アスペルガーの館の掲示板(旧)
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分裂気味だった僕は自分の使命に目覚め
極めて楽観的になりました。
でもあいかわらず喜びは薄いです。
ヤフーの占い掲示板の
カバラ数秘術&曜日占いのコーナーで
自分の才能を発揮してるので
たちよってください
分裂症のゆうろとはさよならです。
また鬱にならないよう
たえず自分を保っていたいと思います。
くると wrote:
>
> ええと、わたしはあまり「健常者」とされる人を敵視する思想は持っていな
>いんです。今回のコメントは単純に
>
>(1)「健常者」とは何か
>(2)「健常者」という概念に虚構性はないか
>
> という点にあります。医学的に「健常者」と評価されている人に異議申し立
>てをしようという意図は全くありません。そのことを踏まえて、レスをします
>ね。
こんばんわ
気を悪くされたらごめんなさい。
今回のコメントに、健常者への単純な疑問をされただけとのことでしたが、
健常者に対する多少の敵意みたいなものを文のなかに感じたので、(わたしとしてだけど)非自閉圏の私側からの意見を言ってみたくなりました。
くるとさんが単純に健常者とは・・・。との疑問に障害者というよりも、
自閉者とはなにか、という素朴な疑問をわたしも投げかけたかったのです。
もちろん、文句をつけようとか、怒ったとかそういうことではないので、
私の書き方になにか「カチン」ときたのであれば、お許しください。
少ないここの健常者として、曖昧じゃなく答えようと意気込んでしまったかも・・・。
>>確かに、健常者といっても、人格者もいれば、そうじゃない人もいます。
>>それは、自閉の人達にも言えることで、努力している人、そうじゃない人が
>>いるのと同じです。
>
> 「健常者」と呼ばれる人の間にも「障害者」と呼ばれている人と間にもたく
>さんの差異がひしめきあっています。だからこそ、「健常者」とか「障害者」
>という概念の実体がよくわからないのです。
>
> それに対して好奇心を持つことはまずいことなんでしょうか?
ごめんなさいね。そういうことはありません。
>
> なお、この部分のみちるさんのコメントはみちるさんのコメント全体にも跳
>ね返ってくることになります。
>
>>私の知るかぎりですが、自閉圏の人達は自分に始まり、自分に終わる人が
>>多いように思います。たとえば、「誰もわかってくれない」ってじれたりね。
>>それはお互い様でしょう。と思っています。
>
> と、このように自閉者にレッテルを貼ってしまうと、みちるさんの意見が理
>論矛盾してしまうと思うんです。正確には自閉者同士の間にも差異がひしめき
>合っており人によってそれぞれだ、と解釈すべきでしょう。
レッテルをはるつもりではないのです。
ですから、わたしの知る限りですが、と前置きをしています。それから、お互い様というのは、自閉のかたたちが私たちを解ってくれないといいますが、自閉の方たちも私たち健常者のことを解ってはくれていない。ということがお互い様なのね。
っていいたかったのです。
家のAS大人は、仕事では完璧です。そういう人から見れば、私は仕事が出来ない
効率が悪いと見ます。一緒に会社をしているので・・・。でも、私は、外で
他の会社で働くととても仕事のできる人で通っています。
彼の世界からみると、自分のやり方ではないから、仕事の出来ない奴と思います。
そんなふうに、その人の世界感で評価はかわりますよね。
彼はおまえはわかっていないといいます。わたしにすると貴方もわたしをわかっていない。こういう使い方をすれば、わたしは二人分の仕事をするのに。と思います
そのくせ、人間関係はだめなので、私がその分野でどれほどフォローしているのか
わかろうともしません。
お互い様の世界は自閉の中にはないのかな。と思ってしまいます。
まあ、これも私の知る自閉者のことですけどね。
>>私から見る自閉の人達って、
>>自分の世界に住んでいて、私たちと共存している人
>>でも私たちの見る世界と別なところからの視点で物事を感じ、受け止める人
>>それで、私たちの世界にはいるのだけど、平行した別の世界で自分なりに生きてい>る人たち。人を受け入れられない人たち。相手の考えを尊重できない人達。
>>とおもいます。
>
> これも同じです。ちょっと、「自閉者」というくくりを作ってしまっていま
>せんか?
