アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
Baca wrote:
>>
># 武田好史さんへ
>べつに武田さんに怒ってるんじゃないんだってば。
いえいえこちらこそ、無理に笑えなどいってすいません。
なんか「ちゅらさん」のエリーと同じ失敗をしてしまったようです。
Mr.Moto wrote:
> 日本国憲法・第二十七条には、『すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う』と書いてある。
「勤労の権利を有し、義務を負う」とはどういうことか?
憲法で勤労の権利を保障しているということは、その権利が脅かされる危険があるからということだろうか? たとえば、就業できる能力があるのに、何かの口実をつけて働かせないとか?
「すべての国民が勤労の義務を負う」というのもおかしな話である。たとえば資産家とか、宝くじが当たった人、投資や資産運用で資金を稼いでいる人までも、勤労の義務があるのだろうか? あるいは重度の障害者のように、働こうにも能力的に無理な人はどうなるのか?
納税の義務のように、本来義務というのは、それをしないと罰せられる(たとえば脱税すれば、みんなが税金を支払っているのに、脱税した人は国家からのサービスを代価なしでただ食いすることになり、犯罪であろう)とか、あるひとが誰かに先行して何らかの負債を負っている場合、それに値する行為をしなければならないような状態のことを指すものなのではないだろうか。
そもそも「国民」は何(誰)に対して「義務を負う」のだろうか?
> そんなわけで、非自発的失業者は、その「勤労の権利」を行使しえない状況に置かれているのだから、救済されるべき存在なのである。
非自発的失業者、つまり自分は働きたいのに就業できないというのも、厳密には正しくなかろう。そもそも仕事というものは働きたくて働くものではなく、働かざるをえないので仕方なく働くものではないか(お金を稼がないと生活できませんから)。
> 多くの人が仕事(より広い意味では、生産的な立場で社会活動に参加する行為)から「やりがい」「生きがい」を得ている。そうした人々は失業者や「引きこもり」の人々に嫉妬する理由はない。
> これに対して、自発的失業者や「引きこもり」の人間を声高に批判する人間の多くは、「仕事が楽しくもなければ辞めたくもない」という人間で、なおかつ「失業するのではないか」という不安を抑圧している人間である。まあ、そうした人間のメンタリティを取込んでそれを声高に叫ぶことで商売にしている評論家なんていう生き物もいるのだが、これは同じ穴の狢ということにしておこう。
失業者やひきこもりを非難する人たちは、嫉妬から発言しているというよりも、そうやって他者を批判することでかろうじて自分の位置を確認しようとしているのではないか。
(後略)
日本国憲法・第二十七条には、『すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う』と書いてある。
そんなわけで、非自発的失業者は、その「勤労の権利」を行使しえない状況に置かれているのだから、救済されるべき存在なのである。
多くの人が仕事(より広い意味では、生産的な立場で社会活動に参加する行為)から「やりがい」「生きがい」を得ている。そうした人々は失業者や「引きこもり」の人々に嫉妬する理由はない。
これに対して、自発的失業者や「引きこもり」の人間を声高に批判する人間の多くは、「仕事が楽しくもなければ辞めたくもない」という人間で、なおかつ「失業するのではないか」という不安を抑圧している人間である。まあ、そうした人間のメンタリティを取込んでそれを声高に叫ぶことで商売にしている評論家なんていう生き物もいるのだが、これは同じ穴の狢ということにしておこう。
「自分もいつ失業するかわからない」という不安を抑圧するためには、「ちゃんと仕事をする(ちゃんと仕事ができる)人間は、失業したりしない」といった精神の歯止めといったものが必要である。
ところが実際には経営者がヘタを打ったり取引先がパクられたりして ほとんど理由なく人間は失業するのであり、下手をすると有能であるがゆえに仕事に追い立てられて障害を負い、失業したあげく再就職もままならなかったりもするのである。
