医学的に分類しなければ対処法が進歩しないでしょう。

そういうことなので、仲良くするしないとは無関係の話でした。
今後ともよろしく。


Re: PTSD 5833へのコメント
No.5834  Thu, 5 Jul 2001 02:25:11 +0900  みどり [この発言にコメントする]

みどり wrote:
>大きな事件があったあとの報道でPTSD の話を聞いてると、「そんなの普段のいやなことでもおこるやん」という感じの表現なんですね。

言葉が足らなかった。大きな事件での PTSD がよくあることだと言ってるわけではありません。
PTSDとはなにかの解説が、よくあることと同じ現象にすぎないように読める、ということです。


Re: PTSD 5830へのコメント
No.5833  Thu, 5 Jul 2001 01:19:31 +0900  みどり [この発言にコメントする]

大きな事件があったあとの報道でPTSD の話を聞いてると、「そんなの普段のいやなことでもおこるやん」という感じの表現なんですね。
「事件のことをなんどもありありと思い出してしまう」 思い出ってそういうものじゃないの? 非アスペの人には違うのかしら。

あるときおそらくNの人と話をしたら、「思い出して腹を立てるということはない。あああれは嫌だったなあ、と思うけど」って言われて、びっくりしました。
その人が特別なのか、私の方が特別なのか。

ありありと思い出すのがアスペ特有の現象なら、アスペの人は PTSDになりやすいのかしら。

私のPTSD的行動は、「人によくしてもらうことができない」です。姉との激しい競争社会で育って、「自分ひとりよくしてもらったら、必ずそれ以上の報復が姉からある」ことを学習してしまいました。

誰かにおごってもらうこと、理由もなくものをもらうこと、ケーキを先に選ぶこと、人よりいい評価をしてもらうこと。全部だめです。

おそらく普通の人ならば、「じゃあここはおごりましょう」「いやそんな」「まあそう言わずに」と、甚だ見苦しい光景になるんでしょうが、私はヘンに頭がまわる。
それで、「完全な断り理由」を見つけてしまうのです。それで、「じゃあここはおごりましょう」「いやでも〜〜ですから」「ああそれじゃあね」となってしまいます。

私が鷹揚な性格ならそれでもよかったのでしょうが、こうなった理由が理由ですから、同じ強さで対抗意識も根づいしまっています。ですから、他の誰かが素直におごってもらっているのを見ると、ちゃんと断らない無神経さにメラメラと腹が立ってくるのです。
トクする機会を投げ出すわ、不必要に腹は立つわ、ロクなことがないのはわかってるのに、どうしても、「これ余ってるんだけど、いらない?」と言われると、最初に浮かぶ感情は「こわい、あぶない」なのです。


Through the looking glass(自己同一性拡散について) 5829へのコメント
No.5832  Wed, 4 Jul 2001 23:59:17 +0900  Maria [この発言にコメントする]

Makichan wrote:
> 自己同一性拡散の名前知ってこんどはエリクソンの本買って読みました。
>が、てんで解からない。それでこんどは地元の県立医科大教授と肩書きの
>つく人を訪ねました。(なぜそうしたかは経緯説明するとややこしくなる
>ので省略します。)そのときの会話がケッサクだったので、記憶の限り再
>現します。
> 私「東京でIdentity defusion(英語でいうとこうなる)と言われたん
>ですが、それってどういうことなんでしょうか?」
> 先生「そんなものなんでもないよ。ただたんに甘やかされて育ってるだ
>けだ。そんなことに私は興味ない。」
> 私「いや、私が興味あるんです。私が。」
> 先生「それならエリクソンを読みたまえ。」

 あはははは……って笑っちゃいけないのか。当人にとっては笑い事じゃないもんな。だけど、その教授はご自身も理解しておられなかったのだけど、患者に見栄張って「わかりません」が言えなかったんですね、きっと。

 「自己同一性拡散」っていうのは、個人主義が徹底してる欧米社会でこそ意味のある概念で、日本にそのまんま持ってくるのには無理があります。たとえば自動車が故障してディーラーに持っていったとしても、決して謝罪の言葉は聞くことはできません。だって、そんなのメーカーの責任なんだもん。日本人みたいに「申し訳ございません」とか謝ったら、それこそ「自己同一性拡散」と診断されてしまいます。

 そんなわけで、日本人に対して「自己同一性拡散」という診断をするのはけっこう無茶なのね。で、うちのJoshya氏が以前あるひとに書いたメールの一部を引用させていただきます。なお、文中の「自我がだらしなく広がっている状態」というのが、「自己同一性拡散」状態です。

---
 「自我がだらしなく広がっている状態」というのは、「プライバシー領域がきちんと閉じていない」ということです。いわゆるムラ社会では、そこいらで立ち小便しようがステテコ一丁で歩いていようが気になりませんが、都会ではそういうわけにはゆきません。ムラ社会の「他者とのプライバシー領域の区分があいまいな社会」から都会へ出てきた人は、他者のプライバシー境界を知らず知らずのうちに侵してしまうため、「田舎者」と呼ばれます。

