アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
タレイヌさんこんにちは。横レスです。
タレイヌ wrote:
>昨日、突然、はじめて、みちるさんから、メールがきていました。
>なんでか、タレイヌのアドレスだけが、わかったんだとか・・・
自分が投稿した所の名前を「マウスで指してみてください」そうすれば、IEの左下に必ず(表示されなかったらごめんなさい)、ご自分のメールアドレスが表示されているのがわかる筈です。
また、名前をクリックすると、メールを出せるフォームに移動するはずです(設定によっては出せませんが……)
黒い名前はアドレスを入力していないので、アドレスが出ません。
「レスを投稿する」と同じ色の名前はメールアドレスがわかるでしょう(僕もメールアドレス一応乗っけてますので、比較対象として参考にしてください)。
昨日、突然、はじめて、みちるさんから、メールがきていました。
なんでか、タレイヌのアドレスだけが、わかったんだとか・・・
元気にやってます。ROMしてます。皆さんの、優しいお言葉、こころの力になりました、有難う。と、言ってくださいと、伝言されました。
一応、お伝えしますね。
それから、こうもりさ〜ん、目を大切にしてね。
(タレイヌ)
おはようございます。
おかげさまで、削除できました。
みつからなかったかしら・・・・(きょろきょろ・・?)
よかったよかった。
実は、今日から次男がこのパソコン持ち歩くって言ってる!
しばらくおあいできないかも・・・・
ROMはするつもり・・
では、では。
(タレイヌ)
>タレイヌさん wrote:
一穂(いちほ)wrote:
でも、どうしても、この感情はどこからきているものなのかって、分析してしまうの(^-^;
>それは,やはり『独占欲』が,発生源でしょう。対象者(この場合、彼)が,見てる世界の,一部始終を、見知っていたい!できれば,どう感じているのか・・までも、共有したい!と願うからでは、ないでしょうか。
むむむ・・・。
そうですよ。独占欲、毒詮欲!?です。
どう感じているのか知りたいけど、
共有はできないかも・・・。
彼は全然感情を見せないし・・・
前に一度、「感情無いの?」って聞いたら、
「いや、ある。」と言ってたけど・・・(_ _;
たんたんと、TV見て、ごはん食べて、それぞれ好きなことやって。
あんま会話もないんです、わたしたち。
だから、急にしつこく、
「さっきの電話、だれから?」なんて言えないし・・・。
でも気になる気になる気になるよう〜(oTwTo)
聞いたら聞いたで、また余計に気になるんだろうけど・・・。
>でも、理屈じゃない!ってゆう考え方もあるのね・・・。
>
>理屈じゃないのは、『葛藤がおきること』を、さしています。わか>りにくくてごめんなさい。
あ、そうでしたか。
葛藤がおきるのは理屈じゃないのね。
>>どうゆうふうに役に立つんですか?
>
>兄弟を「公平」に育てるという事の裏には、それぞれに起きる「嫉妬」に、どう配慮するのかが、含まれている。
>
>子が親から自立していくのは、わりと自然な事だと思いますが、産>んだ時から何年間かを、その子の、いわば、一部始終を見ることを>許される=強要される(?)親の立場から、対等な人間関係にまで>“育てる”立場に、移行していくためには、どうしても親側は「葛>藤」無しではすみません。このとき、「嫉妬」を、コントロールす>るのに似た『力』がとても役に立つといいたかったのでした。
> ぅ〜〜ん、やっぱ、ずれてっかなぁ?…役不足だわ。
>
あぁ。ハハオヤって大変なのね。
わたしにはまだわからないけど、でも言ってることの意味はわかります。
こどもへの執着を、手放していかなきゃならないのよね。
加藤諦三の本に、よく書いてあるんだけど、
愛着と執着を間違えてる親って多いんだって。
わたしも、彼への執着を、愛情とはきちがえてるのかなぁ。
>>でも、削除することってできるのかな?
>
>少なくとも、タレイヌには、そう見えることが、あります。
>
>>削除というか、無意識下に抑圧しちゃうってことかな?
