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Re: 完璧主義とは何ぞや? 6504へのコメント
No.6513  Sun, 12 Aug 2001 09:10:03 +0900  くると [この発言にコメントする]

シンタロウさん wrote:
> 完璧主義とは一体何か?
>
> 僕には理解できない・・・・

 わたしの場合、自分に完璧を求めるのはOK、他人に完璧を求めるのは
許されないと思います。


Re: 完璧主義とは何ぞや? 6504へのコメント
No.6512  Sun, 12 Aug 2001 09:05:27 +0900  あさかぜ [この発言にコメントする]

シンタロウさん wrote:
> 完璧主義とは一体何か?
> 僕には理解できない・・・・

 ちょっと違う形でわたしの感じたことを述べます。
 人が「あんたは完璧主義だから」と言うとき、あまり好意的な意味には使わないような気がします。

 ものごとをきちんとしたいとか、ものごとを深くじっくり考えたいとかの自分の気持ちがあって、何かに取り組んでいたり、取り組もうという意思を表現すると、人によっては「完璧主義なのね」という言い方をします。
 その裏には「なにもそんなにムキになることないのに」とか「それほど一生懸命やることでもないだろうに」などの考え方が潜んでいる場合があるように思います。

 すべての人が上記のような言い方をするわけではないですが、「完璧主義」という一見分かりやすそうで実は意味の分かりにくい言葉でひとくくりにして、「自分はそうではない」「自分には関係のないこと」としてそっぽをむいてしまおうという人は多いかもしれません。

 完璧主義に限らず、↑こういうふうに使われる言葉は、非自閉人には多いのではないでしょうか。


みるちゃん・Hiro君・ゆうろ君へ
No.6511  Sun, 12 Aug 2001 08:49:54 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

おーい!
元気かーい!


Re: 完璧主義とは何ぞや? 6504へのコメント
No.6510  Sat, 11 Aug 2001 22:49:27 +0900  Tien [この発言にコメントする]

シンタロウ wrote:
> 完璧主義とは一体何か?
> 僕には理解できない・・・・

私はそれは絶対なる完璧を求める人の考え方だと思いますよ。
私にはなれないな...。


Re: 品川裕香 6502へのコメント
No.6509  Sat, 11 Aug 2001 22:47:21 +0900  Tien [この発言にコメントする]

Chipぱす忘れ wrote:
>胸に手をあてよく考えるが良い。
>悪魔と取引をしたのだから自業自得だ。

あらかじめ申し上げておきますが、私は穏健派です。
しかし、誰もが参加できる、そして世間からずれたり排他されたりする悩みを
どうしたらいいか、前向きに善処して相談しあうこの貴重な場所に
Chipさんがどうして上記のような、個人攻撃としか思えない書き込みをされますか?私は品川裕香さんなる方はもちろん存じ上げませんし、その方がどのような
極悪非道な方かも知りません。しかし、前回に続き、個人攻撃および個人がなにか
非難されるようなことを他の人が憶測できるに十分な書き込みは、どんな
常識にも反することだと思います。これは他のところで存分になさったら如何かと存じます。貴方の書き込みで、貴方がどのような素晴らしい効果を期待されているかは存じませんが。
呪いをかけると呪いは自分にも返って来る、という普遍の法則をご存じですか?


Re: 完璧主義とは何ぞや? 6507へのコメント
No.6508  Sat, 11 Aug 2001 22:42:41 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

シンタロウ wrote:
>武田好史 wrote:
>>シンタロウ wrote:
>>> 完璧主義とは一体何か?
>>>
>>> 僕には理解できない・・・・
>>
>>「考え方が硬直して、ゆとりがないこと!」
>>だと思うな。
>
> あとそれと、「独創性を許さないこと」だと思います。
>
> 今の社会は独創性が無い・・・・・・・・・・・・・・・
>
> 平均的な物は受け入れられて、独創的な物は排除される・・・・・

 結構、仕事でも「完璧主義」と「ていげい」の両輪を求められるものもあるよな・・・例えば福祉関係とか・・・


Re: 完璧主義とは何ぞや? 6505へのコメント
No.6507  Sat, 11 Aug 2001 21:50:37 +0900  シンタロウ [この発言にコメントする]

武田好史 wrote:
>シンタロウ wrote:
>> 完璧主義とは一体何か?
>>
>> 僕には理解できない・・・・
>
>「考え方が硬直して、ゆとりがないこと!」
>だと思うな。

 あとそれと、「独創性を許さないこと」だと思います。

 今の社会は独創性が無い・・・・・・・・・・・・・・・

 平均的な物は受け入れられて、独創的な物は排除される・・・・・


Re: 完璧主義とは何ぞや? 6505へのコメント
No.6506  Sat, 11 Aug 2001 21:27:13 +0900  ミッドランド [この発言にコメントする]