>
> いかがでしょうか?
そうかもしれません。でも、ここの書き込みだけをとらえないでほしいな。全体の言いたい事をうけとってもらいたいのだけど。
それから、くくりを作っているとは思っていませんよ。あくまで私側からかんじた
私の意見です。ここは、自閉側から見ることが多いですよね。また自閉者というと
問題になるかな。あえて区別するためにつかっているだけなんだけど。
批判じゃなく、自閉者を家族にもつ非自閉者が、こう思ってたりするのよ・・・。って言いたかったの。けんかするつもりもないし、私が今ASと一緒にいて感じる事だったから正直に言ったまでです。ただ今、ASに苦しんでいるので言葉がきつくなっていたかも・・・。ごめんなさい。意見は意見として尊重してくださるとありがたいのだけど・・・。
ちっとも悪気はない、みちるより
武田好史さん、ぺりこさん、みどりさん、レス、有り難うございました。
読んでいて、思い当たる事が沢山ありました。私は多分、感覚的に少し人と違っていたり、身体感覚も多分ちょっとずれている所があるので、他人と接するときに無理をしているのだと思いました。「身体的に感じた事や、色々感じた事を抑えたり、思考によって我慢したり、無視したりするので、パニック・恐怖・不安が出てくる」というのは本当にそうだと思いました。
思春期に入って、突然・・・感覚過敏になって、でも、私も子どもだったので、何が起こっているのか全く分からなかったのでした。それ以来は、ドナさんと同じで、「防衛的な好かれる人格」みたいなのを作ってやってきていて、でも、その事については、私は全然自覚がなく、何となくいつの間にか・・・という感じでした。
本当の自分の感覚で世の中に存在するというのは・・・とっても勇気のいる事です。拒絶されたり、感じすぎで傷つく事も・・・考慮せずにはいられません。
「我が儘」で片づけられてしまう事が多いものなぁ・・・。
時々、ふっと。。。素の自分になる事はあるのですが・・・。
でも、自分の感覚を受け入れて、正直になる以外・・・不安やパニック・恐怖から逃れる事は出来ないのだろう・・・。それを解決しないと、いつまでも、不安に押しつぶされる恐怖に怯えるんだろうなと思いました。
有り難うございました・・・・。
ぱうぜ wrote:
>人と話していたり、何かで読んだりしたことがきっかけで、思い出します。
>相手の話題に合わせているうちに「そんな趣味もあったのね」とか「そんな
>ことまで知ってるなんてマニアだね」とか言われてしまいます。話題に合わ
>せて話しているだけなのに・・と思いますが、そんな時はそれ以上話さずに
>話題が変わるのを待つことにしてます。
自分にはそんな事無いですね。多分僕が無駄に知ってる分野が違い過ぎるのかもしれません。でもそれっていい事だと思いますよ。知らないよりは知っておいた方がいいと言う事もありますし。
まあ、逆に知らない方がいい事もありますが……
私の友達は嬉々として「くだらない事」を覚えたがります。「雑学」と称して。
実は心の奥底では「覚えたいから」なのかもしれないですね。覚えてるのって。
それでは。
名加野 wrote:
> ふむふむ、「本人にとってすらどうでも良い事」を覚えている……と。
>うーん、そう言うのって、どう言う時に思い出しますか? もしくは、ずっと記憶したままって事ですか?
人と話していたり、何かで読んだりしたことがきっかけで、思い出します。
相手の話題に合わせているうちに「そんな趣味もあったのね」とか「そんな
ことまで知ってるなんてマニアだね」とか言われてしまいます。話題に合わ
せて話しているだけなのに・・と思いますが、そんな時はそれ以上話さずに
話題が変わるのを待つことにしてます。
では。
武田さん。めちゃくちゃ遅くなりましたが、お誕生日おめでとうございます。
>1:機能障害(Impairment)
> 心理的、生理学的、若しくは解剖学的構造ないしは機能の喪失。
うーん、この辺はアスペルガーだからどうこうな部分では無い気がします。多分どこかは違うと思うのですが、機能障害といわれるとわかりません。というよりも、専門用語が分かりにくいです。「〜的」というのが。
>2:能力低下(Disability)
> 人間にとって普通(ノーマル)と見なされている方法ないし範囲内で活動を遂行する能力が、(機能障害などの結果として)制約され、またはかけること。
かける=欠ける ですねたぶん。ASの場合能力はあるが、方法や範囲内が普通を通り越すと思います。まあ、その意味では「能力低下」なのかな?