>
>まぁ、そういう事だと思います。
>
>>それってよくないのよね。
>
>それしかできない場合というのも、結構あると思います。もしでき>なければ、『葛藤』するしかありませんから。
抑圧するんじゃなくて、手放すことができたらいいのかもしれない。
>>わたし自身がもっと広がれば、きっともっとラクになるんですよ>ね。
>
>楽になれるかどうか、保障はできませんが、多角的な視点がもてれ>ば自分の今居る地点を、割り出せるので、不必要に揺らがないです>むようになれるかもしれませんね。
ふう〜ぅん。
つまり今のわたしは不必要に揺らいじゃってるのかな。
自分のいるところを客観的に見れてないんだな。
うんうん。
だいたい悩んでるときって、そうなんだよなぁ。
>>・・・・広がりたいなぁ〜〜〜!
>
>広がれます、広がれます。大丈夫!!
>名加野さんへのレスで、結構、自己分析してたみたいだし。
うん、たしかに(^-^;
書きながら、いろいろ内省して、ためになった。
もうわすれたけど・・・(_ _;
>それから・・・
>(これは、Motoさんには、内緒なんだけどさぁ)
ナニユエ??
>あのさ、発言の、削除の仕方、そっと、教えてくれる?
そっと?
(^-^;
えっと・・・
わたし声でかいんですけど、いいのかな?
・・・
「新しい話題を投稿する」ときにクリックするところ、このページのいちばん上の方にあるでしょう。黒いところ。
その黒い列の中のいちばん右に、「発言の削除」ってとこがあるよ。
って、もう削除したのかな?
おそかったあ?
武田好史 wrote:
>あなたが、「自分には、これが足りない・・・」と思うものは何ですか?
ん?
「脳内物質」かなぁ・・・(oTwTo)
あと、体力と金。
以前書いた、カナダ・バンクーバーのアスペのワークショップのHPがやっと完成したようです。 (^^;)
皆さんふるってご参加を・・・英文です(T.T)
http://www.naturallyautistic.com/
アドレスです。
返信ではない投稿はもしかしたら初めてだったりするかも、の、みどり。
すごーく、ねむいの。
ここ数週間やたら忙しくて、徹夜したり早く起きたりしてたので、平均睡眠時間が普段の半分以下。
ときどき座ったまま意識を失うくらい眠い。
なのに、眠りたくないの。
こうやってネットサーフィンしてみたり (でもめぼしいところは全部見直し終わっちゃって、二度目の巡回に入ったりして)
テレビ見てみたり (おもしろくないからチャンネルぐるぐる切り替えるだけ)
眠いのに、つまんないのに、明日がもっとつらくなるだけってわかってるのに、ねむりたくないのはどうしたらいいの?
(で、一旦寝たら、なにがどうでも起きたくないのもどうにかしたい)
いいこと教えてもらった。インターネットオプション。私もMr.Motoさんの図が意味判らなかったのだけど「MSゴシック」に設定したら、うまくいきました。
こういうの横レスって言うんだろうけど、感動したので投稿しました。
どーも私は、人の書いたものをみて、「私も、私も」って言うのが多いな。
最近ROMに徹しているやんちゃんでした。
大槻いつきさん wrote
>もうひとつたとえると、理系の人はよくわかると思うのですが、
>中学校の教科書・高校の教科書・大学の教科書では、「原子」ってものに
>全然違う説明をつけている。
>だから、高校で物理が得意だった人が大学はいって大混乱起こしたりする
>けど。
>中学高校では、正確さよりもわかりやすさを重視してるから、
>わかったつもりになってる人が大学で全然違うこと教えられて、わけわか
>んなくなる。
『たとえが全然違うけど』(No.7691、27 Sep 2001)
あたしたち理科系人間にとっては、「積み重ねのきかない理解は、ほんとうの理解ではない」という信念があります。
あらゆる科学は、理解を積みかさねることで、進歩してきました。いままで「わかって」いたことが、「わからなくなる」ことはありません。
もちろん、「従来の理論では説明しきれなかったことが、新しい理論では説明できるようになる」という形で理解が広がることはあります。あるいは、「自分のいままでの理解は、本当の理解といえただろうか?」といった形で、いきなり「わからなく」なることはあります。ですが、そのことによって、いままで「正しかった」ことが「間違った」ことになるうことは、ありません。せいぜい「不正確だった」「厳密ではなかった」「完全には正しくなかったが、間違っていたともいえない程度のものだった」程度のものでした。