 都会だと、なかなか隣の家へ行って「すみませーん、味噌とお醤油貸してくださーい」という訳にはいかないし、「親戚が干し柿送ってきたんだけど、いりません?」とかいうのもありません。

 つまり、「他人」と「身内」、「自分」と「他者」という区分があいまい(その社会の規準に比べて、ですが)なのが、「自我がだらしなく広がっている状態」です。
 そこいらに置いてある他人の百円ライターを勝手に使ってついポケットに入れてしまうものだから、机の中に百円ライターがじゃらじゃらしてる奴とか、会社から帰ろうと思ったら雨が降ってたもんだから、傘立てにある傘の中から適当に一本借りて帰るということをしょっちゅうやってるもんだから、家に帰ると誰のものだかわからない傘がいっぱいある、とかいう奴は、こういうタイプ。

 「女っていうのは」「男っていうのは」「理科系っていうのは」「政治家っていうのは」「官僚っていうのは」「警察官っていうのは」みたいに、なんでもカテゴリーでくくっちゃってその中の個人個人の差を無視する、っていうのも同じこと。

 「どうして分かってくれないの? 友達でしょう?」とか「親子でしょう?」とか「夫婦でしょう?」とかいった発言も、プライバシー領域があいまいになっていることのあらわれです。友人だろうが親子だろうが夫婦だろうが言わなきゃわかんないことは言わなきゃわかんない。

 だけど、これって「組織」っていうものの中にいると、けっこうややこしい部分があります。外から見れば全体が組織だから、「それは部署が違います」「それは担当者が違います」とか言っちゃっちゃあまずい。とはいえ組織の中では、いろんな単位でいろんなグループが「ウチ」と「ソト」の関係を構成してます。普通の人だって外からいきなり入ってきたら分からないし、自閉症の人だったらなおさらわからない。

 だから、自分のわかっていることは、なんとなく他人もわかってるような気になっちゃう。誰かが知っていれば、他の人もたぶん知ってるだろう、みたいに思っちゃう。あるまとまりを考えると、その中にいる人がそれぞれ別の人格、別の個性を持った人だというのが実感としてわからない。

 私もNECにいたときに、PC-9801というコンピュータについて質問やら苦情やら受けましたけどね、あれは日本電気グループの新日本電気ホームエレクトロニクスの半導体事業部の製品であって、私は日本電気の通信事業部の人間だ、などということは申しませんでした。普通の人にとっては、「NEC」「コンピュータ」となると、完全にひとくくりです。

 だから、「相手に分からせよう」「分かっておいてもらおう」みたいな配慮ができません。「期日までに仕事が完成してたらいいんだろ?」みたいな考え方を平気でしちゃいます。相手にしてみりゃそうじゃないだろ?と思うわけですよ。

 私の場合は長年ソフトウェア業界にいたものだから、ちゃんとPERT図引いてクリティカル・パス求めてマイルストーンと確認項目決めてスケジュール表と工程表と工数表作ってユーザさんに「これでいきます。これでいいですね?」って確認とって「現在どこどこまで進行中」みたいにやってました。そうすっと最後の方になって「申し訳ないっ! あと二週間くださいっ!」みたいなことになっても「ああ、構わん構わん。こっちも事情は分かっとるし」みたいな話ができるわけですよ。そういう「気配り」ができんのですよね。

 まあ、これ言いだすと、システムエンジニアの七割はダメ、という話になるのですが。「いや、そんなことはない。九割はダメだ」(^_^;)という話もあるんだけどね。
---

 お医者さんというのは、企業に勤めてる人と違って「ウチ/ソト」の関係がややこしくないのね。ある意味ムラ社会だし。大学病院だとかいうとなおさらです。

 ……とはいえ、こういうことをくっちゃべってるあたしは何者なんだぁ、という気はしてくるな。べつに精神科医でもなんでもないんだぞ。こんなの患者に調べさせるなよぉ。ぷんぷん。

 (Maria)


Re: Through the looking glass 5818へのコメント
No.5831  Wed, 4 Jul 2001 22:59:47 +0900  Makichan [この発言にコメントする]

シュッツ さんwrote:
>makichan wrote:
>>みどりさん wrote:
>> 自閉症は先天性のものだというのが医学の通説です。ただ自分の経験だけでいうと、それはちょっと違うんじゃないかなあと思うんですね。
>
>「後天的な要因により“先天的な”自閉症と同じ症状が現れたもので、医学的な自閉症とは別のもの」
>ということではないでしょうか?

 後天的な要因により“先天的”な自閉症と同じ症状が現れたものなら、医学的な自閉症と同じと言ってはいけないのでしょうか?