シンタロウさん wrote:
>> 完璧主義とは一体何か?
>>
>> 僕には理解できない・・・・

武田好史さん wrote:
>「考え方が硬直して、ゆとりがないこと!」
>だと思うな。

 お二人に相対するようになりますが、わしは「完璧主義」を否定しません。
 ただ、わしの考える「完璧主義」の概念は、「100%完璧でなくとも、それに近づける努力をする」というものですが。

 というのは、わしの職業(歯科技工士)は、詰め物の適合性や、入れ歯の噛み具合といったものがとてもシビアに要求されるのです。
 もし詰め物が歯にぴったり合わず、歯とのあいだに大きな隙間があったりしたら、そこから二次カリエス(治療した歯が再びムシ歯になる)が発生したりします。だからこそ、できるだけ詰め物と歯の隙間を限りなく小さくすることを考えなければならないのです。「隙間ゼロ」が理想なのは言うまでもありませんが、実質それは不可能に近いです。そこでわしは「完璧に近づける」という「信念」をもってして、「隙間をできるだけゼロに近づける」ことを考えているのです。
 入れ歯の場合もそうです。入れ歯の歯の並びは決して出鱈目にされているのではありません。外見、機能性の両方を熟慮したうえで、少しでも「よく噛める」歯の並び方にしているのです。

 このように、わしらの業界では「完璧に近づける」ことが要求されます。けして手抜きは許されないのです。

 ですから、「完璧主義」を簡単に「考え方が硬直して、ゆとりがない」と言ってしまうのはどうかと、わしは思うのです。

 仕事のことではやけにマジメになってしまう   ミッドランド


Re: 完璧主義とは何ぞや? 6504へのコメント
No.6505  Sat, 11 Aug 2001 18:33:43 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

シンタロウ wrote:
> 完璧主義とは一体何か?
>
> 僕には理解できない・・・・

「考え方が硬直して、ゆとりがないこと!」
だと思うな。


完璧主義とは何ぞや?
No.6504  Sat, 11 Aug 2001 12:03:58 +0900  シンタロウ [この発言にコメントする]

 完璧主義とは一体何か?

 僕には理解できない・・・・


Re: 立場の違い 6493へのコメント
No.6503  Sat, 11 Aug 2001 10:57:35 +0900  くると [この発言にコメントする]

あさかぜさん wrote:

> わたしの発言は「怒り」の表現だったのかもしれないとか、ひとりの臨床心
>理士さんの例だけをあげて一般論にすりかえようとした可能性もあるとか、い
>ろいろと考えてしまって心穏やかではなく、反省コメントを書こうとしたので
>すが……くるとさんが真摯なコメントを書いて下さったので、力が抜けてしま
>いました。

実はわたし自身、この問題には少し感情的になっている部分があります。わ
たし自身が診断なことで混乱させられたということもありますが、それ以上に
自主グループを作る時に大きな問題に直面したことが大きいです。

 医学的にみれば、AS,社会性に困難を持つ非言語LD,分裂病質人格障害
,分裂病型人格障害は臨床像に共通する部分があります。社会性の非言語LD
とAS、あるいは分裂病型(質)人格障害とASを同じ障害とみなす説さえ出
されたことがあるぐらいで、それぞれの診断を受けた患者が共通する問題を抱
えている可能性も高いのです。

 もしかすると同じ障害を抱えているかもしれない人たちが診断名によって所
属を分断されてしまう,あるいは連携できなくなってしまうというのはとても
悲しいことだと思います。

 そして、教育学と医学における診断(判断)基準の混乱は本人同士の所属を
分断してしまったという意味ですごくおおきな問題です。


品川裕香
No.6502  Sat, 11 Aug 2001 10:56:11 +0900  Chipぱす忘れ [この発言にコメントする]

胸に手をあてよく考えるが良い。
悪魔と取引をしたのだから自業自得だ。


オフ会報告
No.6501  Sat, 11 Aug 2001 10:40:19 +0900  くると [この発言にコメントする]

 くると(複合型LD)です。ちょっと遅くなったけど、広島と福岡のオフ
会の報告をします。

(広島のオフ会)8月4日

 広島のAD(H)Dの会「ダイヤモンドな仲間たち」の主催で行われまし
た。(わたしには似合わないグループ名だ)わたしは自分自身はAD(H)
Dではないと思っていますが、この団体の設立に始めから関わっていたこと
もあり、福岡への移動中に寄らせてもらいました。

 今回のオフ会は「ダイヤモンドな仲間たち」の記念すべき第1回目のオフ
会でした。参加者は5人で、JR広島駅の近くにある公民館の近くで開かれ
ました。

 「ダイヤモンドな仲間たち」自体はAD(H)Dのグループですが、AS
やLDの人が地元で自主グループを作りたい時は協力してくださるとのこと
。成人LDの会の方でもご好意に甘えさせてもらっています。

