アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
みちるさん wrote:
>私はたまごが嫌いって意見の人に、1.たまごは栄養がある。2.たまごは塩をいれて
>ゆでるとおいしい。3.たまごをかたちをかえてタルタルソースにする
>これでためしてみてはといっても、きらいなものはきらいだし、たまごそのもの
>がいやといっている人に指摘しても、しかたないじゃない。
>
>ああ、そうなの。って思って突っ込みを入れないほうがうれしいわ。っていって
>いるの。
噛み合っていない議論を見るとなにやらイラついてくるのが私の性癖である。
おれが「自閉症児童の健常者の母親の心情」についてそうとうエグいことを言っている(『Re: お母さんの一言』、No.7212、5 Sep 2001)にもかかわらず、非難の言葉をまったく受けないのは下手におれにちょっかいを出そうものなら咬みつかれる、と思っているからではあるまい(ひょっとしたらそうなのか(^_^;))。みちるさんは「親というものはこういうものなのだ」と実際に自閉症児の子供を持つ母親の立場から発言していて、私は「親なんつーものはこの程度のもんだ」と第三者の立場から言っている、というだけのことなのである。そんなわけで、みちるさんは「あんたには言われたくない」というメッセージを受けそこねているのである。
ここんところの齟齬が生じる原因はいくつかあるのだが、ひとつは「障害者」対「健常者」、「子供」対「親&教師」だというのは、ほとんど絶対的ともいうべき「弱者」対「強者」の関係であり、しばしば前者はその関係に基づく後者の発言に対して極めて敏感であり、しばしば後者はその関係に基づく自分自身の発言に対して極めて鈍感である、というものなのだな。
たとえばの話、どこかの自閉症児の母親に「もっとお子さんのことを理解してあげてください」と言ったら「だって、わかんないものは、わかんないんだもの」はねつけられた場合のことを考えてみてほしい。「わからないものを、わからないなりに努力しようとしているのだけれど、やはり限界があります」くらいのことは言えよオイ、というのが大方の気持だと思う。
もうひとつは、みちるさんが疲れている、ということにありそうに思う。「いくら頑張ったってわかんないものはわかんないんだから、しょうがないじゃない」という気持をこの『アスペルガーの館の掲示板』で受けとめてもらおうと思ったのだろうけれど、そりゃあんたちょっと無理、という気がするのですね。そういう話は同じ自閉症児のお母さんとメールでこっそり話して「そーだよねー、大変だよねー」と頷きあって子供には言わない、というのが大人の分別というものです。「『わかんねーもんはわかんねーんだ』じゃ済まねーんだコラ」、みたいな話をしているときに母親代表としてのこのこ出てくりゃ、そりゃあ石くらい飛んできますわな。だから、「母親という立場はとりあえず置いておいて、母親の立場を代弁すれば」くらいのエクスキューズをしておく必要がありました。
その点、あさかぜさんは「親としての覚悟」というものを踏まえたうえで、
---
「親としての覚悟」が足りない人とか、何かはきちがえている人は、世の中に掃いて捨てるほどいますね。自分がその中の一人にならないためには、学び続けるしかない。我が子から教わることは数多いです。
親子は互いに教える・教えられる関係でもあります。なまぬるくないです。少なくとも、わたしはそう思っています。時として、全存在を賭けて激烈に戦うこともあるんだよ〜ん。
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『Re: お母さんの一言』、No.7240、7 Sep 2001
といった形で、「時として、全存在を賭けて激烈に戦うこともある」と戦線布告をしておられます。
で、こういう形で自分の立場をはっきりさせておいて、「わからないものは、わからないんだ。だから、『わかってほしい』だけじゃ通じないことも、世の中にはあるのだ」と発言するのなら、まあ、たぶんどっからも文句は出ませんわな。どんなに説明しても、どぉぉぉぉぉぉぉおしても理解してもらえないこと、というのが厳然として存在する、という絶望感というのを、すべての自閉症者は抱えていると言っていい。それは確かなことです。でまあ、それに対してMariaは「にもかかわらず」と『NO』を言い、理解してもらおうとして『「どっちでもいいこと」が決められない。』の執筆に着手したわけです。はっきり言って無謀。やるだけ無駄。そう思ってる人だっておそらくこの掲示板のメンバーの中にも山ほどおられるはずです。にもかかわらず、「ひょっとしたら」という気持があるから「どうせ無駄だからやめた方がいい」とは言わないのね。
でまあ、だいたいにおいて人間と人間は真に理解しあうことが可能なのか、みたいな一般論までどぉーっと敷衍してオチつければだいたいまとまっちゃう(←こうやってネタをばらしてしまう自分がイヤ)わけで、そういった「ずるさ」っちゅーのを親としちゃあ身につけといてほしいと思います。世の中っちゅーのはそんなに優しくないからね。子供は優しく育っちゃうとあとあと痛い目に遭います。
まあ、おれみたいに底意地悪く育っちゃうのも考えものだけどさ。
(Mr.Moto)
みちるさん wrote:
>どっちがいいとか悪いとかじゃなく、非自閉と自閉の思考パターンの違いを感
>じます。ですから、私のカキコに反応してくださるのはありがたいのですが、
>思考パターンがちがうので、当然受け止め方もちがうのです。1.は肯定します
>が2.3はそうではありませんといわれても、私はそうおもったのだから仕方な
>いじゃん。と開き直るしかございません。ともすると皆様は指摘なさいますが
>、それも非自閉のあまりすきなことではありません。いえいえ、意見は意見と
>して受け止めますよ。
>そんな風に、あまり指摘ばかりされると、だからどうしたのよ。思考パターン
>がちがうのだから、仕方ないじゃん。いやになっちゃう。って風に思われます。
わたしはどうすればいいんだろう。この状況下で再度質問レスをしてみたい
のだが、質問レスをしたら「また指摘をされた」と腹を立てられてしまいそう
だし、かと言ってこのまま話を収めてしまったらモヤモヤしたものが心のなか
に残ってしまいそうだし…。
いちおう、わたしの最後の指摘として「わたしはみちるさんとニーナさんが
討論していた問題について別の角度から考察を加えただけであり、みちるさん
の気持ちや考えをつぶそうとしたつもりはない」ということだけ付け加えてお
いて退散しましょう。では
Tien wrote:
>こんにちは。私も親が居なかったら=小言を言う人が居なかったらどんなに楽か、
>と何度考えた事でしょう。でも実際居ないと、もう私は無法地帯です、多分。
>自由だったらいいと言う事ではないと思います。うまくいえませんが、無人島で暮らさない限りやっぱり人と関わり合いながら生きて行かないといけないのです。
>?とか「そうだったのか〜」という事柄は非常に大事だと思います。
>私もなおみさんのカキコで、「普通の人(語弊があったらごめんなさい)は、そういえば、私がああいう行動をした時になんで戸惑うのかやっと分かった。」と言う事がしばしばあって、すごく助かってます。だから来なくなる、なんていわないで。
>そういえば、息子さんのカブト虫の件はどうでした???