 ボクも仲間にいれてよ〜。仲良くしようよ〜。バブバブ〜。


PTSD
No.5830  Wed, 4 Jul 2001 22:44:53 +0900  Maria [この発言にコメントする]


 あたしは他罰的な人の下で働くことが多かったせいで、いまだに「人にものを頼む」ということと、「留守番電話を使う」ということが苦痛だったりする。

 「他罰的な人」といっても分かりにくいかもしれない。「自分が叱ってやらなければいけないんだ」とか、「自分が教えてやらなければいけないんだ」とか、「自分が躾けてやらなければいけないんだ」とか、そういう発想に向かいやすい人である。
 で、こういう人が、えてして教育や躾けに名を借りた虐待をする人であったりするわけで、教え子の女の子や部下の女性にセクハラをしてしまう人だったりするのだな。

 で、「人に頼みごとができない」というのは、例えば仕事で必要な資料だとかソフトウェアだとかを会社に買ってもらおうとしたりすると、「それは本当に必要なものなのか?」みたいに「待った」が掛かってしまう。で、「それは本当に必要なのだ」みたいな文書を提出し、決済を待つのだけれど、これがなかなか下りない。で、「まだですか」とかいうと「検討中」とかだったりするのだな。で、「もう結構です」と言うと、「じゃあ、君は必要でもないものを必要だといって請求したのか」みたいな話になってしまうわけです。「それは業務上横領だ」とか言われてしまうのですね。そんなこんなで「当初は必要だったので、これこれこういう理由で必要なくなった」みたいな文書を作って提出させられるはめになったりするわけです。だから、仕事で使う資料やらソフトウェアやら、果てはマシンまで全部自前でした。

 で、同僚に何か頼みごとをすると、上司が割込んできちゃうのね。で、めちゃくちゃにされてしまう。で、「人に頼ってはいけない」とか言われるわけです。その反面、とても一人ではこなせないような量の仕事を押しつけられて文句をいうと、「なんでも自分一人でやろうとしてはいけない」とかいってお説教されてしまうのね。どないせーっちゅーんじゃ。

 留守電が使えない、というのは、とにかく夜昼なしに仕事の電話が上司から掛かってくる、というのがありました。で、こっちも上司からの電話だな、と思うと出ないんですよ。そうすると、何時と何時に電話したけどいなかった、みたいに叱られます。あるいは親の方に連絡が行って「緊急に連絡したいことがあるから」とかいうもんだから、親のほうから電話がかかってくる。
 で、留守電にしておくと、「明日何時に出社のこと」とか一方的に入ってるわけね。明日って休日じゃん、とか思ったりするわけです。で、あとで「留守番電話というのは失礼だ」とかいって怒ってるわけです。つまり、「仕事の電話には即座に対応できるようにしておくのが社員としての義務である」みたいな理屈なのだと思います。プログラマーとはそういう仕事なのだと。だけど自分はプログラマーじゃないから、プライバシーを侵害されるのは嫌だという。

 「人に頼みごとができない」「留守電が利用できない」。この二つの「症状」はけっこう生活上深刻です。「今はそういう上司とは無縁な生活をしてるのだから、関係ないじゃないか」とあたしを責める人もいます。だけど、何かのはずみでかつての上司のような他罰的な人と関わってしまったら、また以前のようにめちゃめちゃに生活を侵蝕されてしまう……そういうリスクを負いたくないんですよ。あたしとしては。

 自分のことは自分でする。電話を掛けても出なかったら、また掛けてもらう。それでいいじゃない?と思ってしまいます。

 だけど、こういうこと言っていると、「傲慢」だとか「偏屈」だとか「異常」だとか言われるんですけどね。

 PTSDは、百年経っても理解されないと思います。「理解したくない」人がいつづける限りは。

 今日はばっちり黒Maria (Maria)


Re: Through the looking glass 5822へのコメント
No.5829  Wed, 4 Jul 2001 22:44:34 +0900  Makichan [この発言にコメントする]

Maria wrote:
>Makichan wrote:
>> 自分の状態が「病的である」とわかったのはそれから4年後でした。鬱に
>>我慢ならなくなって東京のクリニックに駆け込みました。それでやっと診断
>>もらえたんです。つけられた診断名は「自己同一性拡散」でした。
>
> 「自己同一性拡散」という診断名を見て、「なるほど、そっちへ来たか」と思いました。だけど、それって病名っていうより単なる症状だぞ。
> ともあれ「破瓜型精神分裂病」とか診断されなくてラッキーだと思います。
>
 医学書読んでみて自分では「破瓜型」じゃないかと思っていました。ただ分裂病というには妄想が弱いし(全然ないわけじゃなかったですが)幻覚もなかったですから。ただ限りなく近いところに居たと思います。
 私は基本的に今の精神医学を信用してません。ブンレツビョウと言われようと、アスペと思われようと癒されるわけでもないし、そこに線引くことにあまり意味がないように思えるんですね。うまくは言えませんが。
 自己同一性拡散の名前知ってこんどはエリクソンの本買って読みました。が、てんで解からない。それでこんどは地元の県立医科大教授と肩書きつく人を訪ねました。(なぜそうしたかは経緯説明するとややこしくなるので省略します。)そのときの会話がケッサクだったので、記憶の限り再現します。
 私「東京でIdentity defusion(英語でいうとこうなる)と言われたんです     が、それってどういうことなんでしょうか?」
 先生「そんなものなんでもないよ。ただたんに甘やかされて育ってるだけだ。そ   んなことに私は興味ない。」
 私「いや、私が興味あるんです。私が。」 
 先生「それならエリクソンを読みたまえ。」
 私「エリクソン読むんですけどよくわからないんですよ。」
 先生「読んで解からなければ聞いたってわからんだろう。」
 私「そんなことないでしょう。本だと解からないことも聞けないでしょう。まし   て作者が外人で死んでいたら無理ですよ。」(エリクソンが当時死んでいた   かどうか知りません)
 先生「なるほどね!そういう意味ならそうかもしれんが、私は忙しいんだ。君な   んか相手にしてられない。」

