アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
武田好史 wrote:
自分の飲んでいる薬について、知りたいことがあったときには、次の検索ページを見ることをお勧めします。
http://www.pharmasys.gr.jp/index.html
製薬会社からの薬の添付文書が見られ、起こりうる副作用・禁忌・化学構造式などが判ります。
武田好史 wrote:
>マザー wrote:
>>ミッドランドさん wrote:
>>> この掲示板を見ていると、自分が「他人と何かが違う!」と感じて医療機関でAS(ADD、ADHD etc.)と診断されたという話をよく目にします。
>>> それで最近、僕の心が揺れています。「やはり、正式な診断を受けるべきなのか?」と。
> 抑うつ状態になりやすい・人と一緒に行動することに著しい苦痛がある・何となく自分は普通といわれる人に比べて仕事の能率が悪い・注意力の維持が困難・どうしても衝動的に行動してしまう・・・などのことで悩んでいたり・生活に支障がでるのであれば、やはり診断してもらった方が良いと思います。
>>
>> ところで、毎日毎日、暑いですね。
>>私はこのところずっーとまどろんでいました。眠くて眠くて、、、
>>頭の芯が睡魔で渦巻いています。
>> ねむねむのマザーでした。。
>>
>マザーさんこんにちは。
> 私も最近の暑さには閉口しています。
> 半年の入院から戻ってきた母が、病院の先生から「規則正しい生活のために朝の7時には起きなさい」と言われているので、私も今日は一緒に起きたのですが、朝ご飯を食べて食器を片づけたあとに、また一時間寝てしまいました。これからがんばらないといけない頭では思っているのに、身体が動かせない自分が本当に情けなく思えます。
スペルの間違いを訂正しときます。grass でなくてglassですね。「草」を覗きこんでどうするっ。
ああ、ヒマだあああ。
今日はさ、閑なのよ。なにしろ、私のバイト先の飲食店が、食中毒検査の結果、ブドウ球菌が出たってもんで、7月5日の夜から駆り出されて、店内の消毒やらブドウ球菌検査やら、作業過程の再チェックやらで。今日一日は、再検査の結果が出るまで、店は臨時休業なのだ。けどさあ、ブドウ球菌の検出された食物っていうのが、私の担当だったってことでもって、菌の保持者が、ほかならぬこの私だという可能性があるってこと。それならそうと、菌を保持する人間に対しては、食物に影響がいかないように、はじめからきちんと指導しておくべきだったのだけれど、ウチの場合、それが徹底していなかったのね。そもそも従業員として採用時に、そういったブドウ球菌等のチェックは、なされているべきはずなんだよね...。だから私一人に責めがあるってわけではないはずだ。あまり気にしないようにしとこう。要はこれから気をつけりゃいいってことで。
それにしてもブルーだあああ。頭かかえちゃうよ。ヘッ!(←ちなみにこれ、現実世界でも私の口癖だったりする。むしろリラックスしているときに出るんだけど、これでトモダチ無くすときもあるのよネ...)
ところでMaria氏をはじめとする大森総合研究所とやらいう所で、As者のためのガイドブックを開発中との事。私も、自分自身の過去を振り返ってみて、こういったものの必要性は、強く感じている。As者の抱える問題や悩みに対する解決や救いを、こういった掲示板で求めたりするっていうのは、確かにひとつの手段でもある。
ただ、すげーおせっかいなことを言わせてもらうと、それが、たとえば「あんなこと言われた」とか、「こんなことがあったんだけれど」とか「私の他にも、こういう人いますか?」とか、どうしても、すごくその場その場的っていうか、散漫になってっちゃってるのよね。個人個人は、それに対して適切なレスがついてくれば、とても役に立って満足することがあるかも知れない。中には、「ああ、私が常日頃感じていたんだけれど、うまく言えなかったことを、この人が代わりに言ってくれた!」とか、そういった嬉しい経験は、ここで私にも沢山あるし、それはそれで凄くいいことだと思うんですよ。
でも、例えば「その質問内容が過去レスと重複しちゃっているかもしれない」とか、「この質問だったら、自分にも答えられたのに、時間がなくて、答えるタイミングを逸してしまった」といったような現象は、はっきりいって効率が悪いってもんですよね。一番の問題は、「他人の問題を、自分の問題として認識することができない」っていう...すごくデリケートで、うまく表現できないんだけれど、Mariaさんのログにあった「自己同一性の拡散」の逆って言うのかな?「自分の感じてないことは、他人も感じてない」っていう意識状態...ああコレは“逆”とは言わないのか。つまり私の言いたかったことは、「Trough the looking glass」のいっとう最初に挙げた「盲人と目明きの問題」の例みたいな、認識のズレ、みたいなことが、お互い起こってしまう危険性があるんじゃないか、っていうこと。
自分でもナニ書いてんのか分からなくなっちまったじゃねーかよ(笑)!
