アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
武田好史さん wrote:
>あなたの思い出のアニメーションは、何ですか?
いろいろありますねぇ。
『太陽の王子 ホルスの大冒険』。ヒロインのヒルダちゃんの声が『家政婦は見た!』の市原悦子でした。だけど合ってました。
『ルパン三世 カリオストロの城』。面白うございました。名セリフも多うございました。
『哀しみのベラドンナ』。再公開バージョンは結末がかなりフェミニズムを意識したものに変更されていて、それがいかにもとってつけたようなオチだったので落胆いたしました。見終わったときに同じ会場にいたキレイなおねえさんと目が合ってしまい、「あれはないですよねぇ?」みたいに哀しみを分かち合ってしまいました。まさしく『哀しみのベラドンナ』でございます。とほほほほ。(「ベラ=美しい」「ドンナ=女」)
『ファンタジア』。レオポルド・ストコフスキー先生がおちゃめでした。あたしのいちばんのお気に入りキャラクターは、サウンド・トラックくんです。
高校時代に天文部の仲間とアニメーションを作っていたので、やはり「作り手」の立場から見てしまうことが多かったりします。
『MONEY FOR NOTHING』という曲がありまして(すみません。ミュージシャンの名前がわからなくて困っています。だれか教えてください)、そのビデオ・クリップが「ハリー」というビジュアル・エフェクタを使ったライブ画像とめちゃめちゃしょぼいCGアニメーションの組合せだったのですが、涙が出るほどイージーでおちゃめな作品でした。作り手が「わかっている」感じが伝わってきました。
とことん失望させられたのが、諸星大二郎さんの『暗黒神話』です。「私がこの作品を作るならば、この場面はこう作る!」というイメージがしっかりでき上がっていたので、とても哀しゅうございました。
映画『ブリンクス』では強盗一味がクラウン(日本でいうピエロ)のメーキャップで顔を隠していましたが、『暗黒神話』では主人公を追跡する一団が神楽面で顔を隠していました。その一団が「餓鬼」に襲撃される場面から、慈空聖人が法力で「餓鬼」を封じる場面に至るシークエンスはぜってーアニメで観たい、と思っていたので、そのショボさには本当に涙してしまいました。しくしく。
(Maria)
シュッツさん、大森総研のみなさん、こんばんわ。くるとです。議論の
ペースが速いため、話についていくのがやっとなのですが、一言だけコメ
ントします。
シュッツさん wrote:
>Mariaさん wrote:
>>1)シュッツさんの文章が、おそらくは『アスペルガーの館の掲示板』の多
>>くのメンバーにとって非常に難解であろうと推定される。
>では逆に、Mariaさんたちは本当に分かりやすい文章を書いていますか?
>ただし、世間一般の基準ではなく、「館の掲示板」でという条件においてです。
わたしが疑問に感じているのは、果たしてこの論争が発端になったシンタロウ
くんやシンタロウくんの親御さんにどれだけ伝わっているのかということです。
大森総研とシュッツさんの論争に限らず、この「気になっていたこと」という
スレッドのなかで行われている議論自体が当事者を置き去りにして進行している
ように思えます。
1度、当事者に分かる形で論争の成果をまとめていただければありがたいので
すが。
pocks wrote:
はじめまして。自閉児の親の青りんごと申します。
>もう一つの問題は、常識の理論化は普通の親御さんには荷が重いかもしれないということです。私は自閉人なので、非自閉人にとっての「常識の理論化」はどの程度難しく感じられる作業なのか感覚がつかめないのですが、このへんはどんなもんなのでしょうか。
いちいち説明しなければいけませんのでメンドクサイ作業ではありますが「理論化」自体はそれ程難しいとは感じていません。
「小言」として何度も言い続けるより、きっちり解説して納得させるほうが時間もエネルギーも無駄がないかな?と感じています。「急がばまわれ」という感じでしょうか。
「理論化」以前に「常識を疑う」必要があるので「常識・非常識=正・悪(善・悪)」という物事の捉え方をしている「常識的で正しい真面目な親」だと常識を疑う事じたいに「罪悪感」が伴うのではないかな?「常識の疑い方」自体を知らないのかもしれませんね。
あくまでも非真面目な母の推測ですよ。
syakuさん wrote:
>シュッツさん てのは、生の人間でなくて仮想人格なので.現実は『裏』として
>排除しないといけない。
>自分のゲームのルールに人を従わせる為に。
>本人は深刻でも、足がついてない感じで恐い。
高い所から人を見下ろして話しても、言葉は届かない。
