アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
こらー ASの課長
人のネタ勝手にパクルな
おまえ誰やねん
おれのなんやねん
るうさん wrote:
>ただ、一人のひとから発信されたいろいろなメッセージがあって、それをキャラ
>クターによって振り分けたとしても、もともとは一人のひとから発せられている
>発言だと思うと、Mariaさんに対してはこういう態度、Mr.Motoさんに対しては
>こういう態度、みたいな使い分けをするのが(もちろん頭で理解はできているの
>ですが、感情的な面から言うと)少し難しい、というか、こんがらがっちゃうと
>いうか…。
まあ、こういうのは世代の差もあるだろうし、文化の差もあるという気がする。
マンガの中には、同一の作家によって描かれたキャラクターが存在し、マンガ家本人がキャラクターの一人として登場したりもする。
ファンの中にはマンガ家本人のファンもいれば、登場するキャラクターのファンもいる。ファンレターは作家に出すがバレンタインデーのチョコレートはキャラクター宛、というケースもある。
で、『名探偵コナン』のように、二人のマンガ家が同一のキャラクターによる作品を別個に書いている場合もある。なつかしの『ブロンディ』に至っては親子二代で描き継がれている。
そんでもって、うちのMariaはそもそも『ふたりで聖書を』という伝奇ミステリー小説に登場するキャラクターである。KILROY氏は科学系エッセイのライター、おれは時事問題がどっちかというと専門。そうした背景を知らなければ文体以外では区別がつかん。
そんなわけで、別にこんがらがったところで実害はないように思う。そういうこともあるだろう、と思いながらこっちも書いてんだから。
ついでに言うと、このところ書き分けをサボッているが、KILROY氏とおれとMariaは実のところ文体がかなり厳密に異なっている。文体分析ソフトウェアでも持ってきて比較すれば、たぶん別人と出る。ただし、日本語文法の規範に忠実、という点では三人とも共通しているのだが。
KILROY氏の文章は、もともと漢文の読み下し文がベースになっている。これはたしかMakichanさんが指摘していたのだが、文語というのは「書きことば」として発達してきたものだから規範性が高く、「かっちりとした表現」に向いている。しかも漢文の読み下し文は音韻の面でも耳に心地よいのである。そんなわけで論文なんかはこの漢語っぽい文章が向いている。「高い。」「少なくない。」といった、形容詞の連体形で終止するスタイルは文語の形容詞終止形を意識したものである。おれも最近ちょくちょく使っちゃうが、これは本来KILROYの文体である。
これに対しておれの文章は落語、すなわち「江戸時代のべらんめえ言葉に似せた現代語」がベースである。現代口語の枠内で「文法的にかっちりした文章」を書こうと思うといろいろ無理があるのだ。たとえば「見事です」「赤いです」とかいった、体言の省略がうまくいかないのである。そこで「見事なんである」「赤いのである」といった形で「いわゆる準体助詞の『の(ん)』」を使ったりもするのだが、その結果行きついたのが現在使っている「東京下町べらんめえ口調風現代語」なのである。
Mariaの文体には、原則的に現代語の枠組みの中でなるべく文法に忠実に話そうと思うとどうなるか、という実験的な性格がある。その意味で「ネオ日本語」ともいうべき文体なのだ。ベースになっているのは敬語。「美しゅうございます」「よろしゅうございます」なんていう「形容詞連用ウ音便」なんかは現代口語の中には敬語にしか残っていない。それを日常語のレベルで使うのがMariaである。
そんなわけで、我々は「日本語はどうあるべきか」みたいなところをちょっとばかり追求しているのである。
(Mr.Moto)
Mr.Motoさん wrote:
>>> そう考えると、黒Maria状態でない、スの状態のMariaがいちばんわれわれ
>>の本音に近い、と言えるかもしれない。
>>
>>そ、それじゃ、おかまのサイトにいったほうがいいと思う〜うっうっう〜。
>
> ひとつ聞いときたいんだが、↑こういうバカ(本人がそう名のっている。本
>人の意志は尊重してさしあげよう)も「この人はきっと精神に障害を持った人
>であり(←こう判断すること自体障害者に対する差別という気がするが)、自
>分が何をやっているかよくわかっていないのだ。だから相手の立場を思いやっ
>て、優しく接してあげなければいけないのだ。」と思って扱わにゃならんのか
>?
