アスペルガーの館の掲示板(旧)
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>障害児たちに社会の価値観に合わせる方法だ
>けでなく、社会の価値感と距離を置く方法も指導してやってほしい、と。
加えて、社会の側の妥協ラインを後退させる(自閉的な行為の許される範囲を増やす)手伝いもしてほしいと考えています。
一穂(いちほ)さんwrote
>
>これってなんなんでしょうか。
>もう、本当に疲れちゃいます。
>だれか、アドバイスください。
はじめまして。慢性感冒ともーします。
いつも元気な一穂さんのレスをうらやましげに読ませて頂いています。
・・・なのに、なんと、あなたもそんな訳のわからんコトに悩んでいるのですね。
ほんとに世の中どーなっているんじゃ?
あるある。そんな意味不明なコト。
ひょっとして 目を付けられているのかもしれませんね。
私も 心療内科に通っているのですが、 どーも、医師との会話を誰かに聞かれてた・・・?
みたいなコトがありました。
医師に訴えてた内容の一部を、診療所を出てしばらくの路上ではっきり私の目をみながら
口走られたのです。 一瞬ついにこんなになったのか・・・?とおもいましたが、
どーも 現実でした。
買い物中に、 えーっと・・・てなかんじで考え込んでいたら、わざわざいろいろ
こっちの気になるコトを(なぜだか知っている。)うるさく口走られて混乱したり。
しょっちゅうです。
ほんとに 疲れますよね。だから私って慢性感冒なんです。
私のとっている対策は、(有効かどうか自信ないけど・・・)
やっぱり、相手はヘンな人だと言うコトを念頭におきます。
そして、ヘンになっている理由もいろいろあるだろうし、わざとしている人も、
そうでない人(私達みたいになぜか、訳わかんなくなっちゃう人)もいるし、
と言うコトで 出来るだけ気にしないようにします。
・・・こっ、これはまさしく悪質だっ、と言う時は確かに腹が立ちます。
アセルし、悲しくなったりもするし。
でも、気にするとよけいにしつこくされたりするし。
・・・困ったもんだ。と普通っぽく表情に出すことにしてます。
くれぐれも 自分を責めすぎないようにしてください。
あーゆーふうにされたから、こうしなきゃ・・・とか考え過ぎると とってもつかれます。
意味不明な人達に巻き込まれないようにして、そして、体を大切にしてくださいね。
私もよく脳ミソぐるぐるになると抗不安剤のお世話になり、体を休ませます。
元気になる為にイヤな記憶は、全部シャッタアウトしようとします。
一穂さんも おいしいモノ食べて、ゆっくり休んで元気とりもどして下さいね。
>わたしが、道を歩いていると、
>向こうからやってきた男の人が「ケッ」とか言いながら、こっちをみてツバを吐くんです。
>駅まで歩く間に、そうゆう人に2~3人出会うのです。
>駅のホームでも必ず、そうゆう人に出会います。
私も知らない人から悪意のある態度を取られる事あります。
じろじろ見られたり・・。
>その人がいきなりつばを吐くのです。
私もよくつばを吐かれます。
以前他人から「あなたはめちゃくちゃ怒っている顔してるから
声かけたくない」と言われたり「態度が怪しい」と言われた事があります。
私の場合、それが関係してるのかな?と思います。
なんとかそれを治す事が出来ればいいのですが・・。
一穂(いちほ)さん wrote:
>あるある。
>くるとさんとわたし、似たタイプなのかもしれないわ〜、
わたしと似ていることが一穂さんにとっていいことかどうかわかり
ませんが、そう言っていただけるとうれしいです。では
武田好史さん wrote:
>おーい!
>元気かーい!