ま、↑の段落は無視して頂いて、この辺で、そういったすべての問題を網羅したガイドブックが出来れば、私だけでなく、特に「新世代」のAs者たちの大きな助けになるんじゃないかと、私も期待しているんです。ただし壁は高いし、多いんじゃないのかな。今までにも、海外ではさまざまな本が出版されているけれど、これからはそれに頼るだけでなく「日本人Asの、日本人Asによる」ガイドブックって言う内容を目指さなきゃなんないわけだから。
(私としては、「ハイト・リポート」みたいな形式が、おもしろいんじゃないかと思うんだけどな。実在する(匿名でいいんだけど)日本人As者達の、さまざまな意識、生活、人間模様なんかを描き出す、みたいな。あ、でも「ハイト・リポート」って、外国製なんだよな...。しかもジャーナリストとしての手腕も、要求されるしなあ。)
ガイドブックに是非加えておいていただきたい事項を、わたしからもひとつ。
最初に書いたような、例えば仕事先で、不測の事態が発生した場合(不測っちゅーか、予測はできたことではあるんですけどね、この場合...)。As者が何が一番困るかって、「次に何をしたらいいか」っていうことなんですよ。「何をしたらいいのか(何をしなくてはならないのか)、何をしてはいけないのかがわからない」という悩みは、ニキ・リンコさんも、ご自分のHPで訴えていた気がするけれど。
まったく初めてのことで、「次に何をしたらいいか、何の指令もない」というのは、私のような非自閉的直感力を持たない人間を、意味もなくそこいら辺を、ゴキブリみたいにウロウロさせてしまうことになります。本人が、「ああ、“私は何をすればいいんですか?”と訊けばいいんだな」と気づいたときはまだしも。それだって「自分で考えろ」と返されたらもうなにも言えなくなるんで。
極端な話、「君はね、次はあれをして、これをして、こうすればもう帰っていいんだよ」とでも、頭からケツまでいちいちスケジュールを組んでもらわねば、ただのでくの棒になってしまうのだ。
しかも、じゃあ、同じような、似たような経験が繰り返されればそういう傾向が治ってきて、世間の言う「そのうち頭で考えなくても、体がかってに動いてくれるようになるよ」とやらいう状態に、到達することができるのか?って問題になってくる。それはAs者それぞれで事情が異なってくると思う。
「何度教わっても、脳が「リセット」されたような状態になってしまい、いつまでたっても物事を関連付けて考えることができない」、「「あること」では学習可能でも、「他のこと」になるとてんでダメ」、「ある程度は可能でも、常人よりはるかに低いレベルで成長の限界が来てしまう」、どれが正解に最も近いといえるか?「脳の冒されている部位や程度によって個人差が出る」と考えるしかないだろうが、おそらく“鏡の国”っていうのは、弁証法の通用するような世界とはいえないのは間違いないんだろう、という気がする。
まあでも、非自閉者の中でもせっかちな気性の人間にしてみたら、そんなこと「カァ〜ンベンしてくれよぉ〜っ、そこまで面倒見てらんねえよ〜」ってなっちゃうんだけどね。「そういう」上司と、「そういう」部下がくっついたらどうなるか?あるいは逆の場合は?どうなるか?想像して余りあることだ。
けっきょく、As者を教育するっていうことは、非自閉の人間が、「これが基本の基本、初歩の初歩だ」と思っている、そのはるか以前の状態から始めなきゃなんないってことだ。
私が幼かった頃も、「次は何をしたらいいかもわからない」の「次は」「何を」すらない、「なにがわからないのかもわからない」の状態だった。もの心ついて、集団生活に入れられてからは、それに強い不安と苦痛が伴った。子供達が、工作の時間に持ってきた、みんなおそろいの真新しい工具類とか、自分だけ持っていないのはなぜ?みんな、こぎれいで、きちんとした作品を持ち寄ってくるのに、自分が作ったときだけ、どうしてどことなく薄汚れてて、不細工な出来になっているのか?