その意味で、小中学校で教えられることには、ウソが多かったように思います。「わかりやすい」説明を信じたために、後になってとんでもないことになる、という経験は、けっこう多かったりします。
あたしが思うに、「間違ったこと」を教えること自体は悪くないのですよ。ただ、「間違ったこと」を「正しいこと」として教えることが悪いのだと思うんです。古代ギリシャ時代やヘレニズム文化、ローマ時代を経て中世に至り、近世を経て現代に至る。そうした、精神史・思想史・科学史の一部として、「昔の人はこんなふうに考えていたんだよ」と教えることは悪くないと思います。「天球」「黄道」「白道」「恒星」「惑星」なんていう言葉は、現代に生き残っている中世天文学の概念だし、星の名前には「アルゴル」「アルビレオ」「アルタイル」と「アル」がつく理由もアラビア天文学が天文学の主流だった時代の名残です。そうした歴史を踏まえ、次々と突きあたる矛盾がいかに解決されてきたか、ということを含めて教えることには、確かに意味があります。
「とりあえず間に合うこと」と、「本当のこと」は別のことなのだというのは、はっきりさせておいたほうがいいと思うのですね。『君が代』や『日の丸』は、「とりあえず」のほうに分類されます。「『本当のこと』は、選挙権を持つようになる前に、自分で判断できるようになっておくように」と言い渡しておいたほうがいいんじゃないでしょうか。
その意味で、教育には「押しつけ」ないし「とりあえずの便法」という、ダーティな部分が少なからず存在します。で、教師はそこから逃げてしまってはいけないと思います。
さて。
世の中には、「『理解』の積み重ねによっては決して到達できない、『本当にわかる』という境地がある」と主張する人がけっこうたくさんいます。いわゆる経験主義者なんていうのは、この類です。「人を殺したことのない人間には、この気持はわからない」とか言ったら、人を殺したことのない裁判官は殺人犯を裁けないことになってしまいます。ここまで極端ではないにせよ、子供に「あなたは親になったことがないからわからないのよ」と言う親は多かったりします。
だけど、「あなたも大人になればわかるわよ」と言われたことは、大人になっても全然わかんなかったぞ。「それはあなたがまだ精神的に子供だからなのよ」と言われれば反論できないんだけどさ、だけど、あたしに言わせれば、こうした発言は、「とにかく、私がそう思うのだから、そうなのだ」といった、自己正当化でしかないように思うのですね。
あたしは「経験の普遍性」というものを信じています。人生なんて、どんなに悲惨でどんなに苛酷であったにせよ、所詮は似たり寄ったりであって、本当に質的に違うことなんてない、と思います。思想信条に関していえば、「理解できない」というのは、単に「理解したくない」の言い換えにすぎません。あたしたちがテロリストや狂信者を怖れるのは、彼らが理解できないからではなくて、あたしたちもまた彼らと同じような境遇に身を置いていたら、同じようになっていたかもしれない、といった怖れがあるからです。
だってさぁ、ライオンが人を喰ったって、「そういうもんだろうな」としか思わないですから。ライオンはライオンで、人間は人間。そもそも別のものだから、自分がライオンだったら人間くらい喰うだろうな、で納得しちゃいます(まあ、「人間としての尊厳」なんていうものはライオンには通じない、という意味での恐怖はありますけどね。これは快楽殺人者に対する恐怖に通じるものがあります。相手にとって自分は「ひとつの人生を背負った人間」ではなくて、単なる「人間という生物」あるいは「社会の一単位としての人間」でしかないという現実に対する恐怖です)。同じ普通の人間のすることだから、ナチズムもテロリズムも怖いんです。
だから、「自閉症」というのは環境であって、「健常者」も「自閉症方面の人間」も、同じく「正常な人間」だと思うのですよ。「関係性というものが、直感的に把握できない」という境遇に、生まれながらに放り出された「正常な人間」が、自閉症方面の人間なんです。