本当の意味では「能力低下」では無いと思います。
>3:不利(Handicap)
> 機能障害あるいは能力低下の結果としてその個人に生じた不利であって、その個人の年齢・性別・社会的ならびに文化的要素に照らして普通とされる役割の充足を、限定または妨げられること。
これは、多分「誤認」されたために「不利」になる事が大いにあると思います。
>このことをアスペルガー症候群に対して、当てはめてみると何が言えると思いますか?
>みんなでちょっと考えてみましょう!
えーと、こんがらがってしまいました。すいません。
みちるさん、こんにちわ。
ええと、わたしはあまり「健常者」とされる人を敵視する思想は持っていな
いんです。今回のコメントは単純に
(1)「健常者」とは何か
(2)「健常者」という概念に虚構性はないか
という点にあります。医学的に「健常者」と評価されている人に異議申し立
てをしようという意図は全くありません。そのことを踏まえて、レスをします
ね。
みちるさん wrote:
>確かに、健常者といっても、人格者もいれば、そうじゃない人もいます。
>それは、自閉の人達にも言えることで、努力している人、そうじゃない人が
>いるのと同じです。
「健常者」と呼ばれる人の間にも「障害者」と呼ばれている人と間にもたく
さんの差異がひしめきあっています。だからこそ、「健常者」とか「障害者」
という概念の実体がよくわからないのです。
それに対して好奇心を持つことはまずいことなんでしょうか?
なお、この部分のみちるさんのコメントはみちるさんのコメント全体にも跳
ね返ってくることになります。
>私の知るかぎりですが、自閉圏の人達は自分に始まり、自分に終わる人が
>多いように思います。たとえば、「誰もわかってくれない」ってじれたりね。
>それはお互い様でしょう。と思っています。
と、このように自閉者にレッテルを貼ってしまうと、みちるさんの意見が理
論矛盾してしまうと思うんです。正確には自閉者同士の間にも差異がひしめき
合っており人によってそれぞれだ、と解釈すべきでしょう。
>私から見る自閉の人達って、
>自分の世界に住んでいて、私たちと共存している人
>でも私たちの見る世界と別なところからの視点で物事を感じ、受け止める人
>それで、私たちの世界にはいるのだけど、平行した別の世界で自分なりに生きてい>る人たち。人を受け入れられない人たち。相手の考えを尊重できない人達。
>とおもいます。
これも同じです。ちょっと、「自閉者」というくくりを作ってしまっていま
せんか?
いかがでしょうか?
1980年WHOは、「障害」を3つのレベルに区別して、障害とは何かと言うことに対し、次のような定義を作成しています。
1:機能障害(Impairment)
心理的、生理学的、若しくは解剖学的構造ないしは機能の喪失。
2:能力低下(Disability)
人間にとって普通(ノーマル)と見なされている方法ないし範囲内で活動を遂行する能力が、(機能障害などの結果として)制約され、またはかけること。
3:不利(Handicap)
機能障害あるいは能力低下の結果としてその個人に生じた不利であって、その個人の年齢・性別・社会的ならびに文化的要素に照らして普通とされる役割の充足を、限定または妨げられること。
このことをアスペルガー症候群に対して、当てはめてみると何が言えると思いますか?
みんなでちょっと考えてみましょう!