みんな、材料をお母さんに買ってもらったり、家に持ち帰ってお父さんに手伝ってもらっているんだろうなんていうことは、想像もつかない。みんなが、自分の視界の中から消えているときに、何をしているか、まして「何か」するのかなんていうことは、さらに理解の外だ。常にこういった不可解さと、不安が付きまとってしまう。
私以外の人間が、何をするにも、何の躊躇なく、誰にも尋ねることなく自分のすべきことを見つけているらしいっていうことが、過去最大の謎だった。「できないこと」が「できる」ようになる過程っていうのも、自分と他人とでは、微妙に違うような気がしていた。
ひとことで言ってしまえば、「心の理論」についての認識が、自分の場合なぜか未熟で不充分だったってことなんだろうけど、ともかくこの強い不安と緊張から逃れるために、私が始めたことは、「何でも自分からさっさと行動を起こす」というやり方だった。「やるったらやる!」って感じで、後も見ずにさっさと先へ行ってしまう。
でもこのやり方は、心理的不安はかなり軽減されるけれど、けっきょくは未熟なままの「先走り」になりやすくて、「自分の勝手な判断でやるんじゃない!」とか、「そそっかしい人間」というレッテルを貼られやすくなる。失敗だって多くなるしネ。私も、なまじ育ててしまったこういう自分の傾向にちょっぴり後悔している。でもやるしかなかったのだ。何もしないでいるよりは、はるかにマシだったのだ。
「低緊張」との所見をなされる人々は、だいたいこういった過去があるんじゃないだろうか。もっと重い人だっているかもしれない。自閉傾向の重さによって、または加齢によってその人個人の到達レベルというのは、さまざまなのかも知れない。今の私は、多分、「なにがわからないのかもわからない」状態から、ようやく「何がわからないのか分かった」「何がいけないのか分かった」っていうレベルなんだけど。そういう意味では、かなり心理的負担が減ったように思う。でもそこから進めない。自分が「ああ、失敗してるな...」というのが、手に取るように見えてくるんだけど、じゃあどうしたら直せ(治せ)るのかが分からない。それがいまいちばん困っていることだ。
ま、もうひとつ自分でわかっていることは、私の過去ログを見ていただいたらお分かりのとおり、まるで非自閉者を見下し差別かのするような、かなり野蛮な発言もすくなくはないけれど、そうである場合は、私の「苛立ち」がそうさせているのであって、私は非自閉者を憎悪しているわけではない。その逆だ。私はかつて、「ふつうの人々」に、強く惹かれ、恋をしていた。『鏡の国』の住人である私の目には、彼女(彼)たちは、春風みたいで、きれいで、優雅で、なんの心配もない、幸せな人種に映っていて、「いつかは私もああなれるんだろうか」などと夢想していた。
今は、「ありゃりゃ、思ったほどのことでもないな」って感想があるんですけどね(^_^)。
しかし『鏡の国』だって、健常者が想像するような、ダリの絵を粗末にしたような、奇異で殺伐とした風景が、だらしなく広がっているわけではないということも、世の人に知ってもらいたいと願っている。自閉症者はどうせ心の中もお粗末だから、粗末なものだけ与えてりゃいいというのは大きな間違いだ。カードゲームやかずかまあそびなんかより、王宮に住まわせれば王族の風格を持つようにもなれるっていうのが、私の持論だ。(王宮にだってそういう遊びはあるって?まあまあ、そういう混ぜっ返しはなしで...)