Tienさんありがとう。
わたしも、みんなのお陰でどんなに救われたか。それから貴方の優しさになんど
慰められたか・・・。ここのお陰でASの夫への傾向と対策を練ることが出来たのだし、武田さんやくるとさんのカキコで息子のことが理解できたりしたのよ。
ありがたいとおもっています。本当に。
カブトムシの件ありがとう。
ご報告遅れてごめんね。買うことができる状況なのはわかったのだけど、
北海道ではこれから飼っても、すぐ死んでしまうこと、卵を産ませるにはもう少し
早くから飼わなければいけないということが解りました。
結局時期をのがしたということで、息子に説明をして、来年は早い時期に
手を打とうということになりました。
ありがとうございました。わたしが国産カブトムシで検索しても探せなかったのに
助かりました。ありがとうございます。
北海道はもう秋です。街路樹の葉が黄色くなってきました。
うちの裏の林できのこがとれます。もうそろそろだなあと楽しみです。
今、私は週末ごとに鮭釣りです。
先日は四キロのメスをつり、いくらは醤油漬けにして食べました。
今日は塩しておいたアラや身を石狩なべにする予定です。
アイヌ民族のように鮭の神様に感謝していただきたいと思っています。
Tienさん ありがとうね。元気でたよ。
身体に気をつけて、がんばろうね。お互いにね。
みちることなおみの夢
Mariaさんwrote:
>◆あなたの本当の性別は女性です◆
>男性度 26.0%
>女性度 74%
>[コメント]
>あなたは女性に違いありません。若干男性的な部分もありますが特に気にする
>程ではないでしょう。これからも女を磨いてください。
う〜む。女性度がえらく高いですね〜。
>◆ あなたは生物学的には女性です◆
>[コメント]
>生物学的にも女で内面も女のあなたは、やはり女の中の女。女の鏡としてこれ
>からも女を磨いてくれ。
つまり、精神的な性別も生物学的な性別も女性???多少その診断が自然主
義的な誤謬を犯していることを差し引いてもすごい結果がでましたね。ちなみ
に男性の大森総研の人がやったらどうなるんだろう?
> あたしが正直に答えたということだけは、信じていただきたいと思います。
>しくしく。
なんで悲しんでいるんですか、Mariaさん?
niina wrote:
>例え話は苦手なので勘弁してください。
>(自閉症の本にも書いてありますよね。)
例え話をするときは、例えであることをはっきりと示した上で書いた方がいいですよ。
あるいは、直喩ならいいけど隠喩は避けた方がいいです。
私も例え話は多用しますが、意識しなくてもそうなっていると思います。
Maria wrote:
> ……ああ、めんどくさい。(←黒Mariaさん全開)
ふむふむ
>>この二つの文の違いを、もう少し分かるように説明していただけないでしょうか。
>
> Motoちゃんの代わりに質問します。「この二つの文」って、どの文とどの文?(-_-)(←珍しく顔文字)
>『結果的に鍛えた状態が、他人から見て低いレベルであり、結果だけから「鍛え方が足りない」とみなしている』みたいに見えてしまうのね。
の『』の中と
>「全力で走る」のはいいが、それ以前に身体を鍛え技術を磨けといいたい。
です。
後者の様に発言していて、前者は否定している。
私には同じように見えるのに、否定と主張という形をとっているということは違うということなので、何が違うのかを知りたかったのです。
面倒なら説明しなくてもいいです。
> とはいえ、この「悪意」というものが、しばしば通じなかったりするわけですね。なにしろ、「てめーは俺に喧嘩売ってんのかよ(-_-X)」「あーら、そういうふうに読めまして?(-_^)b」みたいな陰険な関係を想定しておりますので、どうしても婉曲な表現になってしまうわけです。
「悪意」は難しいですよ。
簡単な人には読み取るのは簡単かも知れませんが、多くの場合には通じないと思った方がいいんじゃないでしょうか。
> 「相手の意図が分からない」あるいは「相手が意図を明確にしない」という事実を踏まえての対話、というものをシュッツさんは想定していないようにお見受けします。
もちろん想定していません。
そんなものを想定してしまったら、主題がぼけてしまって、議論にならないからです。
「館の掲示板」への書き込み全てについて想定しないのではありません。
テーマによって(ヒマネタのようなもの)はそれでもかまいません。
しかし、今回のような話では、テーマにしてもMoto氏(でもMariaさんでも誰でもいいですが)の始めの頃の文の書き方にしても、ちゃんとした議論をしているものと思っていました。
だから私は学会での討論のようなつもりで書いてきました。
しかし、そもそも議論のつもりではなかったということであれば、まじめに対応してはいけなかったのでしょう。
ただ、その場合にはもっと早い段階で「議論でも討論でもない」という意図を示してもらえたらよかったと思っています。
私も無駄に矛盾点を聞き出そうとはしなかったでしょうし、都合の悪い話を避けていると感じることもなかったかも知れません。
みちる wrote:
>niina wrote:
>>みちる wrote:
>>>いちいち私のいう事が引っかかるんだたら、わたしのかきこみにレスしなきゃいいんじゃないかしら。考え方が違うのねと、そっとしてくれていいんだけど・・・。
>>
>>私はなおみの夢さんにレスをしてはいけないということでしょうか?
>>それとも掲示板に書き込むなということでしょうか?
