アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
シンタロウ wrote:
>昨日、僕のお母さんが「アスペルガーの館は役にたたん書き込みばっかりだ、話が偏ったものばかりだ、こんなの実生活に何の役にも立たない、」と言ってました。
ご自分の利益を最優先に考えられたのではないでしょうか。
間違っていたら、ゴメンナサイ
武田好史 wrote:
>株価バブル後最安値続々更新1万円割れ近し・・・
>失業率5%以上・・・
>引きこもり120万人・・・
>鬱病大国・・・・
>・・・
>これが最近の日本のワースト記録だってさ!
>こんな日本だけど、すこしでも良いから明るく生きていよう。
>そのうち幸せがやってくるから・・・
おじゃまします。
生産性を求めすぎず、まじめに働いている人に
不幸がおとずれない、そんな世の中になってほしい。
Mr.Moto wrote:
> シュッツくん、きみは雰囲気が読めていないように見えるぞ。
ここで雰囲気を読むことを求めること自体が「雰囲気が読めていない」ことになるでしょう。
> 「ルーズベルト大統領閣下が、『日本人は馬鹿だ』とおっしゃっていました」
>というのと、
> 「ルーズベルト大統領が、『日本人は馬鹿だ』と言っていた」
>では、伝わるものが違うのだ。前者ははっきり日本人に対する侮辱である。でなければ皮肉であるが、それが皮肉だとしても後に続く文章を読まねば皮肉だということは分からない。したがって、これだけの文章なら、これは単なる侮辱以外の何物でもない。
「侮辱」したのはルーズベルトですか、伝えた人ですか。
> それに対して、後者は怒りないし抗議の表明である。さらに怒りを明確にしたければ、
> 「ルーズベルトの糞ったれ野郎が、『日本人は馬鹿だ』とほざきよった」
>くらいの表現が適切であると思う。もっとも、やや冷静さを欠いた表現と受取られるだろうが。
「怒り」を持っているのはルーズベルトですか、伝えた人ですか。
二つの文で整合がとれていません。
また、後者の文章にしても、この範囲内だけで前者と区別するのは難しいことです。
「世間」では簡単に区別できるのかもしれませんが。
> そんなわけで、
>
>>「情報提供」と考えればいいでしょう。
>
>というのも、また侮辱と受取られる可能性を内在しているのである。なんとなれば、誰かが私のところにやってきて、「私のお母さんが、あなたはバカだとおっしゃっていました」とか言われ、それを誰かに話したら「それは『情報提供』と考えればいいでしょう」と答えたとすると、それは「あなたが他人によってバカだと判断される可能性について考慮することをお薦めします」という意味になる。
一方的な見方ですね。
「バカだと判断するなんておかしいですね」
「バカという言葉を平気で言う人をどう思いますか」
さらに前の状況によっては
「(あなたは私のお母さんのことを知りたがっていましたが)こんな人です」
「(あなたは自分がどう見られているか知りたがっていましたが)こういう例があります」
> 「『偉大なる領袖・金××様は、」以降、「おれは疑問を感じる。」までは、「受けとった情報を他者に伝える場合においても、そこにおのずと伝達者の立場の表明というものがすべり込んでくる場合が存在し、そのことはしばしば感情的にデリケートな問題に発展するがゆえに、その自覚を持つべきである」ということを、理解しつつも真摯に受取らない連中に言っておるのだ。
「情報提供」とは:
「ここにこのようなデータがある、これに基づいて、その中身(あるいは裏側)を調べなければならない。
データの主体に問題があるようなら、対処法を考えなければならない」
とい立場の表明です。
> で、そこより後は、「私は言っただけだ」「私は言われた通りにしただけだ」みたい相互無責任構造に寄っかかってる連中は、共犯者として同罪とみなせ、あるいはみなされることを覚悟せよ、と言うとるのである。
もしこのような意味を持った伝達であれば、一般には「無責任」という言葉でくくられてしまいますが、もとの発言者に多少なりとも同意するという立場を含んでいて、「情報提供」とは違うものです。
さて、シンタロウさんの立場はどうかというと、もちろん本人しか分からないことではありますが、「お母さん」に代表される「世間」の意見を「情報」として提供することによって、それを糾弾する、あるいはそこまで強くなくても疑問を投げかける、という立場が読み取れます。
さらにもう一つ。
「100mを20秒で走る」ということは多くの人にはできても、足の悪い人にとっては無理なことですが、「全力で走れ」であれば、他の人から見れば遅くてもその人なりの最速の意味で可能です。
同じことが掲示板での発言についても言えるでしょう。