 それで会話は終わってしまったんですけどね。随分乱暴な会話ですが、実際にあった話です。私がここで言いたいのは、読書というのは情報が一方的ですよね。言葉だけだし、時とともに変化するわけでなし。その点会話は相互的だし相手の表情も読み取れるから、情報量が飛躍的に増えると思うんです。私がいまひとつ本とか、活字そのものを信用できないというか物足りなさかんじるのはそういう理由なんです。いくらだってツクレルんですよ。ウソをつけるんですよ。私は恋愛小説にさんざ騙されてきた人間だから、言葉にたいしてどうしようもない不感症になっていたんですね。精神科医との会話ではじめて「なるほど」と思えたのは、そのすぐ後(大学教授の後という意味)にお会いした大阪のT先生との会話においてでした。それが最初で最後かなあ(今の時点で)と思いますね。そのことはまた気が向いたらカキコします。


Re: リタリンを処方してくれるお医者さんって・・・ 5825へのコメント
No.5828  Wed, 4 Jul 2001 22:25:20 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

Piuko wrote:
>皆さん初めまして。
>場違いな質問だったらごめんなさい。
>最近ADDという言葉を知って、思い当たることばかりで今日まさに
>東京都内の某大学病院の精神科へ行って来ました。
>「ADDではないでしょうか?」と相談したところ、
>「ストレスでしょう。」といわれ、あっさりと診察が終わり、薬等も特になく帰ってきました。
>きちんとADDの診察をしてくれるお医者さんで、薬の処方などもしてくれる
>いい病院はないでしょうか?できれば東京都内であれば嬉しいのですが・・・。
>誰にも相談できず困っています。
>どうぞ皆さんよろしくお願いいたします。

 ADDは普通の精神科ではなく、発達障害を専門に診ている「児童青年精神科」で診てもらったほうがベターです。大人の場合、判定は主に幼少期からの行動の様子・IQ検査に重点が置かれています。
 都内だと、都立梅ヶ丘病院に児童青年精神科の外来があるようです。


Re: コウモリという生き方 5807へのコメント
No.5827  Wed, 4 Jul 2001 21:22:15 +0900  3 [この発言にコメントする]

くると wrote:
「私はコウモリだ」「白と黒の間で、振りをしている惨めな生き物だ」子供心に閃きました。ね。


泣き言
No.5826  Wed, 4 Jul 2001 21:15:34 +0900  3 [この発言にコメントする]

最近注意力が散漫になってきて、我ながらうまいこといっていた「友達・仲間・井戸端会議グループ」諸々崩れかけている。「なんか最近かわったね」って。
地を隠す緊張感がぱっくりなくなって、また1からやり直し。
これって、季節のせいなの?


リタリンを処方してくれるお医者さんって・・・
No.5825  Wed, 4 Jul 2001 20:54:45 +0900  Piuko [この発言にコメントする]
皆さん初めまして。
場違いな質問だったらごめんなさい。
最近ADDという言葉を知って、思い当たることばかりで今日まさに
東京都内の某大学病院の精神科へ行って来ました。
「ADDではないでしょうか?」と相談したところ、
「ストレスでしょう。」といわれ、あっさりと診察が終わり、薬等も特になく帰ってきました。
きちんとADDの診察をしてくれるお医者さんで、薬の処方などもしてくれる
いい病院はないでしょうか?できれば東京都内であれば嬉しいのですが・・・。
誰にも相談できず困っています。
どうぞ皆さんよろしくお願いいたします。

Re: Through the looking glass 5822へのコメント
No.5824  Wed, 4 Jul 2001 16:49:47 +0900  あさかぜ [この発言にコメントする]

 こんにちは、横レスします。

Mariaさん wrote:
> あたし自身は、外から見た場合には「大人になってから発症した」ように見えるタイプだと思います。ところが主観的には、「鬱になったために、非・自閉症方面の人間を演じる努力が続けられなくなった」ということだったりします。

 ↑何となく分かるような気がします。
 「演じている自分」とか「抑制している自分」に気づいてしまうと、「健常側」対「非・健常側」の間で行き惑ってしまうことがあります。あくまでもわたしの主観ですけど……。外から見れば「不適切な言動」が表れるわけで、わたしは心療内科なり神経科なりへ行って治療を受け、あくまでも「社会適応」を貫かなければならない立場を選びました。Mariaさんとは違う方向へ行ったわけですね。