ぺりこ wrote:
>この本によると、”体で感じた感覚(不安や恐怖など)が心である。その(感じる自己)を悪と考え、感じないために、思考したり、行動したりして、(考える自己)で人生に対処しようとすると精神は不健康になっていく。
>しかし、考えることを二の次にして、自分が感じたままに行動すれば、思考と感情のバランスがとれて精神が健康になる。
>我々は、感ずるがままに行動することが出来にくい世界で生きている。だからこそ(感じる)ことを大切にしなければならない。”
>のだそうです。
>ちょっとくどいね。
そうすると、僕は「感情のまま動く」と言う部類に入りますね。感情で話してます。そう言えば、会社入ったとき、部長から「感情を話すようにしなさい」と言われましたが、まさしくこれが「感ずるがままに行動することが出来にくい世界」という事なのでしょう。
名加野 さんwrote:
> この文章だと「体」の方が心になるのでしょう。それとも、心は分散してるのかな。「頭=考える心」「体=感じる心」? 何でしょうね? ふと疑問に思いました。
この本によると、”体で感じた感覚(不安や恐怖など)が心である。その(感じる自己)を悪と考え、感じないために、思考したり、行動したりして、(考える自己)で人生に対処しようとすると精神は不健康になっていく。
しかし、考えることを二の次にして、自分が感じたままに行動すれば、思考と感情のバランスがとれて精神が健康になる。
我々は、感ずるがままに行動することが出来にくい世界で生きている。だからこそ(感じる)ことを大切にしなければならない。”
のだそうです。
ちょっとくどいね。
お返事どうもありがとうございます。
> いえいえ、哲学をはじめてから真っ先に気になったのがこの問題です。いわ
>ゆる人間の理性の限界って奴。そして、わたしが今回提示したコメントは、多
>くの人が持つ健常者のイメージが明らかに生身の人間の限界を越えているので
>はないかという点にありました。
確かに、「理想」は、実現できない事多いですよね。あまりにも、人間に対して求めすぎてるのかもしれません。自分自信に対しても。でも、やり方が分からないんです。ちなみに僕の場合「何がわからないか、わからない」ので土台(基本)がほとんど出来てないために、応用(理想)した所でてんで駄目な気がします。
ただ、そう言う人はこの現代において沢山いそうな気がします。便利過ぎて何も考えない。自然と言うものに向き合った方が良いのかもしれないと、この頃空を見てよく思います。
> ちなみにニーチェという哲学者はこういうのを「奴隷道徳」と厳しく非難
>しました。ニーチェのこの言葉を見た時、「健常者の猿真似をしながら生き
>ているわたしこそ、こういう奴なんだ」とがっくりきました。
なんか奴隷道徳って、キリスト教の道徳の事を言ったんですか?
うーん色々凄い事書いてましたね……。
http://tokyo.cool.ne.jp/mabunabu/tetu/nitye.html
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/1271/outsider/nietzsche2.html
でも共感し、納得させられました。確かに正論言ってるなあと。心にびびびっと来ました(笑 ついでに格言集。
http://kuroneko22.cool.ne.jp/Nietzsche.htm
ちょっと見ただけですので、まだ判らないことが多すぎます。
それでは。
みどりさん wrote:
>所属。となると、やはり「名前が付くと個性とは呼ばないこともある」の極端な例かなあ。
>
>日本人が一人でいきなりアフリカの民族のなかで暮らすことになったとき、日本人であることは個性かしら。
>医者ばかりがあつまる同窓会で、いつもくるけど唯一医者じゃない道に進んだ人の職業は個性かしら。
>個性から発芽されたもの、といったらいいのかな。
まだ、未整理のままですが、もう1点。「個性」と呼ばれるものには非同一性
が必要なのではないかと思います。つまり「自分にしかないかけがえのないもの
」とでもいいましょうか。少数であっても同じ特徴を持っている人が仲間意識を