相手のいる処まで降りて、同じ高さの目線で話そう。
我が名はイエス Joshya Xet
一穂(いちほ) wrote:
>さきほど、ノドがかわいて、
>ジュースの自動販売機に飲物を買いにいこうと外に出ました。
>ふと見上げると
>台風の去ったあとの夜空に、星がまたたいて、すっごくキレイでした。
>(ここ川崎は空気が悪いので、ふだんはほとんど星が見えないんで
>す。)
>
>オリオン座や、冬の大円弧が見られました。
>
>・・・
>>いや、でも、本当にそれだけが原因で唾を吐かれていたんだろう
>か・・・。
>
>と、思うけど、人通りの少ない道で、ほっとして気を抜いて、首を後ろに倒し、上を見て歩いていたら、向こうから来た人にやっぱりじろじろ見られました。
私は学生の頃のことですが、何かおなかがすいて寝付けなくてコンビニに行った帰りに、スーパーの駐車場で星を眺めていたら、パトカーがやってきてお巡りさんに職務質問されてしまいました。聞けば近所で車上荒らしがあったとのこと・・・
そんなに怪しかったのだろうか・・・
I wrote:
> あたしたちの「文章のわかりやすさ」に対する考え方は、
>
> 『Re: 文書作成法』、No.3682、26 Mar 2001 by KILROY
> 『Re: 『にんげんゆうゆう』を見て』、No.3947、7 Apr 2001 by KILROY
> 『カキコ向上計画 4512へのコメント』、No.4513、1 May 2001 by Maria
>
>などの書込みに示してあります。
シュッツさん wrote:
> これらを否定するのではなく、他に重要な要素を加えて欲しいのです。
あたしは自分自身でこれらの書込み、あるいはこの書込みの内容を否定するような発言をしてはいないので、シュッツさんの文章は、
> 私はこれらの書込みでMariaさんたちが示された考え方を否定するつもりは
>ありません。そうではなく、これらの考え方に、さらに他の重要な要素を加え
>てほしいのです。
を意味するのだろうと拝察申し上げます。
>「『暗黙の了解』や『裏に潜ませた意図』などのように、文字に表れない部分に
>意味を持たせることはしない、必要なことは文字に表す」
ことを要求する本人がそれを守っていない、というのは態度として不愉快です。
それともシュッツさんは特別な存在だとでもいうのでしょうか。
>ただし「館の掲示板」に来る人全てに必要な要素という訳ではなく、ADD、
>ADHD、LDのタイプであれば『裏』を読み取る可能性が高いかも知れません。
>しかしASのタイプにとっては、上記の要素がないと、どうしても分かりにく
>くなってしまいます。
>あるいは、勝手に筆者の意図とは違うことを想像してしまう可能性も高くなり
>ます。
こうした傾向については、あたしも重々承知をしています。その意味で、自閉症方面の人間にとって<も>分かりやすい文章、あるいは日本語を母国語とせず、日本語に堪能でない人に<も>分かりやすい文章、といった「バリアフリーの文章」とでも言うべきものを模索し、ある程度実現しつつある、と考えています。そのためのメソッドも考え、文章作成法、顔文字講座、オンラインでの文章教室と、いろいろと活動を続けてきました。文法理論に関する分りやすい解説書も作成し、日本語文法の集大成とでもいうべき資料も作り、希望者には無償で配布しています。
そのあたしが断言します。「バリアフリーの文章を書くのは、めんどくさい」。
シュッツさんは、結果だけを見て言っているように思えます。
>「『暗黙の了解』や『裏に潜ませた意図』などのように、文字に表れない部分に
>意味を持たせることはしない、必要なことは文字に表す」
というシュッツさんのは、あたしたちが「文字に表れない部分に意味を持たせている」と決めつけた物言いのように聞こえます。
ですけど日常の会話の中には、そもそも『暗黙の了解』や『裏に潜んでいる意図』といったものが充ち満ちているのね。で、『暗黙の了解』の部分をことごとく文字に表わし、誤読を許さないようにあらゆる「誤った読みかた」の可能性を潰し(それでも素っ頓狂な勝手読みをする馬鹿は後を断ちません。この「素っ頓狂な勝手読みをする馬鹿」は暗にシュッツさんを注しているわけではありません。そのように誤読されて「そうだろう! そうなんだな!」と詰め寄られても、あえて否定はしませんが)、『裏に潜んでいる意図』を意識の上に引きずり出し(これがなかなか出てこないんですよホント)、それを相手の感情を逆撫でしないような表現になんとか押さえこむ……といったことを、あたしに要求するわけですね、シュッツさんは。
Motoちゃんのあの文章の味わいを消さずに、それを実現しろとシュッツさんは要求するのですね。
