アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
Tien wrote:
>★突然拙問です★
>ASタイプの特徴か、「他人の肉体的接触=髪を触られたり・温かい手が苦手等」が「僕のこと嫌いなの?」みたいに取られそうで、どうしようかなやんでいます。
>どうしたらいいでしょうか?プラトニックラブって、成立し得ないのだろうか?
相手もTienさんのことを好きならきっと理解してくれると思います。
プラトニックってゆう分類に先に決めつけてしまわなくてもいいと思うし、それは二人で見つけていくものだと思います。
いろんな愛し方があっていいと思うし、ひとそれぞれだと思う。
お互いのことゆっくり理解していけたらいいんじゃないかな。
Tienさんがその人のことを好きなら、
勇気を出してね。
気持ちが伝わるといいですね。
武田好史 wrote:
> 僕は学生のころ静岡の三保松原の近くで下宿してた。
>恩師のS先生は、降水量の観測をしたり、松原周辺の海岸浸食の様子を記録していた。
> いま三保の松原はどうなっているかな・・・おそらくものすごい波だろうな。
>学生の頃、良く気張らしした浜も海に消えただろうな・・
うちの母は清水市の出身で、わたしも生まれは清水なの。
三保の松原ってなつかしい・・・。
高校生のとき、物理の実験助手の先生の息子さんがT海大の海洋学部の人で、
冬休みに勉強みてもらいました。
(↑レポートをまったく提出しなかったのと、テストを白紙で出したため物理の成績1学期と2学期"1"がついてしまい、このままじゃ留年・・・。
でも、そのお兄さんにおしえてもらったとたん急に理解して、3学期の成績は"9"、留年は免れた。)
武田さんいいな〜。
そんな研究してる先生のもとで勉強したのか〜。
おもしろそう。
わたしも本当は生物とか地球環境に関する勉強がしたかった。
でも数学がまるっきりダメだったからあきらめちゃったんだけど。
Chipぱす忘れ wrote:
>ニキリンコの本名が 沢木あさみ だと思っている人。
>ニキリンコが本当に自閉症だと まだ信じている人。
>
>詳細はこちらへ
>http://www2u.biglobe.ne.jp/~pengin-c/komatta/6549072265625.html
>http://www2u.biglobe.ne.jp/~pengin-c/komatta/5465087890625.html
確かに機能の高い自閉症でも、会社で何とか働いて生活している人もいるし、俺みたいに何やっていいか判らずに家で悶々と過ごしているやつもいる。
リンコさんのように英語がよく判るやつもいれば、からっきし理解できないやつもいる。
テンプル・クライデンさんのように図面を描くのが上手な人もいれば、へたくそで数学の図形の問題を解くことに苦労した人もいる。
一口にハイファンクション・オーチィズムといってもいろいろさ。
リンコさんが悪いわけではない。悪いのは高機能自閉症は「単一民族だ」「いつかは治る」と思い込んでいる無理解な奴らだ!
英語のテープを聴いている女の子だが、別に無駄にはなっていない!彼女は、わずかずつだけど、それを人生の糧にしている。俺もわずかずつだけど、聞こえない
人たちが使う「日本手話」を覚えている。
人の批判する暇があるんだったら、あんたもなんか「これなら私は負けない!」というものを探せば・・・
でないと一生惨めな思いするぜ!
やんちゃん wrote:
>私は、台風の前のザワザワした感じが好きです。
>台風でなくても、風の強い日はなんか気持ちいいです。動いてる感じがするからかな?
そうそう、そのザワザワ感。
不思議な気持ちになる。
海からくる風の、潮のにおいとか、
風はいろんなものを運んでくるから。
かおりさんwrote:
>Tienさんお久しぶりです。
>私は逆に「人のことばっかりで自分の事は後回しにしすぎる」といわれました。彼>らにとって私は「殉教者」みたいで、自分の人生を自分のために使っていないと見>えるらしい。実際は違うとなんどもいっても、結局は分かって貰えないのを分かっ>ただけでした。 「その人といると自分が安心する」だけじゃ駄目なんだろうか?