他の人からは足りないところの多い発言ではあっても、その人にとっては精一杯なのかも知れません。
実際、私にはシンタロウさんの記事は十分に精一杯書いているように感じられますし、それを通じてシンタロウさんの考え方や状況などの一端も見えるような気がします。
それが正しいかどうかは分かりませんし、受け取り方は人によって違うでしょうけど、少なくとも辛い状況の人に追い討ちをかけるような、いわゆる「死者をむち打つ」ような非難はするべきではないと思います。
>>> 私はヌルい書込みが嫌いだ。
>
>>個人的に好き嫌いがあるのは仕方ないですね。
>>ただそれが掲示板の性質を決定することはないです(管理人を除く)。
>
> 私は「ヌルい書込みが嫌いだ。」と言っておるのだ。「ヌルい書込みをするな。」とは言っておらん。シュッツくんの発言は、私が個人的な好き嫌いによって掲示板の性質を決定しようとしている、という可能性を示唆しているように私には受取られる。
実際に示唆しているかどうかによらず、そう受け取られても仕方のない書き方をしています。
そうみなされることは覚悟して下さい。
I wrote:
> 高校生であるならば、「僕のお母さんが」ではなく、「僕の母が」くらいの
>日本語は使えそうに思う。
シュッツくん wrote:
>別にいいんじゃないでしょうか。
>「社会的常識」という意見もあるでしょうが、それが度を過ぎると「言葉狩り」
>に発展する危険もあります。
>少なくとも、ここでの使用環境条件では許容範囲でしょう。
シュッツくん、きみは雰囲気が読めていないように見えるぞ。
「ルーズベルト大統領閣下が、『日本人は馬鹿だ』とおっしゃっていました」
というのと、
「ルーズベルト大統領が、『日本人は馬鹿だ』と言っていた」
では、伝わるものが違うのだ。前者ははっきり日本人に対する侮辱である。でなければ皮肉であるが、それが皮肉だとしても後に続く文章を読まねば皮肉だということは分からない。したがって、これだけの文章なら、これは単なる侮辱以外の何物でもない。
それに対して、後者は怒りないし抗議の表明である。さらに怒りを明確にしたければ、
「ルーズベルトの糞ったれ野郎が、『日本人は馬鹿だ』とほざきよった」
くらいの表現が適切であると思う。もっとも、やや冷静さを欠いた表現と受取られるだろうが。
そんなわけで、
>「情報提供」と考えればいいでしょう。
というのも、また侮辱と受取られる可能性を内在しているのである。なんとなれば、誰かが私のところにやってきて、「私のお母さんが、あなたはバカだとおっしゃっていました」とか言われ、それを誰かに話したら「それは『情報提供』と考えればいいでしょう」と答えたとすると、それは「あなたが他人によってバカだと判断される可能性について考慮することをお薦めします」という意味になる。
世間ではこういうのを「失礼」だということになっているようである。シュッツくんが知っているか知らないか知らんが。
>> 『偉大なる領袖・金××様は、
(中略)
>>親として、子として、「試される」というのは悪くなかろうと思う。
>この部分は、誰に向けて書いた言葉かが分かりにくいのですが。
>シンタロウさんなのか、お母さんなのか。
「『偉大なる領袖・金××様は、」以降、「おれは疑問を感じる。」までは、「受けとった情報を他者に伝える場合においても、そこにおのずと伝達者の立場の表明というものがすべり込んでくる場合が存在し、そのことはしばしば感情的にデリケートな問題に発展するがゆえに、その自覚を持つべきである」ということを、理解しつつも真摯に受取らない連中に言っておるのだ。
で、そこより後は、「私は言っただけだ」「私は言われた通りにしただけだ」みたい相互無責任構造に寄っかかってる連中は、共犯者として同罪とみなせ、あるいはみなされることを覚悟せよ、と言うとるのである。
>> 私はヌルい書込みが嫌いだ。
>個人的に好き嫌いがあるのは仕方ないですね。
>ただそれが掲示板の性質を決定することはないです(管理人を除く)。
私は「ヌルい書込みが嫌いだ。」と言っておるのだ。「ヌルい書込みをするな。」とは言っておらん。シュッツくんの発言は、私が個人的な好き嫌いによって掲示板の性質を決定しようとしている、という可能性を示唆しているように私には受取られる。
世間ではそういうのも「失礼だ」ということになっているようである。シュッツくんが知ってるか知らないか知らんが。
(Mr.Moto)
みちるさん、
↓の書き込み、批判するような文章になってしまい
申し訳ありません。
「健常」という言葉に異常反応してしまいました。
「健常」という言葉で、
「あなたの為を思って」と言って、
私の心に土足で入ってきて踏み荒らした親を
思い出してしまいました。
「あなたに良いと思ったから、そうしたのよ」と
言いながら、私の友達を平気で傷つけていた親。
いくら話しても、