そんなわけで、そうした連中というのは、「あいつらはダメなのだ。だけどおれはちゃんとしているのだ。だからおれは大丈夫なのだ」とか訳のわかんないことを言いだすのである。「あいつら」というのが誰で、なにが「ダメ」で、どこが「ちゃんとして」いて、それがどうして「大丈夫」という結論に結びつくのかはまったく不明なのだが、とにかく理屈でも蜂の頭でも持ってきて「大丈夫」ということにしなければ治まらない。治まらないのだけれど治まるかといえばやっぱり治まらない。なにしろ、それが「気休め」「ごまかし」「自己欺瞞」であることを心の底ではうすうす気づいているからだ。
こうした病んだ連中が、自分らが勤労者の意見を代表しているような気になって失業者だの「引きこもり」の人間だのを攻撃するものだから、それに対する反撃というのが、彼らが代表しているつもりの人間のところに降りかかってきたりするのである。
つまり、こういう病んだ連中というのは軍事的に言ってみれば便衣隊、有り体に言ってスパイなのである。一般市民と紛らわしい格好をしてその中にまぎれこみ、「敵」と狙いをつけた相手に対して発砲する。反撃を受ける頃にはさっさと自分らは安全地帯に引っ込んでおり、攻撃を受けた一般市民はやみくもに反撃を行ない、けっきょく戦う理由のない人間同士がドンパチを始めることになってしまうのだ。
Maria wrote in 『いじわるについて。』(No.6681):
> あたしは、いわゆる「健常者」が自分をごまかして自分を正当化することを、
>自閉症方面の人間が理解してあげて、それを赦してあげる必要があるんだろう
>か、と思っちゃうんですね。だって、いわゆる「健常者」は、あたしたちに対
>してそんなに優しくないんだもの。あさかぜさんや青りんごさんやくるとさん
>みたいに(そして、あたしみたいに)、機能の上では「実質上の健常者」なん
>だけど、メンタリティとしては「障害者」の側に立っている人間としては、そ
>ういう『いわゆる「健常者」』というのが、二重に迷惑なんですよね。ぷんぷ
>ん。
Mariaのこの発言は、病んだ連中が『いわゆる「健常者」』の立場を代表すると称して行なう攻撃の被害を受け、同時に「障害者」の側からの反論も受け止めざるを得ない立場の人間としての発言である。
本人に直接質したわけでもないし本人が正直に答えてくれるかはまた別問題なのだが、武田さんやくるとさんは病んだ奴も病んでいない奴もひっくるめてそうした「攻撃」に対して「先守防衛」の態度を取っておられるようにお見受けする。Mariaも本来は同じ立場なのだが、
> いわゆる「健常者」は、いわゆる「健常者」に対して寛容です。「人間の
>弱さ」だとか「人間の哀しさ」だとかいった形で、お互いのわがままを正当
>化し、赦しあっています。そういう連中に、優しくしてやる理由があるのか
>なぁ、と思っちゃうんですよね。
> 自分をごまかして生きる人間は、決して幸せになれません。だったら人生
>のなるべく早い時期に、「自己欺瞞するんじゃねーよ」と思い知らせてやる
>のが親切というもの。あなたがたが正心に立ちかえれば、この世は神の国に
>なるのです。汝ら悔い改めよ、天の国は近づけり、げしげし、とかいって足
>蹴にしてやろうかしら、とか思ってしまいます。そういう奴は、口で言って
>も決して納得しません。だって、言葉というのは理性に働きかけるものでしょ
>う? そういう奴は、自分の理性をごまかしてるんだもの。やっぱり大脳旧
>皮質辺縁系とかに訴えてあげないと。
といった発言を見ると、病んだ連中を「彼らにふさわしく正当に遇して」やるべきだと考えている点でやや攻撃的である。こうなるとちょっとテロリズムの臭いがしてくる。
私はといえば、「スパイにはジュネーブ条約は適用されないから、たっぷりと拷問した上で見せしめに処刑してやればよい」という立場だ。ただし、この『アスペルガーの館の掲示板』に出てくるような輩は加害者側のメンタリティを取込むことでようやく自我を支えていうような奴ばっかりなので、Mariaがちょいと呪文を唱えるとたちどころに呪縛が解けてしまう。おれとしては出番がなくて物足りないことおびただしい。どうせなら「失業者どもや引きこもりの連中がなぜ人間のクズなのか」といった論陣を堂々と張ってくれる、十分に手強いディベーター(上祐・青山クラスではまったくの力不足である。苫米地もあかん)でも出てきてくれんかなぁ、と思う。
