アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
一穂(いちほ) wrote:
>ドミソといっても、その合唱団によってピッチは違うのですが
>基本的には
>平均率(ピアノ)のドミソと、純正率(ハーモニーディレクター)のド
>ミソがあります。
>(アカペラの宗教曲なんかはだいたい純正率をつかいますが
>ピアノ伴奏のついた曲は平均率で歌いますよね。)
↑一穂さん、漢字まちがってるでぇ〜(ーー;
シュッツ wrote:
>シュッツ wrote:
>>呂(りょ)音階
>> ド レ ミ ソ ラ ド
>>律音階
>> レ ミ ファ ラ ド レ
>この二つは雅楽での呼び方で、場合によって同じ名前が別の音階に使われることもあります。
>例えば、沖縄における律音階は、上記の呂音階と実質的に同じです。
音楽に関してお詳しいので、ちょっとご質問します。
「海は広いな 大きいな・・・」でおなじみの「海」という童謡は、ピアノだと白鍵だけでも黒鍵だけでも弾けることに私は気づきました。
このような例は他にも存在するのでしょうか?
くるとです。ちょっと事情があってハンドルネームを変えることに
しました。発達障害の世界は狭いもので、けっこう知り合いがこの掲
示板を見ていることに気がついたので。
新しいわたしのハンドルネームは「こうもり」です。由来はわたし
自身が医学的には発達障害者児も健常児にもなれないまま、大人にな
ったことにあります。イソップ童話に登場する鳥とも獣とも仲間にな
ることができなかったこうもりを連想してこのハンドルネームを選び
ました。
今後ともよろしくお願いします。
シュッツ wrote:
>呂(りょ)音階
> ド レ ミ ソ ラ ド
>律音階
> レ ミ ファ ラ ド レ
この二つは雅楽での呼び方で、場合によって同じ名前が別の音階に使われることもあります。
例えば、沖縄における律音階は、上記の呂音階と実質的に同じです。
長調(イオニア旋法)
ド レ ミ ファ ソ ラ シ ド
エオリア旋法(自然短音階)
ラ シ ド レ ミ ファ ソ ラ
和声短音階
ラ シ ド レ ミ ファ ソ# ラ
短調(旋律短音階)
上昇:ラ→シ→ド→レ→ミ→ファ#→ソ#→ラ
下降:ラ→ソ→ファ→ミ→レ→ド→シ→ラ
ドーリア旋法
レ ミ ファ ソ ラ シ ド レ
フリギア旋法
ミ ファ ソ ラ シ ド レ ミ
リディア旋法
ファ ソ ラ シ ド レ ミ ファ
ミクソリディア旋法
ソ ラ シ ド レ ミ ファ ソ
ロクリア旋法
シ ド レ ミ ファ ソ ラ シ
全音音階
ド レ ミ ファ# ソ# ラ# ド
ディミニッシュ音階
ド レ ミ♭ ファ ファ# ソ# ラ シ ド
ジプシー音階
ラ シ ド レ# ミ ファ ソ# ラ
呂(りょ)音階
ド レ ミ ソ ラ ド
律音階
レ ミ ファ ラ ド レ
都節音階
上昇:ミ→ファ→ラ→シ→レ→ミ
下降:ミ→ド→シ→ラ→ファ→ミ
琉球音階
ド ミ ファ ソ シ ド
はじめまして、何回かこの掲示板に書き込みを行なったtuduです。
相談事があります。
この掲示板の要旨とは少し外れるかもしれないですけど。
両親や他の人から、怒った時の目つきが恐いといわれます。
そして怒るときに口で文句を言って怒るのではなく、
幼児みたいに口で喚いて怒ると言われます。
この事について対策が何かあれば御願いします。
こんな具合で、タレイヌは自分が、少々ずれを持って、生まれついている事を、割と感じながら、ここまで育って(って言うか?!)来ました。
<ココまで、前回>
タレイヌは、Tienさん、niinaさん、(他の方たちもいます)が、(多分?)母親を含む、周りの人々に対して、いろいろな形で、感じてきていることの書き込みを読んでみて、とても自分が近かった(過去形!)と思っているのです。
過去形なのは、(繰り返し、あんまり表ざたにしたくはないのですが・・・)年食ってること=子育てをしたこと、で、タレイヌは、自分への視点がどうしようもなく?変化させられたと、思っているからです。←これは、余談。