「世間ではこれが常識でしょ」
「何ならこの辺の人みんなに、あなたと私のどっちが
正しいか聞いてきなさい。みんなお母さんのことが
正しいと言うに決まっているから」と、
何もわかってはくれませんでした。
今はそういう親の気持ちもわかりますが、
当時は本当に悲しかったものです。
いくら言ってもわかってもらえないこともあります。
傷つくのが怖いから、秘密にしたいのです。
自分が「健常」だと思ってる人には特に。
>健常者の母としてひとこと。
自分のことを健常と言えてしまうのはどうしてですか?
そういう感覚が、子供さんを追い詰めるのでは?
私は健常、あなたは(反対語として)異常・・・、そういう感覚ではなくて、
もう少し違う視点で考えてみられたらどうでしょうか。
あなたも多分、障害とは言えないまでも、弱い部分がおありでしょう。
そういう視点から発せられる言葉の方が、
子供さんや私達の心に届くと思います。
るおうさん wrote:
>私も最初,女性かなとおもっていました。柔らかいのだろうか。。
これはぺりこさんへのコメントにも書いた通り、他の発達障害系
のサイトでは「コメントがどぎつい」と言われることがあります。
あと、これは不思議に思っていることですが、わたしが抱えてい
た自閉的な困難は女性のASによく見られるようです。自閉的な特
徴をうまくカモフラージュできてしまうところなんかはちょっと似
ているのかも…。
ののさん wrote:
>今ちょっと思ったんですが、一人称の「わたし」というのが、ひらがなで柔ら
>かいイメージで、女性を連想させるのかも…???(自信ない)
なるほど。口語の方では「おれ」とか「わし」という一人称を使うのですが、
なぜか文章では「わたし」と書いていますね。たぶん、外国語を勉強していた時
に1人称「わたし」を使う癖がついて、それを文章でも使うようになったんだと
思います。
お久しぶりです、ぺりこさん。
ぺりこさん wrote:
>強いて言えば、くるとさんは言葉遣いが丁寧で、人に意見するときも物腰が柔
>らかそうに感じられるから、女性と間違えられるのかもしれませんね。
中学生の時に担任の先生から「友達に対しても丁寧語で話しかけるから不思議
だ」と指摘され続けてはいました。丁寧というよりは相手によって言葉を使い
分けるのが苦手だったんです。今もその名残があるのかも???
あと、不思議なのはこちらの掲示板では「コメントがソフトだ」と言われるの
ですが、LD関係のサイトでは「グサッとくるようなコメントが多い」と言われ
ることです。(笑)それほど文章は変えていないはずなのに…。
シンタロウ wrote:
>昨日、僕のお母さんが「アスペルガーの館は役にたたん書き込みばっかりだ、話が偏ったものばかりだ、こんなの実生活に何の役にも立たない、」と言ってました。
健常者の母としてひとこと。
気にしないこと。
お母様がおっしゃっているのは、正論です。普通のお母様なら心配しておっしゃるでしょう。普通の立派なお母様だと思います。
私も昔、詩を書いていたら、こっそりみられて「少女趣味ねえ」と言われ、深く
傷ついたことがあります。
でも、今母になってみると、いったい何を考え、何を見つめているんだろうと
母親というものは気になるものなのだとよくわかりました。
なぜなら、こどもは自分を確立していないから、悪にも善にも染まれるものだから。こどもというのは、勝手にさせておくのはいけない存在だと思っています。
もちろん社会人になれば別でしょうが、高校生のうちはそりゃ文句言う口がいくつ
あってもたりませんよ。
曲がりそうになったら身体を張ってでも、なおさねば・・・。と思っています。
もちろん、命はってでもと思っています。
そうやっていつもアンテナをはっているものなのですよ。
今姪が高校3年で、親としょっちゅうやりあっています。
親も親として言わねばならない。子も子として言わなくては立つ瀬がない
というところで、仕方がないのですよ。かならずとおる道ですから。
でも、それは親の愛情ですよ。今はわからないかもしれないけど。
シンタロウクンがなにを考えているのか、お母様はわからないのかもね。
だから心配で、一石を投じてしまったのかも。
実生活に役立たなくても、僕はここで癒されているんだと、言ってみてはどうですか。そこから自分の苦悩をわかってもらえるチャンスになるかも。
私もそうなんだけど。ADHDの子供をもったり、ASの子をもったりしている健常者の
母はたいへんだと思います。沢山精神的に辛い思いをしてきています。
この子はなぜこうなの。と思いつつ守らねばならないことが沢山あって、
社会のなかで何とかやってもらうためにはどうしたらいいのか。
いつも戦っています。
お母様もお母様なりに思うところあり・・・。なのでは。
ところでシンタロウくんのお母様って何歳?