感傷はさておいて、こういった問題をすべて包括したガイドブックを真面目に作ろうとしたら、それこそエンサイクロペディア級の、しかも数冊分にわたるような容量になるんじゃないかっていう気もする。それくらいの時間とエネルギーが必要じゃないかってことです。私としてはむしろそういったものの出現を望むんだけれど、Mariaさんがご執筆中というのは、多分そういうのじゃないんですよね?(あ!!誤解のないように言っとくと、今のは侮辱のつもりじゃないんですよ!)
しかしそれだって、私の考えでは、『アスペルガー共和国』の実現よりは、はるかに現実的なのかも知れない...
とりあえず、もっと本でも読んどこう。
名加野 wrote:
>>ああ、そうか、「非常識」というものは迷惑かどうかとは関係ないのかな、もしかして。
>
> 多分そういうことだと思いますが、その辺が実際にはあいまいです。というか、もうそこは個人の問題でしょう。
>
>>「公共の場での喫煙」なんてのは、あきらかに他者に危害を与えてるわけですが、それを非常識であると思う人は (日本では?) それほど多くないようです。
>
> おかしいですよね、依存性については、麻薬などより性質が悪いと聞いたことがあります。煙草なんてなくなってしまえばいいのに・・・・・・タバコ好きな方ごめん。
>
>>私にとっては「みんなが迷惑すること = 非常識」 「あんまり迷惑でないこと = 非常識ではない」なのですが、この考え方も非常識?
>
> やはり簡単に境界線引けたらいいんですが……善悪も。
ごめんなさい、ここでの境界線がなにとなにの境界なのか、わかりません。
> とりあえず、「電車の中でカップ面を食った」ではないですが、例として自分の実体験を当てはめて見ます。
>「カップラーメンを買い、国家試験場まで食いながら走った」(恥だなこりゃ。当時は全然そうは思ってなかったけど。)場合。
>
>当人:「時間がないけど腹減ったから仕方ない。恥だって? だから何なんだ?」
>
>友達:「まじすげえもん見ちゃった。もっとやれ(はっぱ系)」OR「最悪だよあいつ。信じられない(嫌悪系)」
>
>赤の他人:「何だありゃあ? おかしなやつが走ってくるぞ(呆然系)」OR「見なかったことにしよう(無視系)」OR「注意しなけりゃいかん(説教系・暴力系)」
>
>ちなみに説教・暴力は少ない(はず)。関わりたくないから。これが、走ってくるのが強盗とか直に命にかかわってくれば別だけど。
これは私にとっては迷惑ではないし非常識でもないです。変わった人なのかよっぽどの事情があったのかとは考えるでしょう。
「走りながら食べるのになんでカップメンなんか買うの? パン類にしときなさいよ」と、心のなかで余計なお説教をするかもしれません。「カップメン食べながら走るのは、ハタから見るとあんな風に見えるのか。いつかそういう機会があっても極力やらないようにしよう」と思うかもしれません。
>・・・・・・うーん「迷惑」と「非常識」は違うものだと認識しましたが?
名加野さんにとっては違うものだということは認識できました。
しかしそれがまっとうな考え方とはやはり思えません。カップメン食べながら走る人を見てあれこれ言うのは、単に出歯亀根性に思えます。(誰かにぶつかりそうになりつつ走ってたら別。それは迷惑だもの)
>「赤っ恥青っ恥」見てるとそう思います。あれ見てると非常識なやつらばっかりだと思うのは気のせいですか? あほ話でした。それでは。
あの番組を見ていると、信じられないほど無知な人と、信じられないほど博識な人がいるんだなあと思います。語源系の問題では、いつも自分の無知さと鈍感さを痛感させられます。
非常識な人が出てるのはあまり見たことありません。
解答者が「さっぱりわからない」ときにも無理やり答を書かせてる (当然見当外れ) のが、ちょっとかわいそうな気もする。まあそこがおもしろさの一部ではあるのだろうけど。
自称ASのみどりです。
くると wrote:
>みどりさん wrote:
>>私にとっては「みんなが迷惑すること = 非常識」 「あんまり迷惑でないこと = 非常識ではない」なのですが、この考え方も非常識?