持つのであれば、それは「所属」ということになると思います。
こうして考えていくと、「障害」には「個性」と「所属」という二面性がある
のかな、と。(まだ自信がないのですが)つまり
(1)同じ「障害」を持つ人同士が連帯感を持つのであれば「障害」は「所属」
(2)「障害」の中に自分にしかないかけがえのないものを見つけ出したり生み
出したりのであれば「個性」
という具合です。具体例を挙げるとわたしが参加している「成人LDの会」は
「障害」を「所属」としてとらえた会です。でも、これとは別にわたしは自分の
特異性に魅力を感じている部分もあるので、この部分は「個性」ととらえている
ふしがあります。
ひとまず、今日はここまでにします
名加野さん wrote:
> つきつめていくと、結局人間とは、何を理解できるのか。そして何を理解で
>きないのかという話になっていくのでしょうか?(なんかずれてる気がしますが……)
いえいえ、哲学をはじめてから真っ先に気になったのがこの問題です。いわ
ゆる人間の理性の限界って奴。そして、わたしが今回提示したコメントは、多
くの人が持つ健常者のイメージが明らかに生身の人間の限界を越えているので
はないかという点にありました。
> そして、「健常者」が理想であるとすれば、他人の目は「気にするな」と
>いう事になり、どこのレスか忘れましたが「体に正直に生きる」とすれば、
>社会の常識や意識さえも、まさに「ただ暗黙のルールがあり、従うか従わな
>いかは自由デース。ただし、多数派に所属しないと不自由ダヨーン」と言っ
>てる気がします。
ちなみにニーチェという哲学者はこういうのを「奴隷道徳」と厳しく非難
しました。ニーチェのこの言葉を見た時、「健常者の猿真似をしながら生き
ているわたしこそ、こういう奴なんだ」とがっくりきました。
みどりさん wrote:
>ここでさらに検討すべきことは「自閉症者が気持ちや意図を理解できる相手
>は誰か」というものです。
>これが自閉症者も同じ仲間の気持ちや意図を理解できるのであれば、この「
>自分に類似する思考パターンを持つ人の気持ちや意図を理解することができ
>る」は、自閉・非自閉にまたがる普遍的な事実とになります。
わたしはあくまで教育学的LDの判断しか受けていませんが、社会認知に
おおきな困難を抱える立場から発言します。わたしの場合、特定の場面にお
いて妙に他人の気持ちを的確に言い当てられることがあります。それは
(1)類似する障害を抱えている者同士の会話
(2)類似する経験(いじめ、社会不適応など)を持っている者同士の会話
のような場面です。しかし、(1)にしろ(2)にしろ類似する経験を持っ
ている人は少数なので、あまりたくさんの人に共感することができません。
だから、わたしの障害について言えば、「共感性の欠如」というよりは「共
感できる対象が狭く限定されている」という状態なのです。
>自閉症の心を理解したかどうかテスト。対象者も自閉症者。誰が作ればい
>いんだろう。それを学会レベルに認めてもらうことができるのだろうか。
本当に迷いますよね。仮に自閉者が作ったとしても、同じ自閉症者の間に
も差異がひしめきあっているし…。「普通の人になりたい」という人から、
「自分のあるがままが好きだ」という人まで様々ですからね。
みどりさんwrote:
>>反社会的な病気とか非社会的な病気というのは一体…(絶句)
>身体は完璧でも、反社会的な行動に走ったり、社会にとけこめなくて悩んでた
>りというのも「不健康の要因」である、ということですね。
そうか…。考えてみれば、神経症や人格障害のように脳機能障害を伴なわな
い心因性の病気というのがありましたよね。
>そういう遺伝的影響があるからこそ、「与えられた遺伝的条件下で」という文
>が追加されたのではないでしょうか。
>そうでないと、たとえば盲目で生まれた人はいきなりそれで「はい不健康」に
>なっちゃう。
>「遺伝子と環境が許す限りの健康さ」を目標にしましょうってことじゃないで
>すかね。
すると、発達障害やその他遺伝病であること自体は「不健康」ではないとい
うことですね?そこに情緒的にこじれが重なって不健康になる、ということで
いいのですか?