こんばんは、かおりさん。レスありがとうございました。
かおりさんが他人に与えている印象は、私には非常に不思議なです。
少し分けて貰いたいぐらいです。どういう事をされたら、そう言われるのですか?
くるとさんwrote:
>最近、その逆の体験が多くてとまどっています。どうも、「相手の気持ちを
>理解できている」という誤解を受けてしまっているのです。わたしは人から悩
>み事を話された場合
>(1)相手の話を聞く
>(2)相手の話したことについて分からないことを質問する
>(3)相手が話したことについて別の角度から考察する
>(4)相手の話にあいずちを打つ
>(5)相手の話に関心を持っていることをアピールする
>といった行動をします。そのため、周囲の人間からは「他人に共感できている
>」ように見えてしまうそうです。これは共感とは違う行動なんだということを
>説明したいのですが、あまり理解されないみたいです。
>どうも、「共感をアピールする」ということと「共感する」ということが混
>同されてしまっているような気がします。
私もそういう時、共感ではなく、相手の悩みを分析して、結果答える
だけなのですが、確かに誤解を持ってしまう人は多いようです。
大変ねえとは思うけれど、所詮人は立場がそれぞれ違うから、ドラマのように
涙したりは出来ませんよねえ。悩みを聞いてもらい泣きする人の気がほんとうに
分かりません。
★突然拙問です★
ASタイプの特徴か、「他人の肉体的接触=髪を触られたり・温かい手が苦手等」が「僕のこと嫌いなの?」みたいに取られそうで、どうしようかなやんでいます。
どうしたらいいでしょうか?プラトニックラブって、成立し得ないのだろうか?
名加野 wrote:
> こっちなんて、本すら読んでないです。本屋行っても、ゲームばかり見てるおこちゃまですので、逆にレベル的に僕の方が教わる事多いと思います。本ぐらい買わなきゃいけないなあと思いつつ。では。
はじめまして。^^ 名加野さん、konetamaです。
レス、ありがとうございました。
本は読みはじめたのですが、完全には理解できていない事が多いと思います。私は、レベル的には知識が無いんです。。
ゲームはいいですよね。ついついはまってしまう事があります。しかしながら、身内に「ゲームを貸して」と頼みますと、「壊れるから、嫌だ」といわれております。こんな感じの私ですが、よろしくお願いします。
ミッドランドさん、こんばんは。ののです。
(こちらでは初めまして、ですね。皆さまにも、初めまして。
診断してくれる病院探し中、自称ADDの、ののです。若干の自閉傾向もある気がしてます。ミッドランドさんとは以前福岡オフでお会いしました。)
ミッドランドさん wrote:
> わしは「皿の上にある残ったオカズを、そのままにできない」タチです。
(略)
> いわばわしは「オカズ整理要員」だったのです。
あはは♪(^▽^)そうだったんですか。
私も、お店で食べ物を残すのに抵抗のあるタイプです。だってもったいないですよね。
誰かと食事するたび、「みんな、食べ物に執着がないんだなー」っていつも驚いてます。私は付け合わせのパセリとかまで食べちゃうんですが、大抵。
この前の福岡オフでも、結構いろいろ残っていて、私は最後まで1人いろいろつついてました。(でも本当はもっと食べたかったのだ/笑)
私の場合、無理して食べると言うよりも、食べたいから食べてる感じで、罪悪感と言うより単に、食い意地が張ってるからかも知れません。(^_^;)(あと、なんだろう。目の前に食べ物があると、いくぶん強迫的な感じで、全部胃の中に「片づけたくなる」感じなのです。お腹いっぱいでも。他の人が「片づけて」くれると、ホッとします。)
> しかし、この話を親にしたところ、
>「そんなことやめなさい。みっともない。」
>と言われてしまいました。ムリしてまで残りのオカズを食べる必要ないと言うのです。
うちの親とは反対です〜。
私は母から「もったいないから残すな」という教育を受けました。母と一緒に外食すると、絶対お皿の上、何も残りませんよ。もう本当にみっともないほど、最後の最後まで食べきるのです(笑)
> わしは残されたオカズに対し「もったいない」の気持ちがわいてきて、「オカズ整理要員」になるのです。そんなわしの行動は、どうやら「みっともない、恥ずかしい、品がない」と映っているようです。
> そんなにわしの行動はヘンでしょうか?それならオカズを残した方がいいとでも言うのでしょうか?