ゆうろさんは知りませんが、みるさんでしたら、
発達チャットにいらっしゃいます。
【発達チャットのURL↓】
http://www.netlaputa.ne.jp/~oyama/chat/
Hiro君とは、ひろたさんのことでしょうか。
わたし、なぜ自分ばかりがそんな目に遭うのか不思議で、
友人に話しても、わかってもらえなくて、
カウンセラーにはわたしの心理的な問題が原因(被害妄想)なんじゃないかと言われたんだけど、
・・・対処法がわからず悩んでいることがあるのです。
こうゆう悩みのない人が聞いたら笑っちゃうようなことなんだろうけど、わたしは真剣に悩んでます。
ここの人ならだれかわかってくれるかもしれない、と思って・・・。
わたしが、道を歩いていると、
向こうからやってきた男の人が「ケッ」とか言いながら、こっちをみてツバを吐くんです。
駅まで歩く間に、そうゆう人に2~3人出会うのです。
駅のホームでも必ず、そうゆう人に出会います。
以前は、そうゆうことをされるといちいちびっくりしてました。
ギョッとして相手をみてみると、どうもわかっててわざとやっているようなかんじで「ざまあみろ。」といった顔です。
わたしが相手に対して何か失礼なことでもしたんだろうか、と首をひねってしまいます。
でも最近はあまりに多いので「またか・・・。」ってかんじで何も聞こえないふりをして反応せずに通りすぎるようにしています。
でも内心はとてもショックです。
わたしは何もしてないのに、なんでそんなことされなくちゃいけない
のか・・・。
たぶんそれは、アイコンタクトと関係があるのかなぁ、と思います。
わたしが目を合わせないから、無視してるみたいだから、
それでつばを吐きたくなるのかなぁ。
なんなんでしょうか。
わたしは歩くとき、目に入ってくる景色や音を、全体的に拾いながら
歩いています。
(なにかに気をとられた場合、立ち止まってしまいます)
だから一ヶ所に注意を向けないように、全体に意識を向けて歩くので
す。
向こうから人が歩いてくる=障害物なのでうまくよけなくては
と思っていると、その人がいきなりつばを吐くのです。
女の人の場合は、スーパーで買物中に、不可解なことがたくさんあり
ます。
うまく説明できませんが、同じようなかんじで不可解で不快な思いを
たくさんするのです。
わたしの選んでいる商品を割り込むようなかんじでわざわざ見に来る
人がいます。
せまい売場で前がつかえています。
前にいる人が選んでいるものがわたしも見たくて、でも邪魔をしては
いけないなと思い、前の人が選びおわってそこをどくのを待っている
と、
その人が急に振り返り、わざわざわたしの方に来て、わたしのみてい
る商品の方に首をつっこむかのようなかんじで選びはじめるのです。
わたしは、相手の予期せぬ行動にうろたえます。
わたしはそういったことのせいで、買物に行くだけで本当に疲れてし
まいます。
こういったことは、5分か10分買物する間に何度も何度もあります。
スーパーで今日も何人かの意味不明な人に出会いました。
わたしは目的のものをスムーズに買いたいだけです。
人の邪魔をする気なんてありません。
これってなんなんでしょうか。
もう、本当に疲れちゃいます。
だれか、アドバイスください。
・・・今日は熱がいつもより高くて体も参ってます。
Mariaさんにおしえてもらったので、今日は冬瓜を食べました。
さっぱりしてておいしかったです。
Xanadiiさん wrote:
>結論。奥多摩の鍾乳洞には、何かが、いる。
奥多摩は日ノ出山山頂のこと。
あたしたち都立日見谷高校(仮名)の天文部は、観測場所としてしばしば日ノ出山山頂を利用しておりました。
その日は写真をする人二名と計三人で観測会。で、追尾撮影のために望遠鏡を立て、「露出は五分」とかいって撮影をしていました。
なお、撮影中はシャッターは解放状態になっているので、灯火をつけると「かぶって」(余計な光が撮影中のフィルムに当たって)しまうから、その間灯りをつけてはいけないことになっています。同時に、歩くとその振動が地面に伝わって、星像がぶれてしまったりもします。だから、歩いてもいけなかったりします。
で、一人が「撮影、五分いきまーす」「はーい」とか言ってシャッターを切りました。
……すると、どこから、濡れた裸足の足で、よろめくように歩くような音がするのですね。
ひた。ひたひたひた。ひたっ。ひたひた。ひたっ。
その足音のようなものは、観測場所になっている山頂の端の薮の中から現れて、あたしたちが坐っている間を通り抜けて、反対の薮に消えていったのですね。
撮影終了。灯りがつきます。
「いま、なんか通んなかった?」
「……通った。」
「だけど、人の気配とかって、なかったでしょ。音だけだったような気がする。」
「……やだな。」
といいつつふたたび撮影開始。
……ひた。ひたっひたひた。ひたひた。ひた。
撮影終了。
「おーい。」
「通ったな。」
「通りました。」
「何なんでしょうね?」
さすがに、『幽霊』とは誰も口にしませんでした。
「じゃあ、こんどは、あたしたちの中間にきたときに、いちにのさんで灯り点けません?」
「よし。」
そんなわけで灯りを消しました。
ひた。ひたひたひた。ひた。ひた。ひた。
「いち、にの、さん!」
ぱっ!と灯りがつきました。
ところがです。あたしたちの立っている間の空間は、空っぽでした。
あたしたちは顔を見合わせてしまいました。
……ひたっ。
その音に足下を見ると、ひきがえるが一匹、通過してゆくところでした。
「……だぁああああ。」
泥のような脱力感。
その晩は、夜半過ぎまで次々通過してゆくひきがえるによって、気分は萎えつづけたのでした。きっと産卵期なんだろーけどさ。確かに水場も少ないんだろーけどさ。もちろん本能なんだろーけどさ。なにも山のてっぺん通過してくことないんじゃない?