私とあまり変わらなかったりして。
親のいう事は気にせず、又そのことで言われたら、話し合ってみたらどうですか。
みちることなおみの夢
るおうさん wrote:
>20歳くらいの時せっかく大人になって離れられたのに、日記には必ず、そいつのことが書かれていました。よっぽどひどかったんでしょうね。今は私ノ脳もかなりいってしまって、、なんだかそんな記憶くらいです。。
私もみどりさん同様、忘れたほうがいいよとかそんなやつらには関わるなとかいうアドバイスを差し上げたいのですが、るおうさんのなかでは解決できないでいるわけですから、きっと何年かかっても考えは堂々めぐり(字はあってるでしょうか?)になると思います。いつもいつも同じことを考えているのでシナプスも増強されて、嫌なことばかりが長期記憶になっているでしょう?そしていくらこの掲示板で吠えたところで、その人達には伝わらないし、謝ってもらえることはないでしょう。
そこでひとつ思ったのですが、一度、第三者を加えて話をしてみたらいかがでしょうか?法律関係の人でもいいと思います。まず、あなたが被害を受けたと感じている事柄をはっきりと相手に認識していただきましょう。そしてそのうえで「あなたにして欲しいことはそれを罪と認めて謝罪してほしいことだ。」ときちんと伝えて理解していただましょう。お互い感情的になって言いあいするのは、すでに散々してきているみたいなので、違うやり方でやってみましょう。
でもそれだけではおそらく解決できないでしょう。相手も素直に謝るとは限らないし。あなた自身も相手がどういう考えでそこに至ったのか、知らなくてはいけないと思います。そうすることで、あなたも少しは納得できるのでは?と思います。(長いこと恨んできたのだから簡単には無理でしょうが。)
重要なことはあなたの怒りがおさまる方向に持っていくことです。相手が謝罪することを期待するよりも、あなたの中で相手を許すことができればそれで十分だと思うのです。このままいってもドロヌマから一生抜け出せないでしょう。人生終わる最後の一瞬までるおうさんが人を恨んでいそうで、それは悲しいことだと思います。
↑なんだかすごく偉そうに書いてしまっていますが、るおうさんの気持ちがラクになれるといいなと思います。
Mr.Moto wrote:
> 高校生であるならば、「僕のお母さんが」ではなく、「僕の母が」くらいの日本語は使えそうに思う。
別にいいんじゃないでしょうか。
「社会的常識」という意見もあるでしょうが、それが度を過ぎると「言葉狩り」に発展する危険もあります。
少なくとも、ここでの使用環境条件では許容範囲でしょう。
> さらに、その内容たるや、「アスペルガーの館は役にたたん書き込みばっかりだ、話が偏ったものばかりだ、こんなの実生活に何の役にも立たない」とかいったものであって、「『アスペルガーの館の掲示板』の書込みにはいつも胸のすくような感じを受けています。専門的なお話にはほとんどついてゆけず、実生活に役立てるといったところまでは至りませんが、大きな心の支えになっています」とかいった心温かなメッセージではまったくないのである。こういうメッセージなら一方的に投げつけられたところで義祝儀というかお捻(ひね)りというか、そうしたものと同じように「もっとやれ」といった形で我々も対処できるのである。ところが、ただ「役にたたん」とか「話が偏ったものばかりだ」とか言われても困るのである。「手羽先と冬瓜のスープ」の作り方が役に立たんというのなら焼餃子や麻婆豆腐の作り方をアップすればいいのか。話が偏っているのなら必ず反対意見もアップすればいいのか。そういうものでもあるまい。
>