うーん、やっぱり品がないですかね?こういうのは。私も聞きたいです。
特に私は女なので、あんまり食い意地が張ってると恥ずかしいような気がして、もったいないと思いつつ残すことが多いかな…。(でも自分では控えめに食べてるつもりでも、隣の女の子より1.5倍も食べてたりするんですが/笑)
というか、ああいう席で、1人分以上食べてはいけない気がしちゃいます。
人の分まで食べるのはダメでしょう、って思って(食べるけど)ある程度でやめちゃいます。まだお腹に入るけど、「もったいないな〜、誰か食べないかな〜」って思いつつ残った料理を見つめるだけです(笑)
オレンジブルー wrote:
>一穂さんはじめまして。
こんばんは!
オレンジジュースと青いボーダーのオレンジブルーさん
だよね(o^w^o)よろしく〜です
関係ないけど、オレンジXってゆう、オレンジの皮からとれた成分で作った万能洗剤にはまってる一穂です。
いいにおいだし換気扇もピカピカになるし〜
(ぐるぐるがピカピカ〜)
防虫防カビ効果もあるし
ネコのシャンプーにも使えるの。
タオルの洗濯にも使っていいにお〜い。
界面活性剤とかいっさい入ってない、天然成分の洗剤なの。
それから最近あらたに購入したエコロンG2ってゆう洗濯機に入れるお手玉みたいなもの。
これもとってもお気に入り。
なんとこの中には備長炭とトリマリンが入ってて、
このお手玉+塩で洗濯ができちゃう、しかもすっごくきれいになる〜♪
(トルマリンの磁性効果で食塩が分離されるので、イオンの効果できれいになるんだそうな)
>ここは、雨、曇りが一年を通しても多いです。
>雪と湿気とカビの国(汗)
それはたいへん!
でもわたしの住んでるところは一年を通して空気の悪い
工場と、白い空の街
でも今日は台風の風のおかげで空気が一掃され、
夕空が澄んできれいだった。
>あー!わかるわ(^^)
>私はコドモの時、台風に興奮して、三輪車を持ち出して座った状態で構えていて、
>風が運んでくれるのを待っていました。確か、ちょとだけ動いたと思う。
>あと、傘をさして、ジャンプ。
>一瞬「ふわっ・・」っと、浮いたようになって、なんか空飛べないかなあ・・・
>って楽しくて、一人でやってました(^^)
>コドモって危機感のある非日常感に、実は好奇心・興味で心がうずくようなところを強く持っているよね。
>なんか、怖くないんだよね。怖いもの知らずー。
>今もかなりあるけど(汗)。でも減ったな・・。
わたしも台風前の波切(なきり)
(紀伊半島のさきっちょ。大王崎ってゆう岬がある。高校時代、美術部の夏の合宿で絵を描きに行ってた。)
で30号のキャンバスを持って歩いたことがある。
歩けないくらいの風をキャンバスにうけていっしょに舞ってしまった!
でもさすがに飛べはしなかった。(!?)