真剣にコメントしている人については、意見が外れていてもフォローする場
合がありますが、この場合は対象外です。
すでに警告が出されている以上、バカひさしさんも覚悟をしてコメントした
のでしょう。
pocksさん、ご意見ありがとうございました。
きのう、息子は初めて精神科の病院に入院しました。最近建て変わったきれいな
病院で設備も整っていて、息子の部屋は洗面トイレ付きの個室で一見、ホテルみたい、と思ったものです。
早速血圧を計ってもらいましたが、上が170以上もあってびっくりしました。
SSRIをのみはじめて食欲旺盛になり太りすぎで、(本人は、これでちょうど良いと
言い張りますが) 心配していましたので、この際食事のとりかたをしっかり
身につけてもらいたいと思っています。
まだ一日目ですが、この入院生活で良いところはそれだけのような気がします。
主治医の先生は優しい感じですが、なんだか忙しそうで薬の事など説明不足ですし、スタッフの人たちも親切だけれど仕事に追われて、思いやりまで手がまわらないといった感じです。 早く退院させたくなりました。
息子と私は今まで、さんざんドクターショッピングして20人くらいの先生や
カウンセラーに会いましたが、いくら偉いお医者さんでも大学の先生でも
この人は信頼できる!と言える人は殆どいないと思いました。
(洞察力があり誠実な先生は一人しか思いあたりません)
なんでもやはり最後は、その人の人格とか性格ですよね。
未熟な母親でえらそうには言えませんが・・
シンタロウ さんwrote:
> 絶対許せネエ!!!学習障害をバカにしやがって!!!!オレは今そのクソ教授に一言言いたい!!!!
>
> オメ−みたいなクソ野郎は大学の教授をやる資格無い!!!!同時に学習障害を語る資格無い!!!!!テメーみたいなバカ達が日本の教育をダメにしたんだ!!!とっとと辞職しろヴォケ!!!!!!
そうだ!そうだ!言ってやれ〜〜〜〜〜!
もっと、もっと、言ってやるんだ―――――――っ!!
この教授は、これが初めてじゃ、ゼッテ――無い!!なんどもなんども、あちこちで繰り返したんだ。だから、馬鹿呼ばわりされた、「学生」は、非常に冷静に、手順を踏んで、論理を踏まえて、根気良く、攻めていった・・・・・・。
「学生」のほうが、よー―ッぽど、頭いいぜ!!
こういう輩は、たくさんいるから、シンタロウさんも、負けていては、いけないよ。
そうやって、叫んでくれると、タレイヌもすっきりするぞーーーーー!
(管理人さん、ぶたないで!・…タレイヌ・・・)
横横横レス。
KILROYさん wrote:
> 「ねぇ、本当にあたしのこと、愛してくれてるの?」
> 「どうして?」
> 「だって、あたし、美人じゃないし。」
> 「きみは美人じゃなかったのか。気がつかなかった。」
> 「……」
> 「きみを知ってから、きみ以外の女は女だと思えないのでね。だから、比較の対象がない。そうか、美人じゃなかったのか……」
> こういうセリフが真顔で吐ける奴は、たぶん自閉症方面の男である。もっとも、これで喜んじゃう女も(いればだが)非・自閉症方面とは思えないが。
阿刀田高か星新一の文章っぽいな、と思いました。
星新一って、突然こういうやたら説明的なセリフまわししますよね。
個人的には、こーゆーやたら説明的なセリフが出てくる文章は「こなれてないなぁ」
「ネタが苦しいから不自然に説明的になるんだなぁ」と思ってしまうのですが、
「ASっぽい人たちの会話」としてこうゆうのを読むと、
いきなりめちゃくちゃリアルに、生き生きと感じられてきますね。
さらに横レス。
Mr.Motoさん wrote:
>>四国学院大で学生部長を務める文学部教授が、ある学生に対し、
>>「君たちのような学習障害者は私の授業をとらないでもらいたい。単位は
>>出さない。」「君は下半身が太いな。脳が発達していない証拠だ。」
>>などと発言、この学生は科目の履修を断念した
> そういえば、上記の四国学院大の教授の「君たちのような学習障害者は私の授業をとらないでもらいたい」発言も、「学習障害者」ではなく「劣等生」とか「落ちこぼれ」とかだったらこんな騒ぎにはならなかったろうに、と思う。
>
> 差別的な表現をポリティカル・コレクトを配慮した表現に置きかえ、粗暴な言葉遣いを敬語に改めれば問題は解決するという訳ではあるまい。
>
> 「あんたバカ?」を「あなたは知的障害者ではありませんか?」と言い換えたら、おそらく血の雨が降る。
私は、正直この発言にはあんまり腹はたたないのですが。
結局、「バカが大学に来んな!」と言いたかったんでしょ?
