アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
くると wrote:
> トラブル続きですっかり亀レスになってしまったくるとです。
のんびり行きましょう。
> ひょっとしてみどりさんって学問畑の人???(これは余談です)
学問畑につよいあこがれをいだき、大学もちょっと長めに行ったりしてみたけど、あまりの自分の研究能力のなさに挫折してエンジニアにおちついてます。
やってみたら研究よりエンジニアの方が100倍楽しかった。でもあこがれはまだまだ続いている。
> この点についてまだ整理できていませんが、自分の考えを述べてみます。
>いずれも、「個性」というよりは本人の「所属」になってしまうのではない
>でしょうか。例えば性別について言えば、代表的な性別の分類は男女という
>二分法です。(染色体レベルではもっと細かく分類できるし、両方の特徴を
>兼ね備えている人もいるのだが)世の中のほとんどの人が男か女のどちらか
>に分類されてしまう以上、これは個性というよりは所属だと思います。
所属。となると、やはり「名前が付くと個性とは呼ばないこともある」の極端な例かなあ。
日本人が一人でいきなりアフリカの民族のなかで暮らすことになったとき、日本人であることは個性かしら。
医者ばかりがあつまる同窓会で、いつもくるけど唯一医者じゃない道に進んだ人の職業は個性かしら。
個性から発芽されたもの、といったらいいのかな。
くると wrote:
> こう考えますと、「健常者なら他人の気持ちや意図を理解できる」と
>いうのは幻想,あるいは健常者の願望に過ぎないことになります。正確
>には「自分に類似する思考パターンを持つ人の気持ちや意図を理解する
>ことができる」と言うべきでしょう。
ここでさらに検討すべきことは「自閉症者が気持ちや意図を理解できる相手は誰か」というものです。
これが自閉症者も同じ仲間の気持ちや意図を理解できるのであれば、この
「自分に類似する思考パターンを持つ人の気持ちや意図を理解することができる」
は、自閉・非自閉にまたがる普遍的な事実とになります。
例の彼女 (いま名前がでてきませんが、自閉症だった私へを書いた人) も、同じ自閉症の子供のことはわかるような感じで書いてますよね。
それが思い過ごしなのか、本当にわかっているのか、診断するのはまた難しいですね。自閉症の心を理解したかどうかテスト。対象者も自閉症者。
誰が作ればいいんだろう。それを学会レベルに認めてもらうことができるのだろうか。
くると wrote:
> うーむ、これは確かに不可能でしょうね。あと1つ気になったのが「社会
>的に良好である」という部分です。反社会的な病気とか非社会的な病気とい
>うのは一体…(絶句)
身体は完璧でも、反社会的な行動に走ったり、社会にとけこめなくて悩んでたりというのも「不健康の要因」である、ということですね。
>>#健康とは相対的な概念であって、与えられた遺伝的・環境的条件下で、身
>>#体的部位が適切に機能を発揮するような個体の状態あるいは性質を意味す
>>#る。
>
> しかし、「与えられた遺伝的条件」というのがひっかかりますね。遺伝が
>大きな影響を持つとされる発達障害やその他遺伝病はど〜なってしまうので
>ありましょ〜か!?
そういう遺伝的影響があるからこそ、「与えられた遺伝的条件下で」という文が追加されたのではないでしょうか。
そうでないと、たとえば盲目で生まれた人はいきなりそれで「はい不健康」になっちゃう。
「遺伝子と環境が許す限りの健康さ」を目標にしましょうってことじゃないですかね。
そういえば白人の青い目も遺伝子的欠陥によるものだって聞きました。
そうすると、特定の地域 (太陽がまぶしいところ) で偶然隔世遺伝かなんかで一人だけ産まれた青い目の子供は、「遺伝子による障害者」となるでしょう。。
で、その子が大きくなってヨーロッパの北の方に旅行して、「この国は障害者ばかりだ、障害者が国を支配している」と思ったりするんだろうか。
仮定の話がすきな みどり
truth wrote:
>昔と自分が違う・・・以前のこの掲示板で、「非アスベ時代の記憶がある。」場合・・・という記述を読みましたが、突然アスペ的になるという事はあるのでしょうか?