結論。奥多摩の山中には、ひきがえるが、いる。
(Maria)
はじめまして、aya(bau)さん。
レスありがとうございます。
aya(bau) さんwrote:
> 福岡オフ会の幹事のひとりです。タレイヌさんのこの文章を読んで、
>オフ会終了後つらつら考えていたことに確信がもてました。
よかったです。
揺らいでる事柄が、はっきりと、形(?)にできるのは、気持ちのいい事ですよね。
これからも、大変な事態は、避けられないでしょうけれど・・・頑張って下さいね。
(タレイヌ)
くると wrote:
> 自分がどんな人間になりたいかがはっきりしてそれを目指すようになった
>時、わたしの精神の破綻は収まりました。しかし、今度は周囲の人間との意
>識の違いが表面化しました。「常識人」になろうとしているわたしに好感を
>持っていた人も多かったからです。
>
> こんな欲望の不一致に悩んだことのある人はいますか?
たとえば「女装クラブ」に入り浸る男たち。TVのインタヴューでは、「私たちのような趣味も、認めてほしい」などと訴えていた。日々のストレスを解消するために、そういった所へ通うのだろうけれど、「女装は罪悪!」という人々の偏見が、つねに心を噛んだり引っ掻いたり、それでますますフラストレーションは募ってゆく。こういうのを「乖離している」と言うんだよな。Rabbish story is this and that!はて私には何かあるだろうか?
いつか答えることもあるかも知れない。
武田好史 wrote:
> ピアノという楽器は本当に様々な音が出せます。ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シの中から、3個の音をとって組み合わせても100通り以上ですし、鍵盤の数も白黒合わせて88もあり、鍵盤の打ち加減でも違った表情がだせるので、まだまだ可能性のある楽器です。私も最近黒鍵だけを使ってどんな曲ができるのか研究中です。まあ記譜方を知らないので、作曲には結びつきませんけど・・・・。
不思議なり 千の音符のただひとつ 弾き違へても へんな音がす
詠み人わすれた。
「二ツ岳」での不思議体験ついでに、私の母が遭遇した、奥多摩でのでき事をひとつ。いやまあ、今度は短いですので、どうか構えず聞いてやって下さいましな。
ちゅーか私、「高野聖」や「ペット・セメタリー」、「ブレア・ウィッチ・プロジェクト(2は観てない)」、「リング」シリーズもそうだっけか、(小野不由美「屍鬼」はまだ読んでない)こーいった「土地にまつわる因縁話」関連の“地味なオカルト”ものが、実は「こだわり」とまでいかないまでも大好きでさー(ほんとはできれば「あれはいったい何だったんだろう...」っていう“さりげない”やつ)。本人には、霊感とか霊体験のれの字もないんですけどね(^_^;)。
というわけで、伝え聞いた話で恐縮ではありますが、今を去ること2年ほど前、母は知人とその娘さんの3人で、奥多摩にある「日原(にっぱら、と読む。これは変換できた)鍾乳洞」へ旅したそう。洞窟の、入り口から数十米ほど入ると、三叉路があるらしいんだけど、そこに一人の人物が立っていたのね。男性で、背格好は30歳前後、髪は肩のあたりまで伸ばしていて、服装は白っぽい、いわゆる作務衣姿だったそうです。荷物らしきものはなくて手ぶら。母がすれ違いざま、「こんにちは」と軽く挨拶したら、相手も「こんにちは」と返してきて、それきりすぐ別れ、母たち3人は洞窟奥まで見物した帰り、母はその人物には、再びどっかで遭うだろうと予想していたのが、すでにどこにも姿はなかったそうな。