で、学習障害という用語が別にあることは知らずに、
バカ、勉強しても伸びる見込みのない生徒→学習障害、と、自分の造語のつもりで
言ってしまっただけなんじゃないかと思う。
まぁ、仮にも教育者が「あんた伸びる見込みが無いから授業受けないで」
と発言すること自体、十分に問題なんですが。
学習障害という用語を知っていて、その意味までは知らずに(あるいは間違った意味を「知って」いて)、
こういう発言が出てきたとすれば、問題はちょっと変わってくるけれど。
ミッドランド wrote:
> ASのことではないのですが、気になったことがあったので書きます。
>
> 9月18日付山陽新聞に、このような記事が載っていました。
>
>#「四国学院大 学生部長が差別発言 『学習障害者 授業とるな』」
>
> 内容は、四国学院大で学生部長を務める文学部教授が、ある学生に対し、
>「君たちのような学習障害者は私の授業をとらないでもらいたい。単位は出さない。」「君は下半身が太いな。脳が発達していない証拠だ。」
>などと発言、この学生は科目の履修を断念した、
ひどい!お前はそれでも文学部教授か!
そういう学生こそが金の卵だっていうことが判らないんなら、お前こそ即刻大学の教授なんか止めてしまえ!
ありがとうございます。ねこまんまさん。
ネットって不思議なもので、やっぱり勇気付けられます。
シンタロウさんも、ファイト!だぜ。
ともにがんばりましょ。ねー。
みる さんwrote:
>自分のココロが書いてあるみたいで、ねこまんまさんの文章に衝撃を受けました。
>希望あるかな。そう思いたいです。
動揺させてしまったらすみません。
ここに来ている人達は、おおくの人が人生を「紆余曲折」しちゃってて、迷って、悩んで、考えてきたと思います。
前の発言には書かなかったけど、私の両親にもそれなりの「紆余曲折」があったことも最近では少しわかるようになってきました。(でも、まだ、会ってもうまく立ち回れないし、彼らもつい私を抑えつけようとしてしまったりしますが。)
みるさんにも「希望」はあると思います。たとえ親に対して抱いている嫌悪がやわらぐことはなくても、別の見方をする機会が訪れれば。外からみれば何も変わらなくても、心の中にこういうの→! が浮かぶこともあるので。
昨日はシンタロウくんにもそういうことを伝えたいと思っていたのですが、私自身が渦中にいるとき(毎日問題がふりかかっていたとき)に、そこまで考える余裕も環境もなかったことを思いだして、とにかく、すぐに必要な対策として、親から離れることを提案したかったのです。
伝わったかどうかは別としても、シンタロウくんが親との折りあいをつけること、そしてそこから、自分の人生や感情や生活といった自分自身に関することをうまくやっていけるといなあと思ったのでした。
シンタロウくんのこと応援しています。みるさんのことも。
Mr.Motoさんへ
とんちんかんなところでとんちんかんな質問をしてしまったのに、ご解答ありがとうございました。
うまく表現できないのですが、Joshyaさん的な立場や経験、Mr.motoさん的な発言の仕方、Mariaさん的なキャラクターに関して、これらの要素全てをあわせもつ人格を考えたとき、自分にもそういう部分(色々な面をもちあわせているということ)があることが想像できたのでとても身近に思いました。
もちろん、この皆さんほど高度な表現方法や素早い理解力は持ちあわせてはいないので、あくまでも、多面性?についてです。
そういうことを言っているんじゃないのはわかっています。ごめんなさい。ただ、一人のひとから発信されたいろいろなメッセージがあって、それをキャラクターによって振り分けたとしても、もともとは一人のひとから発せられている発言だと思うと、Mariaさんに対してはこういう態度、Mr.Motoさんに対してはこういう態度、みたいな使い分けをするのが(もちろん頭で理解はできているのですが、感情的な面から言うと)少し難しい、というか、こんがらがっちゃうというか…。もうちょっと言うと、Joshyaさん、Mariaさん、Mr.Motoさん、KILROYさんどうしは、意志の疎通ができているのだけれど、私を含めたそれ以外のひとにはそこまでそれぞれの立場の違いに対する理解が明確になされているかなあと思ってしまうのです。そして私に限って言えば、あんまり区別がついていない、区別がつきにくいという感じがどうしてもしてしまって。正直、時々混乱してしまいます。