この文を書いたみどりです。これは「仮定として、後天性のアスペがあったとしたら」という文脈のなかで出た物なので、実際に「突然アスペになる可能性」についてはさっぱり考えていません。
私の場合も、現在自称ASと言っていますが、就職してしばらくはごく普通に、変わった女の子だね、くらいで過ごしてきました。
ここ数年いろいろ問題が発生して、それでASを調べて、そうか私は小さい頃からこれだったんだなって思いました。環境に恵まれたおかげで、当時はまったく問題にならなかっただけですね。
でも、広い地球のどこかには「本当に後天性」のアスペがいるかもしれませんし、 truth さんがそうでないという確証もありません。
最近ともだちが少ない理由を考えてみた。
学生時代は友達が多くて楽しかったのに、その友達がほとんど男性だったので、彼らが結婚してからはなんとなく壁ができて、疎遠になってしまったんだな。
でも女の子で私と気があう子はなかなか少ないのよ。
職場の新人君タチはまだ独身だけど、歳が離れすぎちゃって、最近の私のウツはその元気さについていけない。
やっぱお見合いかなー
なんかはげしく話題をずらした気がする
truthさん wrote:
>私は、ある時から突然・・・神経過敏な状態になり、ドナさんの本を読んで「同じだ・・」と思ったのですが、小中学校までは、普通?にというか、あまり、悩まずに学校で過ごしていました。
私がレスするのも妙な気がするのですが、今読んでいる本に気になる記述を見つけて、もしかしたら関係有るかな?と思ったので書いてみますね。
その本には、”言葉は頭の言葉であって、体の言葉ではない。本来ストレスは体からの言葉(感覚)に正直で有れば生じないものである。
不安や恐怖を感じるのは頭ではなく体である。
体からの言葉(感覚)をないがしろにするのは、体を否定して頭で生きようとすることであり、それを続けていくと一応はかない一時的な平和は訪れても、体は納得しないので、不安、恐怖を生産し続けることになる。
その(感覚)を感じないように対処しようとする頭の働きこそ、ストレスの原因になる。
頭(考えること)よりも体(感じること)を大切にするべきである。”と書かれてあります。
>昔と自分が違う・・・以前のこの掲示板で、「非アスベ時代の記憶がある。」場合・・・という記述を読みましたが、突然アスペ的になるという事はあるのでしょうか?ドナさん、ウェンディ・ローソンさんの本を読んでも、「本当にそうなんだよね。」と思うのですが、でも、子ども時代・・・思春期に入るまでは、感覚過敏とかいう状況もなく過ごしました。
この本に従って考えてみると、truthさんは、昔から感覚過敏は有ったのだけれど、子供の時は体に正直に生きていたのでわからなかった、のではないでしょうか?
それが思春期に入り、周りが見えるようになってきた。それで、自分が感覚過敏であることに気づき、体に正直であるよりもそれを解決しようとする方向に心が向いて、頭で考え行動するようになった。
>分裂症?とも違うと思います。感覚が鋭すぎて、ストレスを感じやすく、パニックを起こす事もあるのですが・・・。
感覚が鋭いと言うことは体の状態としてあるのでしょうが、それに対して、ストレスやパニックすを起こすのは又別の問題だと思います。
その体の感覚を否定しようとして、頭を働かせているからじゃないのでしょうか?