>>もしかして「みんながやらないこと = 非常識」「みんながやってること = 非常識でない」なの?
x> わたし自身は「常識があるかないか」と「迷惑がかかっているかどうか」は区
>別して考えています。両方が重なる場合もあるとは思いますが。
私にとって「常識がないこと」と「非常識な行動」は別ものです。
常識があっても非常識な行動はできます。確信犯というところかな。
この考えも、「常識」を理解できないゆえなのかしらん。(自分を疑いだすときりがない)
くるとさんは、「これらは他者危害の原則には反していない、困ったことに」と書かれましたが、「困ったことに」というのは、なにが困るんでしょう??
具体的に解説してもらえると、助かります。
ミッドランドさん wrote:
> この掲示板を見ていると、自分が「他人と何かが違う!」と感じて医療機関でAS(ADD、ADHD etc.)と診断されたという話をよく目にします。
> それで最近、僕の心が揺れています。「やはり、正式な診断を受けるべきなのか?」と。
>
こんにちはー! マザーです。久しぶりにカキコします。
去年、私は息子を大学病院の精神科へ連れて行ったのですが、特に
「他の人と何かが違う」と言う理由からではありません。詳しくは
息子のことなので書きにくいのですが、前に一度「神経小児科」で診て
もらった経験が、私自身もなっとく出来ないで医療不信になっていました。
だけど医療不信になっている私の気持ちなんて吹き飛ばすぐらいに
その頃の息子の精神状態はひどいものでした。
診断の結果息子の症状は『アスペルガー症候群にる抑うつ状態』だと
言われ、現在抑うつの治療を受けています。
うちの子供の場合は、生活に支障を来しどうしようもなかった!
と言う理由からです。ご参考までに・・・・・・。
ところで、毎日毎日、暑いですね。
私はこのところずっーとまどろんでいました。眠くて眠くて、、、
頭の芯が睡魔で渦巻いています。
ねむねむのマザーでした。。
申し、申し、ゆうろ殿。ならばそなたのおっしゃる「普通の常識人でなく、世俗的でなく、抽象的でなく、独善的でもなくかたくるしくもない」スタンスとやらいうものの全内容を、ここでひとつ、存分にお披露目してみてはくださらんかの。なに、一向にかまいませんのじゃ。このわれらとて、苦痛のあまりわれらのたてる諸々のうめき声すら、世俗の者らに「悪魔のわめきごえ」と、受け取られてしまいかねない者たちじゃでな。いや、いや、誤解されては困るのだが、例えばこのわたくしが、「世俗」に属さぬ者であるとは、申してはおらぬのです。ただ、「自閉症のやつらなんぞに、居場所をあたえてやるものか」という、世間の冷ややかな底意地を見せつけられては、なすすべもなくその土地よりきびすを返して立ち去るよりない、という歴史をもつ者の一人にすぎませぬ。そなたもご自分に付けられてくる過去のダイアログのみでなく、たとえばこの館の掲示板の、数々の過去を、いまふたたびよくよく覗いて御覧な。そなたをそのまま映し出すまさしく鏡のような文章に、出会うこともおありでございましょうから。そなたは嫌悪を催されるかもわからぬが、せいぜい、御精進なさいませ。いまのわたくしに、これ以上はそなたへ手向ける言葉はございませぬ。わたくしはふたたび、瞑想に入ろうと存知まする...
ゆーり wrote:
>おひさしぶりです!ゆーりです。
Xanadiiと申します。ゆーりさんには初レスだったでしょうか?もうすでに「自己同一性拡散」によって個別認知が崩壊しかかっているかも分からなかったりして...
>突然ですが、電車の中で「かわってる」人ってけっこういますよね?
>(A−TYPEの「かわってる」とはまた別の意味で)
>
>今までわたしがみた「かわってる」人。
>
>● 電車の中でカップラーメンを食べていた若者。
>● 電車の中でひげをそっていたおじさん。
>● 電車の中で靴下をはきかえていた女子高生。
>● 電車の中でヘアアイロンをしていた女子大生。
>● 電車の中でミニスカなのに足を広げてパンツを見せていた大胆不敵な女子高生。
>
>こういう人たちのことを、みなさんは非常識だと思いますか?
>それとも、常識だと思いますか?