>>よく理解できません。すみません。
>
>わたしもそうなんですけど、これは考え方が違うのね。と思ったら指摘せず
>にいます。カキコしてはいけないといっているわけでもなく、掲示板に書き込むな
>なんていっていません。そんな権利私にはありません。
>どうも私は非自閉圏の人間で、思考パターンがちがうようだから違うと思ったことを指摘ばかりされても、私はどうしようもないんですってば。
>思考のパターンが違うんだから・・。
>それとも、これは意見の相違ですとか言って、わたしのほうがレスいれなくても
>許してもらえるかしら。
>
>私はたまごが嫌いって意見の人に、1.たまごは栄養がある。2.たまごは塩をいれて
>ゆでるとおいしい。3.たまごをかたちをかえてタルタルソースにする
>これでためしてみてはといっても、きらいなものはきらいだし、たまごそのもの
>がいやといっている人に指摘しても、しかたないじゃない。
>
>ああ、そうなの。って思って突っ込みを入れないほうがうれしいわ。っていっているの。
>
最後に一言。
例え話は苦手なので勘弁してください。
(自閉症の本にも書いてありますよね。)
なぜ、急にたまごが出てくるのかわからなくて
少しパニクりました。
自閉圏人には、「単刀直入」に言っていただければ、ありがたいです。
私はもうなおみの夢さんにはレスはしませんが、
ここを去るなんて言わないで、相互理解に励んでくださいね。
これにはレスはいりません。
こんにちは。私も親が居なかったら=小言を言う人が居なかったらどんなに楽か、
と何度考えた事でしょう。でも実際居ないと、もう私は無法地帯です、多分。
自由だったらいいと言う事ではないと思います。うまくいえませんが、無人島で暮らさない限りやっぱり人と関わり合いながら生きて行かないといけないのです。
?とか「そうだったのか〜」という事柄は非常に大事だと思います。
私もなおみさんのカキコで、「普通の人(語弊があったらごめんなさい)は、そういえば、私がああいう行動をした時になんで戸惑うのかやっと分かった。」と言う事がしばしばあって、すごく助かってます。だから来なくなる、なんていわないで。
そういえば、息子さんのカブト虫の件はどうでした???
◆あなたの本当の性別は女性です◆
男性度 26.0%
女性度 74%
[コメント]
あなたは女性に違いありません。若干男性的な部分もありますが特に気にする程ではないでしょう。これからも女を磨いてください。
◆ あなたは生物学的には女性です◆
[コメント]
生物学的にも女で内面も女のあなたは、やはり女の中の女。女の鏡としてこれからも女を磨いてくれ。
あたしが正直に答えたということだけは、信じていただきたいと思います。しくしく。
(Maria)
niina wrote:
>みちる wrote:
>>いちいち私のいう事が引っかかるんだたら、わたしのかきこみにレスしなきゃいいんじゃないかしら。考え方が違うのねと、そっとしてくれていいんだけど・・・。
>
>私はなおみの夢さんにレスをしてはいけないということでしょうか?
>それとも掲示板に書き込むなということでしょうか?
>よく理解できません。すみません。
わたしもそうなんですけど、これは考え方が違うのね。と思ったら指摘せず
にいます。カキコしてはいけないといっているわけでもなく、掲示板に書き込むな
なんていっていません。そんな権利私にはありません。
どうも私は非自閉圏の人間で、思考パターンがちがうようだから違うと思ったことを指摘ばかりされても、私はどうしようもないんですってば。
思考のパターンが違うんだから・・。
それとも、これは意見の相違ですとか言って、わたしのほうがレスいれなくても
許してもらえるかしら。
私はたまごが嫌いって意見の人に、1.たまごは栄養がある。2.たまごは塩をいれて
ゆでるとおいしい。3.たまごをかたちをかえてタルタルソースにする
これでためしてみてはといっても、きらいなものはきらいだし、たまごそのもの
がいやといっている人に指摘しても、しかたないじゃない。
ああ、そうなの。って思って突っ込みを入れないほうがうれしいわ。っていっているの。
くると wrote:
>>なおみの夢さん wrote:
>>ただ、わたしはここで、ともすれば健常者いわゆる普通の人をばかにしたり
>>理解できないとか、なに考えているんだというような非難の書き込みが増え
>>ている事を悲しく思うんですよね。
概数ってならいましたよね。私は前より大まかにいって増えたと思うというふうにかんじたのです。
>
> 少し問題を分けて考えてみたいと思います。なおみの夢さんが指摘している
>ポイントは大きく分けて3点あります。
>
>(1)健常者や普通の人を馬鹿にしたコメントがある。
>(2)健常者や普通の人を理解できないというコメントがある。
>(3)なにを考えているんだというコメントがある。
>
> で、なおみの夢さんはこれを一括して「非難」として受けとめておられます
>が、わたしの見方は少し違います。
すみませんねー。私にとっては1も2も3もべつべつに受け取っていないの。
これも、非自閉圏のやつは分析力が足りないと言われてしまう元なのでしょうが
私の中では、自閉圏の家族がいるので、ひとつひとつべつに受け取っていなくて、
こういう風におもうんだろうということをひとつの考え方の形式と捉えているの
で、3つのコメントは、わたしのなかではひとつの考え方のパターンとして
受け止めたのよ。自閉圏の人の考え方の中のパターンその1から発生する