小さいこどもだったら飛んでしまうかもなぁ。
>私は、「君が教えてくれたこと」のまゆこちゃんではないですが、
>気象##っていう所で、データ処理のバイトをしていました。
>データ読むのも超難しくって、なんだかんだと連携プレーみたいなもので大変だったけど、
>でもかなり楽しかったです。
>気象データ、資料がほとんど見れる状況でして、面白かった。
>たった3ヶ月の契約でしたが、アタマはヒート寸前でしたあ。
>いつも走っている緊張状態。偏頭痛や震えやチックも必死状態。
>電話応対はしなくて良かったので、それが唯一の救いだったあ。
>
>地球の北半球地図に、気圧配置や風力・風圧がだされていて、A4サイズの
>紙に出力されるんですが、これが観ててたのしいこと!
>必要無くなった紙はコピー用紙にされてたし、
>「これはもらっても、別に悪用しようが無いしもらってもいいよねー」
>と持って帰って、
>シートに入れて見入ってました。
>ははは。
>私はこの時はこんなアスペルガーの館の存在やら、発達障害の内容やら
>詳しくは全く知らなかったんです。
>その仕事が終了してから、まあ、面談が進んでいき、
>ネット検索したら、「ありゃー一緒ナことが・・」だったんです。。。。
わたしもただいま「ありゃ〜」まっさかり。
まだ検査もなんも受けてないんだけど
そろそろちゃんとしたとこに行ってみようかなと思ってます。
川崎市に住んでるのですが、
どなたか、いい病院知ってたらおしえてください。
>理科・・・気象関係に興味があるのでしたら、
>無線資格とか取ると、また一味色々知識が加わって、楽しいのかもしれない。
>あの資格ってすぐに取れるそうですよ(^^)
なんか、無線てすごく"オタク"っぽくていいわ〜。
無線の資格もってるんですか?
どんなことに使えるの??
YanさんのカキコNO.6742をもって私のレスといたします。Yanさんうまくまとめてくれました。自分の言葉で語れなくてすみません。
名加野さん wrote:
> 多分、電子文書だと見ないと思いますので、ブックタイプを買おうと思って
>おりますが、お値段はいくら位になるのでしょうか?
一応の予算(原価)は、千部あたり十万(一冊百円)未満。装本を簡単にし、版下をこちらで用意し、大学近くの同人誌だとか文集だとか論文の紀要集なんかを刷っている印刷所のヒマな時期に押しこめばまだまだ安くなるはず。
これを書籍扱いで郵送すると、だいたいカップ麺一個分くらいの値段になる予定です。安いでしょ。ほくほく。
書店に並べるとなると、部数が少なくて単価が安いとなると書店さんが嫌がりそうに思います。パーソナルコンピュータ向けのパッケージ・ソフトウェアがそうだったから。そーすっとやっぱり千円台、ということになるかも。だけどあんまり単価上げたくないんですよね。講談社に押しかけて「ブルーバックスの一冊として出版してください!」かなんか交渉してみようかしら。明窓出版の増本社長には申し訳ないけど、そっちはそっちで『ふたりで聖書を』の続編で儲けてもらうとか……
そーいえば今日、本屋で酒木保『自閉症の子どもたち 心は本当に閉ざされているのか』(PHP新書)という本を見つけて、とりあえず買って読んでみました。クソつまらない本でした。「金返せぇ〜!」と言いたくなりましたが、こういう本でも出せば売れると思って出す出版社がある、と思うとそれなりに希望も湧いてくるというものです。