全くの見当違いだったらごめんなさい。
この本に書いてあることが、私の場合当てはまることが多かったもので・・・
私は現在、体の言葉(感覚)の一部が分からない状態になってしまっている(心地良いのか悪いのか分からない)ので、それを取り戻す練習をしています。
皆さんは「日常生活では役立たない、どうでもいい知識」が多く記憶される、ということはありませんか? 僕はそうです。
たとえば、僕は大相撲が好きなのですが、次のような本当に「知っててどーなる!?」というようなことを記憶しています。
・「ちりちょうず」は武器を持っていないことを示す動作
・土俵下の控え力士も、審判同様「物言い」を出すことができる
・行司の木村家と式守家とは、軍配の持ち方が違う
・吊り屋根の四隅の房は、それぞれ朱雀神・白虎神・青龍神・玄武神を表す
・「しこ名」は正式には「醜名」である
・「さがり」の数は常に奇数である
・金星とは、平幕力士が横綱を倒すことである
・雪駄が履けるようになるのは三段目からである
・まわしは洗わない
……いくらでも出てきます。こういったことは数多く覚えるのに、なぜか実生活で役に立つ知識はなかなか頭に入らないのです。現に僕が大学で学んだことは、もうほとんど吹き飛んでいます。
記憶回路にこのような謎があるのも、A−typeの特徴なのでしょうか?
両国国技館へまだ行ったことがない ミッドランド
truth wrote:
>こんにちは。この掲示板に書き込むのは努力がいりますが、どうしても聞きたい事があって、書き込む事にしました。
>
>私は、ある時から突然・・・神経過敏な状態になり、ドナさんの本を読んで「同じだ・・」と思ったのですが、小中学校までは、普通?にというか、あまり、悩まずに学校で過ごしていました。
>
>昔と自分が違う・・・以前のこの掲示板で、「非アスベ時代の記憶がある。」場合・・・という記述を読みましたが、突然アスペ的になるという事はあるのでしょうか?ドナさん、ウェンディ・ローソンさんの本を読んでも、「本当にそうなんだよね。」と思うのですが、でも、子ども時代・・・思春期に入るまでは、感覚過敏とかいう状況もなく過ごしました。
>
>分裂症?とも違うと思います。感覚が鋭すぎて、ストレスを感じやすく、パニックを起こす事もあるのですが・・・。
>
>突然掲示板におじゃまして、こんな事を書いて、迷惑かな・・・とも思いましたが、書かせていただきました。
これは、周囲に適応するための能力>自分の持っている能力という状況に陥ってしまったのだと思います。
また男女を問わず、自閉症の人のなかには、思春期の頃から極度の不安・パニック・鬱状態などの精神的な混乱を起こしやすくなる場合もあるようです。
こんにちは。この掲示板に書き込むのは努力がいりますが、どうしても聞きたい事があって、書き込む事にしました。
私は、ある時から突然・・・神経過敏な状態になり、ドナさんの本を読んで「同じだ・・」と思ったのですが、小中学校までは、普通?にというか、あまり、悩まずに学校で過ごしていました。
昔と自分が違う・・・以前のこの掲示板で、「非アスベ時代の記憶がある。」場合・・・という記述を読みましたが、突然アスペ的になるという事はあるのでしょうか?ドナさん、ウェンディ・ローソンさんの本を読んでも、「本当にそうなんだよね。」と思うのですが、でも、子ども時代・・・思春期に入るまでは、感覚過敏とかいう状況もなく過ごしました。
分裂症?とも違うと思います。感覚が鋭すぎて、ストレスを感じやすく、パニックを起こす事もあるのですが・・・。
突然掲示板におじゃまして、こんな事を書いて、迷惑かな・・・とも思いましたが、書かせていただきました。
武田さん、みどりさん、脳波・CT検査の件でのレスありがとうございます。
私は今のところ自称ASですが(今のところすぐに診断してくれる医療機関の
予約が取れないため)、ASであるのかそれとも性格の偏りであるのか、はっきり
診断を受けたいと思っています。なぜなら脳の機能障害か性格の問題かで
対処の仕方が大きく異なるからです。ASと診断されなければリタリンなどの薬は
まず処方されないし、性格の問題とされると「努力が足りない」、「生き方に問題
がある」、「だらしない」、「親の教育が悪い」といった根性論、社会的道徳論に
すりかえられて非難されることに結びつくからです。以前あるクリニックでカウン