失業者や「引きこもり」を非難する連中は、せいぜい家庭を避けて職場に引きこもっているような連中なのである。「世の中はゼニ掴んだ奴がいちばん偉いんじゃあ!」と思っていることを素直に言えよバーカ、そのほうが楽だぜ?と言ってやったらよろしい。それ言うたらそういうバカ自身がゼニの奴隷で廃残者だということがよくわかる。
まともにとりあってイライラし、健康を害することもないと思うのだが。
(Mr.Moto)
Mr.Motoさん wrote:
> 私はカナリアだ。沈黙はすなわち死である。けれども、ただ鳴くだけでは仕方があるまい。
(カナリアの意味がMotoさんとは違っちゃうけど)
「カナリア」と「ひきこもり」で、下の詩を思い出しました。
さねよしいさこさんの詩(うろ覚え)です。
(著作権的にやばいのかな…掲示板に書いちゃうのは。そうだったら教えてください。削除するので。)
私が以前、かなりディープにひきこもっていた時、勇気づけられて繰り返し呟いていた詩です。(今現在も、ひきこもり中ですが。)(いや、「戦略的撤退」? ←Mariaさん、これいい言葉〜。)
私的な解釈。最後の「だいじょうぶ」っていうのは、無責任な「だいじょうぶ」ではなく、もっと決意とか信念を込めた言葉だと私は思います。「私はこのまま行くんだ、自分を信じる」みたいな。
でも私の場合、ちょと弱々しい信念かもしれないですが(笑)
自分に言い聞かせてる感じ。「きっと、大丈夫だから、大丈夫なはず」って。
なんとなく、武田さんへ。
あと、今までに歌えなくなったことがある全部の方へ。
わたし いま うたを忘れた カナリアだよ
でも カナリアだってことは 忘れないでいよう
そうすれば だいじょうぶ
くると(包括性LD) wrote:
>武田好史さんwrote:
>>私の特徴
>>身長178cm。
>>縮れ毛の髪。
>>青いチェックの半袖ワイシャツ・ジーンズ・眼鏡という服装。
>>早く来られれば、ドナ・ウイリアムズさんの「こころへの贈り物」を読んでいる。
>>
>>以上見つけておくれ!
>
> 了解!!ちなみに対抗してわたしの特徴を…
>
> なぜか「般若心経」が書いているTシャツを着ていて、ボロボロのメガネ
>をかけている。
おはようございます。
昨日今日と、少し涼しくて気持ちよい天気ですね♪
新宿オフ、わたしも参加します、参加者のみなさん
よろしくおねがいしま〜す。
服装は、まだ決まってない・・・
Baca wrote:
>>謝らんでいい、掲示板のルールとも関係ない
Mr.Moto wrote:
>という態度は立派だと思う。もちろん、オレンジブルーちゃんを『アスペルガーの館の掲示板』からいびり出>した、という汚名を着たくない、といった小狡い計算が……それほどなければの話だが。
そこまで考えておりません。
Mr.Moto wrote:
>武田さんがハズしまくっているというのはとりあえず事実として(事実なのか(^_^;))、「それは言わない約束でしょう?」みたいな暗黙の了解があるのもまた事実なのだ。そこにツッコミを入れる君も十分に顰蹙を買う程度にはハズしているということが認識できない点で、すでに武田さんを笑えない程度に十分にハズしているとは言えまいか。まして「SSRI の効き過ぎか?」は、Bacaちゃんの品性を疑われる以上の結果を生まないように思う。おれの知っているBacaちゃんはそういう人物ではなかったように思うが如何。
顰蹙を買うのは承知でした。「SSRI の効き過ぎか?」については品性を疑われても仕方がありません。仰る通りです。
しかし武田さんは、オレンジブルーさん wrote:
>引きこもりの人って、それこそなんだか我が侭に見えてしまう?。。。。
というような言葉に人一倍傷ついてきたはずです。
2001年2月13日
>あなたは甘えていると思います。
>あなたを支えている人たちがかわいそうです。
>あなたは、なぜインターネットができているのですか?
>あなたは、なぜ暖かい場所で眠れるのですか?