> つまり、「自閉症が治る」というのは、「自閉症の原因となっている関係性の感覚的な把握能力の欠損が改善された」わけではぜんぜんなくて、「非・自閉症方面の行動パターンを予測し、それを演じることを覚えた」だけだったりするんですよね。

> そうすると困ったことに、「喜怒哀楽」というものに齟齬が生じてしまうわけです。「自閉症が治った」人間の喜怒哀楽というのは、非・自閉症者の喜怒哀楽を「演じて」いるだけのものだからです。「自閉症者としての感情」を表に出すということは、「キチガイ扱いされること」のリスクなしには不可能です。

 「自分自身に正直であれ」と思えば、上記(↑)のリスクは背負わなければならないですね、ある程度。あるいは別の(わたしのような)方向を選んだとしても、日常生活のかなりの部分を緊張して過ごしたり、常に「自分を鍛えねば」と思い続けて行くことにもなりかねませんね。
 どっちへ転んでも「茨の道」。(自分で選ぶ、自分ではどうすることもできない要素によって選ばされる、どちらの場合でも)

> だもんだから、無意識にやっていた「世の中に迎合する努力」(「迎合」ですね。はっきり言って。なにしろ実効性がないんだから)に必要だった精神力というのが、鬱によってポロッと欠けてしまったがゆえに、ある日突然「自閉症者」になってしまうことはありそうに思います。

 無意識でなく気づいて「やってらんねぇよ!」って思ってなっちゃうのは、なしですか〜? (そういうのは「自閉症者」とは呼ばないか〜……失礼しました)

 わっかんないな〜〜〜。「自閉症」は遺伝的要素があるわけでしょう? そうすると、連綿と続く人類の歴史のなかで遺伝子のなかに蓄えられてきた情報のひとつなんだ。生き物って進化するんじゃなかったっけ?
 もしかして「自閉症者」って、次の時代を先取りする人類の新しいタイプのはしりなんじゃないの? そういうふうに考える研究者って、いないんですか? 社会のほうが歪んでて、それでも人間はちゃんと進歩しているんだって証明みたいなもんだって、考えちゃいけないわけ???

 ゆるやかな発達でいいじゃんかよ〜。言語によらないコミュニケーションがあったっていいじゃんかよ〜。コミュニケートしなくても生きていける人間がいたっていいじゃんか〜〜〜!
 なぁ〜んて書くと、オカルトだの怪しい宗教だの、なんか「うさんくさい」あれこれに染まっていそうだと勘違いされてしまいそうなので、もうやめます。

 (かなり本音を書いたかもしれません)
 でも、見かけ上は「平々凡々な」ひとりの母親として生きていくんだもんね。決めたから。
 文章の調子が乱れまして、誠に失礼をいたしました。
 


Re: 悲しい心境 5741へのコメント
No.5823  Wed, 4 Jul 2001 13:25:58 +0900  SUN [この発言にコメントする]

Tienさん、こんにちは。
シュッツさんの 「個性 ≒ 障害 ≠ 友達ができない」 説支持のSUNです。


>いつも言葉を交わしてくれる人がいないとどうしてもつらいのです。
>他の人たちはどうやってパートナーを見つけているのか不思議です。

私も、クラスやバイト先での人間関係はかなり苦手だったのですが、
クラブやサークルの人たちとだけは結構仲間っぽくやっていけました。
絵や文を書いたりあまり一般的でない音楽や映画を観たり聴いたりするのが好きだったので、
高校でも大学でも、作品を創ったり意見交換をしたりする関係のクラブ類にいくつか入ったのですが、
好みの作品の系統や趣味まで一致する人は少なくても、同じように世間からはみ出した人や個性的な人が多くて、いいところも悪いところも含めて互いの個性を認めてくれる感じで、
自分の居場所が持てたと思っていました。


学校を出た今は地域の国際交流関係のサークルに入っているのですが、
ここも、日本社会になじめない人や、世間の常識や慣習にとらわれない人や個性的な人が多いようで、話していてもいろんな話題が出て楽しいです。
私は同年代の同性だけの集まりが苦手なので、
老若男女いろんな人がいるのはうれしいし、いろんな事をされている方がいるので勉強にもなります。
(もちろん、かなりヘンクツな人や、外国人のカレシが欲しくて来たなんていうミーハーな人なんかもいますが。)
現在の友達はそこでできました。
Tienさんのそばにも何か、探してみれば、趣味や性格があいそうなサークルがないでしょうか。


>ただただ、日頃ちょっとした会話と心を通い合わせる人が、
>たった一人だけで良いから欲しいだけなのに。

私は日頃の会話欲は、AS・ADHD周辺の人が集うここで満足させています。
http://www.netlaputa.ne.jp/~oyama/chat/
この館のメンバーのおむにさんが気軽につぶやける場所として作ってくれたもので、
話題も多岐に及んでいて、普段世間話では話せないような好きな話題も出せるし、他の人の話を聞いて未知の世界の知識も増えて、気持ちいいです。
ここで会った人たちも、大切な友達です。
誰もいなくてひとりでつぶやくだけのこともあるけど、
心が煮詰まっているときにはずいぶん救いになってくれます。