>A−TYPEの仲間にもいれてあげてもいいと思いますか?
>入れちゃヤダと思いますか?
>知りたい。
きっと彼らのほうで
「入れてくんなくてイイよ!迷惑!」
ということで幕切れとなるんじゃなかりましょうかね...
明治時代、日本で初めて電車が開通した当時、乗客達がまず困ったのは、「どうやって席に座ればよいか?」でありました。で、彼らがどうしたかというと、シートに“正座”することにしたのです。だから、現在でも、とても高齢の方の中で、まれにはそのような座り方をする人を見かけることができます(私も実際に、高校時代、一度きり見たことあります。その着物姿のおばあちゃんは、東武線の、黄緑色のクッションシートの上で、ちょこんと正座して、「ああ、楽ちん、楽ちん」なーんてね)。
でも、こんなだと、急ブレーキがかかった時なんかは、「おっとっとっと」なんていって、とても危険だよね。特にシートが向かい合わせのタイプの車両なんかだと。当時にタイムスリップすることができたとしたら、きっとちょっとした見ものだったんじゃないかしらね。
今だって、もう百年も経っちゃえば、ゆーりさんが悩むような、車内のさまざまな人間模様なんて、そういった“慣習”が残っちゃってるような人々は、ほとんど「天然記念物」状態で、それはそれでまた、見ものなんでないのかな。「誰にも迷惑かけてないじゃん」ていう言葉は、文字通り「ケイサツが来るようなことはやってない」っていうつもりなんじゃないかな。まあそれでも、老若男女とわず、彼らの中のそういった行動に、「ゆずりあい」の精神が、完全に欠如しちゃっているのは、確かなんだけれど。「家の中でも“外”なんですよっ!」なんて叱責の意味を、正確に解釈できる若い人って、果たしているのかな?
で、彼らの側にしてみれば、われわれの仲間、つまり、「電車の窓に、繰り返し繰り返し、割れんばかりに頭を打ち付けてしまう」とか、「駅のアナウンスを、そっくりそのまま、完璧に覚えて、車内や駅内で大声で連呼してしまう」人たちの方が「怖く」て「メイワク」で「キチガイじみている」と感じられてしまうらしいのよね。私も、実を言えば、そういう人を見た当初は、ただただ仰天していたんですけれど。でも、それを危険だからといって、無理にやめさせようとしたら、かえって彼らにひどいストレスを与えてしまうことになるんだろうな、と障害の内容を知るにつけて考えていた。せめて、非自閉の人々に、彼らは「気がくるっている」からやっているわけじゃないと、知っておいてもらいたいと、私は願う。
私は私で、自分が緘黙タイプでもって、公共の場であるとはいえ、「大声」=「耳障り」=「自分の領域に土足で踏み込まれているようで苦痛」っていう、自分ではコントロールできない「いらだち」っていうものがあるから。もちろん公共の場で、お互いそんなこと言ってたら、キリないしね。
でも、中には、人間誰にも「お互い迷惑をかけられていることに耐えている」部分があるっていうことを全くわきまえない者がいて、事件に発展してしまうということにまで、なってる。
重苦しい話題になっちゃったけれど、百年後は、さてどうなっているんだろうね。もしかしたら、「電車」そのものが、なくなっちゃっているかも知れないね。でもそんなことになったら、鉄道を愛する自閉症者には、さらに苦痛なのかもしれないな...
ミッドランドさん wrote:
> それで最近、僕の心が揺れています。「やはり、正式な診断を受けるべき
>なのか?」と。
ASについて治療方法はありませんが、もやもやとした混乱を振り払うた
めには診断を受けておいた方がいいようです。確か、ミッドランドさんは中
国地方出身でしたよね?広島在住の人の話ではあの地域は成人向けのいい診
断機関が見つかりにくいそうです。
福岡や関西に足を運べばなんとかなるかも???