捉え方として、私の中では3つの件は一緒の感情から発生するものとして理解したわけ。それを「非難」とうけとめたことで波紋をよんでるみたいなのね。
言い方が悪かったわね。ごめんなさいね。
でも、わたしだけかどうかわからないけど、(二つ前のカキコにも書いたけど)
皆さんが普通のことと思っている、違うと指摘することや、
あいての考え方を違うと言及する言い方は私たち非自閉圏の人間にはいじめられたと思うことがあります。そのことを解っていただきたいと思ったのでございます。
くるとさんのこのご意見じゃなくてね。
>
> 3つの項目のうち、明らかに非難に当てはまるのは(1)です。わたし自身
>もこれは明らかに問題があると思います。
>
> しかし(2)は「非難」として評価することができません。むしろ理解でき
>ないと言う感覚は自閉者と非自閉者の相互理解にとって重要です。国際交流で
>もそうですが、相互理解は「お互いのことを理解するのは困難である」という
>ことが出発点になります。この場合、「お互いのことを分かっている」のでは
>なく「分からない」という前提で出発する方が正しいと思います
そうですねー。でももう私はわからないから出発してしまっているものですから。
解るという頂上には到達していませんが、思い方のパターンとか、こういうときに
いやだと思うのね。という私側からのノウハウはわかってきましたよ。
それはともかくとして、考え方のパターンのなかのひとつとしてとらえたので
理解できないといったコメントのなかに非難の感情をかんじたので
非難と捉えたということです。
>
> 微妙なのは(3)です。意志疎通がうまくいかない時、わたしたちは苛立ち
>を怒りを感じることがあります。この状態がずっと続くのは好ましくないと思
>いますが、相互理解のためには避けることのできない段階なのではないでしょ
>うか。「理解できていない」のに「理解できている」と言い張ってしまうより
>はよほど良心的な態度だと思います。
>
> 結論としては、(1)についてはやめた方がいいが(2)と(3)について
>は相互理解に到達するための不可欠な階梯である、ということになります。
>
>
そうですね。愚痴としてのなに考えているんだというコメントだったのかもしれませんが、ともするとそれは非難と受け止められますよ。というわたしの受け止めのひとつでしたので、私の分類のなかで「非難」と言う項目にいれたんだと思います。
いつも思いますが、自閉圏のうちの家族ですが、1.2.3これのどれ?とか、いいのわるいのどっち?という話がおおいですね。そういう思考タイプという風に理解していますが、ここの掲示板もそうですね。
今日のこの台風の余波のなか、非自閉の子は自分で状況を判断し合羽を着て長靴を履き、出かけました。自閉の子は「ねえ、合羽きたほうがいい?どっち?」「長靴履いたほうがいいよね」と私の意見を求めて納得して身支度を整えて出かけました。
どっちがいいとか悪いとかじゃなく、非自閉と自閉の思考パターンの違いを感じます。ですから、私のカキコに反応してくださるのはありがたいのですが、思考パターンがちがうので、当然受け止め方もちがうのです。1.は肯定しますが2.3はそうではありませんといわれても、私はそうおもったのだから仕方ないじゃん。と開き直るしかございません。ともすると皆様は指摘なさいますが、それも非自閉のあまりすきなことではありません。いえいえ、意見は意見として受け止めますよ。
そんな風に、あまり指摘ばかりされると、だからどうしたのよ。思考パターンがちがうのだから、仕方ないじゃん。いやになっちゃう。って風に思われます。
感情のうけとめかたが違う私が、皆さんの意見を非自閉がわから受け止めることが
間違いなのかしら。またカキコしたくなくなってしまった。
niinaさんが、母親を非難されたらいやでしょってわたしがカキコしたら
自閉圏の人は親でも何でも違うものは違うといわれてもいやではないといってましたね。みんなそうでしょうなんて書き方はやめろというようなこといってましたね。やっぱり皆さんのカキコを非自閉圏の考え方でうけとめるから、
指摘されるのね。
私は私の発言で非自閉圏の思考パターンを違いとして受け取ってくれれば
いいと思っていたけど、やっぱりちがうのかなあ。
私の思考パターンの違うことを意見の違いと捉えられないのなら、カキコしても
無意味だよね。
くるとさんわたしのカキコを論理的に解説してくださってありがとう。
解りやすかったよ。
niinaさんのおっしゃっていた以前カキコしていたお母様と一緒で、
ここにおとずれるのはつらいかも・・・。わたしもなんかつらいわ。
みちることなおみの夢
くると wrote:
>みどりさん wrote:
>
>
>>診断モノが大好きで、見つけるたびについやってみるのですが、上のサイトで
>>性別判断したら、しっかり「男性」にされました。
>>
>>くるとさんと Maria ちゃんの診断結果を聞いてみたい みどり
>
> ご要望におこたえしてやってみました。
>
>結果は名加野さんと全く同じでした。
>
>本当の性別→女性(男性度46・8% 女性度53・2%)
>生物学的な性別→男性
私も似たような結果です。
みちる wrote:
>いちいち私のいう事が引っかかるんだたら、わたしのかきこみにレスしなきゃいいんじゃないかしら。考え方が違うのねと、そっとしてくれていいんだけど・・・。
私はなおみの夢さんにレスをしてはいけないということでしょうか?
それとも掲示板に書き込むなということでしょうか?