 青春18きっぷでの移動だったので残念ながら長居をすることはできず、
4:30ごろに福岡に出発しました。

(福岡のオフ会)8月5日

 福岡Aタイプ(AS,ADHD,LDの集まり)が主催して開かれたオフ
会でした。出席者は7人でAS,ADHD,LDの人が妙にバランスよく集
まっていました。この掲示板の利用者としてはミッドランドさんとわたしが
参加しています。岡山・熊本からはるばる出席された方もあり、会の活動の
今後・今望んでいること・現在それぞれが悩んでいる悩みについて語り合い
ました。

 福岡Aタイプでは、6月ぐらいからミニオフ会が開かれていましたが、大
きなオフ会は今回がはじめてでした。成人LDの会にも参加しておられる女
性の方2名が周到な準備をしてくださり、とてもすばらしい会になったと思
います。わたしも迷惑をかけてしまった部分はありましたが、この自主グル
ープの結成にささやかながら協力することができたのは光栄です。

 また、長い間メールでしかやりとりできなかった成人LDの会の会員さん
たちと感動の対面をすることができ、感無量でした。

(全体的なまとめ)

 やっと、九州と中国地方に軽度発達障害者同士の自主グループの灯がとも
りました。地元に大人向けの相談機関がないか少ないという条件下で結成さ
れた2つのグループが大きく発展することを願ってやみません。


Re: 共感性批判 6490へのコメント
No.6500  Sat, 11 Aug 2001 01:21:13 +0900  くると [この発言にコメントする]

Mariaさん wrote:
> で、自閉症方面の人間の感情と非・自閉症者の感情が一致しなかった場
>合、非・自閉症方面の人間の感情は、「作り物の感情」「にせものの感情
>」であると非・自閉症者によって断定されてしまうと思います。なぜかと
>いえば、非・自閉症者にとって、感情というものは、非・論理的で不合理
>で説明不能なものだからです。

これが、自閉症研究者が「共感」をうまく説明できない理由なのかも…

> その点、掲示板上での喧嘩はいいです。十分考える時間があるし、相手
>が逃げないし。だから、あたしは「この件についてはもう議論したくあり
>ません」なんていうことは言いません。徹底的にやります。ただ、「これ
>をやると嫌われる」と、中島義道先生は言っておられました。この掲示板
>でも、「私はそれで嫌われる」と告白された方が数名いらっしゃいます。

納得。わたしは中島義道先生の知り合いの先生からよく言われました。
「このやり方をするとどんどん人が離れていくよ。」と。

 悲しいけど、受容するしかないんでしょうね。


Re: 共感性批判 6497へのコメント
No.6499  Sat, 11 Aug 2001 01:10:03 +0900  くると [この発言にコメントする]

pocksさん wrote:

>その理解力を「感性」と言ってよいものかどうか疑問があります。感じるの
>ではなく、冷めた目で距離を置いて分析しているような所がありませんか?
>言い換えれば、「社会化されたAS」が相手の感情を理解しようとするとき
>の態度は、人類心理学を修めた「火星の人類学者」が異生物を観察するよう
>な視線というか、そんなものではないのでしょうか?

他人に対して観察的な態度をとっているということはありえると思います。
ただし、観察した結果をどのように解釈し、どのように対応するかについては
本人の「感性」が関わってくると思います。

 人類学でもそうですが、解釈体系は客観的なものではなく、かなり個性的な
ものだと思います。


Re: 共感性批判 6486へのコメント
No.6498  Sat, 11 Aug 2001 01:01:18 +0900  くると [この発言にコメントする]

こんばんわ、やっと帰ってきたくるとです。

pocksさん wrote:
>>(1)「共感」とは他人が自分とは異なる信念・考え・感覚を持ってい
>>   てもそれを知ることのできる能力である
>
>私はこれを「理解」と称しています。

 わたしの語感でもこれは「理解」に近いんですよね。だから、ウタ・フ
リス氏の言葉に違和感を感じてしまったのです。

>私の言う「同情」は、感情のみを他人に同調させることを言います。どう
>いう感情を抱いているか理解できても同じ感情を抱けなければ同情した事
>にはならない一方、わけがわからないままにもらい泣きするならそれは同
>情した事になるわけです。

わたしの語感では「わけがわからないままもらい泣きする」のは感情移
入です。

>私の言う「同情」を示された場合、非自閉人は癒されますが自閉人は居心
>地が悪くなるので「同情するなら金をくれ」と言って実際的な援助を求め
>ようとしたりします。