>
>そういえば白人の青い目も遺伝子的欠陥によるものだって聞きました。
>そうすると、特定の地域 (太陽がまぶしいところ) で偶然隔世遺伝かなんかで
>一人だけ産まれた青い目の子供は、「遺伝子による障害者」となるでしょう。
>で、その子が大きくなってヨーロッパの北の方に旅行して、「この国は障害者
>ばかりだ、障害者が国を支配している」と思ったりするんだろうか。
うーむ。ここは以前コメントした「困難度の有無」が関わってくるような気
もします。でも、こうしてみると「健常者」を考えるうえで、遺伝病の問題は
ちょっと難しいですね。アイデアが浮かんだらまたコメントします。では
くると wrote:
> >
>(1)「わたしは健常者のように普通になりたかった」
>(2)「健常者はわたしたちのことを理解していない」
> この掲示板にもよく登場するコメントですが、意外に健常者というの
>が何者なのかははっきりしていません。例えば自閉症との対比でいうな
>らば、「他人の気持ちに共感できる」というのは健常者(非自閉者)の
>条件ということになるでしょう。
こんにちは
健常者のみちるです。
確かに、健常者というのは何者なんでしょうね。
簡単にいうと、この世の中に起こる事を回りの人達からとくに逸脱せず
処理できる心を持っている人。
ということかなと、思います。
確かに、健常者といっても、人格者もいれば、そうじゃない人もいます。
それは、自閉の人達にも言えることで、努力している人、そうじゃない人が
いるのと同じです。
>
> しかし、現実的には健常者と呼ばれている人たちが全ての他人の気持
>ちに共感できる訳ではありません。現に(2)にあるように「健常者」
>と呼ばれている人たちは「自閉症者」の意図を理解するのが困難です。
>「自閉者」本人が書いた手記がもてはやされる背景には、「自閉者」の
>意図や気持ちを読み取れる「健常者」が少ないという事情もあると思わ
>れます。
そのとおりです。
>
> 「自閉者」ができなくて「健常者」ができることとして、非言語情報
>(表情、しぐさ、声色など)と暗黙の了解の察知が挙げられます。しか
>しそれらをもってしても自閉者の意図や気持ちを読み取るのは困難なの
>です。
そう思います。
でも、普通の人同士でも、気持ちや意図をくみとる、本当に相手の身になって
なんて、できないのです。
私たち普通の人ができるのは、それはそれとして、尊重し、相手の心を
傷つけないように、心配りをして上げられる事なんだと思っています。
私の知るかぎりですが、自閉圏の人達は自分に始まり、自分に終わる人が
多いように思います。たとえば、「誰もわかってくれない」ってじれたりね。
それはお互い様でしょう。と思っています。
>
> こう考えますと、「健常者なら他人の気持ちや意図を理解できる」と
>いうのは幻想,あるいは健常者の願望に過ぎないことになります。正確
>には「自分に類似する思考パターンを持つ人の気持ちや意図を理解する
>ことができる」と言うべきでしょう。
うーん、それプラス、それ以外の思考パターンを持つ人の気持ちや、意図を
理解しようとできる。尊重することができる。
自閉者も非自閉者も自分に類似する思考パターンを持つ人の気持ちや意図を
理解し、同じような方たちと友達になるでしょう。夫婦になるでしょう。
そういう意味では、健常者も非健常者も同じだと思います。
私が、今、家族のなかに自閉圏の人三人、境界一人、普通ふたりで生活をしているので、言えることは、自閉圏の人達は、やはり、一方方向からしか、物事を
とらえない、ということを感じます。とくに感情の面でその傾向をつよくしますね。ただ自分が関心あることには、沢山の思考回路で対応し驚きますが、私たち非自閉圏の人間にも出来ないことではないと思っています。
ただ私たちはほどほどということを知っているから、なにもかもそのことに没頭してという事をしないだけで。よく高機能の知能の高い人達が傲慢にこんなこともできないのかという態度でこられると、「だからどうしたの」と言う思いをつよくします。
その分私たちは、あなたがやり遂げられるよう配慮していたのよ。あなたがしないことを陰で全部していたのよ。貴方のために・・・。知っていた?
って事になるわけです。
>
> いったい健常者とはどのような人を指すのでしょうか?障害者とされ
>る人ができないことを完全に実現できる「健常者」は存在しないように
>思われます。謎(???)です。
マニュアル化しているわけではないから当然です。そこを追求することが
そもそも違うと思える私です。
健常者というくくりで見るからかもね。
私から見る自閉の人達って、
自分の世界に住んでいて、私たちと共存している人
でも私たちの見る世界と別なところからの視点で物事を感じ、受け止める人
それで、私たちの世界にはいるのだけど、平行した別の世界で自分なりに生きている人たち。人を受け入れられない人たち。相手の考えを尊重できない人達。
とおもいます。
良いことはあえて書き込みませんが。
いろんなこと書きました。敵をつくったかも・・・。
キロイさんみたいに、考えをちゃんとした日本語でまとめられないので
解り辛かったでしょう。ごめんなさい。
今、ASの人のお陰で苦しんでいるものだから、辛口な評価だったかも。
みちることなおみの夢
ぺりこさん、こんにちは。
>その本には、”言葉は頭の言葉であって、体の言葉ではない。本来ストレスは体からの言葉(感覚)に正直で有れば生じないものである。
>不安や恐怖を感じるのは頭ではなく体である。
>体からの言葉(感覚)をないがしろにするのは、体を否定して頭で生きようとすることであり、それを続けていくと一応はかない一時的な平和は訪れても、体は納得しないので、不安、恐怖を生産し続けることになる。
>その(感覚)を感じないように対処しようとする頭の働きこそ、ストレスの原因になる。
>頭(考えること)よりも体(感じること)を大切にするべきである。”と書かれてあります。
この文章だと「体」の方が心になるのでしょう。それとも、心は分散してるのかな。「頭=考える心」「体=感じる心」? 何でしょうね? ふと疑問に思いました。
ぱうぜさん、こんにちは。
>私などは別に「これこれが好き」という自覚がないままに、いろいろな知識が溜
>まっていたりします。正常と思われる人と話していると知識があることについて
>は、全て趣味と理解されるらしく「多趣味な人だ」と言われます。
>私自身は「趣味といえるものはない」と思っているのですが。
ふむふむ、「本人にとってすらどうでも良い事」を覚えている……と。
うーん、そう言うのって、どう言う時に思い出しますか? もしくは、ずっと記憶したままって事ですか?