よく理解できません。すみません。
……ああ、めんどくさい。(←黒Mariaさん全開)
>この二つの文の違いを、もう少し分かるように説明していただけないでしょうか。
Motoちゃんの代わりに質問します。「この二つの文」って、どの文とどの文?(-_-)(←珍しく顔文字)
あたしたちはいちいち「掲示板」全般について言えることと、この『アスペルガーの館の掲示板』について言っていることを区別するために、わざわざ『アスペルガーの館の掲示板』と表記している(『館の掲示板』と略すことすらしていません)ほど気をつかっているのですから、代名詞等を使用される際は、読者がその解釈に手間取らぬよう、なるべく分りやすい表記を心がけていただきたいと思います。シュッツさんはタイピングが苦手なのでいちいち表記するのが苦痛なのかもしれませんが。なお、「かもしれませんが」は「タイピングが苦手なのでいちいち表記するのが苦痛なの」の全部にかかっています。あたしは「シュッツさんがタイピングが苦手である」という可能性を示唆してはいません。したがって、「私はべつにタイピングが苦手であるわけではない」とかいったツッコミは無用に願います。ああ、めんどくさい。
>ふと思い出したのですが、どこかのページに、レス付け禁止の言いっぱなし掲
>示板がありました。
>それも結構有効かも知れないですね。
それはそれで確かに有効だとあたしも思いますが、一般的な、レス付け自由の掲示板である『アスペルガーの館の掲示板』について議論している書込みの中でその点に指摘するよりは、『伝聞と解釈とその対応』(No.7338、11 Sep 2001)のコメントとして、『ふと思い出したのですが』といったタイトルをつけ、
---
Mr.Moto wrote:
> 掲示板というものの性質上、シンタロウさんの文章を好意的に受取らない立
>場の人の視点からのコメントも存在するのは仕方のないことです。コメントさ
>れたくなかったら書込まなきゃいいのね。
どこかのページに、レス付け禁止の言いっぱなし掲示板がありました。
それも結構有効かも知れないですね。
---
とでも書いてくれりゃあよかったのに、と思います。(←これは、「次回以降、似たようなことがあったらそうしてほしい」と暗に要望しています(←すでに「暗に」じゃないけど)。念のため)
>分からないからこそ、しつこく聞き出そうとしているのです。
>だから、上記のことを教えてほしいということです。
---
とはいえ、この「悪意」というものが、しばしば通じなかったりするわけですね。なにしろ、「てめーは俺に喧嘩売ってんのかよ(-_-X)」「あーら、そういうふうに読めまして?(-_^)b」みたいな陰険な関係を想定しておりますので、どうしても婉曲な表現になってしまうわけです。
---
『Re: 読み取れなくてすいません』、No.6712、20 Aug 2001 by Maria
対話というものは、「伝える側」と「受けとる側」の双方の行為によって成立するものであって、その責任もまた双方に分担されるべきものだと思うのですね。「分かんなかったら訊く」という素朴な態度も大事だろうけどさ、「夏バテしてる」と宣言してる人間に「しつこく聞き出そうとする」というのは素朴を通り越して「馬鹿」とか「非常識」とか判断される危険性を孕んでいます。
「相手の意図が分からない」あるいは「相手が意図を明確にしない」という事実を踏まえての対話、というものをシュッツさんは想定していないようにお見受けします。「こいつ馬鹿だな」と思っても、分別ある大人は「あんた馬鹿?」とは言いません。中国政府だって、「南京大虐殺」や「靖国神社・A級戦犯合祀問題」を、「日本から援助を引出すための単なる外交カードでしかない」と思っていたとしても、それは言わないでしょ?
あたしもMotoちゃんも心の奥底に抱えこんでるどす黒いドロドロを、『アスペルガーの館の掲示板』という公共の場に準じる場所にぶちまけてメンバーの顰蹙を買いたくはないのですよ。
同時に「いちいち説明しませんよ。分からん人放っときますよ。」(←吉本興行のネタであるらしい。東京の人間だからよく知らない)という思いもあるわけです。だけど、日常生活に差し支えない範囲で誠実に対応したい、という思いもあるもんだから、普段だったら「めんどくさいからヤダ」とかいった本音はあんまり言わないわけ。質問者に気も使わせたくないしね。
そういったことについて深く思いを巡らせていただきたいのだけど、「いや、深く思いを巡らせたのだけど、やっぱり分かんなかったから教えてくれ」と言われると非常に困るんですよ。「あんた、本当に必死に、本当に真剣に、本当に死にもの狂いで考えた上でそう訊いてるの?」と問い返しても、「いや、本当に必死に、本当に真剣に、本当に死にもの狂いで考えた上でなおかつ分からないから訊いてるいるのです」と言われたら堂々巡りになっちゃうし。「それって甘えじゃないの?」とか問い返しても、「いや、私の能力の範囲内で精一杯努力した結果、なおかつ分からないから訊いているのです」と言われたらまた堂々巡り。
『だから、そういうことは普通はあんまり訊かないことになっているのですよ』と言っても、「いや、知らなかったのだ。それに、私はそれを知ったとしても、なおかつ切実に答えを知りたいのだ」と言われればまた堂々巡り。
そんなわけで、シュッツさんにはもう少し質問する側としての配慮をお願いしたいと思います。少なくとも、義務教育における作文の時間に習ったように、行頭はスペースを一文字空けていただきたいと思います。読みにくくって辛いです。
(Maria)
Makichan wrote:
>>いま私は、あえて健常者としてみなさんに(ここでいういわゆる普通の人と言う意味での健常者なんですが)
>>普通の人はこう思う。こう反応する。ということをしらしめたいのですね。
>>ASの反応を理解することが大変だったわたしに、みなさんが私の発言になんでー
>>とかふざけんなと、思うのもわかりますよ。
>>ただ、わたしはここで、ともすれば健常者いわゆる普通の人をばかにしたり
>>理解できないとか、なに考えているんだというような非難の書き込みが増えている事を悲しく思うんですよね。
>>そうじゃなく、御互いを理解しあうためにこの書き込みはあったような気がします。最初のころは・・・。