まあこの話を聞いたときは、私だって「それ、どっか近くの神社の宮司さんかだれかが、気まぐれに立ち寄ってたってことじゃないの〜」と笑っていたんですけどもね。けど確かに、鍾乳洞のような濃ゆい場所で、軽装で手ぶらってのも、変といえば変ですわな。またはそういう場所を好む、A-typeのバイト宮司さんだったかも?そんなことを考えつつ、後日、母の持ってきた「日原鍾乳洞」の案内パンフを見ると、表紙には真っ白で大きな奇岩の写真が載っており、「白衣観音」と呼ばれていることを知った。もしや“彼”ってば...。しかし通りすがりの一般客に、「こんにちは」などと挨拶を返すとは、又えろう腰の低い観音さんでありますなあ(^o^)。期待していた皆様、怖くなくってごめん。
結論。奥多摩の鍾乳洞には、何かが、いる。
渋川伊香保の二ツ岳にも、何かが、ある。
皆様も、とっておきのコワイ話があったら、ぜひぜひお話くださいね。せっかく夏なんだし(^o^)。まあオバケに比べたら、非自閉社会における、われわれの実体験の方が、はるかに異なものであったりするんだけども。
えー、皆様お久し振りです。8月8・9・10と、群馬県は渋川・伊香保まで温泉旅行へ行って参りましてございます。
今回の旅のMyハイライトはなんといっても、中日の自由時間の、榛名山山系をはるかにのぞむ、「二ツ岳」の風穴(ふうけつ、と読む。でも変換できひんかった)巡りだったかな。
二ツ岳のなりたちは、榛名カルデラ火山の寄生的火山であり、その活動が終期をむかえ、岩盤が隆起して現在の姿となったそうです。風穴はその冷却の過程において、山が裂け岩も裂けて、山全体に隙間ができたものなのだそう。古くは、硫化ガスを吹き出す穴であったものが、いつのころからか、年間温度の変わらない風が吹き出し、夏には冷房室にいるようです。これらは現地の説明書き看板の受け売り。もち、そのとおり天然のクーラー状態だったし、蒸し暑い山道をヒイコラ登ってきた身には、劇的な邂逅でありました。
その風穴の奥から吹き出してくる冷気の、澄み切ったことと言ったら!もっと鍾乳洞みたいな、奥深い造りを予想していて、実際は数メートルで行き止まりの、つかえるほど天井の低い土間みたいなもんだったので、そのへんちょっと期待はずれだったけど、うん、行って良かった!その500米ほど先には大昔から貯蔵庫として利用されていた場所もあって、不思議なことに(ちゅーかその性質を考えたら当たり前なんだけど)、水蒸気が立ち昇っているのは、風穴のある周辺だけなのね。なんとなく可視的な「山の霊気」ってかんじ?
群馬といっても馬鹿にできたものではなくって(群馬在住の方ごめんなさい)、山の中はさながら野鳥のカタログをぶちまけたような賑わい。アカマツの木の幹を、独特のフォームで登って行くキツツキに似た鳥や、池の水を飲みにきたタヌキを目撃したり。森林公園の管理人さんが獲ってきた、いわゆるハチノコの、未だ生きてうごうごしている、スズメバチの巣とか。山野草の類も、ソバナ。ギボウシ。ヤマホトトギス。フタリシズカ。ダイモンジソウ。オニユリ。ホタルブクロ。マムシグサ。その他季節はずれのアジサイ等々、地方都市育ちの私にとっては、じゅうぶん刺激的な緑の世界でありました。
管理人さんに教えていただいた林道を使った下り道のこと。道は途中からどんどん細くなってゆく。すねがすっぽり隠れてしまいそうなほど、道を山水がいきおいよく流れた跡、未だ新しそうな、数十米級の崖崩れの跡、これも新しそうな、直径2米近い落盤によって、道の大部分が削り取られた痕跡など、これまた別な意味で刺激的だ。ここ数日で成長したとおぼしき雑草に阻まれ、これほんとに道かよ?なんて悪態つきたくなるようなエリアもあったし。管理人さんだって、知ってたらこんな道、教えてくれなかっただろなー。だから新しいんだろうって推測したわけ。
でもって、崖崩れの跡からこぼれ出ている無数の石を、庭石にしようと思って、手ごろそうなやつを探しては、夢中で拾い集めつつ進んでいたその時。
...ン?