Mr.Motoさん wrote:
> ところがMariaがプレッシャーでキレた。
> そう考えると、黒Maria状態でない、スの状態のMariaがいちばんわれわれの本音に近い、と言えるかもしれない。
そういえばMariaさんがでてこないですね。少し心配(というのとも少し違うのですが)です。
うまく言いたいことが表現できたか少し不安ですが…
るう
アホな男やな〜 君は。私がここに来ないわけがない。もうばれとるがな。
>なぜ、ポイントをはずしたツッコミをされてイライラするような目にあうのかとい
>えば、それは、
>"わかりにくいから"。
>相手の悪意のせいというよりも、それは自分の文章が誤解されやすいから。
部下より有能であることを示すために、必要のないというか、外した突っ込みをあえてする上司、という人種は、間違いなくこの世に存在しますから、Mr.Motoが遭遇した上司氏がこのタイプではないと言えない限り、そこまで断定することはできないのではないでしょうか。
既に武田好史さんが返事を書かれていますので、別の面から…。
>実は息子の入院のきっかけは、将棋道場でけんかして、「クズ! おぼえてろ!
>殺してやる!」などと激しくわめいて、その夜は包丁をふりまわして新聞や
外していたらごめんなさい。
その喧嘩のきっかけは何だと息子さんは言ってますか?
「道場」ということなので、非礼をなじられたとか、そういうことがあったかもしれないと思うのですが、どうでしょう。
自閉系の障害には、社会的関係や、いわゆる「場の雰囲気」をつかんで行動できないという特徴があります。
アスペのように、いわゆる機能(知能)が高ければ、いかにあるべきかという理論をなんとか把握できるかもしれませんが、障害のため理論を適切に応用することまではできません。たとえば私の場合、敬語のペーパーテストで得点することはできても、話す相手によって言葉遣いを適切に変えることができないのです。ですから、上司にタメ口をきいたり、子供に敬語を使ったりすることはしょっちゅうであり、なまじ理論がわかっているだけに、間違えるたびに自己嫌悪に陥ります。
そうした自己嫌悪を感じた瞬間、「無礼」とか「馬鹿」とか言われると、たまらない気持ちになります。その非難は正当ですが、そのミスは障害のため起きているのであり、自分ではどうすることもできないものでもあるからです。
もし、障害であることを知らず、責められる一方なら、私はキレるしかなくなるでしょう。
息子さんが、他人との社会的な距離がうまく取れないことで悩み、神経質になっているのでしたら、告知したほうが良いかもしれません。
シンタロウ君のお母様へお願いです。(自閉者養育上の注意)
自閉者の「こだわり」をなくそうとすると、逆効果です。
「こだわり」は、なくそうとするのではなく、ゆっくりと、社会の許容範囲にまで変化させることを目標にするのが妥当です。(「ガイドブックアスペルガー症候群」トニー・アトウッド著/東京書籍147ページ など)
自閉者の「能力」には著しい偏りがあります。
突出した能力をもちながらからっきし「生活力」がない、といったことは、映画「レインマン」で、暗算で平方根を計算できたレイモンド(主人公の自閉者)が、身近なものの値段がわからなかったように、自閉者にはありがちなことです。(「レインマン」はフィクションですが、かなり徹底した考証がされています。)
「能力」や「知能」が高そうに見えても、すべての能力が本来高い(訓練すればすべての能力が開花する)わけではなく、訓練で並になれば御の字、それも、「高い能力」を潰す危険と隣り合わせでしかありません。
我々が努力によって能力を得たのなら、「その努力を他の方向に向けてくれれば」という期待は正当ですし、得意分野を禁止されれば他に向かうこともあるのかもしれませんが、我々自閉人の場合「高い能力」は自閉本来の偏りの表れであり、訓練の結果ではありませんから、「○○なんか役に立たない」といって得意分野のことを禁止したからといって興味が他に向かうことはなく、何もできなくなって精神が壊れる以外の結果を生むことは希なのです。
とある大規模ソフトウェアの開発プロジェクトにかかわる話である。なお、以下の話しは実在する個人名・団体名とは一切関係ありません。関係ないぞー!