これは、どうでしょうか?わたしは何よりも放っておいてもらえた方が
助かります。


Re: 共感性批判 6481へのコメント
No.6497  Fri, 10 Aug 2001 23:52:48 +0900  pocks [この発言にコメントする]

>> (1)に関しては、幼児期の発達において自閉症方面の人間に発達の遅れが
>>あるのは間違いありません。ですが、「社会化された自閉症方面の人間」につ
>>いていえば、かえって「相手の感情を理解する能力」は高いと思います。
>
>そうですね。これまでオフ会などで話してきた限り、「社会化されたAS」
>は、相手の感情を理解することにかけてはむしろ平均以上に鋭い感性を持って
>いるという印象があります。

その理解力を「感性」と言ってよいものかどうか疑問があります。感じるのではなく、冷めた目で距離を置いて分析しているような所がありませんか?言い換えれば、「社会化されたAS」が相手の感情を理解しようとするときの態度は、人類心理学を修めた「火星の人類学者」が異生物を観察するような視線というか、そんなものではないのでしょうか?


Re: けみかるワールド 6488へのコメント
No.6496  Fri, 10 Aug 2001 23:51:03 +0900  pocks [この発言にコメントする]

う、もう実践済みなのね。

お願いだから死なない程度にやってください。シャレにならなくなったらシャレにならない(何を言っているのやら。)


Re: 「笑い」の効用 6483へのコメント
No.6495  Fri, 10 Aug 2001 23:48:40 +0900  pocks [この発言にコメントする]

> あたしたちの悩みは、健常者から見れば滑稽です。だけど、それを笑う、という
>のは健全な反応であるように思います。それが現状の改善につながれば。

よく、自分の失敗をネタにして笑いを取ろうとするのですが、深刻そうな顔をされた(というか、真面目に心配された)ことが何度もあります。笑えよぉ。そこで笑ってくれなきゃ、ネタの振りがいがないじゃんかぁ。


心の理論に関する反論
No.6494  Fri, 10 Aug 2001 22:25:23 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

 「自閉症の子どもは、ごっこ遊びをしない」、これがウタ・フリスさんが「心の理論」を思いついたきっかけだということです。フリスさんは、「これは自閉症の子どもは、他人の信念が理解できないからだ!」と考えました。
 私は、この考えは正しくないと思います。もし信念が理解できないのであれば、自閉症の人は、家の手伝いを全くしないでしょうし、周りとのギャップにあえいだりしないでしょう。
 
 ごっこ遊びをしないというのは、むしろ「空間認知の不全」「言葉を視覚的なイメージに置き換えられない」から来る症状ではないかと私は思います。
 
 例えばある自閉症の女性の方は手記の中で、幼い自分が幼稚園の中の遊戯室の子どもたちの中へ踏み込んだときのことを、「突然、動き顔を持った物の中に入りこんだ・・・それが私が一緒に暮らすことになった子どもたちだった・・・なんか顔だけが大きく見えた・・・彼らは私にとって予測できないものだった」と書いています。これは案外みなさんも経験してると思います。そうです寝起きの時や疲労の時に起こる「うつろな状態」です。
 私はこのようなときに、なんか頭のの中がかゆくなるのと同時に、視野か狭くなり、また物の細かい動きがとらえられなくなってしまいます。また割合少人数でも、「会合に何人の人がいたの?」と聞かれても覚えていないことの方が多いです。もうかれこれ2年くらい地元の手話サークルに通っているのに、未だに名前が判らない人がいます。
 

サリーはかごを持っています。アンは箱を持っています。
サリーはビー玉をもっています。
サリーはビー玉をかごに入れ、お散歩にでかけました。
アンはビー玉をかごから箱へ移しました。
帰ってきたサリーは、どこにビー玉があると思うでしょうか?

 これがかの有名な「サリー・アン課題」で、答えは「かごにあるはずだと思っているからかご」です。「ASの子どもにこの検査をやらせると、80%は誤答」とフリスさんは述べています。
 ではなぜ答えられないのでしょうか?一つ考えられるのは読字障害です。文字を読むということに困難さがあれば、この課題はクリヤーできないでしよう。
 もう一つは、「言葉→視覚的なイメージ」という変換の障害です。これは言葉を視覚的なイメージに置き換えられないということで、数唱の逆ができない人は、ここがウィークポイントになっているようです。サリー・アン課題を漫画にして提示すれば、正答率はアップするはずです。ASの子どもは、言葉を視覚的なイメージにすることが苦手で、そのことが話を聞いていないように見える由縁ではないでしょうか。

 また「空間認知の不全」「言葉を視覚的なイメージに置き換えられない」ということが、二次的に「不安」や「恐怖感」をおこし、それが集団に参加する形のごっこ遊びをすることを妨げるということもあるのではないでしょうか?



 

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