ですから、「関係性というものが、直感的に把握できない」という状況がどういうものかが理解できれば、「自閉症方面の人間」というのは「正常な感覚」の中で理解可能なのだと思います。だけど、「健常者」には、それを理解することへの怖れがあるのではないか、とあたしは思うのですね。それは、「自閉症」という、(非常に失礼な話ですが)「忌むべき世界」への通路を開くことに他ならないわけですから。
だけどさぁ、「こっち側の世界」というのは、あたしにとっては居心地のいい世界なんですよね。少なくとも理性的に考えると、そう思う。理科系研究者の世界なんていうのは、まるで、人工的な「こっち側の世界」のように見えます。「あっち側の世界」って、正直言って疲れるんですよ。それは「健常者」の人も同じだと思うのね。
実際問題として、日本という国は、根っこのところで「こっち側の世界」にとても近かったりします。だから、欧米人の中には「日本人」というところにアイデンティティを見出してしまうひとがときどきいるのね。こういうひとたちを、「こういうひとは、本来『日本人』だったのだ」と考えることには無理があります。ですから、あたしは自閉症というものが、人間としてのありかたの本来的な一つの形態である、と考えています。
あたしたちには、たぶん人類という種の中でのひとつの役割が割り当てられているのですよ。「そんな、損な役回りはヤだ」という人もいるでしょうけどね。で、自分の子供にそうした役回りをさせたくない親だっていると思います。だけど、あたしはまずあたしの存在を認めるところから出発しました。その役を降りるにせよ、それはむりやり引きずりおろされるのではなく、みずからの判断で、あえてその役を降りて他の役についたほうがいいように思います。あるいは仕事ではいいけどプライベートじゃヤだとかね。
ですが、こうしたあたしたちの生き方を認めたくない人というのが、少なからず存在します。そういう人たちに、「わからない」を言い訳にしてほしくない、とあたしは思っています。
(Maria)
名加野さん wrote:
>僕もMSゴシックにしたら直りました。
>そして、今までずれていなかった自分の書いた絵がずれました……
IEは標準の設定が「MS Pゴシック」(プロポーショナルフォント)なので、どう
してもこういうことが起きてしまいますね。
見る人の環境に依存しすぎるから、私はあまり絵文字が好きではありません。もちろん
使うなと言うつもりはありませんけど。
タレイヌさん wrote:
>うまくいきましたぁ―――――っ!!嬉しいですぅ。
よかったですね。
ちなみにエディタについては、絵文字をぱっと見たいだけなら、Windows標準の
「メモ帳」で十分ですよ。表示フォント切り替えもできますし。
本格的にテキスト文書を編集するにはちょっと力不足ですけど。
みなさんこんばんは。
先日の午後NHKのラジオ放送で、街頭の人にある質問をしてそれに対するオピニオンをえるという番組をやっていました。それが「同じことをアスペの人たちに聞いたらどんな答が返ってくるのかな・・・」と思えるものだったので、みなさんにも同じことを尋ねてみようとおもいます。
あなたが、「自分には、これが足りない・・・」と思うものは何ですか?
私なりに、Mr.Motoの発言を解釈したものです。
こういう行動ってかなり失礼なのかしら。
私にはたいそう仲のよい女性の友人がいるが、私は彼女に恋愛相談をしたことはない。
むしろ、他のことはろくすっぽ話さないけど、恋愛の話だけではおもいっきり盛り上がれる友人がいる。
仲のいいほうの友人は、21歳なのだけれども、男とつきあったことはあるのだけれども、
どうも恋愛をしたことがないみたいなのですな。
すくなくとも、私にとっての「恋愛」とは違う意味で恋愛を捉えている=恋愛感が違う。
おそらくこの人は、私が何をどう説明しても理解してくれない、むしろ説明すればするほど間違った方向の
イメージをふくらませて「わかったつもりになる」だろう。
だから、私は彼女の前では、「私は恋愛なんかしません」って顔をしている。
面と向かって、「私は恋愛してるけど、あんたにはそのことが理解できないだろう」なんて言えないから。
恋愛してない、というのは嘘だけれども、
彼女のイメージにある「恋愛感情」ってのは私は誰にも持ってないから、
この嘘をついていたほうが、彼女には私の状態がよくわかるだろう。
「嘘でしか言えない本当の事がある」 谷川俊太郎の詩より。
(一穂さん、鈴木輝昭の「ひみつ」ごぞんじですか?)