> と、このようなことがあって、いまいち「診断を下す側」を信じることができないのです。
精神障害の場合、全家連(全国精神障害者家族会連合会)という団体が良
心的な医療機関のリストを作っているみたいです。発達障害や器質障害につ
いても、同じようなりストを作る必要があるかもしれませんね。それも、患
者本人から見て良心的な医療機関リストが必要だと思います。
>武田好史さん wrote:
>
>>>色盲・色弱の人がどのように色を認知しているかということが、下記のホームページにまとめてありました。
>>>
>>>http://www.eadc.org/faq/shikikaku.html
>>>
>>>http://www.ne.jp/asahi/shinsei/saitama/shikijyaku/doc/data.htm
このサイトに直接入ってみようと試みたのですが、うまく入れません。ウェ
ブ検索してみようと思うので、どなたかサイト名を教えていただけないでしょ
うか?
みどりさん wrote:
>私にとっては「みんなが迷惑すること = 非常識」 「あんまり迷惑でないこと = 非常識ではない」なのですが、この考え方も非常識?
>もしかして「みんながやらないこと = 非常識」「みんながやってること = 非常識でない」なの?
わたし自身は「常識があるかないか」と「迷惑がかかっているかどうか」は区
別して考えています。両方が重なる場合もあるとは思いますが。
わたし自身は、「自分の行為が他人に迷惑をかけていないかどうか」について
はよく熟考して行動していますが、「自分の行為が常識的かどうか」という点に
ついては感覚が鈍いようです。(くると)
ミッドランド wrote:
> この掲示板を見ていると、自分が「他人と何かが違う!」と感じて医療機関でAS(ADD、ADHD etc.)と診断されたという話をよく目にします。
> それで最近、僕の心が揺れています。「やはり、正式な診断を受けるべきなのか?」と。
僕としてはお薦めする気はしませんが、否定もしません。
> 僕は自分自身、AS(傾向)があると感じていますが、診断は受けていません。実はその根底に、医者に対する強い不信感があるのです。
>
> まずは小学校入学後間もないとき。僕が他人とどこか違うということで、大学病院へと連れて行かれました。ちなみにこのとき受診したのは「小児科」でした。当然、正確な診断など下されるはずもなく、「精神科の方へ行って下さい。」のアドバイスすらありませんでした(今から21年前の話。そんなことを期待する方が無理があったかもしれない)。
>
> 次に中学生のとき。人間関係の構築の困難と、度重なるいじめで不登校に陥っていたところ、精神保健センターという場所へ相談に行きました。しかし、ここでは「単なる受験のストレス」がどうのこうのといった感じで、本質までは至りませんでした。母親とも話をして、僕の諸事情が伝わっていたはずなのに……。
>
> その次は今から2年前、最近の話。これが最悪でした。
> ようやく自分がASかもしれないと認識して、診断してもらおうと大学病院の精神科へと行きました。ところが、最初の医者は「自閉症のことはわからない。」と言って相手にもしたくないといった態度をとりました。ドナ・ウィリアムズの自伝を見せても「その本は知らない。」と言ったので、もう出て行こうかとさえ思いました。
> 気を取り直して2回目。前の医者の紹介で、今度は思春期の精神医療を担当している医者を当ててもらいました(ということは、発達障害を診ている医者がいない、ということ。この時点で気づくべきだった!)。いちおう、前よりは良心的で
>ドナの本のことも知っていましたが、その医者は「君のは自閉症ではない。」とあっさり言ってしまいました。はじめて会って、自分の事情の大まかなことしか言っていないのに、かくも簡単にこのようなことを言うとは。
> 詳しいことを伝えられなかった僕にも非がありますが、もう少し詳しく聞かせてほしいとか、しばらく様子を見て診断しようとか、そういった言葉がでなかったのか、と思います。もちろん、この診断(などと呼べるシロモノじゃねー)は全く信じていません。
>
> と、このようなことがあって、いまいち「診断を下す側」を信じることができないのです。
> しかし、この場に良心的な医者がいるという話がちょくちょく出てきて、僕自身「もう医者の診断なんか受けるかいっ。」と半ば意固地になっていたのが、少しずつ雪解けしだしました。まだ雪はのこっていますが……。
>