かつて書く文章書く文章にことごとくねちねちねちねち文句をつけられ書換えを要求されつづけた結果、「コミュニケーション不全による類破瓜型精神分裂症症状」を起こして数年にわたって技術文書以外の文章を書くたびかなりの苦痛を味わっていたJoshyaさんにそれを要求するのですね。
『「どっちでもいいこと」が決められない。』の執筆にあたって、あたしが血を吐くような思いで行なっているその行為を、掲示板でも要求するのですね。
>もっとも私自身が先程この点について、ちゃんと守れない書き方をしてしまった
>ので、自分でも反省して気を付けなければとは思っています。
とか言っているシュッツさんが。
あのさぁ、だいたい「自分でも反省して気を付けなければとは」って何なのよ。「とは」って。あたしゃ自分で厭んなるくらい反省して気をつけてんのよ。「自分でも反省して気を付けなければとは」っていうことは、しょっちゅう「気を付ける」のを忘れてるってことでしょ? 「つねづね自戒しているのですが」くらいの人間になってから要求しろっていうのよ。甘えんじゃないわよ。
いい? 就職したらこのくらいのことはいっくらでも言われるのよ。それどころか、大抵の場合はこうやって指摘もしてくれなくて、ただ「あいつはダメなやつだ」って決めつけられてそれで終わりなのよ。コツコツコツコツいろんな本読んでテクニカル・ライティングの勉強して、そのうえで論文なりマニュアルなり書いて、「これでいかがでしょうか?」って読んでいただいたって、なかなか「ここをこう直したら、これこれこういうふうになって文章がよくなる」とかいった具体的な助言はしてもらえないのよ? 「ここがダメ」って言われるだけなのよ? ひどい場合は黙って突っ返され、下手すりゃ読んでももらえないのよ?
あたしら自閉症方面の人間はさぁ、面と向かってのリアルタイムのやりとりってやつが苦手な人が多いのよ。それは認めるでしょう? そういう人間がこの世の中でまっとうに健常者と渡り合っていこうと思ったら、文章能力磨く以外にないじゃない。シュッツさんねぇ、あなた、いちいち「私にも分かる文章で書いてください」って要求すんの?
あたしは仕事の上で、上司に指示を受けたり同僚と打合せをしたら、「さきほどの件は、こういった認識で間違いございませんでしょうか」っていって文書を渡してました。これは仕事上、非常に効果的でした。「あのひとに任せておけば、ちゃんとやってくれる」という安心感があるから。
途中経過や進捗状況もこまめにレポートします。とはいえこれはほとんど読んではもらえないのね。でもいいの。力作なんだけど。「ああ、あのひとはちゃんとやってくれているんだな」と思われているから読まれないのだもの(←ちょっと自分がけなげだったりする)。
だけどさぁ、こういうことをやっていると、「こういうことを文書に残してもらっては困る」とか、「こういう表現には問題があるのではないか」とか、「これは会社に対する批判と受取られる可能性がある(批判してんだよバカヤロー(-_-X))」とかいってねちねちねちねち文句をつけてくる奴がいたのね。そういう批判をかわすために硬軟裏表の表現を使い分ける技能をあたしたちは身につけてきたのね。
「肝心なところが見えねーから素っ裸で踊れ」ってか。そういうことは銭払ってから言ってほしいわね。
だけど、あたしは芸は売ってもそういうものは売りません。あしからずご了承下さいませ。
(Maria)
シュッツさん てのは、生の人間でなくて仮想人格なので.現実は『裏』として排除しないといけない。
自分のゲームのルールに人を従わせる為に。
本人は深刻でも、足がついてない感じで恐い。
syaku wrote:
>シュッツさん、間口狭いよね。言われたことをそのまま言い返しても、当たるとは限らない。
>例えば、女みたいと言われてそっちのほうが女みたいだっ、ても相手は爆笑しちゃたり。
>間口狭い人に合わせると、館の間口狭くなる。
>シュッツさん相手にすると、Mariaさんたちの文章が分かりにくくなってくのがやなんだよー。
横レスを入れてすみません。
私にも、シンタロウ君と同じ年齢の息子が居るのでシュッツさんとMr.Moto
(さん)の論争は気になっています。
シュッツさんはただ、『他の人からは足りないところの多い発言ではあっても、
その人にとっては精一杯なのかも知れない』『少なくとも辛い状況の人に追い討
ちをかけるような、非難はするべきではない』と言いたかったのではないでしょ
うか?Mr.Moto(さん)が例を挙げて反論されるから、ややこしくなってしまっ
たように思えます。
シュッツさんはMr・Moto(さん)が、本当は優しい視点で見れる人だと思うか
らこそレスをつけてしまわれたのではないでしょうか?