そういえば、学習研究社の『実践障害児教育』の8月号は自閉症特集だったそうですが、増刷分までさっさと売り切れてしまいました。別冊が出ることを期待しましょう。aya(bau)さん主催のメーリングリストでも本を出版する気運が高まっている、というような話も風の便りに聞きました。いろんな立場、いろんな視点でそういった本が出ると、アスペっ子のお母さまがたやご本人さんがたも、自分の「座標」のようなものが定まって気が楽になるのではないかと……とか他人ごとみたいに言ってっけどさ、あたしもこないだ従姉の子供がどうやらASらしいっていう話があってさ、で、関係者の証言によるとその子が子供の頃のあたしそっくり(^_^;)。ASって血なのかしら。「あたしの血は汚れているのよぉ〜!」とかいって悩んだりしてね。読み筋は横溝正史。映画、『金田一耕介の冒険』。主演は古屋一行&田中邦衛。特別出演の横溝先生と角川春樹さんとの掛け合いがお茶目。「ちと儲けすぎじゃないか?」「へへぇ〜っ!」「私はこの映画だけには出たくなかった。」(←たしか映画『病院坂の首括りの家』のTV-CMのパロディ。『悪霊島』かも知れないけど)。
従姉は「悩んでない」タイプの人で、「あたしも掲示板で発言しようかしら」とか言っているのでぜひとも参加してほしい、と思ってます。
> 僕は「大人になんてなりたくは無い」と思ってたりします(ピーターパンの話
>では無いけれど)。純粋な心を忘れたらつまらないし、何でもかんでも、自我を
>守るためにおちゃらけた話に持っていく人にもなりたくないです。そういう大人
>ばかりでもないのはわかります。
以下は、『ふたりで聖書を』からの引用。
---
「それにさ、たとえば……お嬢さん、結婚相手って何を基準に選びます?」
「あたしのこと大事にしてくれるひと」
あたりまえだと思う。
「いいなぁ、そういう迷いがないのって。ところが世間では、年齢これこれ、身長これこれ、収入これこれ、学歴これこれ、家族構成これこれ、という感じでですね、相応なところに振り分けられるというランク付けのシステムができあがっておるわけです。で、ここには人間性というものはとりあえず含まれていないわけですよ。そこに齟齬(そご)が生まれるんです。女性が男性として私という人間を見た場合、私の本質を見てくれる女性というのは非常にまれなわけ」
「それって女が馬鹿なんじゃない?」
「世間ではそういう人たちのことを『大人(おとな)』ということになっていて、『人間としての本質』だとか『人間性』だとか言ってる奴はガキだということになっているわけです」
「大人なんか嫌いだー、とか言ってしまいましょうか」
「我々が子供の頃って、『大人』っていうと、『分別のある人』という意味でしたよね。『大人』という言葉には、何か憧れのようなものがあった。それが、いつの頃からか『お前、もっと<大人>になれよな』とかいう物言いばかりが耳に入ってくるようになった」
「それは、ありますね、確かに」
---
「大人」ってなんだろう、って気がします。「Made in Japan」が粗悪品の代名詞だった時代があります。だけど、現在は「Made in Japan」は高品質の代名詞です。エドワード・デミング博士に教えを乞い、日本のQC活動を育ててきた西堀栄三郎さんをはじめとする多くの人の努力がそれを実現しました。「大人」という言葉を貶めるかどうかは、あたしたちにかかっています。
若いひとが、「私も大人になりたい」と思うような大人でありたいと思います。
そういえば、「お役所仕事」。これも改めてほしいよな。分かったか公僕。
(Maria)
くると wrote:
>名加野さん wrote:
>
>
>> 疑問に思う事があります。何故、人(普通と呼ばれる人)は話題に詰まると、
>>「下ネタ」に走るのでしょうか? 走るのはいいとして、強要してくるのでし
>>ょうか?