> 診断を受けた方がいいのか? でもまた前述のようなことになったらどうする? 情けないですが、自分で答えが出せません。
まず大多数の精神科医とか専門家と称する人たちの印象は、ろくに人の話を聞かないということ。そして資料を調べようともしない。ようするにやる気ナシ。
ごくわずかながらきちんとASかどうか識別する専門家がいたとしても、次の問題として、「それで、何がどうなる?」というのが浮上してきます。診断するたびに待合室で数十分から一時間以上も待たされ、ほんのちょっとの診断やカウンセリングと称するものを受けたとして、ASの諸問題を軽減するには程遠いでしょう。せいぜい自己慰安感や自己慰労感が得られるくらいなものです。
いずれにせよ、ASは精神科医によって当人が抱える問題が解消できるというようなものではないでしょう。
この掲示板を見ていると、自分が「他人と何かが違う!」と感じて医療機関でAS(ADD、ADHD etc.)と診断されたという話をよく目にします。
それで最近、僕の心が揺れています。「やはり、正式な診断を受けるべきなのか?」と。
僕は自分自身、AS(傾向)があると感じていますが、診断は受けていません。実はその根底に、医者に対する強い不信感があるのです。
まずは小学校入学後間もないとき。僕が他人とどこか違うということで、大学病院へと連れて行かれました。ちなみにこのとき受診したのは「小児科」でした。当然、正確な診断など下されるはずもなく、「精神科の方へ行って下さい。」のアドバイスすらありませんでした(今から21年前の話。そんなことを期待する方が無理があったかもしれない)。
次に中学生のとき。人間関係の構築の困難と、度重なるいじめで不登校に陥っていたところ、精神保健センターという場所へ相談に行きました。しかし、ここでは「単なる受験のストレス」がどうのこうのといった感じで、本質までは至りませんでした。母親とも話をして、僕の諸事情が伝わっていたはずなのに……。
その次は今から2年前、最近の話。これが最悪でした。
ようやく自分がASかもしれないと認識して、診断してもらおうと大学病院の精神科へと行きました。ところが、最初の医者は「自閉症のことはわからない。」と言って相手にもしたくないといった態度をとりました。ドナ・ウィリアムズの自伝を見せても「その本は知らない。」と言ったので、もう出て行こうかとさえ思いました。
気を取り直して2回目。前の医者の紹介で、今度は思春期の精神医療を担当している医者を当ててもらいました(ということは、発達障害を診ている医者がいない、ということ。この時点で気づくべきだった!)。いちおう、前よりは良心的で
ドナの本のことも知っていましたが、その医者は「君のは自閉症ではない。」とあっさり言ってしまいました。はじめて会って、自分の事情の大まかなことしか言っていないのに、かくも簡単にこのようなことを言うとは。
詳しいことを伝えられなかった僕にも非がありますが、もう少し詳しく聞かせてほしいとか、しばらく様子を見て診断しようとか、そういった言葉がでなかったのか、と思います。もちろん、この診断(などと呼べるシロモノじゃねー)は全く信じていません。
と、このようなことがあって、いまいち「診断を下す側」を信じることができないのです。
しかし、この場に良心的な医者がいるという話がちょくちょく出てきて、僕自身「もう医者の診断なんか受けるかいっ。」と半ば意固地になっていたのが、少しずつ雪解けしだしました。まだ雪はのこっていますが……。
診断を受けた方がいいのか? でもまた前述のようなことになったらどうする? 情けないですが、自分で答えが出せません。
グチは嫌いと言いつつそれっぽくなってしまった ミッドランド
まろんす wrote:
>慢性感冒 さんへ
>
>こんにちは。
>私も子供の頃から現在までいじめに会ってました。
>よろしく
ろまんすさんへ
こんにちは、
上手く立ち回れない者、理由も分からず信じられない攻撃にうなだれる者にとってこの世は嘘の世?
とか思わせられます。私は宗教をしているわけではありませんが、混乱でパニックしそうな時
やっぱり引き上げられます。つい最近までなにに引き上げられるのかよくわからず、理屈でがんじがらめ
になってしまっていました。
普通の人だってうまく繕っているけど、(いじめもゴマカシのひとつ)心の闇に追われてるみたい・・・
いじめられるのはいやだけど、同じモノが足りない点ではいじめてる人も同じなのかも・・・
こんなのは夢なんでしょうか?
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