シュッツさん、間口狭いよね。言われたことをそのまま言い返しても、当たるとは限らない。
例えば、女みたいと言われてそっちのほうが女みたいだっ、ても相手は爆笑しちゃたり。
間口狭い人に合わせると、館の間口狭くなる。
シュッツさん相手にすると、Mariaさんたちの文章が分かりにくくなってくのがやなんだよー。
Maria wrote:
> ふーん。「大森研」ねぇ。「大森総合研究所」の略称は「大森総研」なんだけどね。なんか、どうでもいい感じが伝わってくるような気がして不快だなぁ……べつにどうでもいいんだけどさ。
失礼しました。
気を付けます。
#一瞬のうちに入れ代わってる
Maria wrote:
>シュッツさん wrote:
>>では逆に、Mariaさんたちは本当に分かりやすい文章を書いていますか?
>>ただし、世間一般の基準ではなく、「館の掲示板」でという条件においてです。
>
> シュッツさんのいう「本当に分かりやすい文章」というのは何ですか?
(中略)
> あたしたちの「文章のわかりやすさ」に対する考え方は、
>
> 『Re: 文書作成法』、No.3682、26 Mar 2001 by KILROY
> 『Re: 『にんげんゆうゆう』を見て』、No.3947、7 Apr 2001 by KILROY
> 『カキコ向上計画 4512へのコメント』、No.4513、1 May 2001 by Maria
>
>などの書込みに示してあります。
これらを否定するのではなく、他に重要な要素を加えて欲しいのです。
それは
>>ただし、世間一般の基準ではなく、「館の掲示板」でという条件においてです。
とわざわざ書いた条件によるものなのですが
「『暗黙の了解』や『裏に潜ませた意図』などのように、文字に表れない部分に意味を持たせることはしない、必要なことは文字に表す」
ということです。
ただし「館の掲示板」に来る人全てに必要な要素という訳ではなく、ADD、ADHD、LDのタイプであれば『裏』を読み取る可能性が高いかも知れません。
しかしASのタイプにとっては、上記の要素がないと、どうしても分かりにくくなってしまいます。
あるいは、勝手に筆者の意図とは違うことを想像してしまう可能性も高くなります。
発端となったシンタロウさんの記事では、これを満足しているとは言えないので、はっきり書いてくれたらいいのにとは、私も確かに思います。
しかし、書き込みをしたときの心理状態によってはその要求が緩くなるのもしかたないでしょう。
だから私は、自分なりに想像し、かつそれとは決めつけずにいろいろな可能性を考慮しようという立場をとっていることは既に書いた通りです。
それでは大森研の人の心理状態では緩くならないのかという疑問があるかも知れませんが、確かに私には他人の心理状態は分からないので、上記要素を厳密に要求してはいけない状態である可能性も否定できません。
ただ、一回の記事だけではなく、多くの大森研による記事を見ていると、本人が『裏』を存在を認めるような部分もあったりして、条件を緩めるような心理状態ではないだろうと、勝手にではありますが判断しました。
本当なら『裏』はないものとして読みたいのですが、『裏』があることを前提にされると、勝手に想像して分からなくなるし、『裏』がないものとして読んでいくと、中身がつながらなくなって、やはり分からなくなります。
また、逆のことも言えて、こちらが『裏』の意図など考えずに書いて、自分で読み直しても『裏』があるとは思えないので、その文章を「館の掲示板」に書き込んだ時に、思いつかなかったことを読み取られてしまうこともあります。
文章力がないということなのかも知れませんが、私は『裏』を考えずに読んだ時に意味がつながる文章を目指しているつもりです。
それからもう一つ
「例え話しを使うときは、どこからどこまでが例えで、どこが文字どおりに書かれた部分かを明確にして、例えと実際の対応をはっきりさせる」
ということです。
もっとも私自身が先程この点について、ちゃんと守れない書き方をしてしまったので、自分でも反省して気を付けなければとは思っています。
シュッツさん wrote in 『念のため』(No.7385、12 Sep 2001):
> ところがそんな人だと思っていたはずなのに、何故No.7235のような心無い
>発言が突然出てきたのかということが不思議でもあり、ショックでもありました。
>そのため、ついしつこく追求してしまいました。
まず、MotoちゃんはNo.7212において、「あーそーかよそりゃよかったなそれがどうしたバカヤロウ、みたいな気分だ」と、「自分は気分を害された」と表明しました。
それに対して、ひま人さんが、No.7228において、
>なぜ「バカヤロウ」なのでしょう?