というある人の発言に対し、武田さんは「その通りです」というような趣旨の発言をしました。ぼく(tori)はそれが許せずに、「それは違うだろう」という趣旨の書き込みをしたのが、この掲示板との出会いです。武田さんは他にも「世の中の役に立ちたい」というようなことを何度か書き込んでいます。武田さんがどう考えようと、どのような発言をしようと一向に構いません。けれども、実際は人が働くのは自分の利益のためです。ですから、働いていないという理由で「人」を批判できるのは、「扶養者」を除いては他に誰もいないはずです。
自発的、非自発的に関係なく、失業者に対しては、個人の生活の質にまで立ち入って口出しできると考えている人には、「社会の役に立っていないのだから当然、贅沢するなどもっての他」と誤った思い込みがあると思われます。そしてその元にあるのは、おそらく嫉妬の感情ではないかと思われます。そのような理由から、働きたいが働けない非自発的失業者に対する上記のような発言は、決して許されることではないと考えます(自発的失業者に対しても同様ですが)。
No.7125 は、武田さんに対する精一杯の皮肉のつもりでした。
なぜならNo.7114 のような一連の怒りの発言は、武田さんのような人たちが必要とする「盾」であると思うからです。
No.7117 の武田さんの「ただどんなに落ちぶれようと、笑顔だけは忘れたくない」という言葉で肩透かしを食らったので、そのことを訴えたいと思い、あのような発言内容となりました。それと、武田さんに対して若干の怒りを覚えたことも、ここに付け加えておきます。
# 武田さん、そして他にも不愉快に感じられた方がいらっしゃれば、この場でお詫びします。
# 申し訳ありませんでした。
>「わからんかったら、あとは自分で考えろ!」という発言は、おれの視点から見れば甘えでしかない。「心の理論」をめぐるシュッツさんとMariaの論争を見てほしい。「わからんのなら、わかるように説明する」のが掲示板におけるありかただと信じているからこそ、ああいったねちっこい論争に発展したのである。
# オレンジブルーさんへ
このレスを読めば、No.7127 の発言の趣旨を理解していただけると思います。
わからなければ、その旨書き込んでください。お待ちしています。
# Tien さんへ
あなたの言葉は、本当に人を追いこみかねない。自分で窮状を選ぶ人間などいません。乱暴な言葉遣いは謝ります。ごめんなさい。
# Mr.Moto さんへ
何かわからない点があれば指摘してください。
# くるとさんへ
「引きこもり」とは、人生の一時期における身の処し方であるとぼくは考えます。したがって、社会問題ではあるけれど、それを理由に個人の選択に関して、他者が口をはさむことはできないと考えています。晩婚化を理由に、30歳以上の女性に一様に結婚・出産を強制することなどできないように。
# 武田好史さんへ
べつに武田さんに怒ってるんじゃないんだってば。
Bacaさん wrote:
>お前みたいに下見て優越感に浸ってる奴見ると
>日本は腐ってるなあ、と思うな
オレンジブルーさんは別に見下していた訳ではなく、単に事実誤認が
あっただけだと思いますよ。
要するにBacaさんが
(1)どの点において事実誤認があるのか?
(2)どの点において怒りを感じるのか?
を冷静に語ればいいことなのです。意見の異なる相手と同じ土俵に立た
ず、かたぱっしからののしっていく態度にはあまり賛成できません。
Bacaさん wrote:
>わからんかったら、あとは自分で考えろ!
より正確な議論が展開されるため、Bacaさんが理解するところの「引き
こもり観」を提示してください。そして、その「引きこもり観」がオレンジブ
ルーさんやTienさんや武田さんの「引きこもり観」とどの点において異な
っているのか提示すべきだと思います。
今の段階では他の方の「引きこもり観」は理解できましたが、Bacaさん
自体の「引きこもり感」が提示されていません。
Baca wrote:
>武田好史 wrote:
>>ただどんなに落ちぶれようと、笑顔だけは忘れたくない。
>
>だれもそんなこと言ってないやろ! (笑)
>あいかわらず、はずしまくりやな、きみは
>SSRI の効き過ぎか?
そう怒らないで下さいよ・・・
そうしないと、あなたの周りの人もあなた自身もますます傷つくだけですよ。
Bacaさんwrote:
>だれもそんなこと言ってないやろ! (笑)
>あいかわらず、はずしまくりやな、きみは
>SSRI の効き過ぎか?