ところは特に名を秘す某日本電気株式会社府中事業場(仮名)において、ある会議において特に名を秘す某Joshya氏(仮名)が中請けのプロジェクトリーダーが提示した今後の方針をボロボロにこき下ろしたことに始まった。面子を潰されたそのプロジェクトリーダーはJoshya氏に反論しようとしたが、その場にいた開発者のしらじらとした視線の前に沈黙せざるを得なかった。そんなわけで、発注元の特に名を秘す某日本電気株式会社の責任者の提案で、その会議の結果を活かす形で再度方針を練りなおすことが決まった。
すると、Joshya氏のところにサブプロジェクトリーダーのT氏が、部下を連れてやってきた。凄腕、というのでJoshya氏も一目二目も置いているというシステムエンジニアさんである。
「きみ、馬鹿だろ。」とT氏。
「馬鹿は嫌いですか。」と真顔で答えるJoshya氏。
「ああ、大っ嫌いだね。」と、真顔でいうT氏。
「これは、場を改めて十分に話し合う必要があるように思いますが。」
「結構だね。望むところだ。」
一緒にいた部下は顔色が変わっていた。
そんなわけで、Joshya氏とT氏は、分倍河原駅前の焼鳥屋で、「自分がどれだけ馬鹿か」という「馬鹿自慢」を肴に痛飲したのであった。
メタ・メッセージは、ほとんどの場合意識されずにメッセージに付与されるために、しばしば誤解を生み、「気が合う」「反りが合わない」といった形で判断される。ところが、「意図的に付与されたメタ・メッセージ」というのは、しばしば「あなたは私のことを理解してくれていますか?」という意味をこめて発せられるのである。で、その場合、そのメタ・メッセージが難解であれば難解であるほど、「親密さ」を高める働きが強い。
こうしたメタ・メッセージの発しかたが、無意識的かつ稚拙である場合は、「子供だ」と言われ、意識的かつ巧妙である場合は、「大人だ」と判断される。
「ねぇ、本当にあたしのこと、愛してくれてるの?」
「どうして?」
「だって、あたし、美人じゃないし。」
「きみは美人じゃなかったのか。気がつかなかった。」
「……」
「きみを知ってから、きみ以外の女は女だと思えないのでね。だから、比較の対象がない。そうか、美人じゃなかったのか……」
こういうセリフが真顔で吐ける奴は、たぶん自閉症方面の男である。もっとも、これで喜んじゃう女も(いればだが)非・自閉症方面とは思えないが。
これはあくまで私見であるが、高度に社会に適応した自閉症方面の人間は、メタ・メッセージをほとんど常に意識的に捉えているために、非常に「大人だ」と判断されそうに思う。同時に、「皮肉っぽい」(これも意識的にメタ・メッセージを込める行為である)と言われることが多いような気がする(とはいえ、「そういう性格の人間は、関西人には『あんたはホンネで喋っとらん』といって怒られるケースがしばしばある」という指摘もあるのだが)。
中島らもさんが言う、「ハードよいしょ」(けなしながらヨイショする)というのは、多分に自閉症方面の人間の感性に近いもののような気がする。つまり、メッセージレベルでは否定しながら、メタ・メッセージレベルでは「よいしょ」する、というのは、この「メッセージとメタ・メッセージ」の関係を強く意識していないと不可能だからだ。「まあ、確かに設計とアルゴリズム開発じゃあ彼にはかないませんけどね、コーディングに関しちゃあおれのほうが上だ」みたいなセリフは、「自他共に認めるプログラマーで、なおかつコーディングの達人」が言うとヨイショになるのである。
世の中には、「悪意」に基づいて発言しているポーズを取りながら、「善意」で発言しているひとがけっこう多い。「この人が、こんなことを言うなんて!」と怒る前に、「この人が発しようとしているメタ・メッセージは何か?」を冷静に考えてみるのも、大事なことだと思う。
(Joshya)
シンタロウ wrote:
> なんで僕を責めるの?・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
> お母さんなんで僕を叱るの?・・・・・・・・・・・・・・・
>
> お母さんなんで僕を傷つけるの?・・・・・・・・・・・・・
>
> お母さんなんでほめてくれないの?・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
> お母さんなんで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
> お母さん僕が嫌いなの?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
> お母さんなんで僕を無能扱いするの?・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
> お母さんなんで怒るの?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
> お母さんなんで怒鳴るの?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
> 僕はいらない人間なの?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
> お母さんなんで僕のことを理解してくれないの?・・・・・・・・・・・・・・
>
> お母さん○○○○やる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
すごく悲しくなりました。
あなたの気持ちを、心の声をお母さんに伝えて見てください。
私は、高校生の息子を持つ母親ですが、常に息子に言葉では伝えられなくても、
手紙でつたえています。喧嘩したあと、久々に会った時などは必ず・・・・
あなたはお母さんの大切な息子です。
あなたの事を傷つけてしまってたらごめんなさい。
お母さんはあなたを理解する為にずっと努力します。
あなたの為なら出来る限りの事をします。
だから一緒に頑張っていこうね!