と質問しました。
それに対して、MotoちゃんはNo.7235において、
> それでもこの文章に続きがあって、それについて自分がどう思ったとか、具
>体的にどこがどういかん、というのならまだ話もわかる。ところがこれが言いっ
>ぽなしである。後頭部にどこから投げられたか分からん石がゴツンと当たった
>ようなもんだ。
と書いています。「後頭部にどこから投げられたか分からん石がゴツンと当たったような」という表現から、Motoちゃんが「(心の)痛みを訴えている」ということを読み取るのは、そんなに難しいことでしょうか? もちろん、「いや、私は『「後頭部にどこから投げられたか分からん石がゴツンと当たった』場合、その場に昏倒するから何も感じない」とかいう人もいるでしょうが、普通は「痛い」というイメージを連想すると思います。もちろん、「いや、『アスペルガーの館の掲示板』のメンバーに、『普通』を要求してはいけないのだ」という反論も可能です。なにしろ、シュッツさんによれば、『アスペルガーの館の掲示板』という場所は、
>> シュッツくん、きみは雰囲気が読めていないように見えるぞ。
>ここで雰囲気を読むことを求めること自体が「雰囲気が読めていない」ことに
>なるでしょう。
というような場所なのですから(No.7251による)。
そうすると、「それでもこの文章に続きがあって」云々の文章から、「私は『後頭部にどこから投げられたか分からん石がゴツンと当たったような』気分だから、『言っぱなし』にはせず、『それについて自分がどう思ったとか、具体的にどこがどういかん』とかいったメッセージを書いてほしい」といった意味を読み取ることは、期待してはいけないのでしょうか。
とはいえ、あさかぜさんはNo.7240で、
---
Mr.Motoが、わたしの言いたいことをほとんど言ってくださったので、付け加えることもないと思ってはみたものの……。
「僕のお母さんが〜(中略)〜言ってました」の、その先はどうしたのシンタロウくん? 自分はどう思ったの? 何を感じたの? わたしはそれが知りたいな。そうすれば、コメントのしようもあるから。
---
とおっしゃって下さっているので、少なくともあさかぜさんには通じているように思うのですが、それでは状況証拠として不足でしょうか。
ついでながら、
> 私はヌルい書込みが嫌いだ。
は、「おれはヌルい書込みなんざ書きたかねーぞ」という宣言として受取るべきものだと思います。なぜなら「ヌルい書込みをするな」という命令をしたところで、掲示板においてなんら意味がないことは、シュッツさんもNo.7242で
>個人的に好き嫌いがあるのは仕方ないですね。
>ただそれが掲示板の性質を決定することはないです(管理人を除く)。
のように述べている通り自明のことだからです。にもかかわらず、「ヌルい書込みをするな」と解釈することができる、と主張することは、No.7250でMotoちゃんが
> 私は「ヌルい書込みが嫌いだ。」と言っておるのだ。「ヌルい書込みをする
>な。」とは言っておらん。シュッツくんの発言は、私が個人的な好き嫌いによっ
>て掲示板の性質を決定しようとしている、という可能性を示唆しているように
>私には受取られる。
> 世間ではそういうのも「失礼だ」ということになっているようである。シュッ
>ツくんが知ってるか知らないか知らんが。
と指摘しているように、Motoちゃんへの侮辱と取られてもしかたがないように思います。それについては、シュッツさん自身がNo.7251において
>実際に示唆しているかどうかによらず、そう受け取られても仕方のない書き方を
>しています。
>そうみなされることは覚悟して下さい。
と言っている以上、覚悟すべきものです。
ちなみにMotoちゃんは、「ヌルい書込みをするな。」と受取られる可能性を否定してはいません。ただ、『Mr.Motoは「ヌルい書込みをするな。」と命令している』と決めつけられるのは不本意である、と発言しているわけです。
ということは、シュッツさんは思い込みによる一方的な決めつけによってMotoちゃんを攻撃していたと見なされてもしかたがないように思います。
シュッツさん wrote in No.7385:
> 大森研の人を目の敵にしているとか、敵視しているとか、嫌っているとか、
>そのようなことは一切ありません。
ふーん。「大森研」ねぇ。「大森総合研究所」の略称は「大森総研」なんだけどね。なんか、どうでもいい感じが伝わってくるような気がして不快だなぁ……べつにどうでもいいんだけどさ。
>だから私は学会での討論のようなつもりで書いてきました。
ふぅーん、シュッツさんは学会の討論で、思い込みによる一方的な決めつけによって相手を攻撃しちゃうような人なんだぁ……こういうこと言うと世間では「失礼」だとみなされちゃうみたいなんだけど、こういうのはやっぱり「覚悟」して言ってるんだからしかたないわよね。だけど、どこの学会なんだろ。ひょっとして草加……
黒Mariaさんモードだとお肌が荒れていけないわ。自戒自戒。
(Maria)
シュッツさん wrote:
>では逆に、Mariaさんたちは本当に分かりやすい文章を書いていますか?