勢いではなく論理で戦いましょう。一方的に相手を断罪しすぎています。
RES頂いてたの今ごろ気が付きました。
Mariaさん wrote:
>>
> 「言葉で考える」ことがイコール「考える」ことだとすると、「考える」ことはイコール記号の操作ということになっていまいます。まあ、確かに数式だとか化学式だとか楽譜のような表記体系・記号系というのは思考の道具として欠かせないものだから、ラカンあたりは(あとはウンベルト・エーコとか)そういうことを言いそうな気はします。
> ですが、それが全面的に正しいとすると、あたしたちは記号で表せないものを思考することはできないはずなのですが、あたしたちは言語によって表現しえないものを思考の対象としているがゆえに言語表現に苦労しているように思うのですね。
けど表現してしまえば言葉の羅列になってしまうじゃないですか。(笑)
>>
>>「自己」なんて言葉があるから「自己」が有ると思ってしまうんです。無いと思
>>えば無いものなんです。
>
> 唯識論まで持ちだした割にはわりと安易な結論のように思います。『概念としての「自己」に対する実体としての「自己」なるものは存在しない』という主張に矛盾はなさそうだから一応認めざるをえませんが、だとすれば般若経典でいうような、「世の中のすべての現象は、素粒子間の相互作用にすぎない」とかいったニヒリズム的な世界観に行きついてしまいそうに思います。
私は「自己」なるものが無いんだと言いたいんじゃないんです。言葉足らずでちょっと誤解されましたか。正確に言うと「在る」というのも「無い」というのも間違いじゃないかと思うんです。うまく言えないんですけどね。そのあたりは後日機会あればカキコします。
>
> で、こうしたニヒルな世界観においては、殺人と器物損壊を区別する必要はなく、あえて言うならその社会あるいは社会制度とのかかわり合いのみが問題となってしまうのですね。人間もしょせん元素の集合体でしかないのだから、「殺す」という行為も単に物理的な意味しか持ちえなくて、殺される側の「痛い」「苦しい」「死にたくない」といった感覚なり感情なりには実体がない、ということになります。
私はそういう意味ではニヒリストではないですね。
>
> あたしはこういう発想をする人とあまりかかわりたくないと思っています。そういう人はわりと簡単に自殺に走ってしまうから。
私は今のところ予定していません。
『「自己」なんてものはない』と信じる人間が自殺したところで、残された人間が泣いたり笑ったりする必要はない、と割り切れるほどあたしは人間が嫌いではありません。あたしにとって「あたし」という自己が存在するのは自明なのですが、「ない」という人にとっては「ない」のが自明なのでしょう。それは認めるしかありません。
>
> 「自己」の存在を信じるあたしとしてはMakichanさんに死なれたくはありませんが、その反面、本人の意志は尊重するしかないだろうなとも思います。
> そんな訳で、万が一にも自殺されるなら、たとえばロボットが壊れるように、なるべくあてつけがましくなく、しかも世間の迷惑にならないように死んでほしいと思います。そのかわりあたしもそういったニヒリストには「自己」なんていうものは存在しないのだ、思うようにするから。
もしその時がきたらそうしようと(つまり迷惑かけないよう)つとめます。
私はMariaさんとは随分ちがうなあとは実感してますね。一番違うと思うところは、私はMariaさんのように言葉にあまり信頼感もてないんですね。(と言いながら言葉に頼らざるを得ないんですが。)私がかろうじて心の拠所としているのは、自分の感覚であり直感みたいなものです。言葉は全て事後講釈だと思っています。感じるから在るので、感じなければ無いに等しい(私にとっては)。私は今の自分の生に漠とした曖昧なものしか感じられないんです。より確かなものを掴みたくって感じたくってもがいているんです。そのためにも不純な紛らわしいものを取っ払いたいんです。意識とか自我意識もそのひとつなんです。あぁなにをいっても言葉でしかないですね。
私はMariaさんからすれば随分と単純な人間にみえるでしょうね。(笑)
みどりさん wrote:
>普通のノズルのまわりにつけると、除去直後に雑巾がけしてくれるようなアタッチメントを作ったら売れるかしら。
雑巾がくっついてる(布がくっつけてある)ノズルもすでにあったような気がします。ははは、ざ〜んねん。
通販のテレビ見るのが好きな、るう
るう wrote:
>お友達がみせてくれたけど、例えば床の上なんかで使うと、汚れと水がまざったものが床の上にたまるの。あとは、結局自分で雑巾でふくみたい。「なら最初っから、雑巾掛けしろよ!」と言いたくなったけど、グっとこらえて「わ〜、すご〜い!」と驚いてみせたウソつきな私。
やっぱりそうなのね。でも浸けたりこすったりする作業がパスできるのはちょっと魅力的かも。
普通のノズルのまわりにつけると、除去直後に雑巾がけしてくれるようなアタッチメントを作ったら売れるかしら。
(まだ本体も買ってないくせにそんなことばかり考えている)
これは横レスなのだろうか。横から口を出してるけど、話題は横じゃない。
Tien wrote:
>ただ、決して自分の状態を人のせいにしてはいけないとは思います。
>自分で選んだら、自分で責任をとらないといけないのが人生だと思っています。
結果はどうやったって自分に降ってきますよね。(注: ひきこもりという選択の結果はむしろ「良いもの」である場合も多いとみどりは思ってますので、そこんとこ誤解のなきよう。)
なんでそこで「人のせいにしてはいけない」とか「責任」とか「許す許さない」が出てくるのだろう? (そもそも他人に責任とってもらうことなんて可能なんだろうか??)