>>博識のキロイさんにわらいながら楽しんだり、Tienさんのやさしさにこころすくわれたり。あさかぜさんのそこぬけの明るさに心洗われたり。
>
>
> 私自身ここのカキコでは「健常者」の人たちを侮蔑してきた人の一人です。私の
>発言が、なおみの夢さんや、ログされてる多くの「健常者」の方を怯えさせ、傷つけてきたのでしたら大変申し訳なく思います。すみません。ただただ私は、もうすこし多くの人たちが、自閉タイプのことを理解してくれてもいいのになあという苛立ちがそういう発言に結びついたのです。私にとってこの世は神秘に満ち満ちています。解からないことだらけで、迷ってばかりしてます。カル〜クやり過ごせる人が羨ましくも憎たらしくもあるのは事実ですが。
いえいえ。ただやはり私も自閉圏の人間が過半数を占めている家で生活していて、
どちらの気持ちもわかるし、非自閉圏の人間が非難されるのはつらいし、痛し痒しと言う気持ちだったんです。貴方のつらくて文句のひとつもいいたくなる気持ちもわかるんですよ。私は逆で自閉の人に理解してもらえず指摘ばかりされて神経を病んでしまいましたから・・・。でも自閉圏の人も非自閉圏の人も同じだと。
個性の違い、考え方の違いなのだという気持ちに変わりはありません。
私も自閉圏の人が自分の世界に集中できるのを羨ましく憎たらしくもありますよ。
> 私が20歳の頃経験したことは、私のとってはそれこそ(おおげさでもなんでもなく)天と地とがひっくり返るようなことでした。ですから私の発言を理解してもらうには、その人にも同じように天と地がひっくり返って頂かないと無理なのかな
>と思ったりもします。他者にそれを期待する権利は私にはないですね。解かってるんですけど・・。ただ医者の中にも、私から逃げようとする人たちがいるのは残念だし悔しいんですけどね。
それって悲しいですよね。息子の場合はいいお医者様にあえたのでよかったのですが、学校の先生はいろいろでした。低くしか評価できない先生がいるかと思えば、
根気よく教えてくれる先生。図工の苦手が息子が必死につくったカブトムシをほめてほめて飾ってくれた先生。人によって人は変わります。理解するってことは相手の人格も立場も性格も考え方もすべて否定しないことと私は思っているのですが
それはだれでもそうなわけではありませんよね。
私も息子がADHDだと分かった時、私の常識(私自身の常識です)がすべて覆され、天と地ほども考え方をかえねばならなかったのですが、それもよかったと思っていますよ。だってここまでと思っていた世界がもっと広がったわけでしょ。
素敵って思いましたよ。
>
>>
>>私はそのお礼の気持ちもあって、健常者のここがしりたいコーナーの一人として
>>ここにこようと思っていたのです。
>>みなさんのお母さんは普通の人ですか
>>シンタロウくんのお母さんだって、普通に生活を営んでいる方でしょ。
>>私はシンタロウくんのお母
>様をとやかく言う発言が悲しかっただけ。
>>子供を心配するのは当然です。そのことを解って欲しいと思っただけ。
>>私は健常者だとか、ASだからとかもともと思っていない。
>>みんな個性なんだから。
>>
>> 以上
>
> 我々への理解深めようとしてらっしゃるなおみの夢さんには感謝してます。いつまでカキコ続けて頂きたいです。そしてそれはおかしいんじゃないかと思われることにはどんどん突っ込み入れて下さい。自分をより客観視し、自分の発言により普遍性持たせる為にもそれの方が嬉しいのです。勝手なことばかり言ってすみませんでした。
いえいえ感謝なんて、とんでもない。私の意図していることを理解してくださって
ありがとうございます。
でしゃばりかもしれないけど、私がつねづね、自閉圏の人間といっしょにいて
ここをこうすれば、他の人とうまくやれるのに・・・とか、こういう言い方しなければ傷つかないのに・・・。と思うことが多いのでその辺のことをテクニックとして身に付ければAS他の皆さんも無用に傷つかないのにと思うことがあるものですから。傾向と対策ですよね。
そう言い方は傷つくよ。とはっきり夫にもいっていたら、最近気をつけていますしね。仕事でも、ミスった人間に突き詰めて逃げ道をなくし、相手がひいてしまって仕事上影響がでたりしているんですよ。その後自分が言い過ぎたとわかって自分で傷ついている夫をみているものですから、みなさんもそういうことってあるだろうなあ。とおもうんですよね。みんないい人なのにね。テクニック不足で変な人って
思われてしまう。みんなピュアな可愛い人たちなのに。
でも人間いろんな人がるから、非自閉圏の人も自閉圏の人も自分の理解不足や
ふところのせまさゆえに知らずに傷つけたり、していると思います。
お互い様だと思う。私の発言で、もし傷ついた人がいるなら許してくださいね。
良かった。もうカキコするのやめようって思っていたくらいなのだけど
元気がでたわ。
みちることなおみの夢
大野晋さんという、国語学に興味をお持ちの方でしたら必ず知っている、というくらい有名な国語学者さんがいます。最近では、『日本語練習帳』(岩波新書)というベストセラーをお出しになったので、ご存じの方もおられると思います。
日本語には、所有・所属をあらわす助詞として「の」と「が」というのがありまして、「が」の方は「君が代」「我が国」「我が家」「我が名」「おらが春」「梅が香」などと、古めかしい言い方であるというふうに一般には思われています。
大野晋さんは、古代においては「が」の使い方はきわめて限定されていて、「が」を伴う名詞は、自分または自分に非常に近しい人間の下についた、と述べています。つまり、「が」は「内(ウチ)」の関係、「の」は「外(ソト)」の関係を表わしたのである、というふうにおっしゃっておられます。
ただ、あたしはこの説はちょっと違っているのでは、と思っているのですね。というか、より素直な解釈というものが、あるのではないかと思うのです。それは、とりたて詞(強調助詞)「は」と「が」の関係が、「『は』=とりたて」「『が』=より強いとりたて」と見ることができることから、所有・所属の「が」は「の」の「所有・所属」という意味をより強めた表現なのではないか、ということなのですね。
こう考えると、とりたて詞(強調助詞)「が」と所有・所属の助詞「が」は、基本的に同じもの、と考えることもできなくはありません。とはいえとりたて詞(強調助詞)「が」の前にくる名詞は動詞に対する格をもった語であるのに対して、所有・所属の助詞「が」の前にくる名詞は単に名詞を修飾するだけの存在でしかないという点で、決定的に違っているのですが。