> それでもこの文章に続きがあって、それについて自分がどう思ったとか、具体的にどこがどういかん、というのならまだ話もわかる。ところがこれが言いっぽなしである。後頭部にどこから投げられたか分からん石がゴツンと当たったようなもんだ。
「情報提供」と考えればいいでしょう。
「障害に対する社会の目」を調査する上でのデータの一つという役割を果たしています。
“健常者”が“障害者”に対して、その実態を理解できないために自分の価値観を押し付けようとする態度をとることがあります。
真意は違うのでしょうけども、結果的にそれと似たことを書いているように思えます。
> 『偉大なる領袖・金××様は、
(中略)
>親として、子として、「試される」というのは悪くなかろうと思う。
この部分は、誰に向けて書いた言葉かが分かりにくいのですが。
シンタロウさんなのか、お母さんなのか。
> 私はヌルい書込みが嫌いだ。
個人的に好き嫌いがあるのは仕方ないですね。
ただそれが掲示板の性質を決定することはないです(管理人を除く)。
Mr.Moto wrote:
>シンタロウくん wrote:
>>昨日、僕のお母さんが「アスペルガーの館は役にたたん書き込みばっかりだ、
>>話が偏ったものばかりだ、こんなの実生活に何の役にも立たない」と言っ
>>てました。
> その内容たるや、「アスペルガーの館は役にたたん書き込みばっかりだ、話が偏ったものばかりだ、こんなの実生活に何の役にも立たない」とかいったものであって、「『アスペルガーの館の掲示板』の書込みにはいつも胸のすくような感じを受けています。専門的なお話にはほとんどついてゆけず、実生活に役立てるといったところまでは至りませんが、大きな心の支えになっています」とかいった心温かなメッセージではまったくないのである。
> それでもこの文章に続きがあって、それについて自分がどう思ったとか、具体的にどこがどういかん、というのならまだ話もわかる。ところがこれが言いっぽなしである。後頭部にどこから投げられたか分からん石がゴツンと当たったようなもんだ。
Mr.Motoが、わたしの言いたいことをほとんど言ってくださったので、付け加えることもないと思ってはみたものの……。
「僕のお母さんが〜(中略)〜言ってました」の、その先はどうしたのシンタロウくん? 自分はどう思ったの? 何を感じたの? わたしはそれが知りたいな。そうすれば、コメントのしようもあるから。
> 「相手が不快になるような行動」を、「その責任を引き受けることなく遂行する」ことに対しておれは疑問を感じる。
> 親としての覚悟が足りないと子供が不幸になる。その自覚のない親はバカヤロウであるし、いい年をしてその親のメンタリティにどっぷり漬かって思考停止し責任回避している子供もバカヤロウである。
怒ってますね。
「親としての覚悟」が足りない人とか、何かはきちがえている人は、世の中に掃いて捨てるほどいますね。自分がその中の一人にならないためには、学び続けるしかない。我が子から教わることは数多いです。
親子は互いに教える・教えられる関係でもあります。なまぬるくないです。少なくとも、わたしはそう思っています。時として、全存在を賭けて激烈に戦うこともあるんだよ〜ん。
Mr.Motoにコメント書くときは緊張しますなー。心臓がドカドカ言い出したので、これにて失礼をば致します。
みどりさんありがとうございます。
みどり wrote:
>論理的な思考力がないのかもしれません。これらの、るおうさんが当然のように備えているまっとうな能力を、彼女はたぶん持ち合わせていないのです。
それにカンして悩んでいました。もしかしてそれだから通じないかと。。
その人は50代です。