で、この話題で思い出しました。私が以前原因不明の長患いをしたとき、みんな (というほど多くはないけど親しい人たちね) が、よってたかって原因を追及してくれました。
本人が「まあいいじゃないの」と言っても、「いやどこかに原因があるはずだ」で、「あれがいけないんじゃないか、これがいけないんじゃないか、これ試してみたら、これ食べるのやめてみたら、テレビでこういってたよ」などなどやってくれました。(当時ウツだったので、これはつらかった)
まあ私自身、最初はかなりあれこれと原因を追求していたのですが、今の考えは「病気になるのに原因はいらない」です。じゃあなにかというと、確率の世界を思い描いてもらえばいいかと思います。
まあ、発病のきっかけというのはあるかもしれない。でもそれは原因というわけじゃない。
その病気になる確率を上げる誘因行動もあったかもしれない。でもやっぱりそれは原因というわけじゃない。
そういう考えに至ったのは、周囲の原因追及 (言ってる方はすごく気軽なのに) がすごく嫌だったからなのです。
なんで嫌なんだろう、って考えたら、「病気には原因がある」の根底には、「病気になったのは私が原因となる行動をしたからだ」という発想があるわけで、それが嫌だったわけです。
まあ言ってる方はそんな意識はさっぱりないんだろうし、「因果応報」の考え方は逆境にある人には耐えがたいものだなんて、考えたこともないだろうと思うんだけど。
私自身もこの件があるまでは、なんとなく「病気には原因がある」ような気がしていたのですが、このときすごく嫌だったので、よくよく考え直したら、「原因がなくても病気にはなる」ことがわかったので、それですごくほっとしました。
少なくとも、現時点で原因追及が可能な病気の方が圧倒的に少数派だとわかったからです。
たとえばインフルエンザだって、インフルエンザウィルスが起こす病気だとまではわかっていても、それにかかってしまうのは、ウィルスとの接触 (日常生活との兼ね合いになる)、感染時とその後の免疫力 (これも程度問題)、気温や湿度(完全なコントロールは不可能) と、複合的な要因によって初めて「病気」になるわけです。
で、この考えをもう少し拡張して、私はいまは、「自分の現状にも特に原因はない」と思っています。
その時々でベストな選択をしてきても、結果はうまくいかないなんて、よくあることでしょう。逆もしかり。
だから、たとえいまひどく不幸な状態にあっても、それはその人がなにか間違ったことをしたという意味ではないのです。
「自分の選択」は、なにかの確率を変えることはできるけど、実際の結果は逆になってしまう場合もあるのよ、現象だけみて「本人の選択が悪い」なんて思うのはやめてよね、ということね。
Bacaさんwrote:
>だれもそんなこと言ってないやろ! (笑)
>あいかわらず、はずしまくりやな、きみは
>SSRI の効き過ぎか?
>お前はただ単に、「自分と一緒やない」ってことにムカついとるだけや
>わからんかったら、あとは自分で考えろ!