さて、なんでこんな国語学上の専門知識を『アスペルガーの館の掲示板』に書いているか、なのですね。
去年(二〇〇〇年)、『正論』(産経新聞社発行)という月刊誌の十月号に、『大ベストセラー『日本語練習帳』は奇書である』という文章が掲載されました。著者は産業能率大学の教授、萩野貞樹(はぎの・さだき)さんという方です。
ところがこの方は、『とりたて詞(強調助詞)「が」』と、『所有・所属の助詞「が」』を、ごっちゃにしていて、『「が」の用法にはいくらでも例外がある』と批判(あたしから見れば言いがかりでしかないのですが)をぶつけ、『日本語練習帳』という本を批判(あたしから見れば侮辱でしかないのですが)していたりするわけです。
で、しかもこの荻野教授が問題にしているのは、『日本語練習帳』という本の中の、たった二ページのコラムだったりするわけです。
じつは、あたしは大野さんの『日本語練習帳』という本の国語学上の価値を、それほど高くは評価していません。まあ、これで国語学に興味を持ってくれる人が増えたらいいな、くらいにしか思っていません。ですが、この本というのはけっこう凄い本なのですよ。
大野さんは、いわゆる「狭山事件」で、犯人が書いたとされる脅迫状を鑑定したひとです。で、その脅迫状は「ちゃんとした文章が書ける人間が、わざと稚拙な文章を書いたものであり、ちゃんとした学校教育を受けていない被告が書いたものとは思えない」という鑑定結果を出したひとなのですね(けっきょくこの鑑定結果は証拠としては採用されませんでしたが)。で、このことを『日本語練習帳』の中でふたたび主張しているわけです。あたしはここに大野さんの国語学者としての執念を見ました。その意味で、この『日本語練習帳』は、「凄い」本なんです。
荻野教授はもっと慎重であってほしかった。まず大野さんの主張を、よくよく検討したうえで、批判をなすべきだった。そして、『日本語練習帳』という著書ではなく、大野さんの国語学上の説を批判すべきだった。
あたしの見るところ、荻野教授は左翼勢力に「検察と司法に代表される国家権力の犬」と罵倒されても文句は言えない立場であり、同和問題に取組む人たちから学者としての態度を批判されてもしかたがない(「狭山事件」の容疑者は同和地区の出身者でした。警察の捜査にその点について予断があった疑いがある、というのが当時大きな問題とされました)と思われます。あたしが六十年代の左派大学生だったら抗議集会を開いて萩野教授を糾弾して「自己批判せよ」と迫ってしまうところです。頭に三角帽子をかぶせて、首から「私は学究精神を国家権力に売り渡したあ曲学阿世の犬畜生です」という看板を提げさせて市中を引回してしまいます(←読み筋は文化大革命)。下放して農業生産に貢献させてしまいます。まあ、あたしは紅衛兵でもクメール・ルージュでもヒトラー・ユーゲントでもないからやんないけどさ。
「批判」というものは、つねにサディズムに結びついて暴走する危険性をはらんでいます。それは常に意識していなければなりません。とはいえ学問的態度その他についての怒りというものを表明するな、というわけではないのですね。怒りは怒りとして表明しなさい、と言っているわけです。それを「批判」の中にすべり込ませ、あたかも冷静な批判のように装って提示するな、とあたしは主張します。とはいえどうしても無意識のうちにすべり込んできちゃうんですけどね。そこんところはつねづね自戒はしておるのですけれど、やっぱり聖人君子ではないあたしには難しいものがあります。
その点、Motoちゃんはずるいよな。わざとごっちゃにしてちくちく責めるのがスタイルだから。確信犯です。あの人は。そんなわけで、あたしもついつい真似をして黒Maria化してしまうのですがね。
批判者には、批判する対象への深い理解と「肯定」が必要です。それは「愛」と言ってもいいと思うのですね。あたしたちは「愛ある批判者」でありたいと思います。
(Maria)
>なおみの夢さん wrote:
>ただ、わたしはここで、ともすれば健常者いわゆる普通の人をばかにしたり
>理解できないとか、なに考えているんだというような非難の書き込みが増え
>ている事を悲しく思うんですよね。
少し問題を分けて考えてみたいと思います。なおみの夢さんが指摘している
ポイントは大きく分けて3点あります。
(1)健常者や普通の人を馬鹿にしたコメントがある。
(2)健常者や普通の人を理解できないというコメントがある。
(3)なにを考えているんだというコメントがある。
で、なおみの夢さんはこれを一括して「非難」として受けとめておられます
が、わたしの見方は少し違います。
3つの項目のうち、明らかに非難に当てはまるのは(1)です。わたし自身
もこれは明らかに問題があると思います。
しかし(2)は「非難」として評価することができません。むしろ理解でき
ないと言う感覚は自閉者と非自閉者の相互理解にとって重要です。国際交流で
もそうですが、相互理解は「お互いのことを理解するのは困難である」という
ことが出発点になります。この場合、「お互いのことを分かっている」のでは
なく「分からない」という前提で出発する方が正しいと思います
微妙なのは(3)です。意志疎通がうまくいかない時、わたしたちは苛立ち
を怒りを感じることがあります。この状態がずっと続くのは好ましくないと思
いますが、相互理解のためには避けることのできない段階なのではないでしょ
うか。「理解できていない」のに「理解できている」と言い張ってしまうより
はよほど良心的な態度だと思います。
結論としては、(1)についてはやめた方がいいが(2)と(3)について
は相互理解に到達するための不可欠な階梯である、ということになります。
niina wrote:
>>なおみの夢さん wrote:
>>>ただ、わたしはここで、ともすれば健常者いわゆる普通の人をばかにしたり
>>>理解できないとか、なに考えているんだというような非難の書き込みが増えている事を悲しく思うんですよね。
>
>なおみの夢さん、
>それらは非難の書き込みではないのでは?
>非難の書き込みだと捉えてしまうのは、早計ではないでしょうか。
>やむにやまれぬ場合もあるのでは?