タレイヌは、何かを文章化するのがとても苦手です。でも、感じ取っていないわけではなかった…。感じ取っているけど、それを、どう表現していいのか、わからなかったのでした。(という事が、読んでいるうちに自分でわかってきたのでした。)一般的に言うなら、「トロいやつ」です。若い時代は、とくに「速い」というのは、重要な価値ですもの。人より、早く(=速く)知り、速く理解し、行動する。
そんな中では、考えていることを、表現する暇は与えて(さて、これは一体、“誰に”なんでしょうね??いわば、実体のない、母親や友人を代表とする『普通の人?』ってやつでしょうかねぇ・・)もらえなかったのでした。
ま、いろいろあって…(掲示板にくるまでのことを省く)
ココで、色んな、年齢層や、立場の方たちの、ある種飾らない、本音や、感じたままを、多様な言葉と表現で書き込んでいらっしゃるのを読ませていただきながら、タレイヌは、自分が、整理されていってるなぁ・・と感じています。このことが、<釘付けになってしまっている>大いなる理由じゃないかと、今、考えているところです。
若い頃に、なんか変だ・・私って・・・。と、感じていたことが、文章にすれば、こういう言い方になるんだったわ・・・見たいな感じ・・とでも、言ったらいいかな。
ただ、『トロさ』については、タレイヌ自身は、結婚後・・・に限定して語るなら、決して、否定的な捕らえ方はしなくなりました。
子育ては、いわば、待つことばっかり。身に回りの世話は、早さが要求されるけど、それ以外は、ゆっくり待つしかない。このときに、根っからのトロさは、役立ってる気がしています。(タレイヌのみの感想かも?!)
さてさて、本当は、これは、初め、みちるさんへのレスでした。
リアルタイムで、話が進む、「掲示板」で、トロさは、命取りでした!(間延びしすぎのレスで、すみません)
いろいろあった末、今、現在は、お勉強タイム(?)にはいられた由、頑張っていただきとうございます。なぜならば、たとえば、みちるさんのように、多くの、一般的でない「体験」をされている方は、ぜひ学びを通して、「経験」として捕らえなおしていただきたい。このことは、知識を単なる学問で終わらせず、生きた人間を、より活かすための、「エネルギー源」に変換できる、重要人物(?)になれる、可能性を秘めてと、タレイヌは思っているからです。
お子さん4人、さぞさぞ、大変なこととお察しいたします。
どうぞ、お体、壊されませんように。
ゆっくりと、こつこつ(なんて、無理だよね…忙しいんだものねえ・・すみません!)頑張っていただきたいです。・・・・では。
超…ずれずれの、タレイヌでした。
◎純正律における和音の関係
ド:ミ :ソ =4:5:6
ド:ファ:ラ =3:4:5
ソ:ド :ミ =3:4:5
◎平均率の定義
平均律における半音=2の十二乗根≒1.0594 6309 ……
◎平均律と純正律の近似関係
0:1.000 ド 1:1 (ユニゾン)
1:1.059
2:1.122 レ
3:1.189
4:1.260 ミ 4:5 (=1.2)
5:1.335 ファ 3:4 (≒1.333)
6:1.414
7:1.498 ソ 2:3 (=1.5)
8:1.587
9:1.682 ラ 3:5 (≒1.667)
10:1.782
11:1.888 シ
12:2.000 ド 1:2 (オクターブ)
したがって、基本の音階は
ド・ミ・ファ・ソ・ラ・ド
であるといえる。これを俗に「二・七抜き音階」という。
◎五音音階
「五音音階」というのは筆者の造語である。本当は何というか知らない。
アイザック・ニュートンは「ド・ミ・ファ・ソ・ラ」の五音を五大惑星に当てはめ、天体は妙なる音楽を奏でながら天空を運行していると考えた。彼はその「音楽」を楽譜として残している。
ニュートンは、地動説よりどっちかというと天動説のほうが性に合っている、と思っていたフシがある。なぜかというと、「地球」を惑星に数えていないからである。