思いをするのはるおうさんです。それに、人は普通、歳を経るごとに頭が固くなります。今までムリだったのなら、どんどん言葉は通じなくなってゆくばかりです。
>
そうですね。カのジョはもうおばあちゃんと呼ばれています。
>あなたを傷つけるばかりの相手と何度もやりあうなんて、るおうさんの時間と感情がもったいないです。せっかく大人になって、自分から離れられる状態になったのですから。
もったいないです。自分ももうかなり命をすり減らしてしまったので、身体もぼろぼろです。もっと早くにそうなっていれば私モ救われていたのですが。
>あなたを傷つけた相手を、更正させてあげる義理はありません。それに、たとえいまさら心から反省されたとしても、過去が返ってくるわけではありません。
戻ってきません。未来も。。
># そうは言っても、私にも「どうしても許せない」相手がいる。5年かかってやっと、「ときどき忘れる」ことができるようになった。いったい解放される日はくるのだろうか。
やっと忘れたのに相手が、反省していないことを?知って、たちなおれていません。
生まれた時からずっとです。虐待ですから。。もう30年以上下手をすると40年ちかくひきずっていることになります。。どうしようもなく身動きが取れず。。
私の家族も崩壊しました。そいつらの家族によって。。
るおう wrote:
>またどう捉えて良いのかわからないことがありました。
「困ったちゃん」が近くにいると、特に子供のころに目上の立場としていられると、ホント大変でしょうね。
私は一度っきりの相手とのやりとりであっても、10年単位で怒りや哀しみを持ちつづけてしまう性格なので、もし子供の頃にそういう相手に始終そばにいられたらと考えただけでこわいです。
でも、他人ごとであるのを承知の上で、私の意見を言わせてください。
もしできるのならば、許してあげてください。できることなら、これがいちばんるおうさん自身も楽になるのではないかと思います。
とてもじゃないけど許せないと思うなら、哀れんでもいいです。彼女はきっとそういう人なのです。謝ったり反省したりする能力がないのかもしれませんし、論理的な思考力がないのかもしれません。これらの、るおうさんが当然のように備えているまっとうな能力を、彼女はたぶん持ち合わせていないのです。
許すのも哀れむのもムリだと思うなら、極力相手とは離れてください。直接話をしないようにしてください。彼女に反省を求めてもムダです。同じ日本語を話していても、実は言葉が通じていないように思います。話そうとするたびに、結局悲しい思いをするのはるおうさんです。それに、人は普通、歳を経るごとに頭が固くなります。今までムリだったのなら、どんどん言葉は通じなくなってゆくばかりです。
あなたを傷つけるばかりの相手と何度もやりあうなんて、るおうさんの時間と感情がもったいないです。せっかく大人になって、自分から離れられる状態になったのですから。
あなたを傷つけた相手を、更正させてあげる義理はありません。それに、たとえいまさら心から反省されたとしても、過去が返ってくるわけではありません。
# そうは言っても、私にも「どうしても許せない」相手がいる。5年かかってやっと、「ときどき忘れる」ことができるようになった。いったい解放される日はくるのだろうか。
シンタロウくん wrote:
>昨日、僕のお母さんが「アスペルガーの館は役にたたん書き込みばっかりだ、
>話が偏ったものばかりだ、こんなの実生活に何の役にも立たない」と言っ
>てました。
> あーそーかよそりゃよかったなそれがどうしたバカヤロウ、みたいな気分
>だがとりあえず続行。
ひま人さん wrote:
>なぜ「バカヤロウ」なのでしょう?