>ただし、世間一般の基準ではなく、「館の掲示板」でという条件においてです。
シュッツさんのいう「本当に分かりやすい文章」というのは何ですか?
仮にあたしが「なるべく分りやすい文章を書くように心がけている」と答えても、シュッツさんが「いや、『アスペルガーの館の掲示板』のメンバーには分かりにくいと私は判断しました」と言えば、水掛け論になってしまいます。
あたしたちの「文章のわかりやすさ」に対する考え方は、
『Re: 文書作成法』、No.3682、26 Mar 2001 by KILROY
『Re: 『にんげんゆうゆう』を見て』、No.3947、7 Apr 2001 by KILROY
『カキコ向上計画 4512へのコメント』、No.4513、1 May 2001 by Maria
などの書込みに示してあります。
(Maria)
Maria wrote:
>1)シュッツさんの文章が、おそらくは『アスペルガーの館の掲示板』の多くのメンバーにとって非常に難解であろうと推定される。
そうかも知れません。
では逆に、Mariaさんたちは本当に分かりやすい文章を書いていますか?
ただし、世間一般の基準ではなく、「館の掲示板」でという条件においてです。
遅れ馳せながら、testしてみました。
◆あなたの本当の性別は女性です◆
男性度 44.2%
女性度 55.8%
[コメント]
あなたは女性ですが、実際は限りなく男性でしょう。まだ、あなたは気が付いてないかも知れませんが、あちらの傾向が高いです。これから女として生活するかどうかはあなたの気持ち次第です。頑張ってくださいね。
当たってます...。
引続きテクニカルライティング講座です。ここで、Motoちゃんからコメントがありました。前回の書き込み(『Re: 気になっていたこと。』、No.7376、12 Sep 2001)の冒頭に掲げた、
シュッツさん wrote:
---
>『結果的に鍛えた状態が、他人から見て低いレベルであり、結果だけから「鍛え方が足りない」とみなしている』みたいに見えてしまうのね。
の『』の中と
>「全力で走る」のはいいが、それ以前に身体を鍛え技術を磨けといいたい。
です。
後者の様に発言していて、前者は否定している。
私には同じように見えるのに、否定と主張という形をとっているということは違うということなので、何が違うのかを知りたかったのです。
面倒なら説明しなくてもいいです。
---
の部分は、『Re: 伝聞と解釈とその対応』(No.7352、11 Sep 2001)からの引用だということを示しておくように、です。
で、次。テクニカル・ライティングにおいては、「事実」と「意見」をごっちゃにするな、という有名な原則(←「有名な」というのはあなたがそう思っているだけじゃないの? みたいな話にもなりかねませんが、欧米の小学校(「小学校」という名前ではありませんが、日本の小学校に相当する学校では)におけるテクニカル・ライティングの指導においてしばしば強調される原則として、テクニカル・ライターにとっては有名な原則、です)があります。その観点からいうと、
---
> とはいえ、この「悪意」というものが、しばしば通じなかったりするわけですね。なにしろ、「てめーは俺に喧嘩売ってんのかよ(-_-X)」「あーら、そういうふうに読めまして?(-_^)b」みたいな陰険な関係を想定しておりますので、どうしても婉曲な表現になってしまうわけです。
「悪意」は難しいですよ。
簡単な人には読み取るのは簡単かも知れませんが、多くの場合には通じないと思った方がいいんじゃないでしょうか。
---
におけるシュッツさんの
>「悪意」は難しいですよ。
は、