彼は、地球と太陽の関係を特別なものと見なし、太陽と惑星の関係(地球と月の関係)とは別なものと考えていたように思う。「万有引力の法則」の発見者は、その解釈において自分の理論にそれほど忠実ではなかったような気がする。
◎四・七抜き音階
ド:ソ = ソ:レ = 2:3
∴ド:レ = 4:9 = 1.125
二・七抜き音階からファを除き、レを加えたのが「四・七抜き音階」。中東・アフリカ等の民族音楽や演歌で一般的な音階。
◎八音音階
「八音音階」というのは筆者の造語である。本当は何というか知らない。
ド:ミ = ソ:シ = 4:5
ド:ソ = ミ:シ = 2:3
ド→ミ→シ あるいは ド→ソ→シ を考えると、
ド:シ = 8:15 = 1.875
二・七抜き音階にレとシを加えたのが、現在普通に使われている八音音階。「オクターブ」とは、「八番目の」の意。
◎オクターブ
「倍音」というのは、「和音」と云うにはあまりに鬱陶しい、と感じるのは筆者だけではなかったらしい。純邦楽ではオクターブをほとんど使わないため、オクターブが取れないひとがたまにいる。
この文章はほとんど当てずっぽうで書いてある。あまり信じないように。専門家の叱正を歓迎する。
(KILROY)
syaku wrote:
>シュッツさん、どうしたのかなー。
>私のせいで傷ついちゃた?ごめんなさい。元気になったら、出てきてね。
>気楽に、いろんな自分を表現してみてね。
現在は平日の昼間に会社からネットにつないでいるだけなので、週末はここを見ていないだけです。
傷付いたと言う程ではないですが、少しだけ元気をなくしたことはあります。
「私には『皮肉』を使う技術はない」
皮肉のつもりではない時に、そう受け取られたことはよくありそうです。
逆によく考えて「皮肉」を試した“つもり”のときには、誰も読み取ってくれない。
どこに「皮肉」を入れた“つもり”かは書かないでおきます。
さて、リタリン、SSRI、デパス。
ぺりこ さんwrote:
>> 傷の深すぎるひとは、おだいじに。傷のまわり、右回りにそっとなでなでしてください.
>
>なぜ右回り?
右回りっていうのは本の受け売りです。
オーラなんてまったく見えませんが,そのてのことが克明に見える科学者が,一番簡単に見えるというオルゴン・エネルギーは、確かに私にも見えます。何かに焦点を合わせるのをやめれば、空に光の点がちらちら蠢いてるのが見えてきます。
人体も、そういうまだ常識で扱われていない領域から、常時エネルギーを補給するらしいです。人体に7つのチャクラがあって、2から6までのチャクラは前と後ろに分かれており、すべてのチャクラのバランスが健康に必要です。単に心身の状態だけでなくて、チャクラが反時計回りになっていればあるはずの現実が受け取れません。健康な人には何でもないことでも、チャクラの状態によってはダメージとなります。チャクラが逆周りなら否定的な現実を作り出してしまうのです。犯罪なども頭のチャクラの左回りのせいで起きるとか。
それで、痛むところはとりあえず右回しです。やがて効いてきます。
どこかが強すぎてバランスが悪かった場合もそこを急に止めてしまわずに、弱かったほうを回すようにしていただきたいです。
不可視の領域の恵みを、全面的に信頼する行為が念仏です。ナモアミダブツって、古臭いですけど。
一穂(いちほ)さん wrote:
>まず、基本の、ドミソの和音をからだに入れる。
>
>ドの音だけを聴いて、ミを出す。>ミの音だけを聴いて、ソを出す。>ドミの和音だけを聴いて、ソを出す。>アルトの場合はとくに>ミソの和音だけを聴いて、ドを出す練習。>(ロングトーンで・・・ひとつの和音につきだいたい8〜10秒間くらい伸ばす。その間響きを一定に保つこと)>そして、半音階すつ変調していきます。
>[ドミソ]⇒[♯ド・ファ・♯ソ]⇒[レ・♯ファ・ラ]⇒・・・・・
うたえる人ってそんなことできてたんだあ…。