セリングを受けていましたが、カウンセラーは脳機能障害ではなく性格の偏りと
見ているため、お互い全く話がかみあわず、良くなるどころかイライラがたまって
かえって状態が悪くなってしまい通院を中止した経験があります。
(まだ十分な研究は進んでいないようですが)ASに関しては「心の病気」とい
うより「脳の機能障害」という表現の方が正確かつ客観的でわかりやすいのではな
いかと個人的に考えています。ASや自閉症の治療は心理学からのアプローチでは
いずれ限界が出てくると思います。いつの日か医学や脳科学が特効薬を開発する事
で根本的に解決されるのを待つしかないでしょう。
ASと診断されたところで現在の段階では有効な治療法はないし、大阪の事件も
あって精神疾患者に対する偏見や誤解などのリスクもあるでしょう。しかし少しでも適当な治療プログラムや投薬治療を受けた方がはるかにベストであり、これから、自分に少しでも合った環境、適職を選択する上で事実を認識する事は必要であ
るし、1つの指針になると(私に関しては)考えています。
この国の医療制度、行政制度、社会認識の不備が結果としてわれわれに「被害者
意識」というものをを感じさせているのでしょう。欧米のAS患者が受けているよ
うな最新かつ有効な治療プログラムを日本のAS患者が享受できないのはやはりそ
れらの不備が原因にあるのでしょう。
昨年からこの掲示板を見ていましたが自分の言いたい事がほとんど書いてあるの
で自分で書くことなくずっと閲覧しているだけでしたが、これからもときどき掲示
板に参加したいと思います。よろしくおねがいします。
pocksさん wrote:
>すると問題は「障害者の権利の保証」が目的なのか手段なのか、という
>所にかかってくるように思います。どのような方法でそれを見分けるべき
>でしょうか。
難しい問題です。ただ、本当に「障害を理解する」と考えている人なら、障害者を「過保護」にしないと思います。「同じ人間」という考えから、あえて苦言も呈したりすると思います。
これが何らかの意図が見え隠れする人の場合、常に障害者を「保護の対象」とみて「いいひと」を演じる。そう感じます。
>>彼らには「障害者支援をするなら、コレコレこういった考え方でなければ
>>ダメ。それから外れる人は資格なし」といった「暗黙のスタンダード」が
>>存在する
>
>我々自閉人に一番わかりにくい(読みづらい)のがこの「暗黙のスタンダード」
>という類のことがらですね。ミッドランドさんは具体的にはどういう事から
>(どのような体験をなさったために)こういう印象を受けられたのでしょうか。
僕が大学にいた頃、学内に障害者支援の団体がありました。しかし彼らは「権力から障害者を『解放』する」ことを理念とする、イデオロギー運動以外の何者でもありませんでした。僕はつくづく思ったものです。
「それ、障害者を自分たちの運動に利用してるだけやん。」と。
今のあらゆる障害者支援の運動は、少なからずそのような傾向があるのではと感じたのです。中にはノン・イデオロギーのものもあるとは思いますが。
イデオロギーに縛られるのは甚だ御免 ミッドランド
こんにちわ、武田さん。勤務先の塾が夏季講習前で非番のくるとです。
武田好史さん wrote:
> 1946年に世界保健機関(WHO)は、保健大憲章の前文で、「健康」
>という言葉を次のように定義しています。
>
>#健康とは、身体的・精神的・社会的に完全に良好であって、単に疾病や虚
>弱でな#いというだけではない。
> しかしながら、「完全に良好である」ということは、やはり不可能なので、
>1957年には、WHOは以下のような見解を出しました。
うーむ、これは確かに不可能でしょうね。あと1つ気になったのが「社会
的に良好である」という部分です。反社会的な病気とか非社会的な病気とい
うのは一体…(絶句)
>#身体的・精神的・社会的に完全に良好な状態とは理想像であって、我々が
>絶えず#努力して進むべき方向を示したものである。
いわゆる努力目標という奴になっちゃったんですね。
>#健康とは相対的な概念であって、与えられた遺伝的・環境的条件下で、身
>#体的部位が適切に機能を発揮するような個体の状態あるいは性質を意味す
>#る。
しかし、「与えられた遺伝的条件」というのがひっかかりますね。遺伝が
大きな影響を持つとされる発達障害やその他遺伝病はど〜なってしまうので
ありましょ〜か!?