>既婚者の方でこちらを訪れている方、なにか良い考えはありませんでしょうか?
>最近真剣に悩みすぎています。

そういえば私の学生時代の友人も今の友人も、結婚している人は少なくて、
つきあったり結婚したりしている人はサークルのメンバー同士という人が多いような気がします。(私もそのひとり)
Tienさんがもしご近所だったら、私の話し相手になってもらって、一緒にサークルに行きたいところなんですが。


Re: Through the looking glass 5818へのコメント
No.5822  Wed, 4 Jul 2001 10:40:01 +0900  Maria [この発言にコメントする]

Makichan wrote:
> 自分の状態が「病的である」とわかったのはそれから4年後でした。鬱に
>我慢ならなくなって東京のクリニックに駆け込みました。それでやっと診断
>もらえたんです。つけられた診断名は「自己同一性拡散」でした。

 「自己同一性拡散」という診断名を見て、「なるほど、そっちへ来たか」と思いました。だけど、それって病名っていうより単なる症状だぞ。
 ともあれ「破瓜型精神分裂病」とか診断されなくてラッキーだと思います。

 みどりさんが「仮に後天性のアスペというのが存在したとしたら、どうだろう」という問題提起をしたときに、「じゃあ、具体的にどういうメカニズムで発生して、どういう症状が出るんだろう」と思ったら、どうしても「痴呆」か「精神分裂病」になってしまいました。認知構造自体がチャラになってしまうわけですから。
 で、「そうじゃないだろっ!」と思い直していろいろ考えているうちに、われわれ自閉症方面の人間がなんでいじめに遭いやすいのか、というところまで思い至ってしまいました。

 あたし自身は、外から見た場合には「大人になってから発症した」ように見えるタイプだと思います。ところが主観的には、「鬱になったために、非・自閉症方面の人間を演じる努力が続けられなくなった」ということだったりします。

 こういうときに「客観的」という言葉はひどく不自由な言葉であると言わざるを得ません。「外から見た立場」=「客観性」だとすると、あたし自身の視点というのは「客観性を欠く」ことになってしまいますから。

 つまり、「自閉症が治る」というのは、「自閉症の原因となっている関係性の感覚的な把握能力の欠損が改善された」わけではぜんぜんなくて、「非・自閉症方面の行動パターンを予測し、それを演じることを覚えた」だけだったりするんですよね。

 そうすると困ったことに、「喜怒哀楽」というものに齟齬が生じてしまうわけです。「自閉症が治った」人間の喜怒哀楽というのは、非・自閉症者の喜怒哀楽を「演じて」いるだけのものだからです。「自閉症者としての感情」を表に出すということは、「キチガイ扱いされること」のリスクなしには不可能です。

 「健常者」は、「人間としての自然な感情」を「自閉症者」にぶつけてきます。で、それを「人間として当然のこと」だと思っています。で、「自閉症者」に対して「人間としての自然な感情を持っていない。普通じゃない」といった決めつけをします。で、「自閉症者」が「健常者」の喜怒哀楽のパターンによって「感情」を表わすと、「それは『自然な感情』から出たものではない。計算づくで行動している。純粋ではない。ずるい」と反発するわけです。

 外務大臣とか外務官僚とかって、ひょっとしたら自閉症者に向いた職業かも、と思います。
 本気なのか冗談なのか、素(ス)なのか演技なのか分からない人っているじゃないですか。いわゆる「三味線を弾く」人。これを別名「猫」(隠語で「芸者」のこと。『猫じゃ猫じゃ』という歌があります)というんですけどね。世の中に適応した自閉症者は「猫」にならざるを得ません。だけど、健常者が「ここに本音がありそうだな」と思うところに、「自閉症者」の本音はありません。こういう捉えどころのない相手と交渉する相手は大変だぞぉ。おのずと「実務レベル」の話合いにならざるをえません。

 だけど、恫喝だとか泣き落としだとか、そういったものにしか頼れない人っているじゃないですか。いわゆる「営業」タイプというか、「世渡り上手」なタイプ。そういう人に対しては、この手の「猫」人間は天敵みたいなものだったりします。で、「自閉症上がりの猫」は、基本的に実力派で地味派手タイプ(実力で目立つタイプですね。シアトル・マリナーズのイチローみたいなもんです。あの味も素っ気もない相撲取りのようなコメント(「ごっつぁんです」って言ってりゃ済みそうな気がする)というのも、もはや「味」と言えましょう)ですから、ますます気にいらない。

 で、その「営業」タイプが肝心の「営業」でも勝てないとかいうと、足を引っ張ったり足下を掬ったりといった形で潰しにかかってきます。あたしはそれで経営者と技術者の間で諍いが起き、会社が潰れたケースを三つくらい見てたりします。「自閉症者」は下手に世の中に適応したりしないで、おとなしくいじめられてたほうが世の中丸く納まる、という動かしがたい現実というのはあったりするわけです。ひどい話だけど。