小学生の頃、音楽の時間にいきなり先生がドミソや他の和音(他は何だったか忘れちゃいましたが)をオルガンで弾いて「さあ、これは何の和音かなぁ?」と言ってクラスの全員に答えさせるというのをやってましたが、私ひとり、どれを聴いても「ドミソ!」と言ってました。ははは。
…そんな私が中学生になって(授業なので仕方なく)合唱クラブに入りました。もちろんハモれるわけもなく、どんな曲でも、楽譜みてイキナリハモっちゃってる友人をコイツら宇宙人か?と思いながら、ひたすら自分のパートのメロディを覚えました。
今でも、カラオケの曲は死ぬほど同じ曲を聴いて、うたってるというよりは、モノマネに近い状態で覚えています。だから、キーが合ってないといって勝手に音を変えられるともううたえません。
うたうという行為自体は大好きですが、決して正しい音程ではうたえないのですぅ。
うう。知らなかった。大変勉強になりました。
えっと、いつきさんのおっしゃっておられたようにラジオを聴きながら他のことをする行為は逆に得意です(私はADD)。ただ向かいあって話している人の話し声を聴き取るのは苦手です。聴力は十分あるのですが、音(人の声)に慣れてないのかな?いや、ラジオは聴けるから違うなあ。まあ、話を聴ききる集中力が持続しないということなのかもしれません。つい、口の動きを一生懸命見過ぎてしまってたりとか。すみません、よくわからないレスになってしまいました。
大槻いつき wrote:
>
>私の場合、ASであることに関係するのかどうかわかりませんが、>歌っているときは
>他の人の声を聞くのがおろそかになるようです。
>「きく」と「歌う」を併行してやるのが出来ないみたい。
わたしも合唱やってました。
今は裏声をやめて、地声のヴォイストレーニングの方をやってます。
こどものころからずっと、長い間裏声ばかりつかっていたので、
地声で歌うことに慣れなくて四苦八苦してます。
・・・歌をやってると、聴くことはとても大事になってきますよね。
とくに合唱は、和音を鳴らすときに、何度の和音はこうゆう響き、ってゆうのがあるので、なおさら耳をつかいます。
聴くことと歌うことはまったく切り離すことができないことになってきます。
まず、聴くことが大事です。
わたしの入っていた合唱団ではむしろ、歌うことよりも聴くことの方に集中すべき、といったかんじで、入って約半年間、ピッチが合うまではほとんど声が出せませんでした。
わたしの場合は
和音を、1個1個の音と音のぶつかりあいとしてとらえるのではなく、和音の持つ響きをまるごと感覚で覚えてしまうことで
音に迷いにくくなりました。
まず、基本の、ドミソの和音をからだに入れる。
ドミソといっても、その合唱団によってピッチは違うのですが
基本的には
平均率(ピアノ)のドミソと、純正率(ハーモニーディレクター)のドミソがあります。
(アカペラの宗教曲なんかはだいたい純正率をつかいますが
ピアノ伴奏のついた曲は平均率で歌いますよね。)
ドの音だけを聴いて、ミを出す。
ミの音だけを聴いて、ソを出す。
ドミの和音だけを聴いて、ソを出す。
アルトの場合はとくに
ミソの和音だけを聴いて、ドを出す練習。
(ロングトーンで・・・ひとつの和音につきだいたい8〜10秒間くらい伸ばす。その間響きを一定に保つこと)
そして、半音階すつ変調していきます。
[ドミソ]⇒[♯ド・ファ・♯ソ]⇒[レ・♯ファ・ラ]⇒・・・・・
簡単なことのようですが大切な基本です。
入るときぴったりとキメること、音が揺れないこと。
ドミソをマスターしたら、ほかの和音(4度とか6度)でもやってみてください。
自然に、聴くこと(というか和音に)慣れていくと思います。
合唱の世界では、歌うことと聴くことはひとつの動作といっても過言ではないです。
ラジオを聴きながら作業をするのができないってゆうのとは
集中力の使い方がまたちがうと思います。
武田好史 wrote:
>みなさんこんばんは。
>またふーっと聞いてみたいことがあったので、質問します。
>あなたの思い出のアニメーションは、何ですか?