山が静まり返っている。
あれほど騒がしかった野鳥たちの鳴き声も気配も、ひっそりと止み、いくら耳を済ませても、時おり聞こえる木々の木の葉や小枝の擦れ合う音以外、なにも感じられない。さすがに「怖い」とまでゆかなくとも、なんかやばいと思いつつ、先を急ぐことにした。
さらに数百米下ったところでようやく、かすかに沢の音が聞こえてきた。伊香保の町を縦断する、「湯沢川」の源流、鉄分を多く含んだ、茶褐色の温泉を湛える川でもある。そうすっとまた妙なもので、再び同時に、鳥たちの鳴き声が、元気に甦ってくるんだよね。しかし‘Die Fledermaus’とプリントされた半袖Tシャツ(半身コウモリと化したJ・シュトラウスが木にぶら下がっているといった意匠)に、マレーシア土産の花模様のバティック(ろうけつ染め)の、長い巻きスカート(これがまた足が開かなくって山歩きには不似合いすぎ)、頭にはこれまた花模様のスカーフのバンダナ巻きに、皮製のウォーキングシューズ...といった軽装で、よくぞぶじに辿り着けたなってかんじ。
家に帰ってから知人(美大卒の、やはりAsぽい人だ)話したら、その人によれば「“山の雰囲気が急変する”なんて、得難い経験をしたこと!」山が静まり返るというのは、大地震とか、天変地異のまえぶれであることが多いとか。っていうことは、あまりいい事じゃない...わね?私がそこに居た時点では、特に何一つ起こってはいなかったんですけどねー(笑)。こんど調べてみよう。山の表情について。
というわけで、盛りだくさんな3日間でした。最終日には、渋川市内にある牧場で、シープドッグショーを見物したり(なんせ7月中旬に行った東武動物公園ときたら、あまりの暑さでそこいら中、クタクタ動物だらけだったもんなー)、「水沢観音」で引いたおみくじは「半吉」で、あれもダメ、これもダメ、みんなオマエが悪いのさ(中坊時代読んだ、マルC「東京の夜は、どおーんと更ける」栗本慎一郎)...にムカついて、みやげもの屋のモミの木に括りつけて逃げたりと、小さなハプニングはあったけど、まあ、楽しかったっけ!そういや「伊香保街道」を徒歩で牧場に向かう途中、歩道横に野ウサギの死体が転がっていたな。跳ねていたら跳ねられた。人生も、そんなものかも知れない。
振りさきて狂ひ死殿や夏の幹
―Xanadii―
一穂(いちほ)さん wrote:
>芸術家を志して芸大・美大に進んでも、
>卒業後、絵だけで食っていける人なんて
>いないに等しいと思う
>みんな会社員になったり、バイトしたりしながら
>描いてるし、絵をやめちゃう人も多いです・・・。
わしは大学は外国語学部へ進みました。
英語が得意と言う理由で安易に選んだのですが、在学中に「この分野は、わしには不向きだ。」と気づきました。
この学部は、コミュニケーション能力に長けている人が、能力を如何なく発揮できるところなのでした。「得意である」ことと「適している」ことは全くの別物だったわけです。
でも、早めにそのことに気づいてよかったと思います。先を見誤り、外国語関係の仕事についていたら、間違いなく途中でやめていたでしょうから。
事実、外国語学部を出ていても、外国語を駆使できる人など、ほんのわずかなのです。
学んだスペイン語はいまほとんど頭から消えている ミッドランド
シンタロウ wrote:
>武田好史 wrote:
>>みなさんに質問です。
>>何か楽器の演奏ができますか?
>>また、その魅力はなんですか?