Bacaちゃんは幸せだのう。「自分のことを解ってくれない人がいる」ということにこれだけ怒りを表明できるのだから。おれなんか「自分のことを解ってくれる人がいる」ということを信じることにすら疲れておる(だからこそおれはJoshya氏やKILROYやMariaとは別人格なのだ)。とはいえ、
>謝らんでいい、掲示板のルールとも関係ない
という態度は立派だと思う。もちろん、オレンジブルーちゃんを『アスペルガーの館の掲示板』からいびり出した、という汚名を着たくない、といった小狡い計算が……それほどなければの話だが。
武田さんがハズしまくっているというのはとりあえず事実として(事実なのか(^_^;))、「それは言わない約束でしょう?」みたいな暗黙の了解があるのもまた事実なのだ。そこにツッコミを入れる君も十分に顰蹙を買う程度にはハズしているということが認識できない点で、すでに武田さんを笑えない程度に十分にハズしているとは言えまいか。まして「SSRI の効き過ぎか?」は、Bacaちゃんの品性を疑われる以上の結果を生まないように思う。おれの知っているBacaちゃんはそういう人物ではなかったように思うが如何。
世の中、解ってもらえないことのほうがたぶん多いのである。だったら、いちいち解らなかったら世の中は動かないかというとそうでもない。解らんことは解らんままに放っておき、とりあえず事務レベルで解決しようというのが大人なのだ。
「わからんかったら、あとは自分で考えろ!」という発言は、おれの視点から見れば甘えでしかない。「心の理論」をめぐるシュッツさんとMariaの論争を見てほしい。「わからんのなら、わかるように説明する」のが掲示板におけるありかただと信じているからこそ、ああいったねちっこい論争に発展したのである。
私はカナリアだ。沈黙はすなわち死である。けれども、ただ鳴くだけでは仕方があるまい。
(Mr.Moto)
I wrote:
> じっさい、あたしの才能、聖教ベースで十分喰ってけるくらいはあると思って
>んのよね。
正しくは、
> じっさい、あたしの才能、商業ベースで十分喰ってけるくらいはあると思って
>んのよね。
の変換ミスでございます。「聖教」に「しょうぎょう」という読みがあるとは……とほほほほ。
(Maria)
オレンジブルー wrote:
>以前、TVで観た「引きこもり」の人を見た時は、彼らは私から見ると、
>「ふつう」だったからです。
これや、言いたかったのは
だからどうした、言うてみい!!
「自分は働いてるのに、何であの人働かへんのやろ?」
そういうことやろ?
いつお前が人のために働いたことがあるんや
給料どこに入っとんねん? お前の銀行口座か財布の中やろ?
お前はただ単に、「自分と一緒やない」ってことにムカついとるだけや
わからんかったら、あとは自分で考えろ!
>どうも、私にはちょっとまだここの掲示板のルールが見えていないようだし?、
>退去します。
>すみませんでした。。。
謝らんでいい、掲示板のルールとも関係ない
オレンジブルーさんwrote:
>頑張ってもなんだかいつも息切れして報われないような私から見ると、
>引きこもりの人って、それこそなんだか我が侭に見えてしまう……
Bacaさんwrote:
>お前みたいに下見て優越感に浸ってる奴見ると
>日本は腐ってるなあ、と思うな
この件に関してはあたしに発言権がありそうに思います。
そもそも「引きこもり」って何なんでしょう?
「敗走」と「退却」と「撤退」が別であるのと同じように、単に社会活動(特に経済活動)に参加しないことをもって「引きこもり」と見なすわけにはゆかないのですね。
オレンジブルーさんは「身体を壊した」わけなんですが、うちのJoshyaさんは突発性拡張型心筋症を発症して、現在は身体障害者です。心臓の機能は正常時の四割しかありません。いきなり全力疾走とかしたら、ぱったり倒れて死ぬ危険性があります。
たとえばの話、「フリーター」にも二種類いると思うんですよね。匪族・山賊・野武士型のフリーターと、ゲリラ・非正規軍・浪人型のフリーターと。それと同じように、世間で「引きこもり」と呼ばれている人の中にも、「戦略的撤退型」ともいうべき人がいます。オレンジブルーさんは、家族との関係において、撤退が許されず、前線に追い立てられた立場だと思います。それに対して、Bacaさんは「戦術的撤退」をしたものの、戦略が見出せずに苦悩している立場のようにお見受けします。
『物理数学の直感的方法 難解な数学的諸概念はどう簡略化できるか』という本があります。あたしが持っているのは13版。理工学系専門書の中ではベストセラーです。で、この著者の長沼伸一郎さんは、戦略的撤退型。ベストセラーを「狙って出した」方です。