>(中略)
>> ある人によれば、それは「ネタ」であって、軽く流して「楽しむべき」もの
>>だそうですが……それは何か違うと思いました。なぜなら、真剣に話すべきも
>>のであって、軽々しく口にすべきものではないと思っているからです。(単に
>>古い考えかもしれませんが……)それに関しては、「硬くなるな」とか言われ
>>ましたけど。
>
> わたしは、性欲や倒錯愛や同性愛の問題をけっこうまじめに考えている方な
>ので、それを笑いのネタにされると腹が立ちます。(これは特にフランス現代
>思想の重要なテーマの1つです。ミシェル・フーコーやジル・ドゥルーズの研
>究が有名です)
>
なんか不随意的に、卑猥なことをいってしまう「汚語症」という、チックがあるようだが・・・
レス頂きましてありがとうございます。とてもうまく纏めていただき感謝します。私のつたない言語力ではここまでできません。おっしゃるとうりだと思います。ただしかし、ただしかし・・・です。
Yan さんwrote:
>
>ええと、それとまたもや横レス。Makichan wrote:
>>私は大雑把な人間ですから、こんなふうにしか言えないんですが、医学的であれ、哲学的・倫理的であれ、解釈体系つくること自体無理だし、しない方がむしろいいのかなあって思ってるんです。いかなる定義づけをしてもいつか訂正修正する時が来ると思うんです。修正の都度混乱まねいてたんじゃかなわないで すよ。それなら初めからないほうが・・。さらに暴論カマシますが、精神医学は結局医師個人の名人芸に頼るしかないんじゃないかしらん思います。相性もあるし。
>
>「医師個人の名人芸」という言葉を見て、Makichan は精神医学に心理学や精神分析のような期待を抱いているんじゃないかと思いました。精神医学は脳を扱う分野だと思います。個人の心の内面を治療するわけじゃないと思うのです。医者と患者の相性はあるだろうし、あまり医者に無愛想にされても困りますが、「医師個人の名人芸」のような才能は、精神科医一般に要求できる類の資質ではないと思います。(診断しておいて診断名を患者本人に明かさないのは問題外)
おっしゃるとうりです。けど、けど、私の尖がった知性は少しだけ異議挟みたくなるんです。「脳を扱う」ことと「心の内面を治療する」ことをそんな簡単に分けられるか疑問に思うんですけどねぇ。
>「医師個人の名人芸」のような才能は、精神科医一般に要求できる類の資質ではないと思います。(診断しておいて診断名を患者本人に明かさないのは問題外)
そうです。ですから我々は医師を慎重に選ぶ必要あると言いたいんです。良い
医師を見つけるための情報交換したほうがいいですね。
私の経験で言いますと、おとなのASタイプの人には精神分析はある程度有効じゃないかと思います。私が今かろうじて定職について働いていられるのは、30歳すこし前にお会いした大阪の辻悟先生のお陰です。(批判するわけじゃないから名前だすのは許されるでしょう。)あの経験が精神分析受けたことになるのかは難しいところですが。ただ精神分析の分野ではかなり有名な方らしいです。今から思えばラカンの影響強く受けた先生じゃないかなと思います。すべてにノーを言う事でかろうじて心のブレをとめる。ああいうのを否定神学いうんじゃないのかなあ。わたしゃラカンなんててんで解かんないけどね。このカキコ見て辻先生に興味持たれた人は一度訪ねてみたらよろしい。(ひどく無愛想な人だけどね。)今どこにいらっしゃるかは知らないが有名な方だから調べればすぐにわかると思います。
私は自閉症や分裂病をひもとけば、社会全体が見えてくるんじゃないかと思っています。人類の幻想がそれらの障害をつくりだしたんだというYanさん指摘はある
意味正しいと思います。ただし非障害者の幻想がという意味でですが。これらは
脳の器質的障害であり、かつ心理学的問題だと思ってます。
http://yogananda.hoops.ne.jp/
レイコのおすすめです
かなりおもしろいです
ニキリンコの本名が 沢木あさみ だと思っている人。
ニキリンコが本当に自閉症だと まだ信じている人。
詳細はこちらへ
http://www2u.biglobe.ne.jp/~pengin-c/komatta/6549072265625.html
http://www2u.biglobe.ne.jp/~pengin-c/komatta/5465087890625.html
えーんえーん、しくしく、ぐすぐす、えぐっえぐっ。
タレイヌさんに『「どっちでもいいこと」が決められない』のプロローグ部分をメールで送ろうとしたら、宛先不明で返ってきてしまいましたぁ。めそめそ。
できればあたし宛、メールを戴きたく存じます。そしたら折り返しお送りいたします。
(Maria)
名加野さん wrote:
> 疑問に思う事があります。何故、人(普通と呼ばれる人)は話題に詰まると、
>「下ネタ」に走るのでしょうか? 走るのはいいとして、強要してくるのでし
>ょうか?