 だもんだから、無意識にやっていた「世の中に迎合する努力」(「迎合」ですね。はっきり言って。なにしろ実効性がないんだから)に必要だった精神力というのが、鬱によってポロッと欠けてしまったがゆえに、ある日突然「自閉症者」になってしまうことはありそうに思います。

 これなら書けるかも、と思いました。考えてみます。(←また宿題増やしてる)

 なお、“Trough the looking glass”が『鏡の国のアリス』(ルイス・キャロル/チャールズ・ラトウィッジ・ドジスン)だというのはコメントしといたほうがいいんだろうな。

 (Maria)


Re: どなたかご教示下さい 5820へのコメント
No.5821  Wed, 4 Jul 2001 10:06:19 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

武田好史 wrote:
>Tien wrote:
>>武田好史 wrote:
>>こんばんは、武田さん。
>>グレープフルーツはあなどれない、と私も以前何かの薬との相互作用を読んで
>>思いました。調べましたところ、
>>特定医療法人一陽会病院HPhttp://www1.ocn.ne.jp/~ichiyo/index.html
>>にありました。
>>今月のノート(平成12年10月)精神科・心療内科の薬とグレープフルーツジュース
>> *追記(平成13年2月12日)あり
>>
>>  ある種の降圧薬(ジヒドロピリジン系カルシウム拮抗薬、たとえばアムロジンやアダラートなど)、消化管薬のアセナリンなどを飲んでいる患者さんは、「グレープフルーツジュースを飲むと、薬の効きめが強く出るので、グレープフルーツジュースを飲まないように」と指導されています。これは、グレープフルーツジュースに含まれる天然フラボノイドが、薬の分解酵素(CYP3A4と呼ばれている)の働きを妨害するためと考えられています(参考文献1)。
>>
>> あまり知られていないのですが、精神科・心療内科の薬でも、グレープフルーツジュースを飲むと、薬の効きめが強くでることがあります。文献に出ているものとしては、感情調整剤・抗てんかん薬のテグレトール、安定剤のセルシン、睡眠薬のハルシオン、抗うつ薬のアナフラニールなどがあります(参考文献2)。
>>
Tienさんどうもありがとうございました。
 ここでみなさんに私が薬の飲み合わせに対して知った注意事項について、もう一つお知らせします。
 それはリタリン・SSRIとワルファリンK(抗凝血剤)・赤ジソ・ラベンダーなどのハーブ類です。リタリン・SSRIには、ワルファリンK・赤ジソ・ラベンダーなどのハーブ類に含まれている「クマリン」という血液の凝固を妨げる物質が肝臓で分解されるのを阻害する作用があり、クマリンの血中濃度が高いままになって、血が止まりにくくなるようです。特に梅干しのシソを食べたあと歯茎や上顎の粘膜から血がにじみ出てきたという人・出血しやすい体質がある人は、用心して下さい。


Re: 健常者も実は変人 5804へのコメント
No.5819  Wed, 4 Jul 2001 09:47:46 +0900  名加野 [この発言にコメントする]

レスありがとうございました。

>> (体)は、たぶん(態)のことですよね。

 まあ、「体」でもあってるんですけれどね。全ての物(動物・植物含む)は見た目からして個体差があるんですから。中も違って当然。と言う考えなんですが……確かに、悪い意味で捉えられがちです。良い言葉ないかなあ……(苦笑

>> 名加野さんの考えも、もっともだと思うのですが、やはり「どのように育っても良い」「どんな人間がいても良い」というところを一歩、間違うと、ひとに迷惑ばかりかけてしまう人間が育ってしまうこともあるわけですよ。受け入れたくない「ヘンな人間」というのは、やっぱりいるわけで、この前テレビでも社会学者か誰か言ってたけれど、「ヘンな大人ばかり育ってしまう集団は、滅びる運命を選び取るしかない」んですよね。

 「どんな人間がいても良い。だから何をやっても良い。」ではなく、「どんな人間がいたとしてもおかしくない。少しだけで良いから違いを認識して欲しい。すぐに排除するな。自分にも跳ね返ってくるぞ。(長くて要点が伝わらないかもしれないですね)」という意味にしたかったんですが……同義語「一円を笑うものは一円に泣く」……またまた違いましたね。(溜息

>> 「変人」はいいんだけどさ、わきまえのないただの「イナカモン」は要らねえよな。

 まあ、最近は多いみたいですが。「イナカモン」なのか、「自分たちの世界に陶酔してる」のかは不明ですね。「恥知らず」かな。自分もですが。

>> 以前、電車に乗っていたら、私のすぐ横に立ってたカップルが、口移しでガム噛んでてさ。クッチャクッチャペッチャペッチャ音立ててさあ。吐き気が込み上げつつ、こりゃこいつら変態か、でなきゃイナカモンだと思ったね。

 ……うーん。この手の話は、夜とはいえ「公園でいちゃついてるアベック」等も同じなのでは? 人目を気にしないと言う点で。「見せたい」のが主眼なのかな?