>
> 僕はギターとベースを趣味で弾いています。
>僕にとってギターの魅力はいろんな弾き方があって、それによってメロディーが違ってくることです。(中でも僕はパワーコードを弾くのが好き)また、ベースの魅力はギターとは違って一音ずつ弾くことによって曲の芙陰気を盛り上げることです。(バンドではドラムと同様リズム隊で、脇役みたいな存在、でもベースとドラムが居ないと曲が成り立たない)
> 僕はいろんなバンドの曲を完全に楽譜どうりには弾かず、自分流にアレンジして弾いたり、また、耳コピする時完全にコピーするのではなく自分流にアレンジして弾くのが好きです。(ただいまグリーンデイの曲を耳コピ中なのね〜♪)
私は下手だけどピアノが弾けます。
小学校の一年生の3学期から中学二年生まで、レッスンを受けていました。
その頃幼稚園児だった妹が他の子がピアノを弾いているのに魅せられて、「やってみたい!」といったので、親が渋々ピアノを買い、「あんたもやってみたら」ということで妹のレッスンへついていったのが始まりでした。
ピアノの先生はとても厳しい人で、なにせ不器用で音感が鈍い私は、「ここもう一度ひいて・・・」何回もやり直しをさせられました。妹は早く始めたこともあって、5年後10才ぐらいの時には「エリーゼのために」を完璧に弾けるようになりましたが、私はやっとバイエル教本の下巻に入ったかどうかというところでした。
妹はその後合唱会の度に、伴奏をさせられるのが嫌になったのか、全くピアノを弾くことを止めてしまいましたが、ちょうど思春期という不安定な時代に突入した私にとってはピアノという楽器は、トランキナイザーのようなものでした。
イジメられたり・片思いしていた後輩の女の子にふられたりしたむしゃくしゃした気持ちをうち消したい時、ピアノに向かいました。学生時代の精神的にまいった時には、ピアノだけを弾きたいと思って、もう大学の講義が終わった後夜に、富士山が窓硝子の向こうに見える四階の部屋に入って、大学の合唱クラブが持っているピアノで「サモア島の歌」や「浜辺の歌」「マイ・ボニー」・・・クリスマスイブには「きよしこのよる」なんかを弾きました。
私の場合も曲を覚えるのは、耳コピー形式です。気に入った曲があるとまず拾い引きして、曲の状態をつかんでから、楽譜を買って弾いて曲を覚えます。最近弾けるようになったのは、「君が教えてくれたこと」のエンディングの「Love again 永遠の世界に」とか、ちょっと古い曲ですが「5番街のマリーへ」です。あと片手なら倉木麻衣の「reaching for the sky」も弾けます。
ピアノという楽器は本当に様々な音が出せます。ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シの中から、3個の音をとって組み合わせても100通り以上ですし、鍵盤の数も白黒合わせて88もあり、鍵盤の打ち加減でも違った表情がだせるので、まだまだ可能性のある楽器です。私も最近黒鍵だけを使ってどんな曲ができるのか研究中です。まあ記譜方を知らないので、作曲には結びつきませんけど・・・・。
>くると wrote:
>> くると(成人LD)です。
>>
>> 昔から「白痴天才」と呼ばれる人たちはわたしにとってヒーローでした。
>>尊敬する偉人のほとんどは「白痴天才」でした。
>>
>> でも、周囲の人間がわたしに求める理想像は「常識人」でした。(常識と
>>は何か、という問題もありますが、ここではその問題には触れません)他人
>>の欲望を受け入れて「常識人」になろうとしたわたしの欲望は見事に破綻し
>>ました。それはわたしにとって自己背信以外の何者でもなかったからです。
>>今わたしが目指している理想の人間像はやはり「白痴天才」です。
>>
>> 自分がどんな人間になりたいかがはっきりしてそれを目指すようになった
>>時、わたしの精神の破綻は収まりました。しかし、今度は周囲の人間との意
>>識の違いが表面化しました。「常識人」になろうとしているわたしに好感を
>>持っていた人も多かったからです。
>>
>> こんな欲望の不一致に悩んだことのある人はいますか?
あるある。
くるとさんとわたし、似たタイプなのかもしれないわ〜、
>Makichan wrote:
> 私は小さい頃から絵が好きで、今迄唯一なりたいと思った職業は、絵描きさん
>でした。大学も美術学校うけようかと思って準備もしていましたが、直前になっ
>て考え直し、後はなりゆきで法学部に行っちゃいました。その大学も鬱病のため
>中退してしまうんですけどね。美術学校断念したのは今は後悔してません。芸術
>家の方面にすすんでいたら随分苦しんでいただろうと思います。今以上に。
わたし、T美大を出ました。
Makichanさんの選んだ道は正しいと思います。
絵は別に大学行かなくても描けるから。
芸術家を志して芸大・美大に進んでも、
卒業後、絵だけで食っていける人なんて
いないに等しいと思う
みんな会社員になったり、バイトしたりしながら
描いてるし、絵をやめちゃう人も多いです・・・。
武田好史 wrote:
>みなさんに質問です。
>何か楽器の演奏ができますか?