(中略)
> ある人によれば、それは「ネタ」であって、軽く流して「楽しむべき」もの
>だそうですが……それは何か違うと思いました。なぜなら、真剣に話すべきも
>のであって、軽々しく口にすべきものではないと思っているからです。(単に
>古い考えかもしれませんが……)それに関しては、「硬くなるな」とか言われ
>ましたけど。
わたしは、性欲や倒錯愛や同性愛の問題をけっこうまじめに考えている方な
ので、それを笑いのネタにされると腹が立ちます。(これは特にフランス現代
思想の重要なテーマの1つです。ミシェル・フーコーやジル・ドゥルーズの研
究が有名です)
> こちらは真剣な話をしたいのに、笑いへ笑いへ持っていこうとするのもどう
>かと。つまらない(真剣すぎる)話題を聞くとへこむから、流す。良いのかそ
>れで。真剣だとか言って、笑いを取ろうとするほうがよっぽどつまらないと思
>います。
同感です。
(1)明るいムードの押しつけ
(2)楽観主義の押しつけ
はあまり好きじゃありません。
ひとりごとにツッコミを入れるというのも不粋な話ですけれど、ひま人さんの提示した問題を見通しのよいように整理してみたいと思います。これに対して、ひま人さんから「いや、私が提示したかった問題はそういうことではないのだ」といった異論がございましたら、そのむねおっしゃっていただきたく存じます。
>論客Aと論客Bが言い争っているとき、外側に回り込んで両者の対立構造を客観
>的に眺めようとする、このとき、もしも言い争いに加われば、客観視するのがむ
>ずかしくなりはしないだろうか。
>かつての物理学者が考えた、「この宇宙に存在するすべての原子の位置と動きの
>方向と速度が判れば、未来を予測することが可能になる」という発想。
>こうゆう発想が出てくるには、俗世間から孤立して沈思黙考するというスタイル
>が、かならずしも必要というわけではないにせよ、そうした発想を生みやすい背
>景にはなっているのではないか。これらの条件とは、ASの特性にぴったりと一
>致すると思うが・・・
>これはたんなる思いつきだろうか。すくなくともそうした傾向があるのは事実で
>はないだろうか。
古代中国における「隠者の思想」というものが、おそらくはひま人さんのおっしゃるイメージにもっとも近いものだと思います。「当事者」になってしまうことによって、見えなくなってしまうものがあるのではないだろうか。そういう発想です。
あたしはこうした立場がASの人間に向いている、というひま人さんの意見にNOを言いました。とはいえ、それなら「当事者」の立場がASに向いているかという問いにも、あたしはNOを言います。ただし、その理由はひま人さんの視点とは別のところにあるのね。
「当事者」の立場に立ってしまうと、「立場上、言いたくても言えないこと」というのができてしまいます。これはASの人間にとっては、つらい。その意味で、私的な立場で当事者となることは、ASには不向きであるように思います。
ふりかえって「隠者」「助言者」の立場がASに向いているかといえば、これを支持する積極的な理由があたしには見つけられませんでした。強いていえば、「向いていないことはない」という消極的な理由がある、というところでしょうか。
さて、あたしはさきほど「私的な立場で当事者となることは、ASには不向きであるように思います」と書きました。では、「公的な立場で当事者となること」はどうでしょうか? ひま人さんはこの点について考慮していないように思います。
仲買人、中卸業者、代理交渉人、審判員、検査員、あるいは公証人、裁判官、鑑定人といった、「私的な立場を取らず、あくまで公正な立場で物事にかかわる人間」というのは、評論家のような「隠者」「助言者」よりもよほど社会的需要が大きいように思います。
宇宙の外に超然と存在する絶対的な観察者の立場(ニュートン的な、絶対空間における観察者)ではなく、あたかも一個の天体にように存在する相対的な観察者の立場(アインシュタイン的な、局所慣性系に属した観察者)というのも、あっていいのではないでしょうか。
隠者は必ずしも深山幽谷に住むわけではありません。市に隠れる隠者もいるのです。
(Maria)
Tienさん wrote:
>突然ですが、私は最近とても驚く体験をしました。
>それは、「僕の事も少しは考えてくれよ。(-_-;)」と言う友人の叫びにも似た
>一言でした。
>相手の事を考えているつもりが、ある意味ほとんど考えてないというのが、そ
>の後私にしては希なる熟考をして、やっと気づきました。まるで頭を殴られた
>ような衝撃でした。
>みなさんはこれに類似した体験はありますか?