私の場合次の3つです。
未来少年コナン
大規模な地殻変動によって、ほとんどの陸地が海底に沈んでしまった未来の世界(実はそれはちょうど今頃のことなのだが・・・)の物語。ある島で暮らしていたコナンという少年が、海岸に流れ着いたラナという少女を助けた。ラナはの父はインダストリヤという島の存亡がかかる「太陽熱の鍵」というエネルギー技術を作った人で、ラナは父の居所を追求する島の当局に追われていた。やがてラナはさらわれそれを追ってコナンは冒険を始める。・・・(実はのちの「天空の城ラピュタ」はこのアニメのリメーク?)
最後の方で、太陽熱の鍵でも救われず結局海に沈んでいく、インダストリヤの中で、ラナの父がラナたち子どもに見せた幸福な世の中の立体画像が消えるときのラナの涙が印象に残っている。
銀河鉄道999
私が幼稚園のころはやったアニメ。このアニメのせいか幼稚園には鉄道マニアの子がやたらいて、一度先生方が幼稚園中に銀のテープで線路を作って、電車ごっこを楽しんだっけ・・・
機械人間に母を殺された鉄郎とういう少年が、メーテルというお姉さんと銀河鉄道に乗って、地球からアンドロメダまで旅をするというストーリ。
鉄道というあり得ない手段で宇宙を旅するということと、毎回違った感じの星へ999号が着いて二人がスリリングな途中下車の旅を展開していくのがおもしろかった。中には雨ではなくってねじが降ってくる星があったり、星自体が生命体だったり、ある少年がかわいがっていた猫の魂がきれいな交差した輪を持った星になり住人は青い髪の女の人だけというものや、すべてのものを化石化してしまうガスに飲み込まれた星もあった。
小さな銀河の原で、999号の窓から車内に入ってきたミニ銀河をメーテルが手に乗せてほほえむシーンが何かミステリアスで印象に残っている。
南の虹のルーシー
オーストラリアへ新天地をもとめて、南部のアデレードにやってきたルーシ一家の物語。ルーシーは動物好きの女の子。ディンゴという野犬の子を育てたり、いろいろな動物を育てる。
しかし家は一家5人なので貧しく、お父さんはある日ルーシーがかわいがっていた羊を売ってしまった。ショックを受けたルーシーは、街へ飛び出して馬車に跳ねられて記憶を失ってしまう。幸い子どもを失ってしまった夫妻に助けられるのだが、自分の家を見ても判らなくなってしまうシーンが泣けた。
幸いあのディンゴがやってきて、ルーシーに寄り添った時に記憶が戻り彼女は家に帰れた。
アデレードといえば、今年の夏に留学していた日本人女性が行方不明になっている。ルーシーのように無事だとよいが・・・・
私は現在合唱団でアルトを歌ってます。
合唱というと、ソプラノなど主旋律を歌うパート以外では特に、
自ら歌いながらほかのパートを聴いてハーモニーを意識しなければなりません。
整理すると、
他のパートを聴く→その音程から、自分がどういう音程を出せば美しくハモるのか考える
→その音を歌う。
「その音を歌う」の過程では、その曲のその場面に応じての強弱やいろいろな表現が要求されます。
そのなかで、いい発声など自分の体の使い方にも配慮して歌わないといけません。
当然テンポのほうも指揮やまわりの人にあわせなければいけません。
結構なマルチタスク。
私の場合、ASであることに関係するのかどうかわかりませんが、歌っているときは
他の人の声を聞くのがおろそかになるようです。
「きく」と「歌う」を併行してやるのが出来ないみたい。
もともと、他のことをしながらラジオなんかを聴こうとしてもききとりにくかったりするし。
声を出しながらだと聴力自体が下がってるかんじもします。
歌うときに限らず、別の作業をしながら同時に音を聞き取ることが出来ないくせには
閉口してるんですが。
たぶん耳自体に問題はないんだけど、補聴器とかをつけてカバーすることは可能なのでしょうか?