>そのように婉曲な形で提示された「悪意」を感じ取ることは、私には困難です。
といった形で表現してほしかった、と思います。これでは、「誰にとって」難しいかという主語が抜けおちています。「そんなことは文脈から明らかだ」と言われるかも知れませんが、それに続く
> 簡単な人には読み取るのは簡単かも知れませんが、多くの場合には通じないと
>思った方がいいんじゃないでしょうか。
を読むと、この「多くの場合には通じないと思ったほうがいいんじゃないでしょうか」の解釈が困難になります。つまり、
1)多くの場合には「通じないと思ったほうがいい」んじゃないでしょうか。
なのか、
2)「多くの場合には通じない」と思ったほうがいいんじゃないでしょうか。
なのかということですね。
で、(1)の『多くの場合には「通じないと思ったほうがいい」んじゃないでしょうか。』であるとしても、(A)『「多くの人に対しては通じない」と思ったほうがいい』のか、(B)『「通じる」ことが明らかである場合を除き、「通じない」ことを前提として行動したほうがいい』のかが分かりません。
ところが、(A)に対しては、Motoちゃんをはじめとする多くの人々は、「多くの人に対して、悪意は厭んなるくらい通じる。伝えたくなくても通じてしまう」といった感覚を持っていそうに思います。これは「敵意が敵意を呼び、悪意が悪意を呼ぶ」という経験を多くの人がしていることからも明らかであるように思います。
そして(B)に対しては、「悪意をはっきりと表明することは、しばしば対話そのものを破綻させる」という経験則から、「対話を続行するための良好な雰囲気を大きく損ねることなく、悪意を相手方に伝える」という方法自体を否定することになります。
(2)についてコメントをするのは控えましょう。とにかくこれではシュッツさんが何を言いたいのかは不明です。
そこでテクニカル・ライティングの大原則。
「自分が理解していないことは書けない。」
これは、「分かりにくい文章を書く奴は、自分がそもそも理解していない」という経験則としても語られることがあります。
閑話休題。
そんなわけで、
>だから私は学会での討論のようなつもりで書いてきました。
とシュッツさんはおっしゃっていますが、ごく内輪の研究会などでこうした質問の内容が理解しがたい質問をすると、「勉強しなおしていらっしゃい」と冷たくあしらわれることが多いように思います。そうでない、もっと公式な学会の席においては、「その件については簡単にはお答えしかねますので、時間の都合上回答を省かせていただきます」とかいった感じで返答を拒否されることが多いように思います。したがって、「学会での討論」においても、「雰囲気を読む」、特に「相手の不快感・悪意を察知する」という技術はしばしば要求されます。
話は元に戻ります。
---
> 「相手の意図が分からない」あるいは「相手が意図を明確にしない」という事実を踏まえての対話、というものをシュッツさんは想定していないようにお見受けします。
もちろん想定していません。
そんなものを想定してしまったら、主題がぼけてしまって、議論にならないからです。
---
シュッツさんが引用した文章は、以下のような文章の一部です。
---
「相手の意図が分からない」あるいは「相手が意図を明確にしない」という事実を踏まえての対話、というものをシュッツさんは想定していないようにお見受けします。「こいつ馬鹿だな」と思っても、分別ある大人は「あんた馬鹿?」とは言いません。中国政府だって、「南京大虐殺」や「靖国神社・A級戦犯合祀問題」を、「日本から援助を引出すための単なる外交カードでしかない」と思っていたとしても、それは言わないでしょ?