>> わたくし個人は、こういった人々を「低脳」と呼んで、差別しております。

 まあ、人によって同じ人も見え方が違うから「鏡」はともかく、「低脳」ですか……。「幼稚」と言う事でしょうか?

>> 「変人」を気取るにも、まず「クール」とは何かを、自分なりに考えていただきたいものだ。 

 「クール」ですか……落ち込んだときにしかなれないです……「ダーク」か(汗

>そうですね。分別をもって自分らしく・つぶれずに・悠々自適でということでしょうか・・・

 一番良いですね。衝突が必ずあるから今は出来ないですけど……
それでは。


Re: Through the looking glass 5812へのコメント
No.5818  Wed, 4 Jul 2001 09:45:39 +0900  シュッツ [この発言にコメントする]

makichan wrote:
>みどりさん wrote:
> 自閉症は先天性のものだというのが医学の通説です。ただ自分の経験だけでいうと、それはちょっと違うんじゃないかなあと思うんですね。

「後天的な要因により“先天的な”自閉症と同じ症状が現れたもので、医学的な自閉症とは別のもの」
ということではないでしょうか?


Re: すいません。質問させてください。 5810へのコメント
No.5817  Wed, 4 Jul 2001 07:38:28 +0900  ぱっくん [この発言にコメントする]

tien wrote
>私の愛猫も16才で、先月癌の摘出手術をして、
>次は悪性のウイルス性風邪からやっと生還しました。病気の最中でさえ、
>私は家族中で一番パニック状態でしたから、お気持ちは痛いほど分かります。

1年ほど前に、どこかの動物愛護団体から、長寿犬飼育者の表彰を頂いた時、その時から彼女の死をありありと意識してしまい、以前の書き込みのTienさんと全く同じ状態でした。

また、2ヶ月ほど前、彼女が突然いなくなりました。この時、とても辛かったです。近所を探しまくりました。翌日、見つかったのですが(小学生が保護して連れて帰っていた)
寝ていても目を閉じていても暗闇から彼女が出てくるのです。
涙はボロボロでるし、おかしくなりそうでした。

だから、彼女は死んでしまったけれど、
ある日突然、全く彼女が消えてしまうより、ずっとましだと思っています。
現に今、お家の中にいるし(寝ているみたい・・・)。

彼女は、子供に人気のある犬でした。よく、中学生とかにも「かわいい」とすれ違いに言われました。
自慢の犬でした。美人です。今でも、突然彼女が私の家に来た時のことを思いだせる。うれしかったこと。
中学校から帰ってみるとびっくり。姉が拾ってきた子犬でした。

今朝、働きながらずっと考えたけど、でもでもでも、やはり、犬といえど、家族の一員です。
祖母と同じ墓に納骨させてあげることはできなのだろうか? 
両親に、聞いてみます。頼んでみます。

Tienさん、本当にありがとう。 

PS. 私はよくこの掲示板にROMしにくるのだけど、貴方の言っていることが私には良く分かる。


Re: キツネ憑き 5800へのコメント
No.5816  Wed, 4 Jul 2001 04:32:48 +0900  pocks [この発言にコメントする]

> だっはぁ〜。やっぱいるんだ。あきれちゃいますよね。
> 問題なのは本人よりも、おはらいを受けさせる大人たちのほうじゃないかしら。

当時は自閉症というといわゆるカナータイプのことで、アスペのことは
一般に知られておらず、精神病院というと一度入れば出てこれないコワい
所でしたから、頼るところのない親が藁にもすがるべく宗教に走ったのは
無理もなかったのではないかと思います。

現代であっても、6年前後前(アスペ問題が注目されだした後)の話ですが、
子供の逸脱についてはまず情緒障害を疑うようで、最近診断の出た子供が
いじめられて不登校になっていた時に駆け込んだとある大きな病院では、
いじめはおいといてまずは親子関係の改善とか言ってたくらいです。

子供は、今の目で見ると教科書に載せたいくらいの典型アスペですが、
一歳半検診をすり抜け、子供の興味を一方的に聞かされていた教師の
目も引かず、私がアスペについて知るまで身近な者の誰一人発達障害
の可能性を指摘しませんでした。(情緒障害あるいは育て方の問題と
いう指摘ならあった。)

この経験からわかるのは、発達障害の専門家の不足(問題が起きても
それを疑ってくれる人がいない)が一つの問題であること、また、何度も
学校や教育委員会に相談を持ちかけていたにもかかわらず、いじめ問題は
軽視され、効果的なサポートが得られなかったことです。

実質的にサポートなしか、あっても効果がないとなれば、最後には神仏でも
キツネでも頼りたくなる気持ちは理解できます。

あえて私は言いたい。子供の問題行動に悩む親を放置して神頼みしかない
状態にまで追い込む日本の社会に問題があるのだと。

だからといって、子供の頃受けたお祓いに納得できるわけでもないし、
親としての私は自閉症のためもあってか宗教に走ろうとは思いません
でしたが。

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