>また、その魅力はなんですか?
僕はギターとベースを趣味で弾いています。
僕にとってギターの魅力はいろんな弾き方があって、それによってメロディーが違ってくることです。(中でも僕はパワーコードを弾くのが好き)また、ベースの魅力はギターとは違って一音ずつ弾くことによって曲の芙陰気を盛り上げることです。(バンドではドラムと同様リズム隊で、脇役みたいな存在、でもベースとドラムが居ないと曲が成り立たない)
僕はいろんなバンドの曲を完全に楽譜どうりには弾かず、自分流にアレンジして弾いたり、また、耳コピする時完全にコピーするのではなく自分流にアレンジして弾くのが好きです。(ただいまグリーンデイの曲を耳コピ中なのね〜♪)
くると wrote:
> くると(成人LD)です。
>
> 昔から「白痴天才」と呼ばれる人たちはわたしにとってヒーローでした。
>尊敬する偉人のほとんどは「白痴天才」でした。
>
> でも、周囲の人間がわたしに求める理想像は「常識人」でした。(常識と
>は何か、という問題もありますが、ここではその問題には触れません)他人
>の欲望を受け入れて「常識人」になろうとしたわたしの欲望は見事に破綻し
>ました。それはわたしにとって自己背信以外の何者でもなかったからです。
>今わたしが目指している理想の人間像はやはり「白痴天才」です。
>
> 自分がどんな人間になりたいかがはっきりしてそれを目指すようになった
>時、わたしの精神の破綻は収まりました。しかし、今度は周囲の人間との意
>識の違いが表面化しました。「常識人」になろうとしているわたしに好感を
>持っていた人も多かったからです。
>
> こんな欲望の不一致に悩んだことのある人はいますか?
私は小さい頃から絵が好きで、今迄唯一なりたいと思った職業は、絵描きさん
でした。大学も美術学校うけようかと思って準備もしていましたが、直前になっ
て考え直し、後はなりゆきで法学部に行っちゃいました。その大学も鬱病のため
中退してしまうんですけどね。美術学校断念したのは今は後悔してません。芸術
家の方面にすすんでいたら随分苦しんでいただろうと思います。今以上に。今の
仕事だって決して満足してる訳じゃないです。いつ解雇されてもおかしくない薄
給のサラリーマンですから。ただ生きる為自立するためだけにやってるんです。
それもままならないんですがね。
私はなんに対しても信じきることのできない人間です。なにをやらせても中途
半端にしかできないし、そもそもそうする(なにかを貫徹させるという)意義が
見出せないんです。ですからなにかに一途になってる人をみたら、羨ましくもあ
り、腹立たしくもなってくるんですね(笑)。そんないい加減な自分ですけども、
全ての無駄を削ぎ落として極限の状態に身を置いてみたい、絶対の世界を垣間見
てみたいという欲求もわかるんです。いずれくる「死」がそれを叶えてくれるんでしょうけどね。まだ40歳なのに今の自分には酔生夢死という言葉が心にぴったり来るんです(笑)。
話がちょっとずれたみたいですみません。
タレイヌさんはじめまして。
ayaと申します。
タレイヌさん wrote:
>話はちょっと逸れてしまいますが。
>今回くるとさんが、「オフ会」報告をなさっています。日本のあちこちに、共通の問題意識を持った人たちの、集う場を作り出そう(いえ、現実に作っています)とする、底力を、感じて、うれしくなります。(完全ボランタリー!!みたいね?)
>
福岡オフ会の幹事のひとりです。タレイヌさんのこの文章を読んで、
オフ会終了後つらつら考えていたことに確信がもてました。
オフ会で、「成人本人の会」をつくることのメリットとデメリットについて
話し合ったんですが、内側からの視点でした。
「それがそこにあること」を多くのひとが知ること自体も、
きっと意味があることなんでしょう。
>「連携する」って、こうやって、少しずつ、必要と思う人間が、なけなしのお金や、時間、そして活動するエネルギーをつぎ込んで、地道な積み重ねを繰り返しながら、試行錯誤しつつ、行動しつづけることでしか、できない事なのかもしれません。
このフレーズは覚えておきたいです。
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