>このことから、健康な人すなわち健常者とは、
>
>「身体や心に問題が無く、社会的な役割をまっとうすることができ、平和
>な環境で暮らすことができ、良心的な行動がとれる人」
>
>というふうな人を指すのではと、私は思います。
>
>もっともこんな人ってやっぱいない!自分ですらそうでないもの・・・・
やはり、健常者というのは人間の願望(実現不可能な希望)が生み出した
フィクションなのではないかという気がしてきました。これらの条件を全て
満たしている人なんか見たことがありません。
どうも丁寧な説明ありがとうございました。
くると wrote:
> くると(複合型LD)です。ちょっと基本的な問題を扱っています。
>
> 当然のことながら、この掲示板には「障害者と健常者」,「自閉者と
>非自閉者」という構図でのコメントが多数投稿されます。今日はこのう
>ち「健常者」というキーワードでコメントをしたいと思います。なお、
>この掲示板の性質上、自閉症の例を多用することになります。
>
>(1)「わたしは健常者のように普通になりたかった」
>(2)「健常者はわたしたちのことを理解していない」
>
> この掲示板にもよく登場するコメントですが、意外に健常者というの
>が何者なのかははっきりしていません。例えば自閉症との対比でいうな
>らば、「他人の気持ちに共感できる」というのは健常者(非自閉者)の
>条件ということになるでしょう。
>
> しかし、現実的には健常者と呼ばれている人たちが全ての他人の気持
>ちに共感できる訳ではありません。現に(2)にあるように「健常者」
>と呼ばれている人たちは「自閉症者」の意図を理解するのが困難です。
>「自閉者」本人が書いた手記がもてはやされる背景には、「自閉者」の
>意図や気持ちを読み取れる「健常者」が少ないという事情もあると思わ
>れます。
>
> いったい健常者とはどのような人を指すのでしょうか?障害者とされ
>る人ができないことを完全に実現できる「健常者」は存在しないように
>思われます。謎(???)です。
1946年に世界保健機関(WHO)は、保健大憲章の前文で、「健康」という言葉を次のように定義しています。
#健康とは、身体的・精神的・社会的に完全に良好であって、単に疾病や虚弱でな#いというだけではない。
しかしながら、「完全に良好である」ということは、やはり不可能なので、1957年には、WHOは以下のような見解を出しました。
#身体的・精神的・社会的に完全に良好な状態とは理想像であって、我々が絶えず#努力して進むべき方向を示したものである。
#健康とは相対的な概念であって、与えられた遺伝的・環境的条件下で、身体の各#部位が適切に機能を発揮するような個体の状態あるいは性質を意味する。
さらに数年前ですが、身体的・精神的・社会的に加えて、新しく「魂の良好」が健康の条件に盛り込まれました。戦争・虐殺・迫害・貧困などからの人々の救済を願ってのことです。
このことから、健康な人すなわち健常者とは、
「身体や心に問題が無く、社会的な役割をまっとうすることができ、平和な環境で暮らすことができ、良心的な行動がとれる人」
というふうな人を指すのではと、私は思います。
もっともこんな人ってやっぱいない!自分ですらそうでないもの・・・・
くるとです。今回は遅滞というテーマを扱います。
「遅滞」は発達障害を扱う病院でよく耳にする言葉です。脳機能障害が原因
で発生する精神遅滞と、教育環境が原因で発生する発達遅滞がよく知られて
います。発達遅滞については子供の頃、わたしが「発達障害なのか?発達遅
滞なのか?」をめぐって医師と両親が激しく対立しました。だから遅滞とい
うのはわたしにとってもなじみの深い言葉です。
しかし、この遅滞という言葉はどうもしっくり来ません。わたしの感覚で
は、遅滞という言葉は「発達に遅れがある」とされる子供のうち、将来的に