耳は健康なのに補聴器なんてつくれない、と言われるかもしれないし。
今、耳鼻科に行くか行くまいか迷っているところです。
シュッツさん、どうしたのかなー。
私のせいで傷ついちゃた?ごめんなさい。元気になったら、出てきてね。
気楽に、いろんな自分を表現してみてね。
syakuさんwrote:
> 私が仮想人格と言ったのは、掲示板以外では一言も語れないという頑なさに対してです。
掲示板上と実社会においては違うと思うのですが・・・
私は以前、仮想(仮装)人格を使う方に直に接していました。
生身の自分が傷つかないためにそうしていたんだと、後で(ここがみそ)気が付きました。
彼は仮想人格を使っていても、言葉の端々や、ちょっとした態度に、本当の姿が見え隠れして、最初からとても傷つきやすい人であることは容易に分かりました。
私はそのとき、”なぜそうまでして自分を護らねばならないのか”、”もっと人を信じてもいいのではないか”、”本当の自分で人に接していく方が、傷つきながらも成長していくことが出来るのに・・・”と思いながら、何となく(ここがポイント)彼に合わせて関わりを持っていました。
関わりの時間が長くなるに従って、私の方に不安が生じてきました。
私はありのままの自分で接しようとしているのに、相手はそうではない。
彼にただ合わせるだけの自分が、不安に成ってきたのです。
そして対等の立場で接っするよう彼に要求して、二人の関わりは終わりました。
何しろ、仮想の絆でしかつながってないのですから、あっけない終わりでした。(表面的には・・・)
彼が仮想人格で接していると私が気づいて、合わせていると自覚しなければ、こうは成らなかったと思います。
ここの掲示板で、いろいろな”人との関わり方”を見てきました。
今、私が思っているのは、対等になりたかったのなら、仮想人格で関わってきた彼に、自分も仮想人格で関わるべきだった・・・(その人に変化を求めるのではなく、気づいた私が変わるべきだった)
仮想の絆は弱いかもしれないけれど悪い訳じゃない、悪いのは関わりをやめてしまったこと・・・。
本当の意味で、彼を理解していなかったことを悔やんでいます。
>掲示板上で人格を使い分けることは自我の柔軟さであり、大森総研の人たちを仮想>人格と呼ぶのと私の使ったのとでは逆の意見になります。大森総研の人たちは、発>展人格とでも呼べるものではないでしょうか。
本当の人格と仮想人格と発展人格の違う所は、意見の発信元になったとき。
本当の人格と仮想人格と発展人格の同じ所は、意見の受信先になったとき。
名前や経歴や人格を変えたつもりでも、特に痛い意見を受信するところは生身の自分になるので、本当の人格が浮かび上がってきます。
自分では解らなくても、人からは見えるものです。
傷つかないふりは出来ると思うけれど・・・
>で、頑なさは自他の健康に悪いので、もっと心を開くことはできないものかと。
> 意識的な悪役は、私のいう仮想人格に対して破壊的刺激があって、人格の成長を促す効果が期待できます。何か言われて気に障るのは、まだ本当の自分が育っていないからではないでしょうか。
きっと人間は死ぬまで成長していくものなのでしょう。
> 傷の深すぎるひとは、おだいじに。傷のまわり、右回りにそっとなでなでしてください.
なぜ右回り?
(ぺりこ)
Maria wrote:
> まあ、まともな大人というのはなるべく人を傷つけたくないと思っているのよね。あたしですらそう思ってはいるわけなの。で、無神経に人を傷つけちゃう人もいっぱいいるし、そうではなくて人を傷つけることを承知の上で言うべきことを言うひともいます。あたしやMotoちゃんは後者の立場をとっているということ。
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