---
『Re: 伝聞と解釈とその対応』(No.7344、11 Sep 2001)
まず、
1)シュッツさんの文章が、おそらくは『アスペルガーの館の掲示板』の多くのメンバーにとって非常に難解であろうと推定される。
というのがあります。「いや、本人にとってはそのような認識はない。私は誰にでも分かるような文章を書いている」とシュッツさんは主張されるかも知れませんが、それを言っちゃうと議論にならなくなってしまうので、置いておきます。
2)その結果、Motoちゃんを含めた『アスペルガーの館の掲示板』の多くのメンバーは、「このシュッツなる野郎は、自分でも何言ってんだかわかんなくて、ただゴネたいだけなんじゃねえのか?」といった疑念を抱きうる。
3)そこで、Motoちゃんがシュッツさんに「てめーは自分でも何言ってんだかわかんなくて、ただゴネてえだけなんじゃねえのか?」と質問したとしても、それが事実であろうがなかろうが、「いや、そうではない」という答えが返ってくることが強く予想され、しかもそうした質問は、対話という行為そのものをぶち壊してしまう可能性がある。
4)したがって、Motoちゃんはシュッツさんの意図がどういうものであるかについての判断をとりあえず保留して、議論を続ける以外に、対話を維持する方策がない、と強く推定される。
5)しかしながら、こうした状況は、Motoちゃんにとってはなはだ不快な状況である。しかしながら、その不快感の原因が(3)に起因するものである以上、その状況を相手方(すなわちシュッツさん)に説明するのがためらわれる。
6)そんなわけで、Motoちゃんとしてはシュッツさんに「もっと分りやすい文章を書いていただきたい」と要請する。このことは、間接的には(3)で述べた状況において、シュッツさんが「自分はただゴネているだけではなく、積極的に議論を進める意志がある」ということを明確に示すことと同等の効果を持つ。しかしながら、それをあからさまに表明することは、対話を維持することにとってマイナスであろうと推定されるので、そのことに対する示唆は行なわれないか、あるいは婉曲な表現によってい示される。
7)ところが、シュッツさんは、
>結果的に鍛えた状態が、他人から見て低いレベルであり、結果だけから「鍛え方
>が足りない」とみなすのはおかしいと言いたいのです。
といった発言をしており、それはMotoちゃんの
> 音楽も文章も自己表現の一部であり、おれはその「表現」について問題にしている
>のである。
という発言を受けたものである以上、「私は可能なかぎり『分りやすく』表現をしているので、それ以上の『分りやすさ』を要求されてもそれに応えることができない」と答える可能性がある。
……こんなわけで、議論は堂々巡りに陥ってしまうのね。
で、こういう堂々巡りの議論に落ちこむような論旨の展開をするのは、健全な対話を望んでいるものの態度ではないと判断されてもしかたがないと思うのですよ。ところがそれを、そうした展開をしている当人にぶつけても、「いや、私は健全な対話を望んでいるのだ」と応じられた場合、またしても「相手方が健全な対話を望んでいるかどうかの判断」を保留して議論を進めざるをえなくなる、ということなわけです。
このタイプの堂々巡りを、「再帰的議論(リカーシブな議論)」あるいは「頭山的議論」と呼びます。
教訓。「自己言及はするな」。
(Maria)
自分で例え話のやり方を書いておきながら失敗してしまったようです。
おわびして、説明いたします。
Maria wrote:
>>「100mを20秒で走る」ということは多くの人にはできても、足の悪い人に
>>とっては無理なことですが、「全力で走れ」であれば、他の人から見れば遅くて
>>もその人なりの最速の意味で可能です。
「走る」という言葉は「足の悪い人」の場合です。
その限定が分かりにくかった様です。
>といったようなことを言っているが、うちのJoshya氏は心臓病持ちだから、下手に全力疾走などしようものならばったり倒れて死ぬ危険性がある。したがって、その「全力で走れ」の意味するところを明らかにしてもらわなければ困るのである。火災現場から脱出するために「全力で走る」のと、心臓のリハビリテーションのために「(本当は歩いたほうがいいのだが)もっとも効果的に心臓の機能を回復するために全力を発揮する」のとは別問題なのである。
心臓病を持ち出したのは私ではなく、Moto氏です。
私は「心臓病」と「走る」ことをむずびつけたつもりはありません。
「心臓病」だけでなく、「心」の問題やその他もろもろの、人が抱える問題にむすびつけようとしたのは「全力で」の部分だけです。
その区切りが曖昧だったようです。
> これは、学習と訓練によって手に入れられる「技術」です。「才能」の関わる部分は、それほど多くないように思います。自動車の運転技術と比較しても、難しいものだとは思えません。
「技術」がないと言われればそれまでですが、「難しくない」ことはない技術だと思います。
最近の記事を通じて、私が大森研の人をどう見ているかについて、誤解をされているのではないかと思って、少し書かせていただきます。
誤解などしていないということであれば、私の取り越し苦労ということでかまわないのですが。
大森研の人を目の敵にしているとか、敵視しているとか、嫌っているとか、そのようなことは一切ありません。
私と意見は違っていても、不合理な意見を持ち出している訳ではなくて、ちゃんと論理的に導いた信念を持っていると、私には感じられました。
また言葉は悪くても、優しい視点で見ているとも思っていました。
ところがそんな人だと思っていたはずなのに、何故No.7235のような心無い発言が突然出てきたのかということが不思議でもあり、ショックでもありました。
そのため、ついしつこく追求してしまいました。
ですので、私が議論の対象としていたのは、今回の「お母さんの一言」のテーマについての見方であって、大森研の人を直接批難したものではありませんし、他の発言全てについてもれなく言及するということもありません。
それだけ協調しておきます。
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