「健常者」になる可能性がある子供にだけ与えられるべきレッテルです。軽
度の発達遅滞児で「遅れ」を取り戻す可能性のある子供に対しては「遅滞」
という言葉は使えると思います。
しかし、かなり深刻な発達遅滞児(放置児など)や、そもそも脳の機能障
害を持っている発達障害児については「将来的に健常者になる」という設定
自体に無理があります。また、「健常者になるべきだ」という人生のレール
を引くべきでもないと思います。障害児が将来的に自立することは必要です
が、それは障害児が健常児になることとは明らかに別の問題です。
なんか、遅滞という言葉には「普通の子願望」と「将来の自立」という異
なる動機が混同されているように思えてなりません。
くると(複合型LD)です。ちょっと基本的な問題を扱っています。
当然のことながら、この掲示板には「障害者と健常者」,「自閉者と
非自閉者」という構図でのコメントが多数投稿されます。今日はこのう
ち「健常者」というキーワードでコメントをしたいと思います。なお、
この掲示板の性質上、自閉症の例を多用することになります。
(1)「わたしは健常者のように普通になりたかった」
(2)「健常者はわたしたちのことを理解していない」
この掲示板にもよく登場するコメントですが、意外に健常者というの
が何者なのかははっきりしていません。例えば自閉症との対比でいうな
らば、「他人の気持ちに共感できる」というのは健常者(非自閉者)の
条件ということになるでしょう。
しかし、現実的には健常者と呼ばれている人たちが全ての他人の気持
ちに共感できる訳ではありません。現に(2)にあるように「健常者」
と呼ばれている人たちは「自閉症者」の意図を理解するのが困難です。
「自閉者」本人が書いた手記がもてはやされる背景には、「自閉者」の
意図や気持ちを読み取れる「健常者」が少ないという事情もあると思わ
れます。
「自閉者」ができなくて「健常者」ができることとして、非言語情報
(表情、しぐさ、声色など)と暗黙の了解の察知が挙げられます。しか
しそれらをもってしても自閉者の意図や気持ちを読み取るのは困難なの
です。
こう考えますと、「健常者なら他人の気持ちや意図を理解できる」と
いうのは幻想,あるいは健常者の願望に過ぎないことになります。正確
には「自分に類似する思考パターンを持つ人の気持ちや意図を理解する
ことができる」と言うべきでしょう。
いったい健常者とはどのような人を指すのでしょうか?障害者とされ
る人ができないことを完全に実現できる「健常者」は存在しないように
思われます。謎(???)です。
> 「障害者の権利の保障」「社会的弱者の味方」その考え方自体はよろしいの
>ですが、それを信条とするならば、政治的・思想的な運動をそこに組み込む
>のは邪道ではないかと、僕は思います。
なるほど。
しかしながら、障害者に充実した援助を行おうと思った場合、よほどの
大金持ちか権力者ではないたいていの人にとっては個人的にできることは
限られているわけですから、政治の力を借りずに済ますのは難しいこと
だろうと思います。その意味では、政治にまったく関るな、とは言いがたい。
すると問題は「障害者の権利の保証」が目的なのか手段なのか、という
所にかかってくるように思います。どのような方法でそれを見分けるべき
でしょうか。
>彼らには「障害者支援をするなら、コレコレこういった考え方でなければ
>ダメ。それから外れる人は資格なし」といった「暗黙のスタンダード」が
>存在する
我々自閉人に一番わかりにくい(読みづらい)のがこの「暗黙のスタンダード」
という類のことがらですね。ミッドランドさんは具体的にはどういう事から
(どのような体験をなさったために)こういう印象を受けられたのでしょうか。
>みなさんはこの障害の本質は、どんなものであると思いますか?