シンタロウくんはたしか高校生だと思ったが、それは本質的ではない。掲示板に出てくる奴は年齢・性別・職業その他で差別はされんのである。山崎努が出ているプロバイダのCMで、「なんと! お師匠様は小学生であられましたか。」というのがあったが、これこそが本質なのである。そんなわけで、シンタロウくんは一応大人であるという前提において話を進める。
高校生であるならば、「僕のお母さんが」ではなく、「僕の母が」くらいの日本語は使えそうに思う。
さらに、その内容たるや、「アスペルガーの館は役にたたん書き込みばっかりだ、話が偏ったものばかりだ、こんなの実生活に何の役にも立たない」とかいったものであって、「『アスペルガーの館の掲示板』の書込みにはいつも胸のすくような感じを受けています。専門的なお話にはほとんどついてゆけず、実生活に役立てるといったところまでは至りませんが、大きな心の支えになっています」とかいった心温かなメッセージではまったくないのである。こういうメッセージなら一方的に投げつけられたところで義祝儀というかお捻(ひね)りというか、そうしたものと同じように「もっとやれ」といった形で我々も対処できるのである。ところが、ただ「役にたたん」とか「話が偏ったものばかりだ」とか言われても困るのである。「手羽先と冬瓜のスープ」の作り方が役に立たんというのなら焼餃子や麻婆豆腐の作り方をアップすればいいのか。話が偏っているのなら必ず反対意見もアップすればいいのか。そういうものでもあるまい。
それでもこの文章に続きがあって、それについて自分がどう思ったとか、具体的にどこがどういかん、というのならまだ話もわかる。ところがこれが言いっぽなしである。後頭部にどこから投げられたか分からん石がゴツンと当たったようなもんだ。
『偉大なる領袖・金××様は、「日本は米帝の手先であり、あらゆる手段をもって利用し征服すべき対象である」とおっしゃいました』みたいなことを言われて日本人がどう思うか、みたいなことに思いを馳せない○○人(←伏せ字にすりゃあいいってもんでもないが)は、日本人にバカヤロウと言われて当然である。つまりは健常者の価値観を障害者にぶつけておきながら、自分自身は価値判断にかかわらない、といった態度は被害者である障害者にとって非常に腹立たしい、ということだったりするのである。
「相手が不快になるような行動」を、「その責任を引き受けることなく遂行する」ことに対しておれは疑問を感じる。とはいえそれを言ったら警察官なんかはどうなるんだぁ、みたいな話になるのだが、そうした「判断の保留」を余儀なくされる相手に対しては、価値観や行動原則についての押しつけをする場合、その責任は押しつけた側が引き受けなければならないと思うのだな。
とはいえムチャクチャな方法で子供を育てておいて、子供がトラブルを起こしたら「本人のやったことだ。私には責任はない」とかいう親は多いのだが。そういえば宅間容疑者の父親もそんなことを言っていた。
ついでながら、中国(台湾はいちおう除外する)にとって日本は「敵」である。中国人はそういう教育を受けて育っているのである。したがって、中国人が日本国内で「犯罪」を働くのは、敵国日本に対する攻撃でしかなく、まったく罪悪感というものがない。そんなわけで同じ中国人に対して得々と「戦果」を自慢して掴まっていたりするバカもおるのである。そんでもって、彼らは歴史教科書で教わった「日本軍が行なった残虐行為」に相当する行為を被害者に対して行なって、溜飲を下げるのである。そんな訳で、中国系の犯罪者は、「日本人の被害者をなぶり殺しにする」というのが犯罪の目的の中に組みこまれていたりするのである。
このように基本的なメンタリティが異なった相手を日本の法律で裁くことに意味があるようには思えない。このさい鋸引きでも釜茹ででも磔でも火炙りでもしてやったらどうか、とときどき思う。
親としての覚悟が足りないと子供が不幸になる。その自覚のない親はバカヤロウであるし、いい年をしてその親のメンタリティにどっぷり漬かって思考停止し責任回避している子供もバカヤロウである。「いや、親が悪いのだ」ということならば連座制を復活させればよい。そんな子供を育てた親にも責任はあるだろうし、そんな人間に育てられた子供だってろくな子供ではないだろう。だったら泣き叫びわめき散らし命乞いをする家族がひとりひとり処刑されるのを存分に見せつけた上で殺してやるとかいう場面を公開してやりゃあいいのだ。そうすれば「子供をちゃんと育てる」という覚悟が世間に広まる。親がマジになれば子供だってそうそうムチャはできなくなる。「廃嫡」とか「勘当」とかいった言葉が復活し、親として、子として、「試される」というのは悪くなかろうと思う。
私はヌルい書込みが嫌いだ。
(Mr.Moto)
くるとさん wrote:
>> なぜだか分かりませんが、ネット上でやりとりしている相手に女性だと
>>思われていることが多いようです。しかも、まちがえるのはほとんどの場
>>合、女性です。
>>
>> これって、なぜなんでしょう???不思議です。理由がわかる人は教え
>>てください。では
ぺりこさん wrote:
>なぜ間違えられるのか、私には不思議な位なんだけど・・・
? ほんと、何故でしょう。
私も、くるとさんのこと、最初から男性の方だと思ってましたよ。
(私は逆に、よくネット上で、女性を男性と間違えたりするんですが。
文字だけで性別を判断するのって難しい…)
今ちょっと思ったんですが、一人称の「わたし」というのが、ひらがなで柔らかいイメージで、女性を連想させるのかも…???(自信ない)
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