>マジョリティがマイノリティを「ばかにしたり
>理解できないとか、なに考えているんだというような非難」している
>世の中です。
>そういうような非難を、現実世界で経験している人間が多いのですから、
>書くことによって発散するという場合もあるでしょう。
>それは良いことだと思うのですが。
>なおみの夢さんが、そういう書き込みを「非難」と思われるのであれば、
>相互理解はまだまだ難しいのでしょうね。
そうかもしれませんね。
私もやむにやまれぬ思いで書き込みいたしました。
それはそれでいいんじゃないですか。まあそのことをとやかく言うのは自由ですから。
ASの夫と暮らしていて、いいこと悪いことをはっきり言われすぎ、これはこうじゃなくちゃいけないというこだわりを押し付けられつづけ、じゃあ私はどうすればいいのという気持ちになり、精神をいためました。
あなたの書き込みはそれに似た気持ちにさせられます。
私がASの人と付き合うのがしんどくなるのはそういう時ですね。
つきつめてつきつめて、言葉尻つかまえて議論して・・・・。
非自閉の人はそういう逃げ道をあいてに作らない突き詰め方を(なるほどそういう考え方もあるのでしょうね。と、相手の立場や考えを尊重しない)いじめられた。と感じる場合もあるのですよ。
いちいち私のいう事が引っかかるんだたら、わたしのかきこみにレスしなきゃいいんじゃないかしら。考え方が違うのねと、そっとしてくれていいんだけど・・・。
みちることなおみの夢
みどりさん wrote:
>診断モノが大好きで、見つけるたびについやってみるのですが、上のサイトで
>性別判断したら、しっかり「男性」にされました。
>
>くるとさんと Maria ちゃんの診断結果を聞いてみたい みどり
ご要望におこたえしてやってみました。
結果は名加野さんと全く同じでした。
本当の性別→女性(男性度46・8% 女性度53・2%)
生物学的な性別→男性
で、名加野さんと同様、あちらの傾向があるのだとか…(???)どうもこ
の診断は性の自己認知と肉体的な性の不一致の問題を扱っているようです。
ちなみにこの世界のことをもっと追求していきたければ講談現代新書の伏見
憲明著『性のミステリー』がおすすめです。この本ではクィア理論に基づいて、
性別を
(1)肉体的な性(医学的な判断による性別)
(2)ジェンダー(文化的な性別)
(3)性の自己認知(自分を男性だと思うか、女性だと思うか)
(4)性愛の対象(異性愛か同性愛か両性愛か)
という4つの観点から考察しています。また、和訳で『クィア・スタディー
ズ』と言う本が出版されていましたが出版社がわからないっす。
夏バテのところお邪魔してすみませんが
まず最初に
Maria wrote:
> なお、Motoちゃんはもともと「心情的にはきわめて認めがたいものの、確かにありうべき立場」として論陣を張る「悪魔の代弁者」として鳴らしたひとです。あのひとの本音を分かったつもりになるのは、危険です。
分かったつもりにはなっていません。
文字から読み取ったことに対して意見を述べているだけで、文字と本音が合っているかどうかは関知しません。
それは書き手の問題です。
分からないからこそ、しつこく聞き出そうとしているのです。
>>ところでMr.Motoさんがどのような立場に立って発言しているのかが、今一つ
>>読み取れません。
>
>と書いていらっしゃるのだけれど、そこが今一つ読み取れないまま発言をしているから話が余計にややこしくなっているようにあたしには見えるのよ。
何が読み取れないかというと、繰り返しになりますが
>世間ではこういうのを「失礼」だということになっているようである
の部分が、「伝達」なのかどうか、伝達だとして「伝達者」の立場はどういうものか、その表明の仕方は、実際の立場を反映しているかどうか。
これがあいまいなために、記事全体が「主張している内容」と受け取れるものと違っているように感じられるためです。
だから、上記のことを教えてほしいということです。
> これは、「ルーズベルト大統領閣下が、『日本人は馬鹿だ』とおっしゃっていました」という文章に対するコメントなのですが、これに対しては、Motoちゃんが
>
>>前者ははっきり日本人に対する侮辱である。でなければ皮肉であるが、それが
>>皮肉だとしても後に続く文章を読まねば皮肉だということは分からない。した
>>がって、これだけの文章なら、これは単なる侮辱以外の何物でもない。
>
>というふうに、『伝えた人がルーズベルトを皮肉をもって「侮辱」している』可能性に言及しているのですね。で、ことの起こりは、『お母さんの一言』、No.7207、5 Sep 2001、by シンタロウ)の
本当ですか。
ちょっと分かりませんでした。
でもそれだと、二つ(正確には三つ)の例文を挙げたことの意味が分からなくなります。
複数を取り上げる時は比較のためにするのが常套手段ですが、この場合は何を比較したかったのかが分からなくなりました。
>>昨日、僕のお母さんが「アスペルガーの館は役にたたん書き込みばっかりだ、
>>話が偏ったものばかりだ、こんなの実生活に何の役にも立たない、」と言って
>>ました。
>
>というのが、言いっぱなしに終わってしまっていて、この発言だけを見た第三者にとっては、単なる『アスペルガーの館の掲示板』に対する侮辱にしか見えないのではないだろーか、というところなのですね。
> でまあ、たしかにこの『お母さんの一言』が、シンタロウさんがシンタロウさんのお母さんを皮肉をもって侮辱しているように読めなくもないのですが、Motoちゃんがそう読み取らず、「侮辱」と受取って、そのことに対して『Re: お母さんの一言』(No.7212、5 Sep 2001)において「あーそーかよそりゃよかったなそれがどうしたバカヤロウ、みたいな気分だが」と不快の念を表明することは言ってみればMotoちゃんの「自由」です。さらに、これに続く文章のほとんどはシンタロウさんに対する攻撃に費やされているわけではまったくなくて、シンタロウさんのお母さんの立場を代弁し、あるいは分析したものなわけですね。
受け取り方は個人によって違うことがあって当然ですから、それを争点にすることはできないでしょうね。
むしろ私としては、自分の脳が受け取った内容を踏まえてどう対応するかを検討したいのです。
>>これはどういうことでしょうか。
>>心臓を鍛えて、心臓病でも走って倒れない技術を磨くべきだということですか。
>
>みたいなことを、Motoちゃんは言っていません。ですが、シュッツさんはそれに続けて
これは純粋に分からなかったので質問しました。
それに続く部分は、上記の仮定の上で考えたことです。
仮定であることを明示しなかったのはすみませんでした。
>と書いています。これを読むと、Motoちゃんが『結果的に鍛えた状態が、他人から見て低いレベルであり、結果だけから「鍛え方が足りない」とみなしている』みたいに見えてしまうのね。だけど、Motoちゃんは、『結果的に鍛えた状態が、他人から見て低いレベルであるならば、結果から「鍛え方が足りない」とみなされることが往々にしてあり、それは場合によっては正当でもある』ということを言っているだけなの。
こう感じたのは
>「全力で走る」のはいいが、それ以前に身体を鍛え技術を磨けといいたい。
この文を受けています。
この二つの文の違いを、もう少し分かるように説明していただけないでしょうか。
> 掲示板というものの性質上、シンタロウさんの文章を好意的に受取らない立場の人の視点からのコメントも存在するのは仕方のないことです。コメントされたくなかったら書込まなきゃいいのね。
ふと思い出したのですが、どこかのページに、レス付け禁止の言いっぱなし掲示板がありました。
それも結構有効かも知れないですね。
#議論することは、いろいろな問題点や新しい視点などを明確にするので、研究所員の記事は有用だと思います。
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