最近、その逆の体験が多くてとまどっています。どうも、「相手の気持ちを
理解できている」という誤解を受けてしまっているのです。わたしは人から悩
み事を話された場合
(1)相手の話を聞く
(2)相手の話したことについて分からないことを質問する
(3)相手が話したことについて別の角度から考察する
(4)相手の話にあいずちを打つ
(5)相手の話に関心を持っていることをアピールする
といった行動をします。そのため、周囲の人間からは「他人に共感できている
」ように見えてしまうそうです。これは共感とは違う行動なんだということを
説明したいのですが、あまり理解されないみたいです。
どうも、「共感をアピールする」ということと「共感する」ということが混
同されてしまっているような気がします。
気が早いですが、食欲の秋が来ようとしています。
わしは「皿の上にある残ったオカズを、そのままにできない」タチです。
普段食事をしていても「残したらダメだ、もったいない」という意識が自然と働き、たとえ食欲がないときでも、皿の上のオカズは全部食べなければと思ってしまい、ムリしてでも食べてしまいます。
食べ物を残すことで「妙な罪悪感」を感じてしまうのです。
わしは大学時代、何度か飲み会に参加しましたが、そのとき出てくる大皿に盛られた料理は、まさにこの意識を強く感じさせるものでした。
大皿の上の料理を数人で取って食べますが、決まって若干の量が残ります。それを見ると、わしは皿を手に取って残りを食べずにはいられません。皿の上の料理の残りを手当たり次第に食べていっていたので、わしはいつも「飲むより食べる量のほうが多い」状態でした。
いわばわしは「オカズ整理要員」だったのです。
「出された食べ物は全部食べなければならない。」これがわしの意識下にある「不文律」です。
しかし、この話を親にしたところ、
「そんなことやめなさい。みっともない。」
と言われてしまいました。ムリしてまで残りのオカズを食べる必要ないと言うのです。
わしは残されたオカズに対し「もったいない」の気持ちがわいてきて、「オカズ整理要員」になるのです。そんなわしの行動は、どうやら「みっともない、恥ずかしい、品がない」と映っているようです。
そんなにわしの行動はヘンでしょうか?それならオカズを残した方がいいとでも言うのでしょうか?
食いもん粗末にすると「もったいないオバケ」が出るぞ〜〜〜〜〜〜〜。
(↑古いネタじゃなー)
食い意地の張った内容ですいません ミッドランド
Tien さんwrote:
>それは、「僕の事も少しは考えてくれよ。(-_-;)」と言う友人の叫びにも似た
>一言でした。
(中略)
>みなさんはこれに類似した体験はありますか?
>「越えて欲しくないボーダライン」を分かってもらうのは難しい。
Tienさんお久しぶりです。
私は逆に「人のことばっかりで自分の事は後回しにしすぎる」といわれました。彼らにとって私は「殉教者」みたいで、自分の人生を自分のために使っていないと見えるらしい。実際は違うとなんどもいっても、結局は分かって貰えないのを分かっただけでした。
「その人といると自分が安心する」だけじゃ駄目なんだろうか?
かおり
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