もうひとつたとえると、理系の人はよくわかると思うのですが、
中学校の教科書・高校の教科書・大学の教科書では、「原子」ってものに全然違う説明をつけている。
だから、高校で物理が得意だった人が大学はいって大混乱起こしたりするけど。
中学高校では、正確さよりもわかりやすさを重視してるから、
わかったつもりになってる人が大学で全然違うこと教えられて、わけわかんなくなる。
で、私は、Mr.Motoのスタンスは、
「省略するより、事実をひたすら正確に伝える。その説明でよくわからなかったとしても、
「わかったつもりになる」という間違いはふせげる」
というものなのだと解釈しています。
ある意味プログラマーっぽい発想かなぁ、と。
コンピュータは、どんなにややこしいプログラムでも、正確でさえあればコンパイルしてくれます。
でも、「わかったつもりになる」なんてことは絶対やりません。
いい意味でも、悪い意味でも。
Mr.Motoの発言が、ある意味で非常にわかりやすいというのは、コンピュータにとってのわかりやすさだとおもいます。
正直言って、私の場合Mr.Motoの発言は、「あーこれは正確な文章だな」と思いつつ、
知能程度がおいつかないため非常にわかりにくいです。
ちなみに、私個人は、こういうスタンスの決定は、
「なんのために伝えるか」によって変えるべきだと思っています。
教科書のたとえをつかえば、
中学では超!簡単な概要がわかりさえすればいい。
高校ではもうちょっと上のレベルが要求される。
大学以上では、実際に自分が研究などする際にまともに使える、厳密な知識が必要になる。
だから、中学高校ではごくごくわかりやすいけれど不正確な表現、
大学以上ではやたらややこしいけど正確な文章を使う。
ですから、自分の発言が「ある意味でわかりやすく、ある意味でわかりにくい」ってことを
本人が考慮した上で発言している限り、「あんたの発言はわかりにくい!」という批判は無意味ですよね。
ちなみに、失礼ながら私が以前Mr.Motoにくわえた批判は、
「Mr.Motoは、この掲示板のメンバー全員(ROMふくむ)が、Mr.Motoの発言を理解する能力があるという前提で
発言してるんじゃないか?」
と考えてのものでした。
さらについでですが。
上記の表現方法でも分かるでしょうが、私は、「正確に伝えるのが難しいこと」をとりあえず伝えたい場合、
たとえばなしを多用します。
そうすれば、相手は「雰囲気だけはわかる」かつ、
「自分が雰囲気しかわかってないことがわかる」可能性が高いと思うからです。
Mariaさん wrote:
> これが取りようによっては非常に失礼な発言である、というところから話を始めようと思います。
はい。
> 「ほとんどの人は、『自分が知っていると思っている単語』を辞書で引かない」
どきっ。(ぐさっ!)・・・・・・・・あたりです・・・・。
> で、その「要注意語句」の代表が、「役不足」だったりするわけです。
えっ?タレイヌって、こういうところは、一般的で、大多数の人とおんなじだったんだぁ・・・
>役不足 →
> ×:力不足。役に対して力量が不足していること。
> ○:その人の力量に対して、不釣り合いに軽い役。
「力不足」というべきだったんですね。すみません、一穂さん。(そんなつもりじゃなかったんです…年中こんなこと言ってる気がしていますぅ。)いまの一穂さんにとっては、『解決中』のことだったのに、タレイヌは、『解決済み』での、お話しちゃってる気がしていたから。あらためて・・・
「力不足で、ごめんなさい。」
> ひとつひとつの「ことば」を見据えてゆく。そこから始めたいと思います。
はい。
知ってるつもりになって、使っていたので、相手を怒らせたこと、きっといっぱいあったと思います。この年になって、それを指摘してくださる人は、タレイヌの周りでは、もう居ません。Mariaさん!今後とも、ピシ、パシ、お願いいたします。
(・・・知ってるつもりで居るので、辞書に手が延びないんです、結局・・・)
(タレイヌ)
こうもり wrote:
> たあさんは経済的に下宿を続けることはできないんです
あれ???「〜ですか?」で終わらせたはずなのに、最後が消えてい
る…。どうも失礼しました〜。
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