非自閉人の脳には表情やボディランゲージなどの社会的なサインを増幅して
意識させる、いわばコ・プロセッサあるいはプリ・アンプが付属しています。
自閉人の脳にはそれが付いていません。このことが自閉人と非自閉人の
感受性の違いの本質だと考えています。
おっくん wrote:
>質問ですが、アスペルガー症候群ではこれらの検査で異常が見られる事が
>あるのでしょうか。(自閉症では脳波に異常が見られるそうですが)恐縮ですが
>どなたかアスペルガーの方で脳波とCTの検査を受けられた方の情報をお願い致し
>ます。
自称ASなのでアスペルガーや自閉の診断を受けたことはありませんが、てんかんの疑いで受けた脳波検査ではちょっと異常がありました。
結局「特に投薬などは必要ない」ということでしたが、脳波にはてんかん風の異常が多少あるようです。
武田好史さん wrote:
>>今日は私の誕生日です。
>>29才になりました・・・
>>
>>身は大人 心は子どもの 三十路前
>>時の流れに 無理に乗らずと
またしても話題に乗り遅れてしまったくるとです。遅れてしまいましたが
お誕生日おめでとうございます。
ところで、武田さんは関東にお住まいでしたよね?そのうち、成人LDの
会のオフ会にも遊びに来てくださいね。そんじゃ、また
ミッドランド wrote:
> かつての僕は「被害者意識」のかたまりでした。
> 周囲の人々全員が悪人に見えました。
> 自分が苦しい目に遭うのはすべて社会のせいだと思っていました。
> そのため、自分を「絶対善」と位置付けていました。
> そう!僕は悲しき被害者、弱者。
> お願い、手を差し伸べて!
>
>…………なんて調子だったんです、かつての僕は!あー、今思い出すとハズカシー!
>
> 「被害者意識」をタテにして、無意識のうちに自分を悲劇のヒーローに仕立て上げ、自分を「純潔化」させていたのです。これ、今思うと「みっともねー!」と言いたくなります。
> そして当時は自分をかなり「まっとうな人間」と見ていました。これがそもそもの間違いです。
> 「いわゆる普通の人」だろうが「障害者」だろうが、「まっとうな人間」などいるものではないのです。最近になってそれに気づきました。
>
> それなのに近頃は障害の有無にかかわらず、少しでも事がうまく運ばないと、必要以上の不幸を感じ、「被害者意識」にかられる。そのときはたいてい、自分をあまり省みていないものです。ここが「みっともない」ところなのです。
>
> 今の僕は、はなから自分をたいそーな人間だとは考えていません。「僕は大したヤローじゃないから」と考えることによって「みっともない被害者意識」が少しでも薄まるのではと思うのです。
>
そうですね。たとえひとりぼっちでも、明るく生きていれば、きっと友達ができてどんどん増えていくと思います。
ゆーり wrote:
>武田好史 wrote:
>
>> なんか日本では、「ノーマリゼーション」の名の基に、障害者に無理矢理仕事をさせようとする風潮があるような気がする
誕生日おめでとうございます。前回の書き込みでは
きちんとレスができずにごめんなさい。
レスをいただいてうれしかったです。
>おおお!武田さん、すごい。
>そうだそうだ、その通り。
>確かに「働かざるもの食うべからず」といわんばかりに、
>単調な仕事をおしつけているような気がする。
>でもそれって、強制労働になってないだろうか?
>本人が好きな仕事であればいいのだろうけど。。。
>どっちにしろ、資本主義による搾取である感は否めない。
>
>(だって単調な仕事って、安いよねえ?!)
できれば、国民一人一人に月10万の年金収入があれば ありがたいですね。
日本に住んでいる人すべてが就職するというのは今の社会では不可能ですから。
地位や収入増を望む人だけが働けばいいと思います。
その他の人は親の介護や「人とともに歩いていく」という意味での
ボランティアをすればよいわけです。
私の場合はこれから就職するよりも親の介護を選びたいと思いますが、
現実には就職しなければ(親の死後は)生活していけない状況です。
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