・・・・っていつも心の中で思ってる事を書き綴っています。
私は親の立場でしか考えられないけど、もし息子をシンタロウ君のように追い詰めていたら、傷つけてしまった分これからはずっと息子に伝わるまで、愛情をかけ続けていく努力は無論おしまず、親子の溝が埋まるまで謝り続けます。
いらない子供なんていない。ただ、親も未熟なあまり傷つけてしまう事もあると思います。シンタロウ君のお母さんもきっと誰よりあなたを愛していると私は信じています。
シンタロウ君のレスがあまりに悲しくて・・・背景も解らずに書いてしまったので
不快な思いをさせてしまったらごめんなさいね。
バカひさしさん wrote:
>Mr.Moto wrote.
>>
>> そう考えると、黒Maria状態でない、スの状態のMariaがいちばんわれわれ
>の本音に近い、と言えるかもしれない。
>
>そ、それじゃ、おかまのサイトにいったほうがいいと思う〜うっうっう〜。
ひとつ聞いときたいんだが、↑こういうバカ(本人がそう名のっている。本人の意志は尊重してさしあげよう)も「この人はきっと精神に障害を持った人であり(←こう判断すること自体障害者に対する差別という気がするが)、自分が何をやっているかよくわかっていないのだ。だから相手の立場を思いやって、優しく接してあげなければいけないのだ。」と思って扱わにゃならんのか?
だとすると、
>四国学院大で学生部長を務める文学部教授が、ある学生に対し、
>「君たちのような学習障害者は私の授業をとらないでもらいたい。単位は
>出さない。」「君は下半身が太いな。脳が発達していない証拠だ。」
>などと発言、この学生は科目の履修を断念した
みたいな例も、「この教授はバカなのだから赦してやれ」ということになるのだろうか(ついでながら、『エスキモーに「将軍」と呼ばれた男』として知られる魚井一生さんという人が、「優秀なフィールドワーカーには、科学者の頭脳と柔道家の下半身が必要である」と言っていた)。あるいはバカが大学教授をやるのは犯罪なのか。あるいはバカを教授にした四国学院大に管理責任は問えるのか。
こういうことを考えていると、いちいち「配慮」なんぞという七面倒臭いことをしている自分がそれこそバカみたいな気がしてくる。
そういえば、上記の四国学院大の教授の「君たちのような学習障害者は私の授業をとらないでもらいたい」発言も、「学習障害者」ではなく「劣等生」とか「落ちこぼれ」とかだったらこんな騒ぎにはならなかったろうに、と思う。
差別的な表現をポリティカル・コレクトを配慮した表現に置きかえ、粗暴な言葉遣いを敬語に改めれば問題は解決するという訳ではあるまい。
「あんたバカ?」を「あなたは知的障害者ではありませんか?」と言い換えたら、おそらく血の雨が降る。
(Mr.Moto)
一穂(いちほ) wrote
>朝焼け・夕焼け、って感動するよね。
>とくに、海とか川面に、朝焼け・夕焼けが映る場所っていいです。
「夕焼け」で検索して、美しい写真をさがして見るのとても好き・・・。
Mr.Moto wrote.
>
> そう考えると、黒Maria状態でない、スの状態のMariaがいちばんわれわれの本音に近い、と言えるかもしれない。
そ、それじゃ、おかまのサイトにいったほうがいいと思う〜うっうっう〜。
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