あたしの意識の上では、派遣プログラマーとしていちばん活躍していた時期こそが「引きこもり」でした。ただ目の前にある問題を片付けるだけの、自分のしていることの意味がよくわからない生活。確かに喜ばれはするのだけれど、所詮は人の尻拭いです。
それに対して、アプリケーション開発、それもその基礎になるアルゴリズム開発の時期というのは、状況としては引きこもりでしたが心理的にはもっとも積極的な時期でした。いままで誰も見たことのないものを創造し、それを製品化し、市場に躍り出る、ということを夢見て、三ヶ月ばかりマシンの前を離れませんでした。その結果がベストセラーでした。
ところが、時代は平成大不況。つかの間訪れた小春日和に芽を出した我々は、根こそぎ引っこ抜かれて食い物にされてしまいました。
気分でもの言ってるようじゃダメなのよ、みたいな気がします。宮本武蔵も言いました。「はやきという事はわろき事なり」。出るべきときに出て、退くべきときには退く。その判断について、他人がどうこう言うことはないと思うのですね。
「引きこもり」というから腹が立つ。「雌伏」だと思えばなんでもない。
そんなわけであたしは雌伏中。「押しつつ忍ぶ」という、「押忍」の精神。
あたしは『アスペルガーの館の掲示板』のMariaで終わる気はありません。というより、そこで終わってしまっては困る、というひとがあたしを支えてくれているわけです。あたしの才能を、使い果たしてから死にたい。そのために、今はあたしの人生において、しなければいけないことを、する。その結論が、世間から見れば「引きこもり」にしか見えない生活なのは、しかたがないと思っています。
じっさい、あたしの才能、聖教ベースで十分喰ってけるくらいはあると思ってんのよね。だけど、あたしはこの場所をあたしの出発点として選んだのよ。自分がASだっていうのも解ったし、あたしが為すべき仕事がここにある、と思ってます。それを放ったらかして他のことをしても、身が入んないのよ。
だから、あたしは「引きこもって」ます。『「どっちでもいいこと」が決められない』が一般書籍として流通に乗るようだったら、それを株券として発売してもいいかなー、と思ってます。まず、原稿をメールで送付して、それを読んで、それが売れるか売れないかを判断して(あるいは、「こういう本こそが売れるべきだ」という思いをこめて)、そこに賭ける。で、出資したぶんに比例して、印税からの配当がある。面白いでしょ?
経済活動からちょっと離れたところに身を置くと、「儲けなくていい」という自由が手に入ります。経営者は、出資者に対して責任がある。従業員は、経営者に対して義務がある。だけど、あたしは「利益を上げる」ことから自由です。
たとえばの話、『「どっちでもいいこと」が決められない』のドラフト版の印刷にはいくばくかのお金がかかります(全体でせいぜい数十万円ですが)。で、その下稿を読んで、それに対して意見を言い、最終稿を受取る権利を無償で提供し、「読者からの感謝のお便りを独占的に読む権利&万一儲かった場合に配当を受取る権利」を提供する、とかいったら、「その話、乗った!」というひとはいそうに思います。だけど、そこんとこは今のところ著者であるあたしの独占的権利。いーだろー、へっへっへー。
そんなわけで、あたしは「わがまま」と言われることに対する抵抗はだいぶ減りました。だって、わがままなんだもん。これは、『ふたりで聖書を』のマリアちゃんであり、『アスペルガーの館の掲示板』のMariaさんであるあたしにしかできないことだから。
ただ、「引きこもり」って差別語だなぁ、というふうには思うようになりました。制度から離れ、「自分」というものを築いてゆくことを「引きこもり」の一言で片づけてほしくないとは思います。
……ただ、これだけは言っておきたいと思います。下手に将来のことなんか考えちゃだめだよ。それは「焦り」につながります。結論を急ぐと、目先のつまんないものに飛びついて、痛い目にあいます。
自分を見つめる時間は、誰にでも必要です。で、その期間や形は人さまざま。その状態にある人を、「引きこもり」とひとくくりにして追いたてる風潮には、確かに問題があります。
人生は、畢竟自分のもの。そこんところは見据えて生きましょう。
(Maria)
武田好史 wrote:
>ただどんなに落ちぶれようと、笑顔だけは忘れたくない。
だれもそんなこと言ってないやろ! (笑)
あいかわらず、はずしまくりやな、きみは
SSRI の効き過ぎか?
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