……考えれば考えるだけ「中途半端」な存在になって行くな僕。ASでなく、自閉症でもなかったら、なんなんだろう。やはり、診断してもらわなきゃなりませんね。自己の精神安定のために。
なんか独り言ばかりでごめんなさい。それでは。
こんにちは、ミッドランドさん。
> イデオロギーに縛られるのは甚だ御免
この言葉に興味を持ったので調べてみました。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/3776/ideologie.html
http://www.law.keio.ac.jp/~hagiwara/lawsemi4.html
すると、全然関係無い事が目に入りました。多分色覚異常の話にもつながってくると思います。下のURL「悪魔の科学」から抜粋しました。あまりイデオロギー自体には関係ないですが。
# 「ものを見る」場合に、「目」で見ると思っている人が多いかもしれないが、実はわれわれは「頭」でものを見ている。願望、予想、期待、仮説などの観念のフィルターを通してしかわれわれにはものを見ることはできない。だからこそ、夜道で風にそよぐ柳が幽霊に見えたりもする。「ものの見方」を教えるとは、比喩的に言えば、われわれが眼鏡なしにものを見ることが不可能なので、とりあえず眼鏡を作り、それをかけさせてみることである。ところがこの眼鏡にはどうしても歪みがあり、色もついているのだ。歪みも色もない眼鏡、それさえかければ真理を見ることのできる眼鏡など存在しないのである。だからこそ必要なのは、徹底した懐疑の精神なのかもしれない。すべてが疑いうる。いや、本当に自明なものなど何ひとつ存在しないのである。その懐疑の精神の芽生えまでたどりつけてはじめて、教育はイデオロギーの呪縛から半歩ほど抜け出せるのかもしれない。
ちょっと違うとは思うんですが、まだまだ勉強不足のため、コメントが出来ません。ただ、イデオロギー自体は悪くないんだな。と思いました。良く聞く言葉なのに、全然調べてなかったので良い機会だったと思います。それでは。
みなさま、お久しぶりです。
私は、高次脳機能障害があるにもかかわらず、周囲に気づかれず、つい最近
自分で気づいたものです。ASという診断はされてませんが、この掲示板の
経験談ととても良く似た経験があります。
ミッドランド wrote:
> 皆さんは「日常生活では役立たない、どうでもいい知識」が多く記憶される、ということはありませんか? 僕はそうです。
>
> たとえば、僕は大相撲が好きなのですが、次のような本当に「知っててどーなる!?」というようなことを記憶しています。
>……いくらでも出てきます。こういったことは数多く覚えるのに、なぜか実生活で役に立つ知識はなかなか頭に入らないのです。現に僕が大学で学んだことは、もうほとんど吹き飛んでいます。
>
> 記憶回路にこのような謎があるのも、A−typeの特徴なのでしょうか?
ミッドランドさんは「大相撲が好き」という自覚があるので、それが趣味と考え
ればその知識が豊富なのは、ASに限らず普通のことではないかと思います。
私などは別に「これこれが好き」という自覚がないままに、いろいろな知識が溜
まっていたりします。正常と思われる人と話していると知識があることについて
は、全て趣味と理解されるらしく「多趣味な人だ」と言われます。
私自身は「趣味といえるものはない」